2020年3月17日火曜日

98歳の母 静かに目を閉じた

大正11年1月1日生まれの母が、令和2年2月11日に他界した。98歳だった。
父の命日が2月1日だったので多分父が迎えに来てくれたのだと感じた。
静かに静かに呼吸がゆっくりになって、最後の最後まで少しずつ空気が抜けていくように全部出し切ったように息を引き取った。
けなげで素敵な最後だった。
人生を生き切るってこういう感じなのだと思った。



ここ数年の間、何度も危なくなりそうな状態から生き返った母だったが、2月1日頃から少しずつ元気が無くなっていったので、今回は父が連れて行くのではと思っていた。

母はお世話になったホームの開設時から入居して10年間元気に暮らしたので、ホームの皆さまのマスコットみたいに大切によくしていただいて静かに目を閉じた。
小柄でまっすぐな気性の持ち主の母は、認知症だったので口も悪いし、気に入らないと心のままに行動して不快感を表して噛みついたりもしたが、必死で自分を守っている様子が見て取れるので、そのけなげさにスタッフのみなさまもむしろ可愛らしく思って下さりありがたかった。

認知症が悪化し始めた頃、自分が変わってきてかなり変なのがわかるらしい母は、ずいぶん私に辛く当たったが、進むに従い受け入れていったようだ。
認知症であっても感謝の気持ちが出ていて優しかった。
会話が面白くて、イケメンのスタッフが好きで、綺麗なお姉さんスタッフも好きで、気の優しい人も好きだった。
その選択はとても的を得ていたので、さすがに人を見る目はなかなかだったのがおかしい。

甘いものが好きで、最後まで食欲があったので、みんながそっとおやつ差し入れて下さったり、甘いミルクティをいつも用意してくださったり・・・とても嬉しそうに飲んでいた。

このブログにたくさん母のことが出てくるが、本当に自分の親ながら天晴れな人生だったと思う。自分はすごくわがままなのに困った人がいれば決して甘やかすことなく、でも何気なく手を差し伸べ、愛情深く堂々と生き抜いた姿勢はむしろ誇らしかった。

私を娘にした母はとてもラッキーだったと思う。
そのおかげで私は散々コキ使われたけれど、母が私を信頼して全てを託したのは実に賢かった。
二人で全部の銀行を回って、母はすべての財産を私に伝え
「そらちゃん、これで私は全部忘れるからあとはよろしくね。仏心を出して簡単にお兄ちゃんに渡してはダメだよ、あれはすぐ使っちゃうからね」と私にお金の管理まで全部託して、認知症の世界に入っていったのだった。

最後まで行くと手を差しのばしてきて嬉しそうに微笑んだあどけない母の顔は私の宝物だ。


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