2011年1月5日水曜日

弱音を吐こう介護日誌② 洗濯機と格闘! 〜多分一人暮らしはもう無理

2011年も忙しくスタートしました。

1日にKzさんの両親のところへ年始の挨拶に行き、夕方からKzさんの兄妹ファミリーがわが家に集合し、楽しいときを過ごしました。
息子のKは早くも2日から仕事があるとかで、1日午後には名古屋へ戻りました。
2日に早速敷地調査、一軒取ったっと吉報をくれました。おぬしできるな!!

1日の夜から年賀状印刷、翌朝親戚と私の友人の年賀状を書き、ポストに入れ、Kzさんの残りの莫大な数の会社関係を印刷し・・・・これがいつまでたっても終わらない・・・夜遅くなってしまったので、途中で切り上げてはがきを持って軽井沢へ移動・・・相変わらず忙しい。

3日だけは少し休み。軽井沢の氷点下の空気の中で温かいスウェーデンハウスに安心しきっての~~んびり。Kzさんは年賀状をせっせとひたすら書き続けていました。

4日は朝早く起きてKzさんは長野の銀行へご挨拶。私も一緒に新幹線で長野へ、もちろんオババのところ。

今回はすでに12月30日の夕方に、「明日こっちへ来ないよネエ~?」とトンチンカンな電話がオババからかかってきた。私はお料理の真っ最中。手が離せないけれど、我慢して電話で話す。
「最近の電話は壊れているみたいで・・・どうしていつかけても『ただいま使われておりません』って答えばっかり返ってくるんだろう?みんな引っ越しちゃっているみたいだねえ」
ただ、間違えて押しているだけなのだが、説明すると長くなるので、うん、うんと聞き流す。

「明日は大晦日だからねえ、とても長野へは行っていられないよ。私長男の嫁だし」
それでもしつこく電話を切らない。同じ話しばかり10回くらい聞いたので、吐き気がしてきた。もう我慢できないので強行軍!なんたらかんたら理由をつけて電話を切った。

問題は4日の訪問だ。
先日取り替えた洗濯機の使い方が分からないらしい。
基本的には何も変わってはいない、つまり前回のものとできるだけ仕組みの同じものを選んでもらったのだから、何も変わらないと思うのが電気屋さんや普通の人々だ。しかし私は予想していた。

「お母さん、洗濯機変わると分からなくなっちゃうから、今のを我慢して使っていたほうがいいよ」そう助言したのを無視してオババは買ったのだ。覚えていろよ、オババ!!自分から買ったのだからな。

前回24日に行った時に新しい洗濯機が届いたのでやり方を教えて戻ってきたが、当然その時はできた。そして10日間洗濯はしなかったようで、前日に軽井沢に電話がかかってきた。
「お天気がとてもいいからお洗濯をしようと思ったのだけれど・・・動かないのよ」   やっぱり!・・・もちろん口で説明しても通じない。
「明日行くから、半日だけ我慢していてね」そう言っても納得できないオババ。
「直ぐに来て教えて欲しい」と言いたげ・・・自分の周りに人がいなくなったことをなじる、私がすぐに行ってあげないと言ってなじる、仕舞いにはみっちゃんが居てくれたら、と半べそ・・・・こうなると滅法押しが強いのがオババである。

まあ、いずれにせよ、私は翌日行ったのだ。
そして洗濯機使用の実施訓練を1時間に渡ってやったのである。『電源を入れて、スタートボタンを押すだけ!』それともう一つ水栓を開ける。それを教えるのに1時間以上かかり、最後もマスターしたか怪しいものだった。多分次回またできなくて、電話が来る。「今直ぐ来い」と。

それを何度繰り返しても「次にもう一度」と本人のリクエストでやるとすっかり忘れている。ほんの数秒前にやったことだ。スタートボタンを押すだけ!

大きな張り紙(図入り)を洗濯機の所へ貼った。「水道の蛇口を開く」・・・ここで「水道って何?そんなのない」と洗濯機の上のボタンを探す。何度蛇口を教えても、洗濯機のボタンだと思ってさがす。
①電源入れる
②スタートボタンを押す。
これでも分からないので、洗濯機の『入』の文字の横に①とマジックで書いた。『スタート』の横に②。
ところが今度は私が書いた①の文字の上を力任せに押している。②の文字の上も同様・・・・「ソラちゃん、はいらないよ」・・・あったりめぇよぅ!

さすがに情けなくなり、へたばったわたし。
勝手にしてくれー!

シャンプーは24日にしてあげたまま11日間もしてなかった。
洗ってあげたら、真っ黒い水がしたたり落ちた。

もう完全に認知症の領域ではないだろうか?
もう一人は無理なのでは? 
そう思いながら、「家から出たくない」と突っぱねるオババにへとへとになって東京へ戻った私でした。


【追記:そうそう、もう一つ!】
朝オババの家に着いた途端、一番のお気に入りの元暖炉の場所に今まであった毎年私が持ってくる花のカレンダーの代わりに、長新さん(ひいきにしている建設会社)のきれいな家の写真のカレンダーが飾ってあった。
母は、兄の会社がつぶれる前に作った家のお茶室に似ているのでそのシリーズの写真が好きだった。しかし・・・

この不景気なご時勢で、前回私が来ていた時(Xマスイブ)に長新さんがご挨拶に見え「すみません、今年は良いカレンダーを作る余裕がなくて、、、こんな普通のですが使って下さい」とおっしゃっていたのを思い出し、じっと見ると、2010年! 去年の物だった。
私がじっと見ていると、「長新さんはいつも良いカレンダーをくれるでしょ?今年も好きだからそこへおいたの」と無邪気に言う。うーーん、困った。何て答えようか???

「お母さん、これ去年のだよ。ほら、ここ見て。何て書いてある?」ボーっとしつつ、じっとカレンダーを見ている。
「2010年」
「今年は何年?」
「???2010年じゃないの?」
「ほらこれ今年のカレンダーよ」と言って私が持ってきた花のやつを見せると、
「2011年・・・あら、やだ。これ、去年のだったの??これだから嫌になっちゃうのよ。じゃあこれはもういらないわね。」と言いながらくるくる巻き始めた。こうして昨年のカレンダーは資源ごみの袋の中に納まった。
そして、私は自分が持ってきたオババのお気に入りの花のカレンダーを代わりに暖炉の上に置いた。「ここに飾っておくからね」
「お花、きれいだね」と嬉しそう。
やれやれ・・・一件落着!!

暫くして、オババはゴミ袋の中からくるくる巻いた紙を引っ張り出して来て、こう言った。
「ソラちゃん、これいらないのかしら?」
「・・・・・」  (又やられた!!) 私のバトルが再び始まった・・・・ググググォーー!

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