2012年5月10日木曜日

最年長の友人、Anne-marie とSalamanca, Spain

2008年7月にスペイン、Salamancaへ留学した。私にとったら、大大冒険旅行だった!!

たった2週間の語学留学だったが、その後バスク地方へ一人旅して、Madridに留学中だった息子に会ってトレドに行き、帰って来た。ひと月足らずのスペインだった。

その頃の私は狭心症の発作と、脳動脈瘤でショックを受けていて大変体調も悪く、「このまま死んでしまうのではつまらないから、スペインに短期留学させて欲しい、何かがあってもマドリッドに息子がいるから、多分助けてもらえるから」と夫を説得して行かせてもらった。

私の最も解放された自由の時だった。
ガチガチにかたまった、鎧を剥ぐのがそれはそれは大変だった。
わたしにとったら革命だもの。
そしてその時から自分の中の何かが変わったような気がする。

幸い脳動脈瘤はまだ破裂しないで生きているし、元気に暮らしている。

サラマンカ大学の寮で過ごした間に友だちになったフランス人アンヌ・マリーがメールをくれた。そもそも、頻繁にきれいな風景や美術作品のスライドを送ってくれるのだが、本人のプライベートなメッセージはほとんどついてこない。先日久しぶりにまとめてお礼のメールをしたら、今日返事がきた。

実は今まで、何度か返事を書いたが、ここのところ返事がなかったので、もう個人的なメールを書けるような状態ではないのだと思っていた。コンタクトだけはとりたいから、スライドを送ってくるのだと・・・。
歩行困難にはなってきているが、元気そうだ。良かった!

彼女は当時78歳だったから、多分今は82歳くらいだろう。心臓が悪くて何か装置を持っていたから、あまり調子は良くないと思う。
毎年夏はサラマンカでスペイン語を勉強しながら私の居た寮で、2ヶ月ほど過ごしていた。
日本が好きで、いつも食事の時は同じテーブルでおしゃべりしながら、日本語とフランス語とスペイン語で話し、行き詰まると英語でコミュニケーションを取った。
色々なことをお話した。

彼女が居なかったら、初めてのスペインで、知らない人ばかりの中で、言葉も分からず、不安ながらも一人で何もかもやっていた私の留学は随分違うものになったと思う。彼女はお節介はいけないかな?どこまで踏み込んでいいのかしら?と、暗黙のうちに気遣いながら私の好みを控えめにチェックし、出過ぎないで程よく色々誘ってくれたし、困ったことがあると何でも相談できた。

私の最年長の大切な友人だ。

メールの最後には、「あなたのともだち、アンヌ−マリー」と素敵な字体で、日本語で書かれていた。
思わず、ホロリ・・・あたたか〜〜いい。

82歳のフランス人が日本語を混ぜたメールをくれたのだ。とてもソフトな響きで、彼女の声が聞こえて来たような気がした。パソコンを使うだけでもすごいと思うのだが、仏語、英語、スペイン語は当然ペラペラ、日本が好きで日本語を一生懸命勉強していた。
漢字も書く、覚えようとする、驚くべきフランス人女性!

メールを読んでいたら、サラマンカが戻って来た。あの不思議な時間が、私の宝物が。
あの時から、自分の足で歩けるようになったような気がするのだから。
そして、エネルギーが心地よく充電された。

ちょっと気持ちが沈んでいたけれど、スペインの空気を思い出して、さあ、元気を出そう!




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