2013年6月8日土曜日

『リゴレット』 〜ヴェルディ名作オペラ映画祭

九段下にあるイタリア文化会館へ行って来た。
6月6日からヴェルディの生誕200年を記念して映画祭をやっている。

昨日は"リゴレット"


1982年の作品だからマントヴァ公爵役のパヴァロッティはまだ若い。47歳くらいだろうか?



劇場でのオペラもそんなに観ているわけではないけれど、映画に仕立てたのは初めてだった。友だちがオペラはもちろんのこと、歌舞伎やバレーも悪くないと言っていたが、劇場とは別物だが、確かに大げさでなくてこれも悪くないと思った。劇場では見えない細部や顔の表情までしっかりわかるのだから・・・私はオペラマニアではないから、これも十分楽しめる。

パヴァロッティ、グルベローヴァ、ヴィクセルの三つ巴の饗宴!とキャッチがついていたが、とても良かった!

それにしても、公爵役のパヴァロッティはどうしてこうも好色そうに見え、女たらしで自信家で男っぽく・・・そういう男は全く私の好みではないけれど、実にうまかった!

シェークスピアを観ていても思うのだが、当時演劇はとても大切な娯楽であったらしい。そして何よりも観客を喜ばせることが大事ということで、だから卑猥なことや人を騙したり、いじめたりを作品に盛り込んだものが多く、女房を寝取られたとか色恋沙汰が必ず入っている。人の不幸は小気味好いのかもしれない。

"リゴレット"も、権力と色恋がてんこもりだが、どうしようもないワルで卑しい男でも、悲しいほどの父親の娘への愛が底辺に流れているので、人の心の二面性が描かれていて格調高くなる。

そして、リゴレット(作中の人物で醜く生まれ、公爵の太鼓持ちであくどいことをたくさんしているので周りからの評判の悪い道化的な奴、けれど美しい、宝物のように大切にしている娘がいて、その子が公爵に誑かされ恋してしまうという皮肉さを味わうことになる)は今までの行いを見ていると、リゴレットの手引きによって公爵に娘を手篭めにされた父親に呪われてしまっても仕方がないと思うのだが、手篭めにしたご本人の公爵がお咎め無しというのはどうなのだろうか?

女をたぶらかして次々に捨てているのは、公爵自身であり、呪われるべきなのは彼のはずだ? ところが、一番悪いのは公爵なはずなのに、何故か捨てた女にも好かれてしまい、リゴレットの娘に至っては自ら彼の身代わりになって殺されてしまう。
何と得な役なのだろう。
観客は醜くてずるいリゴレットが受けた皮肉な仕打ちを観て、多分日頃の鬱憤が晴れて喜ぶのだろう・・・?


何時の時代でも権力があり、男前で、口先上手、、、いくらだましても恨まれない、結婚詐欺師みたいな男はいるのだろう。
女性の心を射てしまえば、万事オーライ!ということなのだろうか?
悪いことをしても、堂々と魅力的に強気でやっていて、その人に悪びれたところが全くないと、魅力に変わるということなのだろうか? そして、卑屈でコンプレックスの塊の人の方にいじめの流れが移行してしまうということなのだろうか?

醜くうまれたリゴレットはその容貌と素行から卑屈になってしまったから最愛の娘を失うという大損をしたということになるのか?

どうも腑に落ちない、何か不公平で、リゴレットが可哀想・・・と悩む、くそ真面目な私である。


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