2011年7月30日土曜日

"Lost Horizon" と "Random Harvest"

Kevinの今学期は、ジェームス・ヒルトン原作のLost Horizon(失われた地平線)だった。

原作はとてもよい作品だった。
映画は?といえば、1937年の作品だから、多分当時観たらもっと斬新な映画だったのだと思うが、原作が素晴らしすぎて、少し興ざめかもしれない。

最後のクラスで、同じ作家による、同主演、つまりロナルド・コールマン主演映画、"Random Harvest"を観たが、原作を読まないで観たせいかもしれないが、素晴らしい作品だった。

女優のGreer Garson, 彼女が輝いていて、完全に主役を食っていた。彼女が主演の映画だったのだろうか?
あの時代で、しっかり自分の足で立ち、明るく慈愛に満ち、しかも強く逞しく、けなげで、全然押し付けっぽくなく・・・たまらなく美しい彼女は、微笑むだけで周りを癒してくれる素晴らしい要素があった。
女優さんに、目を見ているだけでこんなに気持ちを温かくしてもらえるなんて思ってもみなかった。

前回のBig Sleep のあのへたっぴいなボガートの奥さん(ローレン・バコール・・・まじへたくそだった!!)に比べたら、尊敬してしまうほどの貫禄と気品のある女優さんだ。
よい作品に出会えて本当に良かった。

2011年7月29日金曜日

弱音を吐こう介護日誌⑯ 〜あのさぁ~

いつもいつも そんなに愚痴ばっかり言っていて
自分が嫌にならない?

それも無意識なのかな?

不平不満を吐き出しているのかと思って、聞き役になって受け止めていたけれど
実際はそうじゃなくて
繰り返すことによって『自分はこんなに不幸だ』って確信しているみたい
自分の不幸を忘れないために・・・
だって、吐き出した後全然すっきりしていないもの
もっと強力な不平の火達磨になる

『私にはこういう不満がある』ってリストを作って
いつでも言えるように何度も暗記しているみたいよ

こんなに記憶が薄れてきているのに、頭の中が嫌なことばかりで一杯じゃ
もったいないよ
どうせ覚えていようと思うなら もっと楽しいことにしようよ
心が温かくなることにしようよ

今思っている不幸なんて、不幸のうちに入らないよ
だってこんなに家族が心から温かく見守り、手助けし望みをかなえようと一生懸命
みんな手を差し伸べているのだから

シルバーカーを押せばある程度歩けるし
おしゃべりできるし笑うことだってできる
美味しいお食事を自分で食べることができるし、材料の買い物や作る心配もいらない
自分ではできない掃除や洗濯もしてもらえる
第一病気がないじゃない
外出したかったら、そう言えばいつでも連れていってもらえる

病気で動けず、食べるものがなくて、一人ぼっち
そしたら、人は不満を言う元気すらなくなってしまうんだよ
涙も出ない
助けを求める力もなくなり、静かに死ぬのを待つだけ・・・

もう若くないし、皮膚が染みだらけ、それが何だって言うの
生きてきた証じゃない
そんなこと、堂々と威張って受け入れなきゃ

愚痴の液体にどっぷり浸かって、醜く染まっていくよりは
穏やかな温かい気持ちになって、まわりのひとたちを穏やかな温かい気持ちにしてあげようよ
長い年月生きてきた人にしかできないことがあるんだよ

エネルギーは良くても悪くても強い方から弱い方へ流れるんだって
私のエネルギーは穏やかなんだけれど、
まだ強くないから身体が丈夫じゃないから、しっかり受け止めることができなくて
あなたの恨みのエネルギーにいつも負けてしまう

いつも穏やかに、温かく・・・と決意して行くのだけれど
少しずつあなたの不満のエネルギーに侵食されくたくたになって帰ってくるの
微笑みは全部吸取られて・・・
まるで宮崎駿さんの世界

私のオーラがそれに勝るには、多分もう少し私の身体が丈夫になって
精神ももっと逞しく優しくならないとね
そして、あなたに少しでいいから慈しみの気持ちが芽生えてくれたら大きな力になるだろうな
少しずつ、少しずつ・・・

2011年7月20日水曜日

さようなら、原田芳雄さん

昔、まだ私が若い頃、『二丁目3番地』というテレビドラマが大ヒットしていた。
シャキッと強い浅丘ルリ子と、頼りない強くない男の石坂浩二の演ずるへいちゃんのラブコメディーというか、ファミリードラマというか・・・とにかくとても素敵な番組だった。
赤い鳥の澄んだ声が歌う、『目覚めた時には~いつでも晴ーれてる♪』というテーマ曲がいつまでも聞こえる。そして、二人の言葉合戦(多分脚本が面白かったのだろう)が巧みでとても面白かった。

その後、好評だった2丁目に続いて、『3丁目4番地』が始まった。
こんどはビリー・バンバンの『過ぎた日のほほえ~みは、みんなきみ~にあげる♪』・・・曲は2丁目の方が好きだったが、これもなかなか良かった。
私は2丁目の頼りないヘイちゃんのファンだったが、そこに強力なライバルが出現した。

下宿人のロクさんだ。
いつもどてらを着ていて、踏み台から天井裏に顔だけ出して、置いてあるレールの上の電車を動かしている。鉄道?山道みたいな気もするが、とにかく列車マニアみたいな世捨て人的イメージの、スナフキンみたいな奴だった。ただし、たまらないスケールの大きさと魅力のある人だった。

この人がドカン!と来た。
この役者さんだれ?初めて見る顔だった。 
原田芳雄。 
何て地味な名前、俳優じゃなくてその辺の人みたいね。
これが彼との出会い(一方的だけど)だった。

私はアウトロー的な、泥臭くてどこそこ冷たいが本当はめちゃくちゃあったかい、欲がなくて、どこか達観していて、でもハンサム・・・自分があって、地位もお金もないのに堂々としている・・・そんな彼に夢中になった。多分二十歳の頃ではないかなあ?

当時の私は映画やテレビは好きだったが、俳優さんに夢中になるタイプではなかった。
今でもサッカーが大好きだが、おっかけするタイプではないし、特定の選手のファンになるタイプでもない。
しかし、二十歳の頃の私は彼にはまった。後にも先にも、そういう気に入り方をしたのは彼だけだったような気がする。
もしかすると、若い頃の彼の顔が好きだったのかもしれない。(ちょっこし、若い頃の家のダンナに似ているようないないような・・・)

それからある時期まで彼のテレビは全部観たし、邦画はあまり好きではなかったが、映画も観た。
『赤い鳥、逃げた』
柳生十兵衛をやった時の蝉を黙らせたシーンとか、すごく好きだった。

けれど、原点は3丁目~のロクさんだ。
あそこに私の好きな男性の姿が凝縮されていたのかもしれない。

次第に彼の役柄も変わって行き・・・私の好きだったロクさんの姿はあまり彼の中には見えなくなり、むしろ個性の強い、きつい役どころの役者さんになっていった。緒形拳さんみたいに、やはり邦画や大きなドラマの世界ではなくてはならない存在だった。

彼が亡くなったのは、マジ、ショックだった。
71歳とは知らず、同世代に感じていたからだ。
60代真ん中辺りと思っていた。

私の好きだったロクさん風の役はそれ以後の彼にはなかったが、私の原田芳雄は、あのロクさんとイコールであり、できれば、今の歳であんな穏やかな何もない、けれど格好いいおじいさんの役をもう一度してもらいたかったような気がする。
そうしたら、またドカーーンと来てしまっただろう。

私も、お迎えの準備に備えて、悔いのない人生を心がけよう。

2011年7月18日月曜日

なでしこ、世界一おめでとう!

ここまでやるって、どれくらいの人が予想していただろうか?

延長戦に入ってからは、涙で目が霞んで困った!
澤の同点ゴールの時は、涙だけじゃなくて、本当に泣いてしまった。
宮間のどっしりした頼りになる様子を見ていると、もしかしたら勝つ?って思った。
こういうのを感動っていうんだろうな。
ディッシュの山を見てそう思った。

なでしこジャパンは、今回解説をやっていた川上さんが右のサイドをかけ上がって大活躍していた頃からずっと応援していた。とても綺麗な女性で、取られても、取られても走っていた。すごくタフな選手だった。
みんな仕事しなから、あの小柄な細い身体のどこにこんなパワーがあるの?と思わせるほどのすごい粘りで頑張っていた。
結婚して名前が変わった人もいるし、昔活躍したのに、ベンチにいる人もいた。

でもすごい!世界の頂点に立ってしまったのだから。
何ていい気持ち!
こういうエネルギーで満ちれば、嫌なものが消えて、地球も静かになるかもしれない。
澤さんをはじめ、鮫島、熊谷、岩清水、海堀、川澄・・・みんなありがとう!

美しく、逞しく、男性が絶対まねできないものを持った日本の女性達。
本当にヤマトナデシコだと思った。日本女性は美しい。

2011年7月11日月曜日

ウォーキングに行こうか? 〜認知症戦争の合間

さっきから雷がごろごろやっているので、歩きに行こうか迷っている。
昨日も一昨日も今頃の時間に真っ暗になって、スコールのような物凄い雨に襲われた。雷も落ちた。
だから・・・躊躇。
少し暗くなってきたが、濡れてもいいから行って来よう。

土曜日から軽井沢に来ている。Kzさんは今日は仕事で旧軽の上の方にあるホテルへ行った。

久しぶりのブログ更新。
一ヶ月ものが書けなかった。

オババのあまりの横暴さに完全にキレタ私は、ここ一ヶ月間、文章など書ける精神状態ではなかった。
気持ちの修正と同時に、母の態度が変わったこともあり、少しずつ
『また頑張らねば』
『実の親なんだから捨てるわけにはいかない』
『いくら姨捨山が近くたって・・・』
なんて気持ちになり始めている。

母も、こう思ったようだ
『ソラちゃんがいないと困る、何かと都合が悪い』
『娘だからって、我儘言い放題の何でも思うようになると思ってはいけない』
『ありがとう、だってたまには言わないと・・・』と。
そんな反省で母の態度が少し変わり、私も心が傷つきにくくなった。

そして、自分を立て直さないといけない。自分の人生を人のせいにせずに生きねばならない、と思った。
何歳で人生を再スタートさせたっていいのだ、と村上春樹も書いていた。
何だって捨てることはできる、自分の意識次第で。

母のことは母のことであり、それが全てではない。

ぎょ!ちょっと書いたら出ようと思っていたのだが、やはり雨が降ってきた。
この雨がやんだら行ってこよう!
軽井沢の生活は日常生活の雑事から離れ、自分を再生させること。
運動をし、瞑想をし、考え、何も考えず、美味しい野菜を食べ、たまったやりたいことを思う存分し・・・自分を取り戻す。

今日は英語を読み、スペイン語を読み・・・そして歩く。