2012年9月24日月曜日

松岡さんがここにも・・・うちのダンナ、超変人 〜loquisimo!

『梅ちゃん先生』の松岡さんは、変人扱いされていて、以前やったTV番組『結婚できない男』の阿部寛が演じた桑野さんも超変人で、二人は実に似ている。
と思ったら、同じ尾崎将也さんの脚本だ。私はこの人の作品が好きなのです。

どちらもその変人ぶりが実に誠実なので、思わずクスッと笑ってしまうような何とも憎めない、けれど近くにいたら迷惑だろうな?と感じさせる人々だ。

ところが、その変人ぶり、どうも慣れ親しんだ感じがすると思ったら、うちの旦那さまKzさんにそっくりなのだ。私はこんな変人と、結婚する前からも含めたら40年以上付きあってきたのだ。よくよく考えると、そのお陰で随分迷惑を被ってきた。だって私は極めて真面目で誠実な普通の人間なのだから。

最近、とても人生に疲れていて、本気で「私離婚しようかしら?」と考えていた時があった。Kzさんが抱えている問題が重すぎてしかもナガ〜くて、私まで疲れきってしまったのだ。もうこれ以上付合いきれない、少し離れたいと思って、時々サインを送っていた。

しかし、彼は全く気が付かない。

ある日、いたたまれなくなって、
「これ以上こんなに仏頂面の無言の毎日が続くなら、私は家を出て行きます。だって私影と暮らしているみたいですから気が変になりそうです」と言ったら、
「ソラさん、最近なんか脅迫じみたこと、よく言いますね」と来た。
「脅迫じみたことではなく、本気なのです。涙の訴えです。」と言っても全くピンと来ない。直訴の通じない代官を相手にしているみたいだ。

彼の思考の中には、そういう選択肢は全くもって存在しないのだ。つまり私は何が起きても『側にいるもの』と固定されているらしい。
一種の偏見、いわゆる思い込みなのだが・・・

今回の軽井沢は、自分の心を空っぽにしてぼんやりしたかった。
昨日は、ここ何ヶ月も二人で何処へも行ってないので、若い頃良く行った戸隠の奥社に行きたいと言い、、、一日だけの二人の夏休みだった。

アメリカでお世話になったサリバンご夫妻が日本にみえたとき、まだ生まれて間もない息子をエルシーが抱っこして娘の手を引いて歩いたのが最後だから、多分30年近く行ってなかったことになるだろうか?

何と、ここ数年パワースポットとかで、原宿並みの行列だと言うから、ガッカリだが、昨日は雨降りだったので、お陰さまで大分人出が押さえられていた。

何か心の清算ができたかというと、「???」甚だ疑問だ。

しかし、運転する彼の隣に座っていて、その奇癖というか、こだわりというか・・・例えば何件もGASスタンドがあるのに、みんな通り過ぎて、なかなか入ろうとしない。

「今のところにどうして入らなかったの?」と聞けば、
「あそこの会社のガソリンはなんだが薄いような気がして、嫌なのだ」と根拠もないことを平気で答える。
「次のは?」
「みすぼらしい」
「・・・」
以後聞くのを止めたが、多分一つ一つ入らない理由があったのだろう。
結局相場の高い軽井沢まで来て、入れた。

奥社で植物園の遊歩道に入ったら、雨だから人一人いない。
途中で「熊が出ます、目撃情報あり、注意!」なんて写真付きの標識があるから、向こう側でガサガサなんて音がすれば、恐くて、、、少しでも早く林を通り抜けたい私。
「どうして、こんな雨の日に奥社に来て、しかも誰もいない横道の林道に入るの?」と本気で怖がって急ぐ私に、暢気に「水芭蕉はこっちみたいだ」なんて今にも行きそうな気配。
私はハラハラしながら、人の居る所まで出て心からホッとしたのだけれど・・・
「今度は冬来よう!」と満足そうだ。冗談じゃないぜ。


後で、ほんとに恐かったのだと訴えた時
「えっ!?ソラさん本気で怖がっていたの?へえ〜〜、ソラさんでも恐いものあるんだ」と真剣に感心されたからたまらない。今までイノセントに彼の後を付いて行って、どんなに危なっかしい思いをしたことか。
そんなことは全くお構いなしで、私を何にも動じない豪傑だと思っている。これでも『女性』ですねん!

まるで松岡さんか阿部ちゃんと一緒にいるような、何だか動かしがたいものを感じて、そうかこの頑固さに家族全員がふり舞わされて来たのか?本人は全く罪悪感がなくて、変人なだけなのだ。と初めて気が付いた。

ご本人は、極めて自然体で生きているだけで、、、

私の人生観が変わった瞬間だった。



あのすごい雑草の海原をすっかりきれいに刈って、


更に、何だかわけの分からない灌漑設備を思い立ち、ご太いホースを通して・・・どうも苔庭を造ろうと思っているらしい。もう、あっちの世界だ。でも、無心で一生懸命なので許してやろう。

こういう人の頭の中は凡人には分からないから、相手は松岡さんや阿部ちゃんだと思って、放っておこう。
離婚はいつでもできるから、諦めの境地に達して受け入れて、私ももうすこし『いつも側に居る人』でいようと思う。今までと違うのは、決して『我慢しているのではない』ということ。

迷惑なのは子供たちだけど、いつか分かってくれるといいなと思う。

2012年9月21日金曜日

二ヶ月ぶりの軽井沢 ~雑草の海原とツルヤ

このくそ暑い夏に、2ヶ月も軽井沢の家に来なかった。
私は「ここは避暑地なのです!」と言いたい。

我が夫のKzさんは人一倍の天邪鬼で、冬はほいほいやって来るのです。

Kzさんがとても疲れていたのと、混んでいる所嫌いと、アメリカ出張もあったりで、すっかり遠のいていた。
一番は、アメリカへ行く前に交通事故のリアルな夢を観て、丁度運転をしたくない時だったので、軽井沢への道は処断されたままだった。

うまい具合に、パネルヒーターの冬に備えての点検と、以前から予約が入っていた二階のドアの交換もあったので、今回やってもらうことにした。

昨夜遅く到着。


前回来た時に、ブヨに刺されながらあんなに頑張ったのに・・・もう、雑草に埋もれている。今度は信州で通称"赤まんま"と呼ばれているこいつが海原のように覆っている。



あとは猫じゃらし。
虫に刺されるから、今日は働かない。

先程食料を調達にツルヤまで行って来た。
日頃紀ノ国屋へ行っても、このごろお決まりのものしかなくて、本当にワクワクしないのだが、今日は久しぶりのせいか、大喜びでカートに一杯買って来た。

たっぷりのお野菜、、、何種類ものきのこ、美味しいトマト大きな箱で一箱、夏の終わりに出て来るりんご、大好きな地元のベビーリーフ、面白いピーマン数種(ガブリエルという甘いピーマンにひしの南蛮という小さなものを山のように、、、)、朝取りのとうもろこしに、茗荷(紀ノ国屋は3個入りで298円もしているけれど、ここは30個くらい入っていて179円)! 信州産丸ナス、、、やれやれ、あげているときりがない。

「こんなに買っちゃって、全部食べれるの?ソラさん。」

帰りに銀亭によってパンを色々。ここのパン美味しいのだ。
「クリームパン、ちょうど焼き上がりましたよ」なんていうものだから、つい一つ。ほっかほっかのクリームパンを頬張って!

最近どこへ行ってもあまり買う物がなくて困るのは、ここが安くて美味しいので、つい比較して手が出なくなるせいなのだろう。

フルフォードさんも言っていた。
「新鮮で元気な野菜をたくさん食べなさい、薬付けじゃなくて、元気なものでないと駄目ですよ」って。東京のスーパーに並んでいる野菜諸君は一見そろっていて美しいけれど、ここのものと比べると、明らかに元気がないのだ。

美味しいからって、食べ過ぎて太るのはもっと危険、軽井沢に来るといつも体重が増えるのが問題なのだ。さてランニングに行ってこよう。食べたエネルギーは使い尽くそう!

夏講座も終わって今週は早稲田が休み、最後の夏休みだ。
今回は勉強しないで、運動と読書と休養に徹する!

2012年9月18日火曜日

『いのちの輝き』 〜ロバート・C・フルフォード博士


この本は私のバイブルだ。
私は子供の頃から、訳の分からない不調に苦しんで来た。頭痛、腹痛、下痢、痙攣、しびれ、訳の分からない痛み、湿疹、貧血、めまい、肩凝り、呼吸困難・・・とにかく色々な症状があるのだが、病名を貰える程の病気ではない、しかし具合が悪い。

頭痛がない時などなかった。小学生のくせに常に頭痛薬と百草丸を持ち歩いていたし、肩凝りがない事もなかった・・・

根性がないからだ、と思って頑張っていたら、意識をなくして倒れたこともあったし、貯蔵鉄がゼロになって入院したこともあった。短距離は速いのに、100mを超えると急に失速し、400m走は気を失った。
大好きだったバスケットボールもシュートは入るのに、体力が続かなかった。

そんな繰り返しで大人になり、結婚して子供を産み・・・しかし体調の完全回復はなかなか訪れなかった。どこかが常に調子悪いのだ。頑張る気力がどうやっても出ない。

5年程前になるだろうか?
丁度サイマの施療のお陰で少しずつ体調が整って来た頃、
Kzさんが買って来たこの本を手にした時、何かに吸い込まれるような思いで引きつけられ一気に読んだ。そして病名を貰えなかった自分の悲しさは、仮病でも自分の精神が弱いのでもなく、本当に調子が悪く、なるべくしてなったこういう体質であることを知った。

雨の前の猛烈な頭痛も一笑にふされないで、きちんと相手にしてもらえる。
だって、博士ご自身が私と同じ症状なのだから。

何回か読んで暫く手にしていなかったが、又読みたくなったので家中を探したが見つからない。そう言えば息子のKが来た時に持って行った本の中にあったような気がするので、もう一冊amazonのマーケットプレイスで買った。
貴重な本なのか中古でもあまり安くない。

この本によると私の不調の原因は産まれた時の難産と母親の命を救う為に放っておかれた、窒息の時間が長かったことにあるらしい。母を助けた後、駄目だと思ったほとんど石の固まり状態だった真っ青な物体のお尻をピションピション叩いたら産声をあげたらしい。

この空気を吸えない時間が長かった赤ん坊は、人生最大のトラウマを出生時に持つ事になり、きちんとしたケアをしないと身体のあちこちに歪みをもたらし一生に渡って影響することになるという。
又、このトラウマになっている窒息の苦しみがよみがえり自殺する可能性がとても高いということだ。

余談だが、私はうちの娘Wのうぶ声ほど素晴らしい声を聞いた事がない。映画の感動的な出生のシーンでもあの子の声には叶わない。
スウェーデンのヘンリー・M・トゥルビー博士によると、うぶ声がすべてを物語っているそうだ。あの力強い、澄んだ、生命力あふれた声は、今でも私の耳にしっかり焼き付いていて、とても気持ちがよかった。お産のスタッフは歓声を上げた。
録音しておいてみんなに聞かせてあげたかった。

しかし、実際私には誰も付き添っていてくれなかったので、みんなあんなに素晴らしいものを逃した。Kzさんにあんなに感動的なことはないと言って、息子のKの時に立ち会わせたが、全く違ったいじけた弱々しい声だった。

そう言えば、彼は今は何処から見てもとてもたくましいが、デリケートで3歳くらいまでは弱虫の泣き虫だった。身体もお姉ちゃんより弱かったし、色々手がかかった。
もっとも、このお姉ちゃんはあまりにも勇敢すぎて、今でも紐の切れた凧状態で世界中をすっ飛びまわっている。

このうぶ声の対比は今でも時々笑い話で出て来る。

話をフルフォート博士に戻そう、私はこの本を通して、自分の不調の原因を知ったら、とても気持ちが楽になり、生きるのが辛くなくなった。

身体の気の流れをブロックするものを取り除いて行くこと、自分で少しずつコントロールしながら、完全ではないが、修正して行こうと思う。そしてどうしてもうまく行かないときには、サイマの力を借りたり、酵素温浴や温熱療法の力、あるいは村津先生の歯の噛み合わせ治療の力を借りてどうにか生き延びていけそうだ。

しっかり自分の身体と向き合うこと。身体の声に耳を傾けること。
そして、時々この本を取り出して軌道修正すること。



2012年9月11日火曜日

¡Qué agradable! 〜ha terminado la clase

"La casa de los espíritus"の映画のクラスが今日で終わった。
すごい迫力だった。同じ大作でも、こういう奥深い作品は大好きだ。
それに、ラテン系の作品ならではのマヒコの世界の面白さもふんだんだ。

私は、原書と、木村榮一さんの日本語訳の『精霊たちの家』とスペイン語の映画とスクリプトの四本立てで行ったが、本当に充実したクラスだった。

スクリプトから原書にある部分を拾って読み進めて行くと、映画のストーリーが出来上がる。ブランカとアルバがくっつき、ペドロとミゲルがくっついたが、決してもとの作品を損なうことなく、うまく仕上がっていた。

イサベル・アジェンデの処女作ということだが、そのスケールの大きさに改めて感動した。彼女の背後に実話があり、チリの歴史があり、大統領サルバドール・アジェンデの親族で亡命せざるをえない状況であったがゆえの苦しみの末に書けた作品だと思う。この作品は彼女以外には書けないのだから。

改革派が長年続いた保守派を倒し、アジェンデ政権が誕生し、その後クーデターでピノチェトに倒されるという、激動の時代だ。

エステバンは野心家で、自分の思う通りに生きてきたが、その強さの為に多くの罪を犯した。そしてその罪により生じた恨みから来る復讐の連鎖が、復讐心が復讐を産み、自分に返ってくるのではなく、家族や自分の周りの大切な人々に及び、それが孫の代まで続くという事実に直面する。

しかし、その間娘のブランカもやはり自分の生き方を貫く為に父親と対立し続ける。逆に考えると彼女の行動が同様に父親を苦しめているということにも通じる。

結局、家族を失い、権力を失ったエステバンは自分が犯した罪の大きさに気づき、心から悔い、苦しみ、娘をどうにか救ってあげたいとプライドを捨て頭を下げ、奔走することになる。
娘のブランカも精霊になった母のクラーラの助けを借りながら戦い抜き、父のせいで自分にふりかかった非常に痛ましい復讐の連鎖を勇気を持って断ち切るのだが、、、そう、誰かが勇気を持って恨む事をやめないと、一生戦いが続く事になる。

死ぬまで夫に口をきかなかったクラーラが、絶望のブランカに向かって「憎んではいけないわ、あなたのお父様は決して根っから悪い人間なのではなく、エネルギーがありすぎる(demasiada energía)だけなのよ。だから私は今でも愛しているのよ。」と言う場面が忘れられない。
メリル・ストリープのクラーラはとても素敵だ。特に精霊になってからの彼女の存在感は私たちの心まで包んでくれる。「死ぬということは、産まれることと同じなのだ」と。


"憎んではいけない" 、これは日常の小さなことでも同じだと思う。
私たちの心の中にチリの国家の小さくなった部分が存在しているのではないだろうか?

そしてみんな自分のところで、その "la cadena de venganza " (復讐の連鎖)を断ち切って行かねばならないのだと。だってブランカが受けた仕打ちに比べたら、自分の心の中での仕打ちはまだまだ打ち勝てるものかもしれないのだから・・・。

キャスティングは本当に見事だった。いや〜な人は、私の憎しみが移るくらい嫌でぞっとしたし、アルバの清楚さには心が浄化された。ペドロの父親は心から信頼できたし、クラーラとフェルーラには脱帽だ。
そして、エステバン役の、ジェレミー・アイアンズは若い頃の彼を見るとビックリしてひっくり返りそうになるほど見事に演じきった。

パトリシア先生、¡Muchas gracias!

2012年9月9日日曜日

O型一族 〜A型嫁一人 

私は全員O型のファミリーに嫁いだA型の長男の嫁だ。
血液型を信じるわけではないけれど、両親、夫、妹二人、弟、全員O型だ。

そして、もっと枠を広げると、下の妹のダンナさんも弟のお嫁さんもO型なので一族17人中12人がOで、残りの5人がA、つまり上の妹のダンナさんと娘、私と家の子供たち二人だ。
この中に居ると、血液型ってあるのかも・・・とつい思ってしまう。

金曜日から、軽井沢へ行っていた。
サンパウロから一時帰国中の下の妹の歓送迎会で、姑、妹二人、嫁二人の計5人の女子会。こういう組み合わせで何処かへ泊まりがけで行ったのは嫁いで35年以上になるが初めてだった。

姑の提案で日時を決定するまでは全て彼女が仕切っていたのだが、気が付くと切符を取ったり、お弁当を手配したり、道順を考えて待ち合わせの時間を決めたり・・・全部自分がやっていた。
長男の嫁ということもあるのだが、みんなが譲り合う傾向にあって自分で決めようとしないので、このままバラバラやっていたら、何も決まらず絶対何か起きてもっと厄介なことになると思いいつの間にか全部やっていた。

もちろん、何もかもスムーズに行き、OK! 楽しく終わった。

しかし、気が付くとホテルに着いてからも、何かを決めたり、部屋を出る時に鍵を持ったり、お食事中のお料理の説明をするのにおしゃべりの切れ間がなく困っている係の方を見かねてみんなを黙らせたり、帰りの車の手配をしたり、みんなが譲り合っていつまでも決めかねているお部屋の眠る場所を決めたり、忘れ物がないか最後のチェックをしたり・・・

「お姉さん、委員長タイプでしょう」と言われ、
「そういえば、いつもクラス委員してたわ〜」とみんなで大笑い。

みんなおっとりしていて善い人ばかりだし、あのまま成行き任せにしていても指定の新幹線に乗り遅れる程度のことしか起きないだろうが、、、A型長男の嫁の試練はまだまだ続きそうだ。

というか、このファミリーでの私の役割って『この大ざっぱさの中に潤滑油としてちょっと細やかな配慮をすること、何だか分からないけれど、お姉さんに任せておけば安心、全部うまく行く〜』みたいな信頼感なのかもしれない、とふっと思ったりした。

でも、問題は自分も性格的には全部やってもらってのんびりしていたいタイプだってこと・・・何でもやってくれる父の後を安心していつもくっついていた。これではもう一生どこへ行ってもお姫様気分でのんびりできないってことだろうか? 
ああ、『リーガル・ハイ』の里見浩太朗さんみたいな執事が欲しい!

それにしても、やはり血液型ってあるのかも? あるいは単なる性格??
O型パワーはすごい!! 
なかなか意義深い旅であった。



2012年9月5日水曜日

映画まとめて8本〜その③最終 『スモーク』『汚れなき悪戯』

夏休みの映画まとめて8本の最後は、ポール・オースターが手がけた"Smoke"(邦題『スモーク』)と私がまだ子供だった頃の映画、1955年スペイン制作、あのマリセリーノの歌で有名な、"Marcelino pan y vino"(邦題『汚れなき悪戯』)



Smoke
は以前から観たいと思っていた。
上智の英語、映画のクラスのKevin先生が「ポール・オースターが好きなんだ」と言った時に、「私、ムーンパレス大好きなんだけど」と答えたら
「オオ〜、ソラさんもそうですか〜」とても嬉しそうだった。そしてその時、
「Smoke観た?」と聞かれ、「No, まだ観てないんだ」と答えてから、ずっと気になっていた作品だ。

ポール・オースターは昔娘がまだ家に居た頃、「多分ソラさん好きだと思うよ」と言われ、『孤独の発明』を買って来て、読んだ。そしたらとても難しかった。でも柴田元幸さんの訳にはまって、結構オースターの本を読みあさった。

ところが、Kzさんがもっとはまってしまい、今度は原書で読み始め、詩の翻訳までやってしまった。ごひいきを取られた形になったので、彼は彼に譲った。
私の実力では原書をさっさと読みあさるまでは深入りできなかったのでちょっと悔しかった。

先日、仲良しのWhoちゃんと話していたら、たまたまこの作品の話がでた。彼女はハーベイ・カイテルが好きなのだ。(私にとってもとても気になる役者さん)
そしたら、何が何でも観たくなり、Tsutayaで探したけれど、なかったので、amazonでDVDを買ってしまった。これでいつでも好きな時に何回でも観る事ができる。それくらい繰り返さないとどうも理解できない、一回では難解な映画だった。

珍しく、Kzさんが眠らなかった。

映画の中には、P・オースターが一杯詰まっていた。彼の世界に足を踏み入れた人はどっぷりその世界に浸れる。
『幽霊たち』の町の雰囲気なんか感じられて、彼の作品の登場人物がそのままタバコ屋の常連客になっているみたいだった。

映像の場面場面がモノクロの写真を観ているみたいで、その世界がたまらない。

今の私は浸っているだけで十分なので、
内容については、又2回目を観てから書こうと思う。


"Marcelino pan y vino"



は、私がまだ子供の頃に観た作品だ。
1955年のスペインから日本に上陸したのに何年かかったのか知らないが、長野に住んでいたのでもっとかかったのだと思う。果たして何歳で観たのか分からないが、子供だった。

マルセリーノの大きな目と、彼のイノセントな子供らしい好奇心とpureな心が印象的だ。

その頃覚えている映画に、『サミー南へ行く』とか、『わんぱく戦争』とか、『シベールの日曜日』とかあるから、10歳くらいでそれを観ていたということは、父親の映画好きが子供の頃から影響していたのかもしれない。

早稲田のスペイン語での大の仲良しのKさんにそのDVDをお借りした。
原書付きで、お借りしたが、結構読める!もっとも映画は日本語字幕付きだったから心配いらない。

「そうか〜、こういう作品だったのか〜・・・」

しかし、当時内容を理解していたかははなはだ疑問だが、50年近い年月の末、やはり頭や心がまだ柔らかかった子供の自分が多分一生懸命に観ただけあって、場面や映像は結構覚えていた。そして何よりも、あの『マルセリーノの歌』の挿入歌はバッチリだった。

いい映画は、いつ観てもいいのですね。


2012年9月3日月曜日

映画まとめて8本〜その② 『八月の鯨』『オリンダのリストランテ』『オーケストラ』

8月のお盆休みは、私には学校もないし結構『夏休み』と言える大事な休みだった。

お正月とGWとお盆休みしかまとまった休みのないKzさんにとって、今回はお盆休みが少し長く取れる大切な期間だったので私は少し期待していたのだった。いつもはせいぜい長くて3連休なので。

お正月は来客など忙しくて休めません。GWは細切れなので駄目。今回のお盆休みは珍しく・・・

しかし、甘かった、ソラさん!
Kzさんはどんとかまえて、全く家から出る気配無し。
「混んでいる時は外に出たくない」といつもの台詞。

それが、全く、全く以て外に出ず、私はほぼ1週間お三どん婆さんとしてこき使われ続けたのです。外食にも行かず、映画にも美術館にも散歩にも行かず、もちろん旅行なんて問題外・・・おまけに家の中は気迫の失せた旦那の重苦しい空気。

夜はうなされて寝言で起こされ、時々暴れてげんこつが飛んできます。(いくら夢の中でも許されない事もありますので)
昼は、「お茶いれて」、「コーヒーは?」、「お昼まだ?」・・・おいおい

ついに幾日目だったか、私がイライラし始めたのを察してか、ビデオでも借りに行くか〜とビデオ屋さんに行きました。
そして借りたのが:『八月の鯨』『オリンダのリストランテ』『オーケストラ』の3本です。

KZさんと一緒に映画を観ても直ぐにいびきが聞こえてくるので面白くないのです。おしゃべりが嫌いだから終わった後の感想もあまり言えないし・・・でも家の中ならばいびきや寝言が聞こえても人目を気にしなくてもいいから、まだいいか・・・


『八月の鯨』

これは、以前Kevinのクラスで "Now voyager" という映画をやった時に、まだ若い頃のベティ・デイビスが主演で、その時に他にもこんな映画があると言われたのと、何人かの人に「八月の鯨観た事ある?」って聞かれたので、一度観てみたいと思ったからです。

作品としては、ジュディ・デンチとマギー・スミスの『ラベンダーの咲く庭で』を思い出させる雰囲気でした。当時この作品とそっくりの事件がヨーロッパで起きたので、よく覚えています。でもお年寄りばかりの出演なので、記憶をなくした若き音楽家に姉妹二人で思いを寄せたりしないので、比べるとだいぶ静かです。

出演はおじいさん、おばあさんばかりで、でもしっとり味わい深い作品でした。案の定退屈だったのか、Kzさんは直ぐにいびきをかき始め、ほとんど眠っておられました。

当時90歳のリリアン・ギッシュがけなげで可愛らしいおばあちゃん役で輝いていました。丁度ポーランドの映画『木漏れ日の家で』の当時91歳のダヌタ・シャフラスカを思い出し、女優魂をここでも感じました。
肝腎のベティ・デイビスは相変わらずの大きな目をしていましたが、相変わらず憎たらしく気難しく、もしかしたら地のまま?と思いました。



『オリンダのリストランテ』

リストランテと書いてあったので、イタリア映画だと思って借りて来たら、アルゼンチン映画でした。これが今回の3作の中では一番でした。
監督は、パウラ・エルナンデス、主演は、リタ・コルテセ。

オリンダはイタリア移民でアルゼンチンのブエノスアイレスで小さなレストランをやりながら暮らしている。少し人生に疲れて来ていて、レストランをやめようかと思っている時に、ドイツ人の変な男の子が恋人を追ってやって来るのだが・・・

食材やお料理がとても美味しそうで、画面を見て味を感じてしまうところなど、自分は食いしん坊なのだなあ〜と実感。

一番好きなシーンは、オリンダの常連客で夫婦なのかな?と思わせる絵の上手いおじさんがいるのだが、オリンダがイタリアへ行ってしまう前に、下宿人兼カマレロのドイツ人の男の子がそっとそのおじさんをオリンダの部屋に連れて行くと、その壁一杯に彼がナプキンやランチオンマットなどに書いたスケッチがぎっしりと貼られて埋まっている。

その、貼られた絵の壁が素敵で忘れられない。

見終わった後味がとてもいい。
働きずくめで自分がイタリア移民だったことも忘れ始めていたオリンダの再出発の姿がとても素敵だ。

幸せバズルもアルゼンチンの女性の再出発の映画だったが、おばさんが主人公なのも、なかなか素敵だ。


『オーケストラ』

これは、二年程前だったか、日本で上映されていたときに行こうと思って行けなかった作品だ。
ロシアの映画で、ラデユ・ミヘイレアニュ監督、アンドレイ役のアレクセイ・グシュコフ主演。美しいバイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ役のメラニー・ロランがとても素敵だ。

あれ、この痛快さ、喜劇だったの?と思わせるような、あのロシアでこんな作品作ってしまっていいの?よく通ったねえ?と思わせるような箇所がたくさんだ。風刺の聞き方が普通ではない。

目的があれば、人生こんないい加減さで突っ走ったら面白いのかもしれない。
ちょっとうまく行き過ぎているけれど、背負っている歴史の背景はとても重いけれど、、、。
楽団員のしたたかさと最後のまとまりを観たら、のだめと千秋さまのオーケストラを思い出してしまった。音楽はどんな重さを背負っていても、こんな奇跡みたいなことが許されるのかもしれない。

それにしても、あのロシアで・・・

映画まとめて8本〜その① 『アレクサンドリア』『幸せパズル』『ビューティフル』

スペイン語のお友達のAさんに3枚のDVDをお借りした。

『アレクサンドリア』



は、アレハンドロ・アメナバール監督の作品でレイチェル・ワイズ主演の大型映画だ。
ローマ帝国末期に信じられない高度な文化を持って栄えていたエジプトのアレクサンドリアという都市において、女性の天文学者のヒュパティアがその時代では信じられない生き方を貫く作品だ。
その崇高さと公平さと意志の強さと探究心の深さは、時代背景を考えるとひたすら『すごい!』としか言いようがない。

何だかジャンヌ・ダルクを観ているような気がした。
私は大型映画が好きではないので、友人に借りなければ観なかったと思う。『クレオパトラ』とか『サムソンとデリラ』『ベン・ハー』などの大スペクタクル作品は昔観てはいるが、自分の映画の好みとは違っているから。
しかし、『アザーズ』や『海を飛ぶ夢』のアメナバール監督の作品は大好きなのでその眼の持って行き方は素晴らしいと思う。


『幸せパズル』〜"Rompecabezas"



これは、2009年制作のアルゼンチン・フランス合作の私好みの小劇場向きの映画だった。
監督のナタリア・スミルノフは私にとっては初めてで、あまり彼女のことは知らない。

主人公のマリアはよくできた専業主婦、夫につくし、二人の男の子ももう子供ではなく自立の時を迎えている。そんな彼女の50歳の誕生日にもらったパズルが彼女を別の世界に運んで行くのだが・・・

普通の主婦が中年に達し、マンネリ化した自分の生活を顧みる事はとても大事なことで、人生の転機につながると思う。それが、パズルだろうがblogであろうが、写真であろうがキルトであろうが・・・自分が夢中になれるものを見つけ、楽しさを再発見するのはとても大事なことだ。

私自身も、上智や早稲田で語学や文学や映画の勉強を始めたのが40代後半に入った頃だったと思う。それがあるのとないのとでは、今の人生は全く違うものになっている。

マリアは結局は家族のもとに戻り、でも夫や子供たちを頼らずに自分の行動ができるようになった。冒頭のシーンのマリアと最後の田舎の土手みたいな所で一人で座り込み、生き生きと解放されたような表情でリンゴ(違うフルーツかもしれない)をかじっている様子は、とてもいい。
アルゼンチンと日本の女性の立場が似ているのか、妙にうなづけた。多分中年になっても女性が社会でもばりばり働いている国の女性が観てもどうってことがないかもしれないが、中年になって訪れる空虚感がある人々には何か響くだろう。


『ビューティフル』〜"Biutiful"


ハビエル・バルデムはやはりすごい!

これは2011年のメキシコ・スペインの映画だ。舞台はバルセロナ。何となく懐かしい風景がたくさん出て来る。監督は、『21グラム』や『バベル』のアレハンドロ・イリャニトゥ。かなりきつくて重い。

観ていて、「これでもか、これでもか〜」というほど重い。パトリシア先生とも話したが、本当に重い。画面も暗く、テーマも暗い。ハビエル演じるウルバスは悲惨そのもの。

けれど、彼がこの世に心残りのある死者の霊と交信できる事と、最初の雪の中で男(青年)とすれ違って、穏やかな顔をしてタバコに火を点け一服もらうシーンと、フクロウが死ぬ前に毛玉を吐き出すことと、母親の指輪を女性にあげることが、すごく印象に残り、あれはなんなのだ?と問い続けながら作品を見続けることになるのだが、最後に全部の意味がつながる。

指輪をもらう女性は、ウルバスの死ぬ直前で、「おばあさんの形見の指輪だよ」と言って託す自分の娘だったこと。それは、父親である自分のことも託すということだ。
雪の林の中で最初に出会った男性は、彼が顔も知らない、若い頃に亡命した自分の父親だったこと。
その時のウルバスがとても穏やかな気持ちのよい顔をしていたということは多分もうこの世に心残りはないということなのではないのだろうか?今の自分にできることはもうない。
ふくろうの毛玉はもう吐き出していて、死ぬ準備ができ、父と母のいる世界に戻って行ったのだろう・・・

それにしても、あれだけ抱えて生きるのは、本当に大変だ。心がすさんでくる。