2013年4月30日火曜日

我が家の世代交代⑧ 〜ウォッシュレット アプリコット TCF4721

2009年に一階のウォッシュレットを替えた。
電気系統の故障で、温水が出なくなったのだ。

その時、「次は2階ですね」と言われたが、今年まで持ってしまった。16年使ったことになる。前回ですらも長持ちしたと言われたのだが、更に4年・・・

以前練馬のマンションに住んでいた時に、TOTOのGIというシリーズのウォッシュレットの洗浄用のお湯の出が大変心地よく、この家を建てる時にも是非同じものをお願いしたいということで、このシリーズにしたのだが、湯量が抱負でだからといってきつくなくたっぷりと優しく・・・とても気持ちが良かった。

それは横にタンクが付いているタイプで、常にそのタンクの温度を保っていいなければならない。今は節電の関係上、横のタンクのものは効率が悪くて、なくなってしまったそうだ。

こうして、今回は前回の1F同様、アプリコットにした。
以前と違って色々な自動機能がついているのだが、そんなに便利にする必要もないと思うのだ。
自動的に便座のフタが上がるのはうっとおしい上に無駄に感じ、その機能はパス!

しかし、以前のと比べて16年の歳月を経た割には使い心地はそんなに改善されたとは思わない。もちろん、節電に関しては何も言えないが、湯量はやはり昔の方がずっと気持ちが良いから困ったものだ。

ひとつ可笑しかったのは、リモコン
最近めっきり目が霞んで来て、老眼が更に進んで困っているのだが、昔の大きな丸いボタンが3つか4つあるやつで十分だ。

しかし、機能が多くなったから、そうも言っていられないのだろう。
そこで4年前と比べてみた。これが四年前のもの。



この時は12年前と比べると確かに便器も全てファッショナブルになり、リモコンも見にくいけれど大変おしゃれになった。軽井沢のハルニレテラスなども同じトイレを使っていた。


そして今回、どちらも老眼には見辛いのだが、どっちの方が新しい感じがするのかは疑問だ。


というわけで、我が家の世代交代はどんどん進むが、製品そのものは果たしてどうなのだろうか?

もっとも寿命が来て、壊れてしまっては替える以外に仕方がないのだが・・。

2013年4月22日月曜日

『シャンタラム』上・中・下巻 by グレゴリー・ディヴィッド・ロバーツ

シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)



"Shantaram"  by Gregory David Roberts

大変な本にはまってしまった!
3冊を幾日で読んだのだろう? 止まらなかった。

『風の影』を読んだ時にも止まらなくて困ったが、あれは『これからどうなるのだろう?』とハラハラドキドキしながら物語の筋を追っていたのに対して、この作品はもちろんストーリーもそうなのだが、一行一行、会話の一言一言にこめられた心の奥に訴えかけてくるもの、そう、今まで抱え込んで来た自分自身の苦しみに語りかけて来る声のような感覚を通して伝わってくるものがたまらなかった。

孤独、愛、闇、飢え、憎しみ、許し、善悪、痛み、後悔、笑顔、まごころ、無感情、宗教・・・人間は生まれ変われる・・・

2013年4月12日金曜日

へんな天気 〜4月半ばに雪が舞っている

昨日の夜中、いや今朝かな?軽井沢に着いた。

又、Kzさんのお仕事だ。
昨夜福岡から戻って直ぐに東京を出発。
還暦を過ぎると次第にこういう日程は身に堪えるようになってきた。でも、夏はあまり来ないから今のうち・・・Kzさんはお仕事で大変だが、私は空いている軽井沢を楽しめる。

東京を出た時、気温は8.5度だった。
少しずつ気温が下がって、5度くらいになったが、高崎あたりで又上がった。

高速を降りて、氷点下。いつもの一番寒いポイントでマイナス2.5度になった。
真夜中という時間のせいもあると思うけれど、家に着いた時はマイナス3度。でもなんとなく春の氷点下。

今朝も寒かったが、すぐに5度くらいまで上がった。

昼前にツルヤまで食料の買い出しに行き、銀亭がなくなってしまったのでハルニレレラスのSawamuraまでパンを買いに行った。ここのパンは恵比寿のロブションなみに高いのだが、美味しいから仕方ない。(とても大きいけれど、パン・オ・ノア一本2100円!! increíble! もちろん半分でも売ってくれる)

戻ってお昼を食べてからスペイン語の勉強をしていたら、窓の外の景色が変だ。
羽虫の大群が押し寄せたのかと思った。外でかなりな量の白い物が舞っている。軽くてふわふわしている。ちょうど羽毛布団をはらった時みたいだ。

何だろう?雪??
そう思って外に出たら、消えてしまった。
そしたら、太陽が出て来た。。。爽やかな青空出現!!
まるで天気雨じゃなくて、天気雪?

そして、更にあの現象、真っ白な雪山に囲まれたイリュージョン状態になった。

勉強ばかりしていて疲れたので、気分転換に散歩、と思ってダウンを着たら、又雪が舞って来た。かなりの量がふわふわふわふわ舞っている。ダンス・ダンス・ダンス・・・ダウンを脱いでこれを書いている。
怪現象・・・

やはり散歩して来よう。帽子かぶって・・・あっ!晴れた!!
又青空だ。

『ダンスダンス・・・』で思い出したが、今日村上春樹の新作がAmazonから届いているはずだ。
どんな作品なのだろうか?

私もそろそろ、本気にならないと何も書けずに人生終わってしまう。エンジン始動・・・かな?


2013年4月8日月曜日

紺碧賞 〜早稲田大学オープンカレッジ

賞には全く興味はないのだが、先日4月5日に早稲田大学オープンカレッジの開講式があった。
その会場で150単位以上取得した修了生に紺碧賞という賞を下さるというので友だちの薦めもあって出席してきた。

早稲田の社会人のための講座では、76単位を修了した人は修了生となる。
ここが一つの節目になり、色々特権が与えられるのだが、修了後も勉強を続ける人はたくさんいらっしゃるので、更に150単位取得者には紺碧賞が与えられるということらしい。(今回の出席者、修了生105人、紺碧賞29人)

私は1997年から早稲田での勉強が始まった。もう16年勉強を続けているということなのだ・・いや、驚いた!

小林先生の『女性と文学』とエリザベス・キリタニのシェークスピアシリーズから始まり、キリタニ先生がエクステンションから去られた後、青山南先生の『原文で読むアメリカ短編』に移った。
それと平行して、スペイン語、フランス語、英語を続けていたが、途中から母の介護で長野へ通うようになり、時間の余裕がなくなり、いつの間にかスペイン語だけになってしまった。

けれど、16年間分溜りに溜って150単位を超えたようだ。一科目一年間取って4単位なのだから、随分勉強したことになる。

回りを見ると、若干私は若い感じがした。
皆さま70歳代から80歳の感じだったからだ。

生涯学習は余裕が出てから始める人と、余裕はないけれどどうにか続けたい人とあると思う。途中で姿を消す人、また戻って来る人・・・

今回の授賞式では、スペイン語の友だちが紺碧賞で3人、修了生で4人受賞していた。
みんな良く知っている方々で、早稲田での長い在籍を感じた。
そして、ここにも私の場所があることを思ってとても嬉しかった。

もっときょろきょろしたら、他のクラスで出会った方々ともお会いできたかもしれないけれど、スペイン語の仲間がドバッと目に入り、そこでおしゃべりが始まってしまったので、他を見る余裕がなかった。何と言ってもみんな人懐っこい!のだから。

大学院の学生であった夫とアメリカで暮らしていた頃、私はオープンカレッジに通いながら、日本にもこういうのできないかなあ〜と思っていたが、帰国後友だちから早稲田の存在を知った時の喜びはとても大きかった。

生涯学習の場があるというのは私のような人間には本当に幸せだ。
母の介護とともに、ボチボチ続けていこうと思う。そう言えば、誰かが言っていた、
「今度は300単位かな?」って!




2013年4月3日水曜日

認知症の特徴 〜被害妄想編〜

母の物忘れは大変激しいのだが、ある種の被害妄想だけは記憶として残っている。

入所当時、自分の物が人に盗まれるのではないかと心配で心配で、心をすり減らしていた。
洗濯物を持って行く人、コップの消毒に来る人、掃除に来る人などは全員容疑者だった。
雑巾用タオル一枚でも敵意むき出しだった。

何度も○○がなくなったと訴え、そのうちに架空の物まで無くなったと思い込むようになり、探すから洗濯室に連れて行けと訴え、まさに被害妄想の塊になった。
何かを持って行こうとすると、目を剥いて反対した。

認知症の特徴 ~固執編~』や、『認知症の特徴 〜記憶力低下と無気力編〜』 でも書いたが、盗まれることに関しての母の不安は凶暴性こそ減ったが、まだまだ続いている。

長い間、私の持って行ったスカーフが見つからなかった。
首が汚いから隠したいと言うので、持って行ったものだ。
何処を探してもなく、事務所に届けた。もちろん、「多分本人がどこかにしまったのだと思うけれど、もしどこかで見かけたら母に戻して欲しい」とお願いしておいた。

今日、発見!
シルクのハンカチと供に、袋に入れて隠してあった。
本人は、『私に返さねばならない大切な物』と心に刻んだようで、大事にしまったのだろう。

「ここにあるものは全部お母さんの物だから、返す必要はないのよ。それより使ってね」と何度伝えても、次の時にはどこかに奥深く仕舞ってしまう。しかもどこに何を隠したか忘れてしまうので、探すのに時間がかかること・・・

ま、またやられたー!!!のね』 で書いた、ローラアシュレイのプレゼントの生成りのカーデガンは、本日、ついに黒のマジックで表の裾に近いきれいな模様の上にかなり目立って漢字のフルネームで名前が書かれてしまった。

「お母さん、名前ちゃんと書いてあるのにどうしてこんな所に書いちゃうの?もうよそ行きに使えないよ。これで何枚目!!!」
さすがの私も腹が立ち、怒鳴った。
「だって、大事なものだから盗まれたら困るから・・・」
「盗まれる前に、着れなくなっちゃうでしょ?囚人じゃないんだから番号や名前をゼッケンみたいに大きくど真ん中に書く必要ないでしょ??違う?」

「お願いだから、土曜日に持って来た、二枚のきれいなカーデガンには名前書かないでね。もう、内側にきちんと書いてあるんだからね。あれはよそ行きになるんだから、絶対にマジックで台無しにしないでよ。」
「だって名前は目立った所に書かなくちゃ、私のだって分からないじゃない」
「・・・」(筋は通っている(泣))

「理由は何でも良いから、とにかく書かないで。今度書いたらもう私ここへ来ないよ」
「来ないなら、仕方がないわねえ」とご本人主張が続く。
「本当に来なくていいのね? 分かったわ」(くそばばあ!)

私も認知症の御仁を相手に、本気になって大人げないが、
どうか、記憶に残って下さい「ソラちゃんが何だか怒っていたなあ」と。


帰りがけにクローゼットのドアをしめようと中を見たら、ハンガーにかかっている全部の洋服の袖がお隣同士お互いに結んでつないであった。
多分知恵をしぼった盗難防止策なのだ。だって、一つ取ろうと思ったら、芋づる式に全部つながって出て来てしまうもの・・。そこまで、心配でたまらないのだろうと思うとちょっと哀しい。

他のことは全部忘れてしまうのだから必死で頭を使っているということで、脳の為には良いことなのだろうか???

が、思わずうっかりと「おぬし、できるな・・・」と言ってしまうところだった。