今週は夏休みでクラスがない。ちょとした解放感のはずなのに気が重い。
今日は兄が母のホームへ行く日なので、いつもは予習でひいひい言っている月曜日だが母に美容液を届けるついでにちょっこし兄に相談に行って来た。
自分の道を見失いそうだったからだ。
この兄は、笑点の小遊三師匠にちょっと似ている(目と髪型かも?)胡散臭い奴なのだが、私のことをとても親身に考えてくれる。
そして、私が「やりきれなくて・・そんな時は毎田先生の詩を読むと気持ちが楽になる」と話したら、それだったら、あの先生がよく表現しているゾウの姿を思い浮かべるといいよと話してくれた。
林の中で迷ったって、群れから離れたってのっしのっし、シッポをゆ〜らゆ〜ら自分のペースで楽しそうに歩いて行く象。そのゾウみたいに一人で歩いて行けばいいんだよ。
そう言われたら、あの大きなお尻が浮かんで来て、ただ一人(?)周りの景色に融け込んで大きな鼻をゆ〜らゆ〜らさせて首を振りながら鼻歌まじりにひたすら悠々と歩いている姿が見えて来た。鳴き声も聞こえて来た、足音も・・・
ちょっとルソーの絵みたいだった。(若冲の屏風も次に浮かんだ)
そしたら、自分もそんな気持ちになって救われた。(単純!)
一人ぽっちのゾウになった。
家に戻って調べたら、この引用から来たのだなと思った。
スッタニパータ53
背のよく発達した斑紋(ハンモン)のある
大きな象が ひとり群れを離れて
自ら楽しみながら森を歩き廻るのと同じく
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう
スッタニパータ46
若し信の人 敬虔な人 智慧の人なる
明敏な友に会ふことが出来なければ
王者が征服した国を捨て去ると等しく
犀の角のやうにただ一人あるいてゆこう
賢明な 友が得られぬ その時は 孤象のように 一人で歩く<46>
自分のままでいいんだ、そんな気がしてホッとした。
そして、人間の醜い争いも、巻き込まれて嫌だと思ったら『自分の意識はその外側に置くといいよ、そして外から眺めるんだ』と。
小遊三も時にはまともなことを言うんだ・・・
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