2012年8月30日木曜日

認知症のメカニズム

今日おばあさんの所へ行っていて、気が付いた。

色々なタイプの認知症があると思うが、母の場合に限っては、ある時何らかの理由で自分で物を考えるのをやめてしまった時期があり、そのままにしていたら物を考える回路が遮断されてしまい、ものを考えるというその仕方を忘れてしまったのではないだろうか?

例えば一人暮らしが長かったせいで、次第に自分で解決できないことが増えて来る、そこで問題によって頼る人を決めていたが、それぞれの人に事情があって、頼れなくなった時、頼る事も考えることも放棄してしまったとする。

すると意外にも周りの人々が見かねて、色々助けてくれるのでやってくれるままに身を任せていたら、自分で物を考える事、記憶しておく事などはそれがなくてもそれはそれで物事は動いて行くようだ。好き嫌いで生きて行けばいいんだ!と思うようになる。

あえて負荷をかけて頑張る事を止めてしまった結果、楽にはなったが脳のどこかの部分が大きく退化してしまった。

そう言えば彼女の場合、ある時期からパタッと頭を使う事をやめてしまった。自分にとって必要のない物、興味の対象外の物はぱっぱと、切り捨てた。

面倒くさがりで、空襲の中でも火に包まれ命の危険が迫る瞬間まで布団の中で寝ていたくらいの人だから努力なんか大嫌いだった。
よってどんなタイプの認知症になるかは個々の性格が大きく関与すると思う。

考える事、記憶することをやめてしまった結果、物忘れの天才になってしまった!!
今日もお見事だった! 


2012年8月27日月曜日

夏講座:La casa de los espíritus 〜精霊たちの家(映画)

スペイン語の夏講座はイサベル・アジェンデの『精霊たちの家』の映画です(邦題『愛と精霊の家』)。本もとても面白かったですが、映画もとても良くできています。


もう10年越しで勉強を続けている、"La tregua"の翻訳仲間たちと一緒にパトリシア先生に是非又映画をやって欲しいと、頼み込みました。そして今年の夏はそれが叶ったのでみんな大喜びです。

『カテリーナ』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』、"Lista de espera" (邦題は『バスを待ちながら』)に続く4作目が "La casa de los espíritus" です。

今までやってきたどの作品も素晴らしく、とにかくクラスが楽しく、みんな自分からすすんでとても良く勉強するので、その充実感は最高です。

まず、前の週の終わりに観て、配られたスクリプトの場面の再チェックです。
ポイントになる言葉やわからない言葉の意味、使い方などをチエックしながら、映画の内容や、バックグラウンドになる文化や文法や・・・とにかく盛りだくさんの内容をこなします。息を継ぐ間もないほど、機関銃のように次から次へとプリントや考えた事やディスカッションが続きます。
はっと気が付くともう2時間が終わりそう! あわてて次回の場面を観ます。後、先生が起こしてくれた翌週の場面のスクリプトが配られます。

2時間20分近くある映画を8回で終わらせようとしているのだから、のんびりしてはいられません。2時間が3時間分くらいの濃い内容の感じがします。
その上、欲張りにもチリの文化や政治のことまで勉強して行くので、頭がフル回転、授業が終わった時にはクタクタです。

最後に配られたスクリプトを使って次の週までに言葉の意味を調べたり聞き取れなかった箇所を掘り下げたり・・you tube を使って繰り返し場面を観て耳を慣れさせたり・・・と準備をしてきます。
すると、次の授業では聞き取りがとてもスムーズにできるので、ビックリです。一週間でスペイン語が上達したような錯覚に陥ります。

しかも、原書を持っている人もたくさんいるので、映画と合わせながら頑張って読み進めています。作品のポイントがもっと深く分かります。

この映画は、特に人物構成は原作をかなり改造してあるのですが、内容的にはとても上手に改造してあると思います。原作と一緒に読んで行くとエピソードの入れ方などに違和感がないのが不思議です。
何しろ女性三代にわたるファミリーの歴史を背負った作品なのでそのまま描いていたら大河ドラマなみ、イタリア映画の『輝ける青春』みたいに6時間も7時間もかかっても終わらないことになるので、映画としては質を維持しつつうまくまとめていると思います。

クララ(メリル・ストリープ)の最初の場面は無理若でしたが、今は丁度良い感じで素敵に歳を重ねています。トゥルエバ(ジェレミー・アイアンズ)の演技が光っています。
そして妹のフェルーラ役のグレン・クロースがいい味を出しています。

クラスも後半に入り、あと3回です。
楽しみ、楽しみ!

2012年8月24日金曜日

我が家の世代交代⑤ 〜炊飯器とポット

メインパソコンから始まって、カーテンモバイル用パソコンと続いた我が家の5つ目の世代交代は、炊飯器とポットだった。

『2000年製』 炊飯器の裏側にそう書いてあった。

12年使った三菱電機の炊飯器、ご苦労さま。当時は大変珍しい5層のステンレスの高級品のお釜。とても美味しいということだったけれど、果たしてどうだったのかしら?

ついに、炊きあがったご飯がくっつくようになって、美味しく炊けなくなってきた。お釜の内側も剥がれてきたので、思い切って新しくした。
でも、私のお友達は同じ頃偶然に同じモデルを買ったけれど、5年程前に買い替えているから、もう十分だろう。

そして、新登場! まるで掃除機のようにでかい!!


象印の『極め羽釜』新モデルが出たばかりだったので在庫で値打ちに買った。それでも元の値段はチョー高いお釜だ。Kzさんは何故か高いものが好きだ。一緒にいるとどうも納得しないうちに高いものを買わされる。私もきちんとしたポリシーがないから、直ぐに流されてしまう。でも、大体満足度は高いし、長持ちするので元が取れているのではないだろうか?

私の物持ちの良さは異常だから。

玄米に、五穀米、麦飯と炊いてみたが、とても美味しいので良しとしよう。

そしたら、写真の横に少し見えるポットがあまりにも汚いしかさ張る。何しろお釜が掃除機並みに場所を食うから邪魔だ。これも10年以上選手だろう。軽井沢で使っているのと同じT-FALの白いポットに交換した。必要な分だけその都度沸かした方が無駄が少ないような気がする。
これはvisaのポイントを使ったから只!!

まだまだ並んでいる。家を建てた時からだから15年使っている、洗濯機、冷蔵庫、エアコン・・・高価なものがズラリ〜 長持ちするのも問題だ。そうだ、テレビなんかもう薄暗くてよく見えない。でもまだ壊れてはいない。

一番長生きは誰かな?



2012年8月22日水曜日

『ふくすけ』

文化村でやっている『ふくすけ』を観て来た。久しぶりの舞台だった。

ここのところ『シカゴ』とか『フォッシー』とか、ミュージカルばかり観ていたので、演劇は本当に久しぶり!かなりインパクトが強くて、自分の感性がちょっと時代遅れになっているかな?と心配になった。

テーマが現代の病んでいる部分をてんこ盛りにして演出しているので、とても難しい作品なのですが、要所要所とても面白いのでただ楽しんで観ていたくなるのだけれど、それにしてはあまりにも内容が重いし、、、、差別用語なんかボカスカ出てくるし、、、セックスやどぎついシーンがとても多いし、、、ということで「私、付いて行けてるか〜?」と何だかハラハラドキドキしながら観ていました。

けれど、終わった後には何か奇妙なエネルギーが宿っていました。

ところで何故この作品に興味を持ったかというと、私の好きな役者さんばかり出演しているので、「彼らは舞台ではどんななのかしら?観てみたい!!」という極めてミーハー的理由でした。


でも、それは大正解で、彼らの魅力を堪能してきました。

まず、古田新太さん、阿部サダヲさん、そして多部未華子さん。私の大好きな役者さんたちです。
ナマを観て伝わって来る空気を感じる事ができて本当に良かったです。やはりずごいオーラがあって素敵でした。

びっくりしたのは、大竹しのぶさん。古田さんの躁鬱病の奥さんの役なのですが、すごいド迫力。ブロードウェイでも通用するんじゃないかな?なんて感じるほど、彼女はやはり女優魂のある女優さんでした。

そして、他にもどこかで見た事のある役者さんたちがたくさん居て「何か印象的な人々だと思っていたら、そうか〜、劇団の人たちだったのだ!」と納得する実力派でした。

さて、久しぶりの舞台はインパクトが強く、映画だけではなく時々演劇も観に行こう!と思うソラさんでした。

[追記]
完全に満席でした。立ち見席もびっしり!
すごい人気なので驚きましたが、みんなこんなに難しい個性的な作品を観るのだ、と日本人の感性にビックリした次第です。
演出の松尾スズキさんって、頭の中がこんなだと思うと、ド迫力で隣にいらしたらちょっとビビります。

2012年8月9日木曜日

弱音を吐こう介護日(34) 〜「もう嫌!」対処法なし

早朝、八方塞がりの息苦しさで目が覚めた。

自分が爆発しそうで、去年の歯神経と耳の神経が同時にやられた帯状疱疹の時と同じ精神状態になった。母の我が儘とイライラが極限に達して来ると私は重かろうが軽かろうがトラウマになっていて、自分の感情の出口がなくなり息苦しくなる。本人に悪気がないのは分かっているのだが。

昨日のブログにも書いたが、部屋に入って行くと、腕が痛いという。これは現在どうしようもないのだが、よく見るとヒラヒラのノースリーブを来ていて、まるで真夏のかんかん照りのお日様の下で日傘をさして散歩するような格好だ。

「お母さん、冷房のお部屋の中でじっとしているには、そんなに腕を出しているとしびれて痛みが増すから、神経痛には余計堪えるよ、何かはおるか袖のあるのを着たら?」
と言うと、
「洋服がないからねえ、みんなはとてもいい洋服を着ているんだよ、本当に素敵な洋服」
と反撃が始まる。私はクローゼットに行って、
「これでもいいし、こっちでもいいでしょ?いいのたくさんあるよ。この間長野から送ったばかりだし」

ここで問題なのは、私が良いと思うものは母は絶対に良いと思わないことなのだ(もともと母が好んで自分で買った洋服であるにもかかわらず)。

忘れないようにと、いくら並べておいてあげても、着ているのを見たことがない。いくらカーディガンと組み合わせて何組かクローゼットにかけておいてあげても、着ない。
いつも「あら、そんなのあったの? 初めて見るわ」だ。

今の母は、ちょっと露出風のヒラヒラが大好きで、シンプルな洗濯のきくTシャツなどは、とてもおしゃれなものでも下着だと思って、こんなみっともないもの着れないと言う。
記憶を失う前と好みが全く違ってしまったのが、ネックになっている。

おまけに、ホームで洗濯をしてもらうと、乾燥機を使うので色は抜けるしとても洋服が傷む。だから肌に直接あたるものは洗濯のきく清潔なものが一番なのだが、化繊の入ったしなやかなものを好み、しかもいたむからと言って、洗濯を拒むのが又難題だ。

やっとどうにか上に羽織るものを着せたが、瞬間「暑くてこんなもの着ていられない」と言う。「着ていれば直ぐに慣れるからちょっとの間だけ我慢してみて。腕が痛いよりいいと思うよ」
私も着てみたがとても薄手で、暑いとは思えない。(それに、老人はみんな寒がりだと思っていた)

やはり嫌そうなので、
「だったら、半袖のTシャツ一枚でいいんじゃないの?夏なのだから」と言うと、今度は
「ああ、寒い、どこかから風がはいってくるみたい。」と言ってブルブル震える振りをして、「それに、こんなのじゃみっともなくて部屋から出れないわ」と騒ぎ出す。
私、いらいら。

「みんないつも本当にいい洋服を着ているのに。家の人がちゃんと用意してくれるんだわ、着せてくれるの。私ときたら、誰も何もやってくれない」といらいらして言い出すので、ついに私も声を荒立てて、
「毎日家の人が朝ここに来て洋服を選んで着せてあげているっていうの? そんなことあるはずないでしょ? みんな自分の着る物は、毎朝今日は何着ようかな?って自分で選んで自分で着ているのよ。それができない人は多分介護の人がタンスの中から選んで下さっているんだわ。お母さんだって、タンスの中にこんなに洋服あるのだから、自分で選んで着たらいいよ。毎日違うの着たって相当あるから・・・」

お茶の時間になって、皆さまの着ている洋服をつくづく見てみた。
グレーとかベージュとかの結構地味な色彩の厚手のものや首のつまったものも着ておられる(母は絶対に着てくれないが)。いつも同じものを羽織っている人もいれば、薄手のジャケットやレースのカーディガンの人もいる。皆さま結構厚着だ。
さすがにヒラヒラのノースリーブは居ないけれど、もちろんブラウス一枚の人もいるし、色々だ。しかし確かに少なくとも母よりは何かきちんとしていて小綺麗で品があるように見える。

ここで、もう一度問題なのは、母にはああいう格好が似合わないことと、用意してあげても「ばばくさい!」と言って絶対に着ないということだ。

どうにか願いを叶えてあげたいのだが、何を見て良いと言っているのかも分からないし(聞いても本人の記憶にはない)どういうものが欲しいのかも分からない。しかも欲しいものを買ってあげても、絶対に着ない。

そこで私はうなされて目が覚めた。

今日も又、露出気味のブラウスを着て腕が痛いと言いながら、
「みんな本当にいいものを着ている。私には着る物がない」と洋服の山の中で訴えるのだろうか?そして薦める洋服を全部拒絶するのだろうか?

一緒に行ってどうしても欲しいと言われて買った洋服も、すっかり端に追いやられ、袖を通してもらっていない。「お母さん、気に入って欲しいというから買ったのよ」と言っても、「みっともない!大嫌い」と、とても品の良い夏服に対して文句を言って着ようともしない。私は何を聞き入れてあげたらよいのか、皆目検討がつかなくなり、八方塞がり!!

少し疲れた。
しかし集団の中で何だか母がとてもみすぼらしく見えるのは堪え難く悲しくなり、自己嫌悪に陥る。どうにかしてあげたいと思うので、余計ストレスを感じてうなされて目が覚める。ヒラヒラで露出気味で、しかも温かくて寒くないしなやかで、みっとなくないと彼女が思う洋服があったら、10枚くらい買いたいものだ。
そして買ってあげて、着てもらえない悪夢がいつまで続くのか?

機嫌の良い時は私の薦める洋服を着て、とても素敵なのに・・・まだ、捨てたものではない!!

さて、ここまで愚痴っての結論:『背中で道徳的な人』になって

好きにさせておこう!
腕が痛くても、みっともなくても、いくらなじられて愚痴られても、自分のその時に着たい洋服を着て好きにしていてもらおう。

今日は介護の認定の日だ。
介護度の変化はあるのだろうか?



2012年8月8日水曜日

弱音を吐こう介護日誌(33) 〜いやあ、参った!この不機嫌は?

自分へのご褒美に自分であげた二日間の夏休みが明け、心が少し軽くなって元気を出してオババの所へ行ってきた。

昨夜はサッカーのメキシコ戦を観たので、眠い。その前の夜中はなでしこのフランス戦だったから、二日続けて徹夜だもんな。

でも、ちょっぴり何かから解き放たれた気分で行ったのだが、着いた途端に暗い空気に圧倒される。ここのところこの人はどうしてこんなに猛烈なパワーで暗いのか。
しかも言っていることが全く以てしっちゃかめっちゃかもいいところだ。
私、もう負けそう・・・(半べそ)

映画『グッドハーブ』の植物学者のお母さんが少しずつアルツハイマーに侵されて行くように認知症が次の段階へ進み始めているのだろうか? そしてこれから急激に進むのだろうか?
過程が似ていて恐くなった。頭の中の混乱から生じるうろたえ方がソックリなのだもの。それなのに、私は彼女の自尊心を傷つけるような台詞を言った。

本人も何か異変が起き始めているのを感じてイライラしているのだと思う。
本能で。
そして娘である私に一番そのイライラはぶっつけ安いのだろう。

「認知症なのだからもっと優しく」そう言い聞かせても、私へのあの際限のない我が儘さと絶え間ない理不尽な要求を受けていると自分がつぶされそうになってどんどん覚めて来て、「いいよ、それ以上言うなら私帰るから」と部屋を飛び出したい衝動にかられる。

相手は分かっているのか、何なのか? 
いくら説明しても通じない繰り返し繰り返しの同じ訴えには疲れ果てた。はぐらかして誤摩化せば良いのだろうか?
相手が親だとそんな心のないことができない。
だって、よそのおばさんではないのだから。

もうホームの人に任せて、私が行くのはよそうか・・・と思ってしまった。

私は弱虫だから、そういう母の姿を見届けることに耐えられないかもしれない。

神様は、耐えられない試練はお与えにならない、とヘリオトロープのTさんがおっしゃっていたが・・・ほんとうに?

2012年8月7日火曜日

『きっとここが帰る場所』 〜This must be the place

久しぶりのショーン・ペンの作品だ。

8月の1、2週は夏休み。学校が休みなので思いっきり気持ちが楽だ。
特に6、7日は全くのフリー。おばあさんの所へも行かなくてよいので、掃除もやめて久しぶりの休日を過ごした。来週はKzさんがお盆休みでいるので、私のフリータイムなどないのだから。

一日目はショッピング。
二日目は映画。

ショッピングに関しては情けないことに自分でデバートに洋服を買いに行くなどというのは数年ぶりのことだ。これでは女を捨ている。旅先で洋服を買うことはあったが、ここのところおばあさんの介護で旅にも行ってないから、皆無だ。
通販でTシャツがせいぜい。

ところが、新宿のデパートではもうほとんどセールが終わっていて、あってもろくなものが残っていない。しかも既に秋物がいかにもそれらしい雰囲気で並べてあって次の世界が展開していた。やれやれ、又機を逃した。お気に入りのどうしてももう一枚欲しかったパジャマだけ買って帰って来た。

今日は二日目の念願、映画!
これはもともと好きなので、フリータイムができるとできるだけ行くようにしている。でも、なかなか時間がない。

本当は渋谷まで行って、『屋根裏部屋のマリアたち』を観たいと思っていたが、あまりの暑さで、駅から文化村まで歩く勇気が出ず、隣の吉祥寺のバウスシアターで我慢した。
この映画館はなかなか良い映画を観せてくれるのでありがたい。

ところが、この我慢が大当たりで、素晴らしい映画だった。
まあ、この手の映画は賛否両論になると思うが、私には大当たり!

『きっとここが帰る場所』〜This must be the place〜

イタリアのパオロ・ソレンティーノ監督とショーン・ペンが作り上げた作品。
ハリウッド映画ではなくヨーロッパの深い苦悩と哲学的な香りとアメリカの泥臭さの解け合い方が素敵だ。でも、ただ観て楽しめる映画と違って、考えないといけないのでとても難解な映画だ。

「ショーン・ペン好き?」 と聞かれたら 
「別に・・」って答えると思う。
けれど、「彼ってすごい役者だと思うよ」と付け加えるだろう。

『ギター弾きの恋』にしろ、『ミスティック・リバー』にしろ、『アイ・アム・サム』にししろすごい! あれだけ個性が強い役をやってもわざとらしさを感じさせない役者さんなのだ。彼には彼の作り出す世界があるから。(私はロビン・ウイリアムスはわざとらしくて受け付けないのだ)

この作品での彼の演じるシャイアンという元ロックミュージシャンのメークとコスチュームと鬱っぽい雰囲気は冒頭の画像でも分かると思うが、隣で(至近距離で?)一緒に暮らしていたら、ちょっとゴメン、って感じだ。
しかし、それは最後のシーンに強烈につながるので、ずっと観なければならなくても仕方ない。

でも彼から発せられる言葉は、ちょっとした会話の一言であっても、自分の心で咀嚼した言葉が出て来るのでとても意味深いし面白い。英語の方を聞いていると本当に可笑しいのだ。何度か吹き出して笑ってしまった。

若い頃には思い込みが激しくて、言われた一言を自分の思った通りだと勝手に思い込み、それで人生が変わってしまったり、一生引きずることがよくある。(彼は父親に嫌われていると思いこみ30年も家を出たままだった)後になってみると、それはたんなる思い込みだったのかもしれないってことが・・・

この台詞は若くして家を出てしまったうちの娘にも言えるような気がして、理由は何であれ、帰る場所がないと勝手に思いこみながら外国で暮らしているのではないかと心配し続けてしまう親心が重なり、ずっきぃ〜〜ん!!!と来た。

自分に子供がいたら、子供を愛さない親などいないということにもっと早く気づいたのに・・・とスローな独特なしゃべり方でつぶやいていたショーン・ペンの横顔が印象的だった。意識の問題なのだと。

子供たちと一緒に観た『旅立ちのとき』の父親役をやったジャド・ハーシュの顔を観て郷愁を感じてしまったせいかもしれない。


奥さんのジェーン(フランシス・マクドーマンド)が素敵だった。何度か見てはいるのだけれど、、、なんて素敵な女優さんなのだろう。シャーロット・ランプリングのような中身の濃いたまらない存在感がある。彼女のたくましさと優しさと寛容さがシャイアンを現実につなぎとめていてくれる。何だか苦悩するKzさんに接する自分と重なった。

作品には人間が背負っている逃れられない苦悩や孤独に関して、たくさんのことが盛り込まれ、台詞の裏側や舞台装置や小物にも工夫の箇所がたくさんあるので、分かっている人がみたら「オー、オ〜!!」と思う所がいくつもあると思う。



美しい映像の映画だった。
素敵なミュージックと台詞・・・久しぶりに心で感じ取る映画、その人の持つ感性で観る映画の世界に浸ることができた。

[追記]
前述の最後のシーン、戻って来たシャイアンと近所のメアリのお母さん(毎日毎日二階の窓辺に座って通りを見下ろしながら一日中ずっと前に家を出て行ってしまった息子のトニーの帰りを待っている)と目が合って、死んだような目をした無表情のお母さんの顔が目力のある微笑みに変わる、その瞬間シャイアンが優しい目で「僕、大人になったよ。あなたも何かしてみようよ、ずっと思い込んでお篭もりばかりしていないで・・・」と無言のメッセージを送っているように感じるのだが、、、
これはかつて苦悩や孤独と戦ってお篭もりしたことのある人間には、そして変わろうと必死でもがいたことのある人間には、波のようなオーラが温かく体内にズンズンズンと染込んで来る瞬間だ。
エンディングの曲とともに。








2012年8月2日木曜日

免疫力低下と白癬菌

私は体調が下向きになると決まって右足の小指と薬指の間に小さな亀裂が生じ強烈に痒い水虫が再発する。

皮膚科できちんと治療したので完治したと思っていたが、どうも極度に免疫力が低下するとその現象がおきるようだ。

今回は右足の内側のくるぶしの横に、昔子供の頃なったことのあるタムシのような赤い丸い輪っこ、円形の湿疹ができた。虫さされの跡が集まったような感じがして、しかも痒くないのでそのまま放っておいたら、それぞれの発疹の頭に水泡ができてきた。
そしてソックスにこすれたのかぷつぷつがまばらに広がり始めた。かぶれみたいでとてもいやな感じがした。

湿疹の薬が全く効かないので(むしろ悪化する)、試しに家にあった水虫の薬(ニゾラールクリーム)を塗ってみた。すると変化が生じ発疹が痂せて来たので多分白癬菌の一種だろうと判断していた。しかし薬をやめると直ぐに増える・・・薬ももう残り少ない。

そんな時に今度は左足がブヨに噛まれた。4カ所も噛まれたので足がパンパンに腫れて、手を近づけただけで熱いのがわかる。痛い痛い!熱も37度近い(平熱35度)。

今日は37度近く上がった練馬の気温の中、以前かかっていた皮膚科に行って来た。このN先生はとても頼りになる。皮膚トラブルの多い私には頼もしい先生だ。

ブヨに噛まれて化膿しかかった箇所の治療と、右足の白癬菌(やはりそうだった、細菌が動いていますよ〜と顕微鏡を覗きながらおっしゃっていた)の薬をいただいてきた。この菌は足の裏からきているかもしれないから、完全にやっつけましょう!と言われた。

つまり湿疹が消えてからもかなり広範囲に2〜3ヶ月薬を塗り続けなさいということらしい。

素人療法で不安だったので、やはり皮膚に関しては専門家に診ていただくとほっとする。皮膚はとても正直なのだ。

いつもの首の汗かぶれの薬もいただき、ついでに右の足の裏にある痛みについても診断していただき、この時とばかりに全部片付けて来た。

N先生ありがとう!
そういえば、私が腹部に発疹が頻繁に出たとき、「これは皮膚の問題ではなく、身体の中から来ている可能性が高いです。直ぐに血液検査をしなさい」と言ってくださったのもこの先生だった。

結果が出て即入院になったが・・・今元気でいられるのもN先生のお陰かもしれない。
私は本当に良き先生に恵まれている。

水虫をあなどってはいけません。彼らは何かの信号を送っているのです。

2012年8月1日水曜日

記憶容量いっぱいかな?

今日のオババはお部屋が近くなるにつれ、部屋から負のオーラが流れ出ていた。

顔には生気がなく、目はうつろ・・・いよいよボケが進んだかな?と思わせる空気。やれやれ、やばいぞ!

というのも、私は足がブヨに4カ所も噛まれ、左足がパンパンに腫れて熱を持っている。毒素が身体に回っているのか、全体に熱っぽっくて朦朧としているので全く元気がでないで困っていたからだ。
自分の元気が勝っていない時はだいたいやられる!

ホームの近くの皮膚科に行こうと思ったら今日は休診日。明日夏休みでなければいいけれど・・・朝電話をしてみよう。ドアの所になにかかかっていたから、もしかしたら夏休みかもしれない。

前回の越路吹雪さんの曲をプリントアウトして、もう一つ、『ラストダンスは私に』も書き出して準備したが、歌う元気が私にはない。
まずは持って行った桃をむいてあげた。
「あら、今頃桃があるの?」
「う・・・」(今なくて何時あると言うのだ??もう8月だぜい!)

それでもと思って、日記帳を開いて、サントワマミーの歌詞を指差し「お母さん、この曲練習した?歌ってみた?この前上手だったねえ〜」と聞いたが、全く忘れている。一緒に歌ったことも忘れているし、日記帳に書いてあげたことも完全に抜けている。

『ラスト〜』は歌ってあげたが、記憶につながらなかった。やはりサントワマミーだけしか定着していないらしい。あんなに好きだった曲なのに。

まあ一曲でもあるから良しとしよう!

テレビでマドリッドの特集をしていたので、
「ここはKちゃんが住んでいたんだよ」というと、
「Kちゃんなにしてたの?働いていたの?」と聞く。
「大学生だったんだよ。私も行ったことあるよ、この町。」
「へえ〜、なかなかいい感じの町だね」
「うん、いい町だよ。人も親切で明るい」
「Kちゃん、働いていたの?」
「ううん、大学生。勉強していたの、ここで卒業したのよ。だあだと卒業式にも行ったのよ」
「何年いたの?」
「3年くらい」
「へえ〜そんなに・・、Kちゃん働いていたの?」
「んっ・・・、大学生!だいがくせい〜!!」


やれやれ・・・今日も暑かった。
がっくし。