2019年1月31日木曜日

『罪と罰』〜フィリップ・ブリーンと三浦春馬

去年の一月文化村に『プルートウ』を観に行ってからもう一年経ってしまったのだろうか?夏頃のことだと思っていた。
この一年も感覚がなくなるほど大変だったということか・・。

今回は『罪と罰』。
ドストエフスキーをどのように料理しているのかとても気になってチケットを買った。私の愛読書の一つだ。
三浦春馬くんはpureな役がよく似合う、少年ぽかった頃から気になる役者さんだ。



とても興味ふかい舞台装置なのだが、前から2列目XBという列では、首を上に上げて見上げるような感じで観なければならず、役者さんたちの表情はよく見えるのだが、舞台全体をとらえるには少々残念な席だった。
少なくとも前から5列目以上上で観たかった。

というのも、廃墟になった教会を表しているらしいのだが、階段状の舞台で、一番近い段、ラスコーリニコフの部屋の中などは目の前でよく見え、金貸しの老婆の部屋中まではokなのだが・・・しかし上の方の段にも人がいるのに、彼らの様子をとらえるのが難しい。
舞台の上は端から端までそれぞれに意味のある存在が常に誰かいるので、それぞれの表情を見たくなるのだ。しかし私の位置からはどうしても下段に目がいく。

右上とかずっと正面の上の方とか、左端とかで皆が何かしているので、もう少し離れたところから全体を観たくなる。それほど細部に行き届いた舞台だということだろうか。

役者さんの表情はよく見えたのだから今回はそれで良しとしなければ・・・

最初に気になったのが、音楽。
効果音を流しているのかと思ったら、舞台の上で出演者の一部になって、チェロとクラリネットとアコーディオンが生の音を出している。あっちへ行ったりこちらの隅にいたり、きいきいいななきのような音を出したり、裏に回ってキンコンカンと鳴らしたりしたりしているのだ。楽器を持っているだけでなくきちんと音楽を奏で、すごい効果を与えている。チェロの音の静寂。
不思議な音が不思議な世界を作り出している。

いつもいい加減なことをつぶやいている勝村政信さんのポルフィーリが圧巻だった。何かコロンボみたいだと思ったら、コロンボはポルフィーリを原型にしているという。
原作でも大変魅力的な登場人物で、学生の頃からこの人物が気になって仕方なかったのだが・・。ちょっとコロンボを意識しすぎだったようにも思えるけれど。

ラスコーリニコフが常にものすごい汗をかいていて、首やあごのあたりから吹き出し、タラタラ流れっぱなしだった。三浦春馬くんは熱があるのだろうか?あれは演出なのか実際風邪をひいていて熱があったのではないだろうか?と見ている間じゅう疑問を感じていました。もっともラスコーリニコフは実際熱にうなされているのだけれど、あの汗の凄さは・・・。

現実の世界でも、自分は特別な人間で何をしても許される〜と麻痺した人間に去年は悩まされ続けていた。殺人ではないにしろ、人を追い詰め苦しめることにおいては共通性があった。ラスコーリニコフは苦しむがこちらの世界の彼は果たして罪悪感を持ったり苦しんだりしているのだろうか?そのようなことがないほど、今の世の人々の心は麻痺し病んでしまっているのだろうか? と考えてしまった。

ロシア語の罪に当たる言葉は、一線を踏み越えること(犯罪)を意味しているらしい。そして苦しむという理性を持ったものが、罰を受ける資格を持つという。
今の世にも『罪と罰』の行き着くところがあってほしい。

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