2013年10月16日水曜日

認知症の特徴 〜老人ホームと家族のチームワークで

母がホームに入所したのが2011年の2月だから、2年と8ヶ月になる。

最初から入所していた、母が一人だけお友だちとして認識していた方が亡くなったことを知り、辛いなあ〜とやりきれない気持ちになりながら、毎日同じ屋根の下で暮らしていながら、それに全く気付かない母を見ると、改めて複雑な気持ちになる。

以前は、彼女が救急車で連れて行かれたと言っては心配し、姿が見えないと気にし、滞在先の病院に「お見舞いに行く」とまで言っていたのに・・。
今では、居なくなったことすら気付かない。



入所した頃、同じテーブルを囲み、とてもお元気で親分肌、言葉も記憶力もしっかりしていて母と大げんかした方が、先日すっかり別人になって三周り位小さくなられて車椅子で運ばれて来たのを見たとき、とても悲しかった。

痩せこけて、目が落ち窪み、ぼんやり口を開け、もう自分で考える意志がない顔に変わってしまっていた。
何があったのだろう?
そして、母はその変化にも気が付かないし、その人が存在していたことすら、覚えていない。

ホームのスタッフの方々からも、とても誉められる程、母はうまくケアできているらしい。身体も元気だし、心も安定している。
一番の理由は家族の訪問回数にあると思う。兄と私、合計で週4〜5回。
「ご家族さまがこんなに来て下さる方はいませんよ、お幸せですね」と言われる。

しかし、これだけ行っていても母の中にあるあそこに居なければならない不満と、アルツハイマー認知症による記憶に関する脳の衰えには叶わない。

本人は同居を望んでいるわけではないし、もう自分は以前のような生活ができないことも良く分かっている。分かっているが今の自分に我慢ができない、やりきれない。
我が儘を絵に描いたような人だからこんな生活が続くなら早く死にたいと、心から望んでしまうのだろう。

最近著しく外への好奇心が減少したので、敢えて好奇心を刺激しようとすると息苦しくなるらしく、大変な苛立ちが行動や言葉に出て来るようになった。自分の変化を何となく感じるから、攻められているような気になるのかもしれない。
もう91歳なのだから、プレッシャーをかけずに、好きにしておいてあげたい・・。

これだけ頻繁にホームへ行っていると、人々の変化がよく分かる。
初めから認知症そのものだった人が意外とそのまま変わらず、幸せそうに落着いていたり、あんなにしっかりしていたのに・・・とガッカリする程凄い勢いで変わってしまったり、"痴呆"という言葉が当てはまってしまう人、まだ"惚け"程度だな、と思われる人、この人は"呆け"の方かな?と色々である。

健康状態に現れる人と、認知症の進行に現れる人とあるが、こうして見ていると当然のことながら健康のバランスを崩すと認知が始まることが多い。(きっかけは、骨折、脳梗塞、卒中・・・)

けれど、最初から自分で納得してここが『終の住処』と選んで入所した人は、ある種の諦めとともに、分別と自覚を持ってホームに自分の力ではできない部分を補ってもらって暮らしている。だから年齢に寄る足腰の衰えは多少あっても、意識はとてもしっかりしているし節度があってそれなりにホームの生活を楽しんでいる。
そういう人々にとっては、たとえ寂しくても自分の体力と健康の衰えを感じれば感じる程、安心できる場所なのだと思う。

母は脳の一部が壊れてしまっているので、記憶がほとんど失われてしまい、その自覚がないから、自分が他の人に比べてどんなに恵まれているかも分からない。自覚もないし、認識もないけれど、私たちの足が自然と向く人なのだ。

私たちは母を老人ホームに押し込んだとは全く思っていない。ただ、家の近くに来てもらった、信州で一人で居るより、ずっと近い、直ぐに行ける所に来てもらった、と思っている。
自分たちで100%ケアすることができないし、幸いにも母自身の蓄えがあったから、ホームに私たちの足りない部分(食事とか入浴とか夜間の世話とか・・・)を補ってもらっていると思っている。何よりも人に迷惑をかけたり負担になるのを嫌う母だったから。

こうして、兄と私とホームの連携プレーをしているわけだが、やはり本人の気力と海馬の萎縮にはかなわない。

自然に自然に、と自分に言い聞かせながら、今日も跳ねっ返り係数急上昇で手を焼いて来た。私がおおらかであることが一番の良薬なのだが・・・進行とともに難しくなる。

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