2019年6月3日月曜日

大凶と大吉

子供の頃から長野の善光寺の大歓進で正月元旦におみくじを引いていた。
家族全員で一人一つずつ引いてその年の運勢とか気をつけることとかを何となく感じていた。
一年に一度のこの行事は、私が結婚して外国に住むようになるまで続き、その後は正月に実家に戻ることがほとんどなかったので、正月以外に訪れた時に引いてみるくらいだった。

今時大の大人がおみくじ?と思う人もいるだろうけれど、私の場合結構面白いと思っている。



何故か「大歓進のおみくじってどういうわけか当たるんだよね」とみんなで話していたくらいいつも的を得ているのだが、おみくじには雑誌の星占いの欄みたいに、何となく誰にも当てはまるように書かれているのかもしれない。

しかし、ある年父が凶を引いた。そしてその年に亡くなった。
肝臓だったので、心の準備もできないほどの急逝だった。

先日10年ぶりくらいに大歓進でおみくじを引いた。たまたま善光寺に行くことがあってもいつも大歓進が閉まっていて、何回も逃していたのだが、5月の連休中だったので開いていた。お正月に負けないくらいの混雑でうんざり。

いつもはおみくじの棒をお坊さまに渡してお坊さまが引き出しからくじを渡してくださるのだけれど、その日は門に近い方の場所に臨時の店ができていてお守りなどと一緒に扱っていたので、まるで縁日みたいで風情がなく気が乗らなかった。

けれど10年ぶりにやっと・・・なのでジャラジャラと引いた。
お坊さまではなく、おばさんに棒を渡すとおばさんはいつもはお寺の窓口の中にある引き出しから私の番号札を出してくれた。
たたんで手渡す時におばさんの顔が動揺した。
そして困った顔をできるだけ平静に戻して手渡してくれた。
私はそれだけで『よくないな?』と思った。

そしてまさに予感は的中!けれど凶ではなく、「大凶」だった。
お寺によっては凶は置かないというところもあるみたいだが何と「大凶」!!
凶でも今まで引いたことがなかったのに大凶とは・・・。

あまり久しぶりなので神様は今までの総集編をしたのかな?などと思ってみた。
というのも、おみくじを引けなかった10年間は本当に悲惨だったからだ。
ほとんど地獄みたいな日々だった。健康面も自分の周りで起きたことも。

がっかりしたのだけれど、父の時のように死ぬ感じはしなかった。
そして今まで本当に大凶だったなあ〜とつくづく思った。
しかし、まだこの大凶が続くとしたら酷な話だ、しばらくは慎み深く気をつけよう。

連休から一月後、またしても長野へ行く用事があったので、もう一度おみくじを引きなおしてみた。
「今までのあなたの人生はどん底で辛いことばかりでしたが、これからは全て良い方向に向かいます。」底をついたということで、大吉でした。
何事もうまく行くけれど、調子に乗らず常に欲張らずに80から90で止めること、何事も控え目に。それ以上に手をつけるとこの運はなくなっていくそうです。
気になる待ち人は遅くなるけれどやがて来る。失せものはやはり遅くなるけれど出てくるそうです。
その他のことはマイナス条件はつかずに文句なく何事もうまくいくそうです。

何かをする、あるいは始めるならば、「文字に関係することをしなさい」とありました。これは私が思っていたことと合致していて、なかなかどうして・・・。

いつも自分の気をつけることを提示してくれるおみくじに従いましょう。
来年も引けるといいけれど。

吉でも凶でもなかなか良いことが書かれているのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿