2013年1月24日木曜日

予防接種した人もインフルエンザにかかる

ここ三年間、毎年タミフルのお世話になっている。

もっとも最初の二年は夫のインフル(最初は新型で大騒ぎだった頃の新型、次は予防接種したにもかかわらずA型)で、主治医が私の特異体質を心配して絶対に移っているからということで予防的に飲んだので、あの体調の悪さは経験してない。

今年は、全く心構えなしにやってきた私自身のインフルエンザ。
覚悟してなかったので隙をつかれた形になった。

数日前の夕方、突然主人の母からの電話で
「ソラちゃん、普通の具合悪さじゃない。体中痛くて・・・家に一つも風邪薬ないから何か持って来て」
と言われ、家捜ししてみつけたベンザブロックを届けた時だった。

ほんの小一時間滞在して簡単な食事の準備と様子のチェックと、薬を飲ませて帰って来ただけなのに、多分強力な感染力だったのだろう2日後の夜から喉の右側だけが妙に痛くなり始め、いきなりひどい咳が出始めた。熱はない。

それまで風邪っぽさが全くなかったので、妙な気持ち。
しかし義母がインフルエンザと判明したこともあって、『もしかしたら移っちゃったかな?』という気持ちはあった。
しかし咳だけで熱が出ない。せいぜい微熱。
調子の悪さは尋常ではない。

『いきなり40度近くの高熱が出るのがインフルエンザ』と思っていたから判断に迷った。
翌日の夜、体中が痛いのなんのって、帯状疱疹を思い出す痛みで、頭が割れそうだった。一晩中苦しんだ。それでも37度8分・・・主人の母のこともあるので、病院へ行った。

判定:「A型インフルエンザ陽性です。」

今年は実家の母の介護の問題があるので予防接種をしてあったのだが、去年のKzさん同様それでもかかってしまった。これは接種前から言われていることなので仕方ない。

しかし高熱にならなかったのは多分予防接種のお陰で、症状も幾分軽いのだと思う。

けれど、いきなり高熱にならないから判断に迷うし、37度台では普通の風邪と思って人に移してしまうこともありうると思った。

念のためネットで「高熱にならないインフルエンザ」も存在するのか調べてみたらこれが結構あるので、ホームの母に移したら大変!と思って病院へ行く決心がついたのだが・・・

急に高い熱の方が分かりやすいし、身体が戦ってウイルスが死ぬ可能性も大きいような気がするが・・・人に感染させる可能性などを考えると、予防接種が良いのか考えてしまう。接種のコメント欄に、『接種をした人は高熱にならないインフルエンザが発症する可能性もあります』、と書いておいて欲しい気がします。

しかし、久しぶりに体験したこの具合悪さは普通ではないし、老人はこれで命を落とす可能性も大きいと思う。それを思うとやはりお年寄りは多少リスクがあっても予防接種をしておいたほうがよいだろう。
うちの母もいつも副作用で本物の風邪を引いてしまって、結構体調を崩すのだが、今年はホームで集団生活のこともあり、それでもやっておこうということで接種した。数日後から相変わらず、鼻水出して咳をしていたが、重くはならなかった。

本物にかかるよりは・・・とつい思ってしまう。本当につらいから。

風邪の季節をどう乗り切るか〜?
今まではあまり気にならなかったが母の介護の問題を考えると、今週行けないことで又どんな影響があるか悩ましいところだ。

2013年1月19日土曜日

フリオ・コルタサル『南部高速道路』 〜大雪の日の高速にご用心!

2013年の幕開けは色々大変です。

池澤夏樹さんが編集した世界文学全集の短編コレクションに、南北アメリカ、アジア、アフリカの傑作20編というのがある。



とても面白い短編集で、本当に秀作ばかりが載っている。
その本の第一作目が、このブログのタイトルになっている、フリオ・コルタサルの『南部高速道路』

原作は Antología "Los mejores relatos latinoamericanos" という錚々たる作家によるラテンアメリカの傑作短編集にも載っている。


タイトルは、"La autobista del sur"  作者は、Julio Cortazar

高速道路の渋滞から始まって、運転している人々は高速の中で少しだけ進むのだがほとんど足止めをくう。
その足止めが、延々と続き、うだるような真夏から、雪が降る季節にまで及ぶ。信じられない長さの足止めなのだが、不思議なことに人々は高速の中でコミュニティーを作り始め、一種の社会ができあがっていく。
みんなは工夫し、助け合い、時には自分勝手な人々やエゴが出たり・・・
その人間模様が面白い。

数年前にパトリシア先生のクラスでやった、映画『バスを待ちながら』("Lista de espero")というキューバ舞台の素敵な作品にもスケールは小さいけれどなかなか来ないバスを待ちながら共通した世界が出来上がっていた。
ラテンアメリカ系の作品にはそう言う現実と夢の堺目がないような奇妙な世界がよく描かれる。

ところが、先日の大雪で私はまさにこの『南部高速道路』の世界の体験をした。

当日新潟から帰る車の中で、(我が愛車ニナちゃんははまだ新車で雪に備えた四駆のスタッドレスで雪道なんかなんのそのなのだが・・・)途中で高速が閉鎖になり、「ここから外へ出て下さい〜」という指示のもと、鶴ヶ島のICで下ろされてしまったのだ。
そこから先ですでに高速の中でスタックしていた車はどうなったのだろう?

鶴ヶ島なんて降りたことも行ったこともないので、方向も分からない上、車は全く先に進まない。

結局全行程8時間かけて無事家にたどり着いたのだが、その間、ずっと私はこの作品のことを考えていた。
何故かと言うと、家のX3は全く問題なく雪道でも山道でも進めるにもかかわらず、身動きが全く取れない状態への苛立ち、路肩を通って追い越すこともできないもどかしさ、道を塞ぐスリップした車、、、雪が降っただけでこんな閉ざされた世界になるのか!と。

世界が変わって見える、驚き。

高速を降りた後も、知らない土地をカーナビ頼りにノロノロ進みながら、普通の街の中なのに雪山の中で遭難したような心細さに覆われ、全く違って見える先に進めない道路は、「雪がやむまでその辺でお茶でもしていたら?」などという気持ちにさせてくれない恐怖心と、永遠に家に着かないのではないだろうか?という不安感に襲われる不思議な世界があった。

作品を読んでいる時は、むしろ退屈だったのに、こんな体験中に思い出させる、この作品のパワーに・・・文学のすごさに驚いた新年早々の私でした。




2013年1月10日木曜日

2013年 遅ればせながら、新年です!



今年の年賀状用Kzさんのお作は、奈良東大寺の金剛力士像(法華堂)です。

去年の作品とはうって変わって、むんむんと内に秘めたオーラが伝わってきます。

私の去年の抱負は、『気分転換を上手に!』
あの状況をどうにか乗り切ることが目的だったようですが、色々やることを減らしたりして自分の許容量を調整しました。

多分それがうまくいったのでしょう、大分元気になりました。
母のこともどうにかこなせるようになり、自分なりにペースができたと思います。

ただし、まわりで起きていることが色々あって実にしんどいので、今年ももう一度、気の入らない力を抜いた抱負:

無理をせずに! まず自分を立て直し、それから再生スタート!』

去年は平行線、現状維持がやっとだったので、今年は少しだけでもエネルギーレベルが上向きになるといいな、と思っています。




2013年1月9日水曜日

認知症の特徴 〜寂しさとプライドコントロール〜

久しぶりにオババが爆発した。

ここのところ穏やかだったのだが・・・
今日のお昼近く、
「ソラちゃん、直ぐ来て。私、具合悪くて。こんなに具合悪いのにお風呂に入れって言うの。自分の身体は自分が一番よく分かるから入れないって言ってやった」
すごい勢いで怒鳴り散らしている。

どうも大げんかをした雰囲気だ。
でも声は出ているし、しゃべれるからまだ大丈夫とみた。

「うん、今日はもう少ししたら行くよ。これからお昼食べて直ぐ行くから待っていてね」
「え〜、直ぐ来てくれないの。具合悪くて・・・」
「看護婦さんに言ったの?」
「あんな看護婦だめよ、何も看てくれない。お風呂に入れなんて、とんでもない」と言いながら咳こむ。(実際はきちんと看てくれている)
が、かなり痰がからんだ深い咳をしている。

正月早々喘息の兆候が出て、大騒ぎ。
5日の夜にホームから電話が来たので、翌朝行ってみるとゼロゼロ言っているが、まあ持ち堪えそうだ。対処が早かったので多分ひどくならないで発作の手前で済みそうだった。

そして今日は9日。
すっかり鼻声になって風邪が併発しているようだから、なかなか全快しない。

多分体調が悪いから虫の居所が悪く少し気が立っているのと、車椅子などがもどかしくてストレスになって仕方ないのだろう。タンスの洋服をいじったと怒りながら、お風呂のことで看護婦さんと大げんかして、困らせて、興奮して咳込みながらあまり具合悪いと言うので、先生を呼んだらしい。

まあ、私に言わせるとけんかするくらいの元気があれば大丈夫!
人間本当に具合悪ければけんかなんかできないのだから。

先生にステロイド系の薬を処方してもらい、面目は保たれた。それに恐れ多くも、先生がわざわざ往診して下さったということで、大事になってしまい、きまり悪く思ったらしい。すっかり愁傷な顔をしている。

今回の喘息騒動は、多分無意識に寂しさが影響していたのだと思う。

昔から辛かったり我慢することがあると必ず喘息の発作の出る人だったから・・。
もしかしたら自分で発作を起こしているの?と疑いたいこともあった程だ。

と言うのも、元旦に新年と誕生日の挨拶にオババを訪問し、翌日の夜遅くには主人の一家が軽井沢で年越しをしているので、私たちも合流し挨拶に行かねばならなかった。何しろ旧家の長男だから大変なのだ。

よって、毎週水・木と必ず母を訪問していたのに、火曜日に訪問したきり、4日間誰も行けなかったことになる。一日待てば兄たちが来るのだが、そこまでの知恵がない。

多分このように日にちが開くことはまずないので、寂しくて仕方なかったのだろう。無意識のうちにそれがストレスになって発作の前兆が出たのだと思う。

この人はこういう人なのだ。
だから私は何をおいても、水・木は訪問するリズムを壊さないようにしていたのだが・・・
「いいよ、ソラちゃん。年末年始は何かと忙しいからね〜お客さんもあるし・・・」と快く応じてくれたのを真に受けた私が迂闊だったか?
みなさんに、「ソラちゃんが来ない、ソラちゃん来ない」と訴えていたらしい。
ノートを見たスタッフが
「ソラさん、軽井沢って書いてありますよ」と言ってくれ、納得していたらしいが。

ここで、認知症の人の、心の落着きを保つためには:

1.できるだけ規則正しいリズムを作ってあげて、それを崩さないこと。
 *それによって、曜日とか時間に興味を持たなかった人にある種の時間の単位が生まれることになり、それは正常に生きる為にとても大切なものになる。
 *習慣化することにより、決まった動作ができるようになったり、待ったり、楽しみにしたりする感情が生まれる。

2.感情を傷付けたりプライドを傷つけたりしないで相手を尊重すること。そして、時々誉めてあげること。
 *信頼関係がうまれ、これが母には一番大切な接し方だと思う。自分を良く思っていない人や口先だけの人に対する反応は鋭くて、ビックリ!直ぐに見抜く。

3.正直に接し、間違っていることはきちんと説明してあげて正してあげること。
 *これによって、母は自分が道にはずれていないことを認識して、胸を張って存在できることになる。プライドが高いので間違ったことはしていないという自信を持っていたいのだ。入居当時と比べて、むしろ正常な判断ができるようになっているような気がする。

ホームの人は、母の状態が記憶は別にして、認知症的にはむしろ快方に向かっているような気すらする、と言って下さるのだが、とても珍しい例のようだ。
私も悪化しているとは思えないのだ。

ホームの人々の母の尊厳を守って下さる接し方と、家族がいつも訪問し寂しい思いをさせないことが効果を上げているように思える。
あるいは、うるさい娘のソラさんがしょっちゅう行ってみんなに挨拶して仲良しになっているせいかも・・・なんて思ったりしている。


2013年1月7日月曜日

『母の遺産』新聞小説 〜水村美苗



目の回るような年末年始の日々の合間、軽井沢で前述のダイヤモンドダストを見ながらホッと一息した時に読んだ作品。

この作品は、読売新聞で2010年の1月から2011年4月まで連載されたものである。

私が、信州に住む母の様子に色々な変化が生じたため、頻繁に長野を訪れるようになった頃から、最悪の状態になった母を東京の私の家の近くのホームに迎えて慣れるまでの間、必死で認知症の亡霊と格闘している頃までが丁度その時期に当たった。

何しろ母を迎えて11日後に大きな地震があったのだから・・・。一人で長野に置いておかなくて良かった、と心底思った瞬間だ。本人は「そのまま向こうにおいておいてくれれば死ねたかもしれないのに」と憎まれ口を言う。
印象的な最後の章の安堵感が自分に重なる。

読売新聞を購読している友人の何人かが、疲れきった私の顔を見ては、この作品の切り抜きを手渡してくれたり、出版されてからは、何人かの友人に薦められた本である。

買おうか借りようか迷ったが、とうとう買ってしまい、ついには一気に読み終えた。

面白く思ったのは、彼女(作者)と私の符合する点が多いこと、「これは何?」と思って調べたら同じ歳だった。背景、起きていることが重なっても同世代なのだから不思議ではない。

ただ、一つ違うことは、私は今までに一度も『ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?』とは思わなかったことだ。『くそばばあ!!!』とは何度思って叫んだか分からないが・・・。
いくら子供の頃からの恨みがあっても、本人の状態がひどいことになって罵られても、そうは思わなかったのは、多分自分の母親の性格がいくら我が儘であっても紀子さんとは違っていたせいであろう。そして同様に私の性格も水村さんとは違うのだろう。

母親同士、生い立ちも苦労の度合いも、性格のきつさも勝ち気さも我が儘度合いも甲乙つけがたいが、私の母は本来質素で人に迷惑をかけたくない気持ちで一杯の人なので、そのけなげさのせいで尊さの方が勝ってしまうのだろう。

これから何度も死にそうになっては生きながらえて、認知症が悪化して罵りの言葉が繰り返されることになるかもしれない。その度にはらはらし、「もうやだ!」と思うだろう。そして、ぐったり疲れ果てた自分にどんな思いが生じるのかはその時になってみないと分からない。
私もついには水村さん、いや美津紀さんと同じことを思い、そう言葉を発することになるかもしれない。

幸い私には夫の浮気騒動はないが、ある意味もっと大変なことが自分のまわりで起きている。実際現実は小説よりずっと大変だ。

美津紀が本当の意味で過去を清算して自立し、一歩踏み出す終わり方は後味が良い。多分意識の上では励まされる女性がたくさん居ると思う、が現実はもっと厳しい。

『母の遺産』は金銭だけではなく、『母親の生きざまを見たこと』と『この自立に踏み出せたこと』もそうなのだろう。
娘が母からもらうものは良きにつけ悪しきにつけたくさんある。

しかし、なにはともあれ美津紀はとてもラッキーなのだ。
世の中、金銭的『母の遺産』がない人がほとんどなのだから。

母親の介護を母親自身が残したお金ですることができるというのはすごいことなのです。娘に金銭的負担をかけていないということはそれだけで親としたらとても立派なことで、、、、介護をする人にとったら、そんな幸せなことはない。
自分の生活費を削ってあんな贅沢をさせてあげることはできないのだから。
それだけでも親に感謝して良いと思う。

それから人生において女性として自立してどうにかやっていける基盤を作ってくれたのもやはり親であることを忘れてはいけない。姉との差別はあったにしても、彼女が親の援助の元でフランスに留学できたということは、それだけで十分に恵まれていて、恨み言など言わずに感謝すべきことではないだろうか?
何故ならばそれを基盤に彼女は職を得ている訳だから、離婚を選択できるのもある意味そのお陰でもあるのだから。

もしかしたら美津紀は親になったことがないから、子供として与えられることばかりに目が行って、時には自分が無償で与えることをしなければならないこともあるということを見逃しているのではないだろうか?

読み終わって何か腑に落ちない感じを持ったのは、美津紀のそんな姿勢(甘え?)を感じたせいかもしれない。

2013年1月4日金曜日

『ダイヤモンドダスト』

2013年が始まりました。

年末年始は忙しくて・・・目が回るようでした。
やっとお役御免!!

2日の夜遅く、年賀状の私の分担をピカソの作品のような顔をして髪を振り乱しながらやっとすませて本局へ持って行き、その足で軽井沢にやってきました。
翌朝、ホテル滞在中のKzさんのご両親を訪問し年始の挨拶を済ませました。

これで正真正銘お役御免。
自分の時間が持てる〜〜〜〜ぅ!!!

帰宅後、気が緩んだのか目眩を起こし、冷蔵庫の前で倒れました。やれやれ、もう若くない。

今朝は、Kzさん仕事始めの銀行への挨拶で長野へ行きました。

朝、軽井沢の駅まで送る時、正確に言うと朝起きてカーテンを開けたときから、細かいキラキラした氷の粒がぱらぱらパラパラ落ちると言うか舞っているというか・・・を見かけ、気になって仕方なかったのです。

私は、寝ぼけた顔で
「Kzさん、これダイヤモンドダストじゃない?」と言うけれど、反応無し。
車に乗ってエンジンをかけて出発したとき、どうしても気になって
「やっぱりこれって、ダイヤモンドダストじゃない?」と言うと、やっとその気になって反応あり。
「そうだね、そうらしい。ダイヤモンドダストはマイナス12度以下になると起きるみたいだから・・」

出発時の車の温度はマイナス10.5度。8:30でその気温だから、私が起きてカーテンを開けた時は7時前なのでもっともっと低いはず。
「やはりダイヤモンドダストだったのだ!」と妙に力を入れて納得した私でした。初めてはっきりと確信したので、嬉しくて仕方のない私。

それにしても、あの反応のなさはなに??と腹を立てていた私なのだが、そうかメガネをかけていなかったから見えなかったのだ!と気づいて、怒るのを止めました。

最近私も老眼がひどいから、近視でも見えない人の苦労が少しは分かるようになり、Kzさんの鈍感さにも寛容になりました。

どうしてこんなにダイヤモンドダストにこだわるのかと言うと、南木佳士さんが芥川賞をもらった『ダイヤモンドダスト』という作品がとても印象的で当時から気になっていて、何度も読みました。自分が信州人であることや、彼が佐久総合病院の医師だったこともあり、作品の空気を肌で感じるのです。
そして、自分の中にイメージとして出来上がったある場面、それを実際に見てみたくて20数年間・・・やっと今日それを果たしたということなのです。

この作品は本当に素晴らしい作品で、、、

新年早々お気に入りのコスタボダの新品大皿を割ったけど、でもでもでもダイヤモンドダストに遭遇したから、多分今年は又色々あるけれど、でもでもでも何かを打ち破って素敵な年になるのでは?と勝手に解釈している私です。