2012年12月20日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(36) 〜ま、またやられたー!!!のね

昨日は、オババに早めのクリスマスプレゼントと言おうか誕生日プレゼントと言おうか・・・とにかく、吟味吟味の上ローラアシュレイの生成りのカーディガンを持って行った。

今までの学習の結果:無地は下着である、木綿は下着である、模様がないと洋服ではない、厚いと駄目、ヒラヒラしている物が好き、露出狂の気あり、、、、と、私が持って行ったものはチュニックもTシャツも全部下着と化しているので、切なる願いを込めて持って行った。

最近オババはホームの事務所に入り浸りで、自分の指定席まで用意していただいている身分になった。なってしまったから仕方ない。職員室に居座った駄目生徒みたいな勘ありだが、これ又居心地が良いのだから仕方ない。

寂しい日々に訪れる所があるのはとても幸せなことで、快く受け入れて下さっているホームのスタッフの方々には感謝の言葉しかない。
多分母の精神状態も安定して、認知症の進行も少し治まっているのではないかと、良い効果を感じている。

時々私の到着時にも指定席で居眠りをしているオババを発見する。
するとどうも何となく支度がみすぼらしい。真冬に初夏の格好とでも言おうか、長袖こそ着ていてもどこかちぐはぐなひらひらした薄着で、私は赤面だ。たくさん洋服があるのに・・・

そこで、事務所にいてもあまり感じの悪くない、何か清潔感のある洋服をプレゼントしたいと思っていた。

オババには、模様の重ね着の傾向があるから、下に柄のものを着ていてもけんかしないようにできるだけ無地に近い感じで、でも透かし模様みたいなのが入っていて下着には見えないように、チクチクするのが嫌いなので、けれど木綿じゃ下着と勘違いするからカシミヤ入りコットンで、薄手だけれど、上から羽織れるように柔らかく温かいものを・・と悩んだ。

グレーやベージュは汚れた布にしか見えないから白に見えるくらいの生成りの前身ごろだけ複雑な数種類の編み目模様を組み合わせたレース風で・・・とても清楚で肌触りの良いカーディガンを見つけた。

記憶に残るようにきちんとプレゼント仕様にして持って行って、渡したら大喜びした。
「良かった!これで行けるかな?」とすら思った私だ。

ミントグリーンのオフタートル(私のお古だが、色が合うのでお気に入りを仕方なしに持っていった)の上に羽織ったらお世辞抜きでとても素敵だった。

これなら、事務所に居ても、お客様は逃げ出さない!「このホーム品があって悪くない」って思って下さるだろう・・・と自己満足していた。


と・こ・ろ・が・・・本日私が発見したオババは!!!
私の願いを込めたプレゼントのローラアシュレイのカーディガンを、上に羽織れるようにとたっぷりめのLサイズの素敵なカーディガンを、

ハイネックのピッタリした細身のニットの下に全部のボタンをしっかり留めて、裾をズボンの中にパンパンに詰め込んで、まさに下着として着ていたのだったー!!!!

又、やられたー!!

と言うか、今日はむしろ悲しくて、全身の力が抜けて、泣きたくなった。
大きな字でど真ん中にマジックで『市川』って書いてなかっただけ増しだったかな・・・

カシミヤ入りの下着は温かく軽く、さぞかし快適だったことでしょう。

PS/
たった一日で、私が持って行ったことも、プレゼントであることも、カーディガンであることも全て忘れ去っておりました。試練は続く。
物によって忘れる度合いを使い分ける、偉大なる認知症です。


2012年12月19日水曜日

『高校入試』 〜真犯人はだれ?

私の知っている人の中でも際立った読書家のYさんに「湊かなえさんの作品は面白いから〜」と薦められた今シーズンのTV番組が『高校入試』だった。

ちょっとズレた時間帯なので、うっかりしていると見逃してしまうかもしれない。

作家の名前は知っていたが、作品はまだ一つも読んだことがなかったので、好奇心で観始めたら止まらなくなった。元々ミステリーは好きなのだが、これは最後まで真相が表に出て来ないので面白い。

大概の作品はちょっと観ていると犯人が分かってしまうが、この作品はうまく隠されていて、関係する一人一人が一枚のパズルのかけらのように散りばめられてそれぞれのストーリーを持っている。そして全部が集まった時に一枚の完成された大きな絵になり全ての謎がからんだ糸がほどけるように解けるのではないだろうか?

しかも最後のひとかけらにみんなを踊らしている犯人の顔が浮き上がるように印刷されていて「そうだったんだ〜」と思うように・・・。
そして、多分最後の一枚にある顔は、『あの人』だ。

何となく芝居がかっているので、学校を舞台に先生方がそれぞれの教室で演じているのを演劇鑑賞をしているような気分になる。そして、それがいかにも作り物っぽいのに生の空気が伝わって来るのがとても面白い。

一回目にバックナンバーの『青い春』というエンディングのテーマにしびれて、itune-storeで買って聞いている。あの教室がバラバラになって行くバックの映像も、画面に色々なヒントが盛り込まれていて、まるで一枚一枚のパズルが散りばめられているみたいで面白い。

パソコンや携帯など今を象徴している様々な小道具を駆使した演出も実に今をついていて興味深い。若い子たちの蝕まれた心の中は・・・

そして、そこに登場する先生や保護者たちの会話から人間の本性のようなものを引き出して来るのがこの作品にたくさんの問題を提示していて、厚みを加えている。

私の気に入った作品は大体視聴率が低いのだが、今回はどうなのだろう?
そして最後はどのように締めくくるのだろうか?
果たして私の思った『あの人』は当りか、外れか?

ミステリーは人の心をたっぷり含んでいるから面白い。

2012年12月17日月曜日

『ゴーイング・マイ・ホーム』〜自然な会話がホッとする

『ゴーイング・マイ・ホーム』これはとても珍しい作品だ。
ここに流れている時間は静かでゆっくりで、ほんのり温かい。

高校生の頃『学生村』と言って、夏休み中に一ヶ月ほどの間、信州の田舎の民家が食事付きで受験生を受け入れてくれるシステムがあった。暑い夏の間、冷房も必要のない世界で勉強に精を出せるということが狙いだった。
もちろん、回りは田畑ばかりだし、夜になるとお蚕さんがバリバリ桑の葉っぱを食べる音ばかり聞こえて来るような、遊ぶ所など皆無の世界。

けれど、滞在中の村の小道を歩いている時にこれと良く似た静かな空気が流れていたのを思い出す。

長野県の鬼無里村、水芭蕉で有名な所だ。
食事は3食とも村の中心にある今にも倒壊しそうな木造の旅館に食べに行く。村に滞在中の受験生は各家庭から時間になるとその旅館の食堂にやってくる。村があまり静かなので、「ああ、こんなに居たんだ!」とその時思う。

私は高校のクラスの同級生とルームシェアして申し込んだ。
彼女とはそんなに仲良しだったわけでもないのに、不思議なことに、
「ソラちゃん、学生村行かない?」という声かけに
「うん、行く」何の抵抗もなく答えたのがきっかけだった。

一ヶ月間同室で、色々おしゃべりをして暮らした。さっぱりとしたとても良い友だち関係が築けた。
ところが彼女は念願の大学生になったその年に、ひどい貧血がもとで亡くなってしまった。私と同じ病気だった。学生村滞在から数ヶ月後のことだった。

この番組は、今までに全くないタイプの作品だ。映画ではあるかもしれないが、テレビドラマではとても珍しい。以前大好きで印象に残っている『すいか』とか、をちょっぴり思い出す空気が流れているかもしれないが・・。
最初はゴンチチの音楽が気持ち良くて、しかも時間があまりにもゆっくり流れるので眠くなって困ったが、しっかりはまって私を気持ちのよい世界に引き込んでくれている。

一番感じが良いのが、出演者の静かなつぶやきみたいな会話。
このしゃべり口調が、あまりにも自然で、その辺の村に入り込んでいつの間にか仲間になって、テーブルを囲んで手仕事をしながらだらだらしゃっべっているような感じがして、生活感があって、とてもいい。

宮崎あおいのちょっぴりひねくれたぶっきらぼうさ、山口智子の無理のない大きな温かさ、阿部ちゃんのあの調子。そしてもえちゃんの存在が大切なkeyになっている。
クーナの存在がいとも自然に受け入れられるから・・・

出演者の一人一人が当り役で、丁寧な作品だ。
西田敏行さんのおさえた役柄、お父さんの夏八木勲さんは本当にご病気ではないのだろうか?どうしても『風のガーデン』の緒形拳さんと重なってしまう。
もともと阿部サダヲ君は大好きだから、ほっぺを赤くして赤い三角のクーナ帽をかぶった姿はピッタリだ。

マッキーの主題歌とともに、もう少しの間この世界に心行くまで浸っていようと思う。見えない世界の中で、40年前のあの空気を感じながら。


2012年12月5日水曜日

What a coincidence! 〜今、40代男性ってモテモテなの?

40男はそんなに魅力的?

主人の姪と私の姪がどちらも40過ぎの男性と結婚しました。
当時、姪は一人が20代後半、もう一人は30代前半でした。

昨日私の姪が、男の子を出産。
その前日(二日前かもしれないが)主人の姪が女の子を出産しました。

What a coincidence!

そういえば、先日主人の両親の名代で出席した、主人の従兄弟(一番若い従兄弟)の結婚式は、やはり彼は40代。
全然焦ってなくて、素敵なお嫁さんをgetして、余裕の結婚式でした。

こんなに身近で3組も! 『40代の男性には何か特別な魅力とかがあるのでしょうか?』
と思う今日この頃です。

2012年11月30日金曜日

弱音を吐こう介護日誌(35)〜初めての絵手紙 〜認知症も悪くないかも・・

初めて絵手紙を描きました:


母はお習字は好きでアクティビティに休まず参加しています。でも、絵は全く駄目で絵の具を見ただけで逃げ出します。でも、これ初作品にしては悪くないですよね? なかなか味があって、私好きです。

この日母は、筆と墨を見てすっかりお習字と勘違いして、うっかりテーブルについてしまいました。そこに私が到着したものですから、、、

「ソラちゃん、これ何?」
「絵手紙っていうのよ」
「えっ?!絵??? えらいこと始めちゃったわ、私帰るわ」と立ち上がる。
「まあまあ、そんなこと言わずに、一回だけ描いてみたら?お習字あんなに上手なんだから(本当は大したことない)、同じ筆を使ってちょっと絵を描いて、字も書くんだよ。楽しいかもよ〜」

と、手伝いながらやらせてみるが、本当にひどい。ものを観察するということが不可能に近いのだ。

おまけに
「私柿なんか大嫌いだし・・・」(ボケてもこれは覚えているのか!)
と文句たらたら。

先生に、「全く初めての参加で、絵を描くのも初めてなので宜しくお願いします。」と耳打ちして私がちょっと席をはずして隠れて眺めていたら、甘える相手がいないので、仕方なしに先生のご指導を得ている。この辺は子育てと同じだ。

それで出来上がったのが上の絵手紙。
柿が美味しそうで、結構いい感じ。オババやったね!

ここからが書きたかったことで:

文字を書く時に、
「なんて書いたらいいの?」と言うので、
「初めて書いたんだから、柿を初めて描きました、とでも書いてみたら?」といい加減なことを言うと、手抜きの冴えたるところで考えるのが面倒なのでその通りに書き始めた。

柿を、で手が止まり、
「ソラちゃん、はじめてってどんな字だったっけ〜?」と聞くので、
「ほら、初日の出とか、最初とか・・・衣偏書いて・・・」と言っているうちに、『始』を書き始めたのでそれでもいいか〜と思っていたら何と『好』と書いてしまったではないか!!

「お母さん、それ好きって字だよ」って言うと、
「あら、嫌だ、あたしゃ柿なんか大嫌いなのに・・どうしよう!!」と・・・先生と私、周りの人は大笑い、でも本人はパニック状態。

「こんな素敵な絵を描いたんだから、『好きになりました』にしちゃったら?」と言ったら、手抜きの極意!
「本当は好きじゃないんだけどね〜」と言いながら、出来上がりました。その辺は悩まないので大助かりの私。

先日この葉書を壁に貼ってあげたら、
「ソラちゃん、最近の柿は美味しくなったのね。この間食べたら美味しかった!」と言う。
「うん、本当に美味しいんだよ、私も大好き」
「これを書いたとき、私はこの頃の柿が美味しいとつくづく思って感激してこう書いたの」 ン?? あれ、まあ〜と思いながら、
「そうだったの?良かったね」と私はお腹の中でクスクス笑っていた。

認知症も悪いことばかりではないかも。
もっとも、何が真実か分からないところが問題だけど。。。


2012年11月29日木曜日

イリュージョン、「や、山が、雪山が!」

先日軽井沢で朝起きたら、不思議な光景が・・・
家の回りが白い山に囲まれて、まるでスイスにいるみたいだった。


突然、前の家の後ろに雪山が出現!
東にも西にも、一晩のうちにアルプスみたいな真っ白い山々が・・ほとんどパノラマ状態。
昨夜のみぞれが雪に変わったのかしら? なんて。

何年前だったか、11月にスイスに行った時、カンデルシュテーク誰も居ない村にこんなのどかな光景があったなぁ〜。
あるいは、スペイン、グラナダの丘の上から見えた、紅葉の向こうの真っ白いシエラネバダか・・・
もっともスケールは違うけど・・。

真っ青な空の下にできた、真っ白い雲のいたずら、素敵なイリュージョンでした。

ああ、旅に出たいな、外国に行きたい・・・体力のあるうちに。


2012年11月24日土曜日

ショック!軽井沢の開発って・・・こんなでいいの?

ああ、ショック!!! 今月の初めに、こんなだったところが、

昨夜軽井沢に来て、今朝見たら

こんなになってしまっていた。

唐松の林が全部消えて、、、多分売りに出す準備をしているか、売れてしまったかなのだろう。何故なら一度少し木を切って整理していたので、売るのかな?と思っていた矢先だったからだ。
不動産屋さんが、買う時に「中途半端な大きさなので、あそこは売れないでしょうね」と言っていたのを、信じていたのだが、人気がでてしまったのだろうか?

素敵な林だったのに、どうしてこうなるのだろう?泣きたい気分だ。
浅間山が裏のバルコニーから見えるのでこの土地を買ったのだが、ここがこんな風に丸裸にされて、もし家が建ったら、もう見えなくなってしまうかもしれない、そうしたら別世界と化す。

我が家は、雑木林の中にあった。

しかし、去年手前の1000坪くらいの土地の木が切り倒されたのを見た時、『そうか、土地は変わるのだ』と思って、ものすごいショックを感じたものだった。
嫌な予感がした。
雑木林が好きで買った土地で、林の中にポツン、ポツンと程よい空間に静かに家が建ち、どこを見ても木ばかり、それが、ちょっと続けて素敵な家が建った途端、たった2〜3年で、あそこも、エッ!ここも??と周りの林がことごとく切り倒されて行くのを見るのは辛い。確かに一見素敵な別荘地なのだ、以前を知らない人には・・・多分土地の値が上がって、持ち主に有利になったのだろう。

うちは木を残して家を建てた。
だから、雑木林の中に家が建っているのでどうにか格好がついている。去年できた後ろの家もそうだ。我が家と土地を二分しているので、お互いに印象を悪くしないように配慮して作ってくださったので、家の色や木々の配置も、損なっていない。
多分地元の不動産屋であることが影響していると思う。

ところが、今売りに出している土地は、木を残してないのだ。つまり、300〜600坪位の単位で、あちこちを、いわゆる更地にしてしまっているのだ。素敵な林だったのに、全くの更地・・・もったいなくて泣き出したくなる。狸や狐も来るし、雉だって来る。小鳥は朝から大合唱だし・・それは木があるからだ。

せめて売れてから更地にすれば良いではないか!
売れる前に、不動産屋の所有の段階でまだどのように利用されるかも、買った人の好みも分からないうちに、もしかしたら売れないかもしれないそんな土地を何故一本も木がない更地の状態にしなければいけないのだろうか?
特に大手の持ち物や、感じの悪いあの不動産屋の土地に多い現象だ。

それに、軽井沢の別荘には暗黙の了解があって、木を残すとか、塀を建てないとか、隣の家との境は並木で、とかドウダンツツジの生け垣で、とか浅間石を使いましょうとか・・・そういうルールで美しさと気品とバランスを保っていたのに、これは何なのだろう?

今扱っている開発業者がいけないのではないだろうか?
うちが買った不動産屋さんの物件はみんな木々が残っている。しかし会社によってかなりな違いが生じているような気がする。不動産屋さんも売る事ばかり考えないで、町の保全も考えて、買い手や売り手に納得させてから売って欲しいものだ。

あんなに大きな木になるまでに、何年かかるのか分かっているのだろうか?空気をきれいにして、夏は涼しくしてくれる。自然の景色の良さが目に与える影響を知らないのだろうか?心もとない開発業者は、自覚して欲しい。

散歩に行く時によく近くを通るが、あのビル・ゲイツの土地もすごい工事音がしている。警備がきつくて私のコースから中はよく見えないが、多分環境破壊が起きているのだろうなあ〜・・と勝手な想像。
まあ、大金持ちだから、仕上がった段階で又木を植え直したりするのかもしれないけれど。

Kzさんが、土地を探していた時に、買うなら1000坪くらいのを買わないと、環境維持できないよ・・・と言っていた。「何を贅沢なこと言ってるの!!」と思ったが、今更ながら、そういう意味だったのか!と納得するのだった。あの人は何でも分かっているのが憎たらしい、もっともそんな財力がなかったのだからこの状況は受け入れるしかないのだけれど。

土地の値段が上がるよりも、心地良い土地であってくれますように。
軽井沢の環境がこれ以上壊されませんように・・・

2012年11月19日月曜日

我が家の世代交代⑦ 〜テレビ Regza 55Z7

1997年製、ソニーのmuse という37インチのプロジェクションテレビがついに交代だ。

画面の中に光のリフレクションが起きたようなピンクや青いシミがあちこちに出来始めて何年になるだろうか? 
リアプロジェクターについた埃が拡大されて画面に映し出されているので、中を開けて顕微鏡やカメラのレンズについた埃をシュッシュと風をあててはらうみたいにすると吹っ飛んで行くのだが・・・

以前修理を頼んだ時に、修理屋さんが分解して風を当てて埃を吹き飛ばしたらそのピンク色の影が消えた。そして「えっ?これだけ?」って思ったのを思い出す。故障ではなく単なる埃だったのだ。このタイプのテレビは埃を呼び込むらしい。

昔映画館に行くと、映写機の隅の方に糸くずみたいなものが引っかかって動いていたが、あれに色がついたような懐かしい景色だった。

そのシミの数が増え、画面が更に暗くなって来た。
ハイビジョンが始まって、機械がレトロで追いつかないので、何ともちぐはぐな画面であったが、妙に気持ちが落ち着いた。『平清盛』など画面が暗いから何をしているのかよく分からない。が、見えないものを観るのも悪くなかった。

いつもうす暗い映像で、文字は文字であることは分かるが判読不能、サッカーの試合などは敵と味方の色の違いは分かるものの、選手は誰か全く分からない。髪が長いとか短いとかハゲだとか、動きの癖や特徴で観ていた。
更に困るのはボールがどこにあるのか分からない・・・どこどこ??なんてうろついているうちにシュートが決まってしまったりして。

そんなテレビにさようならを言う日が来た。ご苦労さま。(これはプロジェクションテレビなのでリサイクルに行けなくて、粗大ごみなのだそうだ・・やれやれ)

1997年にサッカーのワールドカップのフランス大会に向けて買ったテレビだった。これも又15年選手。我が家に住んでいるものたちの寿命だろうか?

Kzさんはテレビより本を読んだり音楽を聴く方が多い人だったので、私は(本当はすごい映画好き、ドラマ好きなのだが)遠慮してKzさんの居ない時しかテレビを観なかった。しかし、最近歳をとって図々しくなり、自分の観たい物を観る機会が増えたら、スポーツとニュースしか観なかったKzさんまでドラマ好きなってきて、ついにNHKのオンデマンドの特選ライブラリーまで観るようになった。(軽井沢にはテレビがないので、PCで観ていた)

そんなことがきっかけで、ついに新しいテレビを買った。

ソニーは止めて、東芝の"Regza 55Z7"
でっか〜〜い奴だ。55インチ!

いくら今までの反動でも・・・Kzさんのやることは・・・「どうせ買い替えるなら、何か変化ないと」とかなんとか言ってさ。

別世界!!!
でも、画面がでかい! 風景はとてもとてもきれいだけど、顔がでかい!
私は、政治家なんかをこんなでかい顔で見たくないのだ。
まあ、まあ、どうせ私だ。。。直ぐに慣れるだろう。

しかし、映画好きには、き・け・ん・・・な香りが・・・

2012年11月10日土曜日

伊勢丹、何かが変!

最近、伊勢丹からのDMがあまりにも多くて閉口している。

しかもファッション性を高めるため、高級感を出す為に、良質の紙を使った印刷物や冊子で・・・インク代を考えただけでも無駄としか言いようがない。
ある意味時代錯誤で、今のご時世とかけ離れた世界。

でも、ある種の人々にはそれも現実で、そこが彼らのターゲットということなのだろうか?

私はパラパラ見るだけで、ほとんど参考にもならず、すぐに資源ゴミに積み重なるだけ。それが一週間に何通も届く。

ゴミで捨てる時に、もったいないなあ〜見もしないのに・・と罪悪感を持つ。そして、これが全部値段の中に入っているのだろうなあ〜とデパートのプライスイングにかなり厳しい疑問を持つ。
そこで買い物をする人は、お金を捨てているようなものだと・・・

実際、店に行って、ショーウィンドウに華やかに飾られている品物と値段を見た時、やはり割高感は感じずにはいられない。
ネットで、同じ物がもっと買いやすい値段で売られ、値崩れしていくとどうなるのかな?

そして一番の問題は買いに行ったものが、ない!
デパートの良さは、この手に取って触って品物を確認できることだというのに。

しかも溢れる物は、流行を追ったものばかりだ。定番製品はお取り寄せ。並べてなくても売れるからなのだろう。

現在改装中で売り場がごちゃごちゃしているが、これから完成した時にどういう方向へ切り替わるかで、伊勢丹の今後も大きく変わって行くと思う。
ちょっと会社の行く末に不安を感じ、売り上げが良いからと思い上がっている感じがした。

賢い消費者になりたいものだ。



日本にはアッパーシーツないの?

軽井沢のリネンが足りなくて、いくらなんでもシーツが一組ずつしかないのでは、毎回持って東京に戻っては洗濯してアイロンかけてまた持って帰る〜〜の繰り返しで不便で仕方がない。

今日は思い切って、新宿の伊勢丹まで買い物に行ってきた。
ベッドを買った時に揃えたものと同じものを番号を控えて来たのでそれを同じ売り場で買えば間違いなくて良いと思ったのだ。

ところがこれが大間違い!
たった2年前に買った物がもうないのだ!!流行と関係ない定番のリネンなのに・・・

シングルと、セミダブルのフィッティドシーツとシングルの羽根布団用アッパーシーツ2組が欲しかった。コンフォートのカバーとピローケースは間に合っている。

さて、売り場で、品番を見せると。
「お客様、この製品はもう作っておりません」という。
なんで私が来ると、ほとんどの物が品切れか廃盤なの?(多分前回との間が開き過ぎているか、家の好みが一般的ではないのだろう)

「では、別の物で良いのでサイズが同じ物を・・・」
「アッパーシーツのサイズが布団の幅の物しかありませんので、今までお使いの物と比べると幅が10センチ程足りません」(ちなみに欲しいフラットシーツのサイズは、160×260)
「今使っているものより10センチ狭いと、ちょっとまずいかもしれません。何でもいいからありませんか?」
「ないんです、あとはオーダーになります」
「げ〜〜〜」そんなことってあるの?たかがシーツをオーダーするなんて大げさな!

そう言えばもう何年も前になるが、東京の家で使っているのはサイズが少し大きくて品物がなかったのでオーダーだった。需要がないのか?
だってホテルに行けば、みんな使っているじゃん!

やっとの思いでラルフローレンのリネンの店で見つかったが、そんなブランド品必要ないのだ。その上在庫が一つしかないので、取り寄せになった。
デパートってこんなに在庫がなかったっけ?  よくよく考えると、今日も在庫がなかったものを取りに来たのだったわ。これが客を呼び寄せる手?

取りあえず問題解決と思った矢先、もう一つ問題発生!
今度はそれと同じフィッティドシーツの方がない! うちのベッドは厚いのだ。だからここにあるものだと、つんつるてんでサイドから地肌がはみ出てしまう。
マチが40cm以上ないと駄目なのだ。 28cmしかないという。
100×200cmと120×200cmのものが必要だ。
2年前にはごく普通にあったものが、もうないの?? デパートって何でもあるものかと思っていた。

こちらの方も同じ製品はもう作っていないという。日本はどうなっているのだろうか?どんどん切り捨てられてしまう。
残っていればと、メーカーに問い合わせたが在庫もないらしい。

やっと合う物が一つ見つかって、それを買った。それしかないから仕方がない・・・これも割高だった。

今日の感想:デパートは役立たずだ! そして、何でも高すぎる!!

それにしても、平日の昼間にこんな割高のものばかり売っているデパートにどうしてこんなにたくさんのおばさんたちがいるの?  自分の好みとは別にして、みんなとてもおしゃれで、高そうな洋服をジャラジャラアクセサリーをつけて着ている。
洋服売り場を横目で見ながら、同じ仲間になりたくなくて、通り過ぎた。

今日も私は自分の洋服を買えなかった。
私はもうすっかり、時代遅れになってしまったのだと思う。

2012年11月3日土曜日

佐藤愛子さんと霊感

昨夜、佐藤愛子さんの『不敵雑記 たしなみし』を読み終えたとき、ちょうど軽井沢で全くの一人の夜を迎えていた。

ポツンと林の中で一人で夜を過ごすのは初めてで、少しざわざわしていた。
耳をすますと結構色々な音がして、人が居ると生活音の中で気にならないが、感覚が研ぎすまされてきて不気味なのだ。

ところが、最後の章に来た時、佐藤さんの心霊体験の話があった。
彼女は『憑霊体質』なのだそうで、ポルターガイスト的体験は多数あるらしい。

そこに心霊研究家のEさんのことが出ていて、彼女はまさに霊能者で色々な現象が見えるらしい。戦場で戦っている血だらけの人が見えたりするらしく、夜更けにEさんの見えるものを読んでいると、急に窓から霊たちに覗かれているような気がして恐くなって来た。

私自身は何も見えないが、奇妙な体験をしたことがあるし、そういう物事に結構敏感な方なので、普段から呼び込まないようにとできるだけ考えないようにしている。
「危ない!」と思うと想念を空っぽにする習慣がある。

ある意味で(何となく信じているからだと思うが)とても臆病な面があるので、いつか目覚めてしまったら困ると勝手に考え、意識することをやめ、そちらに近づかないようにしている。

お風呂に入り、大きな声で歌を歌いながら温めのお湯で長風呂をして、リラックスしたところで想念を空っぽにして、眠ってしまった。

貧乏神を呼び込んでも困るし、あっちの世界とつながっても困るので、できるだけボーッとしていようと思うのだ。

でもスペインやラテン系の国々では、精霊や死者たちは同じ空間をフヨフヨし境目がなく一緒に暮らしているらしいから、そんなに怖がらなくても良いのかもしれない。

2012年11月2日金曜日

『不敵雑記 たしなみなし』 by 佐藤愛子


佐藤愛子さんの作品との出会いは、信州で一人で暮らしている母に何か良い本はないかしら?と模索していた時に発売になったばかりの一冊の本(エッセイ)の書評を目にし、読んだら面白かったので直ぐに母に送ったことにある。

今ではその本のタイトルも忘れてしまったが、やっていることが母生き写しで可笑しかった。

まず、年齢が母に近かったこと、そして性格というか気質がその時の母を励ますにはピッタリだったことが理由だ。
当時の母は、「まるで自分を見ているみたい」と、その後彼女の本を何冊か自分でも買っていたような気がする。

田辺聖子さんと同様に母にフィットした。(田辺さんは何となく顔まで似ているのだ、本人曰く「あの人ひょうきんな顔をしてて私みたい」だと。)

昨年の暮れに、『これでおしまい ーー我が老後』を懐かしく思って母に贈ったが、もう彼女のことを忘れてしまったみたいだった。それでもホームのテーブルの上に置いてあるから、時々読んでいるのだろう。
気にしても仕方ないが、ほぼ同じ年齢で、、、ちょっぴり寂しい。

この『不敵雑記』はスペイン語の友人から借りたもので、彼女の方が私より10歳程年上なのでより切実に共感できるらしく、「いちいち、そうそうって言いながら読めるわよ」と言って渡してくださったが、やはり私でもいちいちうなづいてしまった。

これは年齢に関係なくやはり気質というか気っ風の問題だ。裏表のないさばさばした人間にフィットするのだろう。
佐藤さんも自然体なのだと思う。あのずけずけ言う姿から正直なのが良く分かる。苦労人がユーモラスなのはたまらない!

これからの自分の在り方に勇気をもらえる気がする。

うちのおばばさんももう少し頑張ろう!お迎えが来るまではね。

たまにはこんなエッセイもいい。


秋真っ只中!軽井沢


上の写真は10月に来た時に撮ったものです。
ほんの少し色づいています。

昨日、kzさんのお仕事の都合と、冬越えの準備でやってきました。
オババの訪問を済ませて、新幹線で4時過ぎ到着。
外気は9度でした。

その後相変わらず満員御礼のツルヤで滞在中の食料を買い、仕事を終えて東京からやって来るkzさんをピックアップし、軽く食事を済ませて家に着くと、7度。
家の中は10度でした。湿度62%。

東京から来ると10度でも火の気がないと寒いです。
多分朝は0度近かったのではないかと思います。

今朝は快晴!
前庭をみると落ち葉の絨毯。
玄関にはカラマツの落ち葉があっちこっち寄りながら、積もっていました。


二階から見るといつもの渦巻きの庭が色づいてこんなにきれい。
秋だなあ〜


上のホテルの方は、もう冬が始まりつつあって、紅葉がギリギリ・・・と言っていましたので、朝kzさんが車に乗って仕事に行ってしまったので、週末にできたら堪能して来ようと思います。

やば!連休だ!!
最近の軽井沢はいつでも混んでいて・・・もっと寒いだけの冬にならないと駄目かな?
でも周りの人々は水道を止めて本来の家に帰って行く最後の週末です。
変人の我が家はそう、これからがシーズンです!!! ¡vamos!

さあ、その前に冬越えの準備! 
どうして、こう、どうでもいいことで働いてばかりなのだ、私は。

2012年10月29日月曜日

『浮き指』と『隠れ扁平足』と足の裏の硬さと痛み

ここのところ数ヶ月ずっと右足の裏が痛くて困っている。
しかも左足より右足の裏の方がずっと硬い。右側だけ外反母趾っぽいし、おまけに私の身体のトラブルは全部右で起きているのだ。

以前にウオノメができて、皮膚科にお世話になった箇所に良く似ているので先生に診ていただいたが、皮膚科の目ではなんともないということだった。

整形外科に行ってみると良いかもしれないと言われたが、そのままでいる。

ところがここのところ、『あさイチ』で浮き指というのをやっていて、手を握った時に甲の指の付け根にボコボコボコと出る小山のような物が、足でグーを作った時に出ない人はほぼ間違いなく浮き指だというので、やってみたら、全く出ない。特に右足、しかし両足とも平らそのものだった。

原因はこれ?
つまり足の裏の筋力が落ちている。

その数日後の日経新聞の朝刊に『隠れ扁平足』の記事が出ていたので、読むとこれも何だか当てはまっているような気がする。みかけはどう見ても扁平足ではない!が。

ここでは足の外側に力を入れるトレーニングが良いと書いてあったので、浮き指のトレーニングと一緒にやっている。つまりどちらも足の裏全体に均等に体重がかかっていないのだ。

そして思い当たったのが、私は右足首を何度も捻挫していることだった。
高校生の時にすのこの間に足をはさんで随分長い間松葉杖で暮らしたが、その後もつまらない所で外側にギクっとやって靭帯を切って何ヶ月も治療して完治したところ、アホくさいことに又やって・・・そして数年後に又ねじった。

医者に、「これで今回は治ったけれど、もう一度やったらもう戻らないよ」と言われ気をつけて歩いている。
そんなことがあって、無意識のうちに右足の外側くるぶし辺りをかばって内側に体重をかける癖がついたのかもしれない。

だから、右だけ外反母趾で、足の裏が硬く、腰痛がでて・・・と、この連鎖が解明できた。
日々、足の裏を鍛え、ウォーキングに行く時も体重移動に気をつけていたら、少し痛みが改善されてきた。

原因を見つけるのはとても大事なことだ。
もう少しトレーニングを続けてみようと思う。これで治ったらとても嬉しいから。

2012年10月24日水曜日

お惣菜って高いんだ!

昨日は用事があって吉祥寺へ出た。
Kzさんがいないので、夜は何か買って帰ろうとアルテのなかをウロウロした。

お弁当は時々買うことはあるが、私はお惣菜というものをほとんど買ったことがない。
どうしてかというと、出来合いの物を使ったり、調理過程で手を抜くとKzさんがどうも美味しそうに食べてくれない。(実は自分もだ)
文句こそ言わないが、「今日は何か味がいつもと違うね」みたいなことをつぶやく。

出汁が変わっただけでも気が付く人だから、迂闊なことはできない。
色々面倒なので、原則何でも自分で作る。

アルテの中に『海南食堂』というシンガポール料理の店がある。レストランではなく、お弁当屋さんだ。娘がシンガポールに住んでいた頃、多分現地のものとはお味が違うとは思うが、何となく娘のことを考えながら、ここのチキンライスのお弁当を買ってきて食べたものだ。彼女は今はスイスだが、それでもこの味は好きで私はまだ時々食べたくなる。

何と言ってもジャスミンライスに惹かれたのだが、チキンも柔らかくてあっさりしていて何だか懐かしさを覚えた。三種類のソースの味も好きだ。

前世はやはりあの辺だったのだろうか?
それともインカか? 辛〜いサルサのソースを食べた時の懐かしさの衝撃はすごかった!

ところで、そこで珍しくチキンライスでもナシゴレンでもなく、シンガポールスタイルのチキンカレーを買った後、ちょっと横の店を見たら、大根の煮付けが美味しそう!
組み合わせが何?だが、Kzさんがいないのは最大の強みで、何でもござれ!雑食のソラさん思い切ってそれを買ってみた。

100gだと大根2〜3切れだっていうので、いくらなんでもと200g買った。
小さなパックに大根5〜6切れと人参、インゲン、お肉少々・・・でも計630円!
今買ったお弁当より高いぜ!

「そうか、外で買うお惣菜とはこういうものなのだ。」と納得した。
自分で同じ物を作ったら、冷蔵庫の中の残り物でお鍋一杯できそうだ。
それと同時に、お弁当とは合理的で芸術的に素晴らしいものなのだと自覚。

でも、夕方だったせいか、たくさんの人々がお惣菜を買っていた。みんなもったいないと思わないのかなあ?などとつまらないことを考えた。
お仕事持っていたら、割高でもとても助かるのだろうな。

Kzさんの帰宅時間に合わせて、『できたてを』と揚げ物を揚げている自分を考えてしまったが、自分も揚げたてを食べたいからいいや!
美味しい物を美味しく食べるのはとても大事なこと。

Kzさんの不在の間は、普段あまり考えないようなことに気が付いて面白い。
けれど、とても美味しそうに見えた大根は、ちょっと味が濃過ぎて、2切れで箸が止まった。そして、お茶をガブガブ飲んだ。

まだ社会勉強が足りない。

2012年10月17日水曜日

サッカー、ブラジル戦 〜楽しかった!

昨夜は久しぶりにほれぼれするサッカーを観た。

日本が負けたのに、ブラジルの素晴らしさの満足の方が大きかったので、まるで質の高いエンターテインメントを観たような気がしてわくわくした。

ブラジルは今回の親善試合でイラクや中国にも大差で勝っていたので、選手たちの国歌を歌う顔は晴れ晴れとして曇りなくあまりにも自信に満ちていたので、「今日は余裕だな?」と思った私。

けれど、日本が結構頑張って良い動きをしているので、面白い試合になるかも、と感じた。
というのも、今まで何度か観てきたブラジルの試合は、いくら優勝しようが、世界一になろうが、実は私には少しも面白くなく、個人技ばかりが目立ってドリブルダンスをしているようで野生と偶然の勝利のように見えたものだった。

しかし、今回は現在の世界ランキング14位にしては大幅にバージョンアップしていた。
「ブラジルのサッカーが変わった!」そう思った。

監督が良いのだろうが、プレーがシンプルになり、しかし隙がない、そしてチャンスや弱点は絶対に逃さない、いざ動くときの押し上げの速さ力強さ・・・チーム全体に王者の風格のようなものが感じられ、「これぞサッカー!」とお手本を示してくれているみたいだった。

多分ブラジルのチームに足りなかったものが出来始めたのだろうと予感した。
楽しかった!! 日本チームを応援する観客としてすら大いに楽しかった。

それにしてもネイマールのすごいこと!
豹が化身してサッカー選手になったみたいな動物的な動き、それとも鼻に絆創膏をつけたライオンキングか?

動物的なネイマールと貴公子のようなカカ、南の島のハメハメハ大王みたいなフッキ・・・これからの試合を観るのが楽しみになった。

日本の選手たちも今回の試合を糧にして奮起し、強く大きくなってほしい。負けても後味の決して悪くない試合だったのだから。
可能性のあるいいチームだと思う。サッカーは楽しい!


2012年10月14日日曜日

ひいおばあさんの話

今日はこれから、オババを囲んでのお食事会だ。
個室でないと文句を言うので、場所は吉祥寺の聘珍楼と決まっている。

思ったより寒いので、久しぶりの外出のオババには準備してきた洋服が薄手かもしれないと、迎えに行ってくれる義姉に他の候補をメールで連絡していた時、フッとオババの顔が浮かび、それが私のひいおばあさんであるしわくちゃで異様に小柄な長谷のばやん(おばあちゃん)の顔に重なった。*ちなみに母の田舎では、おばあさんはばやん、もちろんじやん(おじいさん)とやん(父)かやん(母)ねやん(姉)あんやん(兄)と呼ぶ。


私は以前にもどこかで書いたかもしれないが、母方の母の家(『長谷の家』と呼んでいる)の血を多分に引いている。しかし私の母方のおばあさんはオババを産んですぐに(オババ三歳の時)腎臓を痛めて亡くなってしまったので、写真しか知らない。
このおばあさんは葉萬枝さんと言って、おじいちゃんも母の叔父や叔母も声をそろえて、「ソラちゃんは葉萬枝さんにそっくりだね」と言う。
私は外では自分と似た人と会ったことがない。

私は子供の頃から真っ白で金髪だったので(日本人です、今は茶髪になりました)いつも「外人、外人!」といじめられて育ったのだが、この長谷の家に行くと私のように色白で髪の赤い人々がたくさん居るので、なんだかホッとしたものだ。そして、自分はここの血を引いた人間なのだとつくづく思うのだった。

母(オババ)は三歳で母親を亡くしているので、私のひいおばあさんである長谷のばやんは、母のことをとても気にかけていて、「母親がいないのは不憫だ」と自分の娘のように可愛がって育てられたらしい。葉萬枝さんは長女だったので、実際、当時は子だくさんだったから、ばやんの一番末の娘と長女の娘であるオババは歳の差がなく、一緒に姉妹のように育ててもらったらしい。

結局おじいさんは後妻さんをもらったので、その後はあまり口出ししなくなったけれど、だれかが母をいじめると旧家で権力のある長谷のばやんが容赦せずに命がけでオババをかばってくれたらしい。オババは疑問なく、自分をお姫様だと思っていたのだと思う。

そして、母もことがあると、直ぐに長谷の家まで泣きながらすっ飛んで行ったという。

このひいおばあちゃん、実にすごい人で、私は母はこのおばあさんに一番似ているのだと思う。90歳を過ぎて外見も似てきたが、特に気が強いところがそっくりだ。
もっともばやんの方がしっかり者で、気前が良く働き者で、正義感が強くて、母のように手抜きしてはさぼることばかり考えたりはしないけれど・・・。

ばやんは当時の人としては長生きで88歳まで生き大往生だった。


オババが結婚して私たちが産まれた後も時々、腰が90度に曲がって地面に顔がくっつくのではないかと思われるような姿勢で杖をつきながら孫娘である母の所にやってきた。背中には行商のような大きな唐草模様の風呂敷包みを背負い、胸でしばって棒のような細いがに股の脚がスカートの下で踏ん張っていた。(昔、東京ぼん太っていうお笑い系の役者さんがそんなスタイルで売っていたっけ)中には野菜やお米や色々なお土産がどっしり!
あんな小さな身体で、よくまああんな大きな荷物を背負えるものだと、つくづく感心するのだった。

その頃のばやんはもうしわくちゃで、腰は曲がっているし頭はキュッとひっつめて後ろで丸めているし・・・長野の市街地に住む私には、まだ小学校にも行かない子供ながらもとてもド田舎のみすぼらしい老婆に見えたものでちょっと格好悪く感じたのだった。(どう見ても典型的な漫画のモデルになれそうな、めぞん一刻のおばあさんみたいなイメージ)が、今の私にしてみると完璧な逞しい老人の姿で本当に後光がさして素敵だ。
豪快で正しくて心が広くて勇気があって、怒ると恐いけれど私にはいつもとても優しかった。

母が、若くて家を出てしまった私の娘をことのほか可愛がってくれる姿は、小さい時に母親をなくした自分にかけられた長谷のばやんからの愛情をそのまま彼女にあげているような気がしてならない。

『孤独』を分け合うことができて、その孤独を知っているから、いっぱいいっぱい愛してあげないといけないと思っているのだと思う。

この勇ましいひいおばあちゃんの曾孫娘である私も顔や体格は似ていないが多分に血を引いているような気がしないでもないのだが。

やはり隔世遺伝で行くと、母とばやん、娘のWの路線でつながりとても強力な遺伝子を受け継ぎ、私は早死にした色白で美人で薄幸だった、葉萬枝さんの劣性遺伝子の方をもらったのかも・・・

いずれにせよ長谷の一族は、こんなに気持ちのきれいな人々はいないと思えるほど心の穏やかな優しい家系なので、そちらの遺伝子を引き継ぎたいものだ。(例外が身近にいるけれど)



2012年10月8日月曜日

パーカー『ソネット5th』 ~ 第5世代のペン

今まで愛用していたZebraのジェルインクボールペン(JX-0.5 WR-3B1-JX)、万年筆のようなペンで細身で書き心地が良く、自分に馴染んでいたペンの替芯が手に入らなくなってしまった。

随分前から店頭にはないので、いつも文房具屋さんに10本単位で注文して取り寄せていたのだが、そちらに行っても、ない!
1本でも時には数ヶ月は持つから、もう20本以上は使ったと思う。何年間使っていたのだろうか?

在庫を求めてネット上をあちこち探したがもうどこでも手に入らなかった。ゼブラに問い合わせたが、もう社内在庫は一切なくなり、生産は打ち切りになって一年以上になるということだ。
互換性のある替芯もなく、書き心地の近い物もなくなった。
「が〜〜ん!」こういうショックは久しぶり!!

とてもガッカリしていた。
とにかく書き心地の似た物を探す意外にこのストレスは消せない。

私はとても字を書くのが速い、自分の思考力に付いて来てくれるペンでないと、速さと頭が一致しない。ただ滑るように早いだけでも駄目で、濃さとか筆圧とかが反映されるペンが好きだった。それにはこのペンが最も相性が良かった。
ノートを取るとき、考えをまとめる時・・・

きちんとした手紙やハガキの時は、何十年も使っているモンブランの愛用品の万年筆がある。

そんな事実にがっかりしていた折(一昨日)、Kzさんが「伊東屋へ行こう!」と誘ってくれた。
「どうしても薦めたい物があるから、試しに行ってみよう」(毎日英字新聞を読んでいるKzさんの情報はいつもとても早いのだ。

そして、、、10月6日限定店のみでの先行発売の開始直後(一般の発売は12月ということで、売り場の方が「まだ宣伝されていませんよ〜情報早いですね〜」とビックリしておられた)銀座の伊東屋で全く期待しないでペンを取り、書いて又、、、
「ががが〜〜〜ん!!!」と来た。

「えっ?これ・・」

その名も "パーカー ソネット5th"    第五世代のペン

書いた途端、笑顔に変わった。
自分の書き味が戻って来て・・・幸せ。
(白、シルバー、ゴールドの3色あったが、ソネットパール(白のパール)の細字を選んだ)
とても素敵な自分のペンが手に入った。ニッコリ♪

先日奥社に行って気持ちの整理がついてから、Kzさんの実体が見え始め、少しずつ自分の心が戻ってきている。

私のために何かをしてくれたからというわけではないが、改めて、久しぶりKzさんに感謝の私です。

ご本人、「僕でもたまには役にたつでしょ?」

あとがき: この後コメント欄で私のお気に入りのZebraのジェルインクボールペン(JX-0.5 WR-3B1-JX)の書き味に近いレフィルを教えてくださった方がいて(manmaさん)すぐに購入しました。とてもいい感じでパーカーをやめてそれに移ってしまいました。それから10年近く今でも愛用しています。(2021/8月)とてもありがたかったです(ceramic roller  オート C-300)

2012年10月5日金曜日

シニセの不良息子 〜 ビートルズ

50年前の今日、10月5日にビートルズは初めてレコードを出したそうだ。

私が初めて意識してビートルズを聴いたのは、中一の時だったから、最初のレコードから少し経っていたのだろう。

今日の日経新聞の朝刊の『春秋』に:詩人の草野心平はビートルズのファンでもあったそうだが、「ビートルズはイギリスという地球のシニセに生まれた言わば不良息子だった」と言ったらしい。
そして、イギリスはその不良息子に救われた。つまり外貨を稼いで傾きかけた国に貢献し女王陛下に勲章をもらった。

ラ、ラヴミードゥ ラ・ラヴミードゥ ラヴ・ミー・ドゥ♪
あのハーモニカの音とともに始まるあの曲がA面だ。
そのジョン・レノンが吹くハーモニカは彼がオランダで万引きしたものだそうだ。

面白いエピソードだ。
世の中を救うのはワルだってことかな?


先日の読書のブログの本に書いてあったが、ビートルズの曲は心地よい528HZの周波数に調教してあるそうだ。だから聞いていてあんなに気持ちが良いらしい。

彼らは私が天才だと思う人々の一つだ。そしてやはり4人で一つのかたまりであり、ソロでは成し得ない特別なハーモニーなのだ。

先日車の中でじっくり聴いたが、何回聴いても何歳になっても全ての曲が新鮮だ。
心底偉大だと思う私。

CDでいつでも聞けるのが、本当にありがたい。
歌声は永遠に!

洗濯機 カウンター片付けたら ゴミの山! 〜 montón de basura

いやあ、まいった!

昨日洗濯機の設置が終わった。
エレクトロラックスの人が9時からみえるというので、頑張って周りを片付けたけれど、カウンターの上の物だけでもゴミの山だ。

それを別の所に移動させないと、その場所が空かない。
工事をするスペースも確保しないとならない。

どうしてこんなに物を取ってあるのだ!
紙袋、スーパーのレジ袋、ポケットティッシュ(街頭でもらったもの→これだと鼻の下が真っ赤になるので、更に自分で買っている。アホか!)きれいな包み紙、ホテルの歯ブラシやヘアーブラシ、試供品のシャンプーやリンス、使い古した雑巾用タオル、穴のあいた靴下(靴でも拭いてから捨てようと思っている)、スペアに買ってある洗剤・・・きりがない。

ほとんどが捨ててしまっても全く問題のない物ばかりだ。
でも一つ一つ見ていくと、これはこういう時に使える、あれはああいう時に使える、せめて一度拭いてから捨てよう・・・等とどうもとっておきたい気持ちにかられるものが多く、それを横に追いやるとそこに新たなゴミの山ができる。
まさに、montón de basura だ。(何故かこの言葉をサラマンカ留学中に覚えた!)


オババの家の整理に行った時を思い出した。
いつもトラック一杯になりそうなゴミを一人で整理し、オババは横で雑巾を持ってウロウロしていた。
玄関はゴミの山! montón de basura だ。
そして、「ソラちゃん、すごいゴミだね。よくこんなにとっておいたものだわ」
と目をまん丸くして驚き顔になる。(もちろん私の上を行く取っとき虫だけど)

人の物だと、さっさと捨てられるのに不思議な気持ちだ。
人生そんなものかもしれない。

さて、試練のとき!
片付けよう!
捨てよう!
身軽になろう!
そして、捨てられない人は、もうできるだけ物を増やさないでおきましょう!

2012年10月3日水曜日

『君 気持ちを 大きく もとう』 by  毎田周一

Kzさんが机の上に何気なく置いてあったこの本、思わず手に取ったら終わりまで読んでしまった。



宗教家だけあって、その文章には体温があり、風のように心の中に入り込んできた。そして、生命力を吹き込んできた。

毎田周一先生はKzさんの家には縁が深く、当然そこに嫁いだ私にも間接的に実に大きな影響を与えた人物だった。嫁ぎ先の空気そのものでした。

気になった作品を:(うん、うんと思ったり、本当に苦しい時に確かにこんなこと考えて抜け出したなあ〜と思ったり、真理だなあ・・・)


『もっともなこと』

人のことは人に任せておいて
君は君のやりたいことを
やってゆくのさ
闊達に 雄大に


『達人』

頭で考えたことを
本当のことだと思って
それに捉われて苦しむ
愚かなひとがいる

また考えて何かをするという
御苦労なひともいる
感じたらそこに自然に
することは出てくるのに

頭の一隅で考えたこと
それを観念論という
直観だけが生命の全体に
触れていることを知れ

自分の全体をすっかり
直観に任せてしまって
やってゆくひとをこそ
達人とは言うのだ−−


『他力自然』

自分で力を入れさえしなければ
物事は順調に運んでゆく
本当に自分の邪魔をするものは
この自分のほかにはない

自分で何もしないのに
どうして事が成就してゆくのか
自分の邪魔を取り除けば
他力が自然に働いてゆくからだ

自分で何もしなかった人 道元
只管打坐とは何もしないことだ
そして親鸞 念仏とはただ
如来の働きを仰ぐことのみだ

困難が起こったら そんなことを
相手にしないことだ
それにそっぽを向いて ただ
自分の好きなことをやってゆけ


『自由と平和』

むつかしい顔をすることは、少しも要らないのである。
いつもにこやかな顔をして、
すべての人に向かえばよいのである。

むつかしい顔をするのは、
ただその人の度量の小ささを語るのみである。
私はかくもケチな、チッポケな人間です、
というばかりである。
狭っ苦しい殻をかぶり、われとわが世界を縮めているような、
せっかく生まれてきた人生を、
いつもこせこせと、しみったれて生きているような、
小人ですと、告白するばかりである。

微笑は自由の象徴である。
一切を容れて世界とともにいきるものの歓びの象徴である。

平和は、この微笑から来る。

========
*無意味な力が抜け、不思議なエネルギーが湧いてきます。


2012年10月2日火曜日

『天地明察』

今日は珍しく家事以外に何もない日!
まだ洗濯もできないので、掃除だけすませて、、、
来週の月曜日は体育の日で、スペイン語が休みのため気が大きくなって映画を観て来た。

『天地明察』

おくりびとの滝田洋二郎監督の作品だし、岡田君が出るし、事情通の友だちが豪華ゲストの割に名前負けしていなくて面白かったって言っていたし・・・といつものバウスへ行って来た。

何だかアレクサンドリアみたいだな?などと、全く違うにもかかわらず思った私。多分科学者の姿には何ら共通性があるのだろう。

今までにこの人物を題材にした作品はなかったので新鮮みがあり、爽やかで確かに面白かった。
前回の作品と違って、エンターテインメント性が高いかな?(実は映画に関してはエンタメ派ではない私)

宮崎あおいさんは不思議な女優さんだ。
どんな役をしていても、どんと落着いて肝が座って見える。
たそがれ清兵衛の宮沢りえさんも良かったが、人の目に負けずに堂々と自分の生きたいように生きる女性には惹かれる。

笹野高史さんと岸辺一徳さんは本当にうまい。余貴美子さんと同じで映画でもテレビでもどこかに必ずいるのに全く飽きない。しかも何気ないのにとても大事な役割をしながら。

テレビで時代物が大好きな私は、どうも映画の長さにそれを納めた時に何か違和感を持ってしまう。短くなるとストーリーを追って疲れてしまうのかもしれない。テレビと映画では時間の流れが違う。
『蝉しぐれ』もテレビの連続物の長さが好きだった。
『JIN(仁)』なども、映画になったら観ないかもしれない。
『SP』や『踊る大走査線』も時代物ではないが、テレビの方がずっと面白かった。

でも、映画にはテレビにはない映画の良さがある。
今日はいい気分転換ができた。


それにしても、どんな作品でもどうしてお公家さんというのはああも小煩くて意地悪でおじゃるのだろうか?
電信柱にかたまってカーカーやっているカラスを見ると、どうしても麻呂にはお公家さんに見えてしまう。



2012年10月1日月曜日

我が家の世代交代⑥洗濯機 〜ビルトイン家電の功罪

ついに来た、6台目の世代交代は、洗濯機!

まあ、何度もベルトが切れて修理しながら15年も使ったから仕方ない。
我が家はスウェーデンハウスで、当時(15年前)はシステムキッチンなどが盛んで、家具などもシステムが流行っていた。
そんなこともありキッチンだけでなく、ユーティリティルームもみんなビルトインタイプにした。

エレクトロラックスの洗濯機は当時ではまだ珍しいドラム式で、のんびりムードで洗濯するので、時間は最短でも1時間20分くらいはフルにかかる。しかも途中から洗濯物を追加して投げ入れることができないから、「あ、これも!」と思ってももう遅い。次の洗濯まで待たねばならない。

最初の頃、待っても待っても終わらない洗濯にイライラして、もっと短い洗濯時間にならないのか、悩んだものだったが、こうして15年も使っていると、そういうものだと慣れて来たし、衣類が全く傷まず、しかもお湯で洗えるのでとてもきれいに洗濯できるので、又同じメーカーでと思うから不思議だ。

ところで我が家は、洗濯機、乾燥機、レンジ、オーブングリル、食洗機・・・みんなビルトインタイプなので、見た目は良いが交換ともなると全部工務店を遠さなければならないので、費用はかかるし、見積もりを出してからの取り寄せになるので設置までに時間がかかるのが問題だ。

先週の水曜日にガタガタすごい音がし始めたのでもうすぐ壊れる、と直感したが、工務店が定休日なので翌日まで待った。ところがその日の朝の洗濯で水漏れが始まった。
多分後ろの排水ホースがあまりの振動ではずれたのだと思う。これでは、もう使えない。

修理ならば直ぐに来てもらえるが、今度壊れたら交換すると決めていたので、一番で工務店に電話をした。直ぐに手配し、翌日メンテナンスのサービスの人とエレクトロラックスの担当者が見に来てくださった。 
その場で見積もりにサインをし軌道に乗ったので、その翌日には大丈夫かな?と思ったら、土日をはさんでいるので休みの上、週明けが棚卸しだということで、今週の木曜日に設置とあいなった・・・やれやれ。外国の会社はしっかり休みを取る。

普通の量販店の電気屋さんへ行けば、多分その翌々日頃には設置してもらえるのだと思う。
この時期の洗濯ができないのは、マジきついので参った。(便利さに慣れたと反省)

洗濯は手洗いで良いのだが、脱水がないとどうしようもない。
若い頃の下宿生活では洗濯機がなく、いつも手洗いして干していたので、下の部屋のおばさんから「雨が降って来たのかと思った」といつも苦情をもらっていた。
そして「お願いだから家の脱水機を使って脱水して欲しい」と頼まれ、仕方なしに使わせてもらっていた。
40年前でも脱水機は必需品だったのだから、今では尚のこと絶対必要だ。脱水無しで干した厚手のタオルなど幾日も湿ったままだ。

お陰さまで、シーツもバスタオルも洗えない。
マットも洗おうと思っていたのにいきなりできず・・・イライラ。
Kzさんは「一週間洗濯をしなくていいんだ、と思いなさい!」と暢気なものだ。

けれど、その後の溜った洗濯物の何回分かの洗濯を思って下さい! やるのは私です。最低でも1時間20分以上かかる超スロー洗濯機が、6回使ったら8時間ですよ。

などと思いながら、「ま、いっか!」と既に思っている私。
何でも受け入れてまいりましょう。
汚れ物で死ぬ訳でもないしね。

[追記]

新しい洗濯機が納まりました。

入った洗濯乾燥機は、エレクトロラックスのEWW1273ビルトインタイプ。
まだ壊れてない古い方の乾燥機と並んでいます。

が、今までのペアの乾燥機とはちょっと感じが違うので、前面に少し飛び出て、二つ並んだ時に昔のように美しくないのと、相変わらずの洗濯時間で、短くても木綿製品の軽い汚れで一回分の洗濯、乾燥なしで1時間半ほどかかるのが・・・

でも、きれいに仕上がるし洗濯物が全く傷まないので良しとしましょう!!
人生急いでも仕方ない、気長に、気長に。

わあ〜〜い、やっと洗濯ができるよ〜!
晴れてて良かった。


2012年9月24日月曜日

松岡さんがここにも・・・うちのダンナ、超変人 〜loquisimo!

『梅ちゃん先生』の松岡さんは、変人扱いされていて、以前やったTV番組『結婚できない男』の阿部寛が演じた桑野さんも超変人で、二人は実に似ている。
と思ったら、同じ尾崎将也さんの脚本だ。私はこの人の作品が好きなのです。

どちらもその変人ぶりが実に誠実なので、思わずクスッと笑ってしまうような何とも憎めない、けれど近くにいたら迷惑だろうな?と感じさせる人々だ。

ところが、その変人ぶり、どうも慣れ親しんだ感じがすると思ったら、うちの旦那さまKzさんにそっくりなのだ。私はこんな変人と、結婚する前からも含めたら40年以上付きあってきたのだ。よくよく考えると、そのお陰で随分迷惑を被ってきた。だって私は極めて真面目で誠実な普通の人間なのだから。

最近、とても人生に疲れていて、本気で「私離婚しようかしら?」と考えていた時があった。Kzさんが抱えている問題が重すぎてしかもナガ〜くて、私まで疲れきってしまったのだ。もうこれ以上付合いきれない、少し離れたいと思って、時々サインを送っていた。

しかし、彼は全く気が付かない。

ある日、いたたまれなくなって、
「これ以上こんなに仏頂面の無言の毎日が続くなら、私は家を出て行きます。だって私影と暮らしているみたいですから気が変になりそうです」と言ったら、
「ソラさん、最近なんか脅迫じみたこと、よく言いますね」と来た。
「脅迫じみたことではなく、本気なのです。涙の訴えです。」と言っても全くピンと来ない。直訴の通じない代官を相手にしているみたいだ。

彼の思考の中には、そういう選択肢は全くもって存在しないのだ。つまり私は何が起きても『側にいるもの』と固定されているらしい。
一種の偏見、いわゆる思い込みなのだが・・・

今回の軽井沢は、自分の心を空っぽにしてぼんやりしたかった。
昨日は、ここ何ヶ月も二人で何処へも行ってないので、若い頃良く行った戸隠の奥社に行きたいと言い、、、一日だけの二人の夏休みだった。

アメリカでお世話になったサリバンご夫妻が日本にみえたとき、まだ生まれて間もない息子をエルシーが抱っこして娘の手を引いて歩いたのが最後だから、多分30年近く行ってなかったことになるだろうか?

何と、ここ数年パワースポットとかで、原宿並みの行列だと言うから、ガッカリだが、昨日は雨降りだったので、お陰さまで大分人出が押さえられていた。

何か心の清算ができたかというと、「???」甚だ疑問だ。

しかし、運転する彼の隣に座っていて、その奇癖というか、こだわりというか・・・例えば何件もGASスタンドがあるのに、みんな通り過ぎて、なかなか入ろうとしない。

「今のところにどうして入らなかったの?」と聞けば、
「あそこの会社のガソリンはなんだが薄いような気がして、嫌なのだ」と根拠もないことを平気で答える。
「次のは?」
「みすぼらしい」
「・・・」
以後聞くのを止めたが、多分一つ一つ入らない理由があったのだろう。
結局相場の高い軽井沢まで来て、入れた。

奥社で植物園の遊歩道に入ったら、雨だから人一人いない。
途中で「熊が出ます、目撃情報あり、注意!」なんて写真付きの標識があるから、向こう側でガサガサなんて音がすれば、恐くて、、、少しでも早く林を通り抜けたい私。
「どうして、こんな雨の日に奥社に来て、しかも誰もいない横道の林道に入るの?」と本気で怖がって急ぐ私に、暢気に「水芭蕉はこっちみたいだ」なんて今にも行きそうな気配。
私はハラハラしながら、人の居る所まで出て心からホッとしたのだけれど・・・
「今度は冬来よう!」と満足そうだ。冗談じゃないぜ。


後で、ほんとに恐かったのだと訴えた時
「えっ!?ソラさん本気で怖がっていたの?へえ〜〜、ソラさんでも恐いものあるんだ」と真剣に感心されたからたまらない。今までイノセントに彼の後を付いて行って、どんなに危なっかしい思いをしたことか。
そんなことは全くお構いなしで、私を何にも動じない豪傑だと思っている。これでも『女性』ですねん!

まるで松岡さんか阿部ちゃんと一緒にいるような、何だか動かしがたいものを感じて、そうかこの頑固さに家族全員がふり舞わされて来たのか?本人は全く罪悪感がなくて、変人なだけなのだ。と初めて気が付いた。

ご本人は、極めて自然体で生きているだけで、、、

私の人生観が変わった瞬間だった。



あのすごい雑草の海原をすっかりきれいに刈って、


更に、何だかわけの分からない灌漑設備を思い立ち、ご太いホースを通して・・・どうも苔庭を造ろうと思っているらしい。もう、あっちの世界だ。でも、無心で一生懸命なので許してやろう。

こういう人の頭の中は凡人には分からないから、相手は松岡さんや阿部ちゃんだと思って、放っておこう。
離婚はいつでもできるから、諦めの境地に達して受け入れて、私ももうすこし『いつも側に居る人』でいようと思う。今までと違うのは、決して『我慢しているのではない』ということ。

迷惑なのは子供たちだけど、いつか分かってくれるといいなと思う。

2012年9月21日金曜日

二ヶ月ぶりの軽井沢 ~雑草の海原とツルヤ

このくそ暑い夏に、2ヶ月も軽井沢の家に来なかった。
私は「ここは避暑地なのです!」と言いたい。

我が夫のKzさんは人一倍の天邪鬼で、冬はほいほいやって来るのです。

Kzさんがとても疲れていたのと、混んでいる所嫌いと、アメリカ出張もあったりで、すっかり遠のいていた。
一番は、アメリカへ行く前に交通事故のリアルな夢を観て、丁度運転をしたくない時だったので、軽井沢への道は処断されたままだった。

うまい具合に、パネルヒーターの冬に備えての点検と、以前から予約が入っていた二階のドアの交換もあったので、今回やってもらうことにした。

昨夜遅く到着。


前回来た時に、ブヨに刺されながらあんなに頑張ったのに・・・もう、雑草に埋もれている。今度は信州で通称"赤まんま"と呼ばれているこいつが海原のように覆っている。



あとは猫じゃらし。
虫に刺されるから、今日は働かない。

先程食料を調達にツルヤまで行って来た。
日頃紀ノ国屋へ行っても、このごろお決まりのものしかなくて、本当にワクワクしないのだが、今日は久しぶりのせいか、大喜びでカートに一杯買って来た。

たっぷりのお野菜、、、何種類ものきのこ、美味しいトマト大きな箱で一箱、夏の終わりに出て来るりんご、大好きな地元のベビーリーフ、面白いピーマン数種(ガブリエルという甘いピーマンにひしの南蛮という小さなものを山のように、、、)、朝取りのとうもろこしに、茗荷(紀ノ国屋は3個入りで298円もしているけれど、ここは30個くらい入っていて179円)! 信州産丸ナス、、、やれやれ、あげているときりがない。

「こんなに買っちゃって、全部食べれるの?ソラさん。」

帰りに銀亭によってパンを色々。ここのパン美味しいのだ。
「クリームパン、ちょうど焼き上がりましたよ」なんていうものだから、つい一つ。ほっかほっかのクリームパンを頬張って!

最近どこへ行ってもあまり買う物がなくて困るのは、ここが安くて美味しいので、つい比較して手が出なくなるせいなのだろう。

フルフォードさんも言っていた。
「新鮮で元気な野菜をたくさん食べなさい、薬付けじゃなくて、元気なものでないと駄目ですよ」って。東京のスーパーに並んでいる野菜諸君は一見そろっていて美しいけれど、ここのものと比べると、明らかに元気がないのだ。

美味しいからって、食べ過ぎて太るのはもっと危険、軽井沢に来るといつも体重が増えるのが問題なのだ。さてランニングに行ってこよう。食べたエネルギーは使い尽くそう!

夏講座も終わって今週は早稲田が休み、最後の夏休みだ。
今回は勉強しないで、運動と読書と休養に徹する!

2012年9月18日火曜日

『いのちの輝き』 〜ロバート・C・フルフォード博士


この本は私のバイブルだ。
私は子供の頃から、訳の分からない不調に苦しんで来た。頭痛、腹痛、下痢、痙攣、しびれ、訳の分からない痛み、湿疹、貧血、めまい、肩凝り、呼吸困難・・・とにかく色々な症状があるのだが、病名を貰える程の病気ではない、しかし具合が悪い。

頭痛がない時などなかった。小学生のくせに常に頭痛薬と百草丸を持ち歩いていたし、肩凝りがない事もなかった・・・

根性がないからだ、と思って頑張っていたら、意識をなくして倒れたこともあったし、貯蔵鉄がゼロになって入院したこともあった。短距離は速いのに、100mを超えると急に失速し、400m走は気を失った。
大好きだったバスケットボールもシュートは入るのに、体力が続かなかった。

そんな繰り返しで大人になり、結婚して子供を産み・・・しかし体調の完全回復はなかなか訪れなかった。どこかが常に調子悪いのだ。頑張る気力がどうやっても出ない。

5年程前になるだろうか?
丁度サイマの施療のお陰で少しずつ体調が整って来た頃、
Kzさんが買って来たこの本を手にした時、何かに吸い込まれるような思いで引きつけられ一気に読んだ。そして病名を貰えなかった自分の悲しさは、仮病でも自分の精神が弱いのでもなく、本当に調子が悪く、なるべくしてなったこういう体質であることを知った。

雨の前の猛烈な頭痛も一笑にふされないで、きちんと相手にしてもらえる。
だって、博士ご自身が私と同じ症状なのだから。

何回か読んで暫く手にしていなかったが、又読みたくなったので家中を探したが見つからない。そう言えば息子のKが来た時に持って行った本の中にあったような気がするので、もう一冊amazonのマーケットプレイスで買った。
貴重な本なのか中古でもあまり安くない。

この本によると私の不調の原因は産まれた時の難産と母親の命を救う為に放っておかれた、窒息の時間が長かったことにあるらしい。母を助けた後、駄目だと思ったほとんど石の固まり状態だった真っ青な物体のお尻をピションピション叩いたら産声をあげたらしい。

この空気を吸えない時間が長かった赤ん坊は、人生最大のトラウマを出生時に持つ事になり、きちんとしたケアをしないと身体のあちこちに歪みをもたらし一生に渡って影響することになるという。
又、このトラウマになっている窒息の苦しみがよみがえり自殺する可能性がとても高いということだ。

余談だが、私はうちの娘Wのうぶ声ほど素晴らしい声を聞いた事がない。映画の感動的な出生のシーンでもあの子の声には叶わない。
スウェーデンのヘンリー・M・トゥルビー博士によると、うぶ声がすべてを物語っているそうだ。あの力強い、澄んだ、生命力あふれた声は、今でも私の耳にしっかり焼き付いていて、とても気持ちがよかった。お産のスタッフは歓声を上げた。
録音しておいてみんなに聞かせてあげたかった。

しかし、実際私には誰も付き添っていてくれなかったので、みんなあんなに素晴らしいものを逃した。Kzさんにあんなに感動的なことはないと言って、息子のKの時に立ち会わせたが、全く違ったいじけた弱々しい声だった。

そう言えば、彼は今は何処から見てもとてもたくましいが、デリケートで3歳くらいまでは弱虫の泣き虫だった。身体もお姉ちゃんより弱かったし、色々手がかかった。
もっとも、このお姉ちゃんはあまりにも勇敢すぎて、今でも紐の切れた凧状態で世界中をすっ飛びまわっている。

このうぶ声の対比は今でも時々笑い話で出て来る。

話をフルフォート博士に戻そう、私はこの本を通して、自分の不調の原因を知ったら、とても気持ちが楽になり、生きるのが辛くなくなった。

身体の気の流れをブロックするものを取り除いて行くこと、自分で少しずつコントロールしながら、完全ではないが、修正して行こうと思う。そしてどうしてもうまく行かないときには、サイマの力を借りたり、酵素温浴や温熱療法の力、あるいは村津先生の歯の噛み合わせ治療の力を借りてどうにか生き延びていけそうだ。

しっかり自分の身体と向き合うこと。身体の声に耳を傾けること。
そして、時々この本を取り出して軌道修正すること。



2012年9月11日火曜日

¡Qué agradable! 〜ha terminado la clase

"La casa de los espíritus"の映画のクラスが今日で終わった。
すごい迫力だった。同じ大作でも、こういう奥深い作品は大好きだ。
それに、ラテン系の作品ならではのマヒコの世界の面白さもふんだんだ。

私は、原書と、木村榮一さんの日本語訳の『精霊たちの家』とスペイン語の映画とスクリプトの四本立てで行ったが、本当に充実したクラスだった。

スクリプトから原書にある部分を拾って読み進めて行くと、映画のストーリーが出来上がる。ブランカとアルバがくっつき、ペドロとミゲルがくっついたが、決してもとの作品を損なうことなく、うまく仕上がっていた。

イサベル・アジェンデの処女作ということだが、そのスケールの大きさに改めて感動した。彼女の背後に実話があり、チリの歴史があり、大統領サルバドール・アジェンデの親族で亡命せざるをえない状況であったがゆえの苦しみの末に書けた作品だと思う。この作品は彼女以外には書けないのだから。

改革派が長年続いた保守派を倒し、アジェンデ政権が誕生し、その後クーデターでピノチェトに倒されるという、激動の時代だ。

エステバンは野心家で、自分の思う通りに生きてきたが、その強さの為に多くの罪を犯した。そしてその罪により生じた恨みから来る復讐の連鎖が、復讐心が復讐を産み、自分に返ってくるのではなく、家族や自分の周りの大切な人々に及び、それが孫の代まで続くという事実に直面する。

しかし、その間娘のブランカもやはり自分の生き方を貫く為に父親と対立し続ける。逆に考えると彼女の行動が同様に父親を苦しめているということにも通じる。

結局、家族を失い、権力を失ったエステバンは自分が犯した罪の大きさに気づき、心から悔い、苦しみ、娘をどうにか救ってあげたいとプライドを捨て頭を下げ、奔走することになる。
娘のブランカも精霊になった母のクラーラの助けを借りながら戦い抜き、父のせいで自分にふりかかった非常に痛ましい復讐の連鎖を勇気を持って断ち切るのだが、、、そう、誰かが勇気を持って恨む事をやめないと、一生戦いが続く事になる。

死ぬまで夫に口をきかなかったクラーラが、絶望のブランカに向かって「憎んではいけないわ、あなたのお父様は決して根っから悪い人間なのではなく、エネルギーがありすぎる(demasiada energía)だけなのよ。だから私は今でも愛しているのよ。」と言う場面が忘れられない。
メリル・ストリープのクラーラはとても素敵だ。特に精霊になってからの彼女の存在感は私たちの心まで包んでくれる。「死ぬということは、産まれることと同じなのだ」と。


"憎んではいけない" 、これは日常の小さなことでも同じだと思う。
私たちの心の中にチリの国家の小さくなった部分が存在しているのではないだろうか?

そしてみんな自分のところで、その "la cadena de venganza " (復讐の連鎖)を断ち切って行かねばならないのだと。だってブランカが受けた仕打ちに比べたら、自分の心の中での仕打ちはまだまだ打ち勝てるものかもしれないのだから・・・。

キャスティングは本当に見事だった。いや〜な人は、私の憎しみが移るくらい嫌でぞっとしたし、アルバの清楚さには心が浄化された。ペドロの父親は心から信頼できたし、クラーラとフェルーラには脱帽だ。
そして、エステバン役の、ジェレミー・アイアンズは若い頃の彼を見るとビックリしてひっくり返りそうになるほど見事に演じきった。

パトリシア先生、¡Muchas gracias!

2012年9月9日日曜日

O型一族 〜A型嫁一人 

私は全員O型のファミリーに嫁いだA型の長男の嫁だ。
血液型を信じるわけではないけれど、両親、夫、妹二人、弟、全員O型だ。

そして、もっと枠を広げると、下の妹のダンナさんも弟のお嫁さんもO型なので一族17人中12人がOで、残りの5人がA、つまり上の妹のダンナさんと娘、私と家の子供たち二人だ。
この中に居ると、血液型ってあるのかも・・・とつい思ってしまう。

金曜日から、軽井沢へ行っていた。
サンパウロから一時帰国中の下の妹の歓送迎会で、姑、妹二人、嫁二人の計5人の女子会。こういう組み合わせで何処かへ泊まりがけで行ったのは嫁いで35年以上になるが初めてだった。

姑の提案で日時を決定するまでは全て彼女が仕切っていたのだが、気が付くと切符を取ったり、お弁当を手配したり、道順を考えて待ち合わせの時間を決めたり・・・全部自分がやっていた。
長男の嫁ということもあるのだが、みんなが譲り合う傾向にあって自分で決めようとしないので、このままバラバラやっていたら、何も決まらず絶対何か起きてもっと厄介なことになると思いいつの間にか全部やっていた。

もちろん、何もかもスムーズに行き、OK! 楽しく終わった。

しかし、気が付くとホテルに着いてからも、何かを決めたり、部屋を出る時に鍵を持ったり、お食事中のお料理の説明をするのにおしゃべりの切れ間がなく困っている係の方を見かねてみんなを黙らせたり、帰りの車の手配をしたり、みんなが譲り合っていつまでも決めかねているお部屋の眠る場所を決めたり、忘れ物がないか最後のチェックをしたり・・・

「お姉さん、委員長タイプでしょう」と言われ、
「そういえば、いつもクラス委員してたわ〜」とみんなで大笑い。

みんなおっとりしていて善い人ばかりだし、あのまま成行き任せにしていても指定の新幹線に乗り遅れる程度のことしか起きないだろうが、、、A型長男の嫁の試練はまだまだ続きそうだ。

というか、このファミリーでの私の役割って『この大ざっぱさの中に潤滑油としてちょっと細やかな配慮をすること、何だか分からないけれど、お姉さんに任せておけば安心、全部うまく行く〜』みたいな信頼感なのかもしれない、とふっと思ったりした。

でも、問題は自分も性格的には全部やってもらってのんびりしていたいタイプだってこと・・・何でもやってくれる父の後を安心していつもくっついていた。これではもう一生どこへ行ってもお姫様気分でのんびりできないってことだろうか? 
ああ、『リーガル・ハイ』の里見浩太朗さんみたいな執事が欲しい!

それにしても、やはり血液型ってあるのかも? あるいは単なる性格??
O型パワーはすごい!! 
なかなか意義深い旅であった。



2012年9月5日水曜日

映画まとめて8本〜その③最終 『スモーク』『汚れなき悪戯』

夏休みの映画まとめて8本の最後は、ポール・オースターが手がけた"Smoke"(邦題『スモーク』)と私がまだ子供だった頃の映画、1955年スペイン制作、あのマリセリーノの歌で有名な、"Marcelino pan y vino"(邦題『汚れなき悪戯』)



Smoke
は以前から観たいと思っていた。
上智の英語、映画のクラスのKevin先生が「ポール・オースターが好きなんだ」と言った時に、「私、ムーンパレス大好きなんだけど」と答えたら
「オオ〜、ソラさんもそうですか〜」とても嬉しそうだった。そしてその時、
「Smoke観た?」と聞かれ、「No, まだ観てないんだ」と答えてから、ずっと気になっていた作品だ。

ポール・オースターは昔娘がまだ家に居た頃、「多分ソラさん好きだと思うよ」と言われ、『孤独の発明』を買って来て、読んだ。そしたらとても難しかった。でも柴田元幸さんの訳にはまって、結構オースターの本を読みあさった。

ところが、Kzさんがもっとはまってしまい、今度は原書で読み始め、詩の翻訳までやってしまった。ごひいきを取られた形になったので、彼は彼に譲った。
私の実力では原書をさっさと読みあさるまでは深入りできなかったのでちょっと悔しかった。

先日、仲良しのWhoちゃんと話していたら、たまたまこの作品の話がでた。彼女はハーベイ・カイテルが好きなのだ。(私にとってもとても気になる役者さん)
そしたら、何が何でも観たくなり、Tsutayaで探したけれど、なかったので、amazonでDVDを買ってしまった。これでいつでも好きな時に何回でも観る事ができる。それくらい繰り返さないとどうも理解できない、一回では難解な映画だった。

珍しく、Kzさんが眠らなかった。

映画の中には、P・オースターが一杯詰まっていた。彼の世界に足を踏み入れた人はどっぷりその世界に浸れる。
『幽霊たち』の町の雰囲気なんか感じられて、彼の作品の登場人物がそのままタバコ屋の常連客になっているみたいだった。

映像の場面場面がモノクロの写真を観ているみたいで、その世界がたまらない。

今の私は浸っているだけで十分なので、
内容については、又2回目を観てから書こうと思う。


"Marcelino pan y vino"



は、私がまだ子供の頃に観た作品だ。
1955年のスペインから日本に上陸したのに何年かかったのか知らないが、長野に住んでいたのでもっとかかったのだと思う。果たして何歳で観たのか分からないが、子供だった。

マルセリーノの大きな目と、彼のイノセントな子供らしい好奇心とpureな心が印象的だ。

その頃覚えている映画に、『サミー南へ行く』とか、『わんぱく戦争』とか、『シベールの日曜日』とかあるから、10歳くらいでそれを観ていたということは、父親の映画好きが子供の頃から影響していたのかもしれない。

早稲田のスペイン語での大の仲良しのKさんにそのDVDをお借りした。
原書付きで、お借りしたが、結構読める!もっとも映画は日本語字幕付きだったから心配いらない。

「そうか〜、こういう作品だったのか〜・・・」

しかし、当時内容を理解していたかははなはだ疑問だが、50年近い年月の末、やはり頭や心がまだ柔らかかった子供の自分が多分一生懸命に観ただけあって、場面や映像は結構覚えていた。そして何よりも、あの『マルセリーノの歌』の挿入歌はバッチリだった。

いい映画は、いつ観てもいいのですね。


2012年9月3日月曜日

映画まとめて8本〜その② 『八月の鯨』『オリンダのリストランテ』『オーケストラ』

8月のお盆休みは、私には学校もないし結構『夏休み』と言える大事な休みだった。

お正月とGWとお盆休みしかまとまった休みのないKzさんにとって、今回はお盆休みが少し長く取れる大切な期間だったので私は少し期待していたのだった。いつもはせいぜい長くて3連休なので。

お正月は来客など忙しくて休めません。GWは細切れなので駄目。今回のお盆休みは珍しく・・・

しかし、甘かった、ソラさん!
Kzさんはどんとかまえて、全く家から出る気配無し。
「混んでいる時は外に出たくない」といつもの台詞。

それが、全く、全く以て外に出ず、私はほぼ1週間お三どん婆さんとしてこき使われ続けたのです。外食にも行かず、映画にも美術館にも散歩にも行かず、もちろん旅行なんて問題外・・・おまけに家の中は気迫の失せた旦那の重苦しい空気。

夜はうなされて寝言で起こされ、時々暴れてげんこつが飛んできます。(いくら夢の中でも許されない事もありますので)
昼は、「お茶いれて」、「コーヒーは?」、「お昼まだ?」・・・おいおい

ついに幾日目だったか、私がイライラし始めたのを察してか、ビデオでも借りに行くか〜とビデオ屋さんに行きました。
そして借りたのが:『八月の鯨』『オリンダのリストランテ』『オーケストラ』の3本です。

KZさんと一緒に映画を観ても直ぐにいびきが聞こえてくるので面白くないのです。おしゃべりが嫌いだから終わった後の感想もあまり言えないし・・・でも家の中ならばいびきや寝言が聞こえても人目を気にしなくてもいいから、まだいいか・・・


『八月の鯨』

これは、以前Kevinのクラスで "Now voyager" という映画をやった時に、まだ若い頃のベティ・デイビスが主演で、その時に他にもこんな映画があると言われたのと、何人かの人に「八月の鯨観た事ある?」って聞かれたので、一度観てみたいと思ったからです。

作品としては、ジュディ・デンチとマギー・スミスの『ラベンダーの咲く庭で』を思い出させる雰囲気でした。当時この作品とそっくりの事件がヨーロッパで起きたので、よく覚えています。でもお年寄りばかりの出演なので、記憶をなくした若き音楽家に姉妹二人で思いを寄せたりしないので、比べるとだいぶ静かです。

出演はおじいさん、おばあさんばかりで、でもしっとり味わい深い作品でした。案の定退屈だったのか、Kzさんは直ぐにいびきをかき始め、ほとんど眠っておられました。

当時90歳のリリアン・ギッシュがけなげで可愛らしいおばあちゃん役で輝いていました。丁度ポーランドの映画『木漏れ日の家で』の当時91歳のダヌタ・シャフラスカを思い出し、女優魂をここでも感じました。
肝腎のベティ・デイビスは相変わらずの大きな目をしていましたが、相変わらず憎たらしく気難しく、もしかしたら地のまま?と思いました。



『オリンダのリストランテ』

リストランテと書いてあったので、イタリア映画だと思って借りて来たら、アルゼンチン映画でした。これが今回の3作の中では一番でした。
監督は、パウラ・エルナンデス、主演は、リタ・コルテセ。

オリンダはイタリア移民でアルゼンチンのブエノスアイレスで小さなレストランをやりながら暮らしている。少し人生に疲れて来ていて、レストランをやめようかと思っている時に、ドイツ人の変な男の子が恋人を追ってやって来るのだが・・・

食材やお料理がとても美味しそうで、画面を見て味を感じてしまうところなど、自分は食いしん坊なのだなあ〜と実感。

一番好きなシーンは、オリンダの常連客で夫婦なのかな?と思わせる絵の上手いおじさんがいるのだが、オリンダがイタリアへ行ってしまう前に、下宿人兼カマレロのドイツ人の男の子がそっとそのおじさんをオリンダの部屋に連れて行くと、その壁一杯に彼がナプキンやランチオンマットなどに書いたスケッチがぎっしりと貼られて埋まっている。

その、貼られた絵の壁が素敵で忘れられない。

見終わった後味がとてもいい。
働きずくめで自分がイタリア移民だったことも忘れ始めていたオリンダの再出発の姿がとても素敵だ。

幸せバズルもアルゼンチンの女性の再出発の映画だったが、おばさんが主人公なのも、なかなか素敵だ。


『オーケストラ』

これは、二年程前だったか、日本で上映されていたときに行こうと思って行けなかった作品だ。
ロシアの映画で、ラデユ・ミヘイレアニュ監督、アンドレイ役のアレクセイ・グシュコフ主演。美しいバイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ役のメラニー・ロランがとても素敵だ。

あれ、この痛快さ、喜劇だったの?と思わせるような、あのロシアでこんな作品作ってしまっていいの?よく通ったねえ?と思わせるような箇所がたくさんだ。風刺の聞き方が普通ではない。

目的があれば、人生こんないい加減さで突っ走ったら面白いのかもしれない。
ちょっとうまく行き過ぎているけれど、背負っている歴史の背景はとても重いけれど、、、。
楽団員のしたたかさと最後のまとまりを観たら、のだめと千秋さまのオーケストラを思い出してしまった。音楽はどんな重さを背負っていても、こんな奇跡みたいなことが許されるのかもしれない。

それにしても、あのロシアで・・・

映画まとめて8本〜その① 『アレクサンドリア』『幸せパズル』『ビューティフル』

スペイン語のお友達のAさんに3枚のDVDをお借りした。

『アレクサンドリア』



は、アレハンドロ・アメナバール監督の作品でレイチェル・ワイズ主演の大型映画だ。
ローマ帝国末期に信じられない高度な文化を持って栄えていたエジプトのアレクサンドリアという都市において、女性の天文学者のヒュパティアがその時代では信じられない生き方を貫く作品だ。
その崇高さと公平さと意志の強さと探究心の深さは、時代背景を考えるとひたすら『すごい!』としか言いようがない。

何だかジャンヌ・ダルクを観ているような気がした。
私は大型映画が好きではないので、友人に借りなければ観なかったと思う。『クレオパトラ』とか『サムソンとデリラ』『ベン・ハー』などの大スペクタクル作品は昔観てはいるが、自分の映画の好みとは違っているから。
しかし、『アザーズ』や『海を飛ぶ夢』のアメナバール監督の作品は大好きなのでその眼の持って行き方は素晴らしいと思う。


『幸せパズル』〜"Rompecabezas"



これは、2009年制作のアルゼンチン・フランス合作の私好みの小劇場向きの映画だった。
監督のナタリア・スミルノフは私にとっては初めてで、あまり彼女のことは知らない。

主人公のマリアはよくできた専業主婦、夫につくし、二人の男の子ももう子供ではなく自立の時を迎えている。そんな彼女の50歳の誕生日にもらったパズルが彼女を別の世界に運んで行くのだが・・・

普通の主婦が中年に達し、マンネリ化した自分の生活を顧みる事はとても大事なことで、人生の転機につながると思う。それが、パズルだろうがblogであろうが、写真であろうがキルトであろうが・・・自分が夢中になれるものを見つけ、楽しさを再発見するのはとても大事なことだ。

私自身も、上智や早稲田で語学や文学や映画の勉強を始めたのが40代後半に入った頃だったと思う。それがあるのとないのとでは、今の人生は全く違うものになっている。

マリアは結局は家族のもとに戻り、でも夫や子供たちを頼らずに自分の行動ができるようになった。冒頭のシーンのマリアと最後の田舎の土手みたいな所で一人で座り込み、生き生きと解放されたような表情でリンゴ(違うフルーツかもしれない)をかじっている様子は、とてもいい。
アルゼンチンと日本の女性の立場が似ているのか、妙にうなづけた。多分中年になっても女性が社会でもばりばり働いている国の女性が観てもどうってことがないかもしれないが、中年になって訪れる空虚感がある人々には何か響くだろう。


『ビューティフル』〜"Biutiful"


ハビエル・バルデムはやはりすごい!

これは2011年のメキシコ・スペインの映画だ。舞台はバルセロナ。何となく懐かしい風景がたくさん出て来る。監督は、『21グラム』や『バベル』のアレハンドロ・イリャニトゥ。かなりきつくて重い。

観ていて、「これでもか、これでもか〜」というほど重い。パトリシア先生とも話したが、本当に重い。画面も暗く、テーマも暗い。ハビエル演じるウルバスは悲惨そのもの。

けれど、彼がこの世に心残りのある死者の霊と交信できる事と、最初の雪の中で男(青年)とすれ違って、穏やかな顔をしてタバコに火を点け一服もらうシーンと、フクロウが死ぬ前に毛玉を吐き出すことと、母親の指輪を女性にあげることが、すごく印象に残り、あれはなんなのだ?と問い続けながら作品を見続けることになるのだが、最後に全部の意味がつながる。

指輪をもらう女性は、ウルバスの死ぬ直前で、「おばあさんの形見の指輪だよ」と言って託す自分の娘だったこと。それは、父親である自分のことも託すということだ。
雪の林の中で最初に出会った男性は、彼が顔も知らない、若い頃に亡命した自分の父親だったこと。
その時のウルバスがとても穏やかな気持ちのよい顔をしていたということは多分もうこの世に心残りはないということなのではないのだろうか?今の自分にできることはもうない。
ふくろうの毛玉はもう吐き出していて、死ぬ準備ができ、父と母のいる世界に戻って行ったのだろう・・・

それにしても、あれだけ抱えて生きるのは、本当に大変だ。心がすさんでくる。



2012年8月30日木曜日

認知症のメカニズム

今日おばあさんの所へ行っていて、気が付いた。

色々なタイプの認知症があると思うが、母の場合に限っては、ある時何らかの理由で自分で物を考えるのをやめてしまった時期があり、そのままにしていたら物を考える回路が遮断されてしまい、ものを考えるというその仕方を忘れてしまったのではないだろうか?

例えば一人暮らしが長かったせいで、次第に自分で解決できないことが増えて来る、そこで問題によって頼る人を決めていたが、それぞれの人に事情があって、頼れなくなった時、頼る事も考えることも放棄してしまったとする。

すると意外にも周りの人々が見かねて、色々助けてくれるのでやってくれるままに身を任せていたら、自分で物を考える事、記憶しておく事などはそれがなくてもそれはそれで物事は動いて行くようだ。好き嫌いで生きて行けばいいんだ!と思うようになる。

あえて負荷をかけて頑張る事を止めてしまった結果、楽にはなったが脳のどこかの部分が大きく退化してしまった。

そう言えば彼女の場合、ある時期からパタッと頭を使う事をやめてしまった。自分にとって必要のない物、興味の対象外の物はぱっぱと、切り捨てた。

面倒くさがりで、空襲の中でも火に包まれ命の危険が迫る瞬間まで布団の中で寝ていたくらいの人だから努力なんか大嫌いだった。
よってどんなタイプの認知症になるかは個々の性格が大きく関与すると思う。

考える事、記憶することをやめてしまった結果、物忘れの天才になってしまった!!
今日もお見事だった! 


2012年8月27日月曜日

夏講座:La casa de los espíritus 〜精霊たちの家(映画)

スペイン語の夏講座はイサベル・アジェンデの『精霊たちの家』の映画です(邦題『愛と精霊の家』)。本もとても面白かったですが、映画もとても良くできています。


もう10年越しで勉強を続けている、"La tregua"の翻訳仲間たちと一緒にパトリシア先生に是非又映画をやって欲しいと、頼み込みました。そして今年の夏はそれが叶ったのでみんな大喜びです。

『カテリーナ』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』、"Lista de espera" (邦題は『バスを待ちながら』)に続く4作目が "La casa de los espíritus" です。

今までやってきたどの作品も素晴らしく、とにかくクラスが楽しく、みんな自分からすすんでとても良く勉強するので、その充実感は最高です。

まず、前の週の終わりに観て、配られたスクリプトの場面の再チェックです。
ポイントになる言葉やわからない言葉の意味、使い方などをチエックしながら、映画の内容や、バックグラウンドになる文化や文法や・・・とにかく盛りだくさんの内容をこなします。息を継ぐ間もないほど、機関銃のように次から次へとプリントや考えた事やディスカッションが続きます。
はっと気が付くともう2時間が終わりそう! あわてて次回の場面を観ます。後、先生が起こしてくれた翌週の場面のスクリプトが配られます。

2時間20分近くある映画を8回で終わらせようとしているのだから、のんびりしてはいられません。2時間が3時間分くらいの濃い内容の感じがします。
その上、欲張りにもチリの文化や政治のことまで勉強して行くので、頭がフル回転、授業が終わった時にはクタクタです。

最後に配られたスクリプトを使って次の週までに言葉の意味を調べたり聞き取れなかった箇所を掘り下げたり・・you tube を使って繰り返し場面を観て耳を慣れさせたり・・・と準備をしてきます。
すると、次の授業では聞き取りがとてもスムーズにできるので、ビックリです。一週間でスペイン語が上達したような錯覚に陥ります。

しかも、原書を持っている人もたくさんいるので、映画と合わせながら頑張って読み進めています。作品のポイントがもっと深く分かります。

この映画は、特に人物構成は原作をかなり改造してあるのですが、内容的にはとても上手に改造してあると思います。原作と一緒に読んで行くとエピソードの入れ方などに違和感がないのが不思議です。
何しろ女性三代にわたるファミリーの歴史を背負った作品なのでそのまま描いていたら大河ドラマなみ、イタリア映画の『輝ける青春』みたいに6時間も7時間もかかっても終わらないことになるので、映画としては質を維持しつつうまくまとめていると思います。

クララ(メリル・ストリープ)の最初の場面は無理若でしたが、今は丁度良い感じで素敵に歳を重ねています。トゥルエバ(ジェレミー・アイアンズ)の演技が光っています。
そして妹のフェルーラ役のグレン・クロースがいい味を出しています。

クラスも後半に入り、あと3回です。
楽しみ、楽しみ!

2012年8月24日金曜日

我が家の世代交代⑤ 〜炊飯器とポット

メインパソコンから始まって、カーテンモバイル用パソコンと続いた我が家の5つ目の世代交代は、炊飯器とポットだった。

『2000年製』 炊飯器の裏側にそう書いてあった。

12年使った三菱電機の炊飯器、ご苦労さま。当時は大変珍しい5層のステンレスの高級品のお釜。とても美味しいということだったけれど、果たしてどうだったのかしら?

ついに、炊きあがったご飯がくっつくようになって、美味しく炊けなくなってきた。お釜の内側も剥がれてきたので、思い切って新しくした。
でも、私のお友達は同じ頃偶然に同じモデルを買ったけれど、5年程前に買い替えているから、もう十分だろう。

そして、新登場! まるで掃除機のようにでかい!!


象印の『極め羽釜』新モデルが出たばかりだったので在庫で値打ちに買った。それでも元の値段はチョー高いお釜だ。Kzさんは何故か高いものが好きだ。一緒にいるとどうも納得しないうちに高いものを買わされる。私もきちんとしたポリシーがないから、直ぐに流されてしまう。でも、大体満足度は高いし、長持ちするので元が取れているのではないだろうか?

私の物持ちの良さは異常だから。

玄米に、五穀米、麦飯と炊いてみたが、とても美味しいので良しとしよう。

そしたら、写真の横に少し見えるポットがあまりにも汚いしかさ張る。何しろお釜が掃除機並みに場所を食うから邪魔だ。これも10年以上選手だろう。軽井沢で使っているのと同じT-FALの白いポットに交換した。必要な分だけその都度沸かした方が無駄が少ないような気がする。
これはvisaのポイントを使ったから只!!

まだまだ並んでいる。家を建てた時からだから15年使っている、洗濯機、冷蔵庫、エアコン・・・高価なものがズラリ〜 長持ちするのも問題だ。そうだ、テレビなんかもう薄暗くてよく見えない。でもまだ壊れてはいない。

一番長生きは誰かな?



2012年8月22日水曜日

『ふくすけ』

文化村でやっている『ふくすけ』を観て来た。久しぶりの舞台だった。

ここのところ『シカゴ』とか『フォッシー』とか、ミュージカルばかり観ていたので、演劇は本当に久しぶり!かなりインパクトが強くて、自分の感性がちょっと時代遅れになっているかな?と心配になった。

テーマが現代の病んでいる部分をてんこ盛りにして演出しているので、とても難しい作品なのですが、要所要所とても面白いのでただ楽しんで観ていたくなるのだけれど、それにしてはあまりにも内容が重いし、、、、差別用語なんかボカスカ出てくるし、、、セックスやどぎついシーンがとても多いし、、、ということで「私、付いて行けてるか〜?」と何だかハラハラドキドキしながら観ていました。

けれど、終わった後には何か奇妙なエネルギーが宿っていました。

ところで何故この作品に興味を持ったかというと、私の好きな役者さんばかり出演しているので、「彼らは舞台ではどんななのかしら?観てみたい!!」という極めてミーハー的理由でした。


でも、それは大正解で、彼らの魅力を堪能してきました。

まず、古田新太さん、阿部サダヲさん、そして多部未華子さん。私の大好きな役者さんたちです。
ナマを観て伝わって来る空気を感じる事ができて本当に良かったです。やはりずごいオーラがあって素敵でした。

びっくりしたのは、大竹しのぶさん。古田さんの躁鬱病の奥さんの役なのですが、すごいド迫力。ブロードウェイでも通用するんじゃないかな?なんて感じるほど、彼女はやはり女優魂のある女優さんでした。

そして、他にもどこかで見た事のある役者さんたちがたくさん居て「何か印象的な人々だと思っていたら、そうか〜、劇団の人たちだったのだ!」と納得する実力派でした。

さて、久しぶりの舞台はインパクトが強く、映画だけではなく時々演劇も観に行こう!と思うソラさんでした。

[追記]
完全に満席でした。立ち見席もびっしり!
すごい人気なので驚きましたが、みんなこんなに難しい個性的な作品を観るのだ、と日本人の感性にビックリした次第です。
演出の松尾スズキさんって、頭の中がこんなだと思うと、ド迫力で隣にいらしたらちょっとビビります。

2012年8月9日木曜日

弱音を吐こう介護日(34) 〜「もう嫌!」対処法なし

早朝、八方塞がりの息苦しさで目が覚めた。

自分が爆発しそうで、去年の歯神経と耳の神経が同時にやられた帯状疱疹の時と同じ精神状態になった。母の我が儘とイライラが極限に達して来ると私は重かろうが軽かろうがトラウマになっていて、自分の感情の出口がなくなり息苦しくなる。本人に悪気がないのは分かっているのだが。

昨日のブログにも書いたが、部屋に入って行くと、腕が痛いという。これは現在どうしようもないのだが、よく見るとヒラヒラのノースリーブを来ていて、まるで真夏のかんかん照りのお日様の下で日傘をさして散歩するような格好だ。

「お母さん、冷房のお部屋の中でじっとしているには、そんなに腕を出しているとしびれて痛みが増すから、神経痛には余計堪えるよ、何かはおるか袖のあるのを着たら?」
と言うと、
「洋服がないからねえ、みんなはとてもいい洋服を着ているんだよ、本当に素敵な洋服」
と反撃が始まる。私はクローゼットに行って、
「これでもいいし、こっちでもいいでしょ?いいのたくさんあるよ。この間長野から送ったばかりだし」

ここで問題なのは、私が良いと思うものは母は絶対に良いと思わないことなのだ(もともと母が好んで自分で買った洋服であるにもかかわらず)。

忘れないようにと、いくら並べておいてあげても、着ているのを見たことがない。いくらカーディガンと組み合わせて何組かクローゼットにかけておいてあげても、着ない。
いつも「あら、そんなのあったの? 初めて見るわ」だ。

今の母は、ちょっと露出風のヒラヒラが大好きで、シンプルな洗濯のきくTシャツなどは、とてもおしゃれなものでも下着だと思って、こんなみっともないもの着れないと言う。
記憶を失う前と好みが全く違ってしまったのが、ネックになっている。

おまけに、ホームで洗濯をしてもらうと、乾燥機を使うので色は抜けるしとても洋服が傷む。だから肌に直接あたるものは洗濯のきく清潔なものが一番なのだが、化繊の入ったしなやかなものを好み、しかもいたむからと言って、洗濯を拒むのが又難題だ。

やっとどうにか上に羽織るものを着せたが、瞬間「暑くてこんなもの着ていられない」と言う。「着ていれば直ぐに慣れるからちょっとの間だけ我慢してみて。腕が痛いよりいいと思うよ」
私も着てみたがとても薄手で、暑いとは思えない。(それに、老人はみんな寒がりだと思っていた)

やはり嫌そうなので、
「だったら、半袖のTシャツ一枚でいいんじゃないの?夏なのだから」と言うと、今度は
「ああ、寒い、どこかから風がはいってくるみたい。」と言ってブルブル震える振りをして、「それに、こんなのじゃみっともなくて部屋から出れないわ」と騒ぎ出す。
私、いらいら。

「みんないつも本当にいい洋服を着ているのに。家の人がちゃんと用意してくれるんだわ、着せてくれるの。私ときたら、誰も何もやってくれない」といらいらして言い出すので、ついに私も声を荒立てて、
「毎日家の人が朝ここに来て洋服を選んで着せてあげているっていうの? そんなことあるはずないでしょ? みんな自分の着る物は、毎朝今日は何着ようかな?って自分で選んで自分で着ているのよ。それができない人は多分介護の人がタンスの中から選んで下さっているんだわ。お母さんだって、タンスの中にこんなに洋服あるのだから、自分で選んで着たらいいよ。毎日違うの着たって相当あるから・・・」

お茶の時間になって、皆さまの着ている洋服をつくづく見てみた。
グレーとかベージュとかの結構地味な色彩の厚手のものや首のつまったものも着ておられる(母は絶対に着てくれないが)。いつも同じものを羽織っている人もいれば、薄手のジャケットやレースのカーディガンの人もいる。皆さま結構厚着だ。
さすがにヒラヒラのノースリーブは居ないけれど、もちろんブラウス一枚の人もいるし、色々だ。しかし確かに少なくとも母よりは何かきちんとしていて小綺麗で品があるように見える。

ここで、もう一度問題なのは、母にはああいう格好が似合わないことと、用意してあげても「ばばくさい!」と言って絶対に着ないということだ。

どうにか願いを叶えてあげたいのだが、何を見て良いと言っているのかも分からないし(聞いても本人の記憶にはない)どういうものが欲しいのかも分からない。しかも欲しいものを買ってあげても、絶対に着ない。

そこで私はうなされて目が覚めた。

今日も又、露出気味のブラウスを着て腕が痛いと言いながら、
「みんな本当にいいものを着ている。私には着る物がない」と洋服の山の中で訴えるのだろうか?そして薦める洋服を全部拒絶するのだろうか?

一緒に行ってどうしても欲しいと言われて買った洋服も、すっかり端に追いやられ、袖を通してもらっていない。「お母さん、気に入って欲しいというから買ったのよ」と言っても、「みっともない!大嫌い」と、とても品の良い夏服に対して文句を言って着ようともしない。私は何を聞き入れてあげたらよいのか、皆目検討がつかなくなり、八方塞がり!!

少し疲れた。
しかし集団の中で何だか母がとてもみすぼらしく見えるのは堪え難く悲しくなり、自己嫌悪に陥る。どうにかしてあげたいと思うので、余計ストレスを感じてうなされて目が覚める。ヒラヒラで露出気味で、しかも温かくて寒くないしなやかで、みっとなくないと彼女が思う洋服があったら、10枚くらい買いたいものだ。
そして買ってあげて、着てもらえない悪夢がいつまで続くのか?

機嫌の良い時は私の薦める洋服を着て、とても素敵なのに・・・まだ、捨てたものではない!!

さて、ここまで愚痴っての結論:『背中で道徳的な人』になって

好きにさせておこう!
腕が痛くても、みっともなくても、いくらなじられて愚痴られても、自分のその時に着たい洋服を着て好きにしていてもらおう。

今日は介護の認定の日だ。
介護度の変化はあるのだろうか?



2012年8月8日水曜日

弱音を吐こう介護日誌(33) 〜いやあ、参った!この不機嫌は?

自分へのご褒美に自分であげた二日間の夏休みが明け、心が少し軽くなって元気を出してオババの所へ行ってきた。

昨夜はサッカーのメキシコ戦を観たので、眠い。その前の夜中はなでしこのフランス戦だったから、二日続けて徹夜だもんな。

でも、ちょっぴり何かから解き放たれた気分で行ったのだが、着いた途端に暗い空気に圧倒される。ここのところこの人はどうしてこんなに猛烈なパワーで暗いのか。
しかも言っていることが全く以てしっちゃかめっちゃかもいいところだ。
私、もう負けそう・・・(半べそ)

映画『グッドハーブ』の植物学者のお母さんが少しずつアルツハイマーに侵されて行くように認知症が次の段階へ進み始めているのだろうか? そしてこれから急激に進むのだろうか?
過程が似ていて恐くなった。頭の中の混乱から生じるうろたえ方がソックリなのだもの。それなのに、私は彼女の自尊心を傷つけるような台詞を言った。

本人も何か異変が起き始めているのを感じてイライラしているのだと思う。
本能で。
そして娘である私に一番そのイライラはぶっつけ安いのだろう。

「認知症なのだからもっと優しく」そう言い聞かせても、私へのあの際限のない我が儘さと絶え間ない理不尽な要求を受けていると自分がつぶされそうになってどんどん覚めて来て、「いいよ、それ以上言うなら私帰るから」と部屋を飛び出したい衝動にかられる。

相手は分かっているのか、何なのか? 
いくら説明しても通じない繰り返し繰り返しの同じ訴えには疲れ果てた。はぐらかして誤摩化せば良いのだろうか?
相手が親だとそんな心のないことができない。
だって、よそのおばさんではないのだから。

もうホームの人に任せて、私が行くのはよそうか・・・と思ってしまった。

私は弱虫だから、そういう母の姿を見届けることに耐えられないかもしれない。

神様は、耐えられない試練はお与えにならない、とヘリオトロープのTさんがおっしゃっていたが・・・ほんとうに?

2012年8月7日火曜日

『きっとここが帰る場所』 〜This must be the place

久しぶりのショーン・ペンの作品だ。

8月の1、2週は夏休み。学校が休みなので思いっきり気持ちが楽だ。
特に6、7日は全くのフリー。おばあさんの所へも行かなくてよいので、掃除もやめて久しぶりの休日を過ごした。来週はKzさんがお盆休みでいるので、私のフリータイムなどないのだから。

一日目はショッピング。
二日目は映画。

ショッピングに関しては情けないことに自分でデバートに洋服を買いに行くなどというのは数年ぶりのことだ。これでは女を捨ている。旅先で洋服を買うことはあったが、ここのところおばあさんの介護で旅にも行ってないから、皆無だ。
通販でTシャツがせいぜい。

ところが、新宿のデパートではもうほとんどセールが終わっていて、あってもろくなものが残っていない。しかも既に秋物がいかにもそれらしい雰囲気で並べてあって次の世界が展開していた。やれやれ、又機を逃した。お気に入りのどうしてももう一枚欲しかったパジャマだけ買って帰って来た。

今日は二日目の念願、映画!
これはもともと好きなので、フリータイムができるとできるだけ行くようにしている。でも、なかなか時間がない。

本当は渋谷まで行って、『屋根裏部屋のマリアたち』を観たいと思っていたが、あまりの暑さで、駅から文化村まで歩く勇気が出ず、隣の吉祥寺のバウスシアターで我慢した。
この映画館はなかなか良い映画を観せてくれるのでありがたい。

ところが、この我慢が大当たりで、素晴らしい映画だった。
まあ、この手の映画は賛否両論になると思うが、私には大当たり!

『きっとここが帰る場所』〜This must be the place〜

イタリアのパオロ・ソレンティーノ監督とショーン・ペンが作り上げた作品。
ハリウッド映画ではなくヨーロッパの深い苦悩と哲学的な香りとアメリカの泥臭さの解け合い方が素敵だ。でも、ただ観て楽しめる映画と違って、考えないといけないのでとても難解な映画だ。

「ショーン・ペン好き?」 と聞かれたら 
「別に・・」って答えると思う。
けれど、「彼ってすごい役者だと思うよ」と付け加えるだろう。

『ギター弾きの恋』にしろ、『ミスティック・リバー』にしろ、『アイ・アム・サム』にししろすごい! あれだけ個性が強い役をやってもわざとらしさを感じさせない役者さんなのだ。彼には彼の作り出す世界があるから。(私はロビン・ウイリアムスはわざとらしくて受け付けないのだ)

この作品での彼の演じるシャイアンという元ロックミュージシャンのメークとコスチュームと鬱っぽい雰囲気は冒頭の画像でも分かると思うが、隣で(至近距離で?)一緒に暮らしていたら、ちょっとゴメン、って感じだ。
しかし、それは最後のシーンに強烈につながるので、ずっと観なければならなくても仕方ない。

でも彼から発せられる言葉は、ちょっとした会話の一言であっても、自分の心で咀嚼した言葉が出て来るのでとても意味深いし面白い。英語の方を聞いていると本当に可笑しいのだ。何度か吹き出して笑ってしまった。

若い頃には思い込みが激しくて、言われた一言を自分の思った通りだと勝手に思い込み、それで人生が変わってしまったり、一生引きずることがよくある。(彼は父親に嫌われていると思いこみ30年も家を出たままだった)後になってみると、それはたんなる思い込みだったのかもしれないってことが・・・

この台詞は若くして家を出てしまったうちの娘にも言えるような気がして、理由は何であれ、帰る場所がないと勝手に思いこみながら外国で暮らしているのではないかと心配し続けてしまう親心が重なり、ずっきぃ〜〜ん!!!と来た。

自分に子供がいたら、子供を愛さない親などいないということにもっと早く気づいたのに・・・とスローな独特なしゃべり方でつぶやいていたショーン・ペンの横顔が印象的だった。意識の問題なのだと。

子供たちと一緒に観た『旅立ちのとき』の父親役をやったジャド・ハーシュの顔を観て郷愁を感じてしまったせいかもしれない。


奥さんのジェーン(フランシス・マクドーマンド)が素敵だった。何度か見てはいるのだけれど、、、なんて素敵な女優さんなのだろう。シャーロット・ランプリングのような中身の濃いたまらない存在感がある。彼女のたくましさと優しさと寛容さがシャイアンを現実につなぎとめていてくれる。何だか苦悩するKzさんに接する自分と重なった。

作品には人間が背負っている逃れられない苦悩や孤独に関して、たくさんのことが盛り込まれ、台詞の裏側や舞台装置や小物にも工夫の箇所がたくさんあるので、分かっている人がみたら「オー、オ〜!!」と思う所がいくつもあると思う。



美しい映像の映画だった。
素敵なミュージックと台詞・・・久しぶりに心で感じ取る映画、その人の持つ感性で観る映画の世界に浸ることができた。

[追記]
前述の最後のシーン、戻って来たシャイアンと近所のメアリのお母さん(毎日毎日二階の窓辺に座って通りを見下ろしながら一日中ずっと前に家を出て行ってしまった息子のトニーの帰りを待っている)と目が合って、死んだような目をした無表情のお母さんの顔が目力のある微笑みに変わる、その瞬間シャイアンが優しい目で「僕、大人になったよ。あなたも何かしてみようよ、ずっと思い込んでお篭もりばかりしていないで・・・」と無言のメッセージを送っているように感じるのだが、、、
これはかつて苦悩や孤独と戦ってお篭もりしたことのある人間には、そして変わろうと必死でもがいたことのある人間には、波のようなオーラが温かく体内にズンズンズンと染込んで来る瞬間だ。
エンディングの曲とともに。








2012年8月2日木曜日

免疫力低下と白癬菌

私は体調が下向きになると決まって右足の小指と薬指の間に小さな亀裂が生じ強烈に痒い水虫が再発する。

皮膚科できちんと治療したので完治したと思っていたが、どうも極度に免疫力が低下するとその現象がおきるようだ。

今回は右足の内側のくるぶしの横に、昔子供の頃なったことのあるタムシのような赤い丸い輪っこ、円形の湿疹ができた。虫さされの跡が集まったような感じがして、しかも痒くないのでそのまま放っておいたら、それぞれの発疹の頭に水泡ができてきた。
そしてソックスにこすれたのかぷつぷつがまばらに広がり始めた。かぶれみたいでとてもいやな感じがした。

湿疹の薬が全く効かないので(むしろ悪化する)、試しに家にあった水虫の薬(ニゾラールクリーム)を塗ってみた。すると変化が生じ発疹が痂せて来たので多分白癬菌の一種だろうと判断していた。しかし薬をやめると直ぐに増える・・・薬ももう残り少ない。

そんな時に今度は左足がブヨに噛まれた。4カ所も噛まれたので足がパンパンに腫れて、手を近づけただけで熱いのがわかる。痛い痛い!熱も37度近い(平熱35度)。

今日は37度近く上がった練馬の気温の中、以前かかっていた皮膚科に行って来た。このN先生はとても頼りになる。皮膚トラブルの多い私には頼もしい先生だ。

ブヨに噛まれて化膿しかかった箇所の治療と、右足の白癬菌(やはりそうだった、細菌が動いていますよ〜と顕微鏡を覗きながらおっしゃっていた)の薬をいただいてきた。この菌は足の裏からきているかもしれないから、完全にやっつけましょう!と言われた。

つまり湿疹が消えてからもかなり広範囲に2〜3ヶ月薬を塗り続けなさいということらしい。

素人療法で不安だったので、やはり皮膚に関しては専門家に診ていただくとほっとする。皮膚はとても正直なのだ。

いつもの首の汗かぶれの薬もいただき、ついでに右の足の裏にある痛みについても診断していただき、この時とばかりに全部片付けて来た。

N先生ありがとう!
そういえば、私が腹部に発疹が頻繁に出たとき、「これは皮膚の問題ではなく、身体の中から来ている可能性が高いです。直ぐに血液検査をしなさい」と言ってくださったのもこの先生だった。

結果が出て即入院になったが・・・今元気でいられるのもN先生のお陰かもしれない。
私は本当に良き先生に恵まれている。

水虫をあなどってはいけません。彼らは何かの信号を送っているのです。

2012年8月1日水曜日

記憶容量いっぱいかな?

今日のオババはお部屋が近くなるにつれ、部屋から負のオーラが流れ出ていた。

顔には生気がなく、目はうつろ・・・いよいよボケが進んだかな?と思わせる空気。やれやれ、やばいぞ!

というのも、私は足がブヨに4カ所も噛まれ、左足がパンパンに腫れて熱を持っている。毒素が身体に回っているのか、全体に熱っぽっくて朦朧としているので全く元気がでないで困っていたからだ。
自分の元気が勝っていない時はだいたいやられる!

ホームの近くの皮膚科に行こうと思ったら今日は休診日。明日夏休みでなければいいけれど・・・朝電話をしてみよう。ドアの所になにかかかっていたから、もしかしたら夏休みかもしれない。

前回の越路吹雪さんの曲をプリントアウトして、もう一つ、『ラストダンスは私に』も書き出して準備したが、歌う元気が私にはない。
まずは持って行った桃をむいてあげた。
「あら、今頃桃があるの?」
「う・・・」(今なくて何時あると言うのだ??もう8月だぜい!)

それでもと思って、日記帳を開いて、サントワマミーの歌詞を指差し「お母さん、この曲練習した?歌ってみた?この前上手だったねえ〜」と聞いたが、全く忘れている。一緒に歌ったことも忘れているし、日記帳に書いてあげたことも完全に抜けている。

『ラスト〜』は歌ってあげたが、記憶につながらなかった。やはりサントワマミーだけしか定着していないらしい。あんなに好きだった曲なのに。

まあ一曲でもあるから良しとしよう!

テレビでマドリッドの特集をしていたので、
「ここはKちゃんが住んでいたんだよ」というと、
「Kちゃんなにしてたの?働いていたの?」と聞く。
「大学生だったんだよ。私も行ったことあるよ、この町。」
「へえ〜、なかなかいい感じの町だね」
「うん、いい町だよ。人も親切で明るい」
「Kちゃん、働いていたの?」
「ううん、大学生。勉強していたの、ここで卒業したのよ。だあだと卒業式にも行ったのよ」
「何年いたの?」
「3年くらい」
「へえ〜そんなに・・、Kちゃん働いていたの?」
「んっ・・・、大学生!だいがくせい〜!!」


やれやれ・・・今日も暑かった。
がっくし。





2012年7月30日月曜日

草取り 〜七月の軽井沢

みなさんは避暑やレジャーで軽井沢に来られるのだと思うが、私はいつもKzさんのお仕事の関係で来るので、東京の家が軽井沢になっておさんどんをしているだけで何かちっとも優雅ではないのが玉に傷だ。

移動する時間と掃除をする場所が増えるだけ・・やれやれ

7月の軽井沢は雑草の季節。
来る度に草取り、又草取りだ。
しかもそのときその時ではえてくる雑草が違うから始末に悪い。
まあ、草取りは頭が空っぽになって、たまにだったらそんなに悪い仕事でもないのだが。

今年も又、根を地面の低い所を這ってはえる、竹の子供のはっぱみたいなあいつが巾をきかせている。前回に来た時はまだなかったやつだ。抜きにくくて本当に腹が立つ。

ひょろ〜んと長く伸びているのはひょいっと引っ張ると抜けるからまだよいのだ。

のび太君が文句を言いながらドラエモンと一緒に庭の草取りをしていたのが良く分かる。
汗だくで報われない仕事。

こんなに毎回草取りをしているのに我が家の庭はまだどこかの空き地並みに殺風景だ。
去年ツルヤで景品にもらったラベンダーが一株だけやっと生き残っているだけだ。あとは買って来た株たちもみんな雑草に飲み込まれてしまった。
庭いじりが好きだった実家の亡くなった父がふらっとやってきてくれると良いのに・・・。

風のガーデンみたいになるには何年かかるだろうか?


2012年7月26日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(32)〜驚異の記憶力! 〜メルシー、越路吹雪さん♪

今日のオババのアクティヴィティはカラオケ大会だった。

オババは歌が結構好きなので、「行ってみたら?」と薦めてホールへ。

進行があまりにも下手で、老人たちが知っている曲が全くない!つまらないので私だけそっと部屋に戻って来た。

すると、少ししてオババも戻って来た。
「歌おうと思っても知っている曲が一つもないよ〜」と残念がっている。
「あれは進行係の勘が悪すぎるよ、選曲がなってない!みんなを何歳と思っているのかしら?」

そこで消化不良のオババの為に何か昔歌っていた歌がないかなあ〜?と必死で思い出した。
お皿を洗っていると鼻歌が聞こえて来たなあ・・・ムムム・・・「そうだ、サン・トワ・マミーだ!」いつも歌っていた。
記憶が全てすっ飛んでいるけれど、歌は歌詞を見ると歌えるから、試してみよう!

「ふたりの恋は〜終わったのねえ〜♪」私が歌い出すと
「ゆるしてさえ〜〜くーれないあなたあ〜〜」と気持ち良さそうに続く。
「ええっ!!お母さん歌詞覚えているの?」
オババがポカンと嬉しそう。
「どうして歌えるのかしら?でも音がはずれてるし声も出ないけど・・・不思議ねえ」
メロディーはともかく歌詞が出て来るとは思わなかった。脳のどの部分なのだろう?同じ記憶でも壊れているところと壊れてないところがあるの?

私は脳の専門家ではないから分からないが、専門家に聞いてみたい気がする。
ホームの精神科のドクターはまじひどかった。全くひどい診断だったから頼る気にもなれなかった。日本の精神科の医療のレベルはまだ低いのだなあと思ったが、、、

これから何かを引き出して、彼女の失ってしまった記憶を取り戻す手がかりにならないものだろうか? 浜田先生〜〜!! 先生がいらっしゃったら相談したい。

母は越路吹雪の歌が大好きだったので、愛の讃歌、誰もいない海、と歌うと所々歌詞を思い出して付いて来る。
しかし何よりも「サン・トワ・マミーだ!」歌詞はメチャメチャだし一杯抜けているけれど嬉しそう、これで勝負をかけよう!!

正しい歌詞をiphoneで調べて、日記帳に書き出す。
一緒に歌う。
ちょっと変な所は直してあげると、直ぐ直る。
次は一人で歌って!
「パーフェクト!」直したところが完璧に直っている。昔教えた時よりずっと覚えがいい。
ホーム長さんのお名前を何度言っても直ぐに忘れてしまうのに、今持って行ったばかりのゼリーのことは直ぐ忘れてしまうのに、歌詞とメロディーは覚えている、定着する。

何だか二人で涙出しながら喜んだ。
少しでも記憶が残っているって!!教えた所が記憶として残るなんて!!!
こういうのを希望っていうのかもしれない。

理論的に脳の○○分野だから〜〜云々なんて言われるかもしれないけれど、どうでもいい。彼女の脳に歌が定着した。歌詞が定着した。何も覚えられなかった母が歌詞を覚えた、それだけで最高に嬉しい!

merci beaucoup! 越路吹雪さん!
次は『ラストダンスは私と』だな。

2012年7月25日水曜日

老いを生きる意味 浜田晋

精神科の診療室から
                  岩波現代文庫

Kzさんの本棚にあった本なのだが読み始めたら面白くて夢中になってしまった。

できればおばあさんはこんな先生の近くに居れたら良かったと思う。

先日NHKのプロフェッショナルで老人介護福祉士の和田行男さんの取り組み方を観て、すごいなあ〜と感心した。認知症の老人をあくまでも普通の人として接するために弛まない努力を続けているのだ。でも私にはとてもできないと思った。力が入り過ぎている。
実際に母の面倒を看て来て、あんなに一生懸命やったら自分がへたばってしまうと思った。

この浜田先生は、大きな病院の精神科から始まって色々感じ、最終的に自分のクリニックを開き、町の医者になった。この先生のやっていることと自分の姿勢が偉大さは全く異なるが力の抜き具合が似ていると思った。

丸ごと受け入れる、無理をし過ぎない、強要しない。

アメリカの老人ホームで、月一でラマ(マチュピデュなんかにいる平和なお顔の優しい動物)が訪れる。ラマは大人しくて匂いがないので老人たちの人気者だ。みんなラマを一番喜ぶらしい。口をきかないでじっとしているだけなのに。
みんなが飛びつく程好かれているという。

しかし驚くのは、ホームから戻ったラマである。くたびれ果てて、2〜3日はぐったり横になって、食事もとらないらしい。

自分と重なって笑ってしまった。
生気が吸い取られてしまうのだ。だからとても疲れる。老人に快くサービスするのは大変だ。老人はわざとやるとすぐに見抜いてしまうから、あくまでも自然体でないといけない。それをキープするには回復にかかる時間を見積もっておかないと自分がへたばる。

今日も見事、負のエネルギーが一杯でぐったり戻った。

機嫌良く、丸ごと受け入れて、ひたすらともにいること。
わたしもラマになりたい〜

一つ印象的な引用を:

人は人である以上病むことからのがれられない。そして苦しむ。ひたすら一人で耐え忍ぶ。しかしである。
病は一方で、人間が人間である深い苦悩の中から、英知を「人間」にさとらせることがある。病むことなしには人は自らの「本質」にさえ気づかない。自らの中にあるいくばくかの「病める心」に気づき、かかえこむことなしに人は人でありえないのではないだろうか。


2012年7月22日日曜日

『ラテンアメリカ十大小説』 木村榮一

岩波新書

この本はラテンアメリカの錚々たるお顔ぶれの作家と作品の案内書である。

今まで読みたいものをただ読んでいたので、色々な角度からバラバラにラテンアメリカの文学が入り込んでしまい、作家や時代や背景がごちゃごちゃしていた。頭の中を整理するのにとても役立つと思う。

木村さんは本当にたくさんのスペイン語の作品を訳しているかたなので、とても物知りでしかも作品を奥深く読んでいて楽しかった。私の読んだ中では『精霊たちの家』『黄色い雨』などがある。

10人の素晴らしいラテンアメリカの作家の紹介をしてくれているが、それぞれの個性と共通点が比較できるのでとても面白い。ただ外国で暮らしたことのある作家がほとんどなので、やはり海外を知ることは大事なのだろうなあ、と感じるが。

ラテンアメリカの独自の文学スタイルが何故産まれて来たか、『ブーム』は何故起こったか、そんなことが自分なりに肌で感じられるような気がします。

もっともっと作品を読んでその世界に入り込んで行こうと思っています。
自分的には、フリオ・コルタサルのあたりが好きです。

イザベル・アジェンデは、この夏の講座のテーマです。楽しみ、楽しみ・・・

2012年7月21日土曜日

弱音を吐こう介護日誌(31) 〜ある日の会話 〜オババのホームにて


最近あまり一週間が過ぎるのが速いので、

ソラ「月日の経つのは速いわねえ」
オババ「ほんとにね。ところでソラちゃんいくつになったの?」
ソラ「61歳!」
オババ、ものすごいオーバーアクションででかい目を更にまん丸くして、初めて知った、こんな驚きはないというお顔。

「へぇ〜〜〜〜ぇ!!!ほんとに???あんたもうそんな歳だったの???」
(確かこの間還暦を過ぎたと話したけど、頭に入らなかったな)
「そうよ、そうなの、もう還暦過ぎてるんだよ」

オババ、覗き込むようにじっと私の顔を見て、お茶目な目つき
「聞くんじゃなかった、ああショック・・・」

なんだよこのリアクション、私の方がはるかにショックだぜ。
言うんじゃなかった。
90のババアにおちょくられたぜ。

2012年7月19日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(30) 〜嫁と娘

オババの所から戻った。

帰りがけに部屋を出た途端にお会いしたので、母の斜め右前のお部屋のSさんと立ち話をした。とてもしっかりした優等生タイプのかただ。

「いつもお世話様です」
「あらあら、さすがお嬢さんねえ〜」
「えっ?何か?」
Sさんニコニコしながら「お嫁さんは、大事に大事に手を添えながら歩いて行くのに、お嬢さんはさっさと一人歩きさせてるのね」(もちろんオババはシルバーカーは使っているが)
二人の対比が面白かったらしい。

私はすかさず、「そうなんですよ、厳しい娘で。何も手伝ってあげないのです。トレーニングのつもりで、さあ、これして、あれして!惚けちゃうよって」
オババが口をはんさんで、「しかも、会えば直ぐけんか!」
なんでこのタイミングでおっしゃる、おばーさん。

すると、斜め左前のお部屋の小柄なおばあさんが突然顔を出した。ドアにつかまって子供みたいな目でじっとこちらを見ている。
Sさんが「Oさん、一人で歩いたら危ないですよ。」と言いながらニッコリして「来年の4月1日で100歳なんですよ。エイプリールフール、珍しいでしょ」とおっしゃるのでビックリする。
そのキラキラ光る目は目力があって、めちゃくちゃ若いのだもの。
オババは話の内容がつかめていないのできょとん。

「え〜〜!!本当に100歳ですか? 4月1日とは・・・うちの母は1月1日なんですよ、しかも大正11年の1月1日 90歳です」
Sさん「あら、おめでたい」
100歳のOさん 「まだ、若いじゃないの〜」
私「ん・・・?」

でも、Oさんは自分の歴史をとうとうと話し出したから、、、やはり100歳かな?
さすがに老人ホーム内での会話だった。

が、あとで車を運転しながら考える。
あのお嫁さんとの対比は、私の母の扱いが乱暴ということだろうか?
お年寄りの言う事はあなどってはいけない。
義姉に比べて目に余ったかな? と、少し反省。

お姑さんには絶対あんな扱いしない。あきらかに嫁と娘とは違うのだ。
う〜む・・・

2012年7月13日金曜日

一覧表とリンク先 〜映画・読書・TV・エンタメ

今までのブログの本と映画のリンク先をまとめます


[日本語]
さよなら、愛しい人 by レイモンド・チャンドラー 訳:村上春樹
ロング・グッドバイ  by レイモンド・チャンドラー 訳:村上春樹
哲学者とオオカミ  by マーク・ローランズ 訳:今泉みね子
ある小さなズズメの記録  by クレア・キップス 訳:梨木香歩
精霊たちの家  by イサベル・アジェンデ  訳:木村榮一 その2
母の介護  by  坪内ミキ子
まちがいだらけの認知症ケア by  三好春樹
自分の始末 by  曾野綾子
健全なる肉体に狂気は宿る by  内田樹 春日武彦
出直しておいで! by  一色まこと
バナナフィッシュ by  吉田秋生
呼吸の本 by  加藤俊朗 谷川俊太郎
自分ですぐできる免疫革命 by  安保徹
身体の言い分 by  内田樹 池上六朗
ムーン・パレス by  ポール・オースター  訳:柴田元幸
ジョン・レノンを殺した凶気の調律 A=440Hz  by  レオナルド・G・ホロヴィッツ
黄色い雨  by  フリオ・リャマサーレス 訳:木村榮一
ラテンアメリカ十大小説  by 木村榮一
老いを生きる意味  by   浜田晋
いのちの輝き by  ロバート・C・フルフォート
君 気持ちを 大きく もとう by  毎田周一
不敵雑記 たしなみなし  by    佐藤愛子
ダイヤモンドダスト by 南木佳士
母の遺産 新聞小説  by 水村美苗
南部高速道路  by フリオ・コルタサル
風の影   by カルロス・ルイス・サフォン
シャンタラム by グレゴリー・ディヴィッド・ロバーツ
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 by 村上春樹
エトルリアの微笑み by ホセ・ルイス・サムペドロ
蝶の舌   by  マヌエル・リバス
(株)貧困大国アメリカ  by 堤未果
ロルカ−スペインの魂  by 中丸明
女のいない男たち1・2 『ドライブ・マイ・カー』『イエスタデイ』by 村上春樹 
女のいない男たち3 『木野』  by 村上春樹
炭水化物が人類を滅ぼす  by 夏井睦
女のいない男たち4 『独立器官』 by 村上春樹
暮らしを旅する  by 中村好文
物語 スペインの歴史 海洋帝国の黄金時代  by 岩根圀和(くにかず)
蔵書の苦しみ by 岡崎武志 
サラミスの兵士たち  by  ハビエル・セルカス
やさしく読めるスペイン語の昔話  by  松下直弘
眼の病気 あなたの医学書 名医の言葉で病気を治す  
        by 安田典子 湯沢美都子 島崎潤(誠文堂新光社)
アルケミスト  by  パウロ・コレーリョ









[外国語]
The big sleep  by Raymond Chandler
Los fugitives  by Alejo Carpentier
Historia de una gaviota y del gato que le enseñó a volar    by Luis Sepúlveda
La casa de los espíritus  by Isabel allende
El Principíto     by Antoine de Saint-Exupéry
La lengua de las mariposas  by Manuel Rivas
Silence  by Alice Munro
post and beam  by Alice Munro










映画
セラフィーヌの庭 
三つ数えろ
木漏れ日の家で
somewhere
Lost Horizon
Random Harvest
グッド・ハーブ Las buenas hierbas
サラの鍵
ヘルプ  The help
コレラの時代の愛
セント・オブ・ウーマン
ミッドナイト・イン・パリ
きっとここが帰る場所 This must be the place
アレクサンドリア、 幸せパズル、 ビューティフル
八月の鯨、オリンダのリストランテ、オーケストラ
スモーク Smoke
汚れなき悪戯    Marcelino pan y vino
La casa de los espíritus (愛と精霊の家)
天地明察
マリーゴールドホテルで会いましょう The best exotic marigold hotel
ペーパーバード 幸せは翼にのって Pajaros de papel
ブルーノの幸せガイド Scialla!
リゴレット オペラの映画
ローマでアモーレ To Rome with love
メキシカン・スーツケース The Mexican Suitcase
蝶の舌   La lengua de las mariposas
風立ちぬ 
¡Ay, Carmela!    アイ・カルメーラ (歌姫カルメーラ)
アルタード・ステーツ(未知への挑戦) Altered states
(エハンさんお薦め)
ベイマックス 息子のお薦め









演劇
ふくすけ
もっと泣いてよフラッパー
プルートゥ
超都市・メトロポリス





演奏
ロン・カーター アメージング・トリオ
アンドラーシュ・シフ バルトークとバッハ





TV
スペック (spec)
最後から二番目の恋
家族のうた
ゴーイング・マイ・ホーム
高校入試
カラマーゾフの兄弟 
真夜中のパン屋さん
ガラスの家