2020年10月28日水曜日

与えられた時間 〜2020年10月に軽井沢で思うこと

2020年10月末に考える。

今年2月に実家の母が亡くなり、週2〜3回の介護施設への訪問がなくなった。

コロナ禍に突入のため、出席していた二つのクラスも無くなり外出の機会はスーパの買い物と犬の散歩だけになった。 そして7月その愛犬も不本意な事故により4歳で亡くなってしまったため毎日の生活のすべてが半年ほどの間に様変わりしてしまった。 


母は98歳の人生の後の大往生だったし、心ゆくまで付き合うことができたので悔いはない。犬は自分たちの不注意が原因なので後悔以外には何も残らないほど悔いている。いつまでたっても苦しい。大切なものをいっぱいもらったのにお返ししないうちに行ってしまった。

夫の仕事の関係で月に2回ほど軽井沢にやってくるので、私はくっついて家政婦で移動しているようなものだが、その間翻訳の手伝いや諸々の雑用を手がけている。読書の時間もできた。

いつもは2〜3にちで移動なのだが、今回は珍しく1週間以上の滞在になるので、掃除と料理だけではない貴重な自分の時間が持てた。

そして日課を決めて散歩を取り入れたりしてリズムを作り出し、日常にとらわれない考える時間ができた。今まではやらねばならないことでいっぱいで余分なことをする余裕がなかったのだ。


今までやっていたものが一斉にすべて無くなったのは本当に何か真剣に考えなければいけない人生の転換点に来ているのだと思う。つまり私は何か新しいことを、あるいは今までやり残してきたことを始めなければいけない、しかもそれはコロナ禍においてもできることでなければならない。そういう結論に達した。


今日の散歩は冬を迎えつつある別荘族がいなくなった家々の間をひたすら落ち葉をサクサク踏みながら進んだ。途中クマが出てくるのではと思うような心細い場所もあるが、ポケットに手を突っ込みながら歩いていくと庭師のような人が大きな家の手入れをしている。冬の間はこない人々も多いので、冬越えの準備か・・・

しかし暖炉の煙突の付いている家がたくさんあり、薪が積んである。これらの家は常駐の人々が暮らしているか、冬でもしばしばやってくる家だ。最近はすごく増えた。軽井沢は冬もたくさん人がいるようになった。

紅葉に囲まれて、最高に気持ちのよい空気の中で、「翻訳の仕事を続けること」と、「自分の作品を書き始めよう」かと思い始めたことをここに書き記しておこうと思う。気が付いたら人生はもう残り少ないのだ。

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