2012年4月29日日曜日

紅茶メモ ② 〜色々な紅茶〜

私は大のお茶好き!!

昔からお茶飲みばあさんだったが、今でもお茶好きにかわりがない。
銀座のマリアージュ・フレールに通い始めて何年になるだろうか? 一時は吉祥寺のパルコに出店していた頃もあったが、余分な場所は閉めて、規模を縮め、再び店舗が増えたような気がする。

日本上陸が何年だったか知らないが、20年以上は前のような気がする。とにかく初めの頃からのおつきあいだ。(1988年らしい)

初めは缶入りの、1854だったか、創業年月日を名前にしたお茶(これはとても好きだった)や、マルコポーロやファラオンのようなフレーバーの強いものしか知らなかった。

ある日、嫁ぎ先の姑が私の実家からお歳暮で送られてくるフォートナム&メイソンのダージリンにたまたま混じってしまった、ラプサン・スーチョンというチャイナ系のお茶がどうしても好きになれないと一缶引き取って欲しいと言われたことがあった。

かなり個性の強い味で、ひからびたアールグレーをさらに燻したような香りたかいお茶であったが、変わり者の我が家ではこれが大層気に入った。
お茶というものは飲み慣れるとどんどんはまって行く。

ある日、これがマリアージュ・フレールで『ラプサン・スーチョン・アンペリアル』と言う名で量り売りしてくれることが分かり、その頃の私たちには結構高い買い物だったが、まとめて500gとか1k、2kの単位とかで買うようになった。そのうち買いに行くのが大変なので、電話注文で数ヶ月に一度まとめ買いするようになった。それ用の大きな缶まで用意した。

ところが、この会社は出来が悪い年は輸入しないので、欲しいと思って電話すると3ヶ月先でないと入りませんとか、未定ですとか・・・が多くなってお茶が切れることがしばしばあり、するととても寂しくなった。
「なるほど、フランスってこういうお国柄なんだ〜」と自覚したものだ。

もちろんそんな時は、先程のF&MとかHarrodsとかのお茶も良く飲んだが・・・。
癖の強いお茶程、未練がましいもので、ないとなると余計欲しくなった。

10数年前頃から、ダージリンに目覚めた。
あの三谷幸喜さんも、絶対に人が知らない、変わり者しか飲まないようなイメージで、『12人の優しい日本人』という舞台の中でラプサン・スーチョンの名前を使って笑いを取っていたが、その場面を観た時の私の笑い方ってなかった。三谷サンが余計好きになった。

「そうか〜、私たちはかなりな変わり者なんだな〜」と改めて自覚したものだった。それがついに卒業することになった。素人がキロ単位で買っていたのに・・・ダージリン君に負けてしまった。

美味しいダージリンは際限ない。
ワインやチーズのように、お茶も個性や品性が大事だ。

銀座のお店に行く度に、知らないお茶を試すKzさんには感服した。この人は実にこういう人で、感覚が優れている、違いの分かる男なのであるが、そのアプローチは完璧だ。
美味しいと買って来て、我が家のお茶となる。

次に美味しかったので、又同じお茶を買うと、今シーズンのは出来が違い、当然味が違うことになる。
「おお!! あの○○○○年の春のお茶は忘れられない!!」とか「去年は美味しかったのに・・」ということになる。

この店は丁寧に香りを楽しませていただいて店員さんと情報交換してから買えるので、次第に店の人も私たちの紅茶好きが分かるようになり、店長さんとすっかり仲良しになった。

「この前のおすすめのあれは、とても美味しかった」とか、「期待と違った」とか話せるようになったし、もう香りだけで、自分の好みかそうでないか分かるようになった。
薦められても、多分この香りは好みではないとはっきり言うと、そうかもしれないと受け入れ、次の時にもその情報交換が生かされていて、「多分お好きでないかもしれないけれど、とても美味しいから、、、」とそれでも、薦めたい、是非飲んで欲しいものは、そっと数回分サービスして入れておいてくれるようになった。

彼は私と主人との好みの違いまで理解を示してくれるようになり、お客としても多分楽しいお客なのだろう、行くと必ず接客してくれるようになった。そしてその時の一番美味しいお茶を取っておいてくれる程になった。

私はお茶の茶渋がつかないような、優しい洗練されたお茶が好きで、主人はどちらかというと濃厚で個性が強くて、茶渋がつくようなお茶が好きだ。我が家の場合は、前者がダージリン・アンペリアルとかアンブーシア、ナムリングアッパーなどで、後者がシンブリとかキャッスルトンなどになる。

昨日は、「今朝届いたんですよ」とほとんどこの味のジュンパナは出ない・・と缶を開けて香りを示してくださったが、ノックアウト!以前のジュンパナとは全くことなったお茶で到着した。
何と100g 9400円もするのに、200gも買ってしまった。
ああ!!我が家の家計は・・・
「これだと、二日で売り切れます。良かったですね、今日いらっしゃって」と買い終わってお別れする時におっしゃっていたが・・・まあ、紅茶との出会いはその時を逃すともう別物になってしまうのが、よく分かっているので、自己満足としよう。


私は浪費家ではないから、洋服も買わないし、レストランだってそんなに行かないし、海外への旅にも最近全く出ていないから、これで幸せになれるなら、一年に2回くらいはいいか・・・と気が大きくなって、ナムリングアッパーとアンブーシアとムーンパレスとハッピーバレーまで買って来てしまった。

みんな素晴らしいお茶ばかり。

ムーンパレスにいたっては、「珍しいお茶が入ってきたんですよ。ダージリンじゃないけれど、お薦めです。滅多に手に入らないから」と言って缶を持って来たのですが、「ムーンパレスと言ってね。月の宮殿とでも言おうか・・・」
とおっしゃったところで、
「え〜〜っ!! 私、今そのタイトルの小説読んでいるんですよ」
「そんな作品あるんですか? 奇遇ですねえ。それだったらなおさら、是非お飲みになってみてください」
というやりとりまであった。
ちなみに、希少価値があるだけあって、これも結構値が張ったのだけれど・・・


やれやれ、12年乗って車検を通らなかった車の買い替え分はどこから捻出したらよいのか?
まあ、明日死ぬかもしれないから、後悔せずに今を生きよう!!
美味しいお茶は私の原動力だから。

2012年4月25日水曜日

遮光フィルム

おばあさんのホームのお庭側のドアから西日が入る。

そこは駐車場に向かっているので人の気配があるら退屈しないだろうと思ったり、生け垣が圧迫感を除いてくれていたので良いと思い選んだのだが、彼女は西日が気に入らない。
我慢ならない様子の騒ぎ方が半端ないので、今日はやっとamazonで探し当てたメッシュの遮光・断熱ガラスフィルムを持って行ってきた。

それは部屋の中からはあまり暗くならずに、外の景色が見えて、外側からは見えず、おまけにかなり光をカットしてくれるらしい。温度の影響も避けてくれるらしいので、取りあえず試してみることにした。

結構貼るのが難しい、二枚目はうまくいった。

大きなすだれがかけてあってうっとおしかった部屋が明るくなったのでおばあさん大喜びしていたが、今日は曇っていたので、明日もう一度行って、果たして効果があったのか確認してくることにする。

本当に効果があったら、便利な世の中だ。

しかし、今日も又横になっていた。
段々あんなふうになってしまうのか、あのまま行ったらすぐに車いすになってしまう。
彼女にはその不自由さが分かっていない。
やることがないと文句を言う前に、お部屋の整理や歩く練習をしてほしい。

洋服がないと文句を言う前に、クローゼットの中を見て欲しい。
家族が洋服を用意してくれないと言う前に、タンスの中を見て欲しい。

買って行ったものに手を付けてない。みんな忘れてしまって、文句が残るだけ。
「お母さん、やっぱり認知症だねえ〜」
とタンスの中の3色のチュニックを見せたら、
「あら、いつのまにかそんな洋服が??」と初めて知ったっと言う顔をした。
「しっかりしないと、本当の認知症になっちゃうよ」と言ってはみたものの・・・

やれやれ・・・

先日持って行って敷いてあげた絨毯は結構評判が良くて、お部屋が明るくなり良かった。
少しでも嬉しい刺激を与えてあげることだろう。
幸せな気持ちで暮らして行けるようにしてあげたいが。

うっかりして、一番大事な老眼鏡を置いて来てしまった。
家に戻って電話をしたら、
「良く分かったわね、ちゃんとここにあるよ」と言って、私の忘れ物を楽しんでいた。
まあ、それは明日又行く保証のようなものだから・・・


[ 遮光フィルム後日談] 
この遮光フィルムはなかなか良かった。
すだれを取った部屋は明るく、しかもUVカットなので照りつける太陽の反射がジリジリ感じない。
熱もカットしてくれる。
オーニングにしようかと思ったが、工事もいらないし、費用も安く済んだし、いらなくなったら剥がせばいい。
今回の対処法としてはベストだったのではないだろうか?


2012年4月24日火曜日

車交代・・・我が家は世代交代のとき!④

PCだけではありません!
車も交代でした。

この四月で車検だったのですが、何とライトの軸がズレているとかで、車検が通らなかったのです。12年目に入ったところで、お気に入りの車だったから・・・

実は明後日で車検が切れるので、今日車を持って行ってもらいました。新しい車に交代です。車検を通すと税金やら何やらを加えると50万程の支出になってしまい、どうせ今年中に車の買い替えを考えていたので、今回車検前に・・・という結論になって、車を見つけてもらいましたが、なにしろ5月末にならないと車が来ない!

我が家の車は、BMW530iで、好きな色(スレータグリーン)にしたかったので、12年前に3ヶ月待って注文して、内装もそれに合わせて選んだので(グレーのレザーと黒)、おそらくそのカラー組み合わせ仕様の車は日本に一台しかない車だと思う(と、営業の方がおっしゃっていた)。
因に、その前は淡いブルーのボルボの四角いステーションワゴンで、その前はメタリックレッドのホンダのプレリュードだった。みんな10年以上お世話になって、思い出一杯だ。

お陰さまでとても気に入ったまま何の不満もなく12年も乗ってしまった!
車検さえ通ればまだまだ乗れると思うのだけれど、車って一カ所壊れると連鎖的に次々と・・・と結構起きるので、素人としてはそろそろ考えたほうが良かったのかもしれない。
それにもっと怖いのは、PC系統の故障だ。何でもコンピューターで管理されているから、それ系の故障は実に高く付く。ほんの小さな一カ所の故障でも、全部取り替えになったりするから・・・走れば良い時代から管理される時代になってしまったのだろう。

今日は、情が移ってしまって、我が子と別れるような寂しい思いにとらわれました。

世代交代。

ついでながら、一週間前には給湯器も壊れて交換したのだった(泣)😂 😓

恐ろしいようにものが壊れる時期に達していたようだ。
築15年の家にある家電やエアコンやトイレなどはそろそろ限界に達しても誰も文句を言わないだろう。
実はエアコンも壊れた。他の部屋のがあるから・・・なんて思ったが東京の夏は厳しい。

洗濯機も15年だもんなあ〜・・・むしろ持ち過ぎか!

自転車→給湯器→車→パソコン→エアコン・・・ 次は何だろう?
一番怪しいのは自分かも(ブー)🐷


PC交代 〜我が家の世代交代③モバイル用パソコン


2004年の9月から使っていた8年目を迎えた私のPC、vaioのTシリーズがついにくたびれてうまく動かなくなってしまった。

この子は私のモバイル用だったので、旅行には何処へでも付いて来てくれた。
スイスへも行ったし、スペインもドイツもイギリスも、、、国内も京都や軽井沢、いつも私と一緒で、とにかく良く活躍してくれた。

ところが、去年頃から軽井沢へ行くとなぜか最悪になって、動かなくなってしまった。
今回も頑張ってcドライブを軽くしてみたが、全く効果がなかった。
ウィルスバスターを停めても駄目だし・・・胃が痛くなった。

IEなどは一つのサイトから次へ行くのに何分かかったことか。さすがのgoogleも形無しだ。

東京へ戻って、もう堪忍袋の緒が切れた!
直ぐにMacBookAirを注文した。

今使っているiMacがあまりにも使いやすいので、即macに決めた。
スティーブ・ジョブスの影響がまだあるうちに買っておこうと決めた。

いつの間にかパソコンがなくてはならないものになってしまったが、私には大切な道具であり、友だちだ。
iphoneも便利で、でも便利さに溺れることなく、うまく利用しながら暫くこれで行こう!

そろそろ作家活動を始めないと・・・人生終わってしまうよ。


2012年4月20日金曜日

すっかり様子が変わってしまった!


色々忙しくて、間が二ヶ月開いてしまった。久しぶりの軽井沢だ。
この二ヶ月の間に、周りの景色がすっかり変わってしまったので、かなりショックだ。

まず、家の前。唐松の雑木林だったのに、更地になっている。「エッ?!」 見通しの良いこと!マジ驚いた。丸山さんのおばあちゃんの家が丸見え!!

ここに何ができるのだろう?



次にもっと驚いたのが、隣の家!
だって前に更に伸びて、家が二倍くらい大きくなっているように感じる。
真ん中より左側が伸びた部分。こんなのあり?
だって基礎を作っている時はこの半分だったのだから。

きれいな家だが、なんとうっとおしいことか。 
しかもこちらの家にぎりぎり寄せて建てているのだから。
軽井沢の暗黙の協定では、決してこういう建て方をしてはならないのだ。

でも、最近このてのデザインの家が増えているから、仕方ないのだろうが・・・こういう人の隣人になるのは少々気が重い。



我が家との境界線ぎりぎりに建てて、家の方ばかりお隣との距離を確保している。整地してある部分を見ると分かると思う。家の所有地が手が入ってない部分だから・・・

まあ、細かいことを気にしても仕方が無い。もうできてしまったのだから。
やれやれ・・・

2012年4月17日火曜日

弱音を吐こう介護日誌(26) 〜お兄さん? 弟?

私の兄は私より四歳年上で、しかも老け顔だったので以前は母と歩いていると、よく夫婦に間違われたものだ。母は小柄で童顔、しかも若々しい華やかな色彩の洋服を好んで着ていたので、とても若く見られた。

でも、もう90歳の母は、すっかりおばあちゃんで、今ホームで暮らしている。
長男の兄ではなく、私が保証人になっているので、ホームの人にはその辺りの関係が良く分からなかったのかもしれない。

ある日ホームの事務所の前で訪問者の記入をしていると、
「昨日は、弟さんがみえて・・・・」と言う。
私が怪訝な顔で、しかし笑い(仕方なしに苦笑いするしかない)ながら「兄なんですけれどぉー、弟はないですよ〜、あれは兄!・・・」と訂正すると、『エッ?』というような顔をして、でも全く悪びれるふうもなく、ああそうなんですか?みたいな顔をしてニコニコしている。

いくらなんでも、この私があの兄のお姉さんだなんて、ありえない!
私はその日はこの上なくガッカリして、『そういえばこの一年、ほんとうにハードな日々だった。だからすっかりわたしはやつれちゃったのね。よりによってお兄さんを弟さん〜とは、どう考えてもひどい!』とマジで悄気込んだ。

というのも、昔手術をした時にとても病んで、病院のお掃除のおばさんに「息子さんがみえいていますよ」と言われて、現れたのは夫のKzさんだったことがあり、あの地獄の再現を又味わってしまった。
その時は追い打ちで、「奥さん、昭和一桁生まれですか?」と来たので、言葉無しだった。

この日曜日はおばあちゃんを囲んでのお食事会だった。
兄たちが母を連れて来てくれる。

そこで、ホームを出る時の弟の話がでた。
あの恐怖の弟事件はまだ続いていて、この日もひと騒動あったらしいのだ。
そして判明した。
弟とはーーうちのオババが惚けて、しばしば兄を弟の郁夫さんと間違えて呼ぶことがある。
私と話していても、「郁夫が、弟の郁夫がと言うので、お兄ちゃんでしょ?ヒロオ、ヒ・ロ・オさん、お兄ちゃんよ」と私が訂正することばしばしばだった。
多分ホームの人々に向かって「弟が、弟が・・」と言うことがよくあったのだろう。

そこで、ホームのスタッフは、兄を母の弟と勘違いしたらしい、義姉が説明して「なんだ〜、そうだったんですか〜??」と、みんな納得したというが〜〜

もちろん、その話を聞いて一番喜んだのは、言うまでもない、この私である。
人には言わなかったが、本気で落ち込んでいた。あの兄のお姉さんだよ、この私が。オババと夫婦に思われるお兄さんのお姉さん??この私が・・・もう介護はやめよう!
やつれるだけの介護なんかクソクラエだ!!内心そう決心していたのだった。


2012年4月12日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(25) 〜又一つ進んだかな?

今日の母は、ちょっとひどかった。
クソばばあの名にふさわしかった。

このようにやりにくくなるときは、多分認知症が進んでいる時なのだと思う。
そして自分で抵抗しきれないからイライラするのだろう。
すると決まって、兄のところをベタ誉めするのだ。私へのあてつけに。

Kzさんのお母さまに編んでいただいたカーディガンとベストは心して記憶に留めており、Kzさんに会うと、いつもお礼を言うのだ。感心するほど、律儀なので嬉しいことだった。
しかし今日は
「これ、私が自分で編んだのかしら?」ときた。
さすがにショックだった。
「おばあちゃまに編んでもらって、お母さんいつも感謝しているじゃない。どうしたの?忘れちゃったの?」
「あら、吉祥寺のおかあさんに編んでもらったの?へえ〜、上手ねえ〜」
と初めて聞いてびっくりした表情。
「・・・」

今日は朝から、ホームの人が再三に渡ってお花見のお誘いをしてくれたらしい。
昨日から言っていたので、今日は笹岡さんと一緒にお花見していると思って、少し遅く行ったのだが、着いたら、「どうしても頑として、嫌だと言って、行かれませんでした」
と言われた。
部屋に行くと横になっていて、髪はくしゃくしゃ、完璧なアホ面で多分顔も洗ってないかもしれない。まさに認知症の人みたいだった。

話す人がいない、外へでることもできない、生きていたくない、それを繰り返して言っているが、自分で拒絶しておいて、その不平ははなはだ腹が立った。

「みんな家の人が洋服を用意してくれているのに、うちは誰もやってくれない」

あきれて声が出ない、瞬間で忘れてしまうのだろう。
私がいつも用意してあげてるでしょ? 「ここにかけておくからね」ってハンガーに行く通りかの組み合わせでかけて帰るのに、着ないのはあなたでしょ?
「あら、そんな洋服あったの?」平気な顔でそう言うのだもの、困ってしまう。

用意してあげてあることすら、思い出さないのね。
クローゼットの中見れば一目瞭然じゃない。見てないよね。
それなのに、不満ばかりで・・・冷たい家族は私なの?

でも、これが認知症?
こんな人じゃなかったのに・・・ これが認知症?

自分はどうやったら防げるのかな?
あのようには、なりたくない。
性格が違ったら、少しは穏やかにボケられるのかしら?
母の面倒は診てあげるけど、自分は嫌!
哀しいね。

2012年4月7日土曜日

弱音を吐こう介護日誌(24)〜香水騒動 〜ほろ苦いエピソード〜

母のホームでは隔週の金曜日はホームドクターの回診日だ。

一人で暮らしていた時から、病院通いはただ一つの大きなお仕事だった。
前の日からお風呂に入り、きれいにして緊張して病院へ行った。

その習慣からか、母は「医師に失礼があってはいけない、自分は汚くて、変なにおいがするといけないから」と先生への気遣いから今日は多量のオーデコロンを振りまいてしまったらしい。
シャネルの19番、さっぱりした香りのコロンだ。
ちょっとならとても爽やかなのだが、量を間違えるとえらいことになる。

ホームから電話が来た。
「I様が、下半身に香水を振りまいてしまったらしく、部屋の中が、強烈な匂いで充満して・・・臭いを抜こうとドアを開けると廊下がその臭いで満ちてしまった」「お昼には一緒にお食事する周りの人が食欲をなくしてしまうほど匂いがきついので、時間をずらした」とまで言われた。

私は、母が香水のボトルを自分のズボンにドクドクぶっかけて・・というように受け取ってしまい、ついに来たか!ととてもショックだった。
「今日今からそちらへ行くので、確認します」と返事をしたが、実際行ってみると、確かに本当にすごい匂いだった。

しかし、理由を聞くと、やはり私の予想通り、先生への気遣いから来るものだった。本人が色気が出た訳でも、狂ったわけでも、認知症が悪化したわけでもない。

「無香性のコロンに替えてください」と言われたが、無香性ではコロンにならない。
だって本人はその香りを認識して、安らぎを得ているわけだから・・・。
母にみんなが迷惑をした旨を伝えると、「どうして私に直接言わないのか」とひどく悲しそうだった。
「お母さんに気を遣ったのだと思うよ、そんなこと言われたら気分を害しちゃうからね。それに言っても忘れちゃうから私に一報しておきたかったのだと思う。証拠になるから」

覚えていてくれるか分からないけれど、こういう匂いはつけ過ぎは他人の迷惑になるんだよ。いつも同じ香りを遣っていると、その本人はその香りに麻痺してしまって、強い匂いでも分からなくなっちゃうの。それが匂いの性質ってものなんだけど・・・。
そう説明した。

もちろん、分かりっこないし、すぐに忘れてしまうだろう。
「これはお父さんが大好きな匂いで・・・お父さんがいつもいいにおいだねって言っていたの」
そうは言うのだが、実は私がフランスのお土産に買って来たもので、母の記憶はごちゃごちゃだ。

取り上げて欲しいと言ったホームの人は、事情を話したら「瓶を使い切るまで、好きにさせておきましょう。そのかわり終わったら補充しないでください」
というお返事に変わった。

分かっていただいて良かったが、初めの行動が先生への気遣いから出ていたことを当初頭ごなしに否定された事に私は娘として少々腹が立った。

日頃の行動から観れば仕方ないが、母も誤解されているな?と感じ、でもこういう人であることを少しでも分かってもらえたから良しとしよう。
ホームの方々からの誤解を少しでも解いて、悪意のないことを知ってもらって、母との関係が少しでもうまく行くようにするのが、私の役目かもしれない。

看護婦さんのお母様が認知症で苦労されたらしく、母の症状が少し悪化していることを彼女が指摘していた。
「そこを過ぎると早いですよ」その言葉が重くのしかかった。

学校から息子の悪さでしばしば呼び出しを受けた頃を思い出します・・・とホーム長さんと大笑い。
「いったい今度はどんな悪さをしたの?」

息子におばあちゃんに、、、私はいつになったら呼び出しから解放されるの?
周りがワルばかりだから、自分が優等生になっちゃったんだなあ〜とつくづく悲しいほろ苦い思いの私です。
お願いだから、シュッシュかけないで、シューでも駄目。本当に「シュ」くらいにしてね。
お願いよ。