2018年1月9日火曜日

2017年 またまた忙しい一年でした。

昨年の今頃、こんなブログを書きました。
本当に忙しい一年でした。

ところが、この一年はさらに忙しかったかもしれません。
66歳になってこんなに忙しいとは・・・というものの今回は病気で忙しい一年だったのです。やれやれ、もう若くはないのです。



昨年の一月は、前の年に続き、母の病気で始まりました。今回は圧迫骨折ではなく、インフルエンザ。ホームで一人のおばあさんがインフルにかかって、すぐに隔離をしたにもかかわらず、第一号の感染者が母になってしまいました。ホームは慌てて対策をとったので、あまりひどくはなりませんでしたが、タミフルを飲み始めたと同時に発病したので、母は少々運が悪かったです。

多分免疫力の低下だったのでしょう。95歳でしたから。
前の年と同じでやはり薬のせいで食欲がなくなり、また食べることができなくなりました。医師からは、覚悟してくださいと言われましたが、ある日から食欲が戻り始め、1ヶ月後には快復しました。

同じ頃私は翻訳の詰めの時で、出版社の編集の方にしごかれて文章の直しに入っていてとても忙しかったのですが、これもどうにか乗り切りました。

2月には体力が衰えていたせいもあり、歯の詰め物が取れたので、諸々の事情で通っている福岡の歯医者さんへ行く日の朝、ひどいめまいで倒れ、動けなくなりました。
良性発作性頭位めまい症というやつで、これで3回目です。けれど、よくある症状よりはずっと重く、少しでも目や頭を動かすと世界がグルングルン回り始め強い吐き気がきて、一日中吐き続けるので、福岡の病院行きをキャンセルしてかかりつけの病院へ行き、点滴をしてもらいました。
病院へ行くまでの間も何度も吐きました。本当に辛いです。目を動かしただけで吐くのですから・・・


恒例の人間ドックで、深刻な病気が見つかり、三月には慈恵医大の血管外来に回されました。脾動脈瘤です。
「結果は必ず、家族の方と一緒に来てください」と言われたのは初めてだったので、やれやれ・・・。確かに深刻でした。私は重い病気を抱えることになります。

四月は大々的な外壁塗装工事があり、築20年近くの家の普請が1ヶ月に渡って色々ありました。その間に冷蔵庫の交換までしました。

五月には翻訳の本が発売になりました。その翌日からなんと大変な日々が始まったのです。網膜剥離!! 右目の黄斑円孔についてはこのブログでもたくさん書いてきました。
けれど、今度は左目の網膜剥離。しかもとても難しい位置で起きたので、手術後1ヶ月で再剥離の再手術でした。
五月、六月、七月、は完全に入退院の繰り返し、八月九月は自宅療養。本当に重かったので、とても外出できる状態ではありませんでした。うつ伏せは合計4週間!それだけでもうんざりです。

そんな折、八月の後半で、主人の父が亡くなり、私は目のことなど言っていられず、長男の嫁なので葬儀の日々でした。重職に就いていたので、葬儀が十月までの間に合計4回ありました。ひどい目の状態で、雑菌が入るといけないのでろくに化粧もできない顔で多くの人々と顔を合わせるのは、少々きつかったです。

十一月は、私の翻訳のオリジナル本の作者がイギリスから来日したので、講演旅行の最後の数日は私たちに時間をいただき、催しがありました。
それが終わった翌日、最後の3回目の手術のためにこの年三回目の入院でした。
術後目が不自由なまま師走を迎え、新年になりました。

今年は、少し方向転換をしようと思います。
少し自分本意になって、ゆったりと遠慮せずに好きなことをしていこうと思います。
一昨年で忙しいと思っていたのに、病気だったせいか、なんだか状況がより悪化したような気がするのですが・・。これらの日々も何かまたとない経験で意味深い気がします。

ところが、方向転換するはずだったのに、元旦に洗濯機が故障しました。
一日から何やねん!!神様はまだあっち向いたままなん?
しかも、ドラム式の洗濯機のドアが開かなくなってロックがかかったまま6日間洗濯物を取り出せずに過ごしました。
やっとサービスが始まり、新年早々直していただきました。
モーターとかの深刻な故障ではなく、ドアが開かない!!なんかおかしくて笑ってしまいました。まるで鍵を落として家に入れないみたいです。

さて、どうしたものでしょうねえ?
今年は・・・神様はこちらを向いてくださるかしら?


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