2013年3月28日木曜日

『ペーパーバード幸せは翼にのって』 〜Pajaros de papel

スペイン語のお友だちにお借りしたDVD、やっと観る時間がとれました。
劇場に行こうと思っていたけれど、行きそびれていた作品です。



"Pajaros de papel"

スペインの内戦からフランコの軍事政権下のマドリッドを誇り高く生き抜いた芸人の姿を描く作品だ。
ホルヘとミゲル少年の姿が、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』に重なって困った。

フランコ、ナチス、ピノチェト・・・スペイン語の映画には軍事政権下での不条理を描いた作品が多い。

内戦で最愛の妻と息子を失ったcómico(コメディアン)ホルヘ(イマノル・アリアス)が、感情を失ってしまった状態から、相方のエンリケの支えとともに、いくら突き放しても慕ってくる戦争孤児のミゲルに芸を仕込みながら少しずつ心を取り戻して行く様子が心暖まる。

ホルヘの家族への愛に満ちたシーンは本当に愛に満ちていて素敵だ。父親ってこういうものなんだ〜と心底思わせる温かさに溢れている。
イタリア映画でもこういう父親の姿がよく描かれるが、ものすごく子供を大切にする。日本のお父さんって少し距離があるような気がするのだが・・・。
ファミリーのあり方って国ごとに違って面白い。

死を恐れていないホルヘは、心を隠さずに自己主張をするので軍に目をつけられ、結局は誤解のまま殺されてしまうのだが、この不条理さは、今の時代でも戦争とは別の心の戦争で起きていることなのだと思ってしまった。
けれど、彼は堂々と自分のまま毅然として生きているので、後味が悪くない。命を落としても心がスッとしたのは私だけだろうか?

戦争のない現在の日本でも、自由に発言でき、表現できるわれわれでさえも、人生は筋の通ることばかりではないし、自分の思いを通そうとすれば必ず障害が生じる・・・と現存する独裁者の姿がチラチラ浮かんで来た。

この映画はテーマとは別に、舞台の芸人たちの演技がとても素晴らしかった。それだけ観ていてもショーとして成り立つようなパーフォーマンスの見事さだった。

音楽、しぐさ、明るさ、芸人根性・・・『蝶の舌』のサックスの演奏のシーンなども思い出す。戦争下での笑いの大切さ、人の心に潤いを与えてくれる芸人たちの役割の大切さが伝わってきた。

最後に、エンリケとともにアルゼンチンに亡命したミゲルが老人になり、立派な芸人になった舞台のシーンで、彼がすっかりブエノスアイレスに馴染んでアルゼンチンの人になったことを、彼の話し方から感じた時は嬉しかった。
長年スペイン語を続けて来て、それがアルゼンチンのアクセントでしゃべっていることがスピーチので出しだけでとてもよく分かったからだ。(スペインで生まれたミゲルが、亡命後スペインに戻ることなくアルゼンチンで生き抜いたことが感じられた)

映画には小道具がたくさんある。
調度品や背景だけでなく、話し言葉のアクセントだけでかれが歩んで来た人生を表現してしまう瞬間は楽しかった。


2013年3月26日火曜日

『カラマーゾフの兄弟』 〜インプレッシブ!!

『風のガーデン』以来の印象的なテレビドラマだった。

私はドストエフスキーが自分の原点にあるので、今季のテレビ欄に『カラマーゾフの兄弟』を見つけたときに、「何と大それた!」と腹立たしく思いながら相手にもしなかった。

大作が映画化されて良かったためしがない!『原作で読んであるものは原則、観ない』人だった。(フォレスト・ガンプの映画は良くできていると思う)

普通興味があると第一回目は観るのだが、問題外で観ることを考えもしなかった。

仲良しのHさんは、映画通だし、映画の好みも良く合うのだが、彼女がある日
「カラマーゾフの兄弟観てる?とてもいいわよ」と教えてくれた。
「へえ〜、ほんと?軽率じゃない?私あの作品大好きなの、だから汚されたくなくて・・・」と答えた。

家に戻って、Kzさんに話して、フジテレビのオンデマンドでシリーズ視聴に登録した。

「が〜〜ん!!!」印象的だった。

丁寧に、注意深く、綿密に作られている。
作り手が作品をよく理解していて、恥ずかしくない仕上がりになっている。

舞台も時代も状況も全く違うのだが、一つの作品としてとても興味深く完成していた。
Hさんが「舞台を観ているみたい」と言っていたが、本当に演劇を同じ空気を共有しながら観ている感じだった。

イワンこと勲君が、私の原作からのイメージとはかなり違っていたが、追いつめられて行くに従って、どんどん研ぎすまされてきて、頬がこけて目がどんどん透明感を増して輝いてきて、まるで何かがのり移って来ているような印象さえ持った。

原作のイワンよりもっとピュアーでナイーブでむしろ原作で私が受けたアリョシャのイメージがミックスされている感じがして、それはそれで見事だった。

何度か作品は読んでいるのだが、歳をとってから読んでないので、もしかしたら読み違えているのかしら?と思われる点がいくつかあるので、もう一度新訳で読み直してみようかと思っている。
そうしたら、又コメントを書こう。

ところで役者さんがみんなこちらを引き込む程に真剣で役に成りきっていて、その空気が伝わってくるので、こういうのは大好きだ。

お父さんと、刑事さんは呆れるほどやってくれた。
演じていて気持ちよかったのではないだろうか?

市原君は魂が抜けなければいいが・・・燃え尽きないように祈りながら次の作品を期待している。
ミーチャの斉藤君は毒もピュアーもできる実力派、アリョシャの林君も作品によって別人!・・

番組が終わってしまって残念に思いながら、からすの鳴き声とローリングストーンズの"Paint it black"が頭を回って困る私だ。


2013年3月21日木曜日

認知症の特徴 〜不可解な言動と怒りには必ず理由がある

昨夜、母からいきなり電話が来て随分な勢いで怒っている。

「ソラちゃん、私何も食べないで帰って来た。ここの管理は変だわ。あんなゴミみたいなものしか食べさせないで・・・」
「どうしたの? 夕飯が何かおかしかったの?」
「おかしいも何も、もう他へ移るから、引っ越す準備して」ととても大げさに大事件のようにまくしたてている。私にはどうしてこの発想になるのか、甚だ不可解。

「お母さん、ホームを変えても同じよ。もう少し待ってみようよ。明日の朝ご飯も、お昼も変でそれが1週間続いたら考えてみましょう」
「・・・・」
「それにホーム変えたら、又1千万払わないとならないよ。もうお金ないよ」と言いながら、先日のSさんとの会話を思い出していた。あの数日前にも、ちょうど同じような声のトーンで怒りの電話がかかってきて同じようなことをまくし立てていたのだった。

これで3回目。しかも訴える内容が酷似している。

今までのパターンから、母はあまり根拠のないことでは怒らない。誤解にしろ何か小さな手がかりがあるはずだ。そう思わせる共通のメニューとか・・よく飲み込めない人の食事が出て、細かく刻んであったとか・・・

そこで仲良しの看護婦さんのMさんに
「昨日の夕飯のメニュー何でした?実はカクカクシカジカの訴えが合って、これで3回目。すごい怒り方で、こちらがビックリしてしまい。。。共通する何かがないかと悩んでいるところである〜〜」と相談してみた。

Mさんが言われるには、一度お食事が終わって、お部屋に戻り何らかの理由で再び食堂に戻って来られることがあり、その時に食堂へ入った途端に「今、食事に来たところ」とスイッチが入ってしまい、それなのにスタッフは無視して食事を出してくれない、薬もくれない・・・だから私は何も食べずに戻って来た!という現実に突き当たることになる。

みんなは母がすでに食事を済ませていることを知っているので、無視して一生懸命働いているから、「私の食事は?」と聞いても相手にしていられない。お薬も二度は出してくれないのは当然だ。
そこで彼女はプライドが傷つきカンカンに怒ってしまう。

だって、本人にしてみるとまだ『食べてない』のだから。

「それだ!!」私は妙に納得!
母の言動をつなぎ合わせると、つくづく思い当たってしまう。

ついに認知症が次のステージに行き、幻覚とか被害妄想の世界に突入かと思ったが、ただ『一瞬にしてお食事が済んでいることを忘れてしまった』だけと解釈しようと思う。

食事を待っているのに出してくれなかったら、怒るに決まっているから。
認知症とはそういうものだから・・・理由が分かって、気持ちをシェアしてあげられて良かった!と思う私でした。

余程おおらかな気持ちにならないと、自分の母親のこういう変化はつらいものです。


2013年3月13日水曜日

『マリーゴールドホテルで会いましょう』 〜The best exotic Marigold Hotel

マリーゴールド・ホテルで会いましょう

久しぶりの映画だ。『天地明察』以来だから劇場で映画を観るのは5ヶ月ぶりということか・・・

以前から観たいと思っていたが、なかなか時間が取れずにいた。今週で終わりだというので、見逃したら大変!と、慌てて観て来た。


ジュディ・デンチは大好きな女優さん。しわくちゃだろうが、太めだろうがすごい魅力だ。私もこんな迫力のある老人(?ごめんなさい)になりたいものだといつも思っている、理想の年輩者だ。
特に『ショコラ』のおばあさんは大好きだ。


マリーゴールド・ホテルで会いましょう そこにマギー・スミスときたら、『ラベンダーの咲く庭で』を思い起こすが、今回も見事な二人だった。

『八月の鯨』ではないが、出演者はじいさん、ばあさんばかりなのに何とキュートで素敵な映画なのだろう!
こんなに後味の良い映画は久しぶりだった。

インドの高級リゾートで老後の日々を楽しむために行ったはずのイギリス人男女7人だが・・・そこは高級リゾートになるはずのホテルのようだ。そしてそこで出会った彼らがそれぞれの人生の捉え方の中で何を見つけるか・・・

老後という言葉に値する彼らが、決して老後ではないむしろ新しい人生が始まる瞬間はたまらない。

一番わくわくしたのは、イギリスでは時間がかかり過ぎて歩けるようになる前に寿命が終わってしまうと、股関節の手術のためにわざわざ嫌悪丸出しの大嫌いなインドへ来たミュリエル役のマギー・スミス。

その偏屈ぶりの素晴らしさと、偏屈だからこそ生きて行くそのパワー・・・
彼女が車椅子から立ち上がり歩き始めた瞬間に取り戻す人生、よぼよぼのおばあちゃんがキラッと光ったプロの目でパソコンを叩き始める瞬間、そのしたたかで生き生きした姿への変身は、スカーッとして、"格好いいぜ、ばあちゃん!!"と叫びたい程気持ちが良かった。(実は拍手をしたかったほどだ)

還暦を過ぎた私は色々気を遣って生きて来た。
義務や束縛から解放され自分の人生を歩める日が来たら、、、とわくわくしている私である。

けれど、現実はオババの介護に子供たちの本当の意味での自立等、もう少し時間がかかりそうだ。
だからこんな映画があると、とても励まされて、気持ちが楽になる。

[余談]だが、日本の女性は肌がきれいなのだなあ〜とつくづく感じた。
外国の女性はたとえ女優さんでもしわくちゃになる。けれど、日本女性はおばあさんでもあんなしわが寄らない。
だから日本女性であるということだけでとても幸せなことなのかもしれない。

[余談その2]
Bunkamura最終週のせいか、13:50からの回は満席。
2〜3、空いていた席も、予告の時にすっかり埋まった。観客は比較的年配者が多く、ご夫婦で来られている方々もたくさんいた。

最近映画館がクローズする話をよく聞くが、まだまだ映画ファンはたくさんいると思うのだが・・・やはり私はこういう人の手で作った感じのする映画が好きだ。
どうか観客数だけで映画を判断せずに、ミニシアター系の質の高い映画をなくさないで欲しい。