長野にあった実家が更地になった。
私が生まれ育った家だ。
何度も建て直したけれど合計すれば70年以上家族の誰かが住んでいた家だ。
母がここ10年間東京のホームにいたため空き家になっており、もう戻れないであろうと判断した私はそろそろ処分をしようと考えていた。
今年2月母が亡くなったので思い切って売ることにした。
2020年9月3日木曜日
2012年10月14日日曜日
ひいおばあさんの話
今日はこれから、オババを囲んでのお食事会だ。
個室でないと文句を言うので、場所は吉祥寺の聘珍楼と決まっている。
思ったより寒いので、久しぶりの外出のオババには準備してきた洋服が薄手かもしれないと、迎えに行ってくれる義姉に他の候補をメールで連絡していた時、フッとオババの顔が浮かび、それが私のひいおばあさんであるしわくちゃで異様に小柄な長谷のばやん(おばあちゃん)の顔に重なった。*ちなみに母の田舎では、おばあさんはばやん、もちろんじやん(おじいさん)とやん(父)かやん(母)ねやん(姉)あんやん(兄)と呼ぶ。
私は以前にもどこかで書いたかもしれないが、母方の母の家(『長谷の家』と呼んでいる)の血を多分に引いている。しかし私の母方のおばあさんはオババを産んですぐに(オババ三歳の時)腎臓を痛めて亡くなってしまったので、写真しか知らない。
このおばあさんは葉萬枝さんと言って、おじいちゃんも母の叔父や叔母も声をそろえて、「ソラちゃんは葉萬枝さんにそっくりだね」と言う。
私は外では自分と似た人と会ったことがない。
私は子供の頃から真っ白で金髪だったので(日本人です、今は茶髪になりました)いつも「外人、外人!」といじめられて育ったのだが、この長谷の家に行くと私のように色白で髪の赤い人々がたくさん居るので、なんだかホッとしたものだ。そして、自分はここの血を引いた人間なのだとつくづく思うのだった。
母(オババ)は三歳で母親を亡くしているので、私のひいおばあさんである長谷のばやんは、母のことをとても気にかけていて、「母親がいないのは不憫だ」と自分の娘のように可愛がって育てられたらしい。葉萬枝さんは長女だったので、実際、当時は子だくさんだったから、ばやんの一番末の娘と長女の娘であるオババは歳の差がなく、一緒に姉妹のように育ててもらったらしい。
結局おじいさんは後妻さんをもらったので、その後はあまり口出ししなくなったけれど、だれかが母をいじめると旧家で権力のある長谷のばやんが容赦せずに命がけでオババをかばってくれたらしい。オババは疑問なく、自分をお姫様だと思っていたのだと思う。
そして、母もことがあると、直ぐに長谷の家まで泣きながらすっ飛んで行ったという。
このひいおばあちゃん、実にすごい人で、私は母はこのおばあさんに一番似ているのだと思う。90歳を過ぎて外見も似てきたが、特に気が強いところがそっくりだ。
もっともばやんの方がしっかり者で、気前が良く働き者で、正義感が強くて、母のように手抜きしてはさぼることばかり考えたりはしないけれど・・・。
ばやんは当時の人としては長生きで88歳まで生き大往生だった。
オババが結婚して私たちが産まれた後も時々、腰が90度に曲がって地面に顔がくっつくのではないかと思われるような姿勢で杖をつきながら孫娘である母の所にやってきた。背中には行商のような大きな唐草模様の風呂敷包みを背負い、胸でしばって棒のような細いがに股の脚がスカートの下で踏ん張っていた。(昔、東京ぼん太っていうお笑い系の役者さんがそんなスタイルで売っていたっけ)中には野菜やお米や色々なお土産がどっしり!
あんな小さな身体で、よくまああんな大きな荷物を背負えるものだと、つくづく感心するのだった。
その頃のばやんはもうしわくちゃで、腰は曲がっているし頭はキュッとひっつめて後ろで丸めているし・・・長野の市街地に住む私には、まだ小学校にも行かない子供ながらもとてもド田舎のみすぼらしい老婆に見えたものでちょっと格好悪く感じたのだった。(どう見ても典型的な漫画のモデルになれそうな、めぞん一刻のおばあさんみたいなイメージ)が、今の私にしてみると完璧な逞しい老人の姿で本当に後光がさして素敵だ。
豪快で正しくて心が広くて勇気があって、怒ると恐いけれど私にはいつもとても優しかった。
母が、若くて家を出てしまった私の娘をことのほか可愛がってくれる姿は、小さい時に母親をなくした自分にかけられた長谷のばやんからの愛情をそのまま彼女にあげているような気がしてならない。
『孤独』を分け合うことができて、その孤独を知っているから、いっぱいいっぱい愛してあげないといけないと思っているのだと思う。
この勇ましいひいおばあちゃんの曾孫娘である私も顔や体格は似ていないが多分に血を引いているような気がしないでもないのだが。
やはり隔世遺伝で行くと、母とばやん、娘のWの路線でつながりとても強力な遺伝子を受け継ぎ、私は早死にした色白で美人で薄幸だった、葉萬枝さんの劣性遺伝子の方をもらったのかも・・・
いずれにせよ長谷の一族は、こんなに気持ちのきれいな人々はいないと思えるほど心の穏やかな優しい家系なので、そちらの遺伝子を引き継ぎたいものだ。(例外が身近にいるけれど)
個室でないと文句を言うので、場所は吉祥寺の聘珍楼と決まっている。
思ったより寒いので、久しぶりの外出のオババには準備してきた洋服が薄手かもしれないと、迎えに行ってくれる義姉に他の候補をメールで連絡していた時、フッとオババの顔が浮かび、それが私のひいおばあさんであるしわくちゃで異様に小柄な長谷のばやん(おばあちゃん)の顔に重なった。*ちなみに母の田舎では、おばあさんはばやん、もちろんじやん(おじいさん)とやん(父)かやん(母)ねやん(姉)あんやん(兄)と呼ぶ。
私は以前にもどこかで書いたかもしれないが、母方の母の家(『長谷の家』と呼んでいる)の血を多分に引いている。しかし私の母方のおばあさんはオババを産んですぐに(オババ三歳の時)腎臓を痛めて亡くなってしまったので、写真しか知らない。
このおばあさんは葉萬枝さんと言って、おじいちゃんも母の叔父や叔母も声をそろえて、「ソラちゃんは葉萬枝さんにそっくりだね」と言う。
私は外では自分と似た人と会ったことがない。
私は子供の頃から真っ白で金髪だったので(日本人です、今は茶髪になりました)いつも「外人、外人!」といじめられて育ったのだが、この長谷の家に行くと私のように色白で髪の赤い人々がたくさん居るので、なんだかホッとしたものだ。そして、自分はここの血を引いた人間なのだとつくづく思うのだった。
母(オババ)は三歳で母親を亡くしているので、私のひいおばあさんである長谷のばやんは、母のことをとても気にかけていて、「母親がいないのは不憫だ」と自分の娘のように可愛がって育てられたらしい。葉萬枝さんは長女だったので、実際、当時は子だくさんだったから、ばやんの一番末の娘と長女の娘であるオババは歳の差がなく、一緒に姉妹のように育ててもらったらしい。
結局おじいさんは後妻さんをもらったので、その後はあまり口出ししなくなったけれど、だれかが母をいじめると旧家で権力のある長谷のばやんが容赦せずに命がけでオババをかばってくれたらしい。オババは疑問なく、自分をお姫様だと思っていたのだと思う。
そして、母もことがあると、直ぐに長谷の家まで泣きながらすっ飛んで行ったという。
このひいおばあちゃん、実にすごい人で、私は母はこのおばあさんに一番似ているのだと思う。90歳を過ぎて外見も似てきたが、特に気が強いところがそっくりだ。
もっともばやんの方がしっかり者で、気前が良く働き者で、正義感が強くて、母のように手抜きしてはさぼることばかり考えたりはしないけれど・・・。
ばやんは当時の人としては長生きで88歳まで生き大往生だった。
オババが結婚して私たちが産まれた後も時々、腰が90度に曲がって地面に顔がくっつくのではないかと思われるような姿勢で杖をつきながら孫娘である母の所にやってきた。背中には行商のような大きな唐草模様の風呂敷包みを背負い、胸でしばって棒のような細いがに股の脚がスカートの下で踏ん張っていた。(昔、東京ぼん太っていうお笑い系の役者さんがそんなスタイルで売っていたっけ)中には野菜やお米や色々なお土産がどっしり!
あんな小さな身体で、よくまああんな大きな荷物を背負えるものだと、つくづく感心するのだった。
その頃のばやんはもうしわくちゃで、腰は曲がっているし頭はキュッとひっつめて後ろで丸めているし・・・長野の市街地に住む私には、まだ小学校にも行かない子供ながらもとてもド田舎のみすぼらしい老婆に見えたものでちょっと格好悪く感じたのだった。(どう見ても典型的な漫画のモデルになれそうな、めぞん一刻のおばあさんみたいなイメージ)が、今の私にしてみると完璧な逞しい老人の姿で本当に後光がさして素敵だ。
豪快で正しくて心が広くて勇気があって、怒ると恐いけれど私にはいつもとても優しかった。
母が、若くて家を出てしまった私の娘をことのほか可愛がってくれる姿は、小さい時に母親をなくした自分にかけられた長谷のばやんからの愛情をそのまま彼女にあげているような気がしてならない。
『孤独』を分け合うことができて、その孤独を知っているから、いっぱいいっぱい愛してあげないといけないと思っているのだと思う。
この勇ましいひいおばあちゃんの曾孫娘である私も顔や体格は似ていないが多分に血を引いているような気がしないでもないのだが。
やはり隔世遺伝で行くと、母とばやん、娘のWの路線でつながりとても強力な遺伝子を受け継ぎ、私は早死にした色白で美人で薄幸だった、葉萬枝さんの劣性遺伝子の方をもらったのかも・・・
いずれにせよ長谷の一族は、こんなに気持ちのきれいな人々はいないと思えるほど心の穏やかな優しい家系なので、そちらの遺伝子を引き継ぎたいものだ。(例外が身近にいるけれど)
2012年9月9日日曜日
O型一族 〜A型嫁一人
私は全員O型のファミリーに嫁いだA型の長男の嫁だ。
血液型を信じるわけではないけれど、両親、夫、妹二人、弟、全員O型だ。
そして、もっと枠を広げると、下の妹のダンナさんも弟のお嫁さんもO型なので一族17人中12人がOで、残りの5人がA、つまり上の妹のダンナさんと娘、私と家の子供たち二人だ。
この中に居ると、血液型ってあるのかも・・・とつい思ってしまう。
金曜日から、軽井沢へ行っていた。
サンパウロから一時帰国中の下の妹の歓送迎会で、姑、妹二人、嫁二人の計5人の女子会。こういう組み合わせで何処かへ泊まりがけで行ったのは嫁いで35年以上になるが初めてだった。
姑の提案で日時を決定するまでは全て彼女が仕切っていたのだが、気が付くと切符を取ったり、お弁当を手配したり、道順を考えて待ち合わせの時間を決めたり・・・全部自分がやっていた。
長男の嫁ということもあるのだが、みんなが譲り合う傾向にあって自分で決めようとしないので、このままバラバラやっていたら、何も決まらず絶対何か起きてもっと厄介なことになると思いいつの間にか全部やっていた。
もちろん、何もかもスムーズに行き、OK! 楽しく終わった。
しかし、気が付くとホテルに着いてからも、何かを決めたり、部屋を出る時に鍵を持ったり、お食事中のお料理の説明をするのにおしゃべりの切れ間がなく困っている係の方を見かねてみんなを黙らせたり、帰りの車の手配をしたり、みんなが譲り合っていつまでも決めかねているお部屋の眠る場所を決めたり、忘れ物がないか最後のチェックをしたり・・・
「お姉さん、委員長タイプでしょう」と言われ、
「そういえば、いつもクラス委員してたわ〜」とみんなで大笑い。
みんなおっとりしていて善い人ばかりだし、あのまま成行き任せにしていても指定の新幹線に乗り遅れる程度のことしか起きないだろうが、、、A型長男の嫁の試練はまだまだ続きそうだ。
というか、このファミリーでの私の役割って『この大ざっぱさの中に潤滑油としてちょっと細やかな配慮をすること、何だか分からないけれど、お姉さんに任せておけば安心、全部うまく行く〜』みたいな信頼感なのかもしれない、とふっと思ったりした。
でも、問題は自分も性格的には全部やってもらってのんびりしていたいタイプだってこと・・・何でもやってくれる父の後を安心していつもくっついていた。これではもう一生どこへ行ってもお姫様気分でのんびりできないってことだろうか?
ああ、『リーガル・ハイ』の里見浩太朗さんみたいな執事が欲しい!
それにしても、やはり血液型ってあるのかも? あるいは単なる性格??
O型パワーはすごい!!
なかなか意義深い旅であった。
血液型を信じるわけではないけれど、両親、夫、妹二人、弟、全員O型だ。
そして、もっと枠を広げると、下の妹のダンナさんも弟のお嫁さんもO型なので一族17人中12人がOで、残りの5人がA、つまり上の妹のダンナさんと娘、私と家の子供たち二人だ。
この中に居ると、血液型ってあるのかも・・・とつい思ってしまう。
金曜日から、軽井沢へ行っていた。
サンパウロから一時帰国中の下の妹の歓送迎会で、姑、妹二人、嫁二人の計5人の女子会。こういう組み合わせで何処かへ泊まりがけで行ったのは嫁いで35年以上になるが初めてだった。
姑の提案で日時を決定するまでは全て彼女が仕切っていたのだが、気が付くと切符を取ったり、お弁当を手配したり、道順を考えて待ち合わせの時間を決めたり・・・全部自分がやっていた。
長男の嫁ということもあるのだが、みんなが譲り合う傾向にあって自分で決めようとしないので、このままバラバラやっていたら、何も決まらず絶対何か起きてもっと厄介なことになると思いいつの間にか全部やっていた。
もちろん、何もかもスムーズに行き、OK! 楽しく終わった。
しかし、気が付くとホテルに着いてからも、何かを決めたり、部屋を出る時に鍵を持ったり、お食事中のお料理の説明をするのにおしゃべりの切れ間がなく困っている係の方を見かねてみんなを黙らせたり、帰りの車の手配をしたり、みんなが譲り合っていつまでも決めかねているお部屋の眠る場所を決めたり、忘れ物がないか最後のチェックをしたり・・・
「お姉さん、委員長タイプでしょう」と言われ、
「そういえば、いつもクラス委員してたわ〜」とみんなで大笑い。
みんなおっとりしていて善い人ばかりだし、あのまま成行き任せにしていても指定の新幹線に乗り遅れる程度のことしか起きないだろうが、、、A型長男の嫁の試練はまだまだ続きそうだ。
というか、このファミリーでの私の役割って『この大ざっぱさの中に潤滑油としてちょっと細やかな配慮をすること、何だか分からないけれど、お姉さんに任せておけば安心、全部うまく行く〜』みたいな信頼感なのかもしれない、とふっと思ったりした。
でも、問題は自分も性格的には全部やってもらってのんびりしていたいタイプだってこと・・・何でもやってくれる父の後を安心していつもくっついていた。これではもう一生どこへ行ってもお姫様気分でのんびりできないってことだろうか?
ああ、『リーガル・ハイ』の里見浩太朗さんみたいな執事が欲しい!
それにしても、やはり血液型ってあるのかも? あるいは単なる性格??
O型パワーはすごい!!
なかなか意義深い旅であった。
2012年7月2日月曜日
夫の一族 〜長寿の家系
この週末は法事だった。
昨年80歳で亡くなった夫の父の末の妹、つまり私たちの叔母さんの一周忌だ。
叔母さんのお嬢さんが兄妹だけでやるということで、今回は甥である長男の嫁の仕事はなかったのだが、みんなご老体で直接法事に行くのでは大変ということで義父が前日妹弟夫婦をホテルに招待した。そこでのお手伝いは長男の嫁の仕事で、軽井沢にやってきた。
もうすぐ90歳になる義父は8人兄妹だったらしい。
今惣領をしているが、上に二人姉がいたそうで、早くに亡くなったらしい。
それから下から二番目の弟を水死事故で亡くしているそうだ。
よって今回は存命中の、義父の下の妹二人と一周忌の妹の下の弟をそれぞれカップルで招した。総勢8人。
ここで驚いたのが6人が80歳以上で、皆さま異様に元気だということだった。Kzさんの一族は長寿の家系なのかもしれない。
最近介護の話で盛り上がる友人たちの間で、一定の年齢を超えると、その人は多分強力遺伝子を持っていて、とても元気で長生きするという傾向があると話していたところだった。(特に生き残った大正生まれはすごい!らしい)
義父は実家の母の一つ下、母はカート無しではおぼつかない足取りだが、義父は現役会長さま。しかも全部自分の歯で、お肌つやつやで杖なしでスタスタ歩いている。みんなに60代に見えると言われるらしい(やばい、私たちと同年代ってことかい?)
義母も83歳なのに当然めちゃくちゃ若い。しかも自転車スイスイで好奇心旺盛の働き者、おまけに美人だ。
ところが、叔母さまたちも違わず、若くてエネルギッシュでびっくりした。
こうして並ぶと、あきれる程明るくお元気。
俳句を作りながら、畑を耕して(横浜から長野のご主人のご実家の畑に来る)頭と身体を両方目一杯使っていらっしゃる。もちろん時代にばっちり付いて行っている。
晶石で作ったサイマのお風呂でリフレッシュ!ピッカピッカのお地蔵さまみたいになって皆さまニコニコ顔でパワーアップしていた。私は完全に負けている。
お食事も美味しい美味しいと完食!
よくしゃべるし笑うし・・・ご夫婦とても仲良しだ。
皆さまの若さの秘訣はそんなところにあるのだろう。
Kzさんも一族の血を引いて長生きするだろうか?それとも苦労が多すぎて、一定の年齢に行かない方の劣性遺伝子だろうか?
いずれにせよ、みんな仲良く明るく楽しく暮らして行ってほしいものだ。
昨年80歳で亡くなった夫の父の末の妹、つまり私たちの叔母さんの一周忌だ。
叔母さんのお嬢さんが兄妹だけでやるということで、今回は甥である長男の嫁の仕事はなかったのだが、みんなご老体で直接法事に行くのでは大変ということで義父が前日妹弟夫婦をホテルに招待した。そこでのお手伝いは長男の嫁の仕事で、軽井沢にやってきた。
もうすぐ90歳になる義父は8人兄妹だったらしい。
今惣領をしているが、上に二人姉がいたそうで、早くに亡くなったらしい。
それから下から二番目の弟を水死事故で亡くしているそうだ。
よって今回は存命中の、義父の下の妹二人と一周忌の妹の下の弟をそれぞれカップルで招した。総勢8人。
ここで驚いたのが6人が80歳以上で、皆さま異様に元気だということだった。Kzさんの一族は長寿の家系なのかもしれない。
最近介護の話で盛り上がる友人たちの間で、一定の年齢を超えると、その人は多分強力遺伝子を持っていて、とても元気で長生きするという傾向があると話していたところだった。(特に生き残った大正生まれはすごい!らしい)
義父は実家の母の一つ下、母はカート無しではおぼつかない足取りだが、義父は現役会長さま。しかも全部自分の歯で、お肌つやつやで杖なしでスタスタ歩いている。みんなに60代に見えると言われるらしい(やばい、私たちと同年代ってことかい?)
義母も83歳なのに当然めちゃくちゃ若い。しかも自転車スイスイで好奇心旺盛の働き者、おまけに美人だ。
ところが、叔母さまたちも違わず、若くてエネルギッシュでびっくりした。
こうして並ぶと、あきれる程明るくお元気。
俳句を作りながら、畑を耕して(横浜から長野のご主人のご実家の畑に来る)頭と身体を両方目一杯使っていらっしゃる。もちろん時代にばっちり付いて行っている。
晶石で作ったサイマのお風呂でリフレッシュ!ピッカピッカのお地蔵さまみたいになって皆さまニコニコ顔でパワーアップしていた。私は完全に負けている。
お食事も美味しい美味しいと完食!
よくしゃべるし笑うし・・・ご夫婦とても仲良しだ。
皆さまの若さの秘訣はそんなところにあるのだろう。
Kzさんも一族の血を引いて長生きするだろうか?それとも苦労が多すぎて、一定の年齢に行かない方の劣性遺伝子だろうか?
いずれにせよ、みんな仲良く明るく楽しく暮らして行ってほしいものだ。
2012年3月17日土曜日
ぐたびりたぁ〜・・・!
うちの息子が何をするにもギリギリまでやらない理由が良く分かった。
父親からの遺伝だったのだ。
ダンナさんのKzさんは忘れ物の天才だった。
そしたら息子のKも同じ血を引いた。我が家には忘れ物の天才が二人居る。
そして、振り回されるのはいつも私だ。
Kzさんは今日からアメリカ出張。
深夜便で出発なので昼間お土産を買いに行ったり、準備ができた。しかし出発間際まで、大忙し。だって何も用意してないのだから。
急のアイロンがけや、あれやこれや、とにかく私はこき使われぱなし。
買い物は自分の物ばかりで、私の物は一つもない。先週行った時も同様。私の物は何もない。
ふん、いいさ、どうせ私はソラさんだだよ〜ん!
軽い夕食を済ませる途中で、「あれっ?定期がない」と言いだした。
家の中を可能性を求めて、探しまわった。コートに背広に鞄にピーターの前に・・・しかし、ない。
いつもは、この辺で私が見つけるのだが、今晩はない。
おはぎを食べると言うので、お茶をいれ、おはぎをお皿に、しかしない。
「昨日帰る時はあったの?」
「うん、あった」
「まあ、空港へ行く時の分は切符を買えばいいか」と言うので、
「おいおい、もし失くしていたら、被害甚大でしょ?スリとか・・・」とつっこむと
「定期でしょ、pasmoでしょ、icocaでしょ、それにsuica、スイカは1万円入れたばかりだし・・」
「そ、それって、そんなに暢気じゃいられないぜ」
大事件!
「こんなに探してないなら、じゃあ、コンサート会場?それとも鎌倉バスタ?」
「じゃあ、明日電話しておくね」
夜遅いから、明日という発想になったし、これから出発なので、明日という発想になったけれど、ここがKzさんの頭が柔らかいところ。(っつか、当たり前か!)
「今でもいいんじゃない?まだ店やってるよ」
そこで、まず文化会館へ電話。
「ピン・ポーン」あった!!
ロッカーへコートを預けた時か、コートを着る時に落としたに違いない。
彼は忘れ物だけじゃなくて、実は、落とし物も天才なのだ!
車で送るついでに、文化会館まで取りに行って、ギリギリ無事出発。
私はせっかくいれた茶も飲めず、家中探したり、ひっくり返したり、電話をしたり、交渉したり・・・とにかく働きっぱなしなのに、何故? 何故彼はしっかりお風呂にまで入って、出発して行ったの? どうしてどさくさに紛れてそれができるの?
文化会館へ行き、駅まで送って、家に戻った時「ぐたびりたア〜、、おはぎ食べよ!鈴懸のおはぎ。熱いお茶いれなおして・・・」とテーブルにやっと座ったら、「あらっ?どうして?いつちゃっかり食べちゃったの?」Kzさんのおはぎはすっかり消えていました。
うちのダンナ、やっぱただもんじゃない。
あの非常時に。
この調子だと、息子にもなんだかんだと振り回されそう、いや、もうすでに振り回されているか・・・気をつけよう、いつも痛い目に遭うのは私だ。
どさくさに紛れておはぎを食うくらいにシタタカにならないと、、、
遺伝子は怖いぞぉ〜〜!!
2011年11月16日水曜日
ぱなしのKz
私の夫のKzさんのエピソードは限りないが、本当に何と言うか・・・いい加減
最近目につくのは物忘れのすごさである。
特に何でも『やりっぱなし』は一日にいくつ羅列できるか、というレベルだ。
出張の朝は、大変早いので、私は朝ご飯を作ってから、へたへたとベッドに戻って寝てしまう。以前は車で駅まで送ったりとか、大変だったが今はそんなことがないので二度寝入りをするのだ。
いつも起きる時間になって、下に降りて行くと、「きゃ〜〜!」どの部屋も電気がこうこうと点いている。階段、玄関、台所、ダイニング、居間、トイレも・・・全部フルに点いているのだ。「無駄に明るい、非常に明るい」折角余分に眠ったのに、どっと疲れが出る。
更にテレビはもちろんつきっぱなし、裏庭に出るドアのロックはもちろんしていない。
幸いにも玄関のドアはOK!
あまりすごいので、やはりKzさんが出てから眠るようになった私。
戸棚からコップを出すと、戸棚が開きっぱなし、タンスも引き出しも開けっ放し、レンジの火は点けっぱなし、ステレオのスイッチは入りっぱなし、冷蔵庫のドアも開けっ放し、トイレの水は流さずしっぱなし(失礼!)、やりっぱなしのKzである。rip slymeになった気分でラップ調に歌いたい私。
おまけに最近は、会社に行きたくなくて、玄関で座りっぱなし♪
やれやれ・・・
そして私は、あまりのすごさに怒鳴りっぱなし・・・ありゃりゃ・・賑やかなこと!
2011年11月10日木曜日
台風娘帰国
我が家の長女はいつの間にか帰国したと思ったら、又いつの間にかシンガポールへ帰って行ってしまった。
でも、おばあちゃんに会ったし、多くの友人たちにも会ったみたいだし、同窓会や色々な会合に顔を出し、仙台や大阪や京都や東京でも色々な所を、つまり行きたい場所へは行って、日本を満喫して帰ったのだと思う。
驚いたのは、帰国当日にいきなり仙台へ行ったことだ。
まあ、後輩が東北大学で地震の研究をしているというから、彼女を訪ねて、震災の現状を自分の目で見て、多分海に向かって静かに頭を下げて・・・色々考えたのだと思う。
この子は小さな時から、自分で確認しないと気が済まない子だった。
レモンが酸っぱいのも、アイロンが本当に熱いのも、自分で確認した。
しかも注意している私の目の前で。
まだ二歳にもならない子が、お母さんが「熱いからね、あっちっちだよ。やけどするから絶対さわっちゃ駄目よ」と言えば、ニッコリして、「は〜い、あっちっち、こわいこわい」と言いながら母親の目の前で、人差し指をペちょっとなめて、私の顔をキラキラ輝いた大きな目でニコニコしながらじーっと見て、アイロンの底にピッと触った。「おぬし、侮れぬな!」その時そう思った。
直ぐに手を離したので、大やけどはまぬがれたが、大泣きした。
私は慌てて彼女を抱えて、台所へすっ飛び、水道水に浸した。もちろん、その後二度と同じことは繰り返さなかった。熱いものには気を付け、私の忠告は聞いた。熱いものは・・・
でも、レモンは別だった。
お料理に絞ってかけるためのレモンの切り身があった。いかにも美味しそうではあった。
「それ酸っぱいよ。しゅっぱいしゅっぱい」と言って私は口をすぼめた。「赤ちゃんがそのまま食べても美味しくないよ。」
「しゅっぱい、しゅっぱい」と言いながら、手がテーブルの上ににょきっと出た。そのアクションの速いこと!瞬間口の中に入れ、お味見をしてくださったのだ。ありゃりゃりゃ・・・
その時の顔は未だ忘れられない、赤ちゃんの味覚には大変厳しいものがあったのだろう。今までの最高傑作だ。そして、この世の物とも思えない恨みを全てそこに託して、怨念をこめてレモンを床に投げつけた。ペッ、ぺっ・・・
泣きながら本気でレモンを怒っていた。とても可愛らしかった。
その子が、ずっと自分の目で物を見て、自分の肌で感じ、空気を吸って生きている。
世界中を旅して、中国で暮らしたり、シンガポールで就職したり・・・そしてこの1月からはスイスでMBAスタート。
日本語、英語、中国語はペラペラ・・・そしてフランス語、スペイン語、オランダ語、多分ベトナム語やイタリア語もかなり分かるだろう。何処でも暮らせるに違いない。
『あっちっち』と『しゅっぱい』で自分で確認する、自分のことは自分で責任を持つ人生がずっと前からスタートしているが、これから先、今度は何を見て何を感じて生きて行くのだろう?
色々なことがあり、親離れが早すぎて寂しかったが、本当に逞しくて素敵な娘になった。
スイスの次は? 何処??
2011年9月29日木曜日
嬉しい知らせ
昨日の朝、シンガポールに住む娘のWkからメールが届いた。
この子は用事以外にメールをよこさないが、スイスのMBAに合格した通知だった。
シンガの今の会社に現地採用で入り、3年くらい経ったのだろうか?今度は勉強をしたくなったのだろう、MBAに挑戦だ。
もう30歳!
嫁にも行かず、いつまで続くのか、彼女の yellow brick road
『Ozの魔法使い』のドロシーの歩く道は、うちの娘にも敷かれているような気がする。
スイスの彼女が行くビジネススクールはすごい学校だ。
少人数制で国際色豊なハードで有名な、個性的なスクールで、世界でもトップクラス。そこで何を学んでくるのか、本当に楽しみだ。
彼女は18歳で家を出て、大学へ行きながら自活した。大学の学費だけは親が出したが、あとは全てバイトをして自力で、生活した。寝る間がなかったことだろう。その間にたくさん仕事をして、たくさん旅をして、ある日会社をやめて中国へ行った。
どうしてやめたのかわからないが、中国の学校でも、多分すごく勉強したのだろう。
昔からピアノをやっていたせいか、妙に語学のセンスがあった。うちのKzさんも言語に関しては、奇妙なセンスがある。すぐに使えるのだ。
息子のKもそうだ。
○○語、っていうと、うそばかりなのだか、その言語に聞こえるように音を出す特技を持っている。
全然うそばっかなのに、イタリア語に聞こえるし、韓国語に聞こえるし・・・でもスペインで暮したら直ぐにスペイン語をマスターしちゃったから、やはりみんな何かセンサーが働いている。
比べると私は、妙に堅苦しく、窮屈な勉強をながいことしているわりに伸びないような気がする。
音感は良いのだが・・・メロディーは一度聴いたら覚えてしまうが、歌詞は紙を見て歌っても覚えない。もしかしたら頭わりいのかな??
センテンスをイントネーションを含めて、かたまりでとらえる能力に欠けているような気がする。読めるし書けるのに、しゃべれない(泣) 長いセンテンスのオウム返しができない。
話しが横に逸れたが、彼女は私費で行く。自分で稼いで、自分で決めて・・・好きな道をどんどん進む。
ローザンヌはジュネーブに近いからフランス語圏、これでしゃべれる言語が又一つ増えるだろう。日常会話は上達の近道。だって一番生活に密着しているのだから。
もっとも大学で仏語やっていたから、スウィッチが入ればすぐに取り戻すだろう。
私でも、頭を切り替えると仏語からスペイン語に変わるから・・・いや、ちと、レベルが違うかな?
とにかく、親が窮屈に生きている分、子供達には存分に人生を楽しんで欲しい。
とはいうものの、二人ともかなり難儀な、苦労の人生なのだが・・・
できれば、ローザンヌの彼女を来年は訪ねたいなあ~(歓迎されないだろうけど・・・)
この子は用事以外にメールをよこさないが、スイスのMBAに合格した通知だった。
シンガの今の会社に現地採用で入り、3年くらい経ったのだろうか?今度は勉強をしたくなったのだろう、MBAに挑戦だ。
もう30歳!
嫁にも行かず、いつまで続くのか、彼女の yellow brick road
『Ozの魔法使い』のドロシーの歩く道は、うちの娘にも敷かれているような気がする。
スイスの彼女が行くビジネススクールはすごい学校だ。
少人数制で国際色豊なハードで有名な、個性的なスクールで、世界でもトップクラス。そこで何を学んでくるのか、本当に楽しみだ。
彼女は18歳で家を出て、大学へ行きながら自活した。大学の学費だけは親が出したが、あとは全てバイトをして自力で、生活した。寝る間がなかったことだろう。その間にたくさん仕事をして、たくさん旅をして、ある日会社をやめて中国へ行った。
どうしてやめたのかわからないが、中国の学校でも、多分すごく勉強したのだろう。
昔からピアノをやっていたせいか、妙に語学のセンスがあった。うちのKzさんも言語に関しては、奇妙なセンスがある。すぐに使えるのだ。
息子のKもそうだ。
○○語、っていうと、うそばかりなのだか、その言語に聞こえるように音を出す特技を持っている。
全然うそばっかなのに、イタリア語に聞こえるし、韓国語に聞こえるし・・・でもスペインで暮したら直ぐにスペイン語をマスターしちゃったから、やはりみんな何かセンサーが働いている。
比べると私は、妙に堅苦しく、窮屈な勉強をながいことしているわりに伸びないような気がする。
音感は良いのだが・・・メロディーは一度聴いたら覚えてしまうが、歌詞は紙を見て歌っても覚えない。もしかしたら頭わりいのかな??
センテンスをイントネーションを含めて、かたまりでとらえる能力に欠けているような気がする。読めるし書けるのに、しゃべれない(泣) 長いセンテンスのオウム返しができない。
話しが横に逸れたが、彼女は私費で行く。自分で稼いで、自分で決めて・・・好きな道をどんどん進む。
ローザンヌはジュネーブに近いからフランス語圏、これでしゃべれる言語が又一つ増えるだろう。日常会話は上達の近道。だって一番生活に密着しているのだから。
もっとも大学で仏語やっていたから、スウィッチが入ればすぐに取り戻すだろう。
私でも、頭を切り替えると仏語からスペイン語に変わるから・・・いや、ちと、レベルが違うかな?
とにかく、親が窮屈に生きている分、子供達には存分に人生を楽しんで欲しい。
とはいうものの、二人ともかなり難儀な、苦労の人生なのだが・・・
できれば、ローザンヌの彼女を来年は訪ねたいなあ~(歓迎されないだろうけど・・・)
2010年11月14日日曜日
でっかい靴
朝起きたら、玄関にデッカイ靴があった!
『おっ!とうとう来たな!』
息子の部屋をのぞいたら、洋服を着たまま枕を抱っこしてぐっすり眠っている。
もしかしたら帰るかもしれないと言っていたが、ここのところ全部つぶれているので、多分今回もつぶれるな?と思っていたら予想に反してやってきた。
今年の4月に名古屋赴任、夏に一度戻って来たが、その後は忙しい日々が続いている。
眠る間がないが口癖になっているくらいだ。毎日2時3時の帰宅らしい。
これではお嫁さんをもらっても逃げて行く。
12時になってお昼を作ったが起きない、1、2、3、、、、4時・・・何時間寝たのかな?
ついに起きてきて、
「家は良く眠れるね~、朝、暖房のない部屋に戻ってきて寒くないんだから快適、快適!」と言う。
彼は4月から住宅メーカーに勤めている。
今住んでいるこの家なら良さを十分に知っているから嘘をつかずに自信を持ってお客さんに薦められる、と就職先にスウェーデンハウスを選んだ。
「全然気がつかなかったけど、いつ帰ってきたの?」
「朝、昨日の夜はみんなで集まってしゃべっていた」
そうか、恒例のパターンだ。
スペインから日本に帰国したときだって変わらない。名古屋でもスペインでも同じだ。
帰ってくれば友だち、友だち。
取っておいたおばあちゃんお手製のいくらのお醤油漬けで、朝ごはんかお昼かもしかしたら夕飯?をお腹一杯食べてお風呂に入って又友達に会いに出て行った。
12時過ぎに戻って来て、ハーブティ飲みながらKzさんと少しおしゃべりして、翌朝もぐっすり眠って、「ああ、眠り足りない~」と言いながら、前の夜にたっぷり作ったロールキャベツを
「これから友だちとランチ食うから、一個でいいよ」と言いながら、「やっぱり旨い、もうひとつ・・・」
と結局3個食べて名古屋へ戻って行った。
「あっ、冬物出しておいたから送っておいて!」って。
私は何だ?
多分眠りに帰って来たのだろう。
何か平和なほのぼのとした時間だった。
二人のおしゃべりも止まらない。
『おっ!とうとう来たな!』
息子の部屋をのぞいたら、洋服を着たまま枕を抱っこしてぐっすり眠っている。
もしかしたら帰るかもしれないと言っていたが、ここのところ全部つぶれているので、多分今回もつぶれるな?と思っていたら予想に反してやってきた。
今年の4月に名古屋赴任、夏に一度戻って来たが、その後は忙しい日々が続いている。
眠る間がないが口癖になっているくらいだ。毎日2時3時の帰宅らしい。
これではお嫁さんをもらっても逃げて行く。
12時になってお昼を作ったが起きない、1、2、3、、、、4時・・・何時間寝たのかな?
ついに起きてきて、
「家は良く眠れるね~、朝、暖房のない部屋に戻ってきて寒くないんだから快適、快適!」と言う。
彼は4月から住宅メーカーに勤めている。
今住んでいるこの家なら良さを十分に知っているから嘘をつかずに自信を持ってお客さんに薦められる、と就職先にスウェーデンハウスを選んだ。
「全然気がつかなかったけど、いつ帰ってきたの?」
「朝、昨日の夜はみんなで集まってしゃべっていた」
そうか、恒例のパターンだ。
スペインから日本に帰国したときだって変わらない。名古屋でもスペインでも同じだ。
帰ってくれば友だち、友だち。
取っておいたおばあちゃんお手製のいくらのお醤油漬けで、朝ごはんかお昼かもしかしたら夕飯?をお腹一杯食べてお風呂に入って又友達に会いに出て行った。
12時過ぎに戻って来て、ハーブティ飲みながらKzさんと少しおしゃべりして、翌朝もぐっすり眠って、「ああ、眠り足りない~」と言いながら、前の夜にたっぷり作ったロールキャベツを
「これから友だちとランチ食うから、一個でいいよ」と言いながら、「やっぱり旨い、もうひとつ・・・」
と結局3個食べて名古屋へ戻って行った。
「あっ、冬物出しておいたから送っておいて!」って。
私は何だ?
多分眠りに帰って来たのだろう。
何か平和なほのぼのとした時間だった。
二人のおしゃべりも止まらない。
2010年10月20日水曜日
(紛失物合戦) 後日談
電話が鳴った。
オババ 「あのね、あったんだよー (無くなった化粧品のこと)、お父さんの仏壇の横に。ちゃんとあって、ビックリしちゃった!」
と、どうしてそんな所にあるのか、全く不思議って感じ。
(心の声) そんなこったろう、って思ってたよ。
オババ 「どうしよう、東急の人にあっちこっち捜してもらっちゃったんだけど」
(心の声) その前に自分の家の中を探せっつうの。普通まず自分を疑うだろうが!
私 「むむむ」
オババ 「このまま、黙っていようかねえ」
(心の声)んなことできるわけねーだろう!
私 「それは、駄目よ。今日はもう遅いから、明日の朝ちゃんと電話して、斯々然々で見つかった、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでしたねえ、と言いなさい。照れ臭かったら、どうもそそっかしくて、わっはっはとか言って誤魔化しとけばいいよ」
オババ 「格好悪いねえ~」
(心の声)自分のまいた種だろうが。
私 「確かに格好悪いねえ、でも謝らない方がもっと格好悪いよ。
気が楽になるから、頑張って謝っちゃいな。
今度東急へ行った時におネエさんに何か心ばかりの品届けておくといいよ」
オババ 「そうだね、そうするね。でも、、、言わないでいるわけに行かないかねえ?」
と、いかにも逃げ切りたいようすで確認する。
私 「行かない!」
あわよくば、私に謝らせようという魂胆見え見え、全く気付かない振りの私。
妙に神妙なオババであった。
心配は明日の朝、事件があったことすらも忘れている可能性が大だということ。
やれやれ、私の心配は尽きない。
ところで、Kzさんのドルはどうなったのかしら?
こちらの記憶もかなり怪しい。
オババ 「あのね、あったんだよー (無くなった化粧品のこと)、お父さんの仏壇の横に。ちゃんとあって、ビックリしちゃった!」
と、どうしてそんな所にあるのか、全く不思議って感じ。
(心の声) そんなこったろう、って思ってたよ。
オババ 「どうしよう、東急の人にあっちこっち捜してもらっちゃったんだけど」
(心の声) その前に自分の家の中を探せっつうの。普通まず自分を疑うだろうが!
私 「むむむ」
オババ 「このまま、黙っていようかねえ」
(心の声)んなことできるわけねーだろう!
私 「それは、駄目よ。今日はもう遅いから、明日の朝ちゃんと電話して、斯々然々で見つかった、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでしたねえ、と言いなさい。照れ臭かったら、どうもそそっかしくて、わっはっはとか言って誤魔化しとけばいいよ」
オババ 「格好悪いねえ~」
(心の声)自分のまいた種だろうが。
私 「確かに格好悪いねえ、でも謝らない方がもっと格好悪いよ。
気が楽になるから、頑張って謝っちゃいな。
今度東急へ行った時におネエさんに何か心ばかりの品届けておくといいよ」
オババ 「そうだね、そうするね。でも、、、言わないでいるわけに行かないかねえ?」
と、いかにも逃げ切りたいようすで確認する。
私 「行かない!」
あわよくば、私に謝らせようという魂胆見え見え、全く気付かない振りの私。
妙に神妙なオババであった。
心配は明日の朝、事件があったことすらも忘れている可能性が大だということ。
やれやれ、私の心配は尽きない。
ところで、Kzさんのドルはどうなったのかしら?
こちらの記憶もかなり怪しい。
紛失物合戦 〜健忘症 vs 認知症
あっちでも、こっちでも、やたらと物が無くなる。
まずは、我が夫Kzさん、この人は忘れ物の名人だから、物が無くなるのは日常茶飯事。
私はちっとも驚かない。
今日はアメリカ出張当日。
午後には出ないといけないのに、準備がなかなか終わらない。
前の夜遅くまでi-tunesをいじくってipodに入れて持っていく曲なんかを選んでいたからいけないのだ。
私のitunesまでチェックして、これいいねえ、あれいいねえ~とやっているから・・・。
まあ、これはいつものこと。
本も、買ってまで持って行く。
それなのに、大事なものは後回しのぎりぎり男。
今日は、何とドルが見つからない。
あったはずの、ドルが・・・いやいや、これもいつものこと。
昔はお金が無くなったら息子のせいにしておけば良かったが、今はよそにいるからそうはいかない。
で、可能性ある場所は全部見たけれど、結局見つからなかった。
やれやれ・・・これも最近の良くあること。
まあ、この間はパスポートが見つからなかったから、これよりは良い!
さて、やっと出発したのでホッとして一息ついていたら、
今度は長野のオババから電話。
「今、東急から帰ってきたら、折角買ってきた化粧品がない」という。
この人はいつも婿殿と張り合っているのだ。
88歳にもなって、ディオールを使っているツワモノで、手押し車を押して歩いている。
手押し車のバッグの中に入れておいたのに全て消えたらしい。
多分食料品を買ったときに入れなおすために出して、そのまま置いてきたのだろう。
そんなことは、この人にとったら朝飯前だ!
この前は、家に戻ってきたら、「買ってないお弁当が入っていた」と大騒ぎ。
レジで隣の人のを入れてきてしまったらしい、と言っていたから・・・
あっちでもこっちでも、「○○がない」と私に言う。
そして、それを捜すのは私の仕事。
どうして人の紛失物を私はいつも捜さねばならないのだ?!
だから、オババに「どうなった?出てきた?」と電話するのは止めよう。
「長野まで捜しに来い!」と言われかねないのだから。
まずは、我が夫Kzさん、この人は忘れ物の名人だから、物が無くなるのは日常茶飯事。
私はちっとも驚かない。
今日はアメリカ出張当日。
午後には出ないといけないのに、準備がなかなか終わらない。
前の夜遅くまでi-tunesをいじくってipodに入れて持っていく曲なんかを選んでいたからいけないのだ。
私のitunesまでチェックして、これいいねえ、あれいいねえ~とやっているから・・・。
まあ、これはいつものこと。
本も、買ってまで持って行く。
それなのに、大事なものは後回しのぎりぎり男。
今日は、何とドルが見つからない。
あったはずの、ドルが・・・いやいや、これもいつものこと。
昔はお金が無くなったら息子のせいにしておけば良かったが、今はよそにいるからそうはいかない。
で、可能性ある場所は全部見たけれど、結局見つからなかった。
やれやれ・・・これも最近の良くあること。
まあ、この間はパスポートが見つからなかったから、これよりは良い!
さて、やっと出発したのでホッとして一息ついていたら、
今度は長野のオババから電話。
「今、東急から帰ってきたら、折角買ってきた化粧品がない」という。
この人はいつも婿殿と張り合っているのだ。
88歳にもなって、ディオールを使っているツワモノで、手押し車を押して歩いている。
手押し車のバッグの中に入れておいたのに全て消えたらしい。
多分食料品を買ったときに入れなおすために出して、そのまま置いてきたのだろう。
そんなことは、この人にとったら朝飯前だ!
この前は、家に戻ってきたら、「買ってないお弁当が入っていた」と大騒ぎ。
レジで隣の人のを入れてきてしまったらしい、と言っていたから・・・
あっちでもこっちでも、「○○がない」と私に言う。
そして、それを捜すのは私の仕事。
どうして人の紛失物を私はいつも捜さねばならないのだ?!
だから、オババに「どうなった?出てきた?」と電話するのは止めよう。
「長野まで捜しに来い!」と言われかねないのだから。
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