2013年5月10日金曜日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 by 村上春樹

いつもだったら予約してAmazonから着いた途端に読み始めるのだが、今回は『シャンタラム』にはまっていて、それを読み終えてから読み始めたので、今日までの間に随分色々な評が出始めている。

もっとも作品を読み終わるまで、評は読まないことにしている。


『1Q84』の更なる続編が出るのかな?と思っていた矢先にこの作品が出たので、興味津々だった。
どんな風に前作を引きずらずに新しい作品を仕上げることができるか?結構正念場のような気がしていたからだ。



いつも新しい風が吹いている村上春樹の作品は、次の作品が出る度にどのように展開して行くのか?彼に限界があるのだろうか?と、 意地の悪い言い方だが彼がどこまでマンネリにならずに行けるのかは、本当に神業というか、感心するばかりでいながら大変気になることの一つだ。

ほとんど全ての作品を読んで今日まで来たが、村上さんの作品はどれも再読しても新鮮味があり、やはりすごい作家なのだと思う。

多崎つくる君は、読み始めで色が出て来たので、ポール・オースターの『幽霊たち』が連想された。色を人に割り振るのはそんなに新鮮に感じなかったが、"色彩を持たない"に注目すると必要な仕掛けなのだと思う。

今日読み終わって、何か今までの作品とは少し違って、削ぎ落されたシンプルさを感じた。装飾が少なくてスーッと通った一本の道が見えるような作品だった。

小道具は:色彩と駅と巡礼と音楽(リストの『巡礼の年』という曲集のスイスの巻に入っている『ル・マル・デュ・ペイ』・・何故かKzさんが持っていた)

記憶に蓋をすることはできる。でも歴史を隠すことはできない。

つくる君のガールフレンド沙羅が言った言葉だが、これは私の中に心と言う部分があるとしたら、そこにびーーんと共鳴し突きつけてくる台詞だった。

"簡単に解放されないかもしれないけれど、問題をあやふやなままにしておくのは良くない"と言ってつくる君は自分が忘れようとして放置していた現実に向かって、そのことが起きてしまった原因が何なのか、どんな真実が隠されているのかを解明するために巡礼の旅に出る。と言ってもサンチャゴ・コンポステーラや四国の巡礼とは少し違うけれど・・。

ショックがあまりにも大きいと、そして理不尽で何が原因がどうしても見つからないと、人は苦しくて悲しくて、辛くてとにかく心をなくす以外に道がなくなる。
私は身体に受ける肉体的な傷よりも、精神的に心をえぐられた傷の方が苦しい。

前者は今の医学で少しでも緩和してもらえるが、後者は自分を殺す意外に解放される方法がない。(シャンタラムでもリンは拷問には耐えられたが、裏切りには耐えられなかった)

そして、私は感情をなくすこと、気持ちを反らすこと、できるだけ忘れようとすることで耐えて来た。でも、それではいけない、やはり目を反らしてはいけないと思っていた矢先にこの本を読んだので、不思議な気持ちになった。

私にとっての沙羅さんが、この本なのかもしれない。

それにしても、彼の作品の主人公はどうしていつもこのようにマイペースで、どこか時間を超越しているのだろうか? 危機が迫っても絶対に慌てないような・・・

とにかく村上春樹はまだ健在で安心した。
そしてこれからも心に語りかける作品を書き続けて欲しい。

できれば『1Q84』のBook4を書いて欲しいのだが。私の中ではまだ完結してないから・・・

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