2011年4月29日金曜日

軽井沢も春


軽井沢にもやっと春がきました。





今までGWは東京でじっとしていましたが、今年は渋滞を心配する必要もないので、昨夜、夜遅くこちらにやってきました。

今日食料を仕入れにツルヤへ行ってきましたが、開店と同時にものすごい混雑で・・・どうしてこんなに人口が多いのか、あの大きな駐車場が空いてない! 真冬の静けさの後だったので驚きました。
我が家の庭にも春がきています。白と若芽の色がさわやか!



おばあさんには、軽井沢へ行ってくるからね、と言い聞かせてきましたが、いやに聞き分けが良かったので、意味が分かっていないかな? と少々不安です。
今回は少々長くおばあさんの所へ行かれないからです。
また、どうしてソラちゃんは来ないのかな?とパニクるかもしれないので、お兄さんに頼んできました。

おばあさんも、少しずつホームに慣れてきて、心の傷が癒えてきたので、今度は自立の方向へ、今の生活を依存せずに楽しめるように持って行かねばなりません。
今までは、私や兄が頻繁に行ってあげていたので、人々と接する必要がなかったことが彼女のソーシャライズを妨げていたような気がします。

私が帯状疱疹で苦しみ、頭、歯、耳の神経まで傷め本当に大変な思いをしたので、自分のことも考えないと長期戦は負ける、と実感できたのはとても良かったことだと思います。
これは戦い!
勝つためには戦略を練り、計画的にやっていかないとかないと必ず自滅します。

そのためにおばあさんを残して軽井沢へきました。
まず自分の健康を取り戻すこと。
そして、元気になったら、これからのことを考えましょう!
取りあえず、今日は好き勝手に過ごしましょう、何と久しぶりの感覚、フウ~

2011年4月21日木曜日

『木洩れ日の家で』と『somewhere』



久しぶりに映画を観た。

母の介護からくるストレスでとても疲れていたのと、Kzさんがオーストラリアへの出張で留守だったためだ。
気分転換をしたかった。

帯状疱疹の後、なかなか本調子になれない。
体がとてもしんどいのだが、更に母の心の状態が芳しくないので、その重さにつぶされたくなかった。

以前から気になっていた、『木洩れ日の家で』は、ポーランドの映画だが、とても素晴らしかった。91歳のおばあちゃんのお話で、一人で生き、死ぬ準備もしっかりしていく女性の生き様が描かれている。

私が今かかえている老人問題あるいは生きるということに直接関わってくるので、心の奥まで響いてきた。しかしとても爽やかだった。
映像も素晴らしい、ワンちゃんのフィラも最高!何よりも主演のダヌタ・シャフラルスカ(当時91歳、今も現役の95歳の女優さん)が輝いている。どうしてこんなにチャーミングなの?

『somewhere』は前評判の高いソフィア・コッポラの作品だが、これは今の私には「映画関係の人には絶賛されるだろう」あるいは「この主人公と共通の生ぬるい生き方をしている人には気持ちよく入っていく作品だろう」と思った。
感情移入ができるから。
スティヴン・ドーフもエル・ファニングも好演している。

でも、今の私の現実は、少々シビア過ぎた。
あんなことで悩んでいる人を受け入れる余裕がないのだ。
だからと言って、映画を観ている間だけでもその世界に浸っていたい~というほどの世界でもない。

11歳であんなに、父親に優しい娘がいるだろうか?
ああいう、現実をあんなに素直に受け入れている少女がいるだろうか?
日本人だから、父親と一緒のベッドに眠っている娘に違和感を持つのだろうか?
父親の肩に寄り添う娘が日本にどれくらいいるのだろう?

彼女の父親の偉大さが、そこに現れている特殊な世界なのか?
いや、また評価がそのうちに変わるだろう。

いずれにせよ映画は大好きだ。

2011年4月20日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑨ 〜なんだ!このかったるさは?

認知症とは何と都合のよいものか!

オババを見ているとつくずくそう思う。
もともとしたたかでずるい人だが、あまりにも都合良すぎる。

どうして、食べることと洋服のことと、買い物の時だけあんなに元気になるのか?
鏡の前で洋服を合わせていると、背筋まで伸びている。(本当は伸びるのだ、面倒なだけなのだ)

人の顔を見ていない → よって、人の顔を覚えない。
もっとも、もともと覚える気など毛頭ない。
「私は、声で分かるからいいの」(よく言うよ)

面倒な事は全部スキップ!
これも、昔からの性格。これをしていれば、今はもっと頭の状態が良かったのにね。

自分の欲しいものは何をおいても手に入れる。
そのせっつき方の凄さ! ほとんど脅迫!

自分から何かしようという気はゼロ!それなのに、ひまだ~、ひまだ~~と。
あれでは、ぱあ~になるはずだ。

物事の道理を考える力、皆無。
見ていると真実アホに見える、しかし騙されてはならぬ。

けれど、何故か人に声をかけていただき、いつの間にか良い人々の中にいる。

今日は、お昼を一緒にする日だった。
いつもは二人でいただくのだが、珍しく、いつもご一緒の人々と同じテーブルでいただいた。
何と、常々見ていて、一番正常な人々・・・あんな人たちと仲良しになればいいのに・・・と思っていたグループだった。
何と運が良いことか!

「こちらにいらっしゃい!」とお声をかけていただいたそうだ。
みんな面白いと言ってくれた。

しかし・・・・言っていることは嘘ばかり。思いついたことをしゃべっているだけで、脳みそが働いていない。
何かと関連性があり、本人は嘘を言っているつもりはないのは分かるのだが、出鱈目もいいところで・・・皆さまもつじつまの合わないのは分かっているみたいで、でもいずれ自分達も遅かれ早かれそんなものだから、と温かく受け入れてくださっている。
それにしても全く持って同じことばかり言っているのだけれど。

92歳のおばあちゃまのほうが頭はずっとしっかりしている。85歳の元気おばさんは、いつも大きな声で話しているが、とても頭がしっかりしている。このホームの古顔っぽい雰囲気だ。もう一人の方は今日は外出だったが、少しお若くて、なかなか感じ良い人で、、折角正常の人々のグループに入ったのだから、もう少しその気になれば、頭も働いてきて上手くやって行けるのに。
もったいないな。
本人次第!

それにしてもあそこまで、出鱈目だと、色々と分かっている私としては話していても疲れてくる・・・初対面の人だと思うことにする。
よその人だったら、興味津々かも・・・家の子たちと一緒だ。みんなに「お子さんたち素晴らしいですね」と言われ、思わず、「よその子だったら、私もそう思うけれど・・・」
ばあさんまで飛んでいる!

2011年4月12日火曜日

帯状疱疹 〜首から上

いつかやると思っていたけれど・・・

顔に来た!
小鼻の下辺りに疱疹ができた。5日後くらいから、口元、頬骨、頭皮と一直線に帯状に疱疹が出た。

ヘルペスのウィルスが脳の神経に入り込んで、脳にメスを入れられているような痛みが1週間続いた。
それだけではなくて並行して、歯の神経(?あるいは右上顎の歯茎のライン?)にも入り込んだようだ。
痛くて物が噛めない、その上、歯医者に行って、ぐいんぐいんと歯を削られる時に、ツキン!っと来るあの痛みに間欠的に襲われて1週間が過ぎた。

頭痛があまりにひどかったので、帯状疱疹だとは思わず、医者へ行くのが遅れた。
どうしてかと言うと、私は脳動脈瘤を持っているので、何度か脳神経外科の先生の所で受診したことがあるのだが、いつかひどいめまいでぶっ倒れた時、あの先生は「ちゃんと検査しているのだからなんの不満があるのですか、頭痛くらいで・・!」ととても嫌な感じの対応をされた後なので絶対行きたくなかったのだ。私の主治医は何故か心配して、脳神経外科に私をまわすのだ。

しかし、今回は皮膚科だった。(内心、ホッとした)
先生に「もっと早く来ないと、、、後がひどくなりますよ。神経痛が残る可能性が高いです。短くても一年くらいは苦しむかもしれませんね・・・」と言われた。
頭痛との格闘の最中だったので、思考力ゼロ!「はあ、覚悟します」とぼんやり答えたけれど、少し時間が過ぎて薬が効き始め、痛みが引く時間も出てくると、冷静さを取り戻し・・・

もし、顔面神経痛になったらどうしよう?
(中学の大嫌いなにやけた担任は、顔面神経痛だった、あんな顔になっちゃうの?ヒクヒク・・・)
この頭痛が神経痛になって残ったら、私は死んでしまうかもしれない。絶対に耐えられない!
(メスが脳に、間欠的にグサッ、グサッ!と突き刺さる・・・)

かなり深刻さを増した。

痛みが始まって10日余り・・強い薬に変えてもらいやっと薬が効いて体が楽になってきた。
「あなた、余程疲れていましたね?」と先生に言われたが、私は本当に疲れていたのです。
人生から逃げ出したいくらい疲れていました。死んじゃいたい、って涙していた。
けれど、そんな時に地震が起きたので、頑張らなければ・・・被災地の人々に申し訳ない・・・そう思って叱咤激励していたのだけれど、限界を越えてしまった。

丈夫じゃないんだから、背伸びはせずに、弱虫は弱虫なりに頑張ればいいんだ、って思うことにした。

2011年4月3日日曜日

弱音を吐こう介護日誌⑧ 〜また、やられたー!!


オババはお花が大好きだ。

残念ながら両親が住んでいた長野の家は日当たりが悪かったし、庭も小さかったので、あまり植物には適さなかった。
父も野草が大好きで、仕事の合間や休日にはもう一つの大きな家のほうへ行って、庭弄りばかりしていた。
器用で池まで作ってしまう人だったから。
父の仏壇にも茶花程度の素朴な花が必ず添えてあったし、年老いてからは本物そっくりの造花でもそれらしく飾ってあった。

先日母が、珍しく物に興味を持って立ち止まり、ホームのエントランスのお花をじっと見て観察していた。
スタッフの方が、「残念ながら、これは造花ですよ~、こちらは本物ですが」と言うと、「やっぱりね。でもきれい」と本物そっくりのカーラに本当に珍しく関心を持った。

これは良い!と思ってオババのお部屋に花を置いてあげようと決めた。
「お部屋が暖かいので、すぐに枯れちゃうから、とりあえず造花でもいい?」と聞いたら嬉しそうに「造花がいい」と答えた。

翌日、私は家にあるお友だちのTさんが紙粘土で作ってくれた菜の花とチューリップと細い緑の葉がカスミソウのような役割をしている花束を持って来た。
透明の長方形のガラスのコップの中にかわいいガラスのボールをいくつもいれてあるので、ちょうど納まって上手に花を活けることができる。私が病気をした時に、元気がでるように、とお見舞いに作ってくださったものだった。

黄色の菜の花、淡いピンクとうす緑のチューリップ・・・「わあ、きれい! 春らしくて素敵ね」とオババはとても喜んでくれた。本当に嬉しそうだった。
帰る時にも「お部屋が明るくなったね」と言うと満足そうに「うん」と頷いた。

翌日、Kzさんとオババを訪問した。
棚にある花瓶を見て、Kzさん曰く「ソラさん、その水の色変じゃない?」
「み、水ぅーーーーー!!何で水が入っているの??」

花瓶のグラスの中はどろどろ。水は濁って、溶けかけたアイスクリーム、ミントとバニラとイチゴのゆる~くなったアイスクリームだ。
水に浸かっている部分の紙粘土がみんなとけてしまっている。
ピラニアに食べられてしまった残骸みたいだ!

Kzさんは、「ババちゃん、お水あげてくれたんだね」と・・・ソラさん、怒ったら駄目だよ、と合図をする。私は言葉を飲み込みつつも、水を捨てながらぶつぶつ・・・
オババは私が何を慌てているのかさっぱり分からないで「折角水を入れてあげたのに、浮いてきちゃうのよ。全く変な花で、、、そこを切っちゃえばいいよ」と過激なことをいう。
花が生花ではないのではという疑いは皆無。全く本物と思い込んでいる。

ヤレヤレ、またやられた!
数日前に、知人の全ての住所と電話番号の書いてある紙の束を、びりびりに破られて捨てられたばかりだった。確かに美しい物ではなかったが、母が自分で書いた住所録の束だったから、まさか捨ててしまうとは思わなかったので、不覚であった。
コピーを取っておかなかった自分を恨む。

ホームから帰るとき、玄関でお花の残骸を見せながら、赫々云々と経緯を話したら、スタッフの人々は感激して、
一人は目を潤ませて「まあ、優しい~!」もう一人は微笑ましくて仕方ないという顔をして「なんて可愛いんでしょう!」とマジ感心していました。

うそでしょ!
Kzさんといい、スタッフの人といい・・・老人扱いのプロはそのように見れるの??
みんな自分の親じゃないからでしょ!大事なお友達の思い出の品じゃないからでしょ??
私は認知症がここまで進んでいるのか!!というショックと友だちに申し訳ない気持ち以外の何者でもなかったのに・・・みんなは神様だ!

でもこの3人の反応で救われたのかもしれません。

人間、一人で一つの価値観で生きてはいけませんね。
しれにしても、オババは私の予想外のことばかりしてくださる~~まだまだ戦いは始まったばかりなのだ。これから何が待っているのだろう? ぞぉーーー・・・