2024年2月17日土曜日

『東京都同情塔』九段理江 〜第百七十回芥川賞受賞作

折角読んだので、読書メモとして読んだということを記しておこうと思う。というのもそんなに細かく感想を書けないから。


いつも何かの作品を読むとあれこれ記録しておこうと、頭の中を整理するために書くのだが、どうもまとまったことが書けないような気がする。 最近の芥川賞は変化してきているので、次第に年齢的なものかよくわからない。断片、断片・・・

読み終わった時、妙にはっきりと色々な場面が浮かんできた。しかもリアルに。みたこともない同情塔の建物とか、実現しなかったザハ・ハディドの競技場の様子とか、忍び込んだ御苑の夜の風景とかだ。まず、牧名沙羅という名前を聞いた時、サラ・マキナとカタカナ表記した文字を見た時にスペイン語のマキナ・・機械を思った。これは生成AIにも通じる暗示?それとも名前から作品のイメージを作り出す効果?

清潔で綺麗な顔の拓人君は誰に演じてもらおう?とか、沙羅さんが宿泊中のホテルはどこ?この風景が見えるホテルはひとつしかない・・・ちょっと泊まってみたいかな?などと思いながら客室の検索をしたり・・・インタビューにやってきた体臭のきついマックス・クレインが妙にリアルでただ一人の生きている人間の登場人物のような気がする・・・等、作品の本筋とあまり関係のないところで行き来していた。そして言葉に少し疲れた。

犯罪者が住む刑務所でありながら理想郷のような同情塔? タワーのルールは、他者との比較はしてはならないこと。言葉は他者と自分を幸福にするためにのみ使用しなければならない。他者も自分も幸福にしない言葉は、すべて忘れなければならない。これが守れる犯罪者に住む権利があるらしい。む・・むずかしい!! これって生きていることになる?むしろ自分との戦いの日々になるのでは?

たくさんの言葉の詰まった作品だった。多すぎて言葉にできないし、多分少しずつ記憶が薄れていき、マックスの手を洗ってもらうシーンと拓人くんがライブラリーを歩いている涼やかな場面ばかりが鮮明に残るのかもしれない。


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