2010年12月28日火曜日

久しぶりの京都・奈良  12月9日~12日

今年2月に京都へ行ってから、色々な事件が起き、散々な日々を過ごした。
かろうじて、状況が落ち着きとりあえず平穏な日々を過ごしている、そんなある日Kzさんの関西の出張が続いたので、彼が仕事の間一人旅をし、週末は一緒に仏像を観に奈良へ行った。

今回は、到着した日は京都の町をぶらぶら~・・・のんびりお買い物をしたり、お茶をしたり、錦小路を端から端まで探索したり、、、そうパリの街をうろうろするみたいに、あてもなく小路に入ったり、川べりを歩いたり・・・とにかくまったり過ごした。

ちょっと入りたくなるようなおしゃれな店が増えた。カフェも店も。

二日目は一人だったら東福寺へ行こうと決めていたので、躊躇無く東福寺へ。
幸いにもまだ紅葉の残骸が・・・・beautiful! maravilloso! 落ち葉の絨毯は源氏物語絵巻の着物の柄みたいに華やかで・・・・何だか福永武彦の世界が浮かんできた。


昔読んだ『砧』といったか? 能と鼓の音が妙に印象に残っている作品があるが、あれは誰の作品だったのだろう? 東福寺を隅から隅まで歩き、庭園を観、座っては眺め、、、空いていたのでじっと好きな所に座り、学生の頃みたいにゆっくりゆっくり時が流れた。

京阪三条に戻り、ひたすら歩き、小川珈琲店で美味しいコーヒーとごぼうと鶏肉のサンドウィッチを食べた。これが妙に美味しくて・・・・・

土曜日は、奈良。
三月堂(法華堂)が改築中で、楽しみにしていた昔の空気がまるでなかった。もう別物。
あんな三月堂は嫌だ! 時が流れ、色々なものが変わって行く。これは仕方ないのかもしれないけれど、昔を求めて、あの頃の自分を見に来たのに・・・・残念!

カデルヴィアーレのイタリアンは文句なし! 但し、食べすぎて苦しい。
京都では『蛍』の会席とカデルヴィアーレのイタリアンと決めていたが、前者は板前さんが替わったのだろう、以前の喜びがなくなった。 これからはもっと安いおばんざいや鍋料理の店を探そう。
そろそろ、いつまでも同じではなく、新しいものも開拓しないといけない頃なのかもしれない。
自分の人生も・・・

2010年12月27日月曜日

ところが・・・雪が降ったイブ

ところがその夜(12月23日)あまり消音の世界を感じるのでカーテンを開けてみると、「オオッ!雪が・・・」 静か、雪国育ちは何故か雪が降り出すとわかるのだ。
しかし、真っ暗闇、何も見えない闇の中で雪の気配をほのかに感じるだけ。こういう時のデジカメの使い方がわからん! メカに弱いのはこういう急を告げる瞬間にマジやばい!
イチカバチカで、えいっ!!! 撮れた。


12月24日クリスマスイブの朝の軽井沢は雪景色になりました。恵みシャーレーは雰囲気満点になるでしょう。 


それなのに、私は新幹線で長野のオババの所へ。
昨日軽井沢の窓拭き、この日はオババの家の掃除と洗濯・・・・やれやれ、とんだイブだ。
でも夜はkzさんと久しぶりにお鮨を食べました。山国長野のくせにMホテルのお鮨屋さんはすこぶる美味しくて、ほんの年に1~2回だけれど奮発してにぎりを食べるのが楽しみなのです。今回は久しぶりにそのチャンスをものにしました。なんせオババはけちだからホテルの鮨屋のカウンターでにぎりなんて問題外!(もっともご本人の口癖は「けちと倹約家をは全く違う!わたしはけちではなく、倹約家です!」だが・・・) 折角長野へ来ていてもKzさんと一緒でないと機会を持てません。
家の近くに美味しいお鮨屋さんがないので、ここのところ鮨に縁がなかったのだ、しあわせ~~!
夜の新幹線で軽井沢に戻り、翌日荷物をまとめて東京へ帰りました。
そして、又年末の大掃除!
私は掃除専門業者だーーー!!!でも家の中が全く片付かないのは何故???



2010年12月23日木曜日

寒い、寒い!


気持ちの良い季節の到来です。

浅間山が真っ白です。


信州育ちの私は、この凛とした耳がちぎれるような空気に触れると息を吹き返します。

忘れていた何かを思い出すみたいに・・・

二階のベランダからもいつも浅間山が見える季節になりました。

生クリームでフロストしたエンゼルケーキみたいです。

昨夜はあまりに明るい月の光に照らされて、真っ白! まるで浮き上がっているようでスイスのカンデルシュタッグの山みたいに神秘的でした。


今日は窓ガラスを拭いてあげました。

武蔵野の家はひがんでいるかもしれません。僕もきれいにしてよって。

「あんたはでかいからねえ~」


庭に出ると真っ青な空なのにパラパラ音がするので、耳を澄ませました。

するとほっぺにこまかいパウダー状の氷の粉があたりました、頭のてっぺんにも、陽が差しているのに・・・ 不思議な現象でKzさんに「ダイヤモンドダスト?」って聞いたら、

「それは違うよ、もっと寒くならないと・・・浅間山から積もった雪が舞って来ているんじゃないの?」って言っていました。

ほんと?


明日はクリスマスイブ、去年だったか一昨年だったかつるつる滑りながら恵シャレーへ行ったけれど、今年はまだ雪が積もっていません。

今夜は近くの小さな美味しいイタリアン『ラ・パッキア』でお食事です。

多分イブの前だから大丈夫でしょう。

明日は、オババの所です。

2010年12月20日月曜日

spec、終わってしまった

今シーズンは、スペックを毎回楽しみに観ていた。

何だか分からないが妙に面白かった。 人間の脳内の未知の部分に照準をあてているのが興味深かったのかもしれないし、瀬文さんと当麻さんのキャラが面白かったのかもしれない。

当麻さんの性格が自分に似ているような気がしないでもないところが良かったのか、瀬文さんのコツコツ加減が妙に魅力的だったのか、とにかくプロットよりもむしろ、二人の様子を見ていたかったのかもしれない。

あるいは、大真面目なシーンに思わず吹き出してしまうようなことが起きるのでそれがたまらなく快感だったのかもしれない。人生ってこういう緩みが必要なのだって・・・。
瀬文のあの歯はなんだったんだ!!

でも、一番自分好みだったのは、トリックがたくさん隠されていて、ぼやっと観ている人は見落とす、見逃す・・・でもそれでもそこそこに楽しめるけど・・・という面白さだった。不要な小道具は一つもない、と言っても良いかな?というくらいヒントがたくさん当たり前に登場していて、それに気付く人が更に楽しく観れる・・・というところか。
細部にこだわった作品って結構好きなのだ。村上春樹の本みたいで。

最終回に時間の拡大がなかったのはあまり人気が無かったからなのだろうか?

戸田恵梨香は『ボス』の時に『ふう~ん、こういうのやれるんだ・・・』って思っていたら、あのときのぎこちなさが消えて、なかなかバージョンアップしていた。間に観たいくつかの作品も彼女の美しさより内面の面白さを引き出していて、なかなか個性的で癖があって面白かった。益々楽しみな女優さんになっていくと思う。

加瀬亮はいつ見ても魅力的な役者さんだ、彼でなければできない役、彼にやってほしい役がある人だ。これからも一つ一つがとても楽しみだ。次は何?

多分、又続編があるだろう。
だって、あの終わり方だもの。
あれは『面白くないから、番組打ち切り』か『次もシリーズで行こう』のどちらかだ。

2010年12月6日月曜日

ワインと絨毯

オババの所へ、サイマの施療に行きました。オババは調子が悪いらしく、とても弱気です。1週間前にKzさんが行ったらたまたま留守で、もう一度やり直しです。
須坂のインターで降りるので、以前から気になっていた、小布施ワイナリー、つまり sogga wineを訪れてみようということになりました。二人でちょっこし観光をするのは何と久しぶりなことか! 私たちもこの夏の試練を越えて、少しだけ心の余裕が出てきたということでしょうか?

ここのワインは何年前だったか、軽井沢の星のリゾート経営のブレストンコートというホテルのレストラン、『ノーワンズレシピ』で仕事に行っているKzさんのせいで一人でお食事した時に、ソムリエさんから薦められて飲んだのが始まりです。そのときはピノノワールが美味しくて・・・国産ワインでこんなに美味しいものが飲めるとは・・・・と病み付きになりましたが、なんのなかなか手に入らず、ついに現地調達となりました。メルローも美味しかった。フランスのブルゴーニュに負けないくらいのワインを造っているのです。 この日は 、合計6本 :
お薦めのカベルネフラン2008 2本と、メルロー2008、 プライベートリザーブ2008、 スパークリング エクストラブリュット ブランドブラン 、それから非売品のピノノワール2007をゲットしてきました。
私がピノの本数が少なくてもうないと知ってすごく残念そうな顔をしたからでしょうか? 奥から特別に非売品を持ってきてくれました。 「やったー!」ピノノワール好きにはたまりません。
ニコニコ。
昨夜kzさんとカベルネフランを早速開けました。美味しい! お酒強くないのに、一本空けてしまいました。
賞を取ると直ぐに売れてしまうので、在庫がなくなってしまいます。  量産していないからすぐになくなってしまって大変なので、良いワインは賞に出さないのだと言っていました。 それでも、出したワインはのきなみに賞を取っています。良いものを出してしまったら、どうなるのでしょうか?外国から買いに来るかもしれません。

こうして、品質を維持して行くのでしょう。控えめで、謙虚で素敵です。この姿勢を知って、気持ちが和みました。


次は以前から目をつけていた、長野の中央通りにある、松葉屋家具店の絨毯を見にいきました。ギャッベの絨毯。Gabbeh (南ペルシャの遊牧民が手織りする絨毯です。染めも織りも全部手で、草や木を使って染めます。 色々な、心に浮かんだ風景や想いを絨毯に紡いで描くのだそうです。とても素朴な世界です。)

前回拝見させていただいた時より、枚数が俄然減っていて、目移りしないですみましたが、不思議と私たちの候補に挙がっていたものが、残っていました。 

このこげ茶色ベースのギャッベを買って来ました。予算はすごくオーバー!これから節約しなければ・・・お部屋に気持ちよく収まりました。
繊維に過敏な私も、これは皮膚がささくれることもなく、本当に優しいのです。本物はこの手で触ると直ぐに分かります。 渋いなあ~!

この松葉屋さんにも、ソガワインと共通する本物のピュアな空気が流れています。お店全体にのんびりしたいい時間の流れがあるのです。どちらも作り手のすばらしさでしょう。
良い一日でした。

朝陽に燃える浅間山

12月に入って晴天が続いています。
この日の日の出の頃の浅間山はピンク色に輝いていました。東から昇って来る日光に反射してそれは見事に優しい光を放って・・・・うっとりです。


下に下りてくると渦巻きの庭が真っ白!
バルコニーでは氷の結晶が素敵な世界を作っていました。
前の日の浅間山は雪をかぶってはいたのですが、、、この朝は完璧な霜の世界。厚さ6センチ位地面が凍って霜柱が立っていました。霜柱を見るのは久しぶりです。しかも軽井沢の霜柱は厚い! 大きなしゃべるでもなかなか割れません。



午後Kzさんと散歩に出ました。
家から少し上に行くと、大きな男性的な浅間が見えました。不思議と近いから良く見えるものでもないのです。
よしよし、と大きな象さんの背中をなでるような感じの山肌で・・・これからのっしのっし動き始めるような、、、そう、私には生きているように見えました。 でも、冬の浅間山は逃げて行きません。これからはお天気さえ良ければいつでも見ることができます。コレステロールを下げないといけないので、この辺を散歩しながら対策をしていきましょう。
空気が美味しい冬の始まりです。

2010年12月3日金曜日

ピロリ菌が死んだ!

今日はピロリ菌の除菌ができたかを検査する日です。

病院に着いて、定期健診の血液検査を行い、胃腸科でピロリ菌の検査。
息を風船をふくらますみたいに入れ物に吐き出し、お薬を飲み横になる。それから5分後に又呼気を袋に吐き出し、次は起き上がった姿勢で15分間待つ。

名前を呼ばれたので、I先生に久しぶりにお会いできるぞと、うきうきして診察室に入る。
入るなり、大きな声で「先生ぇー、おはようございます。 死にましたか?!」と聞くと
タイミング良く明るい声で、「はい、死にましたよ。完璧です」
(おいここは病院だぞー!)
とお答えが返ってくる。

何なのだろう?この先生の波長、、、リズムがぴったりなのだ。
kzさんが「ソラさんが気に入ると思うよ」と初めて確信を持って薦めてくれた先生だけあって、自分と話しているようなポンポンとした受け答えができる。しかも静かに明るい。
多分Kzさんはこの先生と話していて、私と話しているような気がしたのではないだろうか?

相変わらず、ブラビが濃く、ごつくなって、竹野内豊がもう少し不良になったような雰囲気が漂っている。

とにかく、私のピロリ菌退治は無事終了した。

その後の血液検査の結果報告の時、私の主治医のO先生と担当の看護婦さんのKさんは私の過敏体質を知り抜いていて下さるので、「本当に良かったですね、おめでとう!よく頑張りましたね」と言ってくれました。
下痢や、頭痛やめまいや口内炎・・・・etc結構色々あったのです。
でも1週間の辛抱なので、気合で頑張りました。この歳になっても褒められると嬉しいものです。

ピロリ菌は良かったのですが、問題はコレステロール君。
又数値がど~~ん!とあがってしまい、使えるかもしれない薬がもう一つだけ残っているので、O先生から「もう一度試してみましょう。効かなかったけれど、副作用はなかったのだから・・・」と言われてしまいました。
「一ヶ月だけ猶予をください。サボっていた運動をして頑張ってコントロールしてみます。だって前回の激痩せした時下がったのだから・・・」どうしても薬を飲みたくない私は、そう頼んで帰りました。

新年に向って、運動復活! ストレスを貯めない!!食事に気をつける!!!
年明けの検査に向って、もう一度頑張ってみます。
薬はいやじゃ! 副作用もいやじゃ!!

と言いながら、この文章は軽井沢駅近くのお気に入りのカフェ『ラ・テイエ』で買ってきた美味しいりんごのタルトを食べながら書いています。私のコレ君は食べ物から作られている訳ではないと信じて・・・
いやあ、まじうまい!

2010年12月1日水曜日

浅間山がみえた!



わが家の北側のバルコニーからとうとう浅間山が見えた!!

夏の間、木々に葉が茂って見えなかった浅間が姿を見せた。
かくれんぼをしていたみたいに、晴れ渡った空、唐松の林の中からひょっこり姿を現した。

Kzさんも私もこれが見えるようになる季節の軽井沢が好きだ。何年もの間、オフシーズンや真冬になるとよく来たものだ。

土地を探していた時に、条件は『浅間山が見える所』に限定していた。
ところが私は夏、山も何も見えないのに、この土地が気に入ってしまった。
誰も信じないと思うけれど、土地が私を呼んだのだ、「ここに住んで!」って。

不動産屋さんは、「確か冬には見えたような気がするけどなあ~」と曖昧なことを言っている。
私達は山が見えるか確認したくて、何度この土地に足を運んだだろうか? 「確かにあそこにいるはずなのだけれど・・・」と。しかし晴天の日でも見えることはなかった。

もちろん見えないけれど、この土地を買った。しかも北側に浅間山を見るためのバルコニーまで作った。だって気配があったから。

面白かったのは、ここだけ地形が違ったことだ。
Kzさんは後になってここを『クリアリング』と呼んだが、、、つまり前述の"ブレニンの本" (哲学者とオオカミ)によると『森の中の開けた場所』という意味なのだそうだ、、、周りが全部唐松の森なのに、ここだけ明るく開け、全然違う木がはえている、生態系が違うみたいに。 
しかも木の生え方が、ますむらひろしの漫画のアタゴオルの森みたいなのだ。
ひょろひょろと異様に上に伸びていて、頭の所だけに葉がはえている。高い高~い木の幹にはほとんど葉っぱがない。とても不思議な妙に気持ちが落ち着く光景。一本一本の木の周りには光の輪があって、みんながダンスをしている。虫や小鳥や枯れ葉たちが・・・・。

タクシーの運転手さんが「あそこは昔神社の社があって、別の場所へ移したんですよ」と、おっしゃっていたけれど、もしかしたら本当かもしれない。

見えなかったけれど気配でこの向こうに山があるのが分かっていて、しかも山からやってくるオーラがジンジン響いていたので買った。そして11月の末、唐松が金色の葉を落として、とうとう浅間山が上の方だけだけれど立派に存在感を示してくれた。当然のように。  
Kzさんの渦巻きの庭がこれからどんな風にアレンジされ変わって行くか、楽しみです。

2010年11月29日月曜日

『哲学者とオオカミ』  by マーク・ローランズ


"The philosopher and the wolf" by Mark Rowlands

-Lessons from the wild on love, death and happiness


副題: 愛・死・幸福についてのレッスン。

訳者:今泉みね子


Kzさんに薦められて読んだ本。

こんなに本が体内に入り込んできた作品はとても珍しい。

読み終わった後も、著者が暮していたオオカミのブレニンが、私の家の中をあっちこっちうろうろしている。


哲学書のはずなのだが、気がつくと彼のブレニンとの暮らしぶりのところばかり一生懸命に読んでいた。しかもしっかりと記憶に残って、ブレニンの活き活きした様子が心に焼け付きその上映像になってはっきり、しかも温かく、微笑ましく残っている。

Kzさんは哲学的考察の部分が好きだと言っていたが、私は頭が単純なので、ブレニンの描写の部分ばかりが優先される。


この著者はブレニンと言う名のオオカミと10年以上一緒に暮らし、彼を通して多くのことを学んだ。二人の関係はどこにもない関係・・・家族、友だち、同志、分身・・・・そんなものが全部一緒になったようなとても素敵な信頼関係だ。そして、そこから発進されてくるものは私の頭の中で映像になり、心を刺激して、更に脳の中では思考に向かって行く。


ブレニンが魅力的なこと!

この魅力が彼の哲学とつながって行く。 どうしてブレニンがそんなに素敵なのか!!

そして、そのブレニンが彼の中にも住んでいる、人間の中にあるオオカミ的部分が刺激され、共鳴し、融合する。それこそが、人間が忘れてはならないオオカミ的なもの・・・・時間の流れ、瞬間、記憶、喜び・・・


終わりまで読んだ時、又初めに戻りたくなった。

彼が書いていることを私はたくさん読み落としてきたことに気がついたからだった。特に哲学的考察の部分。 それぞれがブレニンの行動の一つ一つにつながり、とても大切なことを述べているのだから。時々引っ張り出して読んでみよう。

そうすればブレニンが私の過ちを修正してくれる。


今は、ブレニンの感触の中でブレニンを感じていればそれで良い! そう思う私です。


訳者の今泉みね子さんの訳は活き活きしていてとても素敵で、どんな人なのか?と興味を持ちましたが、ドイツのフライブルグ在住ということで、興味深い環境都市に住んでおられるので、多分色々テーマがおありなのだと思いました。彼女の姿勢が素敵な翻訳をうみだしたのだと思います。




2010年11月25日木曜日

弱音を吐こう介護日誌① 困ったねぇ~益々認知症傾向大、ケアマネさんも困る!

Kzさん台湾に出張中につき、オババの所へ行ってきました。

背中は前より更に曲がってきました。丁度『みなしごハッチ』とかテレビの人形劇『新三銃士』のリシュリュー枢機卿みたいなカーブを描いてきているので、老婆の風格が出てきました。
杖をついて、黒いドレスを着たらまさに魔女、しかもわるーい魔女!

それほど時が経っているわけではないのに、老化はかなり進み・・・一番気になるのは、とにかく子供みたいに同じ事をひっきりなしに繰り返して質問するようになったことです。今まではある一定の時間内に同じ話が何度も出てきてうんざりでしたが、同じ質問を立て続けに繰り返すようなことはありませんでした。
よく、お母さん同士がおしゃべりをしていて、聞きたいことがあるのに答えてくれない時、子供は何度も繰り返して聞きますが、まさにあのパターンをおばあさんがやるのです。

最初の洗礼: 郵便物。
前回行った時に始末した後に来た郵便物の中に大切な物がないかをチェックします。
まず「これはもういらないから、捨てていいよ。これは大切なものだからここに入れておくからね」と選別します。ところが、捨てていいからと渡した郵便物をすぐに持って来て、全部又聞きなおすのです。
次は、ばらばらに持って来て、聞きなおす。

「これは、捨てていいのかね?」
「いいよ」「これは?」「それも捨てていいよ」・・・・とこの時までは私もまだ優しく答えています。
少し経つと、又・・・
(『えーーーーっ!!どうなってるの?今聞いたばかりやん。しかも何回聞いた?封筒が恐いよ~』)

それでも私は「捨てていいよ」と答える。
だってKzさんに「ソラさんきついよ、優しく言ってあげないと駄目だよ」と釘をさされているから。

あまり繰り返すので、「これはもういらないから捨てちゃおうね~、紛らわしいでしょ?」と、クズ籠に捨てると、
今度はなんと、捨てたばかりのくずかごの中から引っ張り出して来て、
「これ捨てていいのかしら」とやり出す。(我が目を疑う私)
「おいおい、捨てたのわざわざ出して来るなってば・・・」
またくずかごへ行ったので、とうとう「今度引っ張り出してきたらマジ怒るよ」とにらんだ私。
そしてオババがトイレへ行った隙に、「これ以外に方法なし」と全部細かくちぎって見えないところへ捨ててしまった。

とにかく、郵便物のみならず、今回はあらゆるところでこの怪現象が起きました。私はまるでアリスのコーヒーカップの中でぐるぐる回りながら生活しているような気分になり、最後には頭がくらくら、胃がむかむかしてきました。
前はこんなじゃなかったのに。
とにかく気になることがあると、そのことで頭が一杯になってしまうみたいで、質問の答えを聞いてもそれが記憶に残らず、気になっていたということだけが気になってしまい、又質問を繰り返すことになるらしいです。

ケアマネさんも音を上げるほどの頑固者。
本当に不安になります。この状態の一人暮しって・・・困ったなあ。
ジジちゃん、天国から降りてきてお助けマンして欲しい!

2010年11月22日月曜日

完全休養のつもり

昨日の午後、急に腰の右側が痛くなり、動作の変更がとても困難になった。

腰痛ではずっと悩んでいたけれど、神経にズキっと来るあの痛みは、もしかするとぎっくり腰の一種だったのだろうか? それとも坐骨神経痛? 両方同時?
「いたっ! 痛いっ!」声を張り上げずにはいられない痛さ。体を前にかがむことができない。立ち上がれないし座れない、もちろん腰をかがむこともできない・・・痛くて涙が出てきた。

実のところ、今日は久しぶりに何もない日で、明日のスペイン語も祝日のため休みだし・・・・自分へのお休みで今日は『SP』でも観にいこうと思っていたのに・・・この痛み。
こんな自由時間が長いことなかったなあ~と解放感に満ちるはずだったのに、この腰の痛みでおじゃん!

よって今日は家で休暇に決めた。
まず朝風呂に入って腰の痛みを緩和させた。これだけで十分贅沢!
私は昼間にテレビを観る時間などまずないから、撮っておいたビデオを観た。これはむしろ罪悪感。
何と貧乏性なのだろう? 昼間からこんなことをしていて・・・なんて思ってしまう自分が情けなくなる。

そうこうしているうちにKzさんから電話が来た。
「明後日の台湾行きの飛行機のチケットを二人分取って欲しい」と。 
私はいつも無償で働く秘書。

PCに向かうだけでも腰が痛いのに、おまけに聞きたいことがあって、折り返し電話しても全く出る気配なし。急ぎのチケットのオンライン予約、先に進めない。あいつはいつだってそうだ、自分から電話してくるのに、自分は電話に出ない!! 電話にでんわ!!(界王さまーぁー!)
又ストレスが戻って来た。余計腰の痛みを感じる。
折角「完全休養!」って宣言したのに、やはり貧乏神は私に付いてまわる。
もしかしたら、ストレスの元は夫なのだろうか?

ああ、旅に出たいなあ~、秋だなあ~
厄介ごとは全部忘れてしまいたいなあ~
とたまにはつぶやいてみるのもいい・・・かも。
twitter やろうかな?

2010年11月18日木曜日

緊急ボタン 〜認知症的拒絶反応

長野市の市政はあまり感心しません。

県の方針なのか市の方針なのか分かりませんが、以前80歳以上の一人暮らしの老人宅に緊急ボタンのついた電話を設置しました。 それが今年から有料にすると言うのです。

「お金を払わないと、緊急呼び出しは受けられなくなります」と言われ、仕方なしに有料のサービスを受ける契約をしました。
今日その工事に来たらしいのですが、受けられるサービスは向上するものの、オババには何のことやらさっぱり分かりません。 一人で暮している老人からお金を徴収しなければならないほど市の財政は緊迫しているのでしょうか?

「どうしてこの歳になって、毎月更に市にお金を払わなければならないの?私は電話さえ通じればそんなもの必要ありませんから」っと取り付けに来た人にくってかかったようです。

確かに変です。福祉の面から言っても88歳の老人から今まで無料だったものを有料にするなんて、有り得ません。だから長野市はあのようにさびれ、汚いみすぼらしい町になってしまったのでしょう。
有能な人に政治家になって欲しいです。

「私は電話さえ通じれば何もいらない」とは言うものの、一人なのでどこかと繋がっている方が良いと思って契約した私がいけないのかもしれませんが、ここまでオババに嫌がられるとは思ってもみませんでした。
何かの位置が変わってしまっただけでも、パニックになるので気持ちは分かりますが・・・

ヘルパーさんも全部断ってしまったし・・・・何でも自分かr断ち切ってしまいます。
これから更に大変になると思います。

それなのに、「死にたい、死にたい」と言われると私も本当に困ってしまいます。
どうしたらよいのでしょうねえ~

2010年11月17日水曜日

くじ運

自慢ではないが、写真写りの悪さとくじ運のなさには自信がある。

以前35枚分のくじを一度に引いたことがあったが、全部はずれだった。
油取り紙を36セットもらって帰ったが、私は脂性ではない。
同情のこもった目で、まじまじと見つめられ「珍しい方ですね」と言われた。

ところが今日、息子の所へ送る宅急便を出しに、近くのセブンイレブンへ行った。

私は何かの支払いと宅急便以外にコンビニへはほとんど行ったことがない。
しかも今日はもらったQuoカードで払ったから、全然お金を使ってないのに、
「どうぞ、一つ引いてください」と箱を出された。
「当たったためしがないんですよ、くじ運まじ・・・」と言いながら一枚差し出すと、
「悪くて」と
「あら、当たってる!」の声が重なった。

「えーー!!私にも運が向いてきたのかしら?えーー!!うそ!!ありがとうございます」
店の人も私があまり嬉しそうなのでニッコニコ。

何も買わずに、ワイドハイターひとつもらって帰ってきた。
何だか良い日だった。

息子の運を取ってしまってなければいいけれど。

『三つ数えろ』 


今クラスでやっているレイモンド・チャンドラーの"The big sleep" (『大いなる眠り』)の映画の日本語タイトルだ。

映画の中にこの台詞があるが、何故この本題と全く関係ないこんなタイトルになったのか?ちぐはぐさにあきれてしまう。

このクラスを始めてもう10年以上になる。

毎年映画と本を2つずつやっていくから、もう20本以上の作品をやったことになるのだろうか?


ハワード・ホークスの監督作品はマリリン・モンロー主演の『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen prefer blondes) に続いて2作品目。 ハンフリー・ボガートの主演は『マルタの鷹』についで、2作目だ。

このクラスの先生、Kevinの選ぶ作品はかなり自分の好みに偏りがあるが、筋の通った作品を選んではいるのだと思う。
今回は私は真面目にやっているが、さすがに映画と本の違いに目をやると、色々な点が気になる。何においても、本がまさっている。やはりハリウッド映画はエンターテインメントだ。そして最近の不振はやはりその辺の甘さに原因があるのではなかろうか?ヨーロッパやアジア系の映画、あるいはミニシアター系の映画に押されているのはその影響もあると思う。

さて本題に入ろう。

この作品の難点は、スターンウッド家の長女ヴィヴィアンの使い方にある。原作での彼女と映画での彼女が違いすぎる。つまりボギーの奥さんであるローレン・バコールを映画に絡ませようとした結果が作品をつまらないものにしてしまった。ヴィヴィアンはもともと金持ちのちょっとふしだらな放蕩娘なのだが、多分ローレンの印象を魅力的にする為に、知的でindependentな印象を加えて性格を変えてしまった。映画としたらその方が受けるのかもしれないしアメリカ人好みなのかもしれないから文句は言えないが・・・。

原作のプロットの面白さや緊張感、表現したいものが変わってしまって、単なるエンターテインメントになってしまっている。

1945年製作版と46年があるが、ヴィヴィアンのせいでストーリーに無理がかかりつじつまが合わなくなってしまっているので、私としては45年版の方が原文に忠実で面白い。とってつけたような会話はバカらしくて苦笑いだ。 けれど、クラスのS氏はそこの場面が一番好きだと言っていたから、人それぞれだ。彼とは感性がまるで違う。

結末も、主題も映画と本では大違いだが、まあクラスの教材として、色々考える秋には良かったのかもしれない。

2010年11月15日月曜日

ロング・グッドバイ  by レイモンド・チャンドラー



フィリップ・マーロウのことが知りたくて、"The big sleep"(原文), 『さよなら、愛しい人』(村上春樹訳)(Fairwell, my lovely"(原文))に続いてこの作品を読んでみた。

今英語の"English through cinema" のクラスで The big sleep をやっているので、授業の発言に厚みを持たせたくて自分なりのアプローチをしている。
原文はとても良く書かれていて、以前にも書いたがその文章の巧みさ、チャンドラーの観察眼の鋭さに魅せられているが、この作品は村上さんの訳で読んでいる。

村上さんは、ロング・グッドバイとフィッツジェラルドの『グレード・ギャツビー』を対比して後書きされていたが、その指摘を目にする前の時点で、確かにギャツビーと重なるなあ~と思いながら読んでいた。
後書きを読んで、やっぱり!と思った次第だ。

内田樹さんが、そこに更に村上春樹の『羊をめぐる冒険』を加えて3作品の共通性を述べていたけれど、確かにロング・グッドバイと羊もある意味、繋がるかもしれない。

この作品がマーロウをつかむ上では3作品の中で一番個性が出ている気がした。
というか、前2作品よりも、マーロウが人間的で深みを増し、しかももっと良い人に感じるのは私だけだろうか?
クールでハードボイルドなマーロウだけではなく、人間として男として成熟したマーロウだ。人間の深みに入って行くのはたまらない。

ところで、私はフィリップ・マーロウの彼をめぐる登場人物との距離感が好きだ。
主役から端役まで作品に出てくる全ての登場人物との距離感である。
心がどうであれ(とても近くても)、決して近くなり過ぎない、この絶妙な距離感。命がけで助けても、そこに存在している距離感。 

自分と自分以外の人間との境界線が、彼と彼が出会う全ての人々との間に存在している。私はその彼の意識的なアイデンティティを含んだ距離感と、彼の無意識に人間的な心の中での距離感とを比べながら作品に読み入った。

そして、そのマーロウは今授業でやっている、the beg sleep のボギーが演じているマーロウとはちょっと違うイメージを描いている。
【補足】
この作品を読んでいて一番感心したのは、女性の描き方の上手さだった。
圧巻だったのは、マーロウがニューヨークの出版社のハワード・スペンサーという男と会うためにホテルか何かのバーに行った時のことだ。そこに一人の女性が現れた。
彼女の美しさを現す空気感の素晴らしさ、『一瞬、まわりの物音がすっかり消えてしまった。』とある、そしてどのように物音が消えたか描写しているのだが、今でも鼓膜を揺すぶったインパクトが残っている。
そして気品のある、非の打ち所のない美しい女性、アイリーン・ウェイドの登場になるのだが、その時にはまだ彼女の役割は分からない。
3作品の中でこの女性の登場シーンの描写が一番美しい。
もっとも別の意味で、『さよなら、愛しい人』に描かれる女性達もロートレックの絵に描かれている女達のようなしたたかな逞しさで魅力に満ち溢れていたが・・・。
男性から見た女性の美が興味深い。

2010年11月14日日曜日

冬越えの準備

軽井沢はもうすっかり秋です。すすきがゆらゆら揺れて、秋の気配を運んでくれています。
夏の終わりはこんなでした。
Kzさんの努力の跡を記録に残しておきましょう。





夏の終わり、抜いても抜いても来る毎にすごい雑草!散歩の叔父さんがお気の毒に・・・と同情してくれた手や鎌でやっていた雑草取りの対策を考えました。






やはりこれしかない!とついに草刈機を買いました。ぐい~ん、ぐい~~ん! 慣れるまで大変!でも慣れると楽しそう。(本人は筋肉痛でそれどころではなかったらしいけれど)




きれいになりました。 ただ刈るのではないところがkzさんらしい。二階から見ると渦巻き。このスパイラルにはかなりな意味がこめられているらしい。
こういう変なところがうちのだんな様にはあるのです。この庭がこれからどんな風になるか、お楽しみに!

でっかい靴

朝起きたら、玄関にデッカイ靴があった!

『おっ!とうとう来たな!』
息子の部屋をのぞいたら、洋服を着たまま枕を抱っこしてぐっすり眠っている。
もしかしたら帰るかもしれないと言っていたが、ここのところ全部つぶれているので、多分今回もつぶれるな?と思っていたら予想に反してやってきた。

今年の4月に名古屋赴任、夏に一度戻って来たが、その後は忙しい日々が続いている。
眠る間がないが口癖になっているくらいだ。毎日2時3時の帰宅らしい。
これではお嫁さんをもらっても逃げて行く。

12時になってお昼を作ったが起きない、1、2、3、、、、4時・・・何時間寝たのかな?
ついに起きてきて、
「家は良く眠れるね~、朝、暖房のない部屋に戻ってきて寒くないんだから快適、快適!」と言う。

彼は4月から住宅メーカーに勤めている。
今住んでいるこの家なら良さを十分に知っているから嘘をつかずに自信を持ってお客さんに薦められる、と就職先にスウェーデンハウスを選んだ。

「全然気がつかなかったけど、いつ帰ってきたの?」
「朝、昨日の夜はみんなで集まってしゃべっていた」
そうか、恒例のパターンだ。

スペインから日本に帰国したときだって変わらない。名古屋でもスペインでも同じだ。
帰ってくれば友だち、友だち。

取っておいたおばあちゃんお手製のいくらのお醤油漬けで、朝ごはんかお昼かもしかしたら夕飯?をお腹一杯食べてお風呂に入って又友達に会いに出て行った。

12時過ぎに戻って来て、ハーブティ飲みながらKzさんと少しおしゃべりして、翌朝もぐっすり眠って、「ああ、眠り足りない~」と言いながら、前の夜にたっぷり作ったロールキャベツを
「これから友だちとランチ食うから、一個でいいよ」と言いながら、「やっぱり旨い、もうひとつ・・・」
と結局3個食べて名古屋へ戻って行った。
「あっ、冬物出しておいたから送っておいて!」って。
私は何だ?

多分眠りに帰って来たのだろう。
何か平和なほのぼのとした時間だった。

二人のおしゃべりも止まらない。

2010年11月2日火曜日

一年目、秋の軽井沢とツルヤ


紅葉の季節だ。

18号線を軽井沢方面から古宿辺りで右に入ると我が家に通じる。

入って直ぐに、唐松の黄金の絨毯に出くわす。道路が落ち葉で埋まっている。
これが優しい色で、私の大好きな軽井沢カラーだ。

車がやっとすれ違える位の細い道路だが、両側から鮮やかな秋色が出迎えてくれた。
真っ赤なドウダンツツジ、燃えている。東京ではこんな色にならない。紅葉も赤や黄色に気持ちよく変色している。私には区別のできない様々の広葉樹が競ってファッションショーをしている。

一瞬のうちに一面の別世界だ。

先月kzさんが新しく買った草刈機でグイーングイーンと頑張って草刈をした跡は、意外にも惨めなほどには雑草に侵食されていず、ひどかった腰痛や様々な筋肉痛も報われた感じがする。
夏ここにやって来る度に、「えー!!あんなに草取りしたのにぃ~~!!」
と、これでもか、これでもかと伸び放題の雑草たちだったが、草刈機のせいか、はたまた季節のせいか?きちんと歩くことができる状態を保っている。good!

我が家は森の中の偶然にもパッと開けた場所にある。小さなこじんまりした家だが快適な別世界に私を運んでくれる。
スナフキンがちょっこし立ち寄ってくれたら最高だ。

車で7~8分の所にツルヤという長野県では有名な大型のスーパーがある。
軽井沢のツルヤは特別で、非の打ちどころのないスーパーなのだ。
いつ行っても大きな駐車場は車で一杯。
季節ではなくても一杯! サクラの車ではないかと疑うほどの車の数だ。
観光客のコースにでもなっているのだろうか?

多分軽井沢ではオフシーズンがなくなってきているのだろう。

このツルヤが何故優れモノかと言うと、品揃えの豊富さ、新鮮さ、回転のよさ、質の良さ、、、しかも安い。
つまり、安くて良い品の宝庫なのだ。
直ぐに売れて、常に品物を補充しているから、古いものなどない。
信州だから野菜は美味しいし、紀ノ国屋の半値で買えるものがたくさんある。
しかもみかけは少し不細工かもしれないが、味は引けをとらない。

今日は丸一日フリータイム。
忙しさに明け暮れていた私は、家事から解放されて、好きなだけ文章が書ける。本が読める。
わーーい!!!
これもオババのドタキャンのおかげだ。

忙しくて眠る間もない息子や娘、朝からお仕事のKzさん、申し訳ない!
たまにはいいよね?

2010年11月1日月曜日

えっ! 又? 〜認知症と鬱の兆候

又、オババにやられたー!

私はこの人の娘をして何十年になるのだろう?
又この繰り返し。 実の母親とは言え、こんなに我がままで自分勝手な人は見たことがない。

母が東京へ来なくなってから何年になるのだろう?
ざっと8年位は経っているかもしれない。結構頻繁に、来ては多量に買い物をして帰って行った。
それが、購買意欲の低下とともに来なくなった。
東京へ来ても私とけんかするだけだし、欲しいものもないし・・・と。
多分80歳を過ぎてからは一度も来ていない。

毎回、毎回誘って迎えにまで行っても、「やはりやめた!」で終わる。
まるでそのパターンが彼女の癖になってしまったみたいだ。

鬱の傾向がかなり出てきて、しかも認知症のアリセプトという薬も受付けない。そうこうしているうちに、同じことばかり言うようになり、しかも内容は弱気な愚痴ばかりで「死にたい、死にたい」が口癖になってきた。
娘としてはやはり聞き流してはおられず、何か自分にできることがないだとうか?とどうしても考えてしまう。朝それを考えながら目が覚める時があるもの。

そして、『丁度紅葉のきれいな季節なので、軽井沢へ行こう!
そしてオババを長野まで迎えに行き、病院に付き合ったその足で軽井沢まで連れてこよう!
音波のお風呂にも入れるから、調整してあげれば多少は気が晴れるかもしれない。
帰りは長野へ送って、その足で東京へ戻ればよい。』
そう思って、駄目元でオババに声をかけた。

珍しく、本当に珍しく、
「そうだねえ、行ってみようかねえ。ソラちゃんが迎えにきてくれるなら~」
という返事。 上手く行き過ぎた!!

出発当日の朝、つまりちょっと前、
「やはり、気が進まないから、この話は無しにして欲しい」と電話がかかってきた。
「お母さん、このままじゃうつ病になっちゃうよ。無理してでも一度外へ出てみようよ。きっと紅葉がきれいだよ。Kzさんが連れておいでって言っているから。私がご飯作ってあげられるし、今週は学校無いからのんびりできるよ。」

「どうしても出たくない。来なくていいから」

それで終わり。

こんな時は説得しても駄目なのはわかっているが、どこかで壁を打ち破らないと、餓死した老婆を発見という最悪の悪夢を体験することになる。そんなことになったら、私は一生報われない。

自分が報われないから押し付けるというのとは訳が違う。本当にリミットなんだよ、様子を見ていればいやと言うほど良く分かる。
ちょっとしたきっかけで抜け出せるのに・・・。気分が変わったら、本当に気持ちが軽くなるよ。見えるものが変わる、今ならまだ間に合う、ぎりぎりなんだよ。

私も追い詰められて鬱になったことがあるから、だから分かるんだ。
楽天家で自分のことばかり考えていたお母さんには、あの時の私の気持ちは全然分かってもらえなかったけどね。

まあ、そんな鈍感さも必要かもしれない。
私の敏感さは、あなたには重荷になるのかもしれないから。

2010年10月29日金曜日

ピロリ菌退治! その2

やっと終わった!

1週間、朝晩毎日多量の抗生物質を飲むのは結構大変なことだった。

前述した通り、私は過敏体質なのでどうなることか?と思っていたが、これくらいならば大丈夫!
今までに私の身に起きた薬の副作用に比べたら、無いに等しい。
何しろそれらは、飲んだ途端に生命力を吸い取られるような、身の危険を感じるひどいものだったから。

一応3日目に3~4回激しい下痢がおきたが、私にとって下痢とは日常茶飯事、どうってことはない。

一番困ったのは、薬を飲み始めてからずっと起きているめまいの方だった。
薬を飲んだ途端に始まる。頭がグラグラして真っ直ぐ歩けない。
以前ガスター10を飲んだ時に起きた症状に良く似ている。
今も最後の薬を飲み終えた直後なので、グラングラン揺れている。

どういう訳か、思考能力も鈍るし、記憶が飛ぶ。

私は眩暈が起き易いので、いつもメリスロンという薬を持っている。一緒に飲んでも大丈夫ということだったので、今回はそれで凌いだ。
このめまいが引き金になって、いつもの地球が回ってしまうような激しいのが起きたら救急車を呼ばねばならないから、予防線を張っておかないと・・・。

これでピロリ菌が退治できていたら、良いのだが、12月の検査まで分からない。
しかし、胃が軽くなったような気がするから、もしかしたら・・・muerto?
でも眠っているだけだったら、どないしょ?

12月に格好いいI先生の予約をしてあるから、又お会いできるのが楽しみだ。
ピロリ菌よ、甦るなよ。

そのほかの症状としては、口内炎、口の中が薬のような苦味を感じる、胃の中のものが逆流してくる様な感じ・・・等々。
それも1週間と思えば気にならない。

何かに耐えているとき程、限りがあるというのは有り難い。
終わるからやっていれる。

2010年10月25日月曜日

入れ替え

こんな年もあるんだなあ~

急に寒くなって気がついた。
寝室にある私のタンス(普段用の衣類が入っている)の中はまだ夏物で一杯だ。
半袖のTシャツがうようよしている。だってついこの間まで暑くて、暑くて・・・

昨年の秋頃からわが家は人生の転換期じゃないかと思わせるような過酷な日々を過ごしていた。
夏には、Kzさんは7キロも痩せちゃったし、私は2回も倒れた。
Kzさんのズボンはぶっかぶっかになっちゃったし、私は当然のことながらおしゃれしている間なんかなかった。

そして、今日タンスの入れ替えをしようとして、唖然!!
だって、クローゼットの中にあるタンス(比較的外出用を入れてある)の引き出しの2段目と3段目は、冬物で一杯だったのだ。もしかして、去年からそのまんま???

これはシメタみたいな顔して、「いやあ、入れ替えの手数がはぶけるぞ!」 と言えばそれまでだが、ありえない。
なんでセーターがごそごそ入っているの??
これからクリーニングに出して、その前に虫の餌になってないかチェックをしなければ・・・

「虫さん、虫さん、大事なセーターばかりなんだから、どうか食べないで!!お願い」

いくら大変な日々だったにせよ、日常のこつこつした仕事を疎かにした付けは大きい。

そういえば、クローゼットの中も『のだめの部屋』みたいだった。
「千秋せんぱーい、ここに来て片付けて!」

2010年10月22日金曜日

ピロリ菌退治!

ついに、ピロリ菌の除菌をすることになった。

人間ドックを始めて何年になるだろう?
十二指腸潰瘍の痕や、毎年慢性胃炎の症状があり、
「ピロリ菌が元気に活動してますよ、除菌した方が良いと思うけれど・・・」と言われ続けていたのだが、
例の如く私は薬の過敏症で、体質も特異体質がかっているので、ずっと見合わせていた。

先日Kzさんが「じゃあ、まず、僕が人体実験をしてみよう!」と除菌を行った。
彼の方が胃潰瘍や色々過去においてやっているので必要かもしれない。

そして無事除菌成功! 途中、胃をブラシで擦られているみたいだ~とか下痢で黒い便が出た~
とか言っていたが、どうにか乗り切り、後が調子良いみたいなので、
私もこんな不調を抱えているよりは、どうなるかやってみようじゃん!って乗りでついに病院へ行ってしまった。

理由の一つが、「I先生はとても良い先生だ、ハンサムで格好良くて、髭をはやした竹野内豊がもっと格好良くなったみたいな感じで、ソラさん好みだと思うよ」と言われたことだった。

私の病院の胃腸科の先生はちょっこし恐い先生で、私が苦手がっていたのだ。
偶然Kzさんが行った日は別の先生で、それがI先生だった。
「あの先生ならやってもらってみたら?」Kzさんがこんなことを言うのは珍しい。

そして、今日。
ガガ~~ン!! カッコいい!!!
確かに120%くらい私好みだ。 目がいい!!!
髭をはやした竹野内豊に若い頃のブラビの目を黒くして入れたみたいな感じと言おうか・・・
『テルマ&ルイーズ』のころのまだ駆け出しの無名のブラビの目だ。
ちょっこし図太くて恐れを知らないところが影に隠れている。

「下痢、下痢の連続でへばっても、1週間の辛抱ですよね、先生。」
「そうそう、後は多分調子良くなりますよ。かんばってみましょう」
「はい、今夜から気合を入れてやっつけます!」

ハンサムな先生相手に下痢の話しでは何だが、、、
さて、上手く行きますように。
経過は次回。

2010年10月20日水曜日

(紛失物合戦) 後日談

電話が鳴った。

オババ  「あのね、あったんだよー (無くなった化粧品のこと)、お父さんの仏壇の横に。ちゃんとあって、ビックリしちゃった!」
と、どうしてそんな所にあるのか、全く不思議って感じ。
(心の声) そんなこったろう、って思ってたよ。
オババ  「どうしよう、東急の人にあっちこっち捜してもらっちゃったんだけど」
(心の声) その前に自分の家の中を探せっつうの。普通まず自分を疑うだろうが!

私  「むむむ」
オババ  「このまま、黙っていようかねえ」
(心の声)んなことできるわけねーだろう!
私  「それは、駄目よ。今日はもう遅いから、明日の朝ちゃんと電話して、斯々然々で見つかった、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでしたねえ、と言いなさい。照れ臭かったら、どうもそそっかしくて、わっはっはとか言って誤魔化しとけばいいよ」
オババ  「格好悪いねえ~」
(心の声)自分のまいた種だろうが。

私  「確かに格好悪いねえ、でも謝らない方がもっと格好悪いよ。
気が楽になるから、頑張って謝っちゃいな。
今度東急へ行った時におネエさんに何か心ばかりの品届けておくといいよ」
オババ  「そうだね、そうするね。でも、、、言わないでいるわけに行かないかねえ?」
と、いかにも逃げ切りたいようすで確認する。
私  「行かない!」

あわよくば、私に謝らせようという魂胆見え見え、全く気付かない振りの私。
妙に神妙なオババであった。

心配は明日の朝、事件があったことすらも忘れている可能性が大だということ。
やれやれ、私の心配は尽きない。

ところで、Kzさんのドルはどうなったのかしら?
こちらの記憶もかなり怪しい。

紛失物合戦 〜健忘症 vs 認知症

あっちでも、こっちでも、やたらと物が無くなる。
まずは、我が夫Kzさん、この人は忘れ物の名人だから、物が無くなるのは日常茶飯事。
私はちっとも驚かない。

今日はアメリカ出張当日。
午後には出ないといけないのに、準備がなかなか終わらない。
前の夜遅くまでi-tunesをいじくってipodに入れて持っていく曲なんかを選んでいたからいけないのだ。

私のitunesまでチェックして、これいいねえ、あれいいねえ~とやっているから・・・。
まあ、これはいつものこと。

本も、買ってまで持って行く。
それなのに、大事なものは後回しのぎりぎり男。

今日は、何とドルが見つからない。
あったはずの、ドルが・・・いやいや、これもいつものこと。
昔はお金が無くなったら息子のせいにしておけば良かったが、今はよそにいるからそうはいかない。

で、可能性ある場所は全部見たけれど、結局見つからなかった。
やれやれ・・・これも最近の良くあること。
まあ、この間はパスポートが見つからなかったから、これよりは良い!

さて、やっと出発したのでホッとして一息ついていたら、
今度は長野のオババから電話。

「今、東急から帰ってきたら、折角買ってきた化粧品がない」という。
この人はいつも婿殿と張り合っているのだ。

88歳にもなって、ディオールを使っているツワモノで、手押し車を押して歩いている。
手押し車のバッグの中に入れておいたのに全て消えたらしい。
多分食料品を買ったときに入れなおすために出して、そのまま置いてきたのだろう。
そんなことは、この人にとったら朝飯前だ!

この前は、家に戻ってきたら、「買ってないお弁当が入っていた」と大騒ぎ。
レジで隣の人のを入れてきてしまったらしい、と言っていたから・・・

あっちでもこっちでも、「○○がない」と私に言う。
そして、それを捜すのは私の仕事。
どうして人の紛失物を私はいつも捜さねばならないのだ?!

だから、オババに「どうなった?出てきた?」と電話するのは止めよう。
「長野まで捜しに来い!」と言われかねないのだから。

2010年10月6日水曜日

ドリップコーヒー


長年使っていたドリップコーヒーのセットがくたびれてきた!

息子が帰って来る度に、「何でこんなみすぼらしいの使っているの?そんなに高くないでしょ?」
と質問するので、そろそろ換え時かな?と思っていた。
貧乏性の私としましては、使えるものを買い換えるのは罪悪感を持ってしまうのだ。
ケニアのマータイさんではないが、"Mottainai"! と。


先ず、ドリッパーを軽井沢用に買ったら、コーヒーがとても美味しい。

土地の水のせいかと思ったが、穴の大きさがまさに私が求めていたもので・・・今までの物は注いだお湯がドリッパーの中で留まっている時間が長過ぎ、澱んで出がらし状態になるのでいらいらしていた。
きりでドリッパーに穴を開けようかと何度も思ったものだ。

もう一つ、内側の斜めに下に向かう溝のようなラインが、お湯が渦巻きになって下降して行くように工夫してある。
これが意外と美味しさの秘訣につながっているのかもしれない。

折角美味しい豆を注文して買っているのに、何故かイマイチ報われなかった悲しさが解消した。

そこでkzさんがサーバーの蓋を溶かしたのを機に、ポット本体が壊れてないので迷っていたが、蓋が使えないのでは格好がつかないという理由で、新しいのを買うことにした。

軽井沢と同じハリオの陶器のドリッパーV60とそれ用のサーバー、それに加えて以前から欲しかったV60ドリップ用のステンレスのケトルも買ってしまった。
このケトルは小さな鉢植え植物用のジョウロみたいな細長い口をしているので、デザインがおしゃれなのだ。
だけど、意外とかさばるのが難点で迷っていた。

早速お豆を挽いていれた。
ぶくぶくふくれる、気持ちよく下に落ちていく・・・まさにドリップ!

お味は?
もちろん、¡buenisimo!
お・い・し・い!!
久しぶりの自由時間、こんな時はボサノバかな?
一杯のコーヒーで午後のひとときがはじけ、至福の時となった。

週末kzさんが出張から戻ったらいれてあげよう。

2010年10月4日月曜日

"The big sleep" by Raymond Chandler


やっと読み終えた!

彼の文体に慣れるまでは、細部が気になって、辞書を引きながら丁寧に読み始めた。
しかし内容が進むに連れて、彼の文体に慣れて来たせいもあるのかもしれないが、どんどん先が読みたくなり一気に読んでしまった。
これはdetective story ではあるけれど、お金や財力では満たされない人間の悲しい物語でもあると思う。

チャンドラーの文章は読み手に画面を与えてくれる。
色彩や置いてある家具の質や調度品のセンスまで伝わってくる。
登場人物の趣味や出生のありかたなどが、着ている洋服からも伺えるくらいだ。
ご本人もフィリップ・マーロウに負けないくらいおしゃれなのだろう。

一番気になったのは、最初から最後までウィスキーを飲み続け、濃いブラックコーヒーを立て続けに何杯も飲み、ほとんど眠ってないじゃないかこの男!何てタフなのだろう!
これがアメリカ人? それとも、これがアメリカのタフガイなの???
それとも、フィリップ・マーロウが特別なの????

私の胃腸は情けないほどに弱いので、空っぽの胃に薄いコーヒーを入れただけでも、一日中むかむか吐き気をもよおしてしまうのです。
信じられないデリケートなヤマトナデシコ・・・?

最初から最後まで謎に包まれていた、Rusty Regan。 
ジェネラルがあんなに気に入っていたナイスガイはどんな人だったのかマーロウの描写で見てみたかった。

脇役に至るまで登場人物の描写がとても魅力的で、それを読んでいるだけで面白い。
今学期のテキストなので、授業に合わせて、再読し直し、新たなる発見を楽しみに!

ツィメルマンのピアノとハーゲン弦楽四重奏団


9月30日、久しぶりのコンサートだ。

通常少なくとも一月に一度はコンサートに行っていたが、今年は冒頭からそれどころではなく、5月の新ロシア国立交響楽団以来・・・5ヶ月?? 
そういえば、家のステレオさえも、ゆっくり音楽が流れるようになったのはここ数日のことだ。

Kzさん(夫)がハーゲンが好きなので、随分前にチケットを買っておいたのだが、買ってあって本当に良かった!

偶然にも、わが家のお気に入りのグラモフォン製の音楽家の顔写真が載っている白黒のカレンダー、もう十年以上(20年??)も毎年絶やしたことがない愛用品だが、今年9月の音楽家がツィメルマンさんだった。
とてもハンサムな気品のある感じの良い、ピアニストだ。
演奏を聴かなくてもメロディーが聞こえてこるような素敵なピアニストだ。

ハーゲンのカルテットは何度目になるだろう? 美しいビオラのヴェロニカさんはまだ健在だ!
何となく兄妹たちは似た雰囲気が漂う。
さすがに音楽環境の中で育った兄妹だけあって、見事に息の合った演奏だ。
ビオラの音も、チェロもバイオリンも磨きがかかっていた。

シューマンのピアノ五重奏曲 変ホ長調op44が今の私には心地良く響いた。

調和の作り出した世界が、ここのところ崩れかけた調和を修復してくれる貴重なひとときだった。

そう、過去から偶然に与えられた贈り物だったのかも。

2010年9月29日水曜日

ズレや歪みから生じる不調 〜噛み合わせ治療(福岡村津歯科クリニック)

「歯のかみ合わせ治療で福岡まで通っている。」

と言ったら、呆れる人がほとんどだろう。
けれどこれは本当の話なのだ。

私は色々過敏症で、体の不調を多く抱えている。
更に駄目なクスリがたくさんあり、一種の特異体質で病気をするごとに医者もはらはらだ。
クスリが使えない!!

そんな訳で、代替医療と普通の医療を平行させて治療や健康管理を行っている。
とても良い先生方に恵まれて、色々抱えながらも元気に過ごしている。

音波治療とでも言おうか、サイマティックスという波動を使って細胞レベルのズレを調整する施療の先生に、
「いくら治しても、また戻ってしまうから、多分軸がずれているのかもしれません。一度福岡で咬み合わせの治療をしてみたらどうですか?」
と薦められ、昨年の暮れから通っている。

まず過去の歯の治療で使われてきた不適合な金属を取り除いた。
これはかなり影響を受けていたかもしれない。
それと同時に、長い間にずれてきた歯の咬み合わせを調整してもらった。

お陰さまで、2年越しの腰痛や、
5年越しで何をしても治らず、治りかけてもパソコンに向うと直ぐに再発する、
ほぼ諦めかけていた腕のしびれや肩の痛みが、かなり楽になってきている。
体がぽかぽかしてきて、ふっと軽くなるから不思議だ。

人の体の不調は、体の色々な部分のズレから生じるのかもしれない。
チャクラのズレ、骨盤、関節のズレ、歯の咬み合わせのズレ・・・・
大きなショックを感じたことによる、心の動きによって生じるズレ。

それらのズレが全身に影響を与え、大きな病気を引き起こす元になっているのではないだろうか?

人間関係も同じだ。
ちょっとしたすれ違いやズレ、ゆがみが小さな亀裂となり、そのまま放置しておくと取り返しがつかないものへと変貌する。

村津先生にお会いして来ると、笑顔になる。明るくなり、心が軽くなり、元気が出る。
病院全体に心地良い空気が流れ、活気があふれている。

先生は人間関係の咬み合わせも治してしまうかもしれない。

2010年9月28日火曜日

秋講座スタート ~vamos a estudiar~

夏休みも終わり、いよいよ今日から秋講座が始まった。

スペイン語だ。もう10年もやっている。
いつも夏講座も取っているのに、この夏はあまりにも色々あって、取れなかった。
そして、むしろ取らなくて良かったと思う。 
が、、、しかしなのだ、頭の中が空っぽ! 
『オズの魔法使い』のかかしさん状態、つまり "cabeza vacía" だ。
まるでスペイン語が出てこない。
しかしフランシスコも英語が混じっていたから、まっ、いいか!

クラスメイトの面々も元気なお顔を見せてくれた。すぐにいつものペースになる。
プロフェソーラ・ジーナの元気なパワーに久々のご対面!やっぱど迫力!!

夏の疲れも吹っ飛んで、又大笑いして過ごせるだろう。
元気をいっぱいもらって、踏ん張ろう。人生の踏ん張り時なのだから。
うんしょ、うんしょ!

2010年9月25日土曜日

『セラフィーヌの庭』〜Séraphine


「すごくいいから、絶対観て!お薦め!」という万人向き推薦映画ではないが、強烈に心に刻まれてとても印象に残る作品だ。
多分彼女の描く絵画と、主役と呼ぶには思い切りぶさいくなセラフィーヌが、実在した人物であるからこそと言うのにふさわしく、見事に調和を見せているせいだと思う。
激しいのに静か、純粋なのに毒々しい、執着することと見向きもしないこととのコントラストが息苦しいほどに描ききれているように思える。

音楽と役者と絵画と風景が素晴らしい。 特に色の使い方は哲学的だ。

アルモドバル監督の"Volver" を観た時、あの色彩の鮮やかさにガーンと魅了されたのだが、あのときの衝撃と似たような感覚が彼女の最初の絵画を目にした時にやってきた。突き刺すというか、体内に入り込んでくるのだ。 すごい!素朴なのに、彼女の世界でどう変換されているのだろう??この不細工な女性の頭の中、あるいは心の中はどうなっているのだろう?? あの鮮やかさはとても印象的だった。 ルソーなどと並び称されたこともある彼女を私は全く知らなかった。

一途さと芸術、ひとつのことを全うできる人独特の狂気。
貧しさと豊かさ・・・そしてその違いが生み出す物・・・この作品はコントラストだらけだった。

私のような平凡な人間には持ち合わせていない世界に首をつっこむことで、自分のインデックスに別の扉を増やしたような気がする。
色々な意味で印象的な作品だった。

2010年9月21日火曜日

草取り


軽井沢に小さな家がある。夫の仕事が長野で多いため、いわゆるセカンドハウスだ。
夫の長野での仕事が続くとここにやってきて、その間に長野の母の所へ行く。
東京からやってくるより楽だし、近いので夫が帰る前にここに戻り食事の準備ができる。


今回は6ヶ月点検だ。4月から所有者になって、もう半年になるのだ。
一月に一度はきているのだが、来る度に雑草の背ばかりが伸びて、やれやれ・・・。
この間あまり色々なことがあったので、この家をあまり楽しむ時間もなく、過ぎてしまった。
人生の岐路ともいうべき出来事の連続だった。

しかし、今日点検をしていただいて、この家も大事にしてあげないとね!
家は生きているから。
「家の壁に接している雑草は取ったほうがいいですね」と言われ、そう東京の家のクロアリ騒動を思い出した。あんなことになって又家を食べられたらたまらないので、早速鎌を持ってごんべさんみたいな格好をして、首にてぬぐいを巻き、軍手をはめ帽子をかぶって、一回り草取りをしてきた。
草を抜く度に、「良くまあこんなに雑多な虫がいるものだ!」と感心するほどぴょんぴょん飛び出してくる。もう秋だから、虫の季節。この間までは蚊の大群と毒虫と戦っていたけれど・・・。

いやはや、身体がなまっている。そうでなくても家を出たときに肩の痛みと、腕の古傷の神経痛で悩んでいたので、どうしたものかと迷ったが、働いてきた。
午後立てなくなっても知らんもんね。
家の壁近くの雑草は根こそぎやっつけた。でもわかっているのさ、次に来たときには、「先日の努力の跡はどこ?」となるに決まっている。でも来る毎にちゃんとやってあげないとね。

顔に塩が吹いたので、お風呂に入って、流してきた。
さっぱり! たとえ腰が立たなくなっても、身体を動かすのは気持ちがいい。
肉体労働もいいものだ。いつも机に向ってばかりなので、ここでのこんな生活は私に活力を与えてくれる。
さて、お昼を食べて、午後のお仕事だ。今度は机に向って、vamos!

2010年9月16日木曜日

"さよなら、愛しい人"  by レイモンド・チャンドラー


村上春樹さんの訳で "Farewell, My Lovely" を読んでみた。

というのも、英語の原書で作品を読み映画を通して色々考えてみるというテーマのKevinのクラス、今回の秋講座でチャンドラーの"Big Sleep" をやるので『この作家の世界ってどんなだろう?』と思い覗いてみたくなったためだ。

読んでいると、ダシール・ハメットの"マルタの鷹(The Maltese Falcon )" の世界が重なってきた。
映画はジョン・ヒューストンの名作だ。
しかもどちらの映画も ハンフリー・ボガードが私立探偵をやっている。一方はサム・スペード、チャンドラーの方はフィリップ・マーロウだ。
今まで全く異なった作品をやり続けていたKevinが何故マルタと似た作品を選んだのかな?と疑問に思った。もっともBig Sleep の方はまだ読んでないから何とも言えないが。まあ、何か意味があるのだろう、多分これから解明できるに違いない。

さて、『さよなら、愛しい人』は村上さんが絶賛するわりには、男性好みの作品なのかな?と感じた。あるいはハードボイルドが好きな人受けする作品?と。

内容から離れて、作家として見ると、確かに表現力がずごい。描写力と言おうか・・・。
目に浮かんでくる世界はその人が想像力が強いほど、知識があるほど、観察眼が鋭いほど、強烈に現れて来る。 つまりそこに書かれている世界がより鮮明に、多分映像では補えないほどに素晴らしく頭の中に広がると思う。 比喩力は村上さんのすごさに匹敵する。

これから読まなければいけない原書の方をパラパラ見ると、う~~ん、村上さんのおっしゃる彼の凄さがよく分かる。これは翻訳ではなかなか伝えられないワールドなのかもしれない。滑らかさと柔らかさとが加わって雰囲気が空気が広がる・・・・原文の方がずっといい!

だから、big sleep を読み終えたら又感想の続きを書こう。 
本当は、farewell, my lovely を読んでから書いた方が良いのだろうけれど・・・まず、どうしてもしなければならないことの方が優先だ! だって時間がないのだから。10月にはクラスが始まる、やばい!

2010年9月15日水曜日

最近の蚊 〜音がしない

最近の蚊は進化して、あのブーンという音を出さないそうだ。
無言で忍び寄るし、やたらと元気で素早い!

先日庭のバルコニーの工事をしたのだが、夕方になると蚊の大群がうようよ出没していた。
腕を見ると、10匹くらいの蚊が遠慮もなく私にとまっていた。
無言で・・・。何と失礼な!

しかも、庭で大工さんと打ち合わせをして家に入ると2~5匹くらいくっついてくるのだが、こいつらが私をかなり悩ました。むずがゆいと思うと腕を食ってる。足首を食ってる。赤い湿疹みたいな痕が無残にもあちこちに・・・おでこにも来た。 
何と、またまた無言で・・・。

家の中にとても原始的な雰囲気が漂っている。
げげげのおじさんのマラリアの場面を思い出した。

おっ! 久しぶりに音がした『ブーン』 こいつはまだ進化していない蚊だ。私にはこっちの方が似合っているのかも。パチン!ほらやっつけた! 

シロアリ

家を建てて13年が過ぎた。
1ヶ月ほど前にバルコニーの柱がクロアリにやられたので、ついでにシロアリの検査をしてもらった。
今年は虫達が異常に発生しているらしい。

シロアリの10年保証の期間が過ぎているので、今日はその防蟻処理をしてもらっている。これであと10年が保証される。
縁の下とドアなどの木の部分、台所風呂場などの湿気の多い箇所が中心だが、庭の花壇の柵にもシロアリがいるらしい。
もしそいつらが外から縁の下や壁材に入り込んで悪さをしたら、内部で発生したものではなく、外から入って来たものとみなされるので、折角の防蟻処理も保護保証が適応されないらしい。

虫さんたちのお陰で、わが家の支出が増大される。

そう言えば、エアコンの室外機にイモムシが入り込み感電死したお陰で、エアコンが壊れたことがあったっけ! 虫の葬式費用もままならない。 わが家に住み着いている虫達は、金食い虫かも。

2010年9月14日火曜日

許すって?

時として、人にはどうしても許せないことがある。

そして、そこにもどうにかして許せるなら許してしまった方がよいことと
、絶対に許してしまってはいけないことがある。

2010年9月13日月曜日

行ってはみたもののー

信州に住むオババに呼ばれて行ってみた。
あの気の強い人が助けを呼ぶだけあって、眼がお岩さんのように腫れていた。
確かに痛々しくて、出目金が腫れだけそのままで眼を閉じているみたいだった。
もっとも腫れがひどくて眼など開いていられない。眼科で涙腺を通すために色々したが、痛そうだった。
眼の周りがゴルフボールみたいに腫れていて、真ん中が一文字に亀裂がある、そこが開けば左目の眼球があるのだが、開かない。薄目を開けて見ようとするオババの目が気配だけ動き、ミステリー映画の一場面のようだ。まるで魚のえらみたいな真っ赤な瞼の内側。

流石の頑固者のオババもこれでは、同情を引く。
一時間に3本ささねばならない目薬の管理に追われ、菌を絶滅すべく抗生物質の投与に明け暮れた。
それにしても、その薬の投与し方の説明に3時間かけても駄目だったので、大きな表にしてきたが、
それでも意味が通じなかった。
仕方がないので、そのまま帰宅した。

本当に一人になればどうにかするだろう。
早く眼が治りますように。

2010年9月6日月曜日

いきなり来いと!

信州の88歳のオババが早朝電話してきた。
「目が腫れてよく見えないから、直ぐに来て眼科に連れて行って欲しい」と言う。
困った、ここは東京だ。 直ぐにと言われても、ちょっと難しい。
彼女には東京と長野の距離感がもうないのだろうか?

「ヘルパーさんにお願いするから、取りあえず病院へ連れて行ってもらって」と言うと。
『娘のくせに躊躇するのか!!』と言う空気。
瞬間、頭に来た様子で電話を切ってしまった。

「待ち時間内にはそちらに到着できると思うから・・・」 と伝える間もなかった。
やれやれ、これからも大変だ。