2011年3月31日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑦ 〜痛いって言うなと言ったのに!

今日はオババを整形外科に連れて行く日だ。

膝の治療でヒアルロン酸の注射をしてもらっている。
6万円もするサポーターを売りつけられたのをやっと断って、先生に悪印象を植え付けた私は、ちょっと敷居が高いけれど、まあ仕方ないオババのためだ。でも、できれば今回で通わなく済むようにしたかった。

私:「お母さん、膝まだ痛い?」
オババ:「ううん、全然痛くないよ。どこ痛かったんだっけ?」
私:「良かった!だったら先生の前で痛いって言わないでね。できれば今日で注射止めたいから」
オババ:「うん、分かった!」

アナウンスで、イチカワさ~ん!と呼ばれたので、診察室へ。
先生こんにちわ、と言って椅子にすわり、上着の前ボタンをはずし始める。
内科のつもりなのだろう。受付ではどうして歯科医じゃないのかと散々怒っていたのだが・・・

先生:「市川さん、ボタンは外さなくてもいいから、ここに横になって膝を立ててください」
オババ困惑気味に、ベッドに移動。

先生:「調子どうですか?」
横になりながら、「いてててて・・・・」
万事休す!あんなに痛いと言うなと言ったのに。

注射をして、「2週間後に又いらっしゃい、お薬も続けてね、はい終わりー。」
私の口をはさむ余地無し。

今日の教訓:オババを信じるな!

2011年3月30日水曜日

記憶の扉 ①

20~30年分の記憶がごっそりなくなっているオババだが・・・・

今日、もう少し遡って記憶の扉をノックした。
私が結婚してからのことはかなり怪しいのだが、結婚前の話が出た。

私の友人でうちの母が好きで、私がいないのにしばしば訪問してくれた男友達が居た。
中学の同級生で、彼の家は旧家の呉服屋さんだった。その地名が何故かオババとの会話の話題に出た。
『問御所町』と言う名だった。

その時、私が「そう言えば、シューちゃんの家問御所だったねえ」
オババ:「そうだね、呉服屋さんだった。あの子はいい子だったネエ。よく花を持って来ては、コーヒーを炒れてってくれたよ。ソラちゃん居なかったのに、おばさん、居る~?って、いつも寄ってくれた」

およよ・・・、普通の会話が成り立っている。
何でオババはその話はできるんだ! 覚えているじゃん!!!
海馬はどうした??

記憶の境目は、私の結婚前と後なのだろうか?
アメリカでの結婚式は完全にすっ飛んで消えていたが・・・

オババの名言 ②

スタッフのお兄さん:「市川さんは面白いですねえ~」
私:「えっ?そうですか?この人昔からちょっとズレていて・・」

S:「昨日、メニューに鰯があったんですよ。お部屋から二人で歩きながら食堂へやって来て、入口で立ち止まりメニューのボードを見た時、市川さん、この字なんて読むんでしょうねぇ?魚の名前って漢字が似ていて難しくて・・・。」
オババ:間髪入れず「『サメ』じゃない?」 と答えたらしい。

さすがのみんな大笑い!!
これはスタッフの間で伝説になっているらしい。


今日は一緒にランチを食べる日なので、楽しくカレーを食べた。とても美味しくて、オババのらっきょを二個せしめた。

帰りの廊下で、一人の入居者さんが新人の入居者さんにつかまっていた。
新人:取り乱して「お願いです。○○へ連れて行って下さい。家族の者がみんな居なくなってしまって、私一人なんです。お願いです」大声でわめいている。
オババは何事かと目を真ん丸くして、自分が捕まらないように早足で通り過ぎる。
その時小声で、「ソラちゃん、○○だって、そんな所ないよね?あの人ちょっと変だね」
と言ったので、私は吹き出してしまった。
変なのはオババの方かと思っていたのに。
「お母さん、○○が無いってよく分かったねぇ。今日はなかなか冴えてるよ。確かにあの人ちょっと変だわ。多分来たばかりで取り乱しているんだね」

こんな会話ができるようになってきた。

2011年3月29日火曜日

オババの名言 ①

「私、自分の歳、98歳だと思っていたの。そしたら、89歳なんだって!得しちゃった。ソラちゃん知ってた?」

「もちろん!」親の歳知らないはずないやろ!

ご本人は98と信じていたので、そんなはずはないから、とスタッフの人に名簿を持って来て調べてもらったそうだ。
そしたら確かに89歳だったらしい。ご本人、大喜び・・・やれやれ。

今日は、「市川さんはほんとにスタッフの人に人気があって、面白くて思いやりがあるから、とても好かれているんですよ。」と言われた。
先日も、「可愛い、可愛い。可愛らしくて大好きだ」と言われたし・・・
別の人には、「市川さんは天使です」と言われた。

もしかしたら本当にオババは人気者かもしれない。
天然は得だ!

おやつの後、廊下にカートを置きっぱなしにして、のこのこと事務室をのぞきに行ったオババの後をつけたら、ホーム長さんが出て来られた。何故か事務所にちょっこし寄って、挨拶して部屋に帰って行くらしい、それが日課になってしまったのだそうだ。
ホーム長さん「どういうわけか、必ずここを覗いて行ってくれるんですよ」とニコニコして答えてくださった。オババはハンサムで感じの良い人は大好きだから、イケメンのホーム長さんはお気に入りなのかもしれない。

必ず出てきて挨拶してくれるもの。
オババは幸せかも。

2011年3月28日月曜日

好みが変わった!

認知症と関係あるのかは分からないが、おばあちゃんの好みが微妙に変わってきている。

彼女は何十年と『お煎餅おばさん』であった。ババちゃんと言えばお煎餅だった。家に来るお客さんはみんなおかきを持って現れた。

それなのに、ここのところ彼女の頭の中は甘いもので一杯だ。
キャラメルを買え、飴を買え、お菓子を買え、と煩いこと!あんこなんて大嫌いだったのに、今では目を細めて喜んでいる。とにかく甘ければ良いのだ。うっかりすると人の分まで食べてしまう。そして美味しいものを持ってきてくれた人は記憶に残るようなのだ。新しい記憶のトリックの始まり!

昨日、久しぶりに新潟の塩味のおかきを持って行った。あれほど好きだったのに、興味も示さない。兄嫁のよし子さんがパウンドケーキを焼いて持って来てくれた。それはよだれを出さんばかりに目を輝かせ、
「これよし子さんが作ったの?」と何回も聞いていた。
「その辺で売っているのより、余程美味しいね」お義姉さんはパン屋さん!だからプロだ。

口癖:「後で、キャラメル買いに行きましょう。ちょっと遠いけどね」
「明日又来るから明日にしよう」と兄が言うと、
「今日でなければ駄目なの、今日」ガンと譲らない。

Kzさんは大の甘党。いつもおばあちゃんの所へ行く時に必ず美味しいお菓子を持って行った。行かない時は私が託されて、「お母さん、これカズちゃんからのお土産だよ。」と言っておしゃれな包みのお土産を渡すと大喜びしたものだ。彼はいつも美味しいものを求めている、そして何か見つけるとババちゃんにあげるのだ。

「カズアキさんがくれるものは特別に美味しいから」とオババは大喜び。カズアキさんは別名ダアダ、子供達はみんなダアダと言って育った。だから名前を二つ持っている。
ところが、オババの頭の中ではカズアキさんとダアダが別になってしまった。つまり美味しいものをいつも持って来てくれるのが、カズアキさんで、私の夫、子供達のお父さんがダアダで、別物らしい。

先日、その二人は同じ人だと言ったら、顔中がひっくり返りそうなくらい真面目な顔をして私の顔を覗き込み、まん丸な目をして驚いていた。
「ホント・・・?」「ほんとだよ」 私はどんな顔で答えていたのかな?


おばあちゃんは、コーヒーが大好きだった。朝ごはんにはトーストと紅茶、でも外食の食後やおやつにはコーヒーを飲んで、「やっぱりコーヒーは美味しいね、疲れがとれる」と言って満足そうだった。

ところが、今はどんな時でも紅茶ばかり。お砂糖たっぷり入れて、紅茶を飲む。
「あれ?コーヒーじゃないの?」と聞くと、
「コーヒーは食べているものの味が変わるから嫌なの」と答えが返ってきた。
なるほど、本人なりに筋が通っている。認知症が始まってからなかなか論理的だ。

これで茄子が好きになったりしたら、認知症は好みが変わるのだと発表しよう。

2011年3月25日金曜日

『認知症と長寿社会』 〜ちょっと疲れた


おばあちゃんのホーム通いが始まってもう直ぐ1ヶ月。


ホームへ行く度に重い気持ちで帰ってくる。こんな気持ちで暮らしているから負のエネルギーで震災もなかなか良い方向へ向って行かないのかもしれない。

毎日どうにかしてあげられないものかと気になって頭から離れない。 「今ならまだ救える」そんな焦りが自分を苦しめている。


Kzさんが、アメリカ出張から昨日の朝帰国。今日は東御市にある工場で会議なので、朝早く車で軽井沢へやってきた。毎日母の所へ通うのが日課になっていたので、随分悩んだ。

だって、一日行かない日があると、彼女は凄く不安定になり、その分を取り戻すのに大変な労力を要するのだ。疑い深くなり、又一人にさせられる、見捨てられた、自分は不要な人間だから死にたい・・・・そのサイクルに入って行くからだ。今回は2日行けない。

こんなことは初めてなので、とても悩んだ。

ホーム長さんに相談したら、大丈夫とおっしゃった。私には大丈夫でないのが分かるのだが、、、長野のショートステイで、一日一日で悪化が進み、一週間単位で異変が起こって行ったのを経験した後だから。


しかし、ここへ来ることを選んだ。

自分がへたばったからだった。昨日、母は「自分が駄目になってしまう、まだ今なら戻れる。病院へ入ってもいいから、助けて欲しい」と私に訴えた。日曜日に精神科の先生と相談する。私はそれまでの心の負担につぶされそうだ。いらいらし、心配し、焦っている。

そして、ここ一年治まっていた、血管が痙攣を起こすタイプの狭心症の発作の前兆を毎朝四時ごろになると感じ、いつあの痛みが来るか、気が気ではない。

リラックスしたかった。

いつもこちこちになった心臓の血管を感じていて、とても辛い。


だからこんな文章を書きたくなかったのだが、冷たい雪の舞うこの景色を見ていたら、又やっていけるような気がしてきて、書きとめておこうと思った。


今、信濃毎日新聞取材班による、『認知症と長寿社会』笑顔のままで

という講談社現代新書を読み終えた。

今年の初め、母の症状が気になり始めたときに、丁度新聞で目にして買ったものだった。中には今の母の姿がたくさん詰まっていた。そうか、今、そういう気持ちなのね、と涙ながらに読み続けた。舞台が信州で、聞きなれた地名がたくさん登場することもあって、身につまされた。記憶を失っていくことに焦っている母の苦しみを和らげてあげたい、そう思った。読み始めた一月末では、まだ少し人事で、そうかも~と疑いだったが、今では確信に変わった。この2ヶ月は本当にきつかった。


逃げてはいけない、見守ってあげないと。残りの日々を幸せに過ごしてもらわないと。

心の余裕がないと、優しくなれない。東京へ戻って悪化している母を見るのは辛いが、ここで私が疲れていらいらした気持ちで接するよりは、多分自分にとっても、母にとっても良いはずだ。

リフレッシュして頑張ろう。


この家があることが、今の自分には酸素室シェルターみたいなもので、感謝している。

雪がやんだ。さっき土の上を餌を求めて飛び回っていた、野鳥たちは薄暗くなってきたためか、雪の舞のせいか、姿を消した。

山国育ちは、山の中で命を吹き返す。

2011年3月14日月曜日

今度は地震!

マヤの暦を勉強して主人の父の夢中になっている2012年問題で色々考えて・・・・きっと何か起きる、と思っていたらやはり大きな地震がやってきた。

まあ、私の周りも人生も、現実も色々起きて混沌としている。
去年の易だったか、一昨年だったか、とにかく私の周りが地震で震撼として荒地になってしまうほど色々起きるが、慌てずに静かに待ちなさい、あなたはとても強い運の持ち主だから、じっと待っていれば必ず静まって、自分の世界が待っている、とあった。
おみくじを引いても必ず、今は本当に大変だけれどじっと待ちなさい、と出た。
畑は耕してから作物が実るのだから、今は耕している時なのだ、と。

『泣きっ面に蜂』みたいに、私に降りかかる色々なこと・・・いつまで続くのだろう?とぼやいていたら、今度は規模が大きすぎて、私より大変な人々がたくさんになってしまったから、文句言えずにじっと耐えるしかない。

計画停電とか、色々新しいことに直面するが、慌てずに、不便を不便と感じずに、プリミティブの気分になって乗り切ろうと思う。
色々振り返って反省するにはとても良いときなのかもしれない。

これ以上犠牲者が増えませんように。
余震、原発・・・ 日本人の生ぬるさが鍛えなおされる時なのかもしれません。

それはそうと、乾電池単一を買いにスーパーへ行ったら、跡形もなかった。トイレットペーパーもなければ牛乳もなかった。ま、いっか!と帰宅した。
視点を変えて時間も変えて、夕方近く、薬屋やコンビニ、雑貨屋と3~4件回ったけれど、結果は同じ、まじ驚いた!ネット上でも消えてしまった。しかもうっかりしているとすぐになくなってしまう。
何もない!
オイルショックのトイレットペーパーが消えた時を思い出した。人間のサーバイバルパワーは何と逞しいのか、ひたすら感心した私だった。この素早さ、ちゃっかりさ!?

多分私は生き残りをかけた戦いには取り残されるだろう、間違いない。

2011年3月9日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑥ 〜ホーム生活10日目

自分の母親ながら、このしたたかさには頭が下がる!
複雑な心境だ。

文句ばかり言っていたホームの生活も、まだ頭の中はどろどろ状態で過去も未来も現実も夢の中もごちゃごちゃだが、それなりに形にはなってきている。
仕方がないので毎日通って世話をしているが、おばあさんなりに生きているようだ。
これを認知症と言うのだろうか?

今日はおやつ前の時間がぬり絵だった。
運動系だと張り切るが、途中で私を迎えに来た。
「ソラちゃん、ちょっと代わりにやってちょうだい、あなた絵を習っていたでしょ?」ときたものだ。
私って絵を習っていたっけ? そうか!トールペイントのことを言っているのか・・・

「ババチャン、それは自分でやらないと身にならないよ。だって指先を使って手の震えや筆圧の調整になるでしょ、それは使うことによってトレーニングになるのよ。ここでやることは身体によい事ばかりだから、なんでもしてみたほうがいいよ」と答えた私だが、引っ張ってダイニングルームへ行かされた。

同じテーブルにはとてもまともなお友だちになれそうな品の良い方たちが座って一生懸命ぬり絵をしている。ぬり絵と言っても幼稚なものではなく、自尊心が傷つかないだけのきれいな大人っぽいバラの花だ。みんな優等生だ。うちのオババだけが、どうやってさぼろうか、とにかく難癖をつけてさぼる手段を探している。小学校のとき、どこのクラスにもそういう子が居たっけ。
書いている絵も一番雑でひどいものだ。
但し一つ感心したのは、ただべた塗りしていないで、どうにか色わけして立体感を出そうとしている痕跡がある。しかし、あまりにも筆圧が足りず、幼稚きわまりない。

「ソラちゃん、やって」こればかり。
しかもなんで私が塗ってるの・・・・面白くてつい代わりにやりたくなるが、どうにかオババにやらせようとしている問答が可笑しいらしく、私たちのテーブルは笑いが絶えない。
みんなニコニコ大笑い!

みんな笑顔になるから、自分の親でなかったら、こんな仕事むいているのかもしれない。
老人調整インストラクター!!

とにかくトンチンカンなオババは、なかでも一番トンチンカンであることを発見した今日であった。
それにしても問題児、劣等生だったことが手にとって分かる。なんでこの親に私のような娘ができたのだろうか? やはり橋の下??

ぬり絵は駄目だったが、おやつはあっという間に食べてしまった。まだみなさま誰も手を付けてないのに・・・・やはり私の親ではないのかも。

2011年3月4日金曜日

認知症の母をかかえて困っていること

おばあさんの東京のホームでの新生活が始まった。

【どうしたらいいの?と困っていること】

「何もすることがなくて、地獄だ!」
と言っているのに、何もしたくないと言う。

折角持っていった物が、次に行った時にどうしても見つからない。
何処へしまっちゃったの?

青山の家に帰りたいと言う。
でも、そこには家がない。いや、あったことがない。

朝ホームへ行くと:「ソラちゃん、どこへ行っていたの?」
午後ホームから帰るとき:「どうしてここに泊まっていかないの?」

と、と、と・・・

2011年3月2日水曜日

恐るべきNHK 受信料

母が東京のホームへ移ることになったので、諸々の手続きで明け暮れた。

ショートステイに入っている間に、水道は凍ったのと老朽化で破裂し止められ、しかも水道代32000円の請求が来た。交渉したが、免除なし。
ガスは何故か安全器が作動して止まってしまい、その理由が分からなかったので、ガスが点かない、ガスが点かない、どうしたのだろう??と、寒い家の中でストーブがつかず、暖房なしで牢屋みたいな深深と底冷えする部屋での作業を体験をさせられた。火が点いてからも、冷え切った家はなかなか暖まらず、実に辛かった。電気は無難に手続きができたが、最悪はNHKの受信料だった。

まず、解約の仕方をネットで探したが、これだけは電話で直接やる以外にないらしく、指定の番号に電話した。
まず1日目はお話中で全く通じなかった。まるでチケットを取っている時みたいだと思った。
翌日チケット並みにダイヤルし続け、やっとラインに乗った。通じたと喜んだのもつかの間、すぐに「只今混み合っているので、後でかけ直すか、このままお待ちください」とメッセージが流れた。
やっとつうじたのだから、このまま待つに決まっているじゃん、と待ったが、待てども待てども、退屈な同じメッセージの繰り返しで、頭に来て切ってしまった。

それから3日間、同じことに悩まされた。兄と交代で電話したが、オペレーターが出ることは無かった。

こうして、1週間後にやっと話しが通じるナマの人間の声を聴くことができた。
ところが「長野で一人暮らしのおばあちゃんが東京のホームに入るので、もうテレビは必要ありませんので、解約をお願いします」と言っても、おばあちゃんの確認、電話している私の確認、そして更にこれから引越しするホームの確認をして、その資料を基に更に全部確認し直してから、後日電話する、という失礼な返事が返ってきた。

ビックリ! まるで犯罪人みたいな気分になった。
これでは、一度受信料を払ってしまったら、一生死ぬまで払い続けなければならない無間地獄に陥るのと同じだ!と思った。払わない人が多数の意味が良く分かった。
村上春樹の『1Q84』の執拗にドアを叩き続けて取り付けるNHKの集金人のシーンが浮かんできた。

そして、今日再び電話が来て、「転居先のホームではテレビの所有はないのでしょうね?」と脅すように言われて、「では、書類を送りますので、それを送り返してください」の一言で終わった。

わが家の軽井沢の家は、高額のNHKの受信料を払うのが嫌で、テレビがない。だって月の数日を過ごすだけなのに、それを払うなんてもったいないから。
しかし、サッカーの試合なんかあると、やはりテレビは欲しいな、と思う。それでも我慢だ!
国民の楽しみを奪っている、この形態、はどうにかならないものだろうか?
スカイプを使えばただで外国と話せるこの時代に、何か変だ。時代錯誤甚だし。

古い体質の、その会社で私も結婚前は働いていたのだけれど・・・・
やれやれ・・・