2011年12月28日水曜日

キッチンのブラインド 〜我が家の世代交代②カーテン



15年間使ったお気に入りのローマンシェードが油汚れで汚くなったので、木製のブラインドに取り替えました。最終的に写真のように収まったのですが・・・
ここに行き着くまでには随分トラブルがありまして、年末に悪戦苦闘でした。
最初の木綿の生成りシェードがとても素敵だったので、ガッカリしてしまったのです。



というのも、最初は手違いで上記(三枚目)のブラインドが届きました。
スカンジナビアンという色で、とても素敵だったのですが、色目がサンプルと大きく違ったのと、光線の加減で木製ではなく、プラスチックのように見えてしまうのが気になりました。
私は羽が幅広(5cm)でもっと枚数が少ない物を注文したのでした。サイズも窓枠に合わせたのですが、枠より7cmほど大きすぎ、そのために中心とバランスがかなりズレてしまっていました。

しかもポイントになる3つの窓が独立した3枚の絵になるようにと思っていたのですが、間がくっつき過ぎて、3つが一つのブラインドのようで、とても重くうっとおしくなってしまったのでした。いつ見ても、何度見ても馴染まないので、思い切って替えていただくことにしました。

そこで上記(一・二枚目)のように、幅を窓枠にぴったり合わせていただき、中心もそろえていただき、上のボックスもこじんまりし、うまく収まったので何だかほっとした年末となりました。

来年はもっと良い年になりますように。
トラブルはこれで終わりますように。

2011年12月26日月曜日

酵素温浴と琉球温熱療法 〜岩室温泉付き〜

年末、クリスマスの3連休はとても珍しいことに新潟へ行って来た。
オババは先週は1回しか行けなかったので寂しい思いをしていると思うが、思い切って行って来た。

というもの、以前からKzさんがオババを連れて行ってあげたいと思っていた酵素温浴という珍しいものが私の体調に合っているのではないかと、連れて行く機会を狙っていたのだった。
母はこんなことになってしまい、長野からさらに離れてしまったので、少々行くのは困難になったが、私は今回の度重なる出来事や体調の変化があったので、思い切って行く事にした。

Kzさんはこちらへ行って帰ってくる度にとても生き生きして戻るので、多分何らかの効果はあるのだと思っていたし、私より先に会社の欝になってしまった社員の方をお連れして効果があったこともあった。
少々遠いし、あまり便利な場所でもないので簡単に行けないし、費用も時間もかかる。
今回は3連休でもあるので思い切って温泉つきで行かせてもらった。というもの雪嵐が来る日だったし、終わる時間が夕方になってしまうので、東京や軽井沢に猛吹雪の中を戻るのは危険すぎたからだ。

案の定行きは高速でも山越えは大変な吹雪の中を1車線ののろのろ運転でチェーン規制の中を行くことになった。私たちは雪道のこういう運転は何度もしているのでそんなに不安はなかったが・・・

たっぷり時間を取って行ったが、やはり雪のため時間が随分取られた、が、少し時間があったので弥彦神社を参拝してお昼におうどんをいただいてから出かけた。

場所はヘリオトロープ。
スタッフの方々は大雪の中の東京からの到着とあって、とても心配してくださっていた。
その心配しながら待っていてくださった温かみが、初めての私の警戒心を解き、すっかり打ち解けてしまった。
酵素温浴は酵素の中に寝転んで、すっぽりと酵素さんたちに包まれて、というより抱かれて15分ほど過ごすもので、その酵素の中は酵素が自分で発酵する熱のせいで心地よい温度を保っている。
私は階段から落ちたうち身の跡が、飛び上がるほど痛く、大丈夫かしら?と思ったけれど、直ぐに馴染んで心地よくなった。サウナが息苦しくなって駄目なのでどうかと思ったけれど、やはり相手は生きているもの、呼吸しているものなので、大丈夫だった。

体調の悪いところは冷めてくる。右肩、お腹、胸は直ぐに冷えてきた。
酵素をかき混ぜてあげると又、酸素が供給されて温かくなる。ぬかみそみたいだと思った。
毎日手を入れてあげないとすぐに死んでしまう米ぬか・・・

体中がぽかぽかしてきて、汗もかいてきた。
低体温の私は温まるのに時間がかかる。顔だけは汗はかくけれど、身体はなかなか温まらないのだ。
それでもぽかぽかになった。

そのあと琉球温熱療法というのをしていただいた。
これは丁寧にやっていただくので、時間がかかった。体中やりのこすことなくやってもらえる。体の冷えを取り除くことと、老廃物を排出するらしい。こてのようなものをあててリンパに沿って当てて行くのだが、その施術師のTさんは、私の悪い場所を何も言わなくても感じ取り、そこを何度も繰り返してやってくれるのだ。
「こんなに背中が詰まって、筋肉が縮んでいてはつらいですね」、と言われた。松下先生も同じ事をおっしゃるから、私の背中はひどいものらしい。
内臓も弱っているし、肩こりもすごい、右側に偏って血流が停まっているらしい。
大変血流やエネルギーの流れがわるいらしくて・・・先日の松下先生と同じ診断がなされた。
やれやれ・・・相変わらすの身体だ。

まずは深呼吸からだそうだ。
リラックスして気持ちの良かったことを頭の中に描いて、深呼吸。深い深い深呼吸。
無理やりストレッチなどをすると筋肉を傷めるからと言われた。体の硬さが普通ではないみたいのなので、無理の無い呼吸からということらしい。

Kzさんよりずっと時間がかかったので、本当に丁寧にやっていただいた。

体がぽかぽか。ほっぺは真っ赤っかゆで蛸みたいだった。
その後も何時間も暖かさが続いた。

Tさんは、「私とKzさんとでとても素敵な共通点がありますよ。」と言われた。
何だと思いますか?と聞かれましたが、良く分からなかったので分からないと答えたら、
「柔らかさです。柔軟性」 お二人とも本当に心が柔らかいです。
これはとても大事なことなんですよ。

と褒められた。私は照れくさいので
「身体は硬いのにね」と言ったら、真面目に「心の柔らかさがあれば大丈夫」と言われた。
体の硬さは長い間の物なので、無理やり急いでほぐさないほうがいいですよ。自然で行きましょうとおっしゃっていました。

とにかくその場所は別世界で、温かく、Tさんのおっしゃる「お母さんに抱かれているような気持ちになって欲しい」そんな場所になれるところでした。
いつもお母さんをやっていると、自分はなかなかお母さんをしてもらえないので、こんな場所で幸せになるのもとても良いことかもしれません。
スタッフの方々とも仲良しになり、又の来訪をお約束して、岩室温泉へ行きました。

もう暗くなって、6時近くだったので、到着は6:30を回っていました。
この温泉は高島屋という旅館を選んだのですが、古い庄屋さんの家だったところらしく、良寛さんとも縁のある宿で、good choice でした。
建物は古いけれど、コーテシー、というか、礼儀の洗練さと温かさと素朴さが一緒になって、とても感じの良い旅館でした。
将棋の大きな戦いは何度も会場になっているようです。

お料理も良かった。
欲を言うと、お風呂が温泉に少し足しているのかな?というような質で大沢温泉や、藤井荘のお湯の質にはかなわないなあ~という思いを強くさせました。

大雪にもかかわらず、とても素敵な二日間を過ごすことができました、と言いたいのですが、Kzさんの実家かからひっきりなしに電話がかかり、色々面倒な事件が起き、寛げないことも事実でした。
でも酵素温浴のお陰か、落ち込んだり暗い気持ちにならずに、嫌なことに流されずに過ごせ、効果バッチリです。

2011年12月22日木曜日

四川亭

先週に続き、Kzさんのお仕事で又軽井沢に来ている。
今日は早朝からKzさんはお仕事に出かけたので、のんびりすることにした。

食料がないと困るので、昼ごろつるやへ行き、色々仕入れた。
明日は新潟へ出かけるので買い過ぎないように気をつけた。又日曜日に買いに来ればよいから。

帰りに四川亭の前を通ったので、寄ってお昼を食べていくことにした。
ハルニレの希須林へ行こうと思ったが、線路が工事中で道順が良くないのと、パンもいらないので行く必要性がなかった。

四川亭のサンラーメンが好きで時々一人で行っている。今日のランチメニューは中華丼、辛い奴と普通の奴と二種類あるので、ご飯には優しい味のほうが良いと思い普通のにした。ここの辛いのは本当に辛いのだ。でもとても美味しい。
ジャパナイズされてないのが本当に良い。内装まで日本的ではない。

美味しい! 私好みなのだ。
たっぷりの中華丼に、サラダとおかず一品と漬物、そしてスープがどんぶりに入って出てくる。
最後にデザートかコーヒーを選べる。それで785円!
とても寒かったのに、たっぷり頂いて満足して、ぽかぽかになって帰ってきた。
幸せ!

前回はぎっくり背中に階段から転落で、大変不調だったが、少し元気になってきた。
まわりは工事の現場だらけ。うちの後ろの家が工事と思っていたら、通りをはさんで向こう側の家も工事を始めた。スウェーデンハウスのお陰で家の中にいると雑音がしないが、外へ出ると「へえ~!こんなにうるさかったの??」というほどうるさい。とんちんかんちん!どんどん!だだだだー!!色々な音がする。

川を渡った所にある家もそろそろ完成だ。ガラス張りの家。

急に太陽が顔をだした。
青空が広がり~・・・でもまた直ぐに雲に覆われるのかな?
変わりやすい軽井沢の気候、この気まぐれさがいかにも自由で大好きだ。
今日はゆっくり休もう。ここへ来るからと東京で働きすぎた。

2011年12月15日木曜日

チャクラ大ズレ!

体中が反乱をおこしているみたいに、危機感を感じていた。
階段から落ちた直後からは特にそうだったが、その前から体がバラバラで、極度の鉄欠乏性貧血だった時の症状にとても良く似ていた。

至る所で痙攣が起き、疲れやすく怒りっぽく根気がない。
ふくらはぎがだるくてのこぎりでぎごぎご切りたい気持ちになる・・・背中が痛い、肩が痛い、腕が痛い・・・痛い痛いできりがない。

昨日M先生にサイマの施療をしていただいたら、症状が本当に楽になった。
エネルギーの流れが正常になった感じが呼吸の正常化を伴って伝わってくる。
神様、M先生、ピーターさま、ありがとう!!
生き返り、自分の体がやっと戻って来たようです。

今日先日の府中でやった心筋シンチの結果を新宿まで聞きに行ったら、心臓そのものは心配いりません元気ですと言われ、本当に嬉しかった。
最近の不調は、もしかしたら心臓のせいかもしれないと思っていたから。
心臓はOK! 冠動脈も詰まりがない。
これでニトロさえ持っていれば、安心して、コレステロールが高くても、血圧が高くても狭心症の発作とともに存在していられる。
もうカテーテルはしたくないし、コレステロールを下げる薬も副作用がひどくて二度と飲みたくない。

ストレスをためないことと、運動をしなさいと言われました。毎日一時間早足で歩きなさいと。
それは無理だ〜〜!
そこで私:「先生取りあえず、30分から始めます。」
でも、最悪の相性のカテーテルや、造影剤を使ってアレルギーでぐったりの嫌な検査や、コレステロールの薬を飲んで副作用に苦しむことを思ったら、それくらいは努力しないといけないと、今回はつくずく思いました。命にかかわることだから・・・

サイマのM先生は心臓は大丈夫だが、心臓のエネルギーを取り込む口の位置がこれ以上離れたら危険というところまでズレていて、心臓にエネルギーが行かない状態になっているとおっしゃった。左にズレているぶにはいいが、これだけ右にズレていると取り込めないのだそうだ。だから体中が酸欠状態に陥っていたらしい。
昨日調整に行かなかったら危なかったと言っておられた。
自分でもいっぱいいっぱいで、本当に自分の体を移動させるだけでもしんどかった。
足が前に出ず、ほとんど泣きべそ状態だった。

心臓は元気でも、チャクラのズレのせいで、エネルギーが取り込めないなんて、西洋医学の観点から言ったらありえないのかもしれないが、私には良く分かります。
その症状を実感できるから。
だから病人は病名がもらえずに苦しむのです。

ところで、昨日M先生の所では突然2時間後に来て下さいと言われ途方に暮れ、今日も新宿の病院でT先生の到着が30分程遅れて、又待たされた。ここのところ私はついていない。
そもそも発端は日本に二台しかない、冠動脈スキャンの機械が私を切り刻んでいる時に故障した時ではないだろうか?
階段からは落ちるし、アクシデントの連続だ。
年内で収まってくれるといいなあ〜と思う。

今年は波乱の年でした。
来年はどうか良い年になりますように。


2011年12月10日土曜日

『バナナフィッシュ』

何年ぶりだろう? バナナフィッシュを読み直した。
随分忘れてしまっている。 丁寧に読んだ。

マックスとアッシュとのつながりやショーター、シン、タオそしてユーシスとの複雑な関係が記憶の中でリセットされた。
そしてゴルツィネとユーシスの心の中で起きる嫉妬が物語を運んでいき、ショーターの愛が、周りを包み、エイジやブランカを通してシンに受け継がれ、やがては大きな罪の根源であるユーシスへの救いにつながっていく。


これは人間の孤独から来る『愛を求める』物語、つまりは心の中で起きる様々な葛藤、特に色々な形で生じる嫉妬との戦いの物語だ。
この嫉妬との戦いは、人間に心がある限り、人々が苦しむ限り、繰り返し永遠に続く戦いでもあると思う。
それに欲望や野心が加わり更に複雑な戦いが生じてくる。
現実のこの世界でも、私の周りで進行中だ。

最後のアッシュの死は、余韻が『あしたのジョー』を読み終えたときのなんとも言えない雰囲気と重なり、永遠の眠りについたのに、強烈な印象を人々の心に焼き付け、それを受けたものの心の中で永遠に生き続けるという結末に行き着く。後味は悪くなく、むしろとても静かで寂しく、悲しく・・・それでも何か温かい優しさでアッシュが包まれる幸福感みたいなものがあるので救われる。

私の愛読書の一つだ。
『出直しておいで』とともに年齢がいくつになっても読み続けて、心が洗われる作品だ。

それにしても、アッシュの最初の顔と終りの顔では全く違うではないか。吉田さんも平気で顔を変えて行くのだから困ったもんだ、とは言いながら本当に素敵になって行くので、うっとりで何とも言えない。
確かにリヴァー・フェニックスにそっくりだけれど、やはり完全に別人格の完成されたアッシュの顔だ。

人生の途中で一呼吸

そして、いつになってもショーターが心の奥深く残ってたまらない。
ショーターの心が鍵を握り、残されたシンやエイジにつながっていく。

2011年12月9日金曜日

いきなり雪!


夜中、いやに静かだと思ったら、やはり雪が降っていた。
朝起きると、ごらんの通り! きれいな雪景色だ。「軽井沢は冬が始まりました」とお便りをいただいたところだったけれど、そう、本当に冬だ。


Kzさんの円も健在!
朝陽があたっていい感じ。 今日の雪は溶けないかな?

隣の工事も順調に進んでいるらしい。朝早くから大工さんがやってきて、薄暗くなると帰って行く。
我が家のキッチンの窓からは丁度この真ん中あたりが見えると思うけれど、多分小さな窓くらいでお互いの干渉はあまりないのでは、と期待している。

今日は好き放題、何もしないことに決めて、『バナナフィッシュ』を読みふけった。漫画を一日中読むなどという贅沢は何年ぶりだろうか? 子宮筋腫で手術して入院した時以来かもしれない。そうしたら15年ぶりくらい? 

ここ何年もそういう時間がなかった。いつも何かしていなければいけないような習慣がついてしまい、本当に病気の時以外だらだらすることができなかった。
あまりにもストイックに生き過ぎたのかもしれない。自分が抱えていた罪の意識から、自分は贅沢はしてはいけないし、快楽も求めてはいけないと、常に何かしらやっている、働いている自分以外に受け付けなかった。

でも、そろそろそういう自分でいなくてもよいのかもしれない。
もっと自分のことを考えて、楽しいことも好きなことも何でもして良いのかもしれない。

私自身を解放しなければ、みんなも自由になれないのかもしれない。

2011年12月8日木曜日

遮光カーテン

軽井沢に冬が来た!
いよいよ私たちのシーズンの開始だ。

blogに書いたか覚えていないが、我が家の一つ奥にまるでギャラリーのような大きな家がある。
いつもジャガーが停まっていて、週末に家主が来る時はもう一台のジャガーに乗ってやって来る。
品川ナンバーのぞろ目だ。これって××さんに多いってどこかで読んだことがあるけれど・・・

その家が今年の5月から頻繁に週末になるとやってくるようになった。それはかまわないのだが、夕方から朝まで(初めは朝の10時まで)まるで、ステージのようなライトアップが行われ、ご自分の庭を照らし出す。
この光が一直線にするどい光となって数箇所から我が家を照らす。家の中に居ても眼を覆いたくなるほど眩しく、我が家の庭までライトアップされる始末だ。夜行性の動植物はさぞびっくりしていることだろう。

お隣とは、100mくらいは離れているような気がするから、しかもその間には林やブッシュもあるから、こもれび状態になるはずなのに、ひたすら腹立たしいほどに眩しい。まるで真夜中の撮影現場。

寝室では眠っていても眩しくて仕方ないし、トイレなんぞに行ったものなら、ドンチャン騒ぎのストロボ光線がやってきて、あまりの明るさに眼が覚めてしまい、完全に不眠症になってしまった。夏の間はかなり木々が茂っていたのでどうにか耐えられたが・・・

何か良い方法は無いものかと、厚いタオルケットをカーテンレールから吊るしたり、濃い色の厚地のバスタオルを被せたり、色々試したが、何をしても光を通してしまい成すすべなし!

ウィリアム・モーリスのお気に入りのカーテンなので、遮光カーテンに換えるのは嫌だし・・・高額になりそうだが今のカーテンを送って遮光の裏地をつけてもらおうと一大決心をし、スウェーデンハウスのインテリア部にお聞きしてみた。
この家を作ったときの担当者はもう辞めてしまったので、新しい人を紹介してもらった。
すると、なんのことはない、裏地を取り付けるだけで、別に縫い付けなくても大丈夫、ということで早速オーダーして作ってもらった。

今回持ってきて、今二階の寝室とファミリールームに早速取り付けてみた。
もともと薄地のカーテンだったのが、裏地の明るめのオリーブグリーンが映えて質感が良くなり、とても趣きが出た。
家が完成し、初めてカーテンを取り付けた部屋を見たときに、こんなに薄地だったかな?と少々期待と違って不満だったのが、それまで改善されて自分が思い描いていたカーテンになったので、何とラッキーな!
ああ、良かった!

今までは夜明けが早くて、日の出と同時に眼が覚めたが、明日から寝坊をしないようにしないと・・・

非常口のライトや、豆電球でもついていると眠れない私は、し・あ・わ・せ!!

2011年12月6日火曜日

追い打ち! 『ギックリ背中』

背中が痛くてふんぞり返っている以外に何もできない。

朝、突然ギックリ背中になった。以前に一度やっているので、「やばい、又来た!」という感じで慌てずに済んだが、痛い。
姿勢が・・・何しろ一つの姿勢しか受け付けてくれないので、つまり背中を伸ばして、そう、公園の背筋伸ばしみたいな格好・・・あれしか駄目なので辛い。
それ以外の格好をしようとすると背中に激痛が走る、まるで筋肉が引き裂かれるような痙攣性の痛み。憐れなソラさん!
安静が一番ということで静かにしていたが、これからどうなるのかな?

ここ数日、年末準備で換気装置の分解掃除とか、天井や棚の掃除(我が家は天井がとても高い)、つまり高いとことに腕を伸ばして磨くようなことばかりしたので、筋肉にきてしまったのか?

いずれにせよ、私の体、特に筋肉はかなりガタガタということか。もっと鍛えないと。

今日は大事なスペイン語の最終日だったのに、欠席せざるをえず、とても悲しい。
このメンバーで授業を受けられるのは最後かもしれないので、とても残念だった。
私の人生ってこんなもんかな?

2011年12月5日月曜日

『出直しておいで!』 by 一色まこと

どうも体中痛くて調子悪いので、「少し休みなさい」って神様がおっしゃって下さっていると勘違いして、、、何年ぶりかで昼間っぱらから漫画なんかを読んでいる。

何とストイックな生活をしていたのだろう。
掃除なんかすっぽかして映画だって観ればいいし、漫画だって読めばいい。けれど、余程余裕がなければそれができないのが私。やらねばならないことを片付けて・・・と思っていると結局何年経ってもその時間は持てないということか・・・

大好きな『出直しておいで!』を読み始めたら、じわ〜〜っと幸せで肩の凝りや体の痛みが半減するような気がする。やっぱ、いいわ。
森下茜ちゃんが大好きなのだ。彼女はいつも私に元気をくれる。
土屋との関係は私の理想だ。

どうしてこの漫画があんなにも好きだったのか還暦を迎えたこの歳になって読んでも良く分かる。私は要するに子供のままということか・・・

嫁いでから窮屈で息の詰まるような生活だった。
そしてここ数年は特に、周りの俗っぽさの中で起きるドロドロとした数々の事件のせいで気の休まることのない日々を過ごしていて、いかに自分らしくない空気の中にいたことか。
何だか違う土俵で生きているみたいだ。

ずっと流されて、自分の意志は意識の下に置き、周りの流れのなかでそれでもできるだけ自分らしく、受け身の生活をしてきたが、その姿勢はあまり変わらないと思うけれど、そろそろただ流されているのは止めにしても良いのではと最近思い始めた。
ちょっと自分の意志を入れて、やりたいこと、し残したことをやり始めようと。

今の私は、何だってやろうと思えばできるのだ。まだ、できる。
自分らしくいたい。真っ直ぐに、おおらかに、明るく、正直に・・・
茜ちゃんみたいに不器用に。

閃輝暗点と冠攣縮性狭心症

スーパーまで行って来たら、早速 閃輝暗点到来。
あんなに光っていては邪魔で困る。
レジでお金払うっていったって、イルミネーションの中にいるみたいで何とも・・・
おまけに、昨日は狭心症の発作が出てニトロのお世話になるし・・・

両方とも血管の収縮や痙攣から起きるみたいだが、こう頻繁では嫌になる。
先日のシンチグラフィの結果はどうだったのだろう?

狭心症の方は命にかかわる場合もあるみたいだから厄介だ。
私自身はあまり死への恐怖はないが、急にぽっくり行ってしまったら、残された人たちは覚悟している間がないから寂しいかもしれない。

それにしても厄介な体だ。
今日も朝から天井や棚の掃除なんかしたからいけないのかもしれない。
発作の後は少しリラックスして過ごさないといけないかな・・・貧乏性な私。
この体とはつきあって行かないといけないから、いつ召されても「あの人は何だか温かかったね」って言ってもらえるよう、せめてほわ〜〜んと明るく生きよう。

2011年12月2日金曜日

心筋シンチグラフィ

11月の初め、冠動脈のCTが失敗し、心筋シンチグラフィの検査に変更になった。

今日は府中のS病院まで検査に行って来た。
検査は疲れる。けれど、先日の造影剤を使った物よりはずっと体が楽だった。拘束時間が6時間ほどになるのが何とも・・・だが・・・
前回の検査は造影剤に反応して腕と足にポツポツが出ただけあって、とてもしんどかった。だるくてぐったり疲れ、やはり体への負担は大きかったのを実感した。

今日の検査は時間はかかったけれど、あきらかに体への負担は少ない。

帰りの車の中で携帯が鳴った。運転中なので出られなかったが、息子のKだった。
後で電話すると、かなりストレスが溜まっているらしい。こうして少しおしゃべりをすると気持ちが軽くなるようだ。早く本来の本当にすべき(?)仕事に入って欲しいが、受け入れ体制がまだ整ってないし、もう少し外での経験が必要だ。

先日Kzさんが心配して電話したら、10時頃なのに仕事の真っ最中でビックリしていたが、その日のうちに帰宅できる日などないらしい。しかも2時3時のご帰宅だ。帰宅してコンビニ弁当をつっつく・・・うちの息子がそんな暮らし?

やれやれ、これでは、お嫁さんも健康も余暇も何もない!

みんなに幸せになってもらいたい。特に二人の子供たちには幸せになって欲しい。
体を壊さずに、心の健康も保って生きて欲しい。

私は多分幸せだと思う。
これからささやかながら人生の集大成の仕事に取りかかろうと思う。時間はかかるが、構想ができて来た。まずは始めないと進まない。今が一番忙しいけれど、残りの人生を考えるともう始めないと終わらない。

肩が凝るけれど、頑張ろう!

[後日談]
この検査の結果は、心臓そのものには異常がないから、ストレスを貯めないようにして、体力をつけて身体を鍛えなさいということだった。
高コレステロールと冠攣縮性狭心症に関しては「あまり気にせずに、気持ちを前向きに持って一日2時間歩いていれば治っちゃうよ」と言われ、ちょっと疑問は残るもののとても気が楽になりました。

けれど、実際2時間歩くのはまじ大変!先生はやっていらっしゃると言うから、やはり医師は偉大だと思う私です。私は30分からです。

2011年12月1日木曜日

言霊

『言霊』とは:古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。

私の体調不良を治して下さった福岡の歯科医、ムラツ式噛み合わせの村津先生の発信されるメールで下記に示しているような言葉がありました。
少々神憑っていて、受け付けない人もいると思いますが、実際先生にお会いして治療を受けて、今まで何をしても良くならなかった症状が軽減される体験を経てみると、全て噛み合わせや不適合金属のせいと思えないことがないという現実に直面します。

『宇宙歯医学では「言霊」が薬です。効果は絶大です。何故なら、人間は本来、宇宙のおおいなる存在そのものであり、大和言葉が宇宙創造の宇宙命令言語であり、神性を顕現し、この宇宙の原因の世界にひとたび入ることが出来たなら、この結果の世界を変えずにはおかないのです。

「言霊」は毒にも薬にもなります。必ず、自分も人々もすべての存在が平和で幸せになる神聖なる言葉のみを使用するように心がけましょう。想いも、発する言葉もすべてです。

もし、暗いことが心に入ってきたら、取り合わずに、すぐさま「ワァーイ、ありがとう」と言霊をその上から被せ、すべてを自らの成長のための良薬に変容させましょう。

あるいは、「すべては、必ず良くなる、絶対大丈夫、大成就」の言霊を被せてください。

とにかく、明るくワァーイ\(^o^)、明るくワァーイ\(^o^)、行きましょう。「明るくなければ神様じゃない」です。』


私はあまり神憑った世界とはご縁がありませんが、そういうsupernaturalなことへの感度は意外にも敏感の方だと思います。
そして、言葉、特に『口に出して発した言葉』というものがどれほど重要な影響力があるものかということは身を以て実感しています。自分にも、他人にも。

言葉にしたとたんに汚れた気持ちになったり、あえて表現したことで温かい気持ちになったり・・・負の言葉が渦巻いている所では、人の心にもそういうものを引き寄せ、まるで悪魔が入り込んで占拠されたように悪い方へ導かれ、心地よい温かい言葉の満ちあふれた所では、発しているうちに気持ちまで軽く明るくなり、みんなで幸せな気持ちになる、、、そんな単純な図式が成り立っていました。

苦境は、まずは先生のやり方で乗り切ってみようと思っています。それでも駄目な時は、そう、そうなってから考えましょうか。これは心のきれいな、楽天家のおばかさんにならないととても難しいことかもしれません。

2011年11月28日月曜日

暗い日

四時というのに、薄暗くなり、5時にはすっかり夜になってしまった。
一日中夕暮れ時のように薄暗かった。

こういう日は苦手な私。いつもだるさと神経痛と頭痛に悩まされる。
負けてなるものかと昼間からお風呂に入り体を温めて、血行を取り戻し備えた。
お昼にはお雑炊を食べて体を温め、部屋も少し暖房を入れた。
音楽に乗って体を動かし、できるだけじっとしないように心がけた。

でもやはり頭が痛い。足腰も痛い。多分やがて雨が降るのだろう。 
頭痛の無い人がこの世にいるなんて・・・居るとしたら何と幸せなのだろう。
それだけで幸せなのをその人は知らない。

私にもあるのだろうか、それが無いだけで幸せなものが・・・もちろんある、病気とか・・・
でももっと当たり前なことで見つけたい。
見つけたら感謝して幸せをかみしめよう。

2011年11月24日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑳ 〜いよいよ次のステージか?な?

今オババの所から戻った。
ここのところオババに関する辛い愚痴が劇的に減った私だが、3回くらい前から行くごとに自分が苛立っていることに気づく。

多分彼女の行動を見ていて、あまりのショートスパンで繰り返す彼女の行動を見ていて、多分悪化しているのではないか?と思い始めているせいだと思う。
彼女のその日のコンディションは自分の鏡であると、リフレクトするイライラは私の心境の現れと思って日々顔色を変えずに努力していたが、その努力が効かなくなってきた。
どうもそれだけではないみたいだ・・・いよいよnext stage??


いくら話題を反らしても、結局同じ場所に戻って行ってしまう。又『無い世界』に入って行って、あれがない、これがないと言い始めた。たった今言ったことを忘れ、たった今確認したタンスの中身を忘れ、永遠に繰り返す。いらつき始め・・多分効いていた薬の分量が飽和状態になってしまったのではないだろうか?そして同じ分量では効かなくなってしまった・・・
そんな気がするので、ここ何回かはホームへ行く度にとても疲れる。

自分もその変化とともに変わって行かないと、自滅する。バージョンアップか!
この私が、どこまでやっていけるのだろう?
自分にそれができるか? 自分が壊れる?? 不安と憂鬱のソラさんだ。

ホームのパティオにホーム長さんがクリスマスツリーを作っていた。
玄関にもお花を飾り、サンタさんと雪の結晶の吹き付け・・・もう12月。

「あれは何だね?」
「クリスマスツリー、ホーム長さんが頑張って作っているね、きれい」
「それはなんのための物だね?」
「もうクリスマス、12月だもの・・・え!?もしかしてクリスマスって何か分からない?」
「知らない」
「クリスマスツリーも?」
「そんなの知らない」
「。。。」

やれやれ、まあ知らなくても困らないけれど、大したことではないけれど・・・でも、ちょっと悲しいかな?

秋が始まると・・・

半袖のTシャツ一枚だったのが、いつの間にか長袖の季節になった。
でもまだTシャツ一枚だった。

ところが下着にタンンクトップを着るようになり、合計2枚必要になり、更に寒い日にはカーディガンや前開きのシャツを羽織りたくなり・・・防寒のために重ね着が必要になった。
ここからが私のつらい日々が始まる。

木綿だけでは寒いので、ウールが必要になる。
セーターは一枚では着れない、必ず下着が必要になる。
すると少しでも直接触れる部分はチクチクするし、出来るだけ肌に触れないようにすると、ハイネックを下に着用となる。
この瞬間から暖かいのではあるが、何かつまった感じがして急に身動きが窮屈になり、ずしっと肩に負担がかかり始めるのだ。
私の肩凝りと限りない頭痛の季節朝来!

少しでも化繊が入っていると、そこで自分の体に電気がたまるのが分かる。ドアのノブでパチッ!車に乗れば火花!人とすれ違うとパチっ!!デパートなんか絶対に歩けない。これを家の電力に転換でもできればいいけれど・・・こんな微量では何の役にも立たないだろう。
ソラさんひたすら無力感を持つ季節。

着る物が一枚増えただけで、木綿100%で生活できなくなった途端始まるこのつらさ。憂鬱じゃ!
やれやれ・・・

でも寒さがもっと増すとこの重さにも徐々に慣れて行くから、人生負荷をかけて調節しながら、冬越えのために少しでも順応能力が高まることを祈りつつ、冬に向かって、できるだけ体を動かしながら乗り切ろう!

もう腕が上がらない、首から肩がガタガタ、つまり第一にPCを使うのをやめて、掃除・洗濯・家の整理に精を出すことかもしれない。何しろ、もう年末なのだから、やらねばならないことがあるでしょ!?
机に向かってやる仕事を控えることかな?でもそうすると自分が自分でなくなってしまうかもしれないので、肩凝り君と仲良しになることも考えつつ・・・

2011年11月21日月曜日

家族の行事続く〜・・・お食事会

ここのところ、ファミリーイベントが続いた。

Kzさんの両親の誕生パーティーから、娘の一時帰国、義妹の娘−つまりKzさんの姪っ子のお披露目お食事会、そして昨日はオババを囲んで、私のファミリーのほうのお食事会だった。

色々あるが、どのような一族であっても、やはり家族は家族だという印象を持った。
血族と本人は血はつながってはいないが、血族を生み出した他人同士の家族という関係による奇妙な連帯感がある。
これはある種、理屈ではない世界だ。

うちのオババはアルツハイマーの病名をもらっている認知症の89歳、一月で90歳のおばあさんだ。
兄は自分が母にとっては誰よりも名医だと言っていたが、確かに医師の診察や対処や指導はあまりにも、普通で形式的であり、個人を見ずに一般論を当てはめているだけなのが良く分かり、その人その人により惚けて行く家庭には個人差や異なった理由やバックグラウンドがあるものであり、家族しか分からないきめの細かい配慮からの刺激や愛情により何か多少のアドバンテージがあるのではないかという姿勢は悪くないと思う。私もそう確信していた。

日本の認知症に対するレベルはかなり遅れていると私は思う。
それにお年寄りを気持ち良く惚けさせてあげることは素敵なことだ。

そんなわけで、『どうしてみんなが集まっているの?』みたいな顔をして真ん中にチョコンと座っているおばあさんを囲んで、穏やかに好き放題のことを言いながら吉祥寺の聘珍楼でお食事をするのはとても良いことだと思う。しかもおばあさんの奢りで、安心してたらふく飲み食いする。「おばあちゃん、ごちそうさまでした!」とみんなで大きな声でお礼を言う。この瞬間がなかなか楽しい!
おばあさんが兄妹二人の家族をつなげてくれ、おばあさんの幸せのためにみんなで協力し合うのはとても貴重なことなのだ。

惚けながらもしっかり大きな役目をしている母には手こずりながらも感謝しないといけないのかも・・・と少し寛大になった私。

2011年11月17日木曜日

古い原稿とmac

MacのPCの初めの頃、まだインターネットができないPCの頃に我が家で初めて買ったノートパソコンがパワーブックだった。
確かPowerBook540とか530みたいな名前だったと思うけれど、まだ日本上陸をする前だったので、発売を待って予約して、キャノンのゼロワンショップにアメリカから入って来るのを待ちに待って、遅れに遅れて・・・でも、年末ぎりぎりに手に入り、多分日本で何番目かの持ち主になったのだと思う。

このPCは、いつだったかシュワちゃんの映画を観ていた時に、彼が軽々しく片手でこのPCを持って早足で歩いて行き、こそこそとある男に耳打ちしてから開いて相手の男性に中の情報を見せるシーンがあって『ああ〜〜!あれ家のとおんなじだ!』とビックリしたものだった。コードレスで使えるだけでも話題の商品だったのかもしれない。最先端のイメージで使われていたけれど、あんな風に軽々しく片手で運べるのはシュワちゃんくらいで、結構重いのでとても今のPCのようにはいかないのです。
でも、灰色のボデイでデザインも頑丈且つスマートで使い勝手もとても良かった。何よりもキーボードの使い心地が最高で、未だかつて私はあれ以上に好きなキーボードに出会ったことがない。とにかく色々と文章を書き込んだ。
そのうちのいくつかの原稿を見ていて、macのことを考えた。そして、その原稿はプリントしてあったもので、先日保存先のフロッピーを取り出してPCにおとそうとしたが、当時のものはもう使えないみたいだ。
スキャンするには枚数が多すぎるし、どうしようかな?原稿見ながら打ち込むか・・・

今でも電源を入れると動くが、いかんせんインターネットができないのだから既にそれはもうパソコンではないのかもしれない。

今回久しぶりにmacに返り咲いて思った。「使いやすい!」
あれから15年以上は過ぎていると思う。その間IBM, HP, VAIO×2、imac と渡り歩いてきたが、(KZさんはレッツノートもあるな、、、そう言えば)原点に戻って思った、やはり「使いやすい!」
使い手に至れり尽くせりで、スティーヴ・ジョブズがどんなに使う人の勝手を考えていたか、良く分かる。
彼の息がかかっているうちに、彼が手がけた製品を買っておきたいと思って、思い切って買ったが、本当に素晴らしい! 相性の問題もあると思うけれど、今回はこれにして本当に良かった。

一番びっくりしたのは、私はスペイン語やフランス語で入力することが多いのだが、キーボードをボタン一つで取り出せ、その言語の特殊文字や記号が簡単に使えることだった。
まだまだビックリすることはたくさんありそうだ。少しずつ引き出しを開けながら見つけ出そう。

2011年11月16日水曜日

ぱなしのKz

私の夫のKzさんのエピソードは限りないが、本当に何と言うか・・・いい加減

最近目につくのは物忘れのすごさである。
特に何でも『やりっぱなし』は一日にいくつ羅列できるか、というレベルだ。

出張の朝は、大変早いので、私は朝ご飯を作ってから、へたへたとベッドに戻って寝てしまう。以前は車で駅まで送ったりとか、大変だったが今はそんなことがないので二度寝入りをするのだ。

いつも起きる時間になって、下に降りて行くと、「きゃ〜〜!」どの部屋も電気がこうこうと点いている。階段、玄関、台所、ダイニング、居間、トイレも・・・全部フルに点いているのだ。「無駄に明るい、非常に明るい」折角余分に眠ったのに、どっと疲れが出る。
更にテレビはもちろんつきっぱなし、裏庭に出るドアのロックはもちろんしていない。

幸いにも玄関のドアはOK!
あまりすごいので、やはりKzさんが出てから眠るようになった私。

戸棚からコップを出すと、戸棚が開きっぱなし、タンスも引き出しも開けっ放し、レンジの火は点けっぱなし、ステレオのスイッチは入りっぱなし、冷蔵庫のドアも開けっ放し、トイレの水は流さずしっぱなし(失礼!)、やりっぱなしのKzである。rip slymeになった気分でラップ調に歌いたい私。

おまけに最近は、会社に行きたくなくて、玄関で座りっぱなし♪
やれやれ・・・
そして私は、あまりのすごさに怒鳴りっぱなし・・・ありゃりゃ・・賑やかなこと!

2011年11月14日月曜日

macの設定とファイル移動で悪戦苦闘!〜我が家の世代交代①メインパソコン

Macの設定を毎日やって、少し新しい仕組みに慣れて来た。

今日はItunesの移動を試みたが、ipodをハードにしてやるやり方は、私のはnanoなので要領不足で失敗に終わった。
ディスクの空きがなくなってしまい、何をやってもプレイリストすら作れなくなり、ipodが壊れてしまったかと焦ったが、どうにか元の状態に戻った。

次に外付けハードディスクに転送してバックアップを試みたが、これもwindowsとmacの不具合で、どうしてもうまく行かなかった。もっとmacのことが分かれば思い切ってできることも、これをやってしまってよいのか?という不安でどうも途中で断念することが多かった。
堂々巡りになってしまい・・・もう少し知識としてimacのことを勉強してからにしよう。

多分その方がずっと楽だろう。

昨日はメールのアドレスの転送をした。
これもコピーしたって駄目なことがたくさんあり、「何でこれコピーできないん?」「なんでロックがかかっちゃうの?」みたいなことばかりで、ストレスが大きい。
windowsもこうしてここまで来たのだから、多分macもものにできるだろう。
と楽天的な私。

明日はスペイン語。先週台風娘の到来で欠席してしまったので、頭が切り替わるか・・・
歳を取る程、柔軟性がなくなる私だ。 やれやれ・・・

2011年11月10日木曜日

台風娘帰国

我が家の長女はいつの間にか帰国したと思ったら、又いつの間にかシンガポールへ帰って行ってしまった。
でも、おばあちゃんに会ったし、多くの友人たちにも会ったみたいだし、同窓会や色々な会合に顔を出し、仙台や大阪や京都や東京でも色々な所を、つまり行きたい場所へは行って、日本を満喫して帰ったのだと思う。

驚いたのは、帰国当日にいきなり仙台へ行ったことだ。
まあ、後輩が東北大学で地震の研究をしているというから、彼女を訪ねて、震災の現状を自分の目で見て、多分海に向かって静かに頭を下げて・・・色々考えたのだと思う。

この子は小さな時から、自分で確認しないと気が済まない子だった。
レモンが酸っぱいのも、アイロンが本当に熱いのも、自分で確認した。
しかも注意している私の目の前で。

まだ二歳にもならない子が、お母さんが「熱いからね、あっちっちだよ。やけどするから絶対さわっちゃ駄目よ」と言えば、ニッコリして、「は〜い、あっちっち、こわいこわい」と言いながら母親の目の前で、人差し指をペちょっとなめて、私の顔をキラキラ輝いた大きな目でニコニコしながらじーっと見て、アイロンの底にピッと触った。「おぬし、侮れぬな!」その時そう思った。

直ぐに手を離したので、大やけどはまぬがれたが、大泣きした。
私は慌てて彼女を抱えて、台所へすっ飛び、水道水に浸した。もちろん、その後二度と同じことは繰り返さなかった。熱いものには気を付け、私の忠告は聞いた。熱いものは・・・

でも、レモンは別だった。
お料理に絞ってかけるためのレモンの切り身があった。いかにも美味しそうではあった。
「それ酸っぱいよ。しゅっぱいしゅっぱい」と言って私は口をすぼめた。「赤ちゃんがそのまま食べても美味しくないよ。」
「しゅっぱい、しゅっぱい」と言いながら、手がテーブルの上ににょきっと出た。そのアクションの速いこと!瞬間口の中に入れ、お味見をしてくださったのだ。ありゃりゃりゃ・・・
その時の顔は未だ忘れられない、赤ちゃんの味覚には大変厳しいものがあったのだろう。今までの最高傑作だ。そして、この世の物とも思えない恨みを全てそこに託して、怨念をこめてレモンを床に投げつけた。ペッ、ぺっ・・・
泣きながら本気でレモンを怒っていた。とても可愛らしかった。

その子が、ずっと自分の目で物を見て、自分の肌で感じ、空気を吸って生きている。
世界中を旅して、中国で暮らしたり、シンガポールで就職したり・・・そしてこの1月からはスイスでMBAスタート。
日本語、英語、中国語はペラペラ・・・そしてフランス語、スペイン語、オランダ語、多分ベトナム語やイタリア語もかなり分かるだろう。何処でも暮らせるに違いない。

『あっちっち』と『しゅっぱい』で自分で確認する、自分のことは自分で責任を持つ人生がずっと前からスタートしているが、これから先、今度は何を見て何を感じて生きて行くのだろう?

色々なことがあり、親離れが早すぎて寂しかったが、本当に逞しくて素敵な娘になった。
スイスの次は? 何処??

2011年11月7日月曜日

今日の新しいこと④

Imacを買った。
そして、設定をした。
2011/11/7日スタートだ!

何にしても新しいことを始めるのは大変だ。
しかし、このkeyboard、昔使っていたmacbookと感触が似ていて結構好きだ。

初めてmacからの投稿だ。まだ使い方が慣れないが、どうにかやっていけそうだ。

2011年11月5日土曜日

今日の新しいこと③

今日は昼過ぎ、軽井沢を後にして、東京へ帰る予定だった。
高速に入った時、Kzさんの携帯に着信があった。
2つの携帯に入ったので、何か緊急性を感じ、高速に入ったところで電話をかけなおした。

Kzさんの会社で事故が起きた。

軽井沢のインターは、東京方面も長野方面も入り口が同じなので、入り口で停車して電話をしたので、まだどちらにも行けた。

Kzさんは長野方面へ引き返し、工場へ行った。
ここで、今日の新しいこと。

私はKzさんがいつまで時間がかかるかわからないので、自宅待機するため、工場から軽井沢の家まで自分で運転をして帰った。
これは初めてのことで、もうこの道は大丈夫だ。

自分で運転をすると、その道が自分のものになる。やっと身体で覚えた。
多分東京から軽井沢へ一人で運転をしてきても大丈夫だろう。もっとも心筋梗塞を起こさない限りという但し書きはつくけれど・・・

勇気を持って新しい世界に踏み出そう。

2011年11月4日金曜日

今日の新しいこと②

new:兄に電話して、おばばさんのお食事会の手配をした。

new:スウェーデンハウスのHさんに紹介していただいた、北洋交易担当者に電話して、遮光カーテンの手配をした。

我が家の北側の巨大な家の住民が、今年から土曜日に軽井沢に来ることが多く、凝った庭を眺めるのがお好きなのか一晩中演劇の舞台の照明みたいに華やかな照明を点けっぱなしでいる。
翌朝10時になっても消さない時は、むかっときた。
節電の真っ最中だったのだ。

どういう人種が住んでいるのか、私には分からないが、ジャガーを2台持っていてギャラリーみたいな豪邸に住んでいるところを見ると、有名人か成り上がり者か、やあさんか・・・

あまり眩しいのでせめて12時過ぎたら消していただけませんか?と聞きに行こうと思ったが、
Kzさんが「もしも、あちらの世界の方だと厄介だから、我慢しなさい」と言う。

仕方ないので、こちらで対処。
寝室だけでも遮光カーテンにしようと結論した。
しかし、全部コーディネイトしてあるのだから、そうは簡単にいかないし、費用もかかる。

インテリアの担当の会社に電話して相談したら、そんなにかからないでできそうだ。
これで、照明のあたった舞台のど真ん中で寝ているような夜とはおさらばできそうだ。

夏の間は葉が茂っていてまだ良かったが、葉が落ち始め、また眩しくなるのだろう。
それとも、そろそろ軽井沢に飽きて、そんなに通わなくなるかな? そう祈りましょう。
冬の軽井沢が好きな私たちみたいな人はそんなに居ないとは思うけれど・・・

ちなみに、昨日の新しいことは:食事のことで自己主張したことがなかったけれど、頑として、「どうしても新蕎麦を食べに行きたい」と言い、きこりへ行ったこと。
そして海老おろし蕎麦がとても美味しくて、満足!

時には自己主張をしよう!

お隣の工事進行



お隣の家の工事も少しずつ進んでいるようだ。
今回は基礎が築かれていた。

以前軽井沢で乗ったタクシーの運転手さんが、隣に家ができたら、こちらのことは全く配慮してくれず、すっかり暗い家になってしまい、大きな買い物だったのに人生観が変わってしまった。

と嘆いていたが、確かに隣の家は大事だ。
少しずつ様子が変わってきている。


下の写真が前回来た時だから、大分基礎の高い家で、今私が座っているダイニングの椅子の背中から見える世界はお隣の壁と化し、お台所で料理をしながら眺めていた世界も・・・全く林の風景は楽しめなくなるようだ。
まあ、それは仕方のないこと!
前に大きな庭があるから、そちらを見て暮らばすむことだ。

人間はこうして順応して行く。

そして変わって行く環境を少しでも予測して、どうなっても対処できるようにしておくことが気持ちよく生きるすべかな?

と思うこの頃だ。

Kzさんが立っている所のバックの景色はとても良かったのに・・・

2011年11月2日水曜日

毎日一つ新しいことを!


軽井沢は秋色、10月半ばに来た時は、まだまだ夏の終りだった。
今年はなかなか寒くならず、様子が違ったが、やはり秋は来た。

大好きな唐松も金色になりかけているが、、、見事に美しいとは言えないな?

鬱病にならないように、生きる気力を持続するために、習慣化した生活を修正しよう!
そう思って考え付いたこと。 
『何か一つでいいから毎日新しいことを、習慣化したこと以外のことをしよう!』そう思った。
最近母を見ていて、『好奇心が無くなることが一番危険!』そう思ったからだった。

そこで、今日はいつも家にこもりっぱなしなのだが、重い腰をあげて、ハルニレテラスへ行ってきた。いつものパンさんが定休日だったせいでもあったのだが・・・
私は中華が大好きで、以前ここにある『希須林』というレストランへ来たのだが、東京でも結構有名な中華であるにもかかわらず、美味しくなかった。お料理は美味しくなかったが、もしかしたら麺類とかなら美味しいかもと、レパートリーを広げるためにも、もう一度味見をしてこうと行ってきたが、混んでいるだけで、やはりそれほどもなかった。
前回と同じ印象だった。これではKzさんを連れて出直すわけに行かない。残念!

気軽にちょっと行ける安くて美味しいレストランを探しているが、二度三度行っても、やはり美味しいね、といえる店はなかなかない。美味しかった店も、長い間通っていると、次第に味が落ちてきてしまったりする。

星野リゾートは頑張っている、連休前とは言いながらも平日なのに、人で一杯だった。駐車場がなく、トンボの湯まで行って停めた。
好ききらいは別として、町全体を一つの空間に仕立て上げている。日帰りの人も、宿泊する人も、初めての人も、常連さんも、それぞれに楽しめるように工夫してある。
しかし、気になるのは体裁や雰囲気は良いのだが、見た目の方に気持ちが行き過ぎて、本物ではない、物足りなさを感じることだ。

川上庵は格好ばかりで、全然味は美味しくない。
希須林もしかり・・・
先日星野やで結婚式に参加したKzさんも言っていたが、お料理は美味しくなかったらしい。

でも雰囲気が良ければ満足の人もたくさんいるだろうから・・・まあ世の中それで良いのかもしれない。

とにかく今日は新しいことができた。
明日もどうにか見つけて、新しい刺激を呼び起こそう!

2011年10月24日月曜日

ヒェ~! 1個800円のマロングラッセだった!! 〜紅茶メモ①

あ~あ、又やってしまった。
値段を聞くのを忘れる私の悪い癖。

信用している相手に勧められるとつい、「では、それも一つ」何て買ってしまうことがあると思うけれど、
うっかり値段を聞きそびれた。
まあ、3個しか入っていないし・・・と思ってお勧めのマロングラッセを買った。

私は紅茶ばあさん! 大の紅茶好きで、がぶがぶ飲む。
そしていつの間にか銀座のマリアージュフレールでわが家で消費する紅茶は仕入れるようになった。
ダージェリン好きになってからは、紅茶の費用はかなりなものだが、年2回美味しい季節に仕入れてくるのでそのとき高くても、年月を考えると仕方ないかな?などと思っていた。

毎年5月と10月頃に買いに行く。
今回はAmboosiaが前回美味しくて、仕入れてきた。そして私の定番、ダージェリン・アンペリアル。
前回キャスルトンやシンブリを買ったので今回は後はジャムを少々・・・それにしても合計が高い。
お食事をしたし・・・仕方ないか??

家に戻ってレシートを見ると、店長の野崎さんお薦めの季節限定、とてもスペシャルのいつも3日で売り切れるマロングラッセが、何と3個で2400円だった! 空輸で朝着いたばかりと言っていたが、いかにも荷をほどいたばかりの感じに並んでいる。

3個だからと値段を聞かなかった私の悪い癖。
「Kzさん、マロングラッセいる?美味しいんだって」
「うん、買っておいて」
これで決まってしまったのがいけなかった。うちのダンナは私よりももっと値段にうとい、しかも責任感ゼロ。

目玉が飛び出る・・・だって小さなマロンだよ。
飛行機の切符代かな?多分1粒ずつシートに座ったのかな?

しかし、シロップの味といい、食感といい、申し分のないマロングラッセだった。
いかにもフランス人好み・・・・文化の象徴だ。けちなくせに食にうるさい、食べることとおしゃれへの執着の凄さはリディア先生で証明済み。

これからは、一応「おいくらですか?」って聞く習慣をつけましょうね、ソラさん!

2011年10月21日金曜日

『冠動脈CT』 〜 ついてないなあ

本日造影剤を使った冠動脈のCT検査のため、府中にある榊原記念病院へ行ってきた。

私には冠攣縮性狭心症という持病があり、ここのところ2年程おさまっていたのだが、今年初めからの母の介護によるストレスからか3回続けて発作を起こしてしまったので、動脈硬化の様子をチェックした方が良いということで、今回日本に2台しかないという大変精密にチェックできる機械があるこの病院へ行った。

前回別の病院でカテーテルをやったときに大変な思いをしたので、(30分で終わるところ、2時間かかった)今回はそういうことが起きませんように・・・と念じていたのだが、神様が忙しかったのか、いや念じ方がちょっといい加減だったかもしれない。

途中で機械が故障してしまい、折角造影剤を入れて写した映像が全く写っていなかったらしい。
もう一度やるか検討中に、私は今日片付けて欲しかったのだが、「まだ機械が完璧か判らないので、もしもう一度造影剤を注入しても、写っていないと、大変身体に負担がかかることになるので、今日はやめましょう、又日を改めてということで・・・」と言われがっくしした。
こんなことは初めてだったらしい。

もしかしたら精密な機械だと私は映像に写らなかったりして・・・とまじ思ってしまった。
何しろ宇宙人なのだから。

CTの台から降りたら、腕にぶつぶつ出ている。顔やお腹は大丈夫なのであるが、結構真っ赤になってぷつぷつ・・・みんなで、「確かに発疹がでている~」と桃原先生に電話して確認していた。

「もう一度担当の先生と相談して判断してもらってからにしましょう。」ということで、来週結果を聞きに行くはずの新宿での受診が、相談になり、まだ更に2回この検査に貴重な金曜日が取られることになってしまった。合計3回じゃ~~!

まあ、のんびりいこう~とは思っているのだが。

両腕と両ふくらはぎに細かい発疹が出て、太ももが赤い斑点になっていた。息苦しさはなし。
頭が重くだるいのは仕方ないだろう。何しろ大の過敏症だから。

と、こういうわけで、宇宙人は健在で・・・私のせいで機械が壊れたのかしら??なんて、こういう怪現象が起きても妙に納得してしまうのが恐い。

2011年10月18日火曜日

『自分の始末』と『健全なる肉体に狂気は宿る』



ここのところセットで本を読んでいるような気がする。

軽井沢にはテレビがないので、読書には調度良い。長い夜だが早寝、早起きに自然になってしまうし、読書する時間も散歩する時間もできる。
カーテンが遮光性ではないので、夜が明けると目が覚める。朝が大の苦手な私には、これは驚くべきことであって、しかもなかなか良いものだ。

さて、今回は、曽野綾子さんの『自分の始末』と内田樹さんと春日武彦さんの対談集『健全なる肉体に狂気は宿る』の2冊を読み終えた。両方ともKzさんが面白かったよ、とポイッとよこしたので、何気なく読み始めたものだ。

両者には何となく共通性があって、それが生き方に通じるもので、生きる姿勢に無理がかからない、あるいはかかってもそれを無理と受け取らない受け入れ方みたいな『あるがままの自然さ』のようなものがが感じられた。

曽野さんの始末の仕方には自分が普段考えていることと近いことが多々あり、ふむふむと読んだ。
私は何度か死を間近に感じてきたせいか、神様が与えてくださった寿命を受け入れてくる時が来たら、その時がその時なのだと思っている。だから必要以上に長生きしたいとは思わないし、今日突然その時が来てしまっても、仕方ないと思っている。
自分なりに生きてきたからそれでいい。

彼女が言うように、できればあまり人に迷惑をかけたくないが、それはそれで、そうなってしまったらどうしようもないので、心がけてはいるが、「かけてしまったらごめんなさい」と感謝の気持ちだけは持っていたいとおもうのだ。私は自分にできることをやればいい。

『惚けたり気力が失われたりすると、人はもう段取りをつけることができなくなる。・・・・・・段取りは、意志の力、予測能力、外界との調和の認識、そして何よりも謙虚さ、など総合的な判断が要る上に、たえずそのような配慮をすることで心を錆びつかせないことができる。  家事は段取りの連続であることを思うべきだ。頭の体操にはこれほどいいことはない。』

こんな文章があったが、気に入ったので抜粋しておく。彼女はそれができなくなった時が、自分の人生での一つの転換点と言っている。つまり自分から他に提供できることが少なくなり、むしろ誰かの助けが必要になってくるということであり、その地点からは自分が人に迷惑をできるだけかけないように覚悟をしなければならない時を見極める尺度みたいなものとして設定できる、ということではないかと思うのだ。

この段取りの重要さは、身に沁みている。私は段取りの人なので、自分にこれが出来なくなった時が年貢の納め時ということか。


もう一冊の本は、二人とも結構言いにくいことをずばずば言うので、面白かった。その会話に入っていたら、「それは違うよ、そうとは断定できない」と口を挟みたいことも何度かあったが、そんな気持ちにさせる、自分も会話に入り込んで一緒に考えている楽しさがあった。

先日友人へのメールにも書いたのだが、『取り越し苦労はやめよう』というフレーズが面白かった。自分もその境地にたどり着いたところだから・・・
『人生、一瞬後には何が起こるのかわからないのだから覚悟を持つことだ。全方位的にリラックスして構えているしかない』起きるかもわからないことに多くの時間を割いて悩んでうじうじしているより、その時間をそのときするべきことに回して生きるほうが気持ち良いのはないかと思う。

『身体が感じる違和感に忠実になれ!』 これも最近の私がたどり着いた境地で、とても大切なことだと、特に過敏体質の私は感じるのです。
身体が受付けなかったことを無理やりやってよかったことは一度もない。つまり自分のセンサーを磨いていると、既にかなり初期の段階でぴーんとくるのです。少なくても自分にとって良いもの、良くないもの、絶対に避けるべきもの・・・等が実に良く分かり・・・・とまるでお二人の会話に加わっているような共通意識が存在するのです。

『身体のどこにも無理が無く、詰まりもなく、凝りもない。気持ちがいい状態を探り当てられれば、どのような条件に置かれても、その「いちばん気持ちのいい状態」にまっすぐ戻ることができる。・・・その「安定状態に一気に戻る」動きが爆発的なエネルギーを生み出す。』・・・

自分にとってその気持ちいい状態がどんなコンディションか、そしていつもそういう気持ちに戻れる訓練が必要だとは思うけれど。
でもああこう悩まずに、身体を動かすことが一番かもしれない。
と、この本を読んでいると、楽観的になって妙に気が大きくなり、肝が座ってしまうようなそんな気がするのは私だけではないような気もするが・・・

最後に、人間が精神的に健康である条件について、忘れないように記しておこう。

 ●自分を客観的に眺められる能力
 ●物事を保留しておける能力
 ●秘密を持てる能力
 ●物事には別解があり得ると考える柔軟性

うん、悪くない能力だ。

2011年10月14日金曜日

この違いはなに?


先週京都へ行ってきた。
そして、昨日から軽井沢に来ている。

風邪気味のままやってきたが、薬を飲んでいればそんなにきつくないので、このまま乗り切ってほしいものだ。風邪はKzさんにもらった。
Kzさんはブライトンホテルの空調に風邪菌が居たに違いないと言っているが・・・。

一昨日おばあさんの所へ行った時には半そでのTシャツを着ていたのに、ここではセーターが必要だ。
夕方日が暮れると底冷えしてくる。これからはスウェーデンハウスの活躍のシーズンだ。
外に出ると、そんなに寒くは感じないのだが、家の中でじっとして机に向っていると、次第に手足が冷たくなってくる。
暖房にセーター・・・もう冬が始まっている。

京都では、さすがに薄手のジャケットを持って歩いていたが、暑くて脱いでしまった。
暑い夏にあれだけ涼しいだけあって、軽井沢はやはり特別な場所だ。2回目の冬を迎えつつあり、そしてだんだんここの生活が分かってきている。

我が家の庭から見える唐松はまだ緑を保っている。しかし少し色が変わり始めている。
次に来る時は、金色に輝いているだろう。
うるしみたいな真っ赤な葉が木にからみついて燃えている。
小鳥たちは、楽しそうに飛び回っている。

隣に家が建ち始めているが、そんなに気にならずにやっていけるよな気がする・・・と言っても、永住でなければ、の話だが。
別荘として使ってくれるならば、そんなに気にしなくても良さそうだ。
しかし、分からない。ここに住むのかもしれない。

ツルヤの近くでパン屋さんを見つけた。
いつも行く、イタリアンの店の直ぐ近くで、銀亭・・しろがねていと読むらしい。今日パンを買ってきてみたが、意外と美味しい。
良かった! 
まだまだ探せばよい店がたくさん見つかりそうだ。
ツルヤのお野菜と同様に、いろいろなものをここで買って東京へ持って帰るようになる日も近いかもしれない。

別の所にもう一つ家があるというのはとても素敵なことだ。
うちのように、Kzさんが忙しくて、あまり旅行ができないようなものにとっては外国の山の中にステイしていると思えば、近いし食材は良いし・・・十分だ。

折角勉強し続けている語学が役にたたずに終わってしまうのは、残念だが、そろそろ体力の限界で、海外旅行も疲れるだけになってしまうのも時間の問題かもしれない。

サラマンカへ行っておいて良かった!
パリへ一人旅をしておいてよかった。
まだ水浸しになる前のニューオリンズに一人旅しておいて良かった!
バルセロナにも行っておいて良かった。
Kzさんとドイツ、スイスの旅をしておいて本当に良かった。
イギリスにも行って、マナーズ博士に生きているうちにお会いできて本当に良かった!

何よりも、スペインのマドリッドでの息子のKの卒業式に出席できて本当に良かった。無理をしても行ってきてこれだけは、後ではできないことだったから。
娘のWkさんの来年のスイスでの卒業式には行けないだろうなあ~、のこのこ行ったらぶっ飛ばされるかもしれない。行ってみたいなあ~
日本での大学の入学式にも行かせてもらえなかったくらいだから、やはり駄目だろうな。
でも在学中にのぞいてみたい好奇心はつのる一方だ。
世界レベルの優秀な学生たちはどんな顔をしているのだろう?その中にうちのが混ざってどんな感じがするのかな?
思いはローザンヌへ!

こんなブログを見たら、娘は大学院の行き先を言うのではなかった!と後悔するだろうから、そっとしておこう。連絡をくれるだけで、十分に幸せなのだから。

まだ、イタリアへ行ってない。北欧も、東欧もバルト沿岸の国も・・・
やはり体力があるうちに行きたいなあ~

うちの父が生きていたら、一緒に行っただろうに・・・アメリカに居たときにサンフランシスコで会った時は楽しかった。父は何処へでもすっ飛んで行ってしまうのだから。
オババは、ロスでの私の結婚式のことすら、何も覚えていないのだけれど・・・
忘れてしまうのはもったいないな。

いまのうちにたくさんの思い出を作っておこう。


2011年9月29日木曜日

嬉しい知らせ

昨日の朝、シンガポールに住む娘のWkからメールが届いた。

この子は用事以外にメールをよこさないが、スイスのMBAに合格した通知だった。
シンガの今の会社に現地採用で入り、3年くらい経ったのだろうか?今度は勉強をしたくなったのだろう、MBAに挑戦だ。
もう30歳!
嫁にも行かず、いつまで続くのか、彼女の yellow brick road
『Ozの魔法使い』のドロシーの歩く道は、うちの娘にも敷かれているような気がする。

スイスの彼女が行くビジネススクールはすごい学校だ。
少人数制で国際色豊なハードで有名な、個性的なスクールで、世界でもトップクラス。そこで何を学んでくるのか、本当に楽しみだ。

彼女は18歳で家を出て、大学へ行きながら自活した。大学の学費だけは親が出したが、あとは全てバイトをして自力で、生活した。寝る間がなかったことだろう。その間にたくさん仕事をして、たくさん旅をして、ある日会社をやめて中国へ行った。

どうしてやめたのかわからないが、中国の学校でも、多分すごく勉強したのだろう。
昔からピアノをやっていたせいか、妙に語学のセンスがあった。うちのKzさんも言語に関しては、奇妙なセンスがある。すぐに使えるのだ。

息子のKもそうだ。
○○語、っていうと、うそばかりなのだか、その言語に聞こえるように音を出す特技を持っている。
全然うそばっかなのに、イタリア語に聞こえるし、韓国語に聞こえるし・・・でもスペインで暮したら直ぐにスペイン語をマスターしちゃったから、やはりみんな何かセンサーが働いている。

比べると私は、妙に堅苦しく、窮屈な勉強をながいことしているわりに伸びないような気がする。
音感は良いのだが・・・メロディーは一度聴いたら覚えてしまうが、歌詞は紙を見て歌っても覚えない。もしかしたら頭わりいのかな??
センテンスをイントネーションを含めて、かたまりでとらえる能力に欠けているような気がする。読めるし書けるのに、しゃべれない(泣) 長いセンテンスのオウム返しができない。

話しが横に逸れたが、彼女は私費で行く。自分で稼いで、自分で決めて・・・好きな道をどんどん進む。
ローザンヌはジュネーブに近いからフランス語圏、これでしゃべれる言語が又一つ増えるだろう。日常会話は上達の近道。だって一番生活に密着しているのだから。
もっとも大学で仏語やっていたから、スウィッチが入ればすぐに取り戻すだろう。

私でも、頭を切り替えると仏語からスペイン語に変わるから・・・いや、ちと、レベルが違うかな?

とにかく、親が窮屈に生きている分、子供達には存分に人生を楽しんで欲しい。
とはいうものの、二人ともかなり難儀な、苦労の人生なのだが・・・

できれば、ローザンヌの彼女を来年は訪ねたいなあ~(歓迎されないだろうけど・・・)

2011年9月27日火曜日

Buenas horas

今日はちょっと興奮している。
楽しかったー!! 楽しくて、楽しくて、とても幸せ。

今年の3月にやる予定だったスペイン語の短編、G.マルケスの"En este pueblo no hay ladrones"を今日やっとやることができた。
震災の影響で延期になっていたのだった。
何しろ、学校で何もない合間でやるので年に2回がせいぜいだ。

長編の"La tregua"をやったグループだ。
おのおののセクションを担当して、まとめ、スペイン語で先生と色々話しながら進めて行く。
スペイン語の作品をスペイン語で読んで、スペイン語でディスカッションするなんて夢みたいだ。どうしてもまだらっこしくなると、私は日本語になってしまうが、とても大切なことを言う時なので、許してもらう。

今日はLa tregua をご一緒にやったMさんも2年ぶりにいらっしゃり(大病をなさったため外出できなかったのですが)みんなで補いながら、楽しく、かなり本格的にやりました。

パトリシア先生の文学のレベルはかなりなもので、しかもよく考えすごい準備をしてきてくださるので、こちらもいい加減にはできないし、その緊張感がたまらない。
私は自分の考えを伝えると、先生がとても反応してくださるので、嬉しくてたまらない。
アメリカ短編の青山南先生のクラスを思い出して、うきうきしてしまった。

いくら大変なことでも、自分の好きなことは全く苦にならない。私はやはりこの辺りの人間なのだろうか?

昔、『ご飯を食べるのを忘れるほど夢中になるものを続けて行こう』と思ったことがあったが、なかなかお腹が空くと負けてしまう、けれど、この分野のことは空腹なんか忘れてしまうので、多分私はここで生きて行くのが幸せなのだろう。

良き師に恵まれ、良き仲間に恵まれ・・・なんて幸せ!

今日はこんな素敵な日だった!

2011年9月26日月曜日

工夫が必要

台風の真っ只中に家を出て、真夜中に羽田から夫はLAに出張した。

今回は、休日返上で日本の連休中のお仕事なので、明日の早朝にはもう帰国だ。
正味5日間のアメリカ行き。

私はこの5日間をどうしてもしなければいけないことと、したいことだけをして過ごすことにした。
結構邪魔が入って、私の時間に色々なものが侵入してきたが、良い実験になった。

まず、1日目:これはリズムを崩すわけに行かないので、オババの所へ行った。家に戻ってからの夕飯の仕度の手間がないので、つまり私は何でも残り物を食べれば良いので、暗くなるまで付き合って帰宅した。
夜は、溜まっていたビデオを心行くまで観て、ボーっと過ごした。おおいに疲れが取れた。

2日目は:友人のKさんと上野の空海展で帝釈天さまにお会いして、Kさんと存分におしゃべりして戻って来た。夕飯は三鷹のえきなかであんかけチャーハンを買ってきてインスタントのスープで誤魔化した。

夜、スペイン語のガルシア・マルケスをやっつけないといけないので、"En este pueblo no hay ladrones " のプレゼンの準備をした。

11時過ぎには、夫がいると観れないので、ビデオで楽しんでいた『ジウ』の最終回を on time でごろごろしながら存分に集中して観る事ができた。面白かった!
あの井崎さん役の黒木メイサは、若かりし頃の私の憧れの像だ。強くて、男みたいで格好良くて・・・自分もああいうすごいやつになりたいと心底思っていた。多部未華子ちゃんも、鹿男の時からファンだから、面白い組み合わせで、大いに楽しんだ。

その後、もう少し
G・マルケス

3日目は:友だちのKbさんと吉祥寺でランチの待ち合わせ。毎週Kevinのクラスで会っていたのが、これからできないのと、Timeの勉強会のプリントを受け取るためだ。これは前述の通り。
夕飯は、アトレで海南食堂のチキンライスのお弁当を買ってきた。これ、シンガポールの味に近いのか娘がこのようなものを食べているのでは?と時々買ってくる。そして、結構好きで、ジャスミンライスが懐かしいようなお味。でも、ちょっと食べたところで息子から電話でつかまったっけ。

夜は杏さんの、イタリア、フィレンツェへ前世の自分との関わりを見つけに行く『フィレンツェ・ラビリンス』というイタリアの彫刻家デジデリオを求めて旅をする面白い作品を観た。
その後は、プレゼンの準備、夜中の2時ごろまでやっていたかな?

4日目は: これを逃すと美容院へいける日がないので、3時から予約。5:30からは兄夫婦とオババと4人でお食事だった。Kzさんがお食事会に参加できるのはまだまだ先だったので、留守の間に一度つないでおこう、ということで、吉祥寺の葡萄屋で焼肉。

オババは、「この人が一番好き」と子供みたいに兄を指差し、一番優しい、一番たくさん来てくれる~~とまあ、誉めっぱなし。
「おいおい、一番行っているのはこの私なんだよ」と言っても知らん顔。
私は透明人間だあ~

久しぶりにみんなで好き放題言いたいことを言って、楽しく過ごせ、義姉と私はオババに同じようなストレスをかかえていることを認識。
夜は、調度予約しておいた漫画『ピアノの森』が遅ればせながらやっと発売になったので、それをゆっくり読み、少しスペイン語。

そして、final day の今日5日目は、スペイン語で発表できるように、下準備。日本語だって難しいのにさ。それから掃除。明日の早朝にKzさん帰るから家をきれいにしておかないと・・・
これからアイロン掛けに・・・etc 生活を戻す準備。

気がついたのは、一度もまともな夕飯を作らなかったこと。
残り物をつっついたり、お弁当を買ってきたりしたら、過ぎてしまった。
今日まで一度も掃除をしなかったこと。
気がついたらダイニングのテーブルは本と原稿の山!

そして、家事をしないとかなりな時間が捻出できる、と実感。
Kzさんがいないと散らかす人がいないから、掃除がとても楽であること。食事もワンプレートで済んでしまうので、まじ楽。しかし、あまり長く続くと無精のせいで、病気になるかも。

家事を削るには、かなりな工夫が必要で、民主党ではないが大きな見直しが必要と結論が出た。
家の中はきれいでいたい。美味しいものを作って食べさせてあげたい。
オババをかかえ、勉強もしたいけれど、家の基本はkeepしたい。そういう私には一工夫が必要だ。

とても楽しい日々だった。
何年ぶりかの休暇みたいな気がした。身体が疲れてしまっていて、そういう行動がとれなかったが、外出したというだけでも、今の私には奇跡に近い。もっと外に向かい、元気を取り戻そう。
不満を持たずに、工夫して・・・

2011年9月24日土曜日

こういう時も必要!

昨日はお友だちと上野で仏像展、今日はお友だちとランチとおしゃべり、そして街をぶらぶら。

ここ数ヶ月の疲れが少しずつ取れて行くのが感じられます。
こういう普通の生活がなかった。
ぶらぶら町歩きをするなんて・・・何ヶ月ぶりだろう、いや何年???

吉祥寺の井の頭公園付近のエスニック調のお店が並んでいる小路をぷらぷらすると、
いつも色々なワンコたちに出会う。
今日は大の犬好きのKbさんと久しぶりに会い、ランチをした。
凄い人出!
そして美形のワンコがあっちもこっちも・・・

イタリアンは美味しくなかった。
初めに覗いた、美容院のFさんに教えていただいたお店は11:30でも行列だったので今度平日に来ようということで、取り合えずKbさんが目をつけていた新しい、雰囲気が良くてゆっくりできそうなお店に入った。

ナポリスタイルのマルゲリータは裏側がべちょべちょで、乗っているトマトソースはまるで缶詰からだしたままみたいな感じで、あんまりいけなかった。
軽井沢の普通の店のほうがずっと美味しい。

アサリと岩海苔のパスタはアルデンテ過ぎて芯がしこしこ・・・やはりお腹を壊した。
サラダはまあまあ。

食事の後、もう一度未練がましく最初のイタリアンをのぞいたら、まだまだ行列。さっきの方が余程少なかった。Fさん本気で美味しいと言っていたから、多分本当に美味しいのだろう。
今度行ってみよう。

こういう、普通の人々がすることからあまりにも長く遠ざかっていたので、私は少し時代から取り残されているような気持ちがした。
アジアそのもののお店を、うろうろ覗いて、あっちを見てこっちを見て・・・いいんだな、こういうの。

こうして、少しずつ平凡な幸せ感覚を取り戻して行く。

今学期は金曜日のKevinの授業をお休みした。私に人間らしい時間を取り戻させるために。
自分のことは自分でしか解決できないから。

東寺の帝釈天さま

東京国立博物館でやっている『空海と密教美術展』に行って来た。

京都を訪れると必ず会いに行きたくなる、東寺の『帝釈天』さまを近くで観れるということなので、この機会を逃してなるものか!と25日で終了するぎりぎりの今日23日に友人のKさんと行った。
上野はすごい人出で、まるでお花見の時みたいだった。

東寺へ行っても、仏像様たちの前で飽きるまで眺めているだけで、意味も何も分かっていない私であるけれど、ただその前にいると自分がすーっと浄化されていくような気がするので、それを感じたくて行くのだろう。

数ある仏像の中でも、この帝釈天と広隆寺の聖徳太子の16歳像が大好きで、前者には「お会いしに来ました」、後者には「元気だった?会いに来たよ」と声をかけます。

ところで今回の展示は素晴らしく、身が引き締まったすきのないお姿にうっとり。梵天の4羽のガチョウ、帝釈天の象さんもじっくり観てきました。

東寺の埃にうもれたような隅っこで控えめに座っているお姿がライトアップされると、こんなに凛々しくて素敵なのかと改めてその男前にため息でした。

あれ? 空海は?
空海の文字は勢いがあってしっかりしていて、多分あの文字を書く人そのものなのでしょう。
もう少し仏教についても、空海についても勉強が必要じゃワイ!

と思いつつ、素朴に素直に、好きなだけでいいじゃん!なんて思っています。

2011年9月15日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑲ 〜人間の脳って!

折角言わなくなった言葉が又復活!

もうこれは解決したと思っていたのに、又ぶり返してきた。
あんなに忘れっぽいのに、どうしてこういうことばかり甦って来るのだろうか?
「かすりのズボンがなくなっちゃった!どこ?」この台詞を聞いた時、背筋がぞぉ~~っとした。

随分苦労して解決したことが又復活しちゃって・・・どういうのだろう?
人間の脳って、こういうことなのか・・・?

誰かが髪を切ってしまった ← 私が切ったのだと納得したはず
かすりのズボンがなくなった ← 3ヶ月ほどおさまっていたのに
温かくなったらそのズボンはくよ ← 今真夏

洋服の組み合わせがあまりにもちぐはぐで、五色豆にもなりゃしない。
何となくみすぼらしいので、新しいズボンを4本色違いで持って行った。4色あればどれかと色合わせできるから良いと思ったのだが・・・あまり気に入らなかったのだろう、今穿いているのに比べるとずいぶん小奇麗だと思うけれど、全くはく気配がない。

もうどうでもいいや。
Tシャツでもブラウスでもカーディガンでも、木綿でもウールでシルクでも、
これは薄いから夏物。
これは厚いから冬物。
材質に関係なく判断がそれしかないからとんでもないものを着ている。
半袖のコットンのTシャツでも、少し厚手だと冬物になってしまう。ぺらぺらしたスケスケの薄手のものしか夏物と認めないのだ。
いくら説明しても聞いてくれないから、『自分は洋服がない』ことになってしまう。

Tシャツは下着だと思い込んでいるので、それ一枚で着ても良いのだと言っても絶対に言うことを聞かない。従って必ず上に変な柄物のブラウスとかカーディガンなどを羽織るので、何ともいえない重ね着になる、それを見ているとこちらは頭が痛くなってくる。

下着のノースリーブのシャツのレースがついたやつは、下着ではなく、ブラウスになる。
「これは下着なのだから、上に着たらみっともないよ」といくら言っても駄目。
もう、めちゃくちゃやー!

あたしゃ、もうどうでもいいと諦めたい。
知らん顔したい。
けれど、廊下に出ると皆様きちんとしていらっしゃる。
みんな呆けていても、その辺の脳はきちんとしているみたいだ。
何だか洋服の着方がへんなのはうちのオババばかり。
あんなにおしゃれだったのに、その辺りを司る脳はどこへ行ってしまったのだろう?

カズさんのお父上は、自尊心と自己顕示欲ばかり残ってしまった。
私は最後に何が残るのだろうか?

2011年8月31日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑱ 〜又少し進んだかな?

久しぶりに母の所へ行ってきた。
久しぶりと言っても1週間ぶりだが・・・・こんなに空いたのははじめてのことだ。

最後が「もう帰ってくれ」だったので、今回行くのは本当に気が重かった。
又同じ思いをするのなら、私は息苦しくて悲しくて、狭心症の発作が出て倒れてしまうだろうと思っていた。
けれどこの一週間でかなり気分転換ができて、元気が出たので、気持ちを取り直して、1時頃行った。

もうすっかり水曜日が私が一緒にお食事をする日だったのは忘れている。やはりあまり楽しんではいなかったのだろう。「いつものみんなと一緒に食事ができないから、来ないで欲しい」と言われたのはショックだったが、売り言葉に買い言葉ではなく、本心だったのだろう。
神経を逆なでないことだ。

私が一緒にお昼を食べていた事実があったことすら忘れている。
話すのは兄のことばかり。私の言うことは耳に入りすらしない。これが本来の彼女だから仕方ないだろう。お兄ちゃんが好きでたまらないのだから。
でも、私は頑張って話に耳を傾けた。

しかし、今回は自分が喘息持ちだったことすら忘れていた。
二度の入院のことも長野で喘息の時に何年も続けてお世話になった大好きな市川先生のことももう思い出してくれない。ついこの間まできちんと覚えていたのに。

先日私が髪を切ってあげたことも忘れていた。「誰かがこんなに長かった私の髪を切ってしまった。」と今日文句を言ったらしい。私がやってあげたことは記憶に残らないらしい。
髪が活き活きして綺麗になったのに・・・。
ここでも覚えているのはお兄ちゃんがやってくれたことばかり。

父のお墓に行ったことも、忘れかけ、やっと手がかりをつかんで、「そう言えば和尚さんが私に挨拶に来なかった」とプライドが傷ついたことだけ覚えていた。

先週最後に会った時の私へのひどい仕打ちは、当然のことながら本人の記憶の外らしい。
前回の、私が完璧にキレた時と同じだ。 あの日も記憶の全てが飛んでいた。
そして、8月24日は日記にも一行もなかった。完全のブランク!真っ白!と本人が言っていた。
もしそれが本当だとしたら、あの日は悪魔がのり移って興奮して、又脳細胞が壊れたかもしれない。
ガシャン!!

先週と比べ大人しくはなったが、ある意味目に見えて″悪化″

お昼ごはんの直後に行ったのだが、既に食べた記憶がなく、「お昼を食べに行かなければ・・・・」と何度も言っていた。それなのに、ここのお食事はまずい、まずいを繰り返すのは何故だろう?食べたものを忘れていると言うのに?
彼女の精神状態のためには、私は行かない方が良いのだろうか?
でも、色々不都合があるから、感情はどこかへ追いやって忠実な家政婦に徹するか。 第一私が行かないと困るだろう。

今日は、3時にはこれ以上居ても仕方ないな、と感じ、すでに同じ話を10回位聞いたし、私の話にはあまり興味を示さないので、明日の為に体力温存!、とさっさと帰ってきた。
こんなことは初めてだ! いつもだったら夕方まで付き合っていたから。

それができた自分にも驚いた。
長期戦だ、自分のペースを作って、もう少し彼女が居心地良くなるように努めよう。


2011年8月30日火曜日

『グッド・ハーブ』 ~Las buenas hierbas~

グッド・ハーブ "Las buenas hierbas" を観に行ってきた。

前回の映画はヘルペスの真っ最中で、治りかけと信じていた頃に観た、『91歳のおばあさん』のやつだから、久しぶりの映画だった。

これも、老いがテーマ。
最近頭の中は老いと人生の終わらせ方と認知症で占めているから、どうもこういう映画が多くなる。
でも、パトリシア先生のお薦めだけあって、秀作だった。

監督は、メキシコの女性監督で、マリア・ノバロ。
男社会のメキシコでは独特で、女性を主役にした作品を作る監督というポジションを維持しているらしい。



難しい映画だった。
観客の教養のレベルと感性の豊かさが要求される。多分そういう知識の無い外国人にはむしろ少し退屈に感じるかもしれない。

メキシコでも有数の民族植物学者である薬草の研究者、アルツハイマーに侵されるララという母親、コスモというメチャ可愛い男の子のシングルマザーでラジオ局のパーソナリティ、ララの娘のダリア、そして近所のおばあさん、孫娘を15才で殺されてしまった心の傷を背負って一人で暮しているブランキータの3人の女性が柱になっている。

ハーブのこと、メキシコのアステカ文化のこと、メキシコの社会のことをもっと知っていると、もっともっと深みが増してくると思う。

私はハーブが好きだし、アルツハイマーの母親を抱えているし、先生はメキシコ人で、少しはメキシコのことも分かる。 この映画を観るべき要素はたっぷりだ。けれどこの映画が分かるにはまだまだ足りない、だってあまりにも色々なことが含まれ、隠れているからだ。
特に薬草のことはもっと分かるといいなあ~と思った・・・と『もっとづくめ』

映像と、ラジオ局の同僚二人が奏でる音楽とハーブの美しさと、それだけでも浸っているには十分かもしれない。

生と死、生き方と死に方、強さと優しさ、苦しみと喜び・・・相反するペアが無数に織り込まれ、けれどそれらは対立するものではなく、お互い内包し合うものだと、そんな思いで戻って来た。

母もアルツハイマーが進むと私のことが分からなくなるのだと思う。
やはり医者が言うように、「家族を認識できる期間をできるだけ伸ばしてあげたいですね」今の私にできることは、優しさを持って、心からの敬意を表しながら記憶のある日々を幸せに過ごしてもらうことなのだろう。
次のステージはいつ頃来るのだろうか?

有数な民俗植物学者でもなってしまう認知症、原因は何なのだろう?
幸せに暮していても、依存心がなくて独立していても、家族がいても、いなくても・・・・

自分にもやがて訪れる世界、謙虚に心穏やかに受け入れられるよう、その日まで気持ちよく生きよう。

2011年8月29日月曜日

ぎりぎりになる前にひと呼吸!

もう駄目!これ以上できない!

今までの私は、そう思った時には体力の限界を超えて、大体身体を壊していた。
身体を壊して、初めて限界だったんだと気持ちの上でもぎりぎりだったことを認識する。

そこで思った。
『真面目で優しい人は、あるいは生真面目過ぎて優しすぎる人は自分にも優しくなろう!』と。

倒れるまで頑張ってはいけない。
私の場合倒れるまで頑張ると、大体長期入院か何かの病気の発病の元になった。
だから、息苦しくなってきた段階で、体力をもうひと踏ん張りできる分を温存しておいて、何もかも、本当に何もかもほったらかして:

まず、深呼吸をし、それからボサノバを聞きながら飛びっきり美味しいコーヒーを入れて、飲もう。
胃の調子が良くなかったら、紅茶でもいい。今日だったらマリアージュ・フレールのダージリン・アンペリアルかな?
どうしてボサノバかと言うと、私の場合これが自然に身体が揺れてリズムを取るので、何も考えない世界に連れて行ってくれるから。ラップでもいいし、『サマー・ワイン』とか『ホテル・カリフォルニア』とかの懐かしい曲でもいい。

たとえ30分でもこの時を持てれば、まだ余裕がある、壊れない。
気分が変わって、スーッと別の世界へ連れて行ってくれる。そして
「何て、余裕がなかったのだろう!」
「こんなことだけで、こんなに幸せになれるなんて・・・」とびっくりする。

それでも今心にこびり付いていることが頭から、心から離れてくれない時。
その時は、逃げ出そう。

外に出て、たとえ2時間でも半日でもいいから小旅行をしてくる。
そういえば、こっち行きの電車に乗ろうと思っているのに、反対方向の電車に乗ってしまう映画があったなあ~
しなければならないことを全部捨てて、日常からの脱出、普段と違うことをすること。

生真面目で優しい小心者は、そんなことすらも普段は遠慮してできないでいる。
そして本当にしようと思ったときには、その体力すらもなくなっているから、動けない。

だから、ぎりぎりになる前に一握りの体力を残しておいて、一息つこう!
日常と違う場所で・・・手遅れになる前に・・・

パリのカフェ 道行く人を眺めるだけで別世界

今日は、今週で終わりになってしまう映画を思い切って観に行ってこよう!
メキシコの映画だ。スペイン語の映画を観ると元気が出る。
しかし、テーマはアルツハイマーと母娘の関係・・・全然日常から離れてない、やんかー!!おいおい。

でも、何か違う世界が見えてくるに違いない。パトリシア先生のお薦めだもの。
というか、『時間とプレッシャーに追いまくられていた私が映画を観に行く気力が出た』この事実だけでもすごい!

もしかしたら次のブレイクまで、あと暫くは頑張れるかもしれない。
人間、誰しも頑張らねばならない、放棄できないこともかかえているのだから。

逃げたくたって逃げられない、だから short break


2011年8月25日木曜日

『母の介護』 と 『まちがいだらけの認知症ケア』

久しぶりに読書の時間が持てたので、上記の二冊を読んでみた。
自分の態度の見直しのためだ。

前者は坪内ミキ子さんの102歳までのお母様を看取った手記。後者は介護の現場で35年以上かかわって三好春樹さんの認知症の人々とのかかわり方の手引書とでも言おうか・・・。

自分がほとほと悩んでしまったので、みんなどういう風に乗り越えているのか、現場の人から見たら今の母の現状はどういうものなのか、を知りたかったためである。

坪内さんのお母様は認知症ではなかったけれど、転倒をきっかけにお母様の性格が変わってしまったみたいな現象が起きて介護が始まったらしい。

認知症では無いし年齢も96歳と高齢、けれど読んでいて母との共通点が随分みてとれた。
とてもプライドが高く、かくしゃくとしたしっかりしたお母様であったこと、それが「我儘な老婆」に変わり果てたことだ。
後者の三好さんの本でも感じたのだが、歳をとるということは認知症であろうが、なかろうが同じなのではなかろうか?と思い始めた。

認知症とかアルツハイマーと言われると病気扱いになってしまうが、そんな大げさなものではなく、老人になるとみんな少なからず同じような状態になるのだ、それが歳をとるということなのだ、そんな気がする。
坪内さんのお母様とうちの母の我儘の出具合がとても似た感じがするのは、多分両者の性格が似ている面があるためではなかろうか?と思う。
そしてそれは何故かというと、プライドの高い二人は現在の自分の姿がふがいなくて受け入れられず、もがき苦しんでいる、そしてそれがイライラになって娘にぶっつけるという形で自分のやりきれない苦しみを処理している。そんな感じがする。

同じことが三好さんの本に出てくる、認知症の3つの型(竹内孝仁氏が分類)のうちの一つ『葛藤型』というタイプにぴったりあてはまる。
これは、老化や色々な障害を持つ自分が自分自身の考えているイメージとかけ離れてしまったために、なんとか自分を取り戻そうともがいている。しかも、そのイメージを取り戻す方法は若返ることしかないので、そこに葛藤が始まる、ということらしい。

こういうひとは、自分が認められて存在価値があると喜び、理解してくれる人がいると落ち着きを取り戻していくので、そういう関係を持てる人を見つけること。褒められ評価されることにより機嫌が良くなり前向きになれるので、少しずつ現実の自分の力量を再発見させ、ずれてしまっている自己像を修正していってあげると葛藤が減っていく。

そうしていければ、暴言や暴力的な行動や被害妄想や情緒不安定も少しずつ改善されていくとういことです。
これは本当にその通りかもしれない。母の行動や喜ぶこと、顔つきが変わることなどを見ていると、この本に書かれている通りに思える。

特別扱いが好き、感謝され、褒められるのが好き、権威のある人の言うことはよく聞く(私が何か言っても絶対に頭に残らない、定着しないのに、兄が言うと記憶に残る)そんな特徴をふまえてやっていこうと思います。

ここにもう一つの型の『回帰型』も少し入っているかもしれない。
そして、そこに病名としてもらったアルツハイマー型が加わるので、心して対処していかないと・・・

いずれにしても、二つの本から、できるだけプライドを傷つけずにやっていかねば、と思ったわたしです。これだけは心しておこう!

2011年8月23日火曜日

なんか窮屈

ここのところ、いつも時間に追いかけられているような気がする。
あまりに余裕がない。

今日は久しぶりのフリータイム。う・れ・し・い!
Kzさんは長野で泊まりでお仕事、私はスペイン語の日なのでオババの所へは行かない。
クラスで大笑いして、頭を使って、とても気持ちよくなって帰ってきた。
帰りに、新宿へ足を伸ばして、『グッド・ハーブ』を観て帰ろうと思ったけれど、5:35からの回だと家に着くのが9時ごろになるだろうから、明日の予定には少々きつい、無理は禁物なのでそのまま帰宅。

少しでも寄り道をしよう、なんて考える余裕が出ただけ、improveされてきたか?
眠っていてもオババのことが頭から離れず、すっかり不眠症に陥っていたのに、さっき居眠りをしていた。このまま解きほぐされればいいな。

明日は、朝オババの所へ顔を出して、それから軽井沢へ向かう。Kzさんは今日車で行っているので、新幹線で行けるから身体は楽だ。

スペイン語で元気をもらったせいか、M先生のサイマの施療がやっと好転反応から抜け出し始めたのか?それとも母の所から今回は5日も遠ざかっていられたせいか、ガタガタの身体が少しずつ快復しつつあるような気がする。
久しぶりに狭心症の発作も起きたので、ぼろぼろだった。

夕飯は手抜きで、三鷹駅の中でお弁当を買ってきてしまった。
いや、作らないのだから文句はないが、やはり美味しくない。
今日は徹底的に手抜き、フリータイムをenjoyする。

こんなことだけで、解放され幸せを感じる。
自分のしたい勉強を進められ、十分に準備ができる喜び。いつも時間がなくて、家事ばかり・・・
今日は本を読んで、テレビを観て・・・時間を独り占めだ!

おまけにブログまで更新!

おやすみなさい!
明日の地獄のことは考えずに・・・

2011年8月22日月曜日

気力がでない

人間の気力ってどこから出てくるものなのだろうか?

母を軽井沢へ連れて行ってから、自分が変わってしまったみたいに、力が出てこない。
こうして人はうつ病になっていくのかもしれない。

まず、身体が動かない。
外に出たくないし、人と話したくない。メールも書きたくないし、文章も嫌だ。
本を読むと目が疲れて、頭が痛くなってくるし・・・
節々が痛くて、頭が重い。足の裏が痛くて、ふくらはぎがだるい・・・

私の中にあったスピリチュァル系の良いものがみんな吸取られてしまったみたいだ。

でも、明日はスペイン語の授業がある。 だから多分出席すれば元気をもらえるだろう。
パトリシア先生の優しい明るい笑顔、みんなの笑い声。
できるだけみんなに私のマイナスの気をあげないように、でもみなさんの元気な明るい気で私の中のもやもやを消してもらおう。

私があげられるときもあるのだから、許してもらおう!
明日こそ、力が戻ってきますように。

2011年8月8日月曜日

弱音を吐こう介護日誌⑰ 〜最後にのこるもの

こんなに疲れてしまって良いのだろうか?
ものを考える気力もなく、神経がうなっている。

今年4月に帯状疱疹になってしまった時と良く似ている。
今日お昼に母の5日間の長野の旅を終えて帰宅した。精魂尽き果てた。

認知症とはいえ、今年一月までは確かに記憶はあったと思う。こんなにひどくはなかった。
そして記憶と共に、随分色々なものがなくなってしまったみたいだ。
慎み、感謝の気持ち、、、その代わりに欲、我、不満、プライドばかりが残り、我儘、主張が一段と強くなった。どうしてこんなに不満を言い続けることができるのだろう?次から次へと・・・
私にとってみたら、不満にもならない、ちょっと我慢をすればよいものだらけだ。謙虚になればすむことばかり・・・それがぐだぐだぐだぐだ、何十回と繰り返しては言い続ける。しかも私への非難になることばかり・・・心が傷み、疲れた。

4晩眠れなかった。
安定剤で眠っている人特有の、まるで脳梗塞みたいな大きないびき。
寝ぼけ、錯覚・・・安定剤で9時ごろ眠ってしまうので、真夜中に必ず目を覚ましてしまう・・・そしてごそごそ何かを捜して食べ始める。
頻尿・・・

独特のにおいが部屋の中に満ちる、何の匂いなのだろう?飲んでいる薬?染み付いた身体の匂い?それとも尿とか大便の処理がうまくてきていないから?

それでも、信州の家に行ってから父のお墓へ行った時、そこは母のふるさとでもあるのだが、何だか懐かしそうにしていて、ほんの少しだけれど素直になってくれたのが嬉しかった。
レモンをかじった時の智恵子のようだった。
正気に戻った??

東京へ戻って兄に引渡し、タクシー乗り場で手を振った時も、こちらを見ようともせずに、もちろん『ありがとう』の一言もなかったのが寂しかった。

私にはすごい疲労と胃の痛みと脳の中の混乱が残った。
そして、何か感慨みたいなものが少しも感じられなかった。
これが自分? まるで抜け殻だ。

録画しておいた『ジウ』を観た。
こういうときにはこういうのがいい。
何も考えたくなかった。何もしたくない・・・そう思いながら、それでも何か書き留めておこうとPCを開いた。

2011年7月30日土曜日

"Lost Horizon" と "Random Harvest"

Kevinの今学期は、ジェームス・ヒルトン原作のLost Horizon(失われた地平線)だった。

原作はとてもよい作品だった。
映画は?といえば、1937年の作品だから、多分当時観たらもっと斬新な映画だったのだと思うが、原作が素晴らしすぎて、少し興ざめかもしれない。

最後のクラスで、同じ作家による、同主演、つまりロナルド・コールマン主演映画、"Random Harvest"を観たが、原作を読まないで観たせいかもしれないが、素晴らしい作品だった。

女優のGreer Garson, 彼女が輝いていて、完全に主役を食っていた。彼女が主演の映画だったのだろうか?
あの時代で、しっかり自分の足で立ち、明るく慈愛に満ち、しかも強く逞しく、けなげで、全然押し付けっぽくなく・・・たまらなく美しい彼女は、微笑むだけで周りを癒してくれる素晴らしい要素があった。
女優さんに、目を見ているだけでこんなに気持ちを温かくしてもらえるなんて思ってもみなかった。

前回のBig Sleep のあのへたっぴいなボガートの奥さん(ローレン・バコール・・・まじへたくそだった!!)に比べたら、尊敬してしまうほどの貫禄と気品のある女優さんだ。
よい作品に出会えて本当に良かった。

2011年7月29日金曜日

弱音を吐こう介護日誌⑯ 〜あのさぁ~

いつもいつも そんなに愚痴ばっかり言っていて
自分が嫌にならない?

それも無意識なのかな?

不平不満を吐き出しているのかと思って、聞き役になって受け止めていたけれど
実際はそうじゃなくて
繰り返すことによって『自分はこんなに不幸だ』って確信しているみたい
自分の不幸を忘れないために・・・
だって、吐き出した後全然すっきりしていないもの
もっと強力な不平の火達磨になる

『私にはこういう不満がある』ってリストを作って
いつでも言えるように何度も暗記しているみたいよ

こんなに記憶が薄れてきているのに、頭の中が嫌なことばかりで一杯じゃ
もったいないよ
どうせ覚えていようと思うなら もっと楽しいことにしようよ
心が温かくなることにしようよ

今思っている不幸なんて、不幸のうちに入らないよ
だってこんなに家族が心から温かく見守り、手助けし望みをかなえようと一生懸命
みんな手を差し伸べているのだから

シルバーカーを押せばある程度歩けるし
おしゃべりできるし笑うことだってできる
美味しいお食事を自分で食べることができるし、材料の買い物や作る心配もいらない
自分ではできない掃除や洗濯もしてもらえる
第一病気がないじゃない
外出したかったら、そう言えばいつでも連れていってもらえる

病気で動けず、食べるものがなくて、一人ぼっち
そしたら、人は不満を言う元気すらなくなってしまうんだよ
涙も出ない
助けを求める力もなくなり、静かに死ぬのを待つだけ・・・

もう若くないし、皮膚が染みだらけ、それが何だって言うの
生きてきた証じゃない
そんなこと、堂々と威張って受け入れなきゃ

愚痴の液体にどっぷり浸かって、醜く染まっていくよりは
穏やかな温かい気持ちになって、まわりのひとたちを穏やかな温かい気持ちにしてあげようよ
長い年月生きてきた人にしかできないことがあるんだよ

エネルギーは良くても悪くても強い方から弱い方へ流れるんだって
私のエネルギーは穏やかなんだけれど、
まだ強くないから身体が丈夫じゃないから、しっかり受け止めることができなくて
あなたの恨みのエネルギーにいつも負けてしまう

いつも穏やかに、温かく・・・と決意して行くのだけれど
少しずつあなたの不満のエネルギーに侵食されくたくたになって帰ってくるの
微笑みは全部吸取られて・・・
まるで宮崎駿さんの世界

私のオーラがそれに勝るには、多分もう少し私の身体が丈夫になって
精神ももっと逞しく優しくならないとね
そして、あなたに少しでいいから慈しみの気持ちが芽生えてくれたら大きな力になるだろうな
少しずつ、少しずつ・・・

2011年7月20日水曜日

さようなら、原田芳雄さん

昔、まだ私が若い頃、『二丁目3番地』というテレビドラマが大ヒットしていた。
シャキッと強い浅丘ルリ子と、頼りない強くない男の石坂浩二の演ずるへいちゃんのラブコメディーというか、ファミリードラマというか・・・とにかくとても素敵な番組だった。
赤い鳥の澄んだ声が歌う、『目覚めた時には~いつでも晴ーれてる♪』というテーマ曲がいつまでも聞こえる。そして、二人の言葉合戦(多分脚本が面白かったのだろう)が巧みでとても面白かった。

その後、好評だった2丁目に続いて、『3丁目4番地』が始まった。
こんどはビリー・バンバンの『過ぎた日のほほえ~みは、みんなきみ~にあげる♪』・・・曲は2丁目の方が好きだったが、これもなかなか良かった。
私は2丁目の頼りないヘイちゃんのファンだったが、そこに強力なライバルが出現した。

下宿人のロクさんだ。
いつもどてらを着ていて、踏み台から天井裏に顔だけ出して、置いてあるレールの上の電車を動かしている。鉄道?山道みたいな気もするが、とにかく列車マニアみたいな世捨て人的イメージの、スナフキンみたいな奴だった。ただし、たまらないスケールの大きさと魅力のある人だった。

この人がドカン!と来た。
この役者さんだれ?初めて見る顔だった。 
原田芳雄。 
何て地味な名前、俳優じゃなくてその辺の人みたいね。
これが彼との出会い(一方的だけど)だった。

私はアウトロー的な、泥臭くてどこそこ冷たいが本当はめちゃくちゃあったかい、欲がなくて、どこか達観していて、でもハンサム・・・自分があって、地位もお金もないのに堂々としている・・・そんな彼に夢中になった。多分二十歳の頃ではないかなあ?

当時の私は映画やテレビは好きだったが、俳優さんに夢中になるタイプではなかった。
今でもサッカーが大好きだが、おっかけするタイプではないし、特定の選手のファンになるタイプでもない。
しかし、二十歳の頃の私は彼にはまった。後にも先にも、そういう気に入り方をしたのは彼だけだったような気がする。
もしかすると、若い頃の彼の顔が好きだったのかもしれない。(ちょっこし、若い頃の家のダンナに似ているようないないような・・・)

それからある時期まで彼のテレビは全部観たし、邦画はあまり好きではなかったが、映画も観た。
『赤い鳥、逃げた』
柳生十兵衛をやった時の蝉を黙らせたシーンとか、すごく好きだった。

けれど、原点は3丁目~のロクさんだ。
あそこに私の好きな男性の姿が凝縮されていたのかもしれない。

次第に彼の役柄も変わって行き・・・私の好きだったロクさんの姿はあまり彼の中には見えなくなり、むしろ個性の強い、きつい役どころの役者さんになっていった。緒形拳さんみたいに、やはり邦画や大きなドラマの世界ではなくてはならない存在だった。

彼が亡くなったのは、マジ、ショックだった。
71歳とは知らず、同世代に感じていたからだ。
60代真ん中辺りと思っていた。

私の好きだったロクさん風の役はそれ以後の彼にはなかったが、私の原田芳雄は、あのロクさんとイコールであり、できれば、今の歳であんな穏やかな何もない、けれど格好いいおじいさんの役をもう一度してもらいたかったような気がする。
そうしたら、またドカーーンと来てしまっただろう。

私も、お迎えの準備に備えて、悔いのない人生を心がけよう。

2011年7月18日月曜日

なでしこ、世界一おめでとう!

ここまでやるって、どれくらいの人が予想していただろうか?

延長戦に入ってからは、涙で目が霞んで困った!
澤の同点ゴールの時は、涙だけじゃなくて、本当に泣いてしまった。
宮間のどっしりした頼りになる様子を見ていると、もしかしたら勝つ?って思った。
こういうのを感動っていうんだろうな。
ディッシュの山を見てそう思った。

なでしこジャパンは、今回解説をやっていた川上さんが右のサイドをかけ上がって大活躍していた頃からずっと応援していた。とても綺麗な女性で、取られても、取られても走っていた。すごくタフな選手だった。
みんな仕事しなから、あの小柄な細い身体のどこにこんなパワーがあるの?と思わせるほどのすごい粘りで頑張っていた。
結婚して名前が変わった人もいるし、昔活躍したのに、ベンチにいる人もいた。

でもすごい!世界の頂点に立ってしまったのだから。
何ていい気持ち!
こういうエネルギーで満ちれば、嫌なものが消えて、地球も静かになるかもしれない。
澤さんをはじめ、鮫島、熊谷、岩清水、海堀、川澄・・・みんなありがとう!

美しく、逞しく、男性が絶対まねできないものを持った日本の女性達。
本当にヤマトナデシコだと思った。日本女性は美しい。

2011年7月11日月曜日

ウォーキングに行こうか? 〜認知症戦争の合間

さっきから雷がごろごろやっているので、歩きに行こうか迷っている。
昨日も一昨日も今頃の時間に真っ暗になって、スコールのような物凄い雨に襲われた。雷も落ちた。
だから・・・躊躇。
少し暗くなってきたが、濡れてもいいから行って来よう。

土曜日から軽井沢に来ている。Kzさんは今日は仕事で旧軽の上の方にあるホテルへ行った。

久しぶりのブログ更新。
一ヶ月ものが書けなかった。

オババのあまりの横暴さに完全にキレタ私は、ここ一ヶ月間、文章など書ける精神状態ではなかった。
気持ちの修正と同時に、母の態度が変わったこともあり、少しずつ
『また頑張らねば』
『実の親なんだから捨てるわけにはいかない』
『いくら姨捨山が近くたって・・・』
なんて気持ちになり始めている。

母も、こう思ったようだ
『ソラちゃんがいないと困る、何かと都合が悪い』
『娘だからって、我儘言い放題の何でも思うようになると思ってはいけない』
『ありがとう、だってたまには言わないと・・・』と。
そんな反省で母の態度が少し変わり、私も心が傷つきにくくなった。

そして、自分を立て直さないといけない。自分の人生を人のせいにせずに生きねばならない、と思った。
何歳で人生を再スタートさせたっていいのだ、と村上春樹も書いていた。
何だって捨てることはできる、自分の意識次第で。

母のことは母のことであり、それが全てではない。

ぎょ!ちょっと書いたら出ようと思っていたのだが、やはり雨が降ってきた。
この雨がやんだら行ってこよう!
軽井沢の生活は日常生活の雑事から離れ、自分を再生させること。
運動をし、瞑想をし、考え、何も考えず、美味しい野菜を食べ、たまったやりたいことを思う存分し・・・自分を取り戻す。

今日は英語を読み、スペイン語を読み・・・そして歩く。

2011年6月10日金曜日

認知症の特徴 ~固執編~

母の性格か認知症全般に言えることなのかよく分からないが、彼女がアルツハイマー型認知症の病名をもらってから顕著にでてきた特徴を記しておこうと思います。

その① 固執
何か気になることがあると、そのことばかり繰り返して質問したり、訴えたりする。
そのしつこさは3歳児の質問攻めどころではない。

[例]
頼まれて買ってきた化粧水がモデルチェンジし、前回と変わってしまった。Diorの一番高価なシリーズだけあって以前はとてもリッチな化粧水だったが、今はさらりとしている。これから暑くなるので、あのような濃厚なものを人が好むとは思えないが、彼女のお気に入り且つ、この歳になってもDiorの化粧品を使っているという誇りでもあった。
いくら説明しても違うのいってんばり(確かに違うのだ。それが分かるだけでも本当に認知症?と思うのだが・・・)。
Diorは品質改良を繰り返すので、製品もしょっちゅう変わるので、それは仕方ないが、濃さも違い、こんな鼻水みたいなしょぼい、しみったれたものは話しにもならないと一歩も譲らず!
行くごとにその不平に始まり、同じ問答の繰り返しをしないと次に進まない。いくらもう生産していない、お母さんのお気に入りのシリーズに化粧水はこれしかないと言っても理解してくれない。そのイライラはエスカレートするばかりだった。

つまり彼女は理由を知って納得して済むのではなく、問題を解決したくてイライラするのだ。つまり理由が分かっても、彼女の問題は解決しないから、永遠に質問と不平を繰り返すことになる。

そこで、『そうか!こってりすればいいのだ!』そう気がついた。以前使ったことのある、これまた高価な別のシリーズの濃い美容液を買って持って行った。
「化粧水は名前の如く水だから、あれでいいのよ。栄養の濃さの方はこれで補ってね。それぞれ用途が違うから、使い分けて」そう言って渡した。
すると不思議、彼女の疳の虫がなくなった。
「ああ、懐かしいにおい、これ覚えている。いい香りだし、肌も気持ちいい」満足げだった。
次に行った時には、初めて「ソラちゃん、あれ気持ちいいね」と初めて肯定的なお礼に近い言葉を言われた。

こういう記憶だけは残っているのだろうか?
もし、どこかに記憶の何かが少しでも残っていたら、それを刺激してあげて、喜びに変えてあげると良いのかもしれない。

しかし、現実はなかなか解決法が見つからないから困る。
本人によって捏造された記憶の『無い物ねだり』の質問攻めの毎日だ。何時間でも同じことを質問し続ける。いつものことだが、毎日毎日記憶の上塗りをしていくから、解決しない限り、何ヶ月も決して諦めず、質問は巧みになり、泣き落としやそれに纏わる物語まで登場し、それでも解決せずイライラはエスカレートする。

70年前に曾おばあさんがくれた反物で作った思い出の品、絣のズボン(?)問題はどのように解決したらよいのだろうか?彼女の心の中のイメージだけなのだから、、、別の絣のズボンを買ってきても解決しないのだろうなあ~??やってみるか??
彼女の欲望は際限なく膨らむ。
私は頭を悩まし、心が痛む。

2011年6月9日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑮ 〜「認知症だからしようがない」おまじない

オババの横暴さに愚痴をこぼした私を慰めてくださったJさんに、
「この人は認知症なんだから何を言ってもしようがない、って思って投げられたボールは横においておきなさい」と言われました。
昨日はどうにかそれで乗り切りました。

今日は、行ったなり、絣のズボン病が再発。
私にメモを持って来て、「紺色のズボンがありました、取りにきてください」との文字を見せました。
これお母さんの字に似ているけれど、誰かがメモして、私が来たらこう言ってくださいと言われたの?
「そうじゃなくて、そう言われたから忘れないように書いておいたの」だから一緒に行ってくれときかない。
「お母さん、このズボンは存在していないズボンなの。だからホームの人に迷惑だよ。一緒に騒ぎたくないよ」
オババはムッとしてどうしても納得しないので、一緒にH長さんの所へ行って事情を説明してきた。どうも朝からあの紙切れを持ってうろうろ騒いでいたらしい。H長さんは洗濯室へ行ってもう一度チェックしてくれ、
「やはりありませんよ」とお部屋に伝えに来てくれた。
昨日の段階でもう解決と思ったら、とんでもない、何万回でも復活する。
「あれは、すごく大事な思い出の品で・・・どうしても見つけてもらいたい」と懇願するので胃が痛くなる。
しかも、自分で『ありました』というメモまで作成するのは、もう異常といか言い様がない。

その後、健常者の足で歩いて10分位の所にある西友に買い物に行った。尿漏れパッドが欲しいというので付き合ったのだが、行く間中、自分は外に出られない、牢獄だと言いっ放し。今はどうだと言うのだ?出ているではないか!!先日兄が、その前が私、週二回は出ているというのに・・・何と言う贅沢かつ我儘。

その道のりがオババの足では遠いのは分かる。けれどあえて足のトレーニングの為にカートを引いて出かけた。兄とのお出かけの時には車椅子を使うらしい、どうして座れないのだと何度も繰り返して質問する。私は
「歩くの嫌だったら、行くのやめたら?私はかまわないよ。すぐ近くの散歩なんだから、私は車椅子は使わない」
「じゃあ、帰る」
「そうしなさい」(認知症だからしようがない)

そう言いながらも行きたいので我慢して、「帰りは車椅子を取りに行け」と言う。
知らん顔して、歩いたが、大した距離ではない。本人にとっても、実際ゆっくり行けばどうってことない。健常者で10分よりも、私だと普通に歩いても5~6分だ。
それでも20分ぐらいかけて、ゆっくり休みながら歩く。
大げさに息が切れる振りをする。もう歩けない、お兄ちゃんだったら車椅子に乗せてくれるのに、と言いっぱなし。
「これじゃあ、とても長野へは行けないね」
「・・・」


到着すれば別人!店内では目の色が変わって、歩くことに何の文句もない。歩くのが嫌だということすら忘れている。
「何だ、糞ババア!」(認知症だからしようがない)
エスカレーターを生まれて初めて見た、と言った。
ついこの間まで長野の東急をすいすい乗っていたのに恐くて乗れない。のぼりは身体が覚えていて一歩踏み出したら難なくこなしたが、下りがひどかった。多分一歩踏み出せば身体が自然に運んでくれるのだろうが、恐怖が先に出てしり込みした。
多分誰かに助けてもらって親切にしてもらいたかったのだろう。手を差し出す私を無視したので、私は荷物を置いたまま一人で下に下りていくはめになった。すぐに後ろの人の言うことは聞いて降りてきた。
嫌な、人間!糞ババア!!(認知症だからしようがない)
私は又二階へ戻り、買った物と手押し車を持って降りてきた・・・やれやれ、いつものことか。

他人がいると、こういう行動をいつもする。
電車から降りるときもいつも私の差し出す手を無視して、私の手を振り払っておいて 「この人は親を助けてもくれないのよ」と人に向かって言うのだ。そして誰かが必ず手を貸す、その快感を求めているのだろう。
当時の私は悔しくて涙が出た。 こんな母親っているのだろうか?
認知症の前からだ。

認知症って本性が出るのかな?

帰りは、もう目的を果たしたのだから、当然のことながら文句の連続。お兄ちゃんだったら、お兄ちゃんだったら・・・・
「うるせえ、糞ババ~~!!」こう怒鳴りたかった。
しかし、あまりのしつこさに頭痛がしてきたので、ついに言ってしまった。

「一緒についてもらってお買い物に出られるだけでもいいんじゃないの?ほかにこんな人いないよ。週二回も出ていて、閉じ込められっぱなしはないでしょ?ばちがあたるよ。 長野に居た時と比べてみて。毎日来ている人の身になってよ。文句ばかり言わないで少しは感謝したら?」と言ってしまったのが、運のつき!
「あんた親に恩を売るつもりか、子供なんだからこんなこと当たり前じゃないか、そういう恩着せがましいことを言うんなら、もう二度と来るな。あんたの世話になんか死んでもなりたくない。こんな事を言われるなんて、二度と許さない、呪い殺してやる!!!」と憎しみをこめて逆上した。
正直恐かった。憎しみは良くない。

私は言葉を失いつつ、無感情。
「そうだね、そこまでひねくれちゃね、、、私はもう言うことないよ。これだけやっていても、文句言われるばかりで全然報われないんだものね。 これからは何もかも、優しい大好きなおにいちゃんにやってもらえばいいよ。わかった私はもう二度と来ないよ」

この時はもう『認知症なんだからしようがない』おまじないは利かなかった。

ホームに戻って、「お母さん、私には来て欲しくないみたいなので、これで最後だから、ちょっと眉をそろえてあげようと思って道具を持ってきたから、それだけやってから帰るよ」そう言って、眉を切りそろえてあげた。そろそろこの人に切り刻まれることに慣れても良さそうなものだが、母親の刃にはなかなか馴れない。いつも新しい傷だ。

私は出来た人間じゃないから、最後に優しくなったりしない、
「じゃあ、暫くこないから、さようなら」
と部屋を出た。

認知症の人はこんなやり取りもすぐに忘れるのだろうか?
多分少しは印象に残っているのだろう・・・いや、やはり無理か。
私はしっかり傷ついている。いつも・・・

2011年6月8日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑭ 〜オババランチ その2

今日は水曜日、恒例のオババランチの日だ。
最近テーブルが直ぐに一杯になってしまって、なかなか二人で陣取ることができないし、下手をすると同席も難しい。

一人で寂しそうにお食事していたおばあさんに同席した。
認知症がかなり進んでいるみたいだけれど、時々反応がある。みんな可愛い。
私とお話ししていると、段々声を出すようになり、顔に表情が出てくるので、その変化を見ているのも楽しい。 色々な人の様子が見て取れてオババと二人よりは余程楽しい。やはりよその人だと心の余裕が持てる。
もう一人車椅子の、言葉が少し不自由な人も加わった。とても礼儀正しい。

オババと話していて、これから寒くなるのに~と言うので、
「お母さん、今何月かな?」と聞くと、言葉に詰まった。
そこでタダで転ばないのがオババ。
「ねえ、みんな今何月か知っている?」と横に振った。あれよあれよ・・・・
後のお二人も答えられない。
「ほら、わからないの私だけじゃないでしょ?」 こればオババの答え。
やはりなかなかシタタカだ。


ところで部屋に戻って、これまた恒例の
「ソラちゃんが持って行っちゃった絣のズボン返して」と、始まった。ここ数週間行くとこの質問攻めだ。
今日、又この質問をしたら、紙に書いて壁に貼ってこようと思ってレポート用紙を持参した。

『私の家に絣のズボンは預かってはいません。私はそれを見たこともありません』

顔の洗い方の上に貼り紙してきた。
この質問に悩まされていた私が寝ながら考えた打開策だ。

延々と続くので、一度記録しておこう:

「あれは、長谷のおばあちゃん(私の曾ばあちゃん)がお嫁入りの時にくれた反物でとても思い出深いものなの、洗ってくるって持って行ったでしょ?」
「持っていかないよ。見たこともない。お嫁に来た時なら、もんぺか何かにしたんじゃない?」
「上着と、ズボンをおそろいの反物で作ったの。」
そう言われれば、まだ和服を着ていた頃に、紺絣のそんなもんぺがあったような気がする。上がお仕着せみたいなもので・・・私の小学校あるいはもっと前の頃だ。

「お嫁入りじゃあ、もう70年近くも昔の話だから、あってもぼろぼろだよね?」
「そうじゃないの、お嫁に来たときに反物で持って来て、ずっと後になって作ったの。よし子さん(兄嫁)にクリーニングに出してもらったこともある。」
あれは仕事着だから、とてもクリーニングに出すようなものじゃないから、やっぱ違うか???

「じゃあ、長野に居た時で、ここでじゃないでしょ?」
「ここに持って来たの」
「ここの荷物は全部私が準備したんだよ。その中にはなかったよ」
「だって、ソラちゃんこれから寒くなるから冬物は洗って預かっておく、って持って行ったじゃない」
「あれは私のズボン、お母さんに貸してあげたの。コールテンでこれから暑くなるから、冬まで必要ないし嵩張るから預かったのでしょ?」

「いや、確かに持って行った」
「だって、ここに来たの冬のど真ん中。2月だよ。それからは温かくなる一方で冬はまだ一度も来ていない。夏物はこれから必要なものだから、家に持って行くはずないでしょ?」
認知症にこの論理性は通用しないだろう・・・と分かっていながらも言わずにはいられない私。分かってよ、オババ。どう考えても変でしょ?夏が来るのはこれから、今は6月よ。 
でないと、私泥棒になっちゃうもの。

そこで兄の所へ電話をしてみることにした。
私はかいつまんで今の状況を義姉に説明した。そして、

「お姉さん、そういうズボンの記憶にある?」
「ソラちゃん、全然ない。だってババチャン、スカートしかはいてないでしょ?長野に居た時は」
そう、オババは長野ではいつもスカートで、ズボンなんか滅多にはいたことがなかった。
「そうでしょ?いくら言っても分かってもらえないんだよ、困ってしまう。とにかく見たことないのね?分かった、ありがとう。後はどうにかするから」
と電話を切った。

毎回この騒動で30分はかかる、いくら話を逸らしても、すぐに戻るから誤魔化せない。
どうか、明日は貼り紙の効果が出ますように!!
 ¡Ojalá que tenga・・・!

2011年6月2日木曜日

弱音を吐こう介護日誌⑬ 〜元の木阿弥

心を鎮めて、静かな温かい気持ちになって、一生懸命オババの所へ行って来た。

何のことはない、元の木阿弥!
又けんかして戻って来た。

どうして、ああなのだろう!!私はあの人嫌いだ!
廊下に出れば、もういい顔している。私以外の人にはいい子ぶりっ子して・・・ずるいずるい、みえみえ。いくら経理をやっていたからって、打算が強すぎる。

部屋からもう帰るからと廊下に出た時、一番奥のお部屋の奥様がおやつタイムから戻ってこられた。
とても品のある、優しそうな感じの女性だ。誰かに似ているなあ~と思っていたが、一度もお話ししたことがなかった。こんにちわ、と挨拶をする前に、あちらから、

「偉いですネエ、よくいらしてあげて。本当に偉いですよ」と声をかけてくださった。
「折角来ても、今けんかして出てきたところなのですよ。ひどい事ばかり言うのです」
ニコニコして、
「それでも、いらしてあげてね」 

そんな会話で救われた私でした。

出口でスタッフの女性と立ち話をしていたら、オババがホーム長さんに付き添われてのこのこやってきた。
H長さん、「けんかしちゃったからって・・・」とニコニコしている。
「そうなんですよ。もう嫌になってしまいます。でも後味悪いのもいけないから、・・・」とH長さんの前で、オババと握手をして帰ってきた。

いつまで続くのだろう、この不調  ¡¡¡estoy enojadaaaaa!!!

弱音を吐こう介護日誌⑫ 〜もう、ヤダ! 〜認知症戦争

ここ2週間大変忙しかった。
オババの所へは週2回もしくは3回しか行けなかったが、普通の人々に比べたら兄達も2回来ているのだから十分過ぎる待遇だと思う。

行ったなり、受付で捕まった。
大概私が行くと、まずスタッフの人の相談事から始まる。
又お風呂で渋ったかな?と思ったら、今回はお風呂は素直に入ったのに、着替えが終わった途端、タオルがないと大騒ぎしたらしい。
すでに洗濯室に回ってしまったらしいが、納得しないので、看護婦さんが一緒に捜しまわってくださり今洗濯中だからと取りあえず納得してもらったということだ。
「私は、あれがないと顔もふけない」と訴え(引き出しには何枚もタオルが入っている)
「一番気に入っているタオルなのに」とすごい剣幕らしかった。(本人どのタオルかも分かっていない)

すると、そこにおばばがやってきた。
スタッフはもう忘れているだろうから蒸し返さないように・・・と思っていたら、「さっきはおねえさんありがとう」と看護婦さん(婦長さんみたいな役割の年配の方)に言ったので、顔を見合わせてしまった。
お姉さん・・・という認識も、少々・・??彼女は誰の顔も見ていないのかもしれない。

部屋に行くと、私への苦情の連発。
お兄ちゃんたちは毎日来てくれているのに、あんたは全然来ない。来ても直ぐに帰ってしまう。
「先週は忙しくてゆっくりできないと説明したじゃない」(認知症にこれを言っても無駄だと言うが、私はちゃんと説明する、だってこの人分かっているような気がしてならないから。しらばっくれの天才だもの)
「昨日も、一日中待っていたのに・・・」
「火曜日は毎週来れないって言ってあるでしょ?私の一番大事な日で、この日だけは来れないの。ここに書いてあるでしょ?」カレンダーの大きな文字を見せる。
「そんなもの、みないわよ」
「みんなに迷惑かけるからちゃんと見てよ。今日が何日か見て、今日の予定はどうなっているか、誰も来れない日だったら、それなりの過ごし方があるでしょ? 何でもここに書いてあるから。まだ文字が分かるんだから、お願いだから読んでよ。来れない日に待っていたってストレス溜まってバカみたいよ。こっちも駄目な日まで待たれたって本当に困る。責められているみたいで迷惑だよ、だってどうやって無理しても来れない日は来れないのだから。」
「私はそんなもの、見たくないの」

そこで、むかっとするが、バラの花を飾ってあげて、ミネラルウォーターを小さなボトルに分けてあげて、持って来たKzさんのお土産のお菓子を冷蔵庫に入れて・・・
11時に来たのに、苦情を聞いているうちにもうお昼だ。

毎週水曜日は一緒にお昼を食べる日なので食堂へ行く。
前回ここに書いた一緒にお食事するグループにはもう加わらないらしい。大きな声で話す口の悪いMさんとけんかをしたらしい。
「あんたうるさいから黙っててくれない!?」と本人に向かって言ってしまったそうだ。
言った直後にその話を聞いたが、それから彼女はオババに口をきかなくなってしまい、先週行った時にも同じテーブルでお食事したが、口を一文字に閉じたまま一言も口をきかなかった。恐いお顔がひきつっていた。相当オババの言葉に腹を立てたらしい。本元の張本人のオババは、その原因が自分にあることはすっかり忘れてしまっている。「あの人私に口をきかないんだよ。あんな人と一緒に食べても美味しくないから、今は別のところで食べているの」とケロケロしている。
今は一人のおじいさんと、奥さんが車椅子でご夫婦で入居されている方々と4人のテーブルらしい。

食事中に、Mさんの話をする。私も2度ほど一緒にお食事しているから分かっているのだが、彼女の声がうるさいとか、失礼なことばかり言うとか色々言うので、
「分かっているからそのことについては、もう黙って!何度もお話ししているから・・・それにあまり大きな声で言うと聞こえるから、もうその事はここでは言わないで。お部屋に戻ってからにして」

私は人を傷つけるような言動は大嫌いだ。そういうことを無神経にする人はもっと嫌だ。
嫁として散々痛めつけられてきているから、そういうのはたくさん!大嫌いだ。いくら嫌な奴でも言いたくない。オババはそういうのが大好きなので、どんどん強くなる。だったら人を巻き込まずに一人でやるか、私以外の別の人を相手にして欲しい。

私と母は、至ることに関して本当に価値観が違う。私は絶対にそういう無神経な人間は嫌だ。
いじめとか許せない!オババはいじめる側、私はそれに加わるのが嫌で、断っていじめられる方かもしれない。

でかい態度での食事が終わり、お部屋に戻って、今度は又愚痴の連続。
もう飽きた!よくここまで言うわ!そんなに死にたかったら勝手に死んだら!どうして私にばかりそういうマイナスのネガティヴなことばかり言うの???折角体調が戻ってきたのに、又ストレスで帯状疱疹になってしまう。怒鳴りたい気分をじっとこらえて。

何よりも嫌なのは、女々しくて「ソラちゃんしか頼る人がいないのだもの、毎日毎日朝から待っているのに・・・・」
「お兄ちゃんだっているでしょ?お兄ちゃんに頼めばいいでしょ?」
そのうちに、お兄ちゃんは優しいのに私は優しくない、そういう話され方をすると頭が痛くなって死にたくなる・・・etc 次から次へと文句ばかり、人を何だと思っているんだ、糞ババア!!

認知症だからって何だって許されると思ったら大間違いだよ。私は怒りで、「ごめん、もう帰る。私そういうの嫌いなの。ずるくて見てられない。何でも人のせいにして、自分では何も努力しない。顔も洗わないのに、暇で死にそうだとか、カレンダーも見ないで、何日か分からないとこぼされたって困る。もう20回も今日何日?って聞かれているよ。聞く前に自分でカレンダーを見てよ。それだけ文句言えるなら、まだ間に合うよ」

これで、オババが怒り出し、泣き出し、大喧嘩になった。
仕方ないので、「そんなに出たいなら、今から散歩に行こう。そんなに買い物したいなら、コンビニまで歩いて行って、何か買って来よう。気分転換になるよ。」
オババは、「あんたとなんか行きたくない。優しさのかけらもない。」と拒絶。
「私は変われないから、ごめん。申し訳ない。じゃあ、帰るね。明日は雨だから行きたくても、外に出られないから、行くなら今しかないよ」
と言って部屋を出ようとすると、行きたい気持ちと明日は雨とのかけ引きで『欲望』と『プライド』がぶつかってどうしてよいか分からず泣き出した。子供より始末に悪い。

それでも内心はどうしても行きたいらしいのが見え見えなので、少し折れて優しくなって「じゃあ、行こうよ!」そういって着替えさせて連れ出し、一回りしてきた。もう3時を過ぎていた。
お菓子にキャラメルに・・・etc 冷蔵庫に一杯あるのに、どうしてこんなに買い物したいのだろう?
散歩が終わって4時半、やっと私は家に帰れる。 でも、午前中にできなかった、掃除と食事の準備とネットでの振込みと、郵便物の整理と、アイロンがけと英語の予習と・・・・まだまだやらねばならないことは山積みだ。
11時から5時・・・??又愚痴聞きで一日暮れてしまった。負のエネルギーでくたくた。
楽しいひとときの後だったら、こんなこと全く苦にならないのにな。

多分、こうしたら?と方法はたくさんあるだろう。
一番よいのは他人だと思うこと。ただの病人だと思うこと。そうすれば会っている時だけでも優しくなれる。何を言われても受け入れて(今もやってはいるのだが)自分を完全否定して飲み込み、ご機嫌よく過ごせれば早く帰ってこれるし、あちらも後味が良くて楽しいに違いない。私に課された仕事だと思えば・・・その方がはるかに生産的で、合理的で、文句なしだ。

しかし、私は実際親しい人との関係に、そういうことはできない。 不器用で融通のきかない不出来な人間だ。
心で接することしかできないのが私のアイデンティティーなのだ。そうやって自分は人と接し、生きてきたのだから。心の通じた良い関係をそうやって築いてきたのだ。
母に本当に心から優しくなれる日がいつかは来るだろうと思う。そして、その時母が何も分からなくなっていて後悔しても仕方ない、そう思う。

その時が来る前に優しい自分になれたら、とても素晴らしい。いくら努力しても今の自分に出来ないことだから。できれば早く自然にそうなって欲しいけれど・・・・。私はできた人間でないから、無理はしない、、、、多分、来る時が来たら、来るだろう。

2011年5月30日月曜日

ついに、還暦!

2011年5月28日とうとう還暦を迎えた!


仲良しの友人たちはもう何人もそちらの世界に突入しているのでどうってことはないのだが・・・・・
母の頃の60歳というと結構しわなんかできているおばあさん顔をしていて、赤いチャンチャンコがとても似合っていたが、今の女性はみんな若いので、60歳がどうのこうのって特にないような気がしていた。


自分がなるとどうだろう?
「う~~ん!」やはり昨日と変わらない!!



Kzさんが珍しくお祝いをしてくれた。
私が欲しかったジャケットを内緒で買ってきてくれた。ここのところプレゼントとか、お祝いとか縁がなかったので、とても嬉しかった。

そして当日、もう一つのビッグサプライズを下さった!それが、写真のswashのスカーフ。
とてもしなやかできれいな、しかも今年の2011年の年号の入ったスペシャルバージョンだ。

70歳になってもこれが似合うような女性でいてください。と言われた。
『う~~ん、難しい課題だ!!』
「白洲正子だったら似合いそうだね」と答えた私は、そんな風に自由奔放に自分の眼で物が見えしかも行動できるおしゃれな素敵な女性になりたいものだと、心底思った。
ありがとう、Kzさん!!


ところが、それとは別に二個目のプレゼントの瞬間に私は嬉しそうな顔をしなかったのだ。
Kzさんの顔が一瞬曇った。ガッカリしてしまったみたいだ。

それは、スカーフが気に入らなかったのではなく、2日前にいただいた一つ目の黒のジャケットでわたしはすっかり満足し切っていたからで・・・ そこで満たされていたから、それ以上は贅沢に感じられて物欲のない私には十分だったのだ。
ちょうど、美味しいレストランでお食事した後、エスプレッソの後に、とても素敵なショコラが出てきても私のお腹には入らない。それが宝石のように満足の上の満足で嬉しい人もいるのかもしれないが、私には十分で・・・別の機会にとっておきたいような気持ちになるのだった。

その夜は久しぶりにスコルピオーネに行った。
普段着しかなかったので、プレゼントのスカーフで誤魔化した。なかなか素敵だ。
『スコルピオーネ2』のカジュアルな店にはよく行ったものだが、店じまいしてしまったので、もう行けない。オリジナルの方へは随分長いこと行ってなかった。
素敵なお食事だった。
去年からの魔の一年をこれで追い払い、素敵な60代に突入!!!だ~~と思っていた。

ところがその夜、美味しい食事のせいか、、、、胃が疲れていたせいか、体調がまだ戻っていないのに美食をしたせいか・・・そう言えば今週は少しハードだったけれど、、、夜中中吐き気と下痢に悩まされ、朝の5時に7回目の水ばかりのひどい下痢で終止符を迎えた。

60歳前の嫌な事を全部押し出し、流しだし、すっかりピューリファイされたと思おう。 空っぽの自分からスタート! しかし一晩中苦しんで辛かったこと・・・・(涙)。

私には、ほんの小さな幸せが似合っている。
自分の許容量を知り、それに合ったさじ加減で生きていかないと壊れる。
静かに、物にとらわれずに、大切に思うものを大切に生きて行きたい。

今年は、良いこともあるけれど、自分次第で乗り切るのが大変ですよ~~と神様が予告してくださったのかもしれない。

印象的に嬉しかったのは、「おめでとう!」をたくさんの人に言ってもらえたこと。
みんなが私の誕生日を覚えていてくれて、わざわざおめでとうを言ってくれた、息子のKまで言ってくれたから、多分色々なひとに支えられて、この嵐を乗り切ることができるのだろう。

Kzさん、ありがとう!
もっと、もっと幸せを運んできて、みんなを幸せにしてください。
そして自分も幸せになってください。
私も頑張ります。何しろ先に60代突入だもんね。

2011年5月23日月曜日

ケンケンとコン吉



GW中にツルヤで配布されたラベンダーが
我が家の庭に仲間入り!
記念すべき第一号だ。

2週間の留守の間に枯れてしまったのでは?と気が気でなかったが、無事に元気で待っていてくれた。






ラベンダーの一鉢を見て、一人では可哀想!と仲間を仕入れてきた。庭に色が付くと別世界になる。
                                                                                                              

この子たちは、もっと元気になって私たちを迎えてくれた。入り口のネモフィラたちも大丈夫だった。

雑草天国だったが、それも仕方ない!
Kzさんと風のガーデンになるのはいつだろう?と夢見る。



我が家に毎日訪れるものが約2名いる。
野鳥をいれるともっとすごい数になるが、決まってやってくるこの二名のことはちょっと記録しておこう。
東京の家に行けば写真があるのだが・・・

まず、『ケンケン』
ケンケンは雉だ。毎朝「けーん、けーん♫」と騒いでダンスを踊って隣の庭に行く。 どこでもあの声が聞こえるので、多分仲間がいるか、あちこち移動しているに違いない。それがとても綺麗で~、カラフルで堂々としている。
ところがうっかりドアを開けたりすると、びっくりしてかけっこをして逃げていく、二本足で小さくなった駝鳥のような格好でトットット・・・と走るのだ。それが速い、速い。その格好がいかにも愉快で笑ってしまう。飛んだ姿は一度も見たことがない。堂々としていた雉が慌てる様は実に愉快。

もう一名は、『コン吉』
コン吉は名前の通りキツネだ。
私には何キツネかわからないが、もしかするとタヌキ?って顔でもある。

昨日目が合った。
というのも、生ごみを庭の肥料にしようと、穴を掘っていつも埋めて行くのだが、滞在中はまだごみが出るので、軽く土を覆っておくだけにしていた。野生の動物を餌付けをすると大変なので、帰る時にはしっかり土をかけて穴の位置がわからないようにして行くのだが・・・・

どうも夜中にほじくっている奴がいるらしい・・・朝起きるとバナナの皮とかが表面に出ている。
初めはケンケンの仕業と思っていたのだが、どうももっと力のある奴がやっているようなので、コン吉かもしれない、と目安を付けていた。
そして、昨日夕方コン吉がやってきた。土をたくさん被せておいたので、おしっこをして通り過ぎて行ったが、あれは私が遠くから見ている気配を感じて騙したのだと思う。
こちらは、全く慌てず、じっとにらみ返したから、すごい!

埋まっていることに気がつかなかったのではなく、私を誤魔化したのだ。
つまりはしらばっくれ! 見事に騙された。
だって今朝起きたら、又ほじくり返してあった。大根の皮が一つ出ていた。

東京へ帰るときはとことん気をつけよう。熊が来たら大変だ!
猿もいやだ!

ところでここはスウェーデンハウスなので、ドアを閉めてしまうと外の音が全く聞こえない。
ドアを開けると、あまりにも豊富な鳥の声が聞こえてびっくりする。もちろんたくさんの訪問者が来るので窓越しにみているだけでも面白いのだが・・・

少しでも音をたてると直ぐに飛び立ってしまうので、窓越しにしか観察できない。そうでなければずっとベランダでじっとしているしかない。
見えただけでも、カッコウ、うぐいす、雉、きつつき、コゲラ、ひばり、ひよどり、しじゅうから、めじろ、モズ・・・・もちろんすずめもやってくる。

この声を聞き分けられるようになったら、どんなにか素敵だろう。
窓を開けている季節になったら、PCで聞き比べながらやってみよう。

2011年5月17日火曜日

弱音を吐こう介護日誌⑪ 〜恐怖の火曜日と土曜日の夕方

オババの入浴日が水曜日と日曜日だ。
前日の夕方になるとスタッフの人が、着替えを取りにやって来る。

するとオババから必ず家に電話が来る。
「明日お風呂だからって着替えを持って行くというので断った」
「物がなくなるから、お風呂には入らない」
「具合が悪くてお風呂どころではない」
それを私に訴えるのだ。

私は困ってしまう。
どうもスタッフの人とひと悶着あるようだ。泥棒呼ばわりしているに違いない。
多分上手に対応してくれているのだろうが、あまりにも頻繁なので実に厄介で根深い。

オババかどうして電話をよこすのかいまひとつよく分からない。
スタッフの人とけんかした罪悪感からか、本当に物を取られると信じ込んでいるからか、それとも本当はお風呂にはいりたくないからか?
最初の理由であって欲しいけれど、可能性は薄いかも。

否定してはいけないと物の本には書いてあるので、
「お風呂は週2回しかないのだから、入っておかないと駄目だよ、気持ちいいよ」
と答える。色々反論するので
「何がなくなるの?」と聞くとパンツとかが戻って来ないと言う。
本当は『こんなオババのパンツ取ったってしようがないやろ、誰が持って行くって言うの?』と言いたいところだが我慢して、
「困ったね」と言う。

こうして、私はまたまた憂鬱になるのだ。本当の認知症になっちゃったんだねえ~まるでお手本みたいじゃない。オババしっかりしておくれ!

認知症メモ-自分の時のための準備 ①

アルツハイマー型認知症は遺伝するとも言われているので、気になったことを自分の為に記録しておこうと思います。
早期発見とか、何かの役に立つかもしれません。

母の10歳ほど下の弟も認知症症状が出ているそうです。私は母とは似ている所がないけれど、血液型は同じだし、やはり母親だし・・・そういうわけで色々書きとめておこうと思います。

経過:

母は昔からものぐさでいい加減で、面倒なことが大嫌いで、ずぼらで・・・・兄とよく、「初めから呆けているから、この人は呆けてもあまり変わらないだろうね。多分呆けないよ」と言っていました。
私のような几帳面で完璧主義の人間は呆けると言われていたので、私は性格を変えようと心の大きなおおらかな友人達を見習って大変努力をしていました。
その努力の甲斐があって、最近は小さなことにくよくよしなくなったし、神経質さも薄れてきたし・・・と認知症対策が進行しつつあります。
しかし、何が起きるか分かりません。

『そんな母が何故認知症になったか?』
1.アルミの鍋と味の素と安定剤
全く根拠がないが、昔から風評というか、よく耳にしていた上記の3点は確かに母はあてはまります。
台所にはアルミの鍋ばかり。
長年の習慣で何にも味の素を少しだけかけて食べる。特に信州人の好きな漬け物には必ずかけていました。
いくら「呆けるから飲まない方がいいよ」と言っても安定剤をやめてくれませんでした。

2.依存度の強さ
父が優しい器用な人でしたので、母は困ったことがあると(もちろんなくても)何でも父にやってもらっていました。
母は父の会社の経理をしていたので、今で言うキャリアウーマンの走り・・・会社の副会長とかもやっていた(まあ名目だけですが・・・)珍しい大正生まれなので、全く何もしないわけではないのですが、言われたことをやることはできますが、自分で工夫しない、面倒なことは大嫌い、要するに電球一つすら換えることができませんでした。
父はそんな母の為に得意分野の仕事を与え、厚生年金を得ることができ、自活できるに十分な準備をして亡くなりました。

『困った時は人に頼めばいい』と、何でも人にやってもらっていた母は、父が亡くなった後から、本当の試練の時がきました。けれど、その頃は回りに助けてくれる人がたくさんいたので、どうにかなっていました。
『同居は嫌、一人で暮らす』と宣言して頑張りました。
しかし、自分で筋道をたてて考え、自分で解決する、この過程に慣れていなかった母には、色々な認知症へのマイナス点がありました。

3.度重なる不運

(1)兄の会社が倒産
父が築きあげてき、兄が継いだ会社が多額な負債を抱えて倒産しました。母はその過程で、全てをものすごい速さで失って行く様を見ました。
この心の傷はとても大きく、認知症への第一歩の事件になったと思います。

(2)兄の家族が東京へ ・・・一人ぼっちに
近くに住んでいた兄の一家が大きな家も失い、もちろん会社も失い、東京へ来ました。
母の近くで声をかけてくれる人がいなくなりました。
このとき母も一緒に東京へ出ればまだ若かったのでいくらでも方法がありましたが、彼女の拒絶は強く、「今なら東京の生活に慣れて、楽しくやっていけるよ。歳をとってしまったら難しいから・・・」
と伝えましたが、どうしても動きませんでした。
東京へはしばしば遊びに来ていましたが、次第に意欲がなくなり来なくなってきました。
お正月に来なくなった辺から、彼女のお篭りが始まったような気がします。
話していても、変なことばかり言うので、よく私がイライラして、それを母が感じて癇癪を起こしてけんかになったように記憶しています。
この頃から少しずつ始まっていたのでしょうか。

ここからは、2年ほど前の出来事です。

(3)プールの出入りを断られたこと
父が亡くなってから、20年以上も続けていた水泳教室、後半の10年位はクラスに入らずに、自由会員になって泳いでいましたが、止める2年位前から泳ぎは止めて温泉のお風呂にだけ入りに行って、生活のリズムを作っていました。
「お母さん、何があってもプールへ行くのを日課にするんだよ」そのリズムが大切なことが分かっている私は、そう母に言い聞かせ、母もそれだけは聞いてよくやっていました。カートを押して歩いてプールまで行って、お風呂に入って、帰りにお買い物をして帰ってくる・・・

ある日、プールの経営者から電話が来て、「他の会員の方から苦情が出ているので、退会していただけないだろうか?」というものだった。母が尿漏れパッドをしていたことが原因だったらしい。

この事件のショックは、見事に母を襲いました。
母が目に見えておかしくなって行ったのはこの辺りからです。
それでも、普通に生活していたし、人に迷惑をかけたりすることはなかったと思います。
認知症という名前をつけられるところまでは行っていなかったでしょう。

(4)親しい人が亡くなったこと
近所の女性で、私より4歳ほど年上の方が、とても母を気にかけてくださり、毎日声をかけて時々食べ物を運んでくださったりしていました。介護保険の手続きも彼女がしてくれたお陰でできました。
彼女がいるので、ペットボトルの蓋を開けられない等の、困った時には、やってもらっていたので、安心していました。母も彼女には心を開き、感謝もしていました。
娘より好きだと言っていましたから・・・

けれど、その人が10ヶ月ほど家に篭ってしまいました。プツリと訪問が途絶え、姿を見せなくなってしまったのです。もともと躁鬱の激しい波があり、数年単位で入退院を繰り返していたのですが、ここ数年は元気でした。
母はとても心配して、おろおろしましたが、どうにもならず・・・しかし、ある朝数ヶ月ぶりに、突然母に挨拶に来て、その数日後に亡くなってしまいました。

この事件の後から、月1万円は出ていた母の電話代が基本料金以上になることがなくなりました。
気丈な母でしたが、この事件の傷は、病気としての認知症の一歩になったと思います。

この続きは次回に

2011年5月14日土曜日

オババ家に来る!

調度金曜日の授業が休講になったので、オババを家に連れてくる計画をたてた。
ホームに入ってから初めての訪問だ。

GW中、3日連続で私が行かなかった後の不安定な後遺症がやっと癒えてきたので、そろそろ新しい刺激を与えてみようと思った。

珍しく、「1時過ぎに迎えに行くから~」をいう台詞を覚えていて、と言ってもカレンダー二箇所に書いて、メモも大きな文字で残し、更に事務所にまで連絡しておいたから・・・、「これから迎えに行くよ」と電話した時にも驚いたような様子はなかった。
ホーム長さんが「朝から楽しみにしていらっしゃいましたよ」とおっしゃったので、
「へぇ~、覚えていましたか!」と私は感心して確認してしまいました。
良かった!

部屋に行くと、着る物が決まらずパニック状態。あれこれ引っ張り出して色々試して、先日東急で買ったカーディガンに決定!まるで泥棒が荒らしていった部屋みたいだ!
「こんな部屋人に見せられない」と言うので、片付けさせられた。相変わらず人使いが荒いオババ。私はいつも下女だ・・・しくしく
呆けていてもオババのセンスはなかなかだ!!下に着るブラウスと帽子を選んであげて、まあ小奇麗なオババになった。 (たまには朝顔を洗って、おしゃれもしてよ!どう、気持ちいいでしょ?)

車で10分くらいかな? 家に到着。
初めて見る家らしい。「何も覚えていない」と言っていた。
玄関も、いつも泊まっていたお部屋も、トイレも、居間も・・・・何も記憶にないらしい。
「ソラちゃん綺麗なお家に住んでいたんだね」と安心したらしい。(今まで何度来たのか分からんのに)

お茶して、庭に咲いたバラを切ってあげて、ホームに送り届けた。
「私はこれから何処へ帰るのだったかしら?」とさかんに言っていた。

ダイニングからちらほら見えるお隣の家のお庭をぼんやり見ながら、
「あそこにお年寄りがいたよね?もう死んじゃったかしら?」とボソッと呟いた。
「えっ?覚えているの?」ビックリして聞き返した。
「そんな気がしただけ・・・」
それだけがオババがここに来たことがあった証拠になった。記憶の断片がうっすらとまだ存在していたのか、偶然だったのか・・・?

「今何時?」
「もうすぐ5時になるかな」と答えると、
「あらもう、夕飯の時間だわ。急がなくちゃ」とお土産の靴下とお菓子とバラの花と花柄のトイレットペーパーを持って満足そうに帰って行った姿は悪くなかった。
食い気だけは救いだ!

少しでも幸せな記憶が戻ってくるといいね、おばあさん。

2011年5月11日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑩ 〜オババランチ

毎週水曜日はオババランチの日だ。
ホームへ行って、一緒にお昼をいただく。

いつの間にかオババはお食事を一緒にする人ができたようだ。
四人のグループで、オープンした初日から入っている古株の人々のグループだ。居住者の中でも極めて正常でしっかりしている3人の女性達だ。

そのうちの一人の方が、「今日は娘さんの来る日でしょ?場所を用意しておいたから一緒にいらっしゃい!」と迎えに来てくださった。何だか私もホームの顔になってきたのだろうか?
まあ、歓迎されないよりはいいかもしれないが・・・

一人の感じよい92歳のササオカさんは、以前ぬり絵でご一緒している。
母のことを面白いと快く思ってくださっているみたいで、母も彼女のところは好きなようだ。
何故なら「ともだち」と呼んでいるから。

もう一人のどこに居ても大きな話し声が聞こえるミウラさんは、頭もしっかりしているけれど、口も達者で、少し若い。大正15年生まれと言っていたから、85歳位だろうか?
オババはいい加減に聞いているので苦にならないが、いつも聞いている人は結構大変そうだ。けれど記憶もしっかりしているし、周りのことを全て把握している情報通で、話を聞いていると面白い。
もっともオババはそういうことに興味ないのであまり役にたたないのかもしれないが・・・
いずれにせよ、良いグループにいれていただいている。

3人目のヒグチさんはまだまだ若い大人しそうな控えめな感じの方で、今日はご自分の家に行かれていて留守だったので、私が代わりに座席に付くことができた。

オババはさばさばしたミウラさんに結構きついことを言われているのだが、何を言われてもあまり理解できなくて、気にしていないようなので、まあいいか!って感じだ。こういう時は悪意がなくて呆けているのもなかなか良いものだ。昔のオババなら癇癪を起こしているところだもの。
ササオカさんはオババより高齢なのにしっかりしていて言っていることが理解できるから、あまり何度もきついことを聞いていると頭が痛くなってしまうらしい。

情報通のミウラさんの入居者に関する情報は私の観察とほぼ一致していて・・・、けれどそんなにしっかりしたミウラさんでも足が少し悪いので、杖が必要なため一人の外出は許されていないらしい。入居者のなかでは3人しか一人で外出ができないと言っていた。そして内訳も私にはピッタリと分かった。
そんなだからオババには一人で外出などとても無理なのだが、瞬間しか分からない彼女はそれが不満で私に文句ばかりなのだ。私もいちいち気にせずに賢くならねば・・・

オババの認知症は少し進んでしまっている。来週から新しい薬の量が増える。
少しでも効果がでてくれると良いけれど、今思うと随分前から認知症は少しずつ少しずつ進行していっていたのだと思う。今回は2カ月で急激に悪化したのではあるけれど、実は何年もかかって今に至っているのだと思う。

それがよく分かった。 長い目で見ていかねばならない。

2011年4月29日金曜日

軽井沢も春


軽井沢にもやっと春がきました。





今までGWは東京でじっとしていましたが、今年は渋滞を心配する必要もないので、昨夜、夜遅くこちらにやってきました。

今日食料を仕入れにツルヤへ行ってきましたが、開店と同時にものすごい混雑で・・・どうしてこんなに人口が多いのか、あの大きな駐車場が空いてない! 真冬の静けさの後だったので驚きました。
我が家の庭にも春がきています。白と若芽の色がさわやか!



おばあさんには、軽井沢へ行ってくるからね、と言い聞かせてきましたが、いやに聞き分けが良かったので、意味が分かっていないかな? と少々不安です。
今回は少々長くおばあさんの所へ行かれないからです。
また、どうしてソラちゃんは来ないのかな?とパニクるかもしれないので、お兄さんに頼んできました。

おばあさんも、少しずつホームに慣れてきて、心の傷が癒えてきたので、今度は自立の方向へ、今の生活を依存せずに楽しめるように持って行かねばなりません。
今までは、私や兄が頻繁に行ってあげていたので、人々と接する必要がなかったことが彼女のソーシャライズを妨げていたような気がします。

私が帯状疱疹で苦しみ、頭、歯、耳の神経まで傷め本当に大変な思いをしたので、自分のことも考えないと長期戦は負ける、と実感できたのはとても良かったことだと思います。
これは戦い!
勝つためには戦略を練り、計画的にやっていかないとかないと必ず自滅します。

そのためにおばあさんを残して軽井沢へきました。
まず自分の健康を取り戻すこと。
そして、元気になったら、これからのことを考えましょう!
取りあえず、今日は好き勝手に過ごしましょう、何と久しぶりの感覚、フウ~

2011年4月21日木曜日

『木洩れ日の家で』と『somewhere』



久しぶりに映画を観た。

母の介護からくるストレスでとても疲れていたのと、Kzさんがオーストラリアへの出張で留守だったためだ。
気分転換をしたかった。

帯状疱疹の後、なかなか本調子になれない。
体がとてもしんどいのだが、更に母の心の状態が芳しくないので、その重さにつぶされたくなかった。

以前から気になっていた、『木洩れ日の家で』は、ポーランドの映画だが、とても素晴らしかった。91歳のおばあちゃんのお話で、一人で生き、死ぬ準備もしっかりしていく女性の生き様が描かれている。

私が今かかえている老人問題あるいは生きるということに直接関わってくるので、心の奥まで響いてきた。しかしとても爽やかだった。
映像も素晴らしい、ワンちゃんのフィラも最高!何よりも主演のダヌタ・シャフラルスカ(当時91歳、今も現役の95歳の女優さん)が輝いている。どうしてこんなにチャーミングなの?

『somewhere』は前評判の高いソフィア・コッポラの作品だが、これは今の私には「映画関係の人には絶賛されるだろう」あるいは「この主人公と共通の生ぬるい生き方をしている人には気持ちよく入っていく作品だろう」と思った。
感情移入ができるから。
スティヴン・ドーフもエル・ファニングも好演している。

でも、今の私の現実は、少々シビア過ぎた。
あんなことで悩んでいる人を受け入れる余裕がないのだ。
だからと言って、映画を観ている間だけでもその世界に浸っていたい~というほどの世界でもない。

11歳であんなに、父親に優しい娘がいるだろうか?
ああいう、現実をあんなに素直に受け入れている少女がいるだろうか?
日本人だから、父親と一緒のベッドに眠っている娘に違和感を持つのだろうか?
父親の肩に寄り添う娘が日本にどれくらいいるのだろう?

彼女の父親の偉大さが、そこに現れている特殊な世界なのか?
いや、また評価がそのうちに変わるだろう。

いずれにせよ映画は大好きだ。