2022年9月2日金曜日

『おいしいごはんが食べられますように』〜by 高瀬隼子 第167回芥川賞受賞作品

 正直「エッ?これ芥川賞?」読み終わった時最初にそう思った。なんだかテレビドラマみたいだけど、最近はこんな感じなのか・・と。昨年の夏、石沢麻依さんの『貝に続く場所にて』を読み終えた時とは賞に対しての印象が随分違った。多分芥川賞に対しての私の固定観念がそんな思いにさせたのだと思う。時は流れ変わっていくのだから決して悪い傾向ではない。


評を書いている先生の中にはホラーという表現をしている方もいたのでなるほど・・と思った。みなさんはどんな感想を持たれたのかと読後に読んでみた評の大概はまずまず高評価だった。

いずれにせよ最初から最後までいっきに読ませるパワーがあったことは確かだ。結構途中で退屈してしまう作品もあるが、そういうところは全くなかった。

読み終えて数日した時、何故かわからないけれど、妙に作中の人物や動作、場面が浮かんでくることに驚いた。記憶の中にストーリーや登場人物がしっかり刻まれていて、読んだだけの世界なのにその背景まで浮かんでくるような奇妙な感じを得た。登場人物たちが大変癖のある人として描かれているのでその特徴が印象に残るせいであろうか。作者の表現力のせいか、なんとなく動いて生きているのだ。

タイトルがおかしい。食いしん坊の私は、どんな作品なのかと興味深く作品に入り込んで行ったが、三人の中心人物は食に対する意識が全く違っていて、当然のことながら生き方考え方も大いに違っていて、それぞれのおいしいごはんってなんなの?と思った。その思いが広がって、「そうか、この作品の中でさえこんなに色々な好みがあるのだからもっと広い世界で考えたら『おいしいごはん』とはそれぞれの性格が異なる以上に千差万別なのだ。それぞれ自分は自分であって、人は人なのだ。それなのに時間や場所を共有して、一緒に生きている。

お菓子作りが得意で八方美人の芦川さん(女)とカップ麺が好きで人に調子を合わせる二谷さん(男)、そしてぶりっ子は好きでない押尾さん(女)が中心人物だが、二谷さんと押尾さんが二人で芦川さんの悪口をつまみに話しているのだけれど、その芦川さんは実は二谷さんと付き合っている。読者の胃が痛くなるほどのぶりっ子のイライラする人物で、本人は気を遣っているつもりなのに、あまりにも鈍感で自分中心の発想なので疲れる。それを冷めた目で見る押尾さんと調子を合わせてしまう二谷さんの行く末が描かれている。

それぞれのあり方は生き方にもつながる面白さがあるけれど、「ふうん、そうなんだ」という余韻が残るということで・・・。

いずれにせよ、相手に合わせるのではなく、同じものを心底おいしいと言える人と一緒に食事ができる人生を送っていられるのはとてもありがたいことだったのだと再認識できた作品であった。私にとってはおいしいごはんは人生の大切な一部なので。

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