2011年6月10日金曜日

認知症の特徴 ~固執編~

母の性格か認知症全般に言えることなのかよく分からないが、彼女がアルツハイマー型認知症の病名をもらってから顕著にでてきた特徴を記しておこうと思います。

その① 固執
何か気になることがあると、そのことばかり繰り返して質問したり、訴えたりする。
そのしつこさは3歳児の質問攻めどころではない。

[例]
頼まれて買ってきた化粧水がモデルチェンジし、前回と変わってしまった。Diorの一番高価なシリーズだけあって以前はとてもリッチな化粧水だったが、今はさらりとしている。これから暑くなるので、あのような濃厚なものを人が好むとは思えないが、彼女のお気に入り且つ、この歳になってもDiorの化粧品を使っているという誇りでもあった。
いくら説明しても違うのいってんばり(確かに違うのだ。それが分かるだけでも本当に認知症?と思うのだが・・・)。
Diorは品質改良を繰り返すので、製品もしょっちゅう変わるので、それは仕方ないが、濃さも違い、こんな鼻水みたいなしょぼい、しみったれたものは話しにもならないと一歩も譲らず!
行くごとにその不平に始まり、同じ問答の繰り返しをしないと次に進まない。いくらもう生産していない、お母さんのお気に入りのシリーズに化粧水はこれしかないと言っても理解してくれない。そのイライラはエスカレートするばかりだった。

つまり彼女は理由を知って納得して済むのではなく、問題を解決したくてイライラするのだ。つまり理由が分かっても、彼女の問題は解決しないから、永遠に質問と不平を繰り返すことになる。

そこで、『そうか!こってりすればいいのだ!』そう気がついた。以前使ったことのある、これまた高価な別のシリーズの濃い美容液を買って持って行った。
「化粧水は名前の如く水だから、あれでいいのよ。栄養の濃さの方はこれで補ってね。それぞれ用途が違うから、使い分けて」そう言って渡した。
すると不思議、彼女の疳の虫がなくなった。
「ああ、懐かしいにおい、これ覚えている。いい香りだし、肌も気持ちいい」満足げだった。
次に行った時には、初めて「ソラちゃん、あれ気持ちいいね」と初めて肯定的なお礼に近い言葉を言われた。

こういう記憶だけは残っているのだろうか?
もし、どこかに記憶の何かが少しでも残っていたら、それを刺激してあげて、喜びに変えてあげると良いのかもしれない。

しかし、現実はなかなか解決法が見つからないから困る。
本人によって捏造された記憶の『無い物ねだり』の質問攻めの毎日だ。何時間でも同じことを質問し続ける。いつものことだが、毎日毎日記憶の上塗りをしていくから、解決しない限り、何ヶ月も決して諦めず、質問は巧みになり、泣き落としやそれに纏わる物語まで登場し、それでも解決せずイライラはエスカレートする。

70年前に曾おばあさんがくれた反物で作った思い出の品、絣のズボン(?)問題はどのように解決したらよいのだろうか?彼女の心の中のイメージだけなのだから、、、別の絣のズボンを買ってきても解決しないのだろうなあ~??やってみるか??
彼女の欲望は際限なく膨らむ。
私は頭を悩まし、心が痛む。

2011年6月9日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑮ 〜「認知症だからしようがない」おまじない

オババの横暴さに愚痴をこぼした私を慰めてくださったJさんに、
「この人は認知症なんだから何を言ってもしようがない、って思って投げられたボールは横においておきなさい」と言われました。
昨日はどうにかそれで乗り切りました。

今日は、行ったなり、絣のズボン病が再発。
私にメモを持って来て、「紺色のズボンがありました、取りにきてください」との文字を見せました。
これお母さんの字に似ているけれど、誰かがメモして、私が来たらこう言ってくださいと言われたの?
「そうじゃなくて、そう言われたから忘れないように書いておいたの」だから一緒に行ってくれときかない。
「お母さん、このズボンは存在していないズボンなの。だからホームの人に迷惑だよ。一緒に騒ぎたくないよ」
オババはムッとしてどうしても納得しないので、一緒にH長さんの所へ行って事情を説明してきた。どうも朝からあの紙切れを持ってうろうろ騒いでいたらしい。H長さんは洗濯室へ行ってもう一度チェックしてくれ、
「やはりありませんよ」とお部屋に伝えに来てくれた。
昨日の段階でもう解決と思ったら、とんでもない、何万回でも復活する。
「あれは、すごく大事な思い出の品で・・・どうしても見つけてもらいたい」と懇願するので胃が痛くなる。
しかも、自分で『ありました』というメモまで作成するのは、もう異常といか言い様がない。

その後、健常者の足で歩いて10分位の所にある西友に買い物に行った。尿漏れパッドが欲しいというので付き合ったのだが、行く間中、自分は外に出られない、牢獄だと言いっ放し。今はどうだと言うのだ?出ているではないか!!先日兄が、その前が私、週二回は出ているというのに・・・何と言う贅沢かつ我儘。

その道のりがオババの足では遠いのは分かる。けれどあえて足のトレーニングの為にカートを引いて出かけた。兄とのお出かけの時には車椅子を使うらしい、どうして座れないのだと何度も繰り返して質問する。私は
「歩くの嫌だったら、行くのやめたら?私はかまわないよ。すぐ近くの散歩なんだから、私は車椅子は使わない」
「じゃあ、帰る」
「そうしなさい」(認知症だからしようがない)

そう言いながらも行きたいので我慢して、「帰りは車椅子を取りに行け」と言う。
知らん顔して、歩いたが、大した距離ではない。本人にとっても、実際ゆっくり行けばどうってことない。健常者で10分よりも、私だと普通に歩いても5~6分だ。
それでも20分ぐらいかけて、ゆっくり休みながら歩く。
大げさに息が切れる振りをする。もう歩けない、お兄ちゃんだったら車椅子に乗せてくれるのに、と言いっぱなし。
「これじゃあ、とても長野へは行けないね」
「・・・」


到着すれば別人!店内では目の色が変わって、歩くことに何の文句もない。歩くのが嫌だということすら忘れている。
「何だ、糞ババア!」(認知症だからしようがない)
エスカレーターを生まれて初めて見た、と言った。
ついこの間まで長野の東急をすいすい乗っていたのに恐くて乗れない。のぼりは身体が覚えていて一歩踏み出したら難なくこなしたが、下りがひどかった。多分一歩踏み出せば身体が自然に運んでくれるのだろうが、恐怖が先に出てしり込みした。
多分誰かに助けてもらって親切にしてもらいたかったのだろう。手を差し出す私を無視したので、私は荷物を置いたまま一人で下に下りていくはめになった。すぐに後ろの人の言うことは聞いて降りてきた。
嫌な、人間!糞ババア!!(認知症だからしようがない)
私は又二階へ戻り、買った物と手押し車を持って降りてきた・・・やれやれ、いつものことか。

他人がいると、こういう行動をいつもする。
電車から降りるときもいつも私の差し出す手を無視して、私の手を振り払っておいて 「この人は親を助けてもくれないのよ」と人に向かって言うのだ。そして誰かが必ず手を貸す、その快感を求めているのだろう。
当時の私は悔しくて涙が出た。 こんな母親っているのだろうか?
認知症の前からだ。

認知症って本性が出るのかな?

帰りは、もう目的を果たしたのだから、当然のことながら文句の連続。お兄ちゃんだったら、お兄ちゃんだったら・・・・
「うるせえ、糞ババ~~!!」こう怒鳴りたかった。
しかし、あまりのしつこさに頭痛がしてきたので、ついに言ってしまった。

「一緒についてもらってお買い物に出られるだけでもいいんじゃないの?ほかにこんな人いないよ。週二回も出ていて、閉じ込められっぱなしはないでしょ?ばちがあたるよ。 長野に居た時と比べてみて。毎日来ている人の身になってよ。文句ばかり言わないで少しは感謝したら?」と言ってしまったのが、運のつき!
「あんた親に恩を売るつもりか、子供なんだからこんなこと当たり前じゃないか、そういう恩着せがましいことを言うんなら、もう二度と来るな。あんたの世話になんか死んでもなりたくない。こんな事を言われるなんて、二度と許さない、呪い殺してやる!!!」と憎しみをこめて逆上した。
正直恐かった。憎しみは良くない。

私は言葉を失いつつ、無感情。
「そうだね、そこまでひねくれちゃね、、、私はもう言うことないよ。これだけやっていても、文句言われるばかりで全然報われないんだものね。 これからは何もかも、優しい大好きなおにいちゃんにやってもらえばいいよ。わかった私はもう二度と来ないよ」

この時はもう『認知症なんだからしようがない』おまじないは利かなかった。

ホームに戻って、「お母さん、私には来て欲しくないみたいなので、これで最後だから、ちょっと眉をそろえてあげようと思って道具を持ってきたから、それだけやってから帰るよ」そう言って、眉を切りそろえてあげた。そろそろこの人に切り刻まれることに慣れても良さそうなものだが、母親の刃にはなかなか馴れない。いつも新しい傷だ。

私は出来た人間じゃないから、最後に優しくなったりしない、
「じゃあ、暫くこないから、さようなら」
と部屋を出た。

認知症の人はこんなやり取りもすぐに忘れるのだろうか?
多分少しは印象に残っているのだろう・・・いや、やはり無理か。
私はしっかり傷ついている。いつも・・・

2011年6月8日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑭ 〜オババランチ その2

今日は水曜日、恒例のオババランチの日だ。
最近テーブルが直ぐに一杯になってしまって、なかなか二人で陣取ることができないし、下手をすると同席も難しい。

一人で寂しそうにお食事していたおばあさんに同席した。
認知症がかなり進んでいるみたいだけれど、時々反応がある。みんな可愛い。
私とお話ししていると、段々声を出すようになり、顔に表情が出てくるので、その変化を見ているのも楽しい。 色々な人の様子が見て取れてオババと二人よりは余程楽しい。やはりよその人だと心の余裕が持てる。
もう一人車椅子の、言葉が少し不自由な人も加わった。とても礼儀正しい。

オババと話していて、これから寒くなるのに~と言うので、
「お母さん、今何月かな?」と聞くと、言葉に詰まった。
そこでタダで転ばないのがオババ。
「ねえ、みんな今何月か知っている?」と横に振った。あれよあれよ・・・・
後のお二人も答えられない。
「ほら、わからないの私だけじゃないでしょ?」 こればオババの答え。
やはりなかなかシタタカだ。


ところで部屋に戻って、これまた恒例の
「ソラちゃんが持って行っちゃった絣のズボン返して」と、始まった。ここ数週間行くとこの質問攻めだ。
今日、又この質問をしたら、紙に書いて壁に貼ってこようと思ってレポート用紙を持参した。

『私の家に絣のズボンは預かってはいません。私はそれを見たこともありません』

顔の洗い方の上に貼り紙してきた。
この質問に悩まされていた私が寝ながら考えた打開策だ。

延々と続くので、一度記録しておこう:

「あれは、長谷のおばあちゃん(私の曾ばあちゃん)がお嫁入りの時にくれた反物でとても思い出深いものなの、洗ってくるって持って行ったでしょ?」
「持っていかないよ。見たこともない。お嫁に来た時なら、もんぺか何かにしたんじゃない?」
「上着と、ズボンをおそろいの反物で作ったの。」
そう言われれば、まだ和服を着ていた頃に、紺絣のそんなもんぺがあったような気がする。上がお仕着せみたいなもので・・・私の小学校あるいはもっと前の頃だ。

「お嫁入りじゃあ、もう70年近くも昔の話だから、あってもぼろぼろだよね?」
「そうじゃないの、お嫁に来たときに反物で持って来て、ずっと後になって作ったの。よし子さん(兄嫁)にクリーニングに出してもらったこともある。」
あれは仕事着だから、とてもクリーニングに出すようなものじゃないから、やっぱ違うか???

「じゃあ、長野に居た時で、ここでじゃないでしょ?」
「ここに持って来たの」
「ここの荷物は全部私が準備したんだよ。その中にはなかったよ」
「だって、ソラちゃんこれから寒くなるから冬物は洗って預かっておく、って持って行ったじゃない」
「あれは私のズボン、お母さんに貸してあげたの。コールテンでこれから暑くなるから、冬まで必要ないし嵩張るから預かったのでしょ?」

「いや、確かに持って行った」
「だって、ここに来たの冬のど真ん中。2月だよ。それからは温かくなる一方で冬はまだ一度も来ていない。夏物はこれから必要なものだから、家に持って行くはずないでしょ?」
認知症にこの論理性は通用しないだろう・・・と分かっていながらも言わずにはいられない私。分かってよ、オババ。どう考えても変でしょ?夏が来るのはこれから、今は6月よ。 
でないと、私泥棒になっちゃうもの。

そこで兄の所へ電話をしてみることにした。
私はかいつまんで今の状況を義姉に説明した。そして、

「お姉さん、そういうズボンの記憶にある?」
「ソラちゃん、全然ない。だってババチャン、スカートしかはいてないでしょ?長野に居た時は」
そう、オババは長野ではいつもスカートで、ズボンなんか滅多にはいたことがなかった。
「そうでしょ?いくら言っても分かってもらえないんだよ、困ってしまう。とにかく見たことないのね?分かった、ありがとう。後はどうにかするから」
と電話を切った。

毎回この騒動で30分はかかる、いくら話を逸らしても、すぐに戻るから誤魔化せない。
どうか、明日は貼り紙の効果が出ますように!!
 ¡Ojalá que tenga・・・!

2011年6月2日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑬ 〜元の木阿弥

心を鎮めて、静かな温かい気持ちになって、一生懸命オババの所へ行って来た。

何のことはない、元の木阿弥!
又けんかして戻って来た。

どうして、ああなのだろう!!私はあの人嫌いだ!
廊下に出れば、もういい顔している。私以外の人にはいい子ぶりっ子して・・・ずるいずるい、みえみえ。いくら経理をやっていたからって、打算が強すぎる。

部屋からもう帰るからと廊下に出た時、一番奥のお部屋の奥様がおやつタイムから戻ってこられた。
とても品のある、優しそうな感じの女性だ。誰かに似ているなあ~と思っていたが、一度もお話ししたことがなかった。こんにちわ、と挨拶をする前に、あちらから、

「偉いですネエ、よくいらしてあげて。本当に偉いですよ」と声をかけてくださった。
「折角来ても、今けんかして出てきたところなのですよ。ひどい事ばかり言うのです」
ニコニコして、
「それでも、いらしてあげてね」 

そんな会話で救われた私でした。

出口でスタッフの女性と立ち話をしていたら、オババがホーム長さんに付き添われてのこのこやってきた。
H長さん、「けんかしちゃったからって・・・」とニコニコしている。
「そうなんですよ。もう嫌になってしまいます。でも後味悪いのもいけないから、・・・」とH長さんの前で、オババと握手をして帰ってきた。

いつまで続くのだろう、この不調  ¡¡¡estoy enojadaaaaa!!!

弱音を吐こう介護日誌⑫ 〜もう、ヤダ! 〜認知症戦争

ここ2週間大変忙しかった。
オババの所へは週2回もしくは3回しか行けなかったが、普通の人々に比べたら兄達も2回来ているのだから十分過ぎる待遇だと思う。

行ったなり、受付で捕まった。
大概私が行くと、まずスタッフの人の相談事から始まる。
又お風呂で渋ったかな?と思ったら、今回はお風呂は素直に入ったのに、着替えが終わった途端、タオルがないと大騒ぎしたらしい。
すでに洗濯室に回ってしまったらしいが、納得しないので、看護婦さんが一緒に捜しまわってくださり今洗濯中だからと取りあえず納得してもらったということだ。
「私は、あれがないと顔もふけない」と訴え(引き出しには何枚もタオルが入っている)
「一番気に入っているタオルなのに」とすごい剣幕らしかった。(本人どのタオルかも分かっていない)

すると、そこにおばばがやってきた。
スタッフはもう忘れているだろうから蒸し返さないように・・・と思っていたら、「さっきはおねえさんありがとう」と看護婦さん(婦長さんみたいな役割の年配の方)に言ったので、顔を見合わせてしまった。
お姉さん・・・という認識も、少々・・??彼女は誰の顔も見ていないのかもしれない。

部屋に行くと、私への苦情の連発。
お兄ちゃんたちは毎日来てくれているのに、あんたは全然来ない。来ても直ぐに帰ってしまう。
「先週は忙しくてゆっくりできないと説明したじゃない」(認知症にこれを言っても無駄だと言うが、私はちゃんと説明する、だってこの人分かっているような気がしてならないから。しらばっくれの天才だもの)
「昨日も、一日中待っていたのに・・・」
「火曜日は毎週来れないって言ってあるでしょ?私の一番大事な日で、この日だけは来れないの。ここに書いてあるでしょ?」カレンダーの大きな文字を見せる。
「そんなもの、みないわよ」
「みんなに迷惑かけるからちゃんと見てよ。今日が何日か見て、今日の予定はどうなっているか、誰も来れない日だったら、それなりの過ごし方があるでしょ? 何でもここに書いてあるから。まだ文字が分かるんだから、お願いだから読んでよ。来れない日に待っていたってストレス溜まってバカみたいよ。こっちも駄目な日まで待たれたって本当に困る。責められているみたいで迷惑だよ、だってどうやって無理しても来れない日は来れないのだから。」
「私はそんなもの、見たくないの」

そこで、むかっとするが、バラの花を飾ってあげて、ミネラルウォーターを小さなボトルに分けてあげて、持って来たKzさんのお土産のお菓子を冷蔵庫に入れて・・・
11時に来たのに、苦情を聞いているうちにもうお昼だ。

毎週水曜日は一緒にお昼を食べる日なので食堂へ行く。
前回ここに書いた一緒にお食事するグループにはもう加わらないらしい。大きな声で話す口の悪いMさんとけんかをしたらしい。
「あんたうるさいから黙っててくれない!?」と本人に向かって言ってしまったそうだ。
言った直後にその話を聞いたが、それから彼女はオババに口をきかなくなってしまい、先週行った時にも同じテーブルでお食事したが、口を一文字に閉じたまま一言も口をきかなかった。恐いお顔がひきつっていた。相当オババの言葉に腹を立てたらしい。本元の張本人のオババは、その原因が自分にあることはすっかり忘れてしまっている。「あの人私に口をきかないんだよ。あんな人と一緒に食べても美味しくないから、今は別のところで食べているの」とケロケロしている。
今は一人のおじいさんと、奥さんが車椅子でご夫婦で入居されている方々と4人のテーブルらしい。

食事中に、Mさんの話をする。私も2度ほど一緒にお食事しているから分かっているのだが、彼女の声がうるさいとか、失礼なことばかり言うとか色々言うので、
「分かっているからそのことについては、もう黙って!何度もお話ししているから・・・それにあまり大きな声で言うと聞こえるから、もうその事はここでは言わないで。お部屋に戻ってからにして」

私は人を傷つけるような言動は大嫌いだ。そういうことを無神経にする人はもっと嫌だ。
嫁として散々痛めつけられてきているから、そういうのはたくさん!大嫌いだ。いくら嫌な奴でも言いたくない。オババはそういうのが大好きなので、どんどん強くなる。だったら人を巻き込まずに一人でやるか、私以外の別の人を相手にして欲しい。

私と母は、至ることに関して本当に価値観が違う。私は絶対にそういう無神経な人間は嫌だ。
いじめとか許せない!オババはいじめる側、私はそれに加わるのが嫌で、断っていじめられる方かもしれない。

でかい態度での食事が終わり、お部屋に戻って、今度は又愚痴の連続。
もう飽きた!よくここまで言うわ!そんなに死にたかったら勝手に死んだら!どうして私にばかりそういうマイナスのネガティヴなことばかり言うの???折角体調が戻ってきたのに、又ストレスで帯状疱疹になってしまう。怒鳴りたい気分をじっとこらえて。

何よりも嫌なのは、女々しくて「ソラちゃんしか頼る人がいないのだもの、毎日毎日朝から待っているのに・・・・」
「お兄ちゃんだっているでしょ?お兄ちゃんに頼めばいいでしょ?」
そのうちに、お兄ちゃんは優しいのに私は優しくない、そういう話され方をすると頭が痛くなって死にたくなる・・・etc 次から次へと文句ばかり、人を何だと思っているんだ、糞ババア!!

認知症だからって何だって許されると思ったら大間違いだよ。私は怒りで、「ごめん、もう帰る。私そういうの嫌いなの。ずるくて見てられない。何でも人のせいにして、自分では何も努力しない。顔も洗わないのに、暇で死にそうだとか、カレンダーも見ないで、何日か分からないとこぼされたって困る。もう20回も今日何日?って聞かれているよ。聞く前に自分でカレンダーを見てよ。それだけ文句言えるなら、まだ間に合うよ」

これで、オババが怒り出し、泣き出し、大喧嘩になった。
仕方ないので、「そんなに出たいなら、今から散歩に行こう。そんなに買い物したいなら、コンビニまで歩いて行って、何か買って来よう。気分転換になるよ。」
オババは、「あんたとなんか行きたくない。優しさのかけらもない。」と拒絶。
「私は変われないから、ごめん。申し訳ない。じゃあ、帰るね。明日は雨だから行きたくても、外に出られないから、行くなら今しかないよ」
と言って部屋を出ようとすると、行きたい気持ちと明日は雨とのかけ引きで『欲望』と『プライド』がぶつかってどうしてよいか分からず泣き出した。子供より始末に悪い。

それでも内心はどうしても行きたいらしいのが見え見えなので、少し折れて優しくなって「じゃあ、行こうよ!」そういって着替えさせて連れ出し、一回りしてきた。もう3時を過ぎていた。
お菓子にキャラメルに・・・etc 冷蔵庫に一杯あるのに、どうしてこんなに買い物したいのだろう?
散歩が終わって4時半、やっと私は家に帰れる。 でも、午前中にできなかった、掃除と食事の準備とネットでの振込みと、郵便物の整理と、アイロンがけと英語の予習と・・・・まだまだやらねばならないことは山積みだ。
11時から5時・・・??又愚痴聞きで一日暮れてしまった。負のエネルギーでくたくた。
楽しいひとときの後だったら、こんなこと全く苦にならないのにな。

多分、こうしたら?と方法はたくさんあるだろう。
一番よいのは他人だと思うこと。ただの病人だと思うこと。そうすれば会っている時だけでも優しくなれる。何を言われても受け入れて(今もやってはいるのだが)自分を完全否定して飲み込み、ご機嫌よく過ごせれば早く帰ってこれるし、あちらも後味が良くて楽しいに違いない。私に課された仕事だと思えば・・・その方がはるかに生産的で、合理的で、文句なしだ。

しかし、私は実際親しい人との関係に、そういうことはできない。 不器用で融通のきかない不出来な人間だ。
心で接することしかできないのが私のアイデンティティーなのだ。そうやって自分は人と接し、生きてきたのだから。心の通じた良い関係をそうやって築いてきたのだ。
母に本当に心から優しくなれる日がいつかは来るだろうと思う。そして、その時母が何も分からなくなっていて後悔しても仕方ない、そう思う。

その時が来る前に優しい自分になれたら、とても素晴らしい。いくら努力しても今の自分に出来ないことだから。できれば早く自然にそうなって欲しいけれど・・・・。私はできた人間でないから、無理はしない、、、、多分、来る時が来たら、来るだろう。