2020年6月10日水曜日

コロナ禍の中で 〜ウーバーイーツも初めて使ってみた

2月11日に10年間見てきた母が亡くなってからもう4ヶ月になる。
その間何をしていたのかと思って考えたが何もしていない。
ちょうどコロナと重なったこともあり、すべてストップして忠実に自粛していた。
喪失感を感じる間もなく次のステージが始まっていた。



65歳以上は感染すると危ないというので、その犠牲になるのも嫌だし、みんなに迷惑もかけたくないし・・・と大人しく家に閉じこもっていた。
母のホームに訪問できなくなる前に母が他界したので、本当に良かったと、亡くなった大事件にもかかわらず、その後の誰もいけない時でなくてよかったとつくづく思ったものだ。

母の納骨もちょうどタイミング悪く延期し、実家の家の整理も延期し・・・とそんな状態でまだまだやらねばならない仕事が山積みだ。
しかも主人も自粛中だったのでやたら家での仕事が多く、自分の時間など持てたためしがなく時間を持て余すことなど全くなかった。

家ではBBCとCNNがかかりっぱなしなので英語漬けでうるさいのなんのって。しかし世界の状態がかなりわかるので日本のニュースを見ているよりはずっといろいろなことがわかった。

私はドラマが好きで撮っておいたビデオを昼間1時間弱だけ観るのを楽しみにしていたのだが一人余分なものがいるおかげで全くその楽しみも奪われ、外食はできないので食事の準備に明け暮れ疲れ果てた。

一度すっかり疲れて好奇心でubereatsを頼んでみたことがあった。
全くの初体験でどんなものが届くのか不安だったので有名な中華料理店のオーダーにした。が、不安が的中して全く違ったものが届いた。メインの料理を頼んだのに、デザートが届いた。前の人のところにうちの分を置いてきてしまったようだった。値段もまったく違う。配達員はどうしてそんなことがわからなかったのか!値段もカサもまったく違うではないか。
大した説明もなく、オーダーのやり直しするかとメールが届いたが何が何だかわからん!初心者にはとても不親切なメールだった。

間違えた人がきちんと説明をするのが当たり前でしょう。
何しろ全部携帯で操作しなければならずもどかしい。パソコンならまだマシなのだが・・・しかも電話もどこに連絡したら良いのかわからず相談もできずになんとも困った。年寄りとはこんなものだ。

なんでもネットというのも難しいものだ。特にトラブルのあった時は直接説明したい・・・後で詫びの電話が来て、人と直接話せるのは助かるなあ〜とつくづく思った。
なんでもスマートフォンに向かって慣れない指先でトラブルの複雑な内容を伝えるのは胃が痛くなる操作であり、やはり人間は直接というのも必要なのだとの認識に至った。

もっとも慣れればなんともないのだろうが、しばらくはいいや!というところ。
早くから予約しておいたのに、どんでもない時間に夕飯となった。

他方、自粛期間中に2週間ほど微熱と喉の痛みと痰の絡みでなんとなく不調が続き、コロナではないかと疑った時期があった。PCR検査も受けられずにたらい回しされてもかなわないので家で様子を見ていた。結局悪化もせずひたすら不調でいつの間にか熱も引けた。
今でもあれは何だっだのだろう?と思っている。誰も周りにいないのでやはりコロナではなかったのだろう。保健所の対応がとてもひどい時だったのでもし・・・と思うととても不安だった。

外出は犬の散歩のみの日々に、日本の政府のこと、中国のことアメリカのこと人種差別のことトランプのことウィルスのこと人類のこと、いのちのこと・・・いろいろ考えた。

ものを書く気にもなれず、本を読む気にもならず、翻訳もせず・・・ただひたすら毎日を過ごしていたが、動き出したくなる自分になかなか出会えなかった。中からエネルギーが湧き出してこないのだった。
こんな文章でも書く気が出たことは少し何かが戻ってきたのだと思う。
本もテーブルの上に置いてある。

いろいろ考えたことは何かがあるのだろうと思う。
いつも動き回っていた日々の中で止まってただ存在するだけの空っぽの毎日は大事な日々だったのだろう。

まだまだ続くコロナの日々、これからどんな過程になるのだろうか?




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