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2020年3月17日火曜日

98歳の母 静かに目を閉じた

大正11年1月1日生まれの母が、令和2年2月11日に他界した。98歳だった。
父の命日が2月1日だったので多分父が迎えに来てくれたのだと感じた。
静かに静かに呼吸がゆっくりになって、最後の最後まで少しずつ空気が抜けていくように全部出し切ったように息を引き取った。
けなげで素敵な最後だった。
人生を生き切るってこういう感じなのだと思った。

2014年10月3日金曜日

認知症の特徴 〜『ババ抜き』はなかなかいい!

毎週水・木曜日と必ずホームの母の所へ行っている。
このリズムが崩れると、母の調子が不安定になって乱れるのでここ3年間できるだけ、このペースを守っている。

水曜日に行った時のこと。
受付で、「みなさまとトランプをやっていらっしゃいます。」と言われたので、『ええ??うちのオババにトランプができるのかいな?』と不安に思いながらダイニングへ行くと、何だかテーブルを囲んで楽しそう。
私に向かって手を振った。

2013年12月20日金曜日

弱音を吐こう介護日誌 (43)〜車椅子とおむつ

ホームに入居以来3年近く頑張って来た母であるが、とうとう歩かなくなった。
理由は『歩くと足が痛いから』
そして、1週間のうちに平気で車椅子の人になってしまった。自分ではこのことの重大さに気付いてはいない。

鶴瓶さんのCMで、「人は太るから膝が痛くなるのか、それとも膝が痛いから太るのか」って感じのがあったが、母の場合は「痛いから歩かないのか、歩かなくなったから(筋肉が萎えて)歩くと痛いのか」?と、『鶏と卵』問答が私の頭の中を廻っている。

2013年11月23日土曜日

弱音を吐こう、介護日誌(42) 〜そんなに歓迎しないで

ここのところオババの症状が進んでいる。

先日のブログでも書いたが、洋服の順序が分からなくなるし、お部屋は衣類で散らかるし、顔の表情が少し間の抜けた意志のない個性のない顔に変わりつつある。

看護婦さんにも、「ちょっと寂しいかもしれませんが、混乱しているので衣類は5セットくらいにして後は全部片付けて、必要な時に、時々入れ替えて下さい。『これからお身内は辛い時期に入るでしょうが、変化に覚悟を』」と警告を受けたところだ。

けれど、相変わらず、毎回「盗まれた〜」と大事な物を工夫して隠しているので、まだ、闘争本能が残っているだけいいか!なんて思っている。

2013年10月17日木曜日

弱音を吐こう、介護日誌(41) 〜盗まれたぁ、盗まれたぁ〜

今日はマジくたびれた(泣)

行っている間中、「化粧品が盗まれる」「全部なくなった」の繰り返しだった。記憶は5分と持たない。怒らせると厄介なので何でも受け入れようと心に決め、何十回付合ったか?? イライラ・・・

毎回隠す場所が変わっているので、こちらも部屋の中をあちこち探すのが大変なのだ。つまり盗まれない為に、あっちへ隠し、こっちに隠し・・・そして結果、本人はどこへ隠したか忘れ、もちろん隠したことさえも完璧に忘れ・・・よって盗まれたことになる。
泥棒はスタッフの人たち、幸い私ではない m(_ _)m

2013年5月16日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(40) 〜老人ホームで好かれるには?

うちのオババは最高に口が悪い。
威張っているし、我が儘だし、負けず嫌いだし、命令口調だし、ずぼらだし・・・だけど、何故か人に好かれる。

どうしてだろうか?と考えてみた。
答えは、『お茶目!!』(しかも、天然の)

2013年2月28日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(39) 〜ある日の老人ホームの風景 〜お友だちとの軽妙な会話、これでも認知症?

オババが珍しく絵手紙をやるというので、ダイニングへ連れて行った。
まあまあの仕事ぶりだが、マジ劣等生だ。

久しぶりにお茶の時間にSさんにお会いした。車椅子でやって来て、挨拶したら私たちのテーブルにつけて下さったので、おしゃべりをした。

Sさんは母がただ一人親しくなった人で、母より3歳上だったような気がする。
以前は杖だったが、今は移動はすっかり車椅子に変わった。

一度病気をされたことがあり、それから急に老けて、髪が薄くなって地肌が見えたりしたので、母は気が重くなるから・・と挨拶をするだけで近寄らなかった。
私は見かけると必ず近くへ行ってお話をしていたが。

今日は薄手の帽子を冠っていたので、地肌が見えない。とても似合ってキュートだ。元々小柄で目が大きく愛嬌のある可愛らしい人なのだ。

そこで口の悪いオババは、
「あんた、その帽子いいじゃない。よく似合っているわよ。ハゲが見えているよりよっぽどいいわ」
ときた。
私は『おいおい、オババ、そう来るか』と冷や汗をかきながら慌てて、
「すみません、口が悪くて・・・自分だってかなり薄くなっているのに」
と謝ったが、Sさん、
「大丈夫よ、本当のことだから」とニコニコしている。
「この人はいつもこんなだから、全然気にならないわよ。私、もう腹が決まって、何も気にしないでいいことばかり考えることにしているの。マイナス志向なし。
ここが気に入って、ここが安心で、誰にも迷惑をかけないでしょ。他の場所はないのだから、ここを精一杯楽しむのよ。」
と、とても良いことを言ってくれる。

オババは、マイナス志向の意味も分からないのだと思うけれど、
「私はもうここがつまらないから、他に移ろうと思って」と思いがけないことを平気で言う。
「あら、あなた、それはやめたほうがいいわよ。どこへ行っても同じよ。だったら慣れた場所が安全だし、いいでしょ?最初からやり直すの大変よ」
と実に筋の通ったことを言う。可愛い94歳!

以前お話したときより、バージョンアップしているSさんだ。
オババは真面目に
「そうかしらねえ〜」と深刻な顔。
今度はSさんの逆襲だ。
「あなた、そのしかめっ面止めた方がいいわよ。いつも額にしわ作ってその顔しているけれど、つまらないより楽しい方がいいのよ。笑えばとっても可愛いのに」
と、来た。

私は面白くなって、ニコニコして見ていた。
ちょっと口をはさんで、
「そうなんですよ、いつも愚痴ばっかり、しかもこの顔して。」
と、又しかめっ面に戻ってしまった母を指差して、みんなで大笑い。

他のテーブルの人たちは何が盛り上がっているのだろう?と思っていたに違いない。
けれど、笑いが足りないホームでの、私たちの笑い声はみんなを和やかにしていたような気がする。
だって席を立ったとき、みんな笑顔で私と母を送ってくれたから。



2013年2月21日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(38) 〜マイナス志向真っ只中 〜穴の開いたスリッパ

昨日、今日とおばあさんは呆けが進んで、言っていることがしっちゃかめっちゃかの上、マイナス志向一直線。
死にたい、死にたいの一点張り。

目の前の人が分からなくなるのも、時間の問題か・・・。
私は聞き流すしかない。

昨日は、その重さをどうにかかわそうと、家に戻って数ヶ月ぶりのウォーキングに。
今日は、いなげやに寄って買い物。

しかし矛先はどっしりと重く、自分が責め立てられているかのように被害妄想的にのしかかる。『何かしてあげられるだろうか?? 自分にできることがあるだろうか??』 いつもその自問自答。

おしゃべりだけは得意だったオババだが、まず会話が成り立たない。
スリッパのかかとが穴が開いてしまったので、新しいスリッパを持って行ったが、穴のあいたスリッパを絶対に処分させてくれない。

一秒経てば何でも忘れるのに、何分経っても、何時間経っても
「さっきのスリッパは?」
と聞いて来る。又、聞く。 そして又・・・。

以前に捨てようと思ってどうしても駄目だと言ったスリッパを指差して、「だって、あれもあるのだから、いらないでしょ?」と言うと、
「あんなもの、いらないわ」と言うので、しめしめ、この時とばかりにそちらをゴミ袋にいれてわたしのカバンに入れてしまった。どうせ使わないのだから。
ゴミ箱に入れると、絶対に又取り出してしまうから。

そして、それがあった場所に、穴の開いたスリッパを置いて来た。

いつも、捨てた箱はどんな物でも次ぎに行くと必ず取り出してある。ポッキーの箱でさえも・・・。やれやれ、憂鬱だ。

「じゃあ、又来るからね」
一緒に玄関まで来ると言うので、
「じゃあ、靴に履き替えないとね」お部屋を出る時はスリッパでは危ないので、靴を履かないといけないから。いつも必ずそうしている。
「そんなもの履いたことない。スリッパでいい」と言いはりながら、足下を見る。
はっと気が付いて、
「そう言えば、こんなの履いていたわ」
と靴に履き替えました。

スイッチ、on!
こんな感じでこれからも正気に戻ってくれるといいけれど・・。

こうして私は、時々心臓がえぐられるような気持ちになるのです。


2013年2月7日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(37) 〜認知症でもやはり、母は母

珍しく、認知症のオババが
「ソラちゃん、あんまり具合良くないの?」と聞いた。

この人はそういうことに特に最近はあまり気がつかないことがほとんどなので、ビックリした。

「そうなんだ、昨日もめまいがひどくて吐き気がして立っていられなかった、、、、何だか分からないけど、具合悪くて・・・めまいの薬飲んだんだけどね。今日も頭の位置が変わると何だかクラクラ、ムカムカ・・・」

今日は顔色が悪いと思って元気に見えるように赤系の洋服を着て行ったのだけれど・・・ばれてしまった。

「どこか変?」と聞くと
「何だか痩せたみたいな、やつれたみたいな感じだよ」

親とはありがたいものだ。

姑には具合悪いのに笑顔で頑張ったって、気付いてさえもらえない。最近こんなこと言われたことなかったので、妙に嬉しかった。

辛い時に、誰かが気にかけてくれるってこんなに嬉しいことだったのだ!

無邪気な認知症の母が、自分のことで精一杯の母が、こころのこもった一言を発してくれた事実は何と心温まることだろう。本能で気が付いてくれることのありがたさ、理屈抜きの肉親の情は背負っているものを担ってもらったような感じがして、心が軽くなった。

ホームのスタッフが母を好きなのも、こんな本能的な一言があるからかもしれない。
「市川さんにこんな声をかけてもらった」と何人かの人から言われたもの。

オババ、頑張れ!

2012年12月20日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(36) 〜ま、またやられたー!!!のね

昨日は、オババに早めのクリスマスプレゼントと言おうか誕生日プレゼントと言おうか・・・とにかく、吟味吟味の上ローラアシュレイの生成りのカーディガンを持って行った。

今までの学習の結果:無地は下着である、木綿は下着である、模様がないと洋服ではない、厚いと駄目、ヒラヒラしている物が好き、露出狂の気あり、、、、と、私が持って行ったものはチュニックもTシャツも全部下着と化しているので、切なる願いを込めて持って行った。

最近オババはホームの事務所に入り浸りで、自分の指定席まで用意していただいている身分になった。なってしまったから仕方ない。職員室に居座った駄目生徒みたいな勘ありだが、これ又居心地が良いのだから仕方ない。

寂しい日々に訪れる所があるのはとても幸せなことで、快く受け入れて下さっているホームのスタッフの方々には感謝の言葉しかない。
多分母の精神状態も安定して、認知症の進行も少し治まっているのではないかと、良い効果を感じている。

時々私の到着時にも指定席で居眠りをしているオババを発見する。
するとどうも何となく支度がみすぼらしい。真冬に初夏の格好とでも言おうか、長袖こそ着ていてもどこかちぐはぐなひらひらした薄着で、私は赤面だ。たくさん洋服があるのに・・・

そこで、事務所にいてもあまり感じの悪くない、何か清潔感のある洋服をプレゼントしたいと思っていた。

オババには、模様の重ね着の傾向があるから、下に柄のものを着ていてもけんかしないようにできるだけ無地に近い感じで、でも透かし模様みたいなのが入っていて下着には見えないように、チクチクするのが嫌いなので、けれど木綿じゃ下着と勘違いするからカシミヤ入りコットンで、薄手だけれど、上から羽織れるように柔らかく温かいものを・・と悩んだ。

グレーやベージュは汚れた布にしか見えないから白に見えるくらいの生成りの前身ごろだけ複雑な数種類の編み目模様を組み合わせたレース風で・・・とても清楚で肌触りの良いカーディガンを見つけた。

記憶に残るようにきちんとプレゼント仕様にして持って行って、渡したら大喜びした。
「良かった!これで行けるかな?」とすら思った私だ。

ミントグリーンのオフタートル(私のお古だが、色が合うのでお気に入りを仕方なしに持っていった)の上に羽織ったらお世辞抜きでとても素敵だった。

これなら、事務所に居ても、お客様は逃げ出さない!「このホーム品があって悪くない」って思って下さるだろう・・・と自己満足していた。


と・こ・ろ・が・・・本日私が発見したオババは!!!
私の願いを込めたプレゼントのローラアシュレイのカーディガンを、上に羽織れるようにとたっぷりめのLサイズの素敵なカーディガンを、

ハイネックのピッタリした細身のニットの下に全部のボタンをしっかり留めて、裾をズボンの中にパンパンに詰め込んで、まさに下着として着ていたのだったー!!!!

又、やられたー!!

と言うか、今日はむしろ悲しくて、全身の力が抜けて、泣きたくなった。
大きな字でど真ん中にマジックで『市川』って書いてなかっただけ増しだったかな・・・

カシミヤ入りの下着は温かく軽く、さぞかし快適だったことでしょう。

PS/
たった一日で、私が持って行ったことも、プレゼントであることも、カーディガンであることも全て忘れ去っておりました。試練は続く。
物によって忘れる度合いを使い分ける、偉大なる認知症です。


2012年11月30日金曜日

弱音を吐こう介護日誌(35)〜初めての絵手紙 〜認知症も悪くないかも・・

初めて絵手紙を描きました:


母はお習字は好きでアクティビティに休まず参加しています。でも、絵は全く駄目で絵の具を見ただけで逃げ出します。でも、これ初作品にしては悪くないですよね? なかなか味があって、私好きです。

この日母は、筆と墨を見てすっかりお習字と勘違いして、うっかりテーブルについてしまいました。そこに私が到着したものですから、、、

「ソラちゃん、これ何?」
「絵手紙っていうのよ」
「えっ?!絵??? えらいこと始めちゃったわ、私帰るわ」と立ち上がる。
「まあまあ、そんなこと言わずに、一回だけ描いてみたら?お習字あんなに上手なんだから(本当は大したことない)、同じ筆を使ってちょっと絵を描いて、字も書くんだよ。楽しいかもよ〜」

と、手伝いながらやらせてみるが、本当にひどい。ものを観察するということが不可能に近いのだ。

おまけに
「私柿なんか大嫌いだし・・・」(ボケてもこれは覚えているのか!)
と文句たらたら。

先生に、「全く初めての参加で、絵を描くのも初めてなので宜しくお願いします。」と耳打ちして私がちょっと席をはずして隠れて眺めていたら、甘える相手がいないので、仕方なしに先生のご指導を得ている。この辺は子育てと同じだ。

それで出来上がったのが上の絵手紙。
柿が美味しそうで、結構いい感じ。オババやったね!

ここからが書きたかったことで:

文字を書く時に、
「なんて書いたらいいの?」と言うので、
「初めて書いたんだから、柿を初めて描きました、とでも書いてみたら?」といい加減なことを言うと、手抜きの冴えたるところで考えるのが面倒なのでその通りに書き始めた。

柿を、で手が止まり、
「ソラちゃん、はじめてってどんな字だったっけ〜?」と聞くので、
「ほら、初日の出とか、最初とか・・・衣偏書いて・・・」と言っているうちに、『始』を書き始めたのでそれでもいいか〜と思っていたら何と『好』と書いてしまったではないか!!

「お母さん、それ好きって字だよ」って言うと、
「あら、嫌だ、あたしゃ柿なんか大嫌いなのに・・どうしよう!!」と・・・先生と私、周りの人は大笑い、でも本人はパニック状態。

「こんな素敵な絵を描いたんだから、『好きになりました』にしちゃったら?」と言ったら、手抜きの極意!
「本当は好きじゃないんだけどね〜」と言いながら、出来上がりました。その辺は悩まないので大助かりの私。

先日この葉書を壁に貼ってあげたら、
「ソラちゃん、最近の柿は美味しくなったのね。この間食べたら美味しかった!」と言う。
「うん、本当に美味しいんだよ、私も大好き」
「これを書いたとき、私はこの頃の柿が美味しいとつくづく思って感激してこう書いたの」 ン?? あれ、まあ〜と思いながら、
「そうだったの?良かったね」と私はお腹の中でクスクス笑っていた。

認知症も悪いことばかりではないかも。
もっとも、何が真実か分からないところが問題だけど。。。


2012年8月9日木曜日

弱音を吐こう介護日(34) 〜「もう嫌!」対処法なし

早朝、八方塞がりの息苦しさで目が覚めた。

自分が爆発しそうで、去年の歯神経と耳の神経が同時にやられた帯状疱疹の時と同じ精神状態になった。母の我が儘とイライラが極限に達して来ると私は重かろうが軽かろうがトラウマになっていて、自分の感情の出口がなくなり息苦しくなる。本人に悪気がないのは分かっているのだが。

昨日のブログにも書いたが、部屋に入って行くと、腕が痛いという。これは現在どうしようもないのだが、よく見るとヒラヒラのノースリーブを来ていて、まるで真夏のかんかん照りのお日様の下で日傘をさして散歩するような格好だ。

「お母さん、冷房のお部屋の中でじっとしているには、そんなに腕を出しているとしびれて痛みが増すから、神経痛には余計堪えるよ、何かはおるか袖のあるのを着たら?」
と言うと、
「洋服がないからねえ、みんなはとてもいい洋服を着ているんだよ、本当に素敵な洋服」
と反撃が始まる。私はクローゼットに行って、
「これでもいいし、こっちでもいいでしょ?いいのたくさんあるよ。この間長野から送ったばかりだし」

ここで問題なのは、私が良いと思うものは母は絶対に良いと思わないことなのだ(もともと母が好んで自分で買った洋服であるにもかかわらず)。

忘れないようにと、いくら並べておいてあげても、着ているのを見たことがない。いくらカーディガンと組み合わせて何組かクローゼットにかけておいてあげても、着ない。
いつも「あら、そんなのあったの? 初めて見るわ」だ。

今の母は、ちょっと露出風のヒラヒラが大好きで、シンプルな洗濯のきくTシャツなどは、とてもおしゃれなものでも下着だと思って、こんなみっともないもの着れないと言う。
記憶を失う前と好みが全く違ってしまったのが、ネックになっている。

おまけに、ホームで洗濯をしてもらうと、乾燥機を使うので色は抜けるしとても洋服が傷む。だから肌に直接あたるものは洗濯のきく清潔なものが一番なのだが、化繊の入ったしなやかなものを好み、しかもいたむからと言って、洗濯を拒むのが又難題だ。

やっとどうにか上に羽織るものを着せたが、瞬間「暑くてこんなもの着ていられない」と言う。「着ていれば直ぐに慣れるからちょっとの間だけ我慢してみて。腕が痛いよりいいと思うよ」
私も着てみたがとても薄手で、暑いとは思えない。(それに、老人はみんな寒がりだと思っていた)

やはり嫌そうなので、
「だったら、半袖のTシャツ一枚でいいんじゃないの?夏なのだから」と言うと、今度は
「ああ、寒い、どこかから風がはいってくるみたい。」と言ってブルブル震える振りをして、「それに、こんなのじゃみっともなくて部屋から出れないわ」と騒ぎ出す。
私、いらいら。

「みんないつも本当にいい洋服を着ているのに。家の人がちゃんと用意してくれるんだわ、着せてくれるの。私ときたら、誰も何もやってくれない」といらいらして言い出すので、ついに私も声を荒立てて、
「毎日家の人が朝ここに来て洋服を選んで着せてあげているっていうの? そんなことあるはずないでしょ? みんな自分の着る物は、毎朝今日は何着ようかな?って自分で選んで自分で着ているのよ。それができない人は多分介護の人がタンスの中から選んで下さっているんだわ。お母さんだって、タンスの中にこんなに洋服あるのだから、自分で選んで着たらいいよ。毎日違うの着たって相当あるから・・・」

お茶の時間になって、皆さまの着ている洋服をつくづく見てみた。
グレーとかベージュとかの結構地味な色彩の厚手のものや首のつまったものも着ておられる(母は絶対に着てくれないが)。いつも同じものを羽織っている人もいれば、薄手のジャケットやレースのカーディガンの人もいる。皆さま結構厚着だ。
さすがにヒラヒラのノースリーブは居ないけれど、もちろんブラウス一枚の人もいるし、色々だ。しかし確かに少なくとも母よりは何かきちんとしていて小綺麗で品があるように見える。

ここで、もう一度問題なのは、母にはああいう格好が似合わないことと、用意してあげても「ばばくさい!」と言って絶対に着ないということだ。

どうにか願いを叶えてあげたいのだが、何を見て良いと言っているのかも分からないし(聞いても本人の記憶にはない)どういうものが欲しいのかも分からない。しかも欲しいものを買ってあげても、絶対に着ない。

そこで私はうなされて目が覚めた。

今日も又、露出気味のブラウスを着て腕が痛いと言いながら、
「みんな本当にいいものを着ている。私には着る物がない」と洋服の山の中で訴えるのだろうか?そして薦める洋服を全部拒絶するのだろうか?

一緒に行ってどうしても欲しいと言われて買った洋服も、すっかり端に追いやられ、袖を通してもらっていない。「お母さん、気に入って欲しいというから買ったのよ」と言っても、「みっともない!大嫌い」と、とても品の良い夏服に対して文句を言って着ようともしない。私は何を聞き入れてあげたらよいのか、皆目検討がつかなくなり、八方塞がり!!

少し疲れた。
しかし集団の中で何だか母がとてもみすぼらしく見えるのは堪え難く悲しくなり、自己嫌悪に陥る。どうにかしてあげたいと思うので、余計ストレスを感じてうなされて目が覚める。ヒラヒラで露出気味で、しかも温かくて寒くないしなやかで、みっとなくないと彼女が思う洋服があったら、10枚くらい買いたいものだ。
そして買ってあげて、着てもらえない悪夢がいつまで続くのか?

機嫌の良い時は私の薦める洋服を着て、とても素敵なのに・・・まだ、捨てたものではない!!

さて、ここまで愚痴っての結論:『背中で道徳的な人』になって

好きにさせておこう!
腕が痛くても、みっともなくても、いくらなじられて愚痴られても、自分のその時に着たい洋服を着て好きにしていてもらおう。

今日は介護の認定の日だ。
介護度の変化はあるのだろうか?



2012年8月8日水曜日

弱音を吐こう介護日誌(33) 〜いやあ、参った!この不機嫌は?

自分へのご褒美に自分であげた二日間の夏休みが明け、心が少し軽くなって元気を出してオババの所へ行ってきた。

昨夜はサッカーのメキシコ戦を観たので、眠い。その前の夜中はなでしこのフランス戦だったから、二日続けて徹夜だもんな。

でも、ちょっぴり何かから解き放たれた気分で行ったのだが、着いた途端に暗い空気に圧倒される。ここのところこの人はどうしてこんなに猛烈なパワーで暗いのか。
しかも言っていることが全く以てしっちゃかめっちゃかもいいところだ。
私、もう負けそう・・・(半べそ)

映画『グッドハーブ』の植物学者のお母さんが少しずつアルツハイマーに侵されて行くように認知症が次の段階へ進み始めているのだろうか? そしてこれから急激に進むのだろうか?
過程が似ていて恐くなった。頭の中の混乱から生じるうろたえ方がソックリなのだもの。それなのに、私は彼女の自尊心を傷つけるような台詞を言った。

本人も何か異変が起き始めているのを感じてイライラしているのだと思う。
本能で。
そして娘である私に一番そのイライラはぶっつけ安いのだろう。

「認知症なのだからもっと優しく」そう言い聞かせても、私へのあの際限のない我が儘さと絶え間ない理不尽な要求を受けていると自分がつぶされそうになってどんどん覚めて来て、「いいよ、それ以上言うなら私帰るから」と部屋を飛び出したい衝動にかられる。

相手は分かっているのか、何なのか? 
いくら説明しても通じない繰り返し繰り返しの同じ訴えには疲れ果てた。はぐらかして誤摩化せば良いのだろうか?
相手が親だとそんな心のないことができない。
だって、よそのおばさんではないのだから。

もうホームの人に任せて、私が行くのはよそうか・・・と思ってしまった。

私は弱虫だから、そういう母の姿を見届けることに耐えられないかもしれない。

神様は、耐えられない試練はお与えにならない、とヘリオトロープのTさんがおっしゃっていたが・・・ほんとうに?

2012年7月26日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(32)〜驚異の記憶力! 〜メルシー、越路吹雪さん♪

今日のオババのアクティヴィティはカラオケ大会だった。

オババは歌が結構好きなので、「行ってみたら?」と薦めてホールへ。

進行があまりにも下手で、老人たちが知っている曲が全くない!つまらないので私だけそっと部屋に戻って来た。

すると、少ししてオババも戻って来た。
「歌おうと思っても知っている曲が一つもないよ〜」と残念がっている。
「あれは進行係の勘が悪すぎるよ、選曲がなってない!みんなを何歳と思っているのかしら?」

そこで消化不良のオババの為に何か昔歌っていた歌がないかなあ〜?と必死で思い出した。
お皿を洗っていると鼻歌が聞こえて来たなあ・・・ムムム・・・「そうだ、サン・トワ・マミーだ!」いつも歌っていた。
記憶が全てすっ飛んでいるけれど、歌は歌詞を見ると歌えるから、試してみよう!

「ふたりの恋は〜終わったのねえ〜♪」私が歌い出すと
「ゆるしてさえ〜〜くーれないあなたあ〜〜」と気持ち良さそうに続く。
「ええっ!!お母さん歌詞覚えているの?」
オババがポカンと嬉しそう。
「どうして歌えるのかしら?でも音がはずれてるし声も出ないけど・・・不思議ねえ」
メロディーはともかく歌詞が出て来るとは思わなかった。脳のどの部分なのだろう?同じ記憶でも壊れているところと壊れてないところがあるの?

私は脳の専門家ではないから分からないが、専門家に聞いてみたい気がする。
ホームの精神科のドクターはまじひどかった。全くひどい診断だったから頼る気にもなれなかった。日本の精神科の医療のレベルはまだ低いのだなあと思ったが、、、

これから何かを引き出して、彼女の失ってしまった記憶を取り戻す手がかりにならないものだろうか? 浜田先生〜〜!! 先生がいらっしゃったら相談したい。

母は越路吹雪の歌が大好きだったので、愛の讃歌、誰もいない海、と歌うと所々歌詞を思い出して付いて来る。
しかし何よりも「サン・トワ・マミーだ!」歌詞はメチャメチャだし一杯抜けているけれど嬉しそう、これで勝負をかけよう!!

正しい歌詞をiphoneで調べて、日記帳に書き出す。
一緒に歌う。
ちょっと変な所は直してあげると、直ぐ直る。
次は一人で歌って!
「パーフェクト!」直したところが完璧に直っている。昔教えた時よりずっと覚えがいい。
ホーム長さんのお名前を何度言っても直ぐに忘れてしまうのに、今持って行ったばかりのゼリーのことは直ぐ忘れてしまうのに、歌詞とメロディーは覚えている、定着する。

何だか二人で涙出しながら喜んだ。
少しでも記憶が残っているって!!教えた所が記憶として残るなんて!!!
こういうのを希望っていうのかもしれない。

理論的に脳の○○分野だから〜〜云々なんて言われるかもしれないけれど、どうでもいい。彼女の脳に歌が定着した。歌詞が定着した。何も覚えられなかった母が歌詞を覚えた、それだけで最高に嬉しい!

merci beaucoup! 越路吹雪さん!
次は『ラストダンスは私と』だな。

2012年7月21日土曜日

弱音を吐こう介護日誌(31) 〜ある日の会話 〜オババのホームにて


最近あまり一週間が過ぎるのが速いので、

ソラ「月日の経つのは速いわねえ」
オババ「ほんとにね。ところでソラちゃんいくつになったの?」
ソラ「61歳!」
オババ、ものすごいオーバーアクションででかい目を更にまん丸くして、初めて知った、こんな驚きはないというお顔。

「へぇ〜〜〜〜ぇ!!!ほんとに???あんたもうそんな歳だったの???」
(確かこの間還暦を過ぎたと話したけど、頭に入らなかったな)
「そうよ、そうなの、もう還暦過ぎてるんだよ」

オババ、覗き込むようにじっと私の顔を見て、お茶目な目つき
「聞くんじゃなかった、ああショック・・・」

なんだよこのリアクション、私の方がはるかにショックだぜ。
言うんじゃなかった。
90のババアにおちょくられたぜ。

2012年7月19日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(30) 〜嫁と娘

オババの所から戻った。

帰りがけに部屋を出た途端にお会いしたので、母の斜め右前のお部屋のSさんと立ち話をした。とてもしっかりした優等生タイプのかただ。

「いつもお世話様です」
「あらあら、さすがお嬢さんねえ〜」
「えっ?何か?」
Sさんニコニコしながら「お嫁さんは、大事に大事に手を添えながら歩いて行くのに、お嬢さんはさっさと一人歩きさせてるのね」(もちろんオババはシルバーカーは使っているが)
二人の対比が面白かったらしい。

私はすかさず、「そうなんですよ、厳しい娘で。何も手伝ってあげないのです。トレーニングのつもりで、さあ、これして、あれして!惚けちゃうよって」
オババが口をはんさんで、「しかも、会えば直ぐけんか!」
なんでこのタイミングでおっしゃる、おばーさん。

すると、斜め左前のお部屋の小柄なおばあさんが突然顔を出した。ドアにつかまって子供みたいな目でじっとこちらを見ている。
Sさんが「Oさん、一人で歩いたら危ないですよ。」と言いながらニッコリして「来年の4月1日で100歳なんですよ。エイプリールフール、珍しいでしょ」とおっしゃるのでビックリする。
そのキラキラ光る目は目力があって、めちゃくちゃ若いのだもの。
オババは話の内容がつかめていないのできょとん。

「え〜〜!!本当に100歳ですか? 4月1日とは・・・うちの母は1月1日なんですよ、しかも大正11年の1月1日 90歳です」
Sさん「あら、おめでたい」
100歳のOさん 「まだ、若いじゃないの〜」
私「ん・・・?」

でも、Oさんは自分の歴史をとうとうと話し出したから、、、やはり100歳かな?
さすがに老人ホーム内での会話だった。

が、あとで車を運転しながら考える。
あのお嫁さんとの対比は、私の母の扱いが乱暴ということだろうか?
お年寄りの言う事はあなどってはいけない。
義姉に比べて目に余ったかな? と、少し反省。

お姑さんには絶対あんな扱いしない。あきらかに嫁と娘とは違うのだ。
う〜む・・・

2012年6月7日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(29) 〜どないしまひょ!

最近のオババはいくら欲目で見ても、センスが良いとは言い難い。これも認知症の特徴なのだろうか?色が普通と違ってみえるのかな?

今日のオババ:
「お母さん、模様と模様がけんかしちゃって何だか変だよ。
(京都のブティックで五色豆みたいだと言われた前科あり、とにかく模様が好きなのだ!)

「とにかく下のTシャツはこっちの無地に着替えよう。」

と言いながら、一枚ずつ脱いだら、結局以下の4点を着ていた。
まさか2枚の柄々のVネックを重ね着しているとは・・・あり得ない!
頭の中どうなってるの???

内側から、

①無地袖無しレース付きピンクシャツ(胸元からピンクのレースがでるように着ている)
②ユニクロ ローラ・アシュレイ全模様TシャツVネック
(昨日私が買って行ったものグレー地に全体に細かい鳥のプリント模様)
③本物ロ−ラ・アシュレイ花模様TシャツVネック
(白地にブルー系パープル系花模様、よそ行き用に先日買ったばかり)
④ブルー系ペイズリー柄、薄地カーディガン(ジョーゼットみたいな材質、全体に模様)

何と言う組み合わせだ〜〜、あっちを向いてもこっちを見ても、模様・模様・模様・・・いくら模様が好きだからって、、、ショック!

そしてもう一つ更なるバージョンアップしたショック!!ショック!!!

買ったばかりのたか〜〜いローラ・アシュレイのTシャツのお腹のあたりに、大きな太い字でマジックで『市川』って書いてあるではないか。ど真ん中だよ。(なんでユニクロの方にやってくれなかったの???)

6000円もしたのにぃ!! あまり欲しがったから買ってあげたのにぃ!!!
外出用だったのに、もうよそへ着ていけないよ〜〜・・・ちょっと泣きたい気分。

ばあちゃんなぁ〜〜 言っても無駄か・・・

2012年5月31日木曜日

弱音を吐こう介護日誌(28) 〜この人について行くのはなかなか大変だ!

なかなか手強いオババ。

鏡の前で:
自分で買った洋服なのに、「よくまあ、こんな野暮ったい洋服買ったもんだわね!いつ買ったのかしら?」  90歳のバアさんがつぶやいている。

アイボリーの地に熱帯魚があちこち泳いでいる。いかにも当時のオババが好きそうな結構面白い図柄だ。

私から見ると、今のあなたのセンスの方が余程危ないんですが・・・

2012年5月18日金曜日

弱音を吐こう介護日誌(27)〜エッ!パンツ5枚もはいてるの??

最近オババが少し太り始めたような気がしていた。
特に腰回りが・・・

心配で看護婦さんの高尾さんに
「太ったよう気がするのですが・・・」と相談したら、
「そうですか?体重は変わりませんよ」と言われたばかりだった。
腕が痛いので服用中のリリカカプセルの副作用ではないかと心配していたのだが・・・

何と、昨日私が帰る直前にトイレに行ってドアを開けたまま、
「トイレに行ってもいいけど、ズボン上げるのに時間かかって・・・面倒ねえ」
とぶつぶつ言いながらパンツを上げている。

ふと見ると、確かに窮屈そうだ。
「ちょ、ちょっと待ってお母さん、いったい何枚はいてるの?」
「冷えるからねえ〜」(--おいおい、今何月だ?)
「一枚、に〜まい、さんまい・・・」(番町皿屋敷じゃないんだよ)
「まだまるまって一枚残っているよ」
すったもんだの末、最後にウエストゴムのLLサイズのズボンをあげてだるまさんのようになって終わり!見事にブサイクだ。

ズボンを入れて6枚、はいていた!!
ショーツ2枚、三分丈一枚、五分丈とひざ下のズボン下の計5枚のパンツだ。
おまけに、靴下の下に、ハイソックスまではいて、シャツの上からブラジャーをつけて、この部屋は西日が入って暑い暑い、嫌な部屋ねえ〜と文句タラタラ・・・
メチャクチャだ。

確か、足がだるいだるいと言うので、「あまり締め付けると足が浮腫むよ、血行良くしておいてあげないとね。」と言って、冬の間に下着3枚で納得させたところだったのに、油断した。
脱いでも寒くなく、軽くなるだけでかえって具合が良いと喜んでいたのだが。
いつ戻ってしまったの?

そういえば以前もこんなことがあったなあ〜?何だったか忘れたけれど。
そうそう、もうほころびて汚いので捨てた下着が又タンスの中に。
捨てたはずのご汚いスリッパが、何度捨てても部屋の隅に。何度殺しても生き返ってくるホラームーヴィのようだ。呪いのスリッパ!

多分あの部屋は時計が逆回りするのだろう?
オババも若返るかもしれない。

油断めさるナ、ソラさん!

2012年4月17日火曜日

弱音を吐こう介護日誌(26) 〜お兄さん? 弟?

私の兄は私より四歳年上で、しかも老け顔だったので以前は母と歩いていると、よく夫婦に間違われたものだ。母は小柄で童顔、しかも若々しい華やかな色彩の洋服を好んで着ていたので、とても若く見られた。

でも、もう90歳の母は、すっかりおばあちゃんで、今ホームで暮らしている。
長男の兄ではなく、私が保証人になっているので、ホームの人にはその辺りの関係が良く分からなかったのかもしれない。

ある日ホームの事務所の前で訪問者の記入をしていると、
「昨日は、弟さんがみえて・・・・」と言う。
私が怪訝な顔で、しかし笑い(仕方なしに苦笑いするしかない)ながら「兄なんですけれどぉー、弟はないですよ〜、あれは兄!・・・」と訂正すると、『エッ?』というような顔をして、でも全く悪びれるふうもなく、ああそうなんですか?みたいな顔をしてニコニコしている。

いくらなんでも、この私があの兄のお姉さんだなんて、ありえない!
私はその日はこの上なくガッカリして、『そういえばこの一年、ほんとうにハードな日々だった。だからすっかりわたしはやつれちゃったのね。よりによってお兄さんを弟さん〜とは、どう考えてもひどい!』とマジで悄気込んだ。

というのも、昔手術をした時にとても病んで、病院のお掃除のおばさんに「息子さんがみえいていますよ」と言われて、現れたのは夫のKzさんだったことがあり、あの地獄の再現を又味わってしまった。
その時は追い打ちで、「奥さん、昭和一桁生まれですか?」と来たので、言葉無しだった。

この日曜日はおばあちゃんを囲んでのお食事会だった。
兄たちが母を連れて来てくれる。

そこで、ホームを出る時の弟の話がでた。
あの恐怖の弟事件はまだ続いていて、この日もひと騒動あったらしいのだ。
そして判明した。
弟とはーーうちのオババが惚けて、しばしば兄を弟の郁夫さんと間違えて呼ぶことがある。
私と話していても、「郁夫が、弟の郁夫がと言うので、お兄ちゃんでしょ?ヒロオ、ヒ・ロ・オさん、お兄ちゃんよ」と私が訂正することばしばしばだった。
多分ホームの人々に向かって「弟が、弟が・・」と言うことがよくあったのだろう。

そこで、ホームのスタッフは、兄を母の弟と勘違いしたらしい、義姉が説明して「なんだ〜、そうだったんですか〜??」と、みんな納得したというが〜〜

もちろん、その話を聞いて一番喜んだのは、言うまでもない、この私である。
人には言わなかったが、本気で落ち込んでいた。あの兄のお姉さんだよ、この私が。オババと夫婦に思われるお兄さんのお姉さん??この私が・・・もう介護はやめよう!
やつれるだけの介護なんかクソクラエだ!!内心そう決心していたのだった。