2011年8月31日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑱ 〜又少し進んだかな?

久しぶりに母の所へ行ってきた。
久しぶりと言っても1週間ぶりだが・・・・こんなに空いたのははじめてのことだ。

最後が「もう帰ってくれ」だったので、今回行くのは本当に気が重かった。
又同じ思いをするのなら、私は息苦しくて悲しくて、狭心症の発作が出て倒れてしまうだろうと思っていた。
けれどこの一週間でかなり気分転換ができて、元気が出たので、気持ちを取り直して、1時頃行った。

もうすっかり水曜日が私が一緒にお食事をする日だったのは忘れている。やはりあまり楽しんではいなかったのだろう。「いつものみんなと一緒に食事ができないから、来ないで欲しい」と言われたのはショックだったが、売り言葉に買い言葉ではなく、本心だったのだろう。
神経を逆なでないことだ。

私が一緒にお昼を食べていた事実があったことすら忘れている。
話すのは兄のことばかり。私の言うことは耳に入りすらしない。これが本来の彼女だから仕方ないだろう。お兄ちゃんが好きでたまらないのだから。
でも、私は頑張って話に耳を傾けた。

しかし、今回は自分が喘息持ちだったことすら忘れていた。
二度の入院のことも長野で喘息の時に何年も続けてお世話になった大好きな市川先生のことももう思い出してくれない。ついこの間まできちんと覚えていたのに。

先日私が髪を切ってあげたことも忘れていた。「誰かがこんなに長かった私の髪を切ってしまった。」と今日文句を言ったらしい。私がやってあげたことは記憶に残らないらしい。
髪が活き活きして綺麗になったのに・・・。
ここでも覚えているのはお兄ちゃんがやってくれたことばかり。

父のお墓に行ったことも、忘れかけ、やっと手がかりをつかんで、「そう言えば和尚さんが私に挨拶に来なかった」とプライドが傷ついたことだけ覚えていた。

先週最後に会った時の私へのひどい仕打ちは、当然のことながら本人の記憶の外らしい。
前回の、私が完璧にキレた時と同じだ。 あの日も記憶の全てが飛んでいた。
そして、8月24日は日記にも一行もなかった。完全のブランク!真っ白!と本人が言っていた。
もしそれが本当だとしたら、あの日は悪魔がのり移って興奮して、又脳細胞が壊れたかもしれない。
ガシャン!!

先週と比べ大人しくはなったが、ある意味目に見えて″悪化″

お昼ごはんの直後に行ったのだが、既に食べた記憶がなく、「お昼を食べに行かなければ・・・・」と何度も言っていた。それなのに、ここのお食事はまずい、まずいを繰り返すのは何故だろう?食べたものを忘れていると言うのに?
彼女の精神状態のためには、私は行かない方が良いのだろうか?
でも、色々不都合があるから、感情はどこかへ追いやって忠実な家政婦に徹するか。 第一私が行かないと困るだろう。

今日は、3時にはこれ以上居ても仕方ないな、と感じ、すでに同じ話を10回位聞いたし、私の話にはあまり興味を示さないので、明日の為に体力温存!、とさっさと帰ってきた。
こんなことは初めてだ! いつもだったら夕方まで付き合っていたから。

それができた自分にも驚いた。
長期戦だ、自分のペースを作って、もう少し彼女が居心地良くなるように努めよう。


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