2013年12月24日火曜日

我が家の世代交代⑨ 〜掃除機 Dyson モーターヘッド・キャニスター DC48MHSP

ドイツ、ミーレ社(Míele) の掃除機S344i シルバースターがついに世代交代になった。
空気を汚さないという意味では画期的な掃除機だった。
吸塵力も大変良かった。

平成13年4月からの使用だから、12年間フルに使ったことになる。

2013年12月20日金曜日

弱音を吐こう介護日誌 (43)〜車椅子とおむつ

ホームに入居以来3年近く頑張って来た母であるが、とうとう歩かなくなった。
理由は『歩くと足が痛いから』
そして、1週間のうちに平気で車椅子の人になってしまった。自分ではこのことの重大さに気付いてはいない。

鶴瓶さんのCMで、「人は太るから膝が痛くなるのか、それとも膝が痛いから太るのか」って感じのがあったが、母の場合は「痛いから歩かないのか、歩かなくなったから(筋肉が萎えて)歩くと痛いのか」?と、『鶏と卵』問答が私の頭の中を廻っている。

2013年12月13日金曜日

女のいない男たち1・2 〜 『ドライブ・マイ・カー』と『イエスタデイ』 by 村上春樹

たまたま文藝春秋を読んでいて、タイトルの2作品を読んだ。
どちらもビートルズの曲名だ。

そして『女のいない〜』はヘミングウェイの短編集のタイトル("Men without women")と同じだ。なんらかの関連はあるのだろうが、これはまだ私は読んでない。

2013年12月6日金曜日

右膝の痛み 〜半月板損傷と変形性膝関節症

今年の7月の左足小指の骨折事件以来、同じ頃発生した右膝内側の痛みが続いている。
膝を折り曲げることができないのはとても不便だ。

骨折の時にお世話になった整形外科では、最初ヒアルロン酸の注射をすると言っていたのだが、私の主治医から送られて来たカルテを見て、私の体質についてのコメントが気になり、もしかしたら筋肉に関係する種類の薬は身体に合わないかもしれない、アレルギーを起こして歩けなくなるといけないから・・・と温存を選んだ。

レントゲンで変形性膝関節症、MRIで半月板損傷の病名をいただいた。

2013年11月28日木曜日

ロン・カーター アメージングトリオ 〜のはずが、カルテットになってしまった(>.<)

『ルイジアナの夜明け』という映画を観た時、そのバック音楽に強く惹かれた。
それが、私のロン・カーターとの最初の出会いだった。


彼のベースの音は、私の胃袋を揺らした。

そのロン・カーターの演奏をナマで聞けるというので、頑張ってチケットを取った。
その日売り出しのもう一つを棒に振ってまで、頑張ってチケットを取ったのだが・・・


2013年11月23日土曜日

弱音を吐こう、介護日誌(42) 〜そんなに歓迎しないで

ここのところオババの症状が進んでいる。

先日のブログでも書いたが、洋服の順序が分からなくなるし、お部屋は衣類で散らかるし、顔の表情が少し間の抜けた意志のない個性のない顔に変わりつつある。

看護婦さんにも、「ちょっと寂しいかもしれませんが、混乱しているので衣類は5セットくらいにして後は全部片付けて、必要な時に、時々入れ替えて下さい。『これからお身内は辛い時期に入るでしょうが、変化に覚悟を』」と警告を受けたところだ。

けれど、相変わらず、毎回「盗まれた〜」と大事な物を工夫して隠しているので、まだ、闘争本能が残っているだけいいか!なんて思っている。

2013年11月12日火曜日

アリス・マンロー (Alice Munro)  〜心の動き

アリス・マンローは気になる作家だった。そして、やはりノーベル文学賞を受賞した。

青山南先生のアメリカ短編のクラスでご一緒していたMさんが、彼女の作品が大好きだと以前コピーを下さったことがあった。
彼女は私の読解力をとても評価して下さっていて、それを活かしてプロになるように薦めて下さったかただ。そしてご自分は青山クラスを離れ大学院へ行かれた。
私は先生のクラスもなくなり、そのままだ。

2013年10月30日水曜日

『ガラスの家』 〜父親vs息子

初回を観た時、まだ何も知らない私は、思わせぶりなオープニングの罠にはまって、『多分あの二人は、これからあの崖から飛び込んで心中するのだろうな?』と最初に結論を見せられたような気がしていた。
丁度、山崎豊子の『運命の人』のモックンみたいに飛び込んでしまうと・・・

2013年10月28日月曜日

紅茶メモ③ 〜トゥルザムとマオリブルー

一年に2〜3回しか紅茶を買いに行かないが、8月に行ったばかりなのに、週末丁度銀座に出たので又マリアージュフレールに寄ってみた。
いつもは大体10月に良いお茶が入ってくるのだが・・。

恒例のお決まりコースだ。
ジョン・スメドレーを覗いて、Mフレールで遅いランチとお茶をして、紅茶を買って帰って来る。台風で空いているだろうと見越した。

Mフレールとの経緯は今までの紅茶メモはこれとかこちらに書いてあるが長年のおつきあいだ。

2013年10月24日木曜日

『ロルカ ー スペインの魂』 by 中丸 明(集英社新書)

詩はKzさんの範疇なので、あまり関わらないのだが、スペイン語の友人Kさんのお薦めでこの本を読んだ。内戦の勉強をした後だったので、とても良い勉強になった。

中丸明さんの『ロルカ— スペインの魂』

ロルカ――スペインの魂 (集英社新書)
中丸さんの本は、『スペイン5つの旅』に続き2冊目。

スペイン語をやっていると至る所で詩人と出会う。
前回の夏講座『蝶の舌』では、アントニオ・マチャードだったし、『モーターサイクルダイアリーズ』では、パブロ・ネルーダだった。

特にロルカはちょっとした引用でも、本当に接する機会が多いスター的存在だった。

それなのに、私はロルカのことはほとんど知らなかった。

2013年10月19日土曜日

『(株)貧困大国アメリカ』 岩波新書 〜堤未果

お友達のSさんにお借りして、大変興味深く読んでしまった。


とても面白かったので一気に読み終えたかったのだが、なかなか日常が忙しく、今日になってしまった。

この本を読むまで堤未果さんを知らなかったが、今になってみるとああ、あの人かと思い当たる節がある。

例えば9.11の時に野村證券に勤務していて、事件に遭遇したこととか、クーリエ・ジャポンの『貧困大国』の特集記事で目にした名前だ。

2013年10月17日木曜日

弱音を吐こう、介護日誌(41) 〜盗まれたぁ、盗まれたぁ〜

今日はマジくたびれた(泣)

行っている間中、「化粧品が盗まれる」「全部なくなった」の繰り返しだった。記憶は5分と持たない。怒らせると厄介なので何でも受け入れようと心に決め、何十回付合ったか?? イライラ・・・

毎回隠す場所が変わっているので、こちらも部屋の中をあちこち探すのが大変なのだ。つまり盗まれない為に、あっちへ隠し、こっちに隠し・・・そして結果、本人はどこへ隠したか忘れ、もちろん隠したことさえも完璧に忘れ・・・よって盗まれたことになる。
泥棒はスタッフの人たち、幸い私ではない m(_ _)m

2013年10月16日水曜日

認知症の特徴 〜老人ホームと家族のチームワークで

母がホームに入所したのが2011年の2月だから、2年と8ヶ月になる。

最初から入所していた、母が一人だけお友だちとして認識していた方が亡くなったことを知り、辛いなあ〜とやりきれない気持ちになりながら、毎日同じ屋根の下で暮らしていながら、それに全く気付かない母を見ると、改めて複雑な気持ちになる。

以前は、彼女が救急車で連れて行かれたと言っては心配し、姿が見えないと気にし、滞在先の病院に「お見舞いに行く」とまで言っていたのに・・。
今では、居なくなったことすら気付かない。

2013年10月4日金曜日

『風立ちぬ』〜何だかもやもや

ちょうど時間が空いたので、これを逃すともう観る機会がなさそうなので、行って来た。

すごくいいという人と、共感できなかった人と結構バラバラなのだが・・・
「う〜〜ん・・・」

2013年10月3日木曜日

認知症の特徴 〜衣類の順序編

以前にも何回かおばあさんの洋服の着方のめちゃくちゃさ奇妙な傾向について触れたことがあったが、いよいよ本格的になってきた。

認知症になると、着替えをいやがるとか、季節感が全くなくなるとかはよく聞くが、もう少し進むと順序が分からなくなるらしい。

2013年9月18日水曜日

『蝶の舌』 〜何故 "La lengua de las mariposas" なのか?

2013年のスペイン語夏講座は『蝶の舌』でした。

大好きな作品で、原作の短編も読んであったので、とても興味深く楽しい8回の授業でした。



原作者のマニュエル・リバスはスペイン、ガリシア地方の作家で詩人でもジャーナリストでもあります。映画監督のホセ・ルイス・クエルダは彼の3つの短編を作品に織り込み(紡ぎ)見事な作品に仕上げました。

ガリシアの美しさ、1936年以前の平和、そしてそれ以後の世界への不安の暗示を子供と老教師というイノセントな組み合わせの中に、美しく、哀しく、強く、優しく、描き出しています。アントニオ・マチャードの詩の響きとともに心に深く浸透してきます。

そこに、映像の美しさと音楽の競演が又作品に命を吹き込み更に忘れられないものに仕上げています。何と音楽はあのアレハンドロ・アメナバル(『海を飛ぶ夢』の監督)です。

2013年9月12日木曜日

『メキシカン・スーツケース』 〜The Mexican Suitcase ロバート・キャパとスペイン内戦の真実

2007年メキシコで3つの箱が発見された。




その中にはロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デビッド・シーモア、これら3人が撮ったスペイン内戦中のその目で捉えた報道写真のネガが4500枚入っていた。

内戦から70年の時を経て、スペインからの難民がメキシコに渡って人生を立て直したように、同じような足取りで、このスーツケースに入ったネガも色々な人を経てメキシコに運ばれ、とうとう世に出たのだ。
まるで何かに守られ導かれたように。



2013年9月9日月曜日

日本にもアッパーシーツがあった!! キングサイズのピローケースも!!!

去年の11月頃、伊勢丹新宿店の寝具売り場を隈なく探し周り、それでも満足のいく物が見つからず文句をたらたら言いながら妥協して買って来た、あの『日本にはアッパーシーツはないの?』騒動が解決した。

ホテルライクインテリア、のお陰だ。

2013年8月26日月曜日

『エトルリアの微笑み』 〜 "La Sonrisa Etrusca" by José Luis Sampedro

スペイン語の友人Kさんはいつもとても素敵な本を紹介してくれる。

『黄色い雨』も素晴らしかった。今回も最後は涙が止まらなくて困った。でも、この涙は温かい涙、哀しみや苦しみから解放された、とても温かい気持ちの良い涙だった。






『エトルリアの微笑み』 
原題は "La Sonrisa Etrusca" 
作者は José Luis Sampedro というスペインの経済学者だ。今調べたらこの4月8日にマドリッドで96歳で亡くなったばかりだった。






2013年8月25日日曜日

スズメバチ占拠

今年は暑い夏が続いています。

大変過酷な日々が続いていたので、東京を空けられず、軽井沢へ2ヶ月程行けませんでした。
その間に事件は起きていました。

夜中に到着したので、その時は全く気が付きませんでした。翌朝Kzさんを駅まで送って、ツルヤへ食糧調達に行った時にも、玄関やベランダに妙にハチがぶんぶん煩いと思っていたのですが・・・

夜Kzさんが網戸にした時に、
「ハチが入って来たよ、気をつけて」と言って直ぐに閉めました。
でも本格的に気が付いたのは何と、その日の夜中・・・いや明け方、暑くて窓を開けて網戸にした時でした。

ぶ〜〜ん、ぶ〜〜ん、ギターの低温をゆっくり弾いているような、サッカーの試合の時アラブの国々の応援団がよく発している、ブ〜〜ンと言う音が枕元で大合唱になって聞こえて来たのでした。

「何事か!!」と身の危険を感じて飛び上がってあわてて網戸を閉めました。


外に出て庭から見てみると、壁が蜂の巣で棒状に模様を作っていました。
薄い木の皮のような材質です。換気口の周りではずごい数の真っ黒いハチ。

2013年8月5日月曜日

兄貴 〜孤象のように一人で歩く

連日嫌なことばかりで少々落ち込んでいた。
今週は夏休みでクラスがない。ちょとした解放感のはずなのに気が重い。

今日は兄が母のホームへ行く日なので、いつもは予習でひいひい言っている月曜日だが母に美容液を届けるついでにちょっこし兄に相談に行って来た。
自分の道を見失いそうだったからだ。

この兄は、笑点の小遊三師匠にちょっと似ている(目と髪型かも?)胡散臭い奴なのだが、私のことをとても親身に考えてくれる。

2013年7月23日火曜日

左足小指の骨折

私は大変な冷え性だったので今まで靴下をはかずに夏を超したことがなかった。

素足でいると、ふくらはぎが限りなくだるくなってきて、叩いてもたたいても感じなくなるので切断したいような気持ちになる。
その上、下腹部がはって来て、、、冷えてお腹を壊す。

今年の夏の我が家は、次々と天下をひっくり返すようなシビアな事件が起きるので、すっかり疲れ果て抵抗力が極度に落ちた私は、案の定右足の水虫が再発したので、思い切って素足になってみた。
というのも、私は皮膚が弱くて自然素材の靴下でないと駄目なのだが、体調が良くないと過敏体質になり、どの靴下をはいても皮膚がただれてささくれ立ってしまい、困っていたからだ。

2013年7月2日火曜日

貴婦人と一角獣展 〜The lady and the unicorn

乃木坂にある国立新美術館でやっている『貴婦人と一角獣』展を観て来た。

1500年頃に制作された6面のタペストリーでフランス国立クリュニー中世美術館の至宝だそうだ。日本初公開。




6枚合わせると全長22mというから、天井から吊り下げると壮大な光景になる。
ちょうど小さいものでも6畳間にピッタリと敷き詰めた絨毯くらいの大きさがあるだろうか? 高い天井でないととても納まらない。

2013年6月28日金曜日

人間ドックの影響 〜白血球減少

20年程前から健康に色々問題が生じ、薬を受け付けない体質でもあったので、医者嫌いの私も病院のお世話にならざるを得なくなり、7年ほど前からある病院の会員になった。

一年に一度きちんとした人間ドックを受診するようになって7年になるが、過敏体質のせいか、ドック自体からの弊害が出ている。

毎年必ず、ドックを受診後白血球が正常値を下回る。主治医に「次には戻るから大丈夫ですよ」と言われて、確かに次回には正常値に戻るのであまり気にしなかった。

ところが今年は半年戻らなかった。

2013年6月26日水曜日

『ローマでアモーレ』 〜To Rome with Love  by Woody Allen

最近のウッデイ・アレンは少々疲れる。
私が歳をとったせいか?それとも彼がマンネリ化を始めたのだろうか?

若い頃、そのシニカルさが好きで、結構Woody Allenの作品は観た。

『アニー・ホール』『マンハッタン』『カイロの紫のバラ』『ギター弾きの恋』などはとても面白かったし、わりと好きな作品だった。

何となく都会的でおしゃれで、勝手で煙に巻いていて・・・ちょっぴり知性を必要とするからニューヨーカーのスノッビィさをくすぐるのだろう、私も一つ一つの単語や小道具で「うん、うん、それ知ってる」とか、「分かる分かる、こんな所にこれ置いて・・・知る人ぞ知るだわ〜」などとくすぐられた一人だった。

最近の各都市を題材にしたシリーズでは、スペインの『それでも恋するバルセロナ』フランスの『ミッドナイト・イン・パリ』と今回のイタリア『ローマでアモーレ』を観ているが、ちょっぴり疲れを感じ始めた。
















2013年6月16日日曜日

『真夜中のパン屋さん』 〜焼きたてのパンの香りがする話

日曜日の夜10時からのBSのドラマ。

タッキーは大河ドラマで義経役を観た時に、「なんて下手くそなんだ!」と役者としては観る気にならなくなった人だった。
けれど、このドラマのタッキーは下手くそがピッタリはまっていて、実に良い味が出ていた。

夜11時から開店する『真夜中のパン屋さん』そこには思わず胸が熱くなるような、目頭がうるむようなしっとりした話が盛り込まれていて・・・人の心の孤独や寂しさをついて厚みのある、けれど焼きたてのパンのような香ばしい柔らかさに包まれる作品に仕上がっていた。

2013年6月8日土曜日

『リゴレット』 〜ヴェルディ名作オペラ映画祭

九段下にあるイタリア文化会館へ行って来た。
6月6日からヴェルディの生誕200年を記念して映画祭をやっている。

昨日は"リゴレット"


1982年の作品だからマントヴァ公爵役のパヴァロッティはまだ若い。47歳くらいだろうか?

2013年5月23日木曜日

ポルトガルの"abyss"とイタリアの"dea"のタオルケット

どっちがいいかしら?

まず、ポルトガルabyss社のタオルケット:

両端が、twill地のバイアス織のブランケットで、真ん中がsuper pile地の150×210cm のタオルケット

真ん中は明るいモスグリーンなのだが・・・こちらの方がよく見えるかな?



そして、イタリアdea社 のエジプト綿のタオルケット:


淵のかがり布はもちろんコットン。ちょっと暗くて毛足がよく見えないかしら?


こちらもサイズは150×210cm, とても癒される色合いで爽やか〜〜ソフトで気持ちいい!


2013年5月16日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(40) 〜老人ホームで好かれるには?

うちのオババは最高に口が悪い。
威張っているし、我が儘だし、負けず嫌いだし、命令口調だし、ずぼらだし・・・だけど、何故か人に好かれる。

どうしてだろうか?と考えてみた。
答えは、『お茶目!!』(しかも、天然の)

2013年5月10日金曜日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 by 村上春樹

いつもだったら予約してAmazonから着いた途端に読み始めるのだが、今回は『シャンタラム』にはまっていて、それを読み終えてから読み始めたので、今日までの間に随分色々な評が出始めている。

もっとも作品を読み終わるまで、評は読まないことにしている。


『1Q84』の更なる続編が出るのかな?と思っていた矢先にこの作品が出たので、興味津々だった。
どんな風に前作を引きずらずに新しい作品を仕上げることができるか?結構正念場のような気がしていたからだ。

2013年5月4日土曜日

シャッラ! 『ブルーノの幸せガイド』 〜Scialla!

何か日本語タイトル合ってねぇぞ!



お友だちのお薦めで、イタリア映画『シャッラ!』を観て来た。
日本語のタイトルは『ブルーノの幸せガイド』と言うらしいが、原題と同じ『シャッラ!』の方がはるかにピンと来る。

どうして、日本語のタイトルはこうへんちくりんなものが多いのだろう?

ハートフルコメディというジャンルらしいが、確かにブルーノだけでなく、私も幸せにガイドしてくれるような映画だった。涙が出るほど笑った!

けれど、この笑い、ゲラゲラ笑うようなものではなく、クスっと笑ったり、わっはっは!と豪快に笑ったり何とも心地よい笑いなのだった。笑う度に幸せになっていくみたいな・・・

2013年5月1日水曜日

認知症の特徴 〜ショートメモリー(短期記憶)の欠如

母がホームに入り、アルツハイマー型認知症と診断されて2年と2ヶ月が過ぎた。

認知症の病名をいただいているにもかかわらず、私には母はアルツハイマーではなく、ただの歳相応にボケたばあさんなだけなのではないだろうか?と思いたい気持ちは続いている。

ここのところ便の出が悪いらしく、日記帳に「うんちあり」の記録がほとんど無くなっている。
今までは几帳面な母は、排便後直ぐに必ず「ウンチあり」と書いていたのだ。
スタッフの方々も母が「今日はありません」と言っても、必ず母の日記帳をのぞく。そしてニッコリして「あらあら、市川さん、ありましたよ、ほら!ここに書いてある」と言いながら母と顔を見合わせる。
母驚き顔で一言「あったかねえ〜!」

その記述がほとんどないので、看護婦さんに「便秘でしょうか?」と相談したが、「もしかしたら、出ているのに日記の所へ移動する間に忘れてしまっているかもしれません。最近記憶障害が以前より進んでいる感じがします」と言われた。

「それは私も感じます、特に直前の記憶が・・」と頷くと、
「今以上のことはする手立てがありません。これからは見守るしかないかもしれませんね」と言われた。

メマリーとレミニール錠が効いていたせいか、模範生に近いくらい認知症の進行が止まっていた母だが、やはり来るときが近づいているのかもしれない。

今日は、また蚊帳みたいなカーディガンを羽織ってトイレから出て来た。これを着ているときは要注意だ。しかも先日私が買って行ったピンクの長い羽織りもののカーディガンの上にそれより小振りの蚊帳を羽織っているのだから、何ともみっともなかった。

「お母さん、このピンクのカーディガンは一番上に羽織るものだから、この蚊帳みたいなのを上に着なくてもいいんだよ」と言うと、素直に「変だわねえ〜」と頷いていた。

2時45分頃、どうもアクティヴィティのことが気になるらしく、「ちょっと行って来る」と言って出て行った。通常私が来ている時は、あまり参加したがらないのに変だな?と思ったが、「それは、いいことよ、行ってらっしゃい」と送った。

3時になっても戻らないので、向こうでお茶にしたのかな?と私は部屋で片付けをしていた。
母は、私が居る時は、迎えに来るか、お茶は向こうでしないで部屋で一緒にしようと戻って来る。稀にお茶とおやつをいただいてから大急ぎで部屋に戻ることもあるので、今日は私の嫌いな蚊帳を着ていたくらいだから後者かな?・・・と部屋で待った。

実は、私も前日の家のエアコン工事で疲れていたので、お年寄りと一緒に笑顔でお茶する気分にもなれなかったので、部屋で本を読んでいた。

ところが、3時半になっても戻らない。もう出て行ってから45分になる。いくらなんでもこれはない!こんなことは初めてだった。

『やれやれ、とうとう来たか! これは、私が来ていることを完璧に忘れている』と確信した。多分今日は部屋を出た途端に忘れてしまったに違いない。
実はもっと前にそう思ったのだが、それでも思い出すかも・・と微かな希望を胸に実験的に待ってみたのだった。

これ以上待つと折角来ている時間が無駄になってしまうので迎えに行った。

案の定、顔見知りの女性Kさんと話し込んでいる。
これはとてもとても有り難いことで、お話し相手がいるのだと心から嬉しかったのだが、母は私の顔を見てビックリしている。

ほとんどドッキリカメラ並みの驚き方だ。

「すっかり忘れていた。ソラちゃんいたのね」
お隣の女性もビックリ! そしてみんなであきれて大笑い!!

しかし、母は珍しく落ち込んで「こんなに来るのを待っているのに、一番楽しみにしているのに、それなのに忘れちゃうなんて・・・」としおらしく何度もぶつぶつ言っていた。

この事件も直ぐに忘れてしまうのだと思うけれど、本人に戦う意志があってもやはり海馬の萎縮にはかなわないのだろうか?こんな悔しさが脳に働いて踏ん張ってくれたりはしないのだろうか?

どんなに頑張っても、『グッド・ハーブ』の映画にあった、徐々にアルツハイマーが進行して行ってしまう植物学者のお母さんのように意志とは関係なく来る時が来てしまうのだろうか?

認知症を観察しつつ、見守りつつ、どうにかならないのかともがきつつ、自分のもがきが母の安らぎを奪わないようにと願いつつ、平常心で受け入れながらも、やはり何か自分にできることはないのだろうかと戦い続ける私だ。




2013年4月30日火曜日

我が家の世代交代⑧ 〜ウォッシュレット アプリコット TCF4721

2009年に一階のウォッシュレットを替えた。
電気系統の故障で、温水が出なくなったのだ。

その時、「次は2階ですね」と言われたが、今年まで持ってしまった。16年使ったことになる。前回ですらも長持ちしたと言われたのだが、更に4年・・・

以前練馬のマンションに住んでいた時に、TOTOのGIというシリーズのウォッシュレットの洗浄用のお湯の出が大変心地よく、この家を建てる時にも是非同じものをお願いしたいということで、このシリーズにしたのだが、湯量が抱負でだからといってきつくなくたっぷりと優しく・・・とても気持ちが良かった。

それは横にタンクが付いているタイプで、常にそのタンクの温度を保っていいなければならない。今は節電の関係上、横のタンクのものは効率が悪くて、なくなってしまったそうだ。

こうして、今回は前回の1F同様、アプリコットにした。
以前と違って色々な自動機能がついているのだが、そんなに便利にする必要もないと思うのだ。
自動的に便座のフタが上がるのはうっとおしい上に無駄に感じ、その機能はパス!

しかし、以前のと比べて16年の歳月を経た割には使い心地はそんなに改善されたとは思わない。もちろん、節電に関しては何も言えないが、湯量はやはり昔の方がずっと気持ちが良いから困ったものだ。

ひとつ可笑しかったのは、リモコン
最近めっきり目が霞んで来て、老眼が更に進んで困っているのだが、昔の大きな丸いボタンが3つか4つあるやつで十分だ。

しかし、機能が多くなったから、そうも言っていられないのだろう。
そこで4年前と比べてみた。これが四年前のもの。



この時は12年前と比べると確かに便器も全てファッショナブルになり、リモコンも見にくいけれど大変おしゃれになった。軽井沢のハルニレテラスなども同じトイレを使っていた。


そして今回、どちらも老眼には見辛いのだが、どっちの方が新しい感じがするのかは疑問だ。


というわけで、我が家の世代交代はどんどん進むが、製品そのものは果たしてどうなのだろうか?

もっとも寿命が来て、壊れてしまっては替える以外に仕方がないのだが・・。

2013年4月22日月曜日

『シャンタラム』上・中・下巻 by グレゴリー・ディヴィッド・ロバーツ

シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)



"Shantaram"  by Gregory David Roberts

大変な本にはまってしまった!
3冊を幾日で読んだのだろう? 止まらなかった。

『風の影』を読んだ時にも止まらなくて困ったが、あれは『これからどうなるのだろう?』とハラハラドキドキしながら物語の筋を追っていたのに対して、この作品はもちろんストーリーもそうなのだが、一行一行、会話の一言一言にこめられた心の奥に訴えかけてくるもの、そう、今まで抱え込んで来た自分自身の苦しみに語りかけて来る声のような感覚を通して伝わってくるものがたまらなかった。

孤独、愛、闇、飢え、憎しみ、許し、善悪、痛み、後悔、笑顔、まごころ、無感情、宗教・・・人間は生まれ変われる・・・

2013年4月12日金曜日

へんな天気 〜4月半ばに雪が舞っている

昨日の夜中、いや今朝かな?軽井沢に着いた。

又、Kzさんのお仕事だ。
昨夜福岡から戻って直ぐに東京を出発。
還暦を過ぎると次第にこういう日程は身に堪えるようになってきた。でも、夏はあまり来ないから今のうち・・・Kzさんはお仕事で大変だが、私は空いている軽井沢を楽しめる。

東京を出た時、気温は8.5度だった。
少しずつ気温が下がって、5度くらいになったが、高崎あたりで又上がった。

高速を降りて、氷点下。いつもの一番寒いポイントでマイナス2.5度になった。
真夜中という時間のせいもあると思うけれど、家に着いた時はマイナス3度。でもなんとなく春の氷点下。

今朝も寒かったが、すぐに5度くらいまで上がった。

昼前にツルヤまで食料の買い出しに行き、銀亭がなくなってしまったのでハルニレレラスのSawamuraまでパンを買いに行った。ここのパンは恵比寿のロブションなみに高いのだが、美味しいから仕方ない。(とても大きいけれど、パン・オ・ノア一本2100円!! increíble! もちろん半分でも売ってくれる)

戻ってお昼を食べてからスペイン語の勉強をしていたら、窓の外の景色が変だ。
羽虫の大群が押し寄せたのかと思った。外でかなりな量の白い物が舞っている。軽くてふわふわしている。ちょうど羽毛布団をはらった時みたいだ。

何だろう?雪??
そう思って外に出たら、消えてしまった。
そしたら、太陽が出て来た。。。爽やかな青空出現!!
まるで天気雨じゃなくて、天気雪?

そして、更にあの現象、真っ白な雪山に囲まれたイリュージョン状態になった。

勉強ばかりしていて疲れたので、気分転換に散歩、と思ってダウンを着たら、又雪が舞って来た。かなりの量がふわふわふわふわ舞っている。ダンス・ダンス・ダンス・・・ダウンを脱いでこれを書いている。
怪現象・・・

やはり散歩して来よう。帽子かぶって・・・あっ!晴れた!!
又青空だ。

『ダンスダンス・・・』で思い出したが、今日村上春樹の新作がAmazonから届いているはずだ。
どんな作品なのだろうか?

私もそろそろ、本気にならないと何も書けずに人生終わってしまう。エンジン始動・・・かな?


2013年4月8日月曜日

紺碧賞 〜早稲田大学オープンカレッジ

賞には全く興味はないのだが、先日4月5日に早稲田大学オープンカレッジの開講式があった。
その会場で150単位以上取得した修了生に紺碧賞という賞を下さるというので友だちの薦めもあって出席してきた。

早稲田の社会人のための講座では、76単位を修了した人は修了生となる。
ここが一つの節目になり、色々特権が与えられるのだが、修了後も勉強を続ける人はたくさんいらっしゃるので、更に150単位取得者には紺碧賞が与えられるということらしい。(今回の出席者、修了生105人、紺碧賞29人)

私は1997年から早稲田での勉強が始まった。もう16年勉強を続けているということなのだ・・いや、驚いた!

小林先生の『女性と文学』とエリザベス・キリタニのシェークスピアシリーズから始まり、キリタニ先生がエクステンションから去られた後、青山南先生の『原文で読むアメリカ短編』に移った。
それと平行して、スペイン語、フランス語、英語を続けていたが、途中から母の介護で長野へ通うようになり、時間の余裕がなくなり、いつの間にかスペイン語だけになってしまった。

けれど、16年間分溜りに溜って150単位を超えたようだ。一科目一年間取って4単位なのだから、随分勉強したことになる。

回りを見ると、若干私は若い感じがした。
皆さま70歳代から80歳の感じだったからだ。

生涯学習は余裕が出てから始める人と、余裕はないけれどどうにか続けたい人とあると思う。途中で姿を消す人、また戻って来る人・・・

今回の授賞式では、スペイン語の友だちが紺碧賞で3人、修了生で4人受賞していた。
みんな良く知っている方々で、早稲田での長い在籍を感じた。
そして、ここにも私の場所があることを思ってとても嬉しかった。

もっときょろきょろしたら、他のクラスで出会った方々ともお会いできたかもしれないけれど、スペイン語の仲間がドバッと目に入り、そこでおしゃべりが始まってしまったので、他を見る余裕がなかった。何と言ってもみんな人懐っこい!のだから。

大学院の学生であった夫とアメリカで暮らしていた頃、私はオープンカレッジに通いながら、日本にもこういうのできないかなあ〜と思っていたが、帰国後友だちから早稲田の存在を知った時の喜びはとても大きかった。

生涯学習の場があるというのは私のような人間には本当に幸せだ。
母の介護とともに、ボチボチ続けていこうと思う。そう言えば、誰かが言っていた、
「今度は300単位かな?」って!




2013年4月3日水曜日

認知症の特徴 〜被害妄想編〜

母の物忘れは大変激しいのだが、ある種の被害妄想だけは記憶として残っている。

入所当時、自分の物が人に盗まれるのではないかと心配で心配で、心をすり減らしていた。
洗濯物を持って行く人、コップの消毒に来る人、掃除に来る人などは全員容疑者だった。
雑巾用タオル一枚でも敵意むき出しだった。

何度も○○がなくなったと訴え、そのうちに架空の物まで無くなったと思い込むようになり、探すから洗濯室に連れて行けと訴え、まさに被害妄想の塊になった。
何かを持って行こうとすると、目を剥いて反対した。

認知症の特徴 ~固執編~』や、『認知症の特徴 〜記憶力低下と無気力編〜』 でも書いたが、盗まれることに関しての母の不安は凶暴性こそ減ったが、まだまだ続いている。

長い間、私の持って行ったスカーフが見つからなかった。
首が汚いから隠したいと言うので、持って行ったものだ。
何処を探してもなく、事務所に届けた。もちろん、「多分本人がどこかにしまったのだと思うけれど、もしどこかで見かけたら母に戻して欲しい」とお願いしておいた。

今日、発見!
シルクのハンカチと供に、袋に入れて隠してあった。
本人は、『私に返さねばならない大切な物』と心に刻んだようで、大事にしまったのだろう。

「ここにあるものは全部お母さんの物だから、返す必要はないのよ。それより使ってね」と何度伝えても、次の時にはどこかに奥深く仕舞ってしまう。しかもどこに何を隠したか忘れてしまうので、探すのに時間がかかること・・・

ま、またやられたー!!!のね』 で書いた、ローラアシュレイのプレゼントの生成りのカーデガンは、本日、ついに黒のマジックで表の裾に近いきれいな模様の上にかなり目立って漢字のフルネームで名前が書かれてしまった。

「お母さん、名前ちゃんと書いてあるのにどうしてこんな所に書いちゃうの?もうよそ行きに使えないよ。これで何枚目!!!」
さすがの私も腹が立ち、怒鳴った。
「だって、大事なものだから盗まれたら困るから・・・」
「盗まれる前に、着れなくなっちゃうでしょ?囚人じゃないんだから番号や名前をゼッケンみたいに大きくど真ん中に書く必要ないでしょ??違う?」

「お願いだから、土曜日に持って来た、二枚のきれいなカーデガンには名前書かないでね。もう、内側にきちんと書いてあるんだからね。あれはよそ行きになるんだから、絶対にマジックで台無しにしないでよ。」
「だって名前は目立った所に書かなくちゃ、私のだって分からないじゃない」
「・・・」(筋は通っている(泣))

「理由は何でも良いから、とにかく書かないで。今度書いたらもう私ここへ来ないよ」
「来ないなら、仕方がないわねえ」とご本人主張が続く。
「本当に来なくていいのね? 分かったわ」(くそばばあ!)

私も認知症の御仁を相手に、本気になって大人げないが、
どうか、記憶に残って下さい「ソラちゃんが何だか怒っていたなあ」と。


帰りがけにクローゼットのドアをしめようと中を見たら、ハンガーにかかっている全部の洋服の袖がお隣同士お互いに結んでつないであった。
多分知恵をしぼった盗難防止策なのだ。だって、一つ取ろうと思ったら、芋づる式に全部つながって出て来てしまうもの・・。そこまで、心配でたまらないのだろうと思うとちょっと哀しい。

他のことは全部忘れてしまうのだから必死で頭を使っているということで、脳の為には良いことなのだろうか???

が、思わずうっかりと「おぬし、できるな・・・」と言ってしまうところだった。

2013年3月28日木曜日

『ペーパーバード幸せは翼にのって』 〜Pajaros de papel

スペイン語のお友だちにお借りしたDVD、やっと観る時間がとれました。
劇場に行こうと思っていたけれど、行きそびれていた作品です。



"Pajaros de papel"

スペインの内戦からフランコの軍事政権下のマドリッドを誇り高く生き抜いた芸人の姿を描く作品だ。
ホルヘとミゲル少年の姿が、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』に重なって困った。

フランコ、ナチス、ピノチェト・・・スペイン語の映画には軍事政権下での不条理を描いた作品が多い。

内戦で最愛の妻と息子を失ったcómico(コメディアン)ホルヘ(イマノル・アリアス)が、感情を失ってしまった状態から、相方のエンリケの支えとともに、いくら突き放しても慕ってくる戦争孤児のミゲルに芸を仕込みながら少しずつ心を取り戻して行く様子が心暖まる。

ホルヘの家族への愛に満ちたシーンは本当に愛に満ちていて素敵だ。父親ってこういうものなんだ〜と心底思わせる温かさに溢れている。
イタリア映画でもこういう父親の姿がよく描かれるが、ものすごく子供を大切にする。日本のお父さんって少し距離があるような気がするのだが・・・。
ファミリーのあり方って国ごとに違って面白い。

死を恐れていないホルヘは、心を隠さずに自己主張をするので軍に目をつけられ、結局は誤解のまま殺されてしまうのだが、この不条理さは、今の時代でも戦争とは別の心の戦争で起きていることなのだと思ってしまった。
けれど、彼は堂々と自分のまま毅然として生きているので、後味が悪くない。命を落としても心がスッとしたのは私だけだろうか?

戦争のない現在の日本でも、自由に発言でき、表現できるわれわれでさえも、人生は筋の通ることばかりではないし、自分の思いを通そうとすれば必ず障害が生じる・・・と現存する独裁者の姿がチラチラ浮かんで来た。

この映画はテーマとは別に、舞台の芸人たちの演技がとても素晴らしかった。それだけ観ていてもショーとして成り立つようなパーフォーマンスの見事さだった。

音楽、しぐさ、明るさ、芸人根性・・・『蝶の舌』のサックスの演奏のシーンなども思い出す。戦争下での笑いの大切さ、人の心に潤いを与えてくれる芸人たちの役割の大切さが伝わってきた。

最後に、エンリケとともにアルゼンチンに亡命したミゲルが老人になり、立派な芸人になった舞台のシーンで、彼がすっかりブエノスアイレスに馴染んでアルゼンチンの人になったことを、彼の話し方から感じた時は嬉しかった。
長年スペイン語を続けて来て、それがアルゼンチンのアクセントでしゃべっていることがスピーチので出しだけでとてもよく分かったからだ。(スペインで生まれたミゲルが、亡命後スペインに戻ることなくアルゼンチンで生き抜いたことが感じられた)

映画には小道具がたくさんある。
調度品や背景だけでなく、話し言葉のアクセントだけでかれが歩んで来た人生を表現してしまう瞬間は楽しかった。


2013年3月26日火曜日

『カラマーゾフの兄弟』 〜インプレッシブ!!

『風のガーデン』以来の印象的なテレビドラマだった。

私はドストエフスキーが自分の原点にあるので、今季のテレビ欄に『カラマーゾフの兄弟』を見つけたときに、「何と大それた!」と腹立たしく思いながら相手にもしなかった。

大作が映画化されて良かったためしがない!『原作で読んであるものは原則、観ない』人だった。(フォレスト・ガンプの映画は良くできていると思う)

普通興味があると第一回目は観るのだが、問題外で観ることを考えもしなかった。

仲良しのHさんは、映画通だし、映画の好みも良く合うのだが、彼女がある日
「カラマーゾフの兄弟観てる?とてもいいわよ」と教えてくれた。
「へえ〜、ほんと?軽率じゃない?私あの作品大好きなの、だから汚されたくなくて・・・」と答えた。

家に戻って、Kzさんに話して、フジテレビのオンデマンドでシリーズ視聴に登録した。

「が〜〜ん!!!」印象的だった。

丁寧に、注意深く、綿密に作られている。
作り手が作品をよく理解していて、恥ずかしくない仕上がりになっている。

舞台も時代も状況も全く違うのだが、一つの作品としてとても興味深く完成していた。
Hさんが「舞台を観ているみたい」と言っていたが、本当に演劇を同じ空気を共有しながら観ている感じだった。

イワンこと勲君が、私の原作からのイメージとはかなり違っていたが、追いつめられて行くに従って、どんどん研ぎすまされてきて、頬がこけて目がどんどん透明感を増して輝いてきて、まるで何かがのり移って来ているような印象さえ持った。

原作のイワンよりもっとピュアーでナイーブでむしろ原作で私が受けたアリョシャのイメージがミックスされている感じがして、それはそれで見事だった。

何度か作品は読んでいるのだが、歳をとってから読んでないので、もしかしたら読み違えているのかしら?と思われる点がいくつかあるので、もう一度新訳で読み直してみようかと思っている。
そうしたら、又コメントを書こう。

ところで役者さんがみんなこちらを引き込む程に真剣で役に成りきっていて、その空気が伝わってくるので、こういうのは大好きだ。

お父さんと、刑事さんは呆れるほどやってくれた。
演じていて気持ちよかったのではないだろうか?

市原君は魂が抜けなければいいが・・・燃え尽きないように祈りながら次の作品を期待している。
ミーチャの斉藤君は毒もピュアーもできる実力派、アリョシャの林君も作品によって別人!・・

番組が終わってしまって残念に思いながら、からすの鳴き声とローリングストーンズの"Paint it black"が頭を回って困る私だ。


2013年3月21日木曜日

認知症の特徴 〜不可解な言動と怒りには必ず理由がある

昨夜、母からいきなり電話が来て随分な勢いで怒っている。

「ソラちゃん、私何も食べないで帰って来た。ここの管理は変だわ。あんなゴミみたいなものしか食べさせないで・・・」
「どうしたの? 夕飯が何かおかしかったの?」
「おかしいも何も、もう他へ移るから、引っ越す準備して」ととても大げさに大事件のようにまくしたてている。私にはどうしてこの発想になるのか、甚だ不可解。

「お母さん、ホームを変えても同じよ。もう少し待ってみようよ。明日の朝ご飯も、お昼も変でそれが1週間続いたら考えてみましょう」
「・・・・」
「それにホーム変えたら、又1千万払わないとならないよ。もうお金ないよ」と言いながら、先日のSさんとの会話を思い出していた。あの数日前にも、ちょうど同じような声のトーンで怒りの電話がかかってきて同じようなことをまくし立てていたのだった。

これで3回目。しかも訴える内容が酷似している。

今までのパターンから、母はあまり根拠のないことでは怒らない。誤解にしろ何か小さな手がかりがあるはずだ。そう思わせる共通のメニューとか・・よく飲み込めない人の食事が出て、細かく刻んであったとか・・・

そこで仲良しの看護婦さんのMさんに
「昨日の夕飯のメニュー何でした?実はカクカクシカジカの訴えが合って、これで3回目。すごい怒り方で、こちらがビックリしてしまい。。。共通する何かがないかと悩んでいるところである〜〜」と相談してみた。

Mさんが言われるには、一度お食事が終わって、お部屋に戻り何らかの理由で再び食堂に戻って来られることがあり、その時に食堂へ入った途端に「今、食事に来たところ」とスイッチが入ってしまい、それなのにスタッフは無視して食事を出してくれない、薬もくれない・・・だから私は何も食べずに戻って来た!という現実に突き当たることになる。

みんなは母がすでに食事を済ませていることを知っているので、無視して一生懸命働いているから、「私の食事は?」と聞いても相手にしていられない。お薬も二度は出してくれないのは当然だ。
そこで彼女はプライドが傷つきカンカンに怒ってしまう。

だって、本人にしてみるとまだ『食べてない』のだから。

「それだ!!」私は妙に納得!
母の言動をつなぎ合わせると、つくづく思い当たってしまう。

ついに認知症が次のステージに行き、幻覚とか被害妄想の世界に突入かと思ったが、ただ『一瞬にしてお食事が済んでいることを忘れてしまった』だけと解釈しようと思う。

食事を待っているのに出してくれなかったら、怒るに決まっているから。
認知症とはそういうものだから・・・理由が分かって、気持ちをシェアしてあげられて良かった!と思う私でした。

余程おおらかな気持ちにならないと、自分の母親のこういう変化はつらいものです。


2013年3月13日水曜日

『マリーゴールドホテルで会いましょう』 〜The best exotic Marigold Hotel

マリーゴールド・ホテルで会いましょう

久しぶりの映画だ。『天地明察』以来だから劇場で映画を観るのは5ヶ月ぶりということか・・・

以前から観たいと思っていたが、なかなか時間が取れずにいた。今週で終わりだというので、見逃したら大変!と、慌てて観て来た。


ジュディ・デンチは大好きな女優さん。しわくちゃだろうが、太めだろうがすごい魅力だ。私もこんな迫力のある老人(?ごめんなさい)になりたいものだといつも思っている、理想の年輩者だ。
特に『ショコラ』のおばあさんは大好きだ。


マリーゴールド・ホテルで会いましょう そこにマギー・スミスときたら、『ラベンダーの咲く庭で』を思い起こすが、今回も見事な二人だった。

『八月の鯨』ではないが、出演者はじいさん、ばあさんばかりなのに何とキュートで素敵な映画なのだろう!
こんなに後味の良い映画は久しぶりだった。

インドの高級リゾートで老後の日々を楽しむために行ったはずのイギリス人男女7人だが・・・そこは高級リゾートになるはずのホテルのようだ。そしてそこで出会った彼らがそれぞれの人生の捉え方の中で何を見つけるか・・・

老後という言葉に値する彼らが、決して老後ではないむしろ新しい人生が始まる瞬間はたまらない。

一番わくわくしたのは、イギリスでは時間がかかり過ぎて歩けるようになる前に寿命が終わってしまうと、股関節の手術のためにわざわざ嫌悪丸出しの大嫌いなインドへ来たミュリエル役のマギー・スミス。

その偏屈ぶりの素晴らしさと、偏屈だからこそ生きて行くそのパワー・・・
彼女が車椅子から立ち上がり歩き始めた瞬間に取り戻す人生、よぼよぼのおばあちゃんがキラッと光ったプロの目でパソコンを叩き始める瞬間、そのしたたかで生き生きした姿への変身は、スカーッとして、"格好いいぜ、ばあちゃん!!"と叫びたい程気持ちが良かった。(実は拍手をしたかったほどだ)

還暦を過ぎた私は色々気を遣って生きて来た。
義務や束縛から解放され自分の人生を歩める日が来たら、、、とわくわくしている私である。

けれど、現実はオババの介護に子供たちの本当の意味での自立等、もう少し時間がかかりそうだ。
だからこんな映画があると、とても励まされて、気持ちが楽になる。

[余談]だが、日本の女性は肌がきれいなのだなあ〜とつくづく感じた。
外国の女性はたとえ女優さんでもしわくちゃになる。けれど、日本女性はおばあさんでもあんなしわが寄らない。
だから日本女性であるということだけでとても幸せなことなのかもしれない。

[余談その2]
Bunkamura最終週のせいか、13:50からの回は満席。
2〜3、空いていた席も、予告の時にすっかり埋まった。観客は比較的年配者が多く、ご夫婦で来られている方々もたくさんいた。

最近映画館がクローズする話をよく聞くが、まだまだ映画ファンはたくさんいると思うのだが・・・やはり私はこういう人の手で作った感じのする映画が好きだ。
どうか観客数だけで映画を判断せずに、ミニシアター系の質の高い映画をなくさないで欲しい。

2013年2月28日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(39) 〜ある日の老人ホームの風景 〜お友だちとの軽妙な会話、これでも認知症?

オババが珍しく絵手紙をやるというので、ダイニングへ連れて行った。
まあまあの仕事ぶりだが、マジ劣等生だ。

久しぶりにお茶の時間にSさんにお会いした。車椅子でやって来て、挨拶したら私たちのテーブルにつけて下さったので、おしゃべりをした。

Sさんは母がただ一人親しくなった人で、母より3歳上だったような気がする。
以前は杖だったが、今は移動はすっかり車椅子に変わった。

一度病気をされたことがあり、それから急に老けて、髪が薄くなって地肌が見えたりしたので、母は気が重くなるから・・と挨拶をするだけで近寄らなかった。
私は見かけると必ず近くへ行ってお話をしていたが。

今日は薄手の帽子を冠っていたので、地肌が見えない。とても似合ってキュートだ。元々小柄で目が大きく愛嬌のある可愛らしい人なのだ。

そこで口の悪いオババは、
「あんた、その帽子いいじゃない。よく似合っているわよ。ハゲが見えているよりよっぽどいいわ」
ときた。
私は『おいおい、オババ、そう来るか』と冷や汗をかきながら慌てて、
「すみません、口が悪くて・・・自分だってかなり薄くなっているのに」
と謝ったが、Sさん、
「大丈夫よ、本当のことだから」とニコニコしている。
「この人はいつもこんなだから、全然気にならないわよ。私、もう腹が決まって、何も気にしないでいいことばかり考えることにしているの。マイナス志向なし。
ここが気に入って、ここが安心で、誰にも迷惑をかけないでしょ。他の場所はないのだから、ここを精一杯楽しむのよ。」
と、とても良いことを言ってくれる。

オババは、マイナス志向の意味も分からないのだと思うけれど、
「私はもうここがつまらないから、他に移ろうと思って」と思いがけないことを平気で言う。
「あら、あなた、それはやめたほうがいいわよ。どこへ行っても同じよ。だったら慣れた場所が安全だし、いいでしょ?最初からやり直すの大変よ」
と実に筋の通ったことを言う。可愛い94歳!

以前お話したときより、バージョンアップしているSさんだ。
オババは真面目に
「そうかしらねえ〜」と深刻な顔。
今度はSさんの逆襲だ。
「あなた、そのしかめっ面止めた方がいいわよ。いつも額にしわ作ってその顔しているけれど、つまらないより楽しい方がいいのよ。笑えばとっても可愛いのに」
と、来た。

私は面白くなって、ニコニコして見ていた。
ちょっと口をはさんで、
「そうなんですよ、いつも愚痴ばっかり、しかもこの顔して。」
と、又しかめっ面に戻ってしまった母を指差して、みんなで大笑い。

他のテーブルの人たちは何が盛り上がっているのだろう?と思っていたに違いない。
けれど、笑いが足りないホームでの、私たちの笑い声はみんなを和やかにしていたような気がする。
だって席を立ったとき、みんな笑顔で私と母を送ってくれたから。



2013年2月22日金曜日

冠攣縮性狭心症と水

以前にこんなブログを書いたことがある。

この時、冠攣縮性狭心症と閃輝暗点に共通点があるような気がしていたのだが、多分どちらも血管の収縮や痙攣と関係しているのだと、自分の身体を通して感じていた。

そして多分どちらも自律神経が大いに関係していて、交感神経と副交感神経のコントロールがうまく行かない為に起きるように感じる。

今日久しぶりに狭心症の前兆が来た。
頭の血管が同時に締め付けるように縮み始め奥歯と下あごがぎゅーっと締め付けられる。
いつもだとこの後、背中の心臓の裏側あたりから放射状に痛みが拡散してきて、胸の方にも広がってくる。ここでたまらない痛みになるのでニトロを飲む。

『ああ、また発作が始まるかな?』と思った矢先、以前珍しく同じ症状を持っている人に出会い、(彼女はとても親しい友人なのだが、この時初めて同類だあることを知り、この思いをシェアできることの喜びを持った)彼女のお姉さまたちにも同じ持病があり、姉妹でそういう体質の遺伝子を持っているのだと言っていたのだが、

「あなた、騙されたと思ってお水を飲んでごらんなさい」と言われたことを思い出した。

数ヶ月前に起き始めたときには、ニトロの代わりに救心を飲んだ。そして治まった。
先日すごい頭痛と一緒に閃輝暗点が来た時にも『もしかしたら』、と思い、試しに救心を飲んだらギザギザ稲妻が消えた。

救心は自律神経系に働きかけるようなので、軽い時にはこれが効くことが分かった。

今回は彼女の顔を思い出して、水だけにしてみた。
不思議と楽になった。
そう言えば、救心の時にも水を飲んでいた。

先日めまいで気持ちが悪くなった時には、救心も水も効かなかった。

ニトロを飲むと全身に響いて、しかも後がクラクラよろけて3〜4日間大変なので、軽い時は、
まず、水
そして救心
それでも治まらなかった時に、ニトロ

これで、行こう!

ストレスから来ているのだろうなあ〜リラックス、リラックス〜

2013年2月21日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(38) 〜マイナス志向真っ只中 〜穴の開いたスリッパ

昨日、今日とおばあさんは呆けが進んで、言っていることがしっちゃかめっちゃかの上、マイナス志向一直線。
死にたい、死にたいの一点張り。

目の前の人が分からなくなるのも、時間の問題か・・・。
私は聞き流すしかない。

昨日は、その重さをどうにかかわそうと、家に戻って数ヶ月ぶりのウォーキングに。
今日は、いなげやに寄って買い物。

しかし矛先はどっしりと重く、自分が責め立てられているかのように被害妄想的にのしかかる。『何かしてあげられるだろうか?? 自分にできることがあるだろうか??』 いつもその自問自答。

おしゃべりだけは得意だったオババだが、まず会話が成り立たない。
スリッパのかかとが穴が開いてしまったので、新しいスリッパを持って行ったが、穴のあいたスリッパを絶対に処分させてくれない。

一秒経てば何でも忘れるのに、何分経っても、何時間経っても
「さっきのスリッパは?」
と聞いて来る。又、聞く。 そして又・・・。

以前に捨てようと思ってどうしても駄目だと言ったスリッパを指差して、「だって、あれもあるのだから、いらないでしょ?」と言うと、
「あんなもの、いらないわ」と言うので、しめしめ、この時とばかりにそちらをゴミ袋にいれてわたしのカバンに入れてしまった。どうせ使わないのだから。
ゴミ箱に入れると、絶対に又取り出してしまうから。

そして、それがあった場所に、穴の開いたスリッパを置いて来た。

いつも、捨てた箱はどんな物でも次ぎに行くと必ず取り出してある。ポッキーの箱でさえも・・・。やれやれ、憂鬱だ。

「じゃあ、又来るからね」
一緒に玄関まで来ると言うので、
「じゃあ、靴に履き替えないとね」お部屋を出る時はスリッパでは危ないので、靴を履かないといけないから。いつも必ずそうしている。
「そんなもの履いたことない。スリッパでいい」と言いはりながら、足下を見る。
はっと気が付いて、
「そう言えば、こんなの履いていたわ」
と靴に履き替えました。

スイッチ、on!
こんな感じでこれからも正気に戻ってくれるといいけれど・・。

こうして私は、時々心臓がえぐられるような気持ちになるのです。


2013年2月14日木曜日

El Principíto (星の王子さま)〜蛇はamiga?それともmala?



スペイン語のパトリシア先生との勉強会で"El Principíto"(星の王子さま)をやった。
(原文のフランス語に近い言語で読んでみよう!)

2章と21と26章を中心にやったのだが、結局全部読んでしまった。
日本人ほど、この作品が好きな人種はいないのだそうだ。

高校生の頃、英語で読んだ。そして我が家には、フランス語、英語、そしてスペイン語の王子さまがあり(日本語もあったはずなのだが・・・どこ?)、更に、サンテグジュペリに関する本は山のようにある。(ちょっとオオゲサかも・・小山くらいかな?)

勉強会で色々あったうちの面白い論点が、「蛇は友だち(amiga)か、それとも悪者(mala)か?」だった。
先生が "serpienteはもうdomesticadoされてる?それともprincipítoを騙しているだけ?さあ、みんなで話し合ってみて!"

我々のグループは、女性5人、男性1名。
女性陣が友だち、あるいは少なくても悪い奴じゃないという意見、
男性が一人頑張る、
「蛇は悪い奴に決まっている、昔からそういうものだ」などと言いながらmalaに一票! 
「蛇は狡猾のイメージがあるかもしれないけれど、知恵があって賢いとも言えるわ〜」
と、ロマンチストとリアリストに分かれた。

蛇は王子さまが地球に降り立った時、最初に出会った生き物だ。(17章)
人っ子一人居ない、砂漠のど真ん中で、地面を這っている見たこともない奇妙な生き物に向かって、王子さまが「何にもなくて寂しいね」、と言うと、
「たくさんの人と居たって寂しいよ」と、なかなか意味深いことを言う。多分今までの経験から、そんな答えが出たのだろう。蛇は一人ぽっちだった。

『ただの人』と、『関係を持った関わったことのある人』との違いだ。

serpienteとprincipítoはこの章で、ちょっと関わりを持ったのだ。蛇にとって、王子さまとの出会いは、その他の『たくさんの人と居る』だけの意味合いとは少し違う『関わり』があったのではないだろうか? それは王子さまが何かを求めて語りかけるから・・・その蛇に聞いているから。

キツネに言わせると、domesticado(飼いならすと訳されているけれど)の意味は、"crear lazos" (絆を作る)ということなのだそうだから。時間と労力をかけたそこの過程を通り過ぎないとamigoはできない。

だから26章で、毒を持った蛇が王子さまに噛み付いて魂をバラが待つ彼のplanetaに戻してあげる手伝いをしたのは、少なくとも悪意からではなく、静かなクールな好意からだと私は思った。


さて、どうしても引っかかったのは、domesticadoという言葉。
原書でも、"apprivoiser" という単語が使われています。
意味は同様に、飼いならす、従順にする、手なずける、慣れる・・・。

そして、キツネが言う飼いならすことの意味は、créer des liens..    でやはり、『絆を作ること』なのです。

でも、私にとっては、飼いならすという言葉からは、むしろか家畜化したり、上下、あるいは主従の関係があるような響きがあって、馴染めません。飼いならした後に、上下関係ができてしまうような気がするからです。

英語でも、 "tame"という単語が使われています。
言語の違いなのでしょうか?(日本語で今回は読んでないので、どう訳されているかは確認してありませんが・・)

サンテグジュペリさんにお聞きしてみたいです。

      *

「友だちが欲しかったら、まず、ボクを手なずけてごらん!」
el zorro(キツネ)になったつもりで言ってみると、心の中で『おまえにできるものならやってみろよ』と思いながら、手なずけられる方が挑戦している感じでむしろ上から目線、そして王子さまが手なずけたらそこで上下が逆転するのではなく、『対等』になるのだとしたら、domesticadoも悪くないのか・・・

自分がキツネになってみたら、サンテグジュペリさんにお聞きする前に納得しました。

ああ、楽しかった!


2013年2月11日月曜日

『風の影』 ~La sombra del viento






12年間スペイン語の勉強をしてきて、何回この名前を聞いただろうか?




"La sombra del viento"(『風の影』)というタイトルと、サフォン(Carlos Ruiz Zafón)というスペインの作家の名前。



私には新しい作家で、今までに一度も読んだことがなかった。 もっとも2001年の作品だから、私がスペイン語を始めたのが2000年なので、比較的新しい作家ではある。
(日本で翻訳が出たのが、2006年)

初めて聞いた時に、古典かと思っていた。
ドンキホーテみたいに、古くからあるものだと・・・。

たまたま同じクラスのIさんが、スペイン語ではなく英語で読んだのだが、大好きだと薦めてくれたのがきっかけで、直ぐに本を買って読み始めた。全然古典ではなかったが、1945年から物語が始まるから、決して今ではない雰囲気は漂っている。

お湯が沸くまでの間とかちょっと座った時〜とか空いた時間でどんどん読み進み、最後にはテレビも観ずに夢中になって読んでいた。
こういう読み方って、『1Q84』以来のような気がする。

ミステリーや冒険の範疇に入るみたいだが、そう、『ゲド戦記』や『ダビンチコード』などの世界に少しずつ近いか?
けれど、内戦や歴史的、社会的背景による人々の心の在り方も描かれるので、それだけではない何かがたくさん含まれている。

舞台は1945年のバルセロナ。
これで、私は直ぐに物語の中に入って行ってしまった。つまり一人で散々歩いた町なので、地理がすっかり頭に入っていて、何もかも目に浮かんで来るのだ。とくにランブラス通り近辺など何度歩いたことか・・・
だから、すっかりその気になって作中の人物たちと行動をともにし始めた。

父親は古書店を営み、10歳になった息子のダニエルを『忘れられた本の墓場』に連れて行く。ろうそくの炎に照らし出されたこの場所が目に浮かんできて、この舞台設定の素晴らしさで釘付けになり、止まらなくなった。そして、更なる深みへ。

ダニエルはここで本を一冊選んで、その本を一生涯かけて守らなければならない、と父親と約束し、まるで隠してあるように置いてあった場所に手が伸びて、吸い付くように選んだ一冊の本が『風の影』だった。ほとんど知る人のいない一冊の本。

この本と、その本の作者、フリアン・カラックスを巡って、大変な世界に巻き込まれて行くのだが・・・。

誠実な父親のセンペーレさん、つかみ所のないホームレスのフェルミンなど、登場人物の豊かさと、主人公のダニエルの正直な勇敢なのか気が小さいのか判断が難しい楽天家的人間らしさが大きな魅力になっている。

そして、これは作者の表現力のすごさなのだろうが、ダニエルとフリアンを巡って、現在と過去が交叉し、今の彼に起きている事なのかフリアンの世界の事なのか・・???と二つの次元が解け合ってくるのだが、読み手が自然にその混沌とした世界に引き込まれてしまう、その持って行き方のうまさに、脱帽だ。

映像ではなく、文字で、こんなことができるのだ〜〜と人間のイマジネーションをついた作者の力にひたすら感心した次第だ。

マリオ・ベネデッティの "La Tregua" を翻訳した仲間の一部の人々がこの本の翻訳をしていたが、訳していたら又、読んでいるのと違った世界が見えて来るのだろうなあ〜と興味津々だ。

久しぶりに夢中になって、物語の世界に浸った。






2013年2月7日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(37) 〜認知症でもやはり、母は母

珍しく、認知症のオババが
「ソラちゃん、あんまり具合良くないの?」と聞いた。

この人はそういうことに特に最近はあまり気がつかないことがほとんどなので、ビックリした。

「そうなんだ、昨日もめまいがひどくて吐き気がして立っていられなかった、、、、何だか分からないけど、具合悪くて・・・めまいの薬飲んだんだけどね。今日も頭の位置が変わると何だかクラクラ、ムカムカ・・・」

今日は顔色が悪いと思って元気に見えるように赤系の洋服を着て行ったのだけれど・・・ばれてしまった。

「どこか変?」と聞くと
「何だか痩せたみたいな、やつれたみたいな感じだよ」

親とはありがたいものだ。

姑には具合悪いのに笑顔で頑張ったって、気付いてさえもらえない。最近こんなこと言われたことなかったので、妙に嬉しかった。

辛い時に、誰かが気にかけてくれるってこんなに嬉しいことだったのだ!

無邪気な認知症の母が、自分のことで精一杯の母が、こころのこもった一言を発してくれた事実は何と心温まることだろう。本能で気が付いてくれることのありがたさ、理屈抜きの肉親の情は背負っているものを担ってもらったような感じがして、心が軽くなった。

ホームのスタッフが母を好きなのも、こんな本能的な一言があるからかもしれない。
「市川さんにこんな声をかけてもらった」と何人かの人から言われたもの。

オババ、頑張れ!

明日は検査 〜体重はなかなか減りません

このblogは2012/11/15木曜日に書いた物で、下書きに入ったままになっていたので、本日公開。この結果は、体重がかろうじて下がっていたので、ドックまで様子を見ることに。
薬は延期となり、ホッとした私です。


2012年11月15日木曜日
検査の前にはいつも憂鬱になる。

たかが高脂血症の検査、特にLDLコレステロールの値との格闘なのだが、全く下がらない。
何をしても下がらないこのストレスはかなりなものだ。

そのままで良いのならよいが、上がったら新しい薬を飲まねばならないからだ。

私は今まで、全てのコレステロール系の薬で反応を起こしてしまっているので、その副作用の強さを考えると薬を絶対に飲みたくないのだ。

今回は一週間に2回40〜50分の早足ウォーキングと体重を1kg下げることが課題だった。全くダイエットをしたことがないので、今までと同じことをしていて何故体重が増えたのか?と考えたところ、生活が楽になったからだという結論に達した。

①母の世話が一段落して、極度のストレスから解放されたこと。
②金曜日の英語のクラスがなくなったことで、生活の負担が随分軽くなったこと。
③母の所へ車で行くようになり(週2〜3回)、ホームでも動かないので運動量が著しく減った。

スペイン語だけになったので、しかもレベルを少し下げたので、今までは眠る時間もないくらい、予習と復習に取られ、十分準備ができないことによる、精神的負担が大きかったが、今はそう言う意味ではゆるい生活が出来ている。まさに丁度よいのだ。comoda!

この『ちょうど良い』がくせ者だったのだ。
今までの負荷のかかり過ぎた生活に比べると、ちょうど良いのはかなり快適で、人と会ったりする時間さえでき、ストレスが減った。今までは生きているのがやっとで、眠る時間があるのが嬉しくて・・・テレビなど観れなかったし、余程決心しないと映画など行けなかった。
そのゆとりが、今までなかったものだから、私に体重の増加を与える結果になったのだ。

それは、良いことなのかどうか・・・? やれやれ・・・

2013年1月24日木曜日

予防接種した人もインフルエンザにかかる

ここ三年間、毎年タミフルのお世話になっている。

もっとも最初の二年は夫のインフル(最初は新型で大騒ぎだった頃の新型、次は予防接種したにもかかわらずA型)で、主治医が私の特異体質を心配して絶対に移っているからということで予防的に飲んだので、あの体調の悪さは経験してない。

今年は、全く心構えなしにやってきた私自身のインフルエンザ。
覚悟してなかったので隙をつかれた形になった。

数日前の夕方、突然主人の母からの電話で
「ソラちゃん、普通の具合悪さじゃない。体中痛くて・・・家に一つも風邪薬ないから何か持って来て」
と言われ、家捜ししてみつけたベンザブロックを届けた時だった。

ほんの小一時間滞在して簡単な食事の準備と様子のチェックと、薬を飲ませて帰って来ただけなのに、多分強力な感染力だったのだろう2日後の夜から喉の右側だけが妙に痛くなり始め、いきなりひどい咳が出始めた。熱はない。

それまで風邪っぽさが全くなかったので、妙な気持ち。
しかし義母がインフルエンザと判明したこともあって、『もしかしたら移っちゃったかな?』という気持ちはあった。
しかし咳だけで熱が出ない。せいぜい微熱。
調子の悪さは尋常ではない。

『いきなり40度近くの高熱が出るのがインフルエンザ』と思っていたから判断に迷った。
翌日の夜、体中が痛いのなんのって、帯状疱疹を思い出す痛みで、頭が割れそうだった。一晩中苦しんだ。それでも37度8分・・・主人の母のこともあるので、病院へ行った。

判定:「A型インフルエンザ陽性です。」

今年は実家の母の介護の問題があるので予防接種をしてあったのだが、去年のKzさん同様それでもかかってしまった。これは接種前から言われていることなので仕方ない。

しかし高熱にならなかったのは多分予防接種のお陰で、症状も幾分軽いのだと思う。

けれど、いきなり高熱にならないから判断に迷うし、37度台では普通の風邪と思って人に移してしまうこともありうると思った。

念のためネットで「高熱にならないインフルエンザ」も存在するのか調べてみたらこれが結構あるので、ホームの母に移したら大変!と思って病院へ行く決心がついたのだが・・・

急に高い熱の方が分かりやすいし、身体が戦ってウイルスが死ぬ可能性も大きいような気がするが・・・人に感染させる可能性などを考えると、予防接種が良いのか考えてしまう。接種のコメント欄に、『接種をした人は高熱にならないインフルエンザが発症する可能性もあります』、と書いておいて欲しい気がします。

しかし、久しぶりに体験したこの具合悪さは普通ではないし、老人はこれで命を落とす可能性も大きいと思う。それを思うとやはりお年寄りは多少リスクがあっても予防接種をしておいたほうがよいだろう。
うちの母もいつも副作用で本物の風邪を引いてしまって、結構体調を崩すのだが、今年はホームで集団生活のこともあり、それでもやっておこうということで接種した。数日後から相変わらず、鼻水出して咳をしていたが、重くはならなかった。

本物にかかるよりは・・・とつい思ってしまう。本当につらいから。

風邪の季節をどう乗り切るか〜?
今まではあまり気にならなかったが母の介護の問題を考えると、今週行けないことで又どんな影響があるか悩ましいところだ。

2013年1月19日土曜日

フリオ・コルタサル『南部高速道路』 〜大雪の日の高速にご用心!

2013年の幕開けは色々大変です。

池澤夏樹さんが編集した世界文学全集の短編コレクションに、南北アメリカ、アジア、アフリカの傑作20編というのがある。



とても面白い短編集で、本当に秀作ばかりが載っている。
その本の第一作目が、このブログのタイトルになっている、フリオ・コルタサルの『南部高速道路』

原作は Antología "Los mejores relatos latinoamericanos" という錚々たる作家によるラテンアメリカの傑作短編集にも載っている。


タイトルは、"La autobista del sur"  作者は、Julio Cortazar

高速道路の渋滞から始まって、運転している人々は高速の中で少しだけ進むのだがほとんど足止めをくう。
その足止めが、延々と続き、うだるような真夏から、雪が降る季節にまで及ぶ。信じられない長さの足止めなのだが、不思議なことに人々は高速の中でコミュニティーを作り始め、一種の社会ができあがっていく。
みんなは工夫し、助け合い、時には自分勝手な人々やエゴが出たり・・・
その人間模様が面白い。

数年前にパトリシア先生のクラスでやった、映画『バスを待ちながら』("Lista de espero")というキューバ舞台の素敵な作品にもスケールは小さいけれどなかなか来ないバスを待ちながら共通した世界が出来上がっていた。
ラテンアメリカ系の作品にはそう言う現実と夢の堺目がないような奇妙な世界がよく描かれる。

ところが、先日の大雪で私はまさにこの『南部高速道路』の世界の体験をした。

当日新潟から帰る車の中で、(我が愛車ニナちゃんははまだ新車で雪に備えた四駆のスタッドレスで雪道なんかなんのそのなのだが・・・)途中で高速が閉鎖になり、「ここから外へ出て下さい〜」という指示のもと、鶴ヶ島のICで下ろされてしまったのだ。
そこから先ですでに高速の中でスタックしていた車はどうなったのだろう?

鶴ヶ島なんて降りたことも行ったこともないので、方向も分からない上、車は全く先に進まない。

結局全行程8時間かけて無事家にたどり着いたのだが、その間、ずっと私はこの作品のことを考えていた。
何故かと言うと、家のX3は全く問題なく雪道でも山道でも進めるにもかかわらず、身動きが全く取れない状態への苛立ち、路肩を通って追い越すこともできないもどかしさ、道を塞ぐスリップした車、、、雪が降っただけでこんな閉ざされた世界になるのか!と。

世界が変わって見える、驚き。

高速を降りた後も、知らない土地をカーナビ頼りにノロノロ進みながら、普通の街の中なのに雪山の中で遭難したような心細さに覆われ、全く違って見える先に進めない道路は、「雪がやむまでその辺でお茶でもしていたら?」などという気持ちにさせてくれない恐怖心と、永遠に家に着かないのではないだろうか?という不安感に襲われる不思議な世界があった。

作品を読んでいる時は、むしろ退屈だったのに、こんな体験中に思い出させる、この作品のパワーに・・・文学のすごさに驚いた新年早々の私でした。




2013年1月10日木曜日

2013年 遅ればせながら、新年です!



今年の年賀状用Kzさんのお作は、奈良東大寺の金剛力士像(法華堂)です。

去年の作品とはうって変わって、むんむんと内に秘めたオーラが伝わってきます。

私の去年の抱負は、『気分転換を上手に!』
あの状況をどうにか乗り切ることが目的だったようですが、色々やることを減らしたりして自分の許容量を調整しました。

多分それがうまくいったのでしょう、大分元気になりました。
母のこともどうにかこなせるようになり、自分なりにペースができたと思います。

ただし、まわりで起きていることが色々あって実にしんどいので、今年ももう一度、気の入らない力を抜いた抱負:

無理をせずに! まず自分を立て直し、それから再生スタート!』

去年は平行線、現状維持がやっとだったので、今年は少しだけでもエネルギーレベルが上向きになるといいな、と思っています。




2013年1月9日水曜日

認知症の特徴 〜寂しさとプライドコントロール〜

久しぶりにオババが爆発した。

ここのところ穏やかだったのだが・・・
今日のお昼近く、
「ソラちゃん、直ぐ来て。私、具合悪くて。こんなに具合悪いのにお風呂に入れって言うの。自分の身体は自分が一番よく分かるから入れないって言ってやった」
すごい勢いで怒鳴り散らしている。

どうも大げんかをした雰囲気だ。
でも声は出ているし、しゃべれるからまだ大丈夫とみた。

「うん、今日はもう少ししたら行くよ。これからお昼食べて直ぐ行くから待っていてね」
「え〜、直ぐ来てくれないの。具合悪くて・・・」
「看護婦さんに言ったの?」
「あんな看護婦だめよ、何も看てくれない。お風呂に入れなんて、とんでもない」と言いながら咳こむ。(実際はきちんと看てくれている)
が、かなり痰がからんだ深い咳をしている。

正月早々喘息の兆候が出て、大騒ぎ。
5日の夜にホームから電話が来たので、翌朝行ってみるとゼロゼロ言っているが、まあ持ち堪えそうだ。対処が早かったので多分ひどくならないで発作の手前で済みそうだった。

そして今日は9日。
すっかり鼻声になって風邪が併発しているようだから、なかなか全快しない。

多分体調が悪いから虫の居所が悪く少し気が立っているのと、車椅子などがもどかしくてストレスになって仕方ないのだろう。タンスの洋服をいじったと怒りながら、お風呂のことで看護婦さんと大げんかして、困らせて、興奮して咳込みながらあまり具合悪いと言うので、先生を呼んだらしい。

まあ、私に言わせるとけんかするくらいの元気があれば大丈夫!
人間本当に具合悪ければけんかなんかできないのだから。

先生にステロイド系の薬を処方してもらい、面目は保たれた。それに恐れ多くも、先生がわざわざ往診して下さったということで、大事になってしまい、きまり悪く思ったらしい。すっかり愁傷な顔をしている。

今回の喘息騒動は、多分無意識に寂しさが影響していたのだと思う。

昔から辛かったり我慢することがあると必ず喘息の発作の出る人だったから・・。
もしかしたら自分で発作を起こしているの?と疑いたいこともあった程だ。

と言うのも、元旦に新年と誕生日の挨拶にオババを訪問し、翌日の夜遅くには主人の一家が軽井沢で年越しをしているので、私たちも合流し挨拶に行かねばならなかった。何しろ旧家の長男だから大変なのだ。

よって、毎週水・木と必ず母を訪問していたのに、火曜日に訪問したきり、4日間誰も行けなかったことになる。一日待てば兄たちが来るのだが、そこまでの知恵がない。

多分このように日にちが開くことはまずないので、寂しくて仕方なかったのだろう。無意識のうちにそれがストレスになって発作の前兆が出たのだと思う。

この人はこういう人なのだ。
だから私は何をおいても、水・木は訪問するリズムを壊さないようにしていたのだが・・・
「いいよ、ソラちゃん。年末年始は何かと忙しいからね〜お客さんもあるし・・・」と快く応じてくれたのを真に受けた私が迂闊だったか?
みなさんに、「ソラちゃんが来ない、ソラちゃん来ない」と訴えていたらしい。
ノートを見たスタッフが
「ソラさん、軽井沢って書いてありますよ」と言ってくれ、納得していたらしいが。

ここで、認知症の人の、心の落着きを保つためには:

1.できるだけ規則正しいリズムを作ってあげて、それを崩さないこと。
 *それによって、曜日とか時間に興味を持たなかった人にある種の時間の単位が生まれることになり、それは正常に生きる為にとても大切なものになる。
 *習慣化することにより、決まった動作ができるようになったり、待ったり、楽しみにしたりする感情が生まれる。

2.感情を傷付けたりプライドを傷つけたりしないで相手を尊重すること。そして、時々誉めてあげること。
 *信頼関係がうまれ、これが母には一番大切な接し方だと思う。自分を良く思っていない人や口先だけの人に対する反応は鋭くて、ビックリ!直ぐに見抜く。

3.正直に接し、間違っていることはきちんと説明してあげて正してあげること。
 *これによって、母は自分が道にはずれていないことを認識して、胸を張って存在できることになる。プライドが高いので間違ったことはしていないという自信を持っていたいのだ。入居当時と比べて、むしろ正常な判断ができるようになっているような気がする。

ホームの人は、母の状態が記憶は別にして、認知症的にはむしろ快方に向かっているような気すらする、と言って下さるのだが、とても珍しい例のようだ。
私も悪化しているとは思えないのだ。

ホームの人々の母の尊厳を守って下さる接し方と、家族がいつも訪問し寂しい思いをさせないことが効果を上げているように思える。
あるいは、うるさい娘のソラさんがしょっちゅう行ってみんなに挨拶して仲良しになっているせいかも・・・なんて思ったりしている。


2013年1月7日月曜日

『母の遺産』新聞小説 〜水村美苗



目の回るような年末年始の日々の合間、軽井沢で前述のダイヤモンドダストを見ながらホッと一息した時に読んだ作品。

この作品は、読売新聞で2010年の1月から2011年4月まで連載されたものである。

私が、信州に住む母の様子に色々な変化が生じたため、頻繁に長野を訪れるようになった頃から、最悪の状態になった母を東京の私の家の近くのホームに迎えて慣れるまでの間、必死で認知症の亡霊と格闘している頃までが丁度その時期に当たった。

何しろ母を迎えて11日後に大きな地震があったのだから・・・。一人で長野に置いておかなくて良かった、と心底思った瞬間だ。本人は「そのまま向こうにおいておいてくれれば死ねたかもしれないのに」と憎まれ口を言う。
印象的な最後の章の安堵感が自分に重なる。

読売新聞を購読している友人の何人かが、疲れきった私の顔を見ては、この作品の切り抜きを手渡してくれたり、出版されてからは、何人かの友人に薦められた本である。

買おうか借りようか迷ったが、とうとう買ってしまい、ついには一気に読み終えた。

面白く思ったのは、彼女(作者)と私の符合する点が多いこと、「これは何?」と思って調べたら同じ歳だった。背景、起きていることが重なっても同世代なのだから不思議ではない。

ただ、一つ違うことは、私は今までに一度も『ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?』とは思わなかったことだ。『くそばばあ!!!』とは何度思って叫んだか分からないが・・・。
いくら子供の頃からの恨みがあっても、本人の状態がひどいことになって罵られても、そうは思わなかったのは、多分自分の母親の性格がいくら我が儘であっても紀子さんとは違っていたせいであろう。そして同様に私の性格も水村さんとは違うのだろう。

母親同士、生い立ちも苦労の度合いも、性格のきつさも勝ち気さも我が儘度合いも甲乙つけがたいが、私の母は本来質素で人に迷惑をかけたくない気持ちで一杯の人なので、そのけなげさのせいで尊さの方が勝ってしまうのだろう。

これから何度も死にそうになっては生きながらえて、認知症が悪化して罵りの言葉が繰り返されることになるかもしれない。その度にはらはらし、「もうやだ!」と思うだろう。そして、ぐったり疲れ果てた自分にどんな思いが生じるのかはその時になってみないと分からない。
私もついには水村さん、いや美津紀さんと同じことを思い、そう言葉を発することになるかもしれない。

幸い私には夫の浮気騒動はないが、ある意味もっと大変なことが自分のまわりで起きている。実際現実は小説よりずっと大変だ。

美津紀が本当の意味で過去を清算して自立し、一歩踏み出す終わり方は後味が良い。多分意識の上では励まされる女性がたくさん居ると思う、が現実はもっと厳しい。

『母の遺産』は金銭だけではなく、『母親の生きざまを見たこと』と『この自立に踏み出せたこと』もそうなのだろう。
娘が母からもらうものは良きにつけ悪しきにつけたくさんある。

しかし、なにはともあれ美津紀はとてもラッキーなのだ。
世の中、金銭的『母の遺産』がない人がほとんどなのだから。

母親の介護を母親自身が残したお金ですることができるというのはすごいことなのです。娘に金銭的負担をかけていないということはそれだけで親としたらとても立派なことで、、、、介護をする人にとったら、そんな幸せなことはない。
自分の生活費を削ってあんな贅沢をさせてあげることはできないのだから。
それだけでも親に感謝して良いと思う。

それから人生において女性として自立してどうにかやっていける基盤を作ってくれたのもやはり親であることを忘れてはいけない。姉との差別はあったにしても、彼女が親の援助の元でフランスに留学できたということは、それだけで十分に恵まれていて、恨み言など言わずに感謝すべきことではないだろうか?
何故ならばそれを基盤に彼女は職を得ている訳だから、離婚を選択できるのもある意味そのお陰でもあるのだから。

もしかしたら美津紀は親になったことがないから、子供として与えられることばかりに目が行って、時には自分が無償で与えることをしなければならないこともあるということを見逃しているのではないだろうか?

読み終わって何か腑に落ちない感じを持ったのは、美津紀のそんな姿勢(甘え?)を感じたせいかもしれない。

2013年1月4日金曜日

『ダイヤモンドダスト』

2013年が始まりました。

年末年始は忙しくて・・・目が回るようでした。
やっとお役御免!!

2日の夜遅く、年賀状の私の分担をピカソの作品のような顔をして髪を振り乱しながらやっとすませて本局へ持って行き、その足で軽井沢にやってきました。
翌朝、ホテル滞在中のKzさんのご両親を訪問し年始の挨拶を済ませました。

これで正真正銘お役御免。
自分の時間が持てる〜〜〜〜ぅ!!!

帰宅後、気が緩んだのか目眩を起こし、冷蔵庫の前で倒れました。やれやれ、もう若くない。

今朝は、Kzさん仕事始めの銀行への挨拶で長野へ行きました。

朝、軽井沢の駅まで送る時、正確に言うと朝起きてカーテンを開けたときから、細かいキラキラした氷の粒がぱらぱらパラパラ落ちると言うか舞っているというか・・・を見かけ、気になって仕方なかったのです。

私は、寝ぼけた顔で
「Kzさん、これダイヤモンドダストじゃない?」と言うけれど、反応無し。
車に乗ってエンジンをかけて出発したとき、どうしても気になって
「やっぱりこれって、ダイヤモンドダストじゃない?」と言うと、やっとその気になって反応あり。
「そうだね、そうらしい。ダイヤモンドダストはマイナス12度以下になると起きるみたいだから・・」

出発時の車の温度はマイナス10.5度。8:30でその気温だから、私が起きてカーテンを開けた時は7時前なのでもっともっと低いはず。
「やはりダイヤモンドダストだったのだ!」と妙に力を入れて納得した私でした。初めてはっきりと確信したので、嬉しくて仕方のない私。

それにしても、あの反応のなさはなに??と腹を立てていた私なのだが、そうかメガネをかけていなかったから見えなかったのだ!と気づいて、怒るのを止めました。

最近私も老眼がひどいから、近視でも見えない人の苦労が少しは分かるようになり、Kzさんの鈍感さにも寛容になりました。

どうしてこんなにダイヤモンドダストにこだわるのかと言うと、南木佳士さんが芥川賞をもらった『ダイヤモンドダスト』という作品がとても印象的で当時から気になっていて、何度も読みました。自分が信州人であることや、彼が佐久総合病院の医師だったこともあり、作品の空気を肌で感じるのです。
そして、自分の中にイメージとして出来上がったある場面、それを実際に見てみたくて20数年間・・・やっと今日それを果たしたということなのです。

この作品は本当に素晴らしい作品で、、、

新年早々お気に入りのコスタボダの新品大皿を割ったけど、でもでもでもダイヤモンドダストに遭遇したから、多分今年は又色々あるけれど、でもでもでも何かを打ち破って素敵な年になるのでは?と勝手に解釈している私です。