2011年11月28日月曜日

暗い日

四時というのに、薄暗くなり、5時にはすっかり夜になってしまった。
一日中夕暮れ時のように薄暗かった。

こういう日は苦手な私。いつもだるさと神経痛と頭痛に悩まされる。
負けてなるものかと昼間からお風呂に入り体を温めて、血行を取り戻し備えた。
お昼にはお雑炊を食べて体を温め、部屋も少し暖房を入れた。
音楽に乗って体を動かし、できるだけじっとしないように心がけた。

でもやはり頭が痛い。足腰も痛い。多分やがて雨が降るのだろう。 
頭痛の無い人がこの世にいるなんて・・・居るとしたら何と幸せなのだろう。
それだけで幸せなのをその人は知らない。

私にもあるのだろうか、それが無いだけで幸せなものが・・・もちろんある、病気とか・・・
でももっと当たり前なことで見つけたい。
見つけたら感謝して幸せをかみしめよう。

2011年11月24日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑳ 〜いよいよ次のステージか?な?

今オババの所から戻った。
ここのところオババに関する辛い愚痴が劇的に減った私だが、3回くらい前から行くごとに自分が苛立っていることに気づく。

多分彼女の行動を見ていて、あまりのショートスパンで繰り返す彼女の行動を見ていて、多分悪化しているのではないか?と思い始めているせいだと思う。
彼女のその日のコンディションは自分の鏡であると、リフレクトするイライラは私の心境の現れと思って日々顔色を変えずに努力していたが、その努力が効かなくなってきた。
どうもそれだけではないみたいだ・・・いよいよnext stage??


いくら話題を反らしても、結局同じ場所に戻って行ってしまう。又『無い世界』に入って行って、あれがない、これがないと言い始めた。たった今言ったことを忘れ、たった今確認したタンスの中身を忘れ、永遠に繰り返す。いらつき始め・・多分効いていた薬の分量が飽和状態になってしまったのではないだろうか?そして同じ分量では効かなくなってしまった・・・
そんな気がするので、ここ何回かはホームへ行く度にとても疲れる。

自分もその変化とともに変わって行かないと、自滅する。バージョンアップか!
この私が、どこまでやっていけるのだろう?
自分にそれができるか? 自分が壊れる?? 不安と憂鬱のソラさんだ。

ホームのパティオにホーム長さんがクリスマスツリーを作っていた。
玄関にもお花を飾り、サンタさんと雪の結晶の吹き付け・・・もう12月。

「あれは何だね?」
「クリスマスツリー、ホーム長さんが頑張って作っているね、きれい」
「それはなんのための物だね?」
「もうクリスマス、12月だもの・・・え!?もしかしてクリスマスって何か分からない?」
「知らない」
「クリスマスツリーも?」
「そんなの知らない」
「。。。」

やれやれ、まあ知らなくても困らないけれど、大したことではないけれど・・・でも、ちょっと悲しいかな?

秋が始まると・・・

半袖のTシャツ一枚だったのが、いつの間にか長袖の季節になった。
でもまだTシャツ一枚だった。

ところが下着にタンンクトップを着るようになり、合計2枚必要になり、更に寒い日にはカーディガンや前開きのシャツを羽織りたくなり・・・防寒のために重ね着が必要になった。
ここからが私のつらい日々が始まる。

木綿だけでは寒いので、ウールが必要になる。
セーターは一枚では着れない、必ず下着が必要になる。
すると少しでも直接触れる部分はチクチクするし、出来るだけ肌に触れないようにすると、ハイネックを下に着用となる。
この瞬間から暖かいのではあるが、何かつまった感じがして急に身動きが窮屈になり、ずしっと肩に負担がかかり始めるのだ。
私の肩凝りと限りない頭痛の季節朝来!

少しでも化繊が入っていると、そこで自分の体に電気がたまるのが分かる。ドアのノブでパチッ!車に乗れば火花!人とすれ違うとパチっ!!デパートなんか絶対に歩けない。これを家の電力に転換でもできればいいけれど・・・こんな微量では何の役にも立たないだろう。
ソラさんひたすら無力感を持つ季節。

着る物が一枚増えただけで、木綿100%で生活できなくなった途端始まるこのつらさ。憂鬱じゃ!
やれやれ・・・

でも寒さがもっと増すとこの重さにも徐々に慣れて行くから、人生負荷をかけて調節しながら、冬越えのために少しでも順応能力が高まることを祈りつつ、冬に向かって、できるだけ体を動かしながら乗り切ろう!

もう腕が上がらない、首から肩がガタガタ、つまり第一にPCを使うのをやめて、掃除・洗濯・家の整理に精を出すことかもしれない。何しろ、もう年末なのだから、やらねばならないことがあるでしょ!?
机に向かってやる仕事を控えることかな?でもそうすると自分が自分でなくなってしまうかもしれないので、肩凝り君と仲良しになることも考えつつ・・・

2011年11月21日月曜日

家族の行事続く〜・・・お食事会

ここのところ、ファミリーイベントが続いた。

Kzさんの両親の誕生パーティーから、娘の一時帰国、義妹の娘−つまりKzさんの姪っ子のお披露目お食事会、そして昨日はオババを囲んで、私のファミリーのほうのお食事会だった。

色々あるが、どのような一族であっても、やはり家族は家族だという印象を持った。
血族と本人は血はつながってはいないが、血族を生み出した他人同士の家族という関係による奇妙な連帯感がある。
これはある種、理屈ではない世界だ。

うちのオババはアルツハイマーの病名をもらっている認知症の89歳、一月で90歳のおばあさんだ。
兄は自分が母にとっては誰よりも名医だと言っていたが、確かに医師の診察や対処や指導はあまりにも、普通で形式的であり、個人を見ずに一般論を当てはめているだけなのが良く分かり、その人その人により惚けて行く家庭には個人差や異なった理由やバックグラウンドがあるものであり、家族しか分からないきめの細かい配慮からの刺激や愛情により何か多少のアドバンテージがあるのではないかという姿勢は悪くないと思う。私もそう確信していた。

日本の認知症に対するレベルはかなり遅れていると私は思う。
それにお年寄りを気持ち良く惚けさせてあげることは素敵なことだ。

そんなわけで、『どうしてみんなが集まっているの?』みたいな顔をして真ん中にチョコンと座っているおばあさんを囲んで、穏やかに好き放題のことを言いながら吉祥寺の聘珍楼でお食事をするのはとても良いことだと思う。しかもおばあさんの奢りで、安心してたらふく飲み食いする。「おばあちゃん、ごちそうさまでした!」とみんなで大きな声でお礼を言う。この瞬間がなかなか楽しい!
おばあさんが兄妹二人の家族をつなげてくれ、おばあさんの幸せのためにみんなで協力し合うのはとても貴重なことなのだ。

惚けながらもしっかり大きな役目をしている母には手こずりながらも感謝しないといけないのかも・・・と少し寛大になった私。

2011年11月17日木曜日

古い原稿とmac

MacのPCの初めの頃、まだインターネットができないPCの頃に我が家で初めて買ったノートパソコンがパワーブックだった。
確かPowerBook540とか530みたいな名前だったと思うけれど、まだ日本上陸をする前だったので、発売を待って予約して、キャノンのゼロワンショップにアメリカから入って来るのを待ちに待って、遅れに遅れて・・・でも、年末ぎりぎりに手に入り、多分日本で何番目かの持ち主になったのだと思う。

このPCは、いつだったかシュワちゃんの映画を観ていた時に、彼が軽々しく片手でこのPCを持って早足で歩いて行き、こそこそとある男に耳打ちしてから開いて相手の男性に中の情報を見せるシーンがあって『ああ〜〜!あれ家のとおんなじだ!』とビックリしたものだった。コードレスで使えるだけでも話題の商品だったのかもしれない。最先端のイメージで使われていたけれど、あんな風に軽々しく片手で運べるのはシュワちゃんくらいで、結構重いのでとても今のPCのようにはいかないのです。
でも、灰色のボデイでデザインも頑丈且つスマートで使い勝手もとても良かった。何よりもキーボードの使い心地が最高で、未だかつて私はあれ以上に好きなキーボードに出会ったことがない。とにかく色々と文章を書き込んだ。
そのうちのいくつかの原稿を見ていて、macのことを考えた。そして、その原稿はプリントしてあったもので、先日保存先のフロッピーを取り出してPCにおとそうとしたが、当時のものはもう使えないみたいだ。
スキャンするには枚数が多すぎるし、どうしようかな?原稿見ながら打ち込むか・・・

今でも電源を入れると動くが、いかんせんインターネットができないのだから既にそれはもうパソコンではないのかもしれない。

今回久しぶりにmacに返り咲いて思った。「使いやすい!」
あれから15年以上は過ぎていると思う。その間IBM, HP, VAIO×2、imac と渡り歩いてきたが、(KZさんはレッツノートもあるな、、、そう言えば)原点に戻って思った、やはり「使いやすい!」
使い手に至れり尽くせりで、スティーヴ・ジョブズがどんなに使う人の勝手を考えていたか、良く分かる。
彼の息がかかっているうちに、彼が手がけた製品を買っておきたいと思って、思い切って買ったが、本当に素晴らしい! 相性の問題もあると思うけれど、今回はこれにして本当に良かった。

一番びっくりしたのは、私はスペイン語やフランス語で入力することが多いのだが、キーボードをボタン一つで取り出せ、その言語の特殊文字や記号が簡単に使えることだった。
まだまだビックリすることはたくさんありそうだ。少しずつ引き出しを開けながら見つけ出そう。

2011年11月16日水曜日

ぱなしのKz

私の夫のKzさんのエピソードは限りないが、本当に何と言うか・・・いい加減

最近目につくのは物忘れのすごさである。
特に何でも『やりっぱなし』は一日にいくつ羅列できるか、というレベルだ。

出張の朝は、大変早いので、私は朝ご飯を作ってから、へたへたとベッドに戻って寝てしまう。以前は車で駅まで送ったりとか、大変だったが今はそんなことがないので二度寝入りをするのだ。

いつも起きる時間になって、下に降りて行くと、「きゃ〜〜!」どの部屋も電気がこうこうと点いている。階段、玄関、台所、ダイニング、居間、トイレも・・・全部フルに点いているのだ。「無駄に明るい、非常に明るい」折角余分に眠ったのに、どっと疲れが出る。
更にテレビはもちろんつきっぱなし、裏庭に出るドアのロックはもちろんしていない。

幸いにも玄関のドアはOK!
あまりすごいので、やはりKzさんが出てから眠るようになった私。

戸棚からコップを出すと、戸棚が開きっぱなし、タンスも引き出しも開けっ放し、レンジの火は点けっぱなし、ステレオのスイッチは入りっぱなし、冷蔵庫のドアも開けっ放し、トイレの水は流さずしっぱなし(失礼!)、やりっぱなしのKzである。rip slymeになった気分でラップ調に歌いたい私。

おまけに最近は、会社に行きたくなくて、玄関で座りっぱなし♪
やれやれ・・・
そして私は、あまりのすごさに怒鳴りっぱなし・・・ありゃりゃ・・賑やかなこと!

2011年11月14日月曜日

macの設定とファイル移動で悪戦苦闘!〜我が家の世代交代①メインパソコン

Macの設定を毎日やって、少し新しい仕組みに慣れて来た。

今日はItunesの移動を試みたが、ipodをハードにしてやるやり方は、私のはnanoなので要領不足で失敗に終わった。
ディスクの空きがなくなってしまい、何をやってもプレイリストすら作れなくなり、ipodが壊れてしまったかと焦ったが、どうにか元の状態に戻った。

次に外付けハードディスクに転送してバックアップを試みたが、これもwindowsとmacの不具合で、どうしてもうまく行かなかった。もっとmacのことが分かれば思い切ってできることも、これをやってしまってよいのか?という不安でどうも途中で断念することが多かった。
堂々巡りになってしまい・・・もう少し知識としてimacのことを勉強してからにしよう。

多分その方がずっと楽だろう。

昨日はメールのアドレスの転送をした。
これもコピーしたって駄目なことがたくさんあり、「何でこれコピーできないん?」「なんでロックがかかっちゃうの?」みたいなことばかりで、ストレスが大きい。
windowsもこうしてここまで来たのだから、多分macもものにできるだろう。
と楽天的な私。

明日はスペイン語。先週台風娘の到来で欠席してしまったので、頭が切り替わるか・・・
歳を取る程、柔軟性がなくなる私だ。 やれやれ・・・

2011年11月10日木曜日

台風娘帰国

我が家の長女はいつの間にか帰国したと思ったら、又いつの間にかシンガポールへ帰って行ってしまった。
でも、おばあちゃんに会ったし、多くの友人たちにも会ったみたいだし、同窓会や色々な会合に顔を出し、仙台や大阪や京都や東京でも色々な所を、つまり行きたい場所へは行って、日本を満喫して帰ったのだと思う。

驚いたのは、帰国当日にいきなり仙台へ行ったことだ。
まあ、後輩が東北大学で地震の研究をしているというから、彼女を訪ねて、震災の現状を自分の目で見て、多分海に向かって静かに頭を下げて・・・色々考えたのだと思う。

この子は小さな時から、自分で確認しないと気が済まない子だった。
レモンが酸っぱいのも、アイロンが本当に熱いのも、自分で確認した。
しかも注意している私の目の前で。

まだ二歳にもならない子が、お母さんが「熱いからね、あっちっちだよ。やけどするから絶対さわっちゃ駄目よ」と言えば、ニッコリして、「は〜い、あっちっち、こわいこわい」と言いながら母親の目の前で、人差し指をペちょっとなめて、私の顔をキラキラ輝いた大きな目でニコニコしながらじーっと見て、アイロンの底にピッと触った。「おぬし、侮れぬな!」その時そう思った。

直ぐに手を離したので、大やけどはまぬがれたが、大泣きした。
私は慌てて彼女を抱えて、台所へすっ飛び、水道水に浸した。もちろん、その後二度と同じことは繰り返さなかった。熱いものには気を付け、私の忠告は聞いた。熱いものは・・・

でも、レモンは別だった。
お料理に絞ってかけるためのレモンの切り身があった。いかにも美味しそうではあった。
「それ酸っぱいよ。しゅっぱいしゅっぱい」と言って私は口をすぼめた。「赤ちゃんがそのまま食べても美味しくないよ。」
「しゅっぱい、しゅっぱい」と言いながら、手がテーブルの上ににょきっと出た。そのアクションの速いこと!瞬間口の中に入れ、お味見をしてくださったのだ。ありゃりゃりゃ・・・
その時の顔は未だ忘れられない、赤ちゃんの味覚には大変厳しいものがあったのだろう。今までの最高傑作だ。そして、この世の物とも思えない恨みを全てそこに託して、怨念をこめてレモンを床に投げつけた。ペッ、ぺっ・・・
泣きながら本気でレモンを怒っていた。とても可愛らしかった。

その子が、ずっと自分の目で物を見て、自分の肌で感じ、空気を吸って生きている。
世界中を旅して、中国で暮らしたり、シンガポールで就職したり・・・そしてこの1月からはスイスでMBAスタート。
日本語、英語、中国語はペラペラ・・・そしてフランス語、スペイン語、オランダ語、多分ベトナム語やイタリア語もかなり分かるだろう。何処でも暮らせるに違いない。

『あっちっち』と『しゅっぱい』で自分で確認する、自分のことは自分で責任を持つ人生がずっと前からスタートしているが、これから先、今度は何を見て何を感じて生きて行くのだろう?

色々なことがあり、親離れが早すぎて寂しかったが、本当に逞しくて素敵な娘になった。
スイスの次は? 何処??

2011年11月7日月曜日

今日の新しいこと④

Imacを買った。
そして、設定をした。
2011/11/7日スタートだ!

何にしても新しいことを始めるのは大変だ。
しかし、このkeyboard、昔使っていたmacbookと感触が似ていて結構好きだ。

初めてmacからの投稿だ。まだ使い方が慣れないが、どうにかやっていけそうだ。

2011年11月5日土曜日

今日の新しいこと③

今日は昼過ぎ、軽井沢を後にして、東京へ帰る予定だった。
高速に入った時、Kzさんの携帯に着信があった。
2つの携帯に入ったので、何か緊急性を感じ、高速に入ったところで電話をかけなおした。

Kzさんの会社で事故が起きた。

軽井沢のインターは、東京方面も長野方面も入り口が同じなので、入り口で停車して電話をしたので、まだどちらにも行けた。

Kzさんは長野方面へ引き返し、工場へ行った。
ここで、今日の新しいこと。

私はKzさんがいつまで時間がかかるかわからないので、自宅待機するため、工場から軽井沢の家まで自分で運転をして帰った。
これは初めてのことで、もうこの道は大丈夫だ。

自分で運転をすると、その道が自分のものになる。やっと身体で覚えた。
多分東京から軽井沢へ一人で運転をしてきても大丈夫だろう。もっとも心筋梗塞を起こさない限りという但し書きはつくけれど・・・

勇気を持って新しい世界に踏み出そう。

2011年11月4日金曜日

今日の新しいこと②

new:兄に電話して、おばばさんのお食事会の手配をした。

new:スウェーデンハウスのHさんに紹介していただいた、北洋交易担当者に電話して、遮光カーテンの手配をした。

我が家の北側の巨大な家の住民が、今年から土曜日に軽井沢に来ることが多く、凝った庭を眺めるのがお好きなのか一晩中演劇の舞台の照明みたいに華やかな照明を点けっぱなしでいる。
翌朝10時になっても消さない時は、むかっときた。
節電の真っ最中だったのだ。

どういう人種が住んでいるのか、私には分からないが、ジャガーを2台持っていてギャラリーみたいな豪邸に住んでいるところを見ると、有名人か成り上がり者か、やあさんか・・・

あまり眩しいのでせめて12時過ぎたら消していただけませんか?と聞きに行こうと思ったが、
Kzさんが「もしも、あちらの世界の方だと厄介だから、我慢しなさい」と言う。

仕方ないので、こちらで対処。
寝室だけでも遮光カーテンにしようと結論した。
しかし、全部コーディネイトしてあるのだから、そうは簡単にいかないし、費用もかかる。

インテリアの担当の会社に電話して相談したら、そんなにかからないでできそうだ。
これで、照明のあたった舞台のど真ん中で寝ているような夜とはおさらばできそうだ。

夏の間は葉が茂っていてまだ良かったが、葉が落ち始め、また眩しくなるのだろう。
それとも、そろそろ軽井沢に飽きて、そんなに通わなくなるかな? そう祈りましょう。
冬の軽井沢が好きな私たちみたいな人はそんなに居ないとは思うけれど・・・

ちなみに、昨日の新しいことは:食事のことで自己主張したことがなかったけれど、頑として、「どうしても新蕎麦を食べに行きたい」と言い、きこりへ行ったこと。
そして海老おろし蕎麦がとても美味しくて、満足!

時には自己主張をしよう!

お隣の工事進行



お隣の家の工事も少しずつ進んでいるようだ。
今回は基礎が築かれていた。

以前軽井沢で乗ったタクシーの運転手さんが、隣に家ができたら、こちらのことは全く配慮してくれず、すっかり暗い家になってしまい、大きな買い物だったのに人生観が変わってしまった。

と嘆いていたが、確かに隣の家は大事だ。
少しずつ様子が変わってきている。


下の写真が前回来た時だから、大分基礎の高い家で、今私が座っているダイニングの椅子の背中から見える世界はお隣の壁と化し、お台所で料理をしながら眺めていた世界も・・・全く林の風景は楽しめなくなるようだ。
まあ、それは仕方のないこと!
前に大きな庭があるから、そちらを見て暮らばすむことだ。

人間はこうして順応して行く。

そして変わって行く環境を少しでも予測して、どうなっても対処できるようにしておくことが気持ちよく生きるすべかな?

と思うこの頃だ。

Kzさんが立っている所のバックの景色はとても良かったのに・・・

2011年11月2日水曜日

毎日一つ新しいことを!


軽井沢は秋色、10月半ばに来た時は、まだまだ夏の終りだった。
今年はなかなか寒くならず、様子が違ったが、やはり秋は来た。

大好きな唐松も金色になりかけているが、、、見事に美しいとは言えないな?

鬱病にならないように、生きる気力を持続するために、習慣化した生活を修正しよう!
そう思って考え付いたこと。 
『何か一つでいいから毎日新しいことを、習慣化したこと以外のことをしよう!』そう思った。
最近母を見ていて、『好奇心が無くなることが一番危険!』そう思ったからだった。

そこで、今日はいつも家にこもりっぱなしなのだが、重い腰をあげて、ハルニレテラスへ行ってきた。いつものパンさんが定休日だったせいでもあったのだが・・・
私は中華が大好きで、以前ここにある『希須林』というレストランへ来たのだが、東京でも結構有名な中華であるにもかかわらず、美味しくなかった。お料理は美味しくなかったが、もしかしたら麺類とかなら美味しいかもと、レパートリーを広げるためにも、もう一度味見をしてこうと行ってきたが、混んでいるだけで、やはりそれほどもなかった。
前回と同じ印象だった。これではKzさんを連れて出直すわけに行かない。残念!

気軽にちょっと行ける安くて美味しいレストランを探しているが、二度三度行っても、やはり美味しいね、といえる店はなかなかない。美味しかった店も、長い間通っていると、次第に味が落ちてきてしまったりする。

星野リゾートは頑張っている、連休前とは言いながらも平日なのに、人で一杯だった。駐車場がなく、トンボの湯まで行って停めた。
好ききらいは別として、町全体を一つの空間に仕立て上げている。日帰りの人も、宿泊する人も、初めての人も、常連さんも、それぞれに楽しめるように工夫してある。
しかし、気になるのは体裁や雰囲気は良いのだが、見た目の方に気持ちが行き過ぎて、本物ではない、物足りなさを感じることだ。

川上庵は格好ばかりで、全然味は美味しくない。
希須林もしかり・・・
先日星野やで結婚式に参加したKzさんも言っていたが、お料理は美味しくなかったらしい。

でも雰囲気が良ければ満足の人もたくさんいるだろうから・・・まあ世の中それで良いのかもしれない。

とにかく今日は新しいことができた。
明日もどうにか見つけて、新しい刺激を呼び起こそう!