2011年6月8日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑭ 〜オババランチ その2

今日は水曜日、恒例のオババランチの日だ。
最近テーブルが直ぐに一杯になってしまって、なかなか二人で陣取ることができないし、下手をすると同席も難しい。

一人で寂しそうにお食事していたおばあさんに同席した。
認知症がかなり進んでいるみたいだけれど、時々反応がある。みんな可愛い。
私とお話ししていると、段々声を出すようになり、顔に表情が出てくるので、その変化を見ているのも楽しい。 色々な人の様子が見て取れてオババと二人よりは余程楽しい。やはりよその人だと心の余裕が持てる。
もう一人車椅子の、言葉が少し不自由な人も加わった。とても礼儀正しい。

オババと話していて、これから寒くなるのに~と言うので、
「お母さん、今何月かな?」と聞くと、言葉に詰まった。
そこでタダで転ばないのがオババ。
「ねえ、みんな今何月か知っている?」と横に振った。あれよあれよ・・・・
後のお二人も答えられない。
「ほら、わからないの私だけじゃないでしょ?」 こればオババの答え。
やはりなかなかシタタカだ。


ところで部屋に戻って、これまた恒例の
「ソラちゃんが持って行っちゃった絣のズボン返して」と、始まった。ここ数週間行くとこの質問攻めだ。
今日、又この質問をしたら、紙に書いて壁に貼ってこようと思ってレポート用紙を持参した。

『私の家に絣のズボンは預かってはいません。私はそれを見たこともありません』

顔の洗い方の上に貼り紙してきた。
この質問に悩まされていた私が寝ながら考えた打開策だ。

延々と続くので、一度記録しておこう:

「あれは、長谷のおばあちゃん(私の曾ばあちゃん)がお嫁入りの時にくれた反物でとても思い出深いものなの、洗ってくるって持って行ったでしょ?」
「持っていかないよ。見たこともない。お嫁に来た時なら、もんぺか何かにしたんじゃない?」
「上着と、ズボンをおそろいの反物で作ったの。」
そう言われれば、まだ和服を着ていた頃に、紺絣のそんなもんぺがあったような気がする。上がお仕着せみたいなもので・・・私の小学校あるいはもっと前の頃だ。

「お嫁入りじゃあ、もう70年近くも昔の話だから、あってもぼろぼろだよね?」
「そうじゃないの、お嫁に来たときに反物で持って来て、ずっと後になって作ったの。よし子さん(兄嫁)にクリーニングに出してもらったこともある。」
あれは仕事着だから、とてもクリーニングに出すようなものじゃないから、やっぱ違うか???

「じゃあ、長野に居た時で、ここでじゃないでしょ?」
「ここに持って来たの」
「ここの荷物は全部私が準備したんだよ。その中にはなかったよ」
「だって、ソラちゃんこれから寒くなるから冬物は洗って預かっておく、って持って行ったじゃない」
「あれは私のズボン、お母さんに貸してあげたの。コールテンでこれから暑くなるから、冬まで必要ないし嵩張るから預かったのでしょ?」

「いや、確かに持って行った」
「だって、ここに来たの冬のど真ん中。2月だよ。それからは温かくなる一方で冬はまだ一度も来ていない。夏物はこれから必要なものだから、家に持って行くはずないでしょ?」
認知症にこの論理性は通用しないだろう・・・と分かっていながらも言わずにはいられない私。分かってよ、オババ。どう考えても変でしょ?夏が来るのはこれから、今は6月よ。 
でないと、私泥棒になっちゃうもの。

そこで兄の所へ電話をしてみることにした。
私はかいつまんで今の状況を義姉に説明した。そして、

「お姉さん、そういうズボンの記憶にある?」
「ソラちゃん、全然ない。だってババチャン、スカートしかはいてないでしょ?長野に居た時は」
そう、オババは長野ではいつもスカートで、ズボンなんか滅多にはいたことがなかった。
「そうでしょ?いくら言っても分かってもらえないんだよ、困ってしまう。とにかく見たことないのね?分かった、ありがとう。後はどうにかするから」
と電話を切った。

毎回この騒動で30分はかかる、いくら話を逸らしても、すぐに戻るから誤魔化せない。
どうか、明日は貼り紙の効果が出ますように!!
 ¡Ojalá que tenga・・・!

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