2013年1月7日月曜日

『母の遺産』新聞小説 〜水村美苗



目の回るような年末年始の日々の合間、軽井沢で前述のダイヤモンドダストを見ながらホッと一息した時に読んだ作品。

この作品は、読売新聞で2010年の1月から2011年4月まで連載されたものである。

私が、信州に住む母の様子に色々な変化が生じたため、頻繁に長野を訪れるようになった頃から、最悪の状態になった母を東京の私の家の近くのホームに迎えて慣れるまでの間、必死で認知症の亡霊と格闘している頃までが丁度その時期に当たった。

何しろ母を迎えて11日後に大きな地震があったのだから・・・。一人で長野に置いておかなくて良かった、と心底思った瞬間だ。本人は「そのまま向こうにおいておいてくれれば死ねたかもしれないのに」と憎まれ口を言う。
印象的な最後の章の安堵感が自分に重なる。

読売新聞を購読している友人の何人かが、疲れきった私の顔を見ては、この作品の切り抜きを手渡してくれたり、出版されてからは、何人かの友人に薦められた本である。

買おうか借りようか迷ったが、とうとう買ってしまい、ついには一気に読み終えた。

面白く思ったのは、彼女(作者)と私の符合する点が多いこと、「これは何?」と思って調べたら同じ歳だった。背景、起きていることが重なっても同世代なのだから不思議ではない。

ただ、一つ違うことは、私は今までに一度も『ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?』とは思わなかったことだ。『くそばばあ!!!』とは何度思って叫んだか分からないが・・・。
いくら子供の頃からの恨みがあっても、本人の状態がひどいことになって罵られても、そうは思わなかったのは、多分自分の母親の性格がいくら我が儘であっても紀子さんとは違っていたせいであろう。そして同様に私の性格も水村さんとは違うのだろう。

母親同士、生い立ちも苦労の度合いも、性格のきつさも勝ち気さも我が儘度合いも甲乙つけがたいが、私の母は本来質素で人に迷惑をかけたくない気持ちで一杯の人なので、そのけなげさのせいで尊さの方が勝ってしまうのだろう。

これから何度も死にそうになっては生きながらえて、認知症が悪化して罵りの言葉が繰り返されることになるかもしれない。その度にはらはらし、「もうやだ!」と思うだろう。そして、ぐったり疲れ果てた自分にどんな思いが生じるのかはその時になってみないと分からない。
私もついには水村さん、いや美津紀さんと同じことを思い、そう言葉を発することになるかもしれない。

幸い私には夫の浮気騒動はないが、ある意味もっと大変なことが自分のまわりで起きている。実際現実は小説よりずっと大変だ。

美津紀が本当の意味で過去を清算して自立し、一歩踏み出す終わり方は後味が良い。多分意識の上では励まされる女性がたくさん居ると思う、が現実はもっと厳しい。

『母の遺産』は金銭だけではなく、『母親の生きざまを見たこと』と『この自立に踏み出せたこと』もそうなのだろう。
娘が母からもらうものは良きにつけ悪しきにつけたくさんある。

しかし、なにはともあれ美津紀はとてもラッキーなのだ。
世の中、金銭的『母の遺産』がない人がほとんどなのだから。

母親の介護を母親自身が残したお金ですることができるというのはすごいことなのです。娘に金銭的負担をかけていないということはそれだけで親としたらとても立派なことで、、、、介護をする人にとったら、そんな幸せなことはない。
自分の生活費を削ってあんな贅沢をさせてあげることはできないのだから。
それだけでも親に感謝して良いと思う。

それから人生において女性として自立してどうにかやっていける基盤を作ってくれたのもやはり親であることを忘れてはいけない。姉との差別はあったにしても、彼女が親の援助の元でフランスに留学できたということは、それだけで十分に恵まれていて、恨み言など言わずに感謝すべきことではないだろうか?
何故ならばそれを基盤に彼女は職を得ている訳だから、離婚を選択できるのもある意味そのお陰でもあるのだから。

もしかしたら美津紀は親になったことがないから、子供として与えられることばかりに目が行って、時には自分が無償で与えることをしなければならないこともあるということを見逃しているのではないだろうか?

読み終わって何か腑に落ちない感じを持ったのは、美津紀のそんな姿勢(甘え?)を感じたせいかもしれない。

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