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2020年9月15日火曜日

『アコーディオン弾きの息子』ベルナルド・アチャガ



久しぶりに長編小説を読んだ。
ベルナルド・アチャガの「アコーディオン弾きの息子」という作品だ。どうして読みたいと思ったかというとバスクの作品だったことと、訳者がバスク語から直接訳したという情報に惹かれたためだった。
とても小さな文字で573ページもあったが先が読みたくてたまらず一気に読んでしまった。
アチャガはスペイン語とバスク語でこの作品を書いたらしいので、翻訳のギャップは誰かが訳したスペイン語から日本語にするよりもはるかに軽減されるのでちょっとワクワクした。

2014年7月14日月曜日

やさしく読めるスペイン語の昔話 by 松下直弘

お友だちに薦められて読んだが、とても面白かった。



スペイン語を始めて15年ほどになるが、これくらいの本だとわりと楽に読めるようになったのが嬉しかった。










スペイン語のとなりのページに日本語の対訳がついているので、分からない時はそれをチェックできる。
けれど、下の方に単語の意味等も出ているので、まずそちらを辞書代わりに使った方が勉強になるだろう。

2014年5月19日月曜日

『サラミスの兵士たち』 by ハビエル・セルカス 

『蝶の舌』『メキシカン・スーツケース』『アイ、カルメーラ!』と今まで、スペインの内戦を共和党側の立場で接して来たことが多かった中、ファランへ党のサンチェス・マサスの銃殺事件を通してのエピソードから、この作品を通して、反対側にもあった物語や思いを知ることができました。

"Soldados de Salamina"   Javier Cercas    ( 宇野和美 訳)

2014年3月20日木曜日

¡Ay, Carmela! 〜アイ、カルメーラ!(歌姫カルメーラ)

2014年スペイン語の冬講座は、スペイン映画 "Ay, Carmela!" (日本語のタイトルは『歌姫カルメーラ』というらしい)1990年の作品。

監督は『カラスの飼育』のカルロス・サウラ、主演が『ボルベール』であの幽霊おかあさんをやった、カルメン・マウラ。



前回は『蝶の舌』で1936年、内戦が始まる直前が舞台だったが、今回は1938年、内戦の真っ最中、時代的には、前作の続きになる。そしてその後フランコの独裁政治の時代に突入する。

クラスではそこに当時の芸術家たちがどんなだったかを織り交ぜてまたまた素晴らしい授業になった。

2013年10月24日木曜日

『ロルカ ー スペインの魂』 by 中丸 明(集英社新書)

詩はKzさんの範疇なので、あまり関わらないのだが、スペイン語の友人Kさんのお薦めでこの本を読んだ。内戦の勉強をした後だったので、とても良い勉強になった。

中丸明さんの『ロルカ— スペインの魂』

ロルカ――スペインの魂 (集英社新書)
中丸さんの本は、『スペイン5つの旅』に続き2冊目。

スペイン語をやっていると至る所で詩人と出会う。
前回の夏講座『蝶の舌』では、アントニオ・マチャードだったし、『モーターサイクルダイアリーズ』では、パブロ・ネルーダだった。

特にロルカはちょっとした引用でも、本当に接する機会が多いスター的存在だった。

それなのに、私はロルカのことはほとんど知らなかった。

2013年9月18日水曜日

『蝶の舌』 〜何故 "La lengua de las mariposas" なのか?

2013年のスペイン語夏講座は『蝶の舌』でした。

大好きな作品で、原作の短編も読んであったので、とても興味深く楽しい8回の授業でした。



原作者のマニュエル・リバスはスペイン、ガリシア地方の作家で詩人でもジャーナリストでもあります。映画監督のホセ・ルイス・クエルダは彼の3つの短編を作品に織り込み(紡ぎ)見事な作品に仕上げました。

ガリシアの美しさ、1936年以前の平和、そしてそれ以後の世界への不安の暗示を子供と老教師というイノセントな組み合わせの中に、美しく、哀しく、強く、優しく、描き出しています。アントニオ・マチャードの詩の響きとともに心に深く浸透してきます。

そこに、映像の美しさと音楽の競演が又作品に命を吹き込み更に忘れられないものに仕上げています。何と音楽はあのアレハンドロ・アメナバル(『海を飛ぶ夢』の監督)です。

2013年9月12日木曜日

『メキシカン・スーツケース』 〜The Mexican Suitcase ロバート・キャパとスペイン内戦の真実

2007年メキシコで3つの箱が発見された。




その中にはロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デビッド・シーモア、これら3人が撮ったスペイン内戦中のその目で捉えた報道写真のネガが4500枚入っていた。

内戦から70年の時を経て、スペインからの難民がメキシコに渡って人生を立て直したように、同じような足取りで、このスーツケースに入ったネガも色々な人を経てメキシコに運ばれ、とうとう世に出たのだ。
まるで何かに守られ導かれたように。



2013年2月14日木曜日

El Principíto (星の王子さま)〜蛇はamiga?それともmala?



スペイン語のパトリシア先生との勉強会で"El Principíto"(星の王子さま)をやった。
(原文のフランス語に近い言語で読んでみよう!)

2章と21と26章を中心にやったのだが、結局全部読んでしまった。
日本人ほど、この作品が好きな人種はいないのだそうだ。

高校生の頃、英語で読んだ。そして我が家には、フランス語、英語、そしてスペイン語の王子さまがあり(日本語もあったはずなのだが・・・どこ?)、更に、サンテグジュペリに関する本は山のようにある。(ちょっとオオゲサかも・・小山くらいかな?)

勉強会で色々あったうちの面白い論点が、「蛇は友だち(amiga)か、それとも悪者(mala)か?」だった。
先生が "serpienteはもうdomesticadoされてる?それともprincipítoを騙しているだけ?さあ、みんなで話し合ってみて!"

我々のグループは、女性5人、男性1名。
女性陣が友だち、あるいは少なくても悪い奴じゃないという意見、
男性が一人頑張る、
「蛇は悪い奴に決まっている、昔からそういうものだ」などと言いながらmalaに一票! 
「蛇は狡猾のイメージがあるかもしれないけれど、知恵があって賢いとも言えるわ〜」
と、ロマンチストとリアリストに分かれた。

蛇は王子さまが地球に降り立った時、最初に出会った生き物だ。(17章)
人っ子一人居ない、砂漠のど真ん中で、地面を這っている見たこともない奇妙な生き物に向かって、王子さまが「何にもなくて寂しいね」、と言うと、
「たくさんの人と居たって寂しいよ」と、なかなか意味深いことを言う。多分今までの経験から、そんな答えが出たのだろう。蛇は一人ぽっちだった。

『ただの人』と、『関係を持った関わったことのある人』との違いだ。

serpienteとprincipítoはこの章で、ちょっと関わりを持ったのだ。蛇にとって、王子さまとの出会いは、その他の『たくさんの人と居る』だけの意味合いとは少し違う『関わり』があったのではないだろうか? それは王子さまが何かを求めて語りかけるから・・・その蛇に聞いているから。

キツネに言わせると、domesticado(飼いならすと訳されているけれど)の意味は、"crear lazos" (絆を作る)ということなのだそうだから。時間と労力をかけたそこの過程を通り過ぎないとamigoはできない。

だから26章で、毒を持った蛇が王子さまに噛み付いて魂をバラが待つ彼のplanetaに戻してあげる手伝いをしたのは、少なくとも悪意からではなく、静かなクールな好意からだと私は思った。


さて、どうしても引っかかったのは、domesticadoという言葉。
原書でも、"apprivoiser" という単語が使われています。
意味は同様に、飼いならす、従順にする、手なずける、慣れる・・・。

そして、キツネが言う飼いならすことの意味は、créer des liens..    でやはり、『絆を作ること』なのです。

でも、私にとっては、飼いならすという言葉からは、むしろか家畜化したり、上下、あるいは主従の関係があるような響きがあって、馴染めません。飼いならした後に、上下関係ができてしまうような気がするからです。

英語でも、 "tame"という単語が使われています。
言語の違いなのでしょうか?(日本語で今回は読んでないので、どう訳されているかは確認してありませんが・・)

サンテグジュペリさんにお聞きしてみたいです。

      *

「友だちが欲しかったら、まず、ボクを手なずけてごらん!」
el zorro(キツネ)になったつもりで言ってみると、心の中で『おまえにできるものならやってみろよ』と思いながら、手なずけられる方が挑戦している感じでむしろ上から目線、そして王子さまが手なずけたらそこで上下が逆転するのではなく、『対等』になるのだとしたら、domesticadoも悪くないのか・・・

自分がキツネになってみたら、サンテグジュペリさんにお聞きする前に納得しました。

ああ、楽しかった!


2012年9月11日火曜日

¡Qué agradable! 〜ha terminado la clase

"La casa de los espíritus"の映画のクラスが今日で終わった。
すごい迫力だった。同じ大作でも、こういう奥深い作品は大好きだ。
それに、ラテン系の作品ならではのマヒコの世界の面白さもふんだんだ。

私は、原書と、木村榮一さんの日本語訳の『精霊たちの家』とスペイン語の映画とスクリプトの四本立てで行ったが、本当に充実したクラスだった。

スクリプトから原書にある部分を拾って読み進めて行くと、映画のストーリーが出来上がる。ブランカとアルバがくっつき、ペドロとミゲルがくっついたが、決してもとの作品を損なうことなく、うまく仕上がっていた。

イサベル・アジェンデの処女作ということだが、そのスケールの大きさに改めて感動した。彼女の背後に実話があり、チリの歴史があり、大統領サルバドール・アジェンデの親族で亡命せざるをえない状況であったがゆえの苦しみの末に書けた作品だと思う。この作品は彼女以外には書けないのだから。

改革派が長年続いた保守派を倒し、アジェンデ政権が誕生し、その後クーデターでピノチェトに倒されるという、激動の時代だ。

エステバンは野心家で、自分の思う通りに生きてきたが、その強さの為に多くの罪を犯した。そしてその罪により生じた恨みから来る復讐の連鎖が、復讐心が復讐を産み、自分に返ってくるのではなく、家族や自分の周りの大切な人々に及び、それが孫の代まで続くという事実に直面する。

しかし、その間娘のブランカもやはり自分の生き方を貫く為に父親と対立し続ける。逆に考えると彼女の行動が同様に父親を苦しめているということにも通じる。

結局、家族を失い、権力を失ったエステバンは自分が犯した罪の大きさに気づき、心から悔い、苦しみ、娘をどうにか救ってあげたいとプライドを捨て頭を下げ、奔走することになる。
娘のブランカも精霊になった母のクラーラの助けを借りながら戦い抜き、父のせいで自分にふりかかった非常に痛ましい復讐の連鎖を勇気を持って断ち切るのだが、、、そう、誰かが勇気を持って恨む事をやめないと、一生戦いが続く事になる。

死ぬまで夫に口をきかなかったクラーラが、絶望のブランカに向かって「憎んではいけないわ、あなたのお父様は決して根っから悪い人間なのではなく、エネルギーがありすぎる(demasiada energía)だけなのよ。だから私は今でも愛しているのよ。」と言う場面が忘れられない。
メリル・ストリープのクラーラはとても素敵だ。特に精霊になってからの彼女の存在感は私たちの心まで包んでくれる。「死ぬということは、産まれることと同じなのだ」と。


"憎んではいけない" 、これは日常の小さなことでも同じだと思う。
私たちの心の中にチリの国家の小さくなった部分が存在しているのではないだろうか?

そしてみんな自分のところで、その "la cadena de venganza " (復讐の連鎖)を断ち切って行かねばならないのだと。だってブランカが受けた仕打ちに比べたら、自分の心の中での仕打ちはまだまだ打ち勝てるものかもしれないのだから・・・。

キャスティングは本当に見事だった。いや〜な人は、私の憎しみが移るくらい嫌でぞっとしたし、アルバの清楚さには心が浄化された。ペドロの父親は心から信頼できたし、クラーラとフェルーラには脱帽だ。
そして、エステバン役の、ジェレミー・アイアンズは若い頃の彼を見るとビックリしてひっくり返りそうになるほど見事に演じきった。

パトリシア先生、¡Muchas gracias!

2012年8月27日月曜日

夏講座:La casa de los espíritus 〜精霊たちの家(映画)

スペイン語の夏講座はイサベル・アジェンデの『精霊たちの家』の映画です(邦題『愛と精霊の家』)。本もとても面白かったですが、映画もとても良くできています。


もう10年越しで勉強を続けている、"La tregua"の翻訳仲間たちと一緒にパトリシア先生に是非又映画をやって欲しいと、頼み込みました。そして今年の夏はそれが叶ったのでみんな大喜びです。

『カテリーナ』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』、"Lista de espera" (邦題は『バスを待ちながら』)に続く4作目が "La casa de los espíritus" です。

今までやってきたどの作品も素晴らしく、とにかくクラスが楽しく、みんな自分からすすんでとても良く勉強するので、その充実感は最高です。

まず、前の週の終わりに観て、配られたスクリプトの場面の再チェックです。
ポイントになる言葉やわからない言葉の意味、使い方などをチエックしながら、映画の内容や、バックグラウンドになる文化や文法や・・・とにかく盛りだくさんの内容をこなします。息を継ぐ間もないほど、機関銃のように次から次へとプリントや考えた事やディスカッションが続きます。
はっと気が付くともう2時間が終わりそう! あわてて次回の場面を観ます。後、先生が起こしてくれた翌週の場面のスクリプトが配られます。

2時間20分近くある映画を8回で終わらせようとしているのだから、のんびりしてはいられません。2時間が3時間分くらいの濃い内容の感じがします。
その上、欲張りにもチリの文化や政治のことまで勉強して行くので、頭がフル回転、授業が終わった時にはクタクタです。

最後に配られたスクリプトを使って次の週までに言葉の意味を調べたり聞き取れなかった箇所を掘り下げたり・・you tube を使って繰り返し場面を観て耳を慣れさせたり・・・と準備をしてきます。
すると、次の授業では聞き取りがとてもスムーズにできるので、ビックリです。一週間でスペイン語が上達したような錯覚に陥ります。

しかも、原書を持っている人もたくさんいるので、映画と合わせながら頑張って読み進めています。作品のポイントがもっと深く分かります。

この映画は、特に人物構成は原作をかなり改造してあるのですが、内容的にはとても上手に改造してあると思います。原作と一緒に読んで行くとエピソードの入れ方などに違和感がないのが不思議です。
何しろ女性三代にわたるファミリーの歴史を背負った作品なのでそのまま描いていたら大河ドラマなみ、イタリア映画の『輝ける青春』みたいに6時間も7時間もかかっても終わらないことになるので、映画としては質を維持しつつうまくまとめていると思います。

クララ(メリル・ストリープ)の最初の場面は無理若でしたが、今は丁度良い感じで素敵に歳を重ねています。トゥルエバ(ジェレミー・アイアンズ)の演技が光っています。
そして妹のフェルーラ役のグレン・クロースがいい味を出しています。

クラスも後半に入り、あと3回です。
楽しみ、楽しみ!

2012年7月9日月曜日

"Historia de una gaviota y del gato que le enseñó a volar" 〜カモメに飛ぶ手ほどきをした猫の物語


この作品は、『カモメに飛ぶ手ほどきをした猫の物語』というタイトルがついている。
スペイン語の本だ。作者はルイス・セプルベダ (Luis Sepúlveda) というチリの作家で長い間色々な国を回り、現在ドイツ在住だ。。
平田渡さんがスペイン語の学習教材として原書のまま注釈をつけて編集して下さった。

サブタイトルに、"8歳から88歳までの若い人びと向きの小説"と書いてある。
今年の四月に同学社から刊行されたばかりだ。

『カモメに飛ぶことを教えた猫』というタイトルで日本語の翻訳本も随分前に出ているらしい。
ヨーロッパでは大ベストセラーだったそうだ。(何年頃だろうか?)

私にとっての初体験は、初級用ということもあり、とにかく速読できたことだ。辞書を使わなくてもどんどん読み進めることができた。今までは辞書を引いても分からないような作品ばかり読んでいたので、原書をこのように読めることはとても嬉しかった。

英語や日本語の本を読んでいるように、分からない箇所は飛ばして読んでも意味はきちんと付いて来てくれた。

挿絵が素晴らしく、もちろん文章もとても素敵だ。

カモメのケンガーはほんの一瞬のことで群れからはぐれてしまい、やっとの思いでヘドロの海から飛び立ったが、ハンブルグのソルバスというデブ猫のいるバルコニーに墜落し息絶えてしまう。この時の群れからはぐれる様子などは可愛らしくて笑ってしまうが、その後のことを考えると笑ってはいられない。

ソルバスはバケーションに行っている飼い主の一家の留守中で一人のんびり留守番だ。瀕死のカモメが空から落ちて来たのだから大変だ。そしてこのケンガーにあることを約束させられる。

ケンガーはソルバスの前で卵を産んで死んでしまうのだが、ソルバスはその卵を孵して育てて旅立たせてあげなければならなくなったのだ。 ソルバス自身も大変な生い立ちがあって今の飼い主のお陰で立派に育てられているので、一生懸命にカモメの赤ちゃんの世話をする。本当に必死で。

それでも、自分一人ではできないことだらけで、まわりの色々な仲間たちに助けてもらう。もちろん人間にも。
猫は、本当は人間の言葉をしゃべることができるのだそうだ。内緒だが・・・

カモメの子アフォルトゥナーダは最後には見事に飛び立って行くのだが、その間の悪戦苦闘が実に楽しい。多分劇場で芝居がかってやったら面白い作品になるだろう。

約束を必死で守るソルバスの温かい姿はとても貴重だ。いつの世でも、どこの国でもみんなの心の中にもそんな気持ちがあって欲しいものだ・・・
良い作品はいつになっても8歳から88歳までの若い人々を心から楽しませてくれ、病んだ心を癒やしてくれる。(何故88歳までなのか・・・?)

2012年5月20日日曜日

"Los fugitivos"  〜逃亡者たち〜

私たちのスペイン語の仲間では、年二回のペースで学校がオフの時にスペイン語の原書を読んでみんなで意見を交換している。

今使っているのは:Antología   "Los mejores relatos latinoamericanos" というラテンアメリカの傑作短編集。

この会は、最初3年がかりで、マリオ・ベネデッティの"La tregua"を翻訳したところからスタートしたのだが、私たちの実力で難解なスペイン語の小説を正確に訳すのはあまりの骨折りで、それが終わった段階からは「もっと楽しんで短編を気楽に読みながら〜」という方針に変わった。

それでも、これはとても楽しい作業で、準備は大変だが、原書を読みながらパトリシア先生を囲んでみんなで意見交換をできるのはとても素敵だ。もちろんその意見交換はスペイン語で行われるので、うまく表現できず、思ったことの半分も伝えられないので少々消化不良ぎみでもあるのだが・・・楽しくてそんなことはどうでも良くなるから不思議だ。

今回の作品 "Los fugitivos" は、アレホ・カルペンティエル(Alejo Carpentier)というスイス、ローザンヌ生まれのキューバのジャーナリストである小説家の短編である。

後になって知ったが、日本では1978年に蔵原惟人によって『犬と逃亡奴隷』というタイトルで短編名作集の中で訳されているらしい。

ハイチ革命というハイチの黒人奴隷の反乱につながる世界を描いているのだと思うが、サトウキビ工場から逃亡した黒人奴隷と、逃亡者を追跡する立場にある番犬で、群れから離れてしまった名前を持たない『犬』の二人(?)の逃亡者を対比しながらメタファーを使って皮肉に力強くえぐるように心理をついて描いている作品だ。

この日は、大嵐が来る日で、時間がたっぷりなかったので、後で先生にメールで言い足りなかったことを送った。それを載せておく。


A causa del tiempo mal, no teníamos horas suficiente.
Tenía más cosas deseaba decir como: "Es la historia de independencia de Perro."
"Hay muchas guerras para su independencia como :

Perros contra humano,
Perro contra jibaros,
blancos contra negro,
Perro contra Cimarron,
fugitivo contra policia,
autoridad contra obediencia,
libertad contra hambre,
libertad contra soledad,
los fuertes contra los débiles,
grupo contra solo (individual),
dependencia (pertenecer?) contra independencia,,,etc

En esta situación para hacerse independencia debe de luchar contra algo como la lista arriba.
Es Perro.
O si no es fuerte, solamente debe de morir como Cimarron.

つまり、この作品はある意味では、『犬』の自立の物語であり、犬は犬なのだが、黒人に対して何か別の生き方をした人間の化身を犬として描き、比喩を使って、孤独に負けて怠惰に屈し死に行く黒人奴隷に対し、あらゆる戦い(監督:奴隷、一匹狼:群れ、白人:黒人、犬:奴隷、権力:服従、自由:空腹、自由:孤独・恐怖、強者:弱者、依存:独立・・・)に打ち勝った『犬』が本当の自由を勝ち得て生き延びた。

 犬はそれほど服従を嫌い、鞭を嫌い、、、初めは一人になって恐くて寂しくて遠くの野犬の鳴き声にすらびくびくしていたが、夜の闇から始まって、色々な命がけの戦いを勝ち抜く毎に、野生化しながら強くなり仕舞いには一時は友だちだった再び逃亡して来た黒人奴隷すらも引きちぎって食べてしまう。こうして勝ち得た生き延びるための自由。

(ここで勝ち得た自由はハイチの革命で勝ち得た自由と比較したらどうなのだろうか?)

しかし、そこで得た本当の自由は、永遠の戦いの繰り返しがないと得られない物であり、ある時は以前友人だったものでも敵になり殺さないと得られない物であるという、どうしようもない不条理さが隠されている。
それでも、奴隷で屈するよりそのいばらの道を選ぶ・・・という疑問の投げかけは、私たちへの問いかけとなる。

ラテンアメリカの文学はすごい。
ちなみに、第一回目はガルシア・マルケスの"En este pueblo no hay ladrones" (この町に泥棒はいない)でした。

2012年2月8日水曜日

豊かな人材

1997年からW大学のエクステンションの講座を取っている。
もう15年になるということか・・・

これまでに、随分色々な方々にお会いして来た。そして講座毎にタイプがあったり、馴染んだり駄目だったり・・・色々だったが、豊富な人材に恵まれている。
2000年からスペイン語を学んでいる。そしてスペイン語で出会った方々が一番気だてが良くて明るく、人懐っこくて自分に取っては馴染める方々が多かった。

昨日、久しぶりに皆さまと先生抜きでお会いして思った。
『何と個性的な方々が多いのだろう?』あまりアグレッシブな人には出会わなかった。どちらかというと人のために尽くし献身的な人が多かった。
しかも楽天的で明るい!

そして可笑しいのは、あのクラスで出会ったのに、このクラスのあの人が知っていて、だから友達の友だちで又友だちになってしまい、どんどん人の輪が広がって行った。
よって、クラスは違ってもみんな友だち!

不思議と嫌な人がいない。そしてみんな可笑しいくらい個性的!性格もそうだが、やってることがなかなか面白い。鳥博士、語学の達人、お菓子作りの名人、87歳の技術者、学者負けの洞察力の元商社マン、プロの翻訳家なみの素人翻訳家、ダンサー、フラメンコのカンタータ、染織家、画家、できる限りどこへでも応援に行く西武ライオンズのファン、元商社マンの中学の校長先生、、、あげていると切りがない。

だから楽しい。
私もその豊かな人材の仲間入りをしたいのだが、どんな風に形容したら良いのだろう?
『何の取り柄もないけど、居るとクラスが面白くなる人』『居ないと何となく寂しい人』
こんなところかな?

2011年8月30日火曜日

『グッド・ハーブ』 ~Las buenas hierbas~

グッド・ハーブ "Las buenas hierbas" を観に行ってきた。

前回の映画はヘルペスの真っ最中で、治りかけと信じていた頃に観た、『91歳のおばあさん』のやつだから、久しぶりの映画だった。

これも、老いがテーマ。
最近頭の中は老いと人生の終わらせ方と認知症で占めているから、どうもこういう映画が多くなる。
でも、パトリシア先生のお薦めだけあって、秀作だった。

監督は、メキシコの女性監督で、マリア・ノバロ。
男社会のメキシコでは独特で、女性を主役にした作品を作る監督というポジションを維持しているらしい。



難しい映画だった。
観客の教養のレベルと感性の豊かさが要求される。多分そういう知識の無い外国人にはむしろ少し退屈に感じるかもしれない。

メキシコでも有数の民族植物学者である薬草の研究者、アルツハイマーに侵されるララという母親、コスモというメチャ可愛い男の子のシングルマザーでラジオ局のパーソナリティ、ララの娘のダリア、そして近所のおばあさん、孫娘を15才で殺されてしまった心の傷を背負って一人で暮しているブランキータの3人の女性が柱になっている。

ハーブのこと、メキシコのアステカ文化のこと、メキシコの社会のことをもっと知っていると、もっともっと深みが増してくると思う。

私はハーブが好きだし、アルツハイマーの母親を抱えているし、先生はメキシコ人で、少しはメキシコのことも分かる。 この映画を観るべき要素はたっぷりだ。けれどこの映画が分かるにはまだまだ足りない、だってあまりにも色々なことが含まれ、隠れているからだ。
特に薬草のことはもっと分かるといいなあ~と思った・・・と『もっとづくめ』

映像と、ラジオ局の同僚二人が奏でる音楽とハーブの美しさと、それだけでも浸っているには十分かもしれない。

生と死、生き方と死に方、強さと優しさ、苦しみと喜び・・・相反するペアが無数に織り込まれ、けれどそれらは対立するものではなく、お互い内包し合うものだと、そんな思いで戻って来た。

母もアルツハイマーが進むと私のことが分からなくなるのだと思う。
やはり医者が言うように、「家族を認識できる期間をできるだけ伸ばしてあげたいですね」今の私にできることは、優しさを持って、心からの敬意を表しながら記憶のある日々を幸せに過ごしてもらうことなのだろう。
次のステージはいつ頃来るのだろうか?

有数な民俗植物学者でもなってしまう認知症、原因は何なのだろう?
幸せに暮していても、依存心がなくて独立していても、家族がいても、いなくても・・・・

自分にもやがて訪れる世界、謙虚に心穏やかに受け入れられるよう、その日まで気持ちよく生きよう。

2011年2月22日火曜日

『精霊たちの家』  ~La casa de los espiritus~


イサベル・アジェンデ作

木村榮一訳


パトリシア先生に薦められてずっと気になっていた本をやっと読み終えた。

2段構えの長編なので読みでがあったが、面白くてどんどん読んでしまった。

歴史を背負っているすごい作品だ。


恨みや憎しみで復讐してはいけない、復讐が復讐を呼び末代まで変わることのない憎しみが又子孫に返ってくる。そして留まることのない憎しみの繰り返しが永遠に続くことになる。

そんなメッセージが身にしみて感じられた。


それにしてもラテン文学は悲劇や残酷さの中にも何とも言えないユーモアがあって、実に面白い。

ガルシア・マルケスを読んでいてもそうだ、救われない残酷さの中に何ともやりきれないのに、妙に清清しく不思議な笑いがあるのだ。くすっと笑ってしまうような。


そして、思うのだ、『そう、この笑いの余裕を持って受け止めれば、人生何が起きてもそう悪くはないぞ』って。


精霊たちの力が及ばない闇の世界がある。

私も精霊たちに見守られているような気がするのだが、多分その領域外にでてしまうと、彼らでも助けることがだきないのだろうなあ~と、ふと思ったのだ。そして、それと戦わねばならないのは自分の勇気と信念と愛と賢さ。

2010年9月28日火曜日

秋講座スタート ~vamos a estudiar~

夏休みも終わり、いよいよ今日から秋講座が始まった。

スペイン語だ。もう10年もやっている。
いつも夏講座も取っているのに、この夏はあまりにも色々あって、取れなかった。
そして、むしろ取らなくて良かったと思う。 
が、、、しかしなのだ、頭の中が空っぽ! 
『オズの魔法使い』のかかしさん状態、つまり "cabeza vacía" だ。
まるでスペイン語が出てこない。
しかしフランシスコも英語が混じっていたから、まっ、いいか!

クラスメイトの面々も元気なお顔を見せてくれた。すぐにいつものペースになる。
プロフェソーラ・ジーナの元気なパワーに久々のご対面!やっぱど迫力!!

夏の疲れも吹っ飛んで、又大笑いして過ごせるだろう。
元気をいっぱいもらって、踏ん張ろう。人生の踏ん張り時なのだから。
うんしょ、うんしょ!