2011年9月29日木曜日

嬉しい知らせ

昨日の朝、シンガポールに住む娘のWkからメールが届いた。

この子は用事以外にメールをよこさないが、スイスのMBAに合格した通知だった。
シンガの今の会社に現地採用で入り、3年くらい経ったのだろうか?今度は勉強をしたくなったのだろう、MBAに挑戦だ。
もう30歳!
嫁にも行かず、いつまで続くのか、彼女の yellow brick road
『Ozの魔法使い』のドロシーの歩く道は、うちの娘にも敷かれているような気がする。

スイスの彼女が行くビジネススクールはすごい学校だ。
少人数制で国際色豊なハードで有名な、個性的なスクールで、世界でもトップクラス。そこで何を学んでくるのか、本当に楽しみだ。

彼女は18歳で家を出て、大学へ行きながら自活した。大学の学費だけは親が出したが、あとは全てバイトをして自力で、生活した。寝る間がなかったことだろう。その間にたくさん仕事をして、たくさん旅をして、ある日会社をやめて中国へ行った。

どうしてやめたのかわからないが、中国の学校でも、多分すごく勉強したのだろう。
昔からピアノをやっていたせいか、妙に語学のセンスがあった。うちのKzさんも言語に関しては、奇妙なセンスがある。すぐに使えるのだ。

息子のKもそうだ。
○○語、っていうと、うそばかりなのだか、その言語に聞こえるように音を出す特技を持っている。
全然うそばっかなのに、イタリア語に聞こえるし、韓国語に聞こえるし・・・でもスペインで暮したら直ぐにスペイン語をマスターしちゃったから、やはりみんな何かセンサーが働いている。

比べると私は、妙に堅苦しく、窮屈な勉強をながいことしているわりに伸びないような気がする。
音感は良いのだが・・・メロディーは一度聴いたら覚えてしまうが、歌詞は紙を見て歌っても覚えない。もしかしたら頭わりいのかな??
センテンスをイントネーションを含めて、かたまりでとらえる能力に欠けているような気がする。読めるし書けるのに、しゃべれない(泣) 長いセンテンスのオウム返しができない。

話しが横に逸れたが、彼女は私費で行く。自分で稼いで、自分で決めて・・・好きな道をどんどん進む。
ローザンヌはジュネーブに近いからフランス語圏、これでしゃべれる言語が又一つ増えるだろう。日常会話は上達の近道。だって一番生活に密着しているのだから。
もっとも大学で仏語やっていたから、スウィッチが入ればすぐに取り戻すだろう。

私でも、頭を切り替えると仏語からスペイン語に変わるから・・・いや、ちと、レベルが違うかな?

とにかく、親が窮屈に生きている分、子供達には存分に人生を楽しんで欲しい。
とはいうものの、二人ともかなり難儀な、苦労の人生なのだが・・・

できれば、ローザンヌの彼女を来年は訪ねたいなあ~(歓迎されないだろうけど・・・)

2011年9月27日火曜日

Buenas horas

今日はちょっと興奮している。
楽しかったー!! 楽しくて、楽しくて、とても幸せ。

今年の3月にやる予定だったスペイン語の短編、G.マルケスの"En este pueblo no hay ladrones"を今日やっとやることができた。
震災の影響で延期になっていたのだった。
何しろ、学校で何もない合間でやるので年に2回がせいぜいだ。

長編の"La tregua"をやったグループだ。
おのおののセクションを担当して、まとめ、スペイン語で先生と色々話しながら進めて行く。
スペイン語の作品をスペイン語で読んで、スペイン語でディスカッションするなんて夢みたいだ。どうしてもまだらっこしくなると、私は日本語になってしまうが、とても大切なことを言う時なので、許してもらう。

今日はLa tregua をご一緒にやったMさんも2年ぶりにいらっしゃり(大病をなさったため外出できなかったのですが)みんなで補いながら、楽しく、かなり本格的にやりました。

パトリシア先生の文学のレベルはかなりなもので、しかもよく考えすごい準備をしてきてくださるので、こちらもいい加減にはできないし、その緊張感がたまらない。
私は自分の考えを伝えると、先生がとても反応してくださるので、嬉しくてたまらない。
アメリカ短編の青山南先生のクラスを思い出して、うきうきしてしまった。

いくら大変なことでも、自分の好きなことは全く苦にならない。私はやはりこの辺りの人間なのだろうか?

昔、『ご飯を食べるのを忘れるほど夢中になるものを続けて行こう』と思ったことがあったが、なかなかお腹が空くと負けてしまう、けれど、この分野のことは空腹なんか忘れてしまうので、多分私はここで生きて行くのが幸せなのだろう。

良き師に恵まれ、良き仲間に恵まれ・・・なんて幸せ!

今日はこんな素敵な日だった!

2011年9月26日月曜日

工夫が必要

台風の真っ只中に家を出て、真夜中に羽田から夫はLAに出張した。

今回は、休日返上で日本の連休中のお仕事なので、明日の早朝にはもう帰国だ。
正味5日間のアメリカ行き。

私はこの5日間をどうしてもしなければいけないことと、したいことだけをして過ごすことにした。
結構邪魔が入って、私の時間に色々なものが侵入してきたが、良い実験になった。

まず、1日目:これはリズムを崩すわけに行かないので、オババの所へ行った。家に戻ってからの夕飯の仕度の手間がないので、つまり私は何でも残り物を食べれば良いので、暗くなるまで付き合って帰宅した。
夜は、溜まっていたビデオを心行くまで観て、ボーっと過ごした。おおいに疲れが取れた。

2日目は:友人のKさんと上野の空海展で帝釈天さまにお会いして、Kさんと存分におしゃべりして戻って来た。夕飯は三鷹のえきなかであんかけチャーハンを買ってきてインスタントのスープで誤魔化した。

夜、スペイン語のガルシア・マルケスをやっつけないといけないので、"En este pueblo no hay ladrones " のプレゼンの準備をした。

11時過ぎには、夫がいると観れないので、ビデオで楽しんでいた『ジウ』の最終回を on time でごろごろしながら存分に集中して観る事ができた。面白かった!
あの井崎さん役の黒木メイサは、若かりし頃の私の憧れの像だ。強くて、男みたいで格好良くて・・・自分もああいうすごいやつになりたいと心底思っていた。多部未華子ちゃんも、鹿男の時からファンだから、面白い組み合わせで、大いに楽しんだ。

その後、もう少し
G・マルケス

3日目は:友だちのKbさんと吉祥寺でランチの待ち合わせ。毎週Kevinのクラスで会っていたのが、これからできないのと、Timeの勉強会のプリントを受け取るためだ。これは前述の通り。
夕飯は、アトレで海南食堂のチキンライスのお弁当を買ってきた。これ、シンガポールの味に近いのか娘がこのようなものを食べているのでは?と時々買ってくる。そして、結構好きで、ジャスミンライスが懐かしいようなお味。でも、ちょっと食べたところで息子から電話でつかまったっけ。

夜は杏さんの、イタリア、フィレンツェへ前世の自分との関わりを見つけに行く『フィレンツェ・ラビリンス』というイタリアの彫刻家デジデリオを求めて旅をする面白い作品を観た。
その後は、プレゼンの準備、夜中の2時ごろまでやっていたかな?

4日目は: これを逃すと美容院へいける日がないので、3時から予約。5:30からは兄夫婦とオババと4人でお食事だった。Kzさんがお食事会に参加できるのはまだまだ先だったので、留守の間に一度つないでおこう、ということで、吉祥寺の葡萄屋で焼肉。

オババは、「この人が一番好き」と子供みたいに兄を指差し、一番優しい、一番たくさん来てくれる~~とまあ、誉めっぱなし。
「おいおい、一番行っているのはこの私なんだよ」と言っても知らん顔。
私は透明人間だあ~

久しぶりにみんなで好き放題言いたいことを言って、楽しく過ごせ、義姉と私はオババに同じようなストレスをかかえていることを認識。
夜は、調度予約しておいた漫画『ピアノの森』が遅ればせながらやっと発売になったので、それをゆっくり読み、少しスペイン語。

そして、final day の今日5日目は、スペイン語で発表できるように、下準備。日本語だって難しいのにさ。それから掃除。明日の早朝にKzさん帰るから家をきれいにしておかないと・・・
これからアイロン掛けに・・・etc 生活を戻す準備。

気がついたのは、一度もまともな夕飯を作らなかったこと。
残り物をつっついたり、お弁当を買ってきたりしたら、過ぎてしまった。
今日まで一度も掃除をしなかったこと。
気がついたらダイニングのテーブルは本と原稿の山!

そして、家事をしないとかなりな時間が捻出できる、と実感。
Kzさんがいないと散らかす人がいないから、掃除がとても楽であること。食事もワンプレートで済んでしまうので、まじ楽。しかし、あまり長く続くと無精のせいで、病気になるかも。

家事を削るには、かなりな工夫が必要で、民主党ではないが大きな見直しが必要と結論が出た。
家の中はきれいでいたい。美味しいものを作って食べさせてあげたい。
オババをかかえ、勉強もしたいけれど、家の基本はkeepしたい。そういう私には一工夫が必要だ。

とても楽しい日々だった。
何年ぶりかの休暇みたいな気がした。身体が疲れてしまっていて、そういう行動がとれなかったが、外出したというだけでも、今の私には奇跡に近い。もっと外に向かい、元気を取り戻そう。
不満を持たずに、工夫して・・・

2011年9月24日土曜日

こういう時も必要!

昨日はお友だちと上野で仏像展、今日はお友だちとランチとおしゃべり、そして街をぶらぶら。

ここ数ヶ月の疲れが少しずつ取れて行くのが感じられます。
こういう普通の生活がなかった。
ぶらぶら町歩きをするなんて・・・何ヶ月ぶりだろう、いや何年???

吉祥寺の井の頭公園付近のエスニック調のお店が並んでいる小路をぷらぷらすると、
いつも色々なワンコたちに出会う。
今日は大の犬好きのKbさんと久しぶりに会い、ランチをした。
凄い人出!
そして美形のワンコがあっちもこっちも・・・

イタリアンは美味しくなかった。
初めに覗いた、美容院のFさんに教えていただいたお店は11:30でも行列だったので今度平日に来ようということで、取り合えずKbさんが目をつけていた新しい、雰囲気が良くてゆっくりできそうなお店に入った。

ナポリスタイルのマルゲリータは裏側がべちょべちょで、乗っているトマトソースはまるで缶詰からだしたままみたいな感じで、あんまりいけなかった。
軽井沢の普通の店のほうがずっと美味しい。

アサリと岩海苔のパスタはアルデンテ過ぎて芯がしこしこ・・・やはりお腹を壊した。
サラダはまあまあ。

食事の後、もう一度未練がましく最初のイタリアンをのぞいたら、まだまだ行列。さっきの方が余程少なかった。Fさん本気で美味しいと言っていたから、多分本当に美味しいのだろう。
今度行ってみよう。

こういう、普通の人々がすることからあまりにも長く遠ざかっていたので、私は少し時代から取り残されているような気持ちがした。
アジアそのもののお店を、うろうろ覗いて、あっちを見てこっちを見て・・・いいんだな、こういうの。

こうして、少しずつ平凡な幸せ感覚を取り戻して行く。

今学期は金曜日のKevinの授業をお休みした。私に人間らしい時間を取り戻させるために。
自分のことは自分でしか解決できないから。

東寺の帝釈天さま

東京国立博物館でやっている『空海と密教美術展』に行って来た。

京都を訪れると必ず会いに行きたくなる、東寺の『帝釈天』さまを近くで観れるということなので、この機会を逃してなるものか!と25日で終了するぎりぎりの今日23日に友人のKさんと行った。
上野はすごい人出で、まるでお花見の時みたいだった。

東寺へ行っても、仏像様たちの前で飽きるまで眺めているだけで、意味も何も分かっていない私であるけれど、ただその前にいると自分がすーっと浄化されていくような気がするので、それを感じたくて行くのだろう。

数ある仏像の中でも、この帝釈天と広隆寺の聖徳太子の16歳像が大好きで、前者には「お会いしに来ました」、後者には「元気だった?会いに来たよ」と声をかけます。

ところで今回の展示は素晴らしく、身が引き締まったすきのないお姿にうっとり。梵天の4羽のガチョウ、帝釈天の象さんもじっくり観てきました。

東寺の埃にうもれたような隅っこで控えめに座っているお姿がライトアップされると、こんなに凛々しくて素敵なのかと改めてその男前にため息でした。

あれ? 空海は?
空海の文字は勢いがあってしっかりしていて、多分あの文字を書く人そのものなのでしょう。
もう少し仏教についても、空海についても勉強が必要じゃワイ!

と思いつつ、素朴に素直に、好きなだけでいいじゃん!なんて思っています。

2011年9月15日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑲ 〜人間の脳って!

折角言わなくなった言葉が又復活!

もうこれは解決したと思っていたのに、又ぶり返してきた。
あんなに忘れっぽいのに、どうしてこういうことばかり甦って来るのだろうか?
「かすりのズボンがなくなっちゃった!どこ?」この台詞を聞いた時、背筋がぞぉ~~っとした。

随分苦労して解決したことが又復活しちゃって・・・どういうのだろう?
人間の脳って、こういうことなのか・・・?

誰かが髪を切ってしまった ← 私が切ったのだと納得したはず
かすりのズボンがなくなった ← 3ヶ月ほどおさまっていたのに
温かくなったらそのズボンはくよ ← 今真夏

洋服の組み合わせがあまりにもちぐはぐで、五色豆にもなりゃしない。
何となくみすぼらしいので、新しいズボンを4本色違いで持って行った。4色あればどれかと色合わせできるから良いと思ったのだが・・・あまり気に入らなかったのだろう、今穿いているのに比べるとずいぶん小奇麗だと思うけれど、全くはく気配がない。

もうどうでもいいや。
Tシャツでもブラウスでもカーディガンでも、木綿でもウールでシルクでも、
これは薄いから夏物。
これは厚いから冬物。
材質に関係なく判断がそれしかないからとんでもないものを着ている。
半袖のコットンのTシャツでも、少し厚手だと冬物になってしまう。ぺらぺらしたスケスケの薄手のものしか夏物と認めないのだ。
いくら説明しても聞いてくれないから、『自分は洋服がない』ことになってしまう。

Tシャツは下着だと思い込んでいるので、それ一枚で着ても良いのだと言っても絶対に言うことを聞かない。従って必ず上に変な柄物のブラウスとかカーディガンなどを羽織るので、何ともいえない重ね着になる、それを見ているとこちらは頭が痛くなってくる。

下着のノースリーブのシャツのレースがついたやつは、下着ではなく、ブラウスになる。
「これは下着なのだから、上に着たらみっともないよ」といくら言っても駄目。
もう、めちゃくちゃやー!

あたしゃ、もうどうでもいいと諦めたい。
知らん顔したい。
けれど、廊下に出ると皆様きちんとしていらっしゃる。
みんな呆けていても、その辺の脳はきちんとしているみたいだ。
何だか洋服の着方がへんなのはうちのオババばかり。
あんなにおしゃれだったのに、その辺りを司る脳はどこへ行ってしまったのだろう?

カズさんのお父上は、自尊心と自己顕示欲ばかり残ってしまった。
私は最後に何が残るのだろうか?