2014年2月21日金曜日

女のいない男たち4 〜『独立器官』 by 村上春樹

文芸春秋3月号にも、村上春樹の女のいない男たちシリーズ4が続いた。
珍しい試みだ。
村上さんのことだから多分そんなことはないのだろうけれど、締め切りに追われるみたいで、だらけないといいけれど。

シリーズ1、2でちょっとしたことを書いて来たが、関連することはやはりここにも個性的な『居そうも無いけれど居るかもしれない』登場人物がいたことだろうか?
それが恋煩いで餓死した渡会という男だ。



読み終わってちょっと困った。
『???・・・』って感じだったからだ。

だって、平たく言ったら、『極めて順調に人生を送って来た裕福で何一つとして不自由のない独身主義者の男が、何人もの女性と程良い関係を持ち、自分は女性と深刻な関係にはならないと『No.2の恋人の座』を自信を持ってキープして来たにもかかわらず、恋をしてしまい、その苦しさに堪え兼ねて身体が勝手に反応して食物を受け入れられなくなり、餓死してしまった』だけの話だったからだ。

これでは、初めて挫折を知ったエリートとか、一度もふられたことのない自信家が初めてふられた話みたいで・・苦しんだことのない人が初めて苦しんだ話が極端な結果に終わったのと大して変わりがないような気がしたからだ。

こんな呑気な人生で良いのだろうか?と。

冒頭に、『内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、その分驚くほど技巧的な人生を歩まずにはいられない種類の人々がいる。』とある。

そんな屈託のない人間に奇妙な光が入り込んで来て、その何かによって、自分の人工的な部分にはっと気づき、その影響でその人生が奇妙な局面を迎えることになる。

その光は、恋煩いであり、アウシュビッツの内科医の話から始まる「自分はなにものなのだろう?」という自問でもある。つまり自分から整形外科医とか金持ちとかそういった特権を取り除いて行ったら果たして何が残るのだろう? 自分を限りなくゼロに近づけたら何が残るのだろう?・・と。

そしてその局面に働きかける力は、自分の意志ではどうしようもない、どうすることもできないコントロール不可能の『独立器官』で起こっている他律的作用なのだ。

渡会さんの場合、その局面は、『餓死』という形でやってきた。
そんな人物のお話なのだそうだ。

そんな人も居るかもしれない。

90歳過ぎて20代の女性に恋をする男もいれば、どうしてもギャンブルを止められない者もいる。自分でコントロールできることではないのだ。ただ、意志から離れてどうしてもそうなってしまうのだから。
そんなことは、独立器官で起きていることなのかもしれない。

しかし・・・







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