2011年10月24日月曜日

ヒェ~! 1個800円のマロングラッセだった!! 〜紅茶メモ①

あ~あ、又やってしまった。
値段を聞くのを忘れる私の悪い癖。

信用している相手に勧められるとつい、「では、それも一つ」何て買ってしまうことがあると思うけれど、
うっかり値段を聞きそびれた。
まあ、3個しか入っていないし・・・と思ってお勧めのマロングラッセを買った。

私は紅茶ばあさん! 大の紅茶好きで、がぶがぶ飲む。
そしていつの間にか銀座のマリアージュフレールでわが家で消費する紅茶は仕入れるようになった。
ダージェリン好きになってからは、紅茶の費用はかなりなものだが、年2回美味しい季節に仕入れてくるのでそのとき高くても、年月を考えると仕方ないかな?などと思っていた。

毎年5月と10月頃に買いに行く。
今回はAmboosiaが前回美味しくて、仕入れてきた。そして私の定番、ダージェリン・アンペリアル。
前回キャスルトンやシンブリを買ったので今回は後はジャムを少々・・・それにしても合計が高い。
お食事をしたし・・・仕方ないか??

家に戻ってレシートを見ると、店長の野崎さんお薦めの季節限定、とてもスペシャルのいつも3日で売り切れるマロングラッセが、何と3個で2400円だった! 空輸で朝着いたばかりと言っていたが、いかにも荷をほどいたばかりの感じに並んでいる。

3個だからと値段を聞かなかった私の悪い癖。
「Kzさん、マロングラッセいる?美味しいんだって」
「うん、買っておいて」
これで決まってしまったのがいけなかった。うちのダンナは私よりももっと値段にうとい、しかも責任感ゼロ。

目玉が飛び出る・・・だって小さなマロンだよ。
飛行機の切符代かな?多分1粒ずつシートに座ったのかな?

しかし、シロップの味といい、食感といい、申し分のないマロングラッセだった。
いかにもフランス人好み・・・・文化の象徴だ。けちなくせに食にうるさい、食べることとおしゃれへの執着の凄さはリディア先生で証明済み。

これからは、一応「おいくらですか?」って聞く習慣をつけましょうね、ソラさん!

2011年10月21日金曜日

『冠動脈CT』 〜 ついてないなあ

本日造影剤を使った冠動脈のCT検査のため、府中にある榊原記念病院へ行ってきた。

私には冠攣縮性狭心症という持病があり、ここのところ2年程おさまっていたのだが、今年初めからの母の介護によるストレスからか3回続けて発作を起こしてしまったので、動脈硬化の様子をチェックした方が良いということで、今回日本に2台しかないという大変精密にチェックできる機械があるこの病院へ行った。

前回別の病院でカテーテルをやったときに大変な思いをしたので、(30分で終わるところ、2時間かかった)今回はそういうことが起きませんように・・・と念じていたのだが、神様が忙しかったのか、いや念じ方がちょっといい加減だったかもしれない。

途中で機械が故障してしまい、折角造影剤を入れて写した映像が全く写っていなかったらしい。
もう一度やるか検討中に、私は今日片付けて欲しかったのだが、「まだ機械が完璧か判らないので、もしもう一度造影剤を注入しても、写っていないと、大変身体に負担がかかることになるので、今日はやめましょう、又日を改めてということで・・・」と言われがっくしした。
こんなことは初めてだったらしい。

もしかしたら精密な機械だと私は映像に写らなかったりして・・・とまじ思ってしまった。
何しろ宇宙人なのだから。

CTの台から降りたら、腕にぶつぶつ出ている。顔やお腹は大丈夫なのであるが、結構真っ赤になってぷつぷつ・・・みんなで、「確かに発疹がでている~」と桃原先生に電話して確認していた。

「もう一度担当の先生と相談して判断してもらってからにしましょう。」ということで、来週結果を聞きに行くはずの新宿での受診が、相談になり、まだ更に2回この検査に貴重な金曜日が取られることになってしまった。合計3回じゃ~~!

まあ、のんびりいこう~とは思っているのだが。

両腕と両ふくらはぎに細かい発疹が出て、太ももが赤い斑点になっていた。息苦しさはなし。
頭が重くだるいのは仕方ないだろう。何しろ大の過敏症だから。

と、こういうわけで、宇宙人は健在で・・・私のせいで機械が壊れたのかしら??なんて、こういう怪現象が起きても妙に納得してしまうのが恐い。

2011年10月18日火曜日

『自分の始末』と『健全なる肉体に狂気は宿る』



ここのところセットで本を読んでいるような気がする。

軽井沢にはテレビがないので、読書には調度良い。長い夜だが早寝、早起きに自然になってしまうし、読書する時間も散歩する時間もできる。
カーテンが遮光性ではないので、夜が明けると目が覚める。朝が大の苦手な私には、これは驚くべきことであって、しかもなかなか良いものだ。

さて、今回は、曽野綾子さんの『自分の始末』と内田樹さんと春日武彦さんの対談集『健全なる肉体に狂気は宿る』の2冊を読み終えた。両方ともKzさんが面白かったよ、とポイッとよこしたので、何気なく読み始めたものだ。

両者には何となく共通性があって、それが生き方に通じるもので、生きる姿勢に無理がかからない、あるいはかかってもそれを無理と受け取らない受け入れ方みたいな『あるがままの自然さ』のようなものがが感じられた。

曽野さんの始末の仕方には自分が普段考えていることと近いことが多々あり、ふむふむと読んだ。
私は何度か死を間近に感じてきたせいか、神様が与えてくださった寿命を受け入れてくる時が来たら、その時がその時なのだと思っている。だから必要以上に長生きしたいとは思わないし、今日突然その時が来てしまっても、仕方ないと思っている。
自分なりに生きてきたからそれでいい。

彼女が言うように、できればあまり人に迷惑をかけたくないが、それはそれで、そうなってしまったらどうしようもないので、心がけてはいるが、「かけてしまったらごめんなさい」と感謝の気持ちだけは持っていたいとおもうのだ。私は自分にできることをやればいい。

『惚けたり気力が失われたりすると、人はもう段取りをつけることができなくなる。・・・・・・段取りは、意志の力、予測能力、外界との調和の認識、そして何よりも謙虚さ、など総合的な判断が要る上に、たえずそのような配慮をすることで心を錆びつかせないことができる。  家事は段取りの連続であることを思うべきだ。頭の体操にはこれほどいいことはない。』

こんな文章があったが、気に入ったので抜粋しておく。彼女はそれができなくなった時が、自分の人生での一つの転換点と言っている。つまり自分から他に提供できることが少なくなり、むしろ誰かの助けが必要になってくるということであり、その地点からは自分が人に迷惑をできるだけかけないように覚悟をしなければならない時を見極める尺度みたいなものとして設定できる、ということではないかと思うのだ。

この段取りの重要さは、身に沁みている。私は段取りの人なので、自分にこれが出来なくなった時が年貢の納め時ということか。


もう一冊の本は、二人とも結構言いにくいことをずばずば言うので、面白かった。その会話に入っていたら、「それは違うよ、そうとは断定できない」と口を挟みたいことも何度かあったが、そんな気持ちにさせる、自分も会話に入り込んで一緒に考えている楽しさがあった。

先日友人へのメールにも書いたのだが、『取り越し苦労はやめよう』というフレーズが面白かった。自分もその境地にたどり着いたところだから・・・
『人生、一瞬後には何が起こるのかわからないのだから覚悟を持つことだ。全方位的にリラックスして構えているしかない』起きるかもわからないことに多くの時間を割いて悩んでうじうじしているより、その時間をそのときするべきことに回して生きるほうが気持ち良いのはないかと思う。

『身体が感じる違和感に忠実になれ!』 これも最近の私がたどり着いた境地で、とても大切なことだと、特に過敏体質の私は感じるのです。
身体が受付けなかったことを無理やりやってよかったことは一度もない。つまり自分のセンサーを磨いていると、既にかなり初期の段階でぴーんとくるのです。少なくても自分にとって良いもの、良くないもの、絶対に避けるべきもの・・・等が実に良く分かり・・・・とまるでお二人の会話に加わっているような共通意識が存在するのです。

『身体のどこにも無理が無く、詰まりもなく、凝りもない。気持ちがいい状態を探り当てられれば、どのような条件に置かれても、その「いちばん気持ちのいい状態」にまっすぐ戻ることができる。・・・その「安定状態に一気に戻る」動きが爆発的なエネルギーを生み出す。』・・・

自分にとってその気持ちいい状態がどんなコンディションか、そしていつもそういう気持ちに戻れる訓練が必要だとは思うけれど。
でもああこう悩まずに、身体を動かすことが一番かもしれない。
と、この本を読んでいると、楽観的になって妙に気が大きくなり、肝が座ってしまうようなそんな気がするのは私だけではないような気もするが・・・

最後に、人間が精神的に健康である条件について、忘れないように記しておこう。

 ●自分を客観的に眺められる能力
 ●物事を保留しておける能力
 ●秘密を持てる能力
 ●物事には別解があり得ると考える柔軟性

うん、悪くない能力だ。

2011年10月14日金曜日

この違いはなに?


先週京都へ行ってきた。
そして、昨日から軽井沢に来ている。

風邪気味のままやってきたが、薬を飲んでいればそんなにきつくないので、このまま乗り切ってほしいものだ。風邪はKzさんにもらった。
Kzさんはブライトンホテルの空調に風邪菌が居たに違いないと言っているが・・・。

一昨日おばあさんの所へ行った時には半そでのTシャツを着ていたのに、ここではセーターが必要だ。
夕方日が暮れると底冷えしてくる。これからはスウェーデンハウスの活躍のシーズンだ。
外に出ると、そんなに寒くは感じないのだが、家の中でじっとして机に向っていると、次第に手足が冷たくなってくる。
暖房にセーター・・・もう冬が始まっている。

京都では、さすがに薄手のジャケットを持って歩いていたが、暑くて脱いでしまった。
暑い夏にあれだけ涼しいだけあって、軽井沢はやはり特別な場所だ。2回目の冬を迎えつつあり、そしてだんだんここの生活が分かってきている。

我が家の庭から見える唐松はまだ緑を保っている。しかし少し色が変わり始めている。
次に来る時は、金色に輝いているだろう。
うるしみたいな真っ赤な葉が木にからみついて燃えている。
小鳥たちは、楽しそうに飛び回っている。

隣に家が建ち始めているが、そんなに気にならずにやっていけるよな気がする・・・と言っても、永住でなければ、の話だが。
別荘として使ってくれるならば、そんなに気にしなくても良さそうだ。
しかし、分からない。ここに住むのかもしれない。

ツルヤの近くでパン屋さんを見つけた。
いつも行く、イタリアンの店の直ぐ近くで、銀亭・・しろがねていと読むらしい。今日パンを買ってきてみたが、意外と美味しい。
良かった! 
まだまだ探せばよい店がたくさん見つかりそうだ。
ツルヤのお野菜と同様に、いろいろなものをここで買って東京へ持って帰るようになる日も近いかもしれない。

別の所にもう一つ家があるというのはとても素敵なことだ。
うちのように、Kzさんが忙しくて、あまり旅行ができないようなものにとっては外国の山の中にステイしていると思えば、近いし食材は良いし・・・十分だ。

折角勉強し続けている語学が役にたたずに終わってしまうのは、残念だが、そろそろ体力の限界で、海外旅行も疲れるだけになってしまうのも時間の問題かもしれない。

サラマンカへ行っておいて良かった!
パリへ一人旅をしておいてよかった。
まだ水浸しになる前のニューオリンズに一人旅しておいて良かった!
バルセロナにも行っておいて良かった。
Kzさんとドイツ、スイスの旅をしておいて本当に良かった。
イギリスにも行って、マナーズ博士に生きているうちにお会いできて本当に良かった!

何よりも、スペインのマドリッドでの息子のKの卒業式に出席できて本当に良かった。無理をしても行ってきてこれだけは、後ではできないことだったから。
娘のWkさんの来年のスイスでの卒業式には行けないだろうなあ~、のこのこ行ったらぶっ飛ばされるかもしれない。行ってみたいなあ~
日本での大学の入学式にも行かせてもらえなかったくらいだから、やはり駄目だろうな。
でも在学中にのぞいてみたい好奇心はつのる一方だ。
世界レベルの優秀な学生たちはどんな顔をしているのだろう?その中にうちのが混ざってどんな感じがするのかな?
思いはローザンヌへ!

こんなブログを見たら、娘は大学院の行き先を言うのではなかった!と後悔するだろうから、そっとしておこう。連絡をくれるだけで、十分に幸せなのだから。

まだ、イタリアへ行ってない。北欧も、東欧もバルト沿岸の国も・・・
やはり体力があるうちに行きたいなあ~

うちの父が生きていたら、一緒に行っただろうに・・・アメリカに居たときにサンフランシスコで会った時は楽しかった。父は何処へでもすっ飛んで行ってしまうのだから。
オババは、ロスでの私の結婚式のことすら、何も覚えていないのだけれど・・・
忘れてしまうのはもったいないな。

いまのうちにたくさんの思い出を作っておこう。