2012年8月9日木曜日

弱音を吐こう介護日(34) 〜「もう嫌!」対処法なし

早朝、八方塞がりの息苦しさで目が覚めた。

自分が爆発しそうで、去年の歯神経と耳の神経が同時にやられた帯状疱疹の時と同じ精神状態になった。母の我が儘とイライラが極限に達して来ると私は重かろうが軽かろうがトラウマになっていて、自分の感情の出口がなくなり息苦しくなる。本人に悪気がないのは分かっているのだが。

昨日のブログにも書いたが、部屋に入って行くと、腕が痛いという。これは現在どうしようもないのだが、よく見るとヒラヒラのノースリーブを来ていて、まるで真夏のかんかん照りのお日様の下で日傘をさして散歩するような格好だ。

「お母さん、冷房のお部屋の中でじっとしているには、そんなに腕を出しているとしびれて痛みが増すから、神経痛には余計堪えるよ、何かはおるか袖のあるのを着たら?」
と言うと、
「洋服がないからねえ、みんなはとてもいい洋服を着ているんだよ、本当に素敵な洋服」
と反撃が始まる。私はクローゼットに行って、
「これでもいいし、こっちでもいいでしょ?いいのたくさんあるよ。この間長野から送ったばかりだし」

ここで問題なのは、私が良いと思うものは母は絶対に良いと思わないことなのだ(もともと母が好んで自分で買った洋服であるにもかかわらず)。

忘れないようにと、いくら並べておいてあげても、着ているのを見たことがない。いくらカーディガンと組み合わせて何組かクローゼットにかけておいてあげても、着ない。
いつも「あら、そんなのあったの? 初めて見るわ」だ。

今の母は、ちょっと露出風のヒラヒラが大好きで、シンプルな洗濯のきくTシャツなどは、とてもおしゃれなものでも下着だと思って、こんなみっともないもの着れないと言う。
記憶を失う前と好みが全く違ってしまったのが、ネックになっている。

おまけに、ホームで洗濯をしてもらうと、乾燥機を使うので色は抜けるしとても洋服が傷む。だから肌に直接あたるものは洗濯のきく清潔なものが一番なのだが、化繊の入ったしなやかなものを好み、しかもいたむからと言って、洗濯を拒むのが又難題だ。

やっとどうにか上に羽織るものを着せたが、瞬間「暑くてこんなもの着ていられない」と言う。「着ていれば直ぐに慣れるからちょっとの間だけ我慢してみて。腕が痛いよりいいと思うよ」
私も着てみたがとても薄手で、暑いとは思えない。(それに、老人はみんな寒がりだと思っていた)

やはり嫌そうなので、
「だったら、半袖のTシャツ一枚でいいんじゃないの?夏なのだから」と言うと、今度は
「ああ、寒い、どこかから風がはいってくるみたい。」と言ってブルブル震える振りをして、「それに、こんなのじゃみっともなくて部屋から出れないわ」と騒ぎ出す。
私、いらいら。

「みんないつも本当にいい洋服を着ているのに。家の人がちゃんと用意してくれるんだわ、着せてくれるの。私ときたら、誰も何もやってくれない」といらいらして言い出すので、ついに私も声を荒立てて、
「毎日家の人が朝ここに来て洋服を選んで着せてあげているっていうの? そんなことあるはずないでしょ? みんな自分の着る物は、毎朝今日は何着ようかな?って自分で選んで自分で着ているのよ。それができない人は多分介護の人がタンスの中から選んで下さっているんだわ。お母さんだって、タンスの中にこんなに洋服あるのだから、自分で選んで着たらいいよ。毎日違うの着たって相当あるから・・・」

お茶の時間になって、皆さまの着ている洋服をつくづく見てみた。
グレーとかベージュとかの結構地味な色彩の厚手のものや首のつまったものも着ておられる(母は絶対に着てくれないが)。いつも同じものを羽織っている人もいれば、薄手のジャケットやレースのカーディガンの人もいる。皆さま結構厚着だ。
さすがにヒラヒラのノースリーブは居ないけれど、もちろんブラウス一枚の人もいるし、色々だ。しかし確かに少なくとも母よりは何かきちんとしていて小綺麗で品があるように見える。

ここで、もう一度問題なのは、母にはああいう格好が似合わないことと、用意してあげても「ばばくさい!」と言って絶対に着ないということだ。

どうにか願いを叶えてあげたいのだが、何を見て良いと言っているのかも分からないし(聞いても本人の記憶にはない)どういうものが欲しいのかも分からない。しかも欲しいものを買ってあげても、絶対に着ない。

そこで私はうなされて目が覚めた。

今日も又、露出気味のブラウスを着て腕が痛いと言いながら、
「みんな本当にいいものを着ている。私には着る物がない」と洋服の山の中で訴えるのだろうか?そして薦める洋服を全部拒絶するのだろうか?

一緒に行ってどうしても欲しいと言われて買った洋服も、すっかり端に追いやられ、袖を通してもらっていない。「お母さん、気に入って欲しいというから買ったのよ」と言っても、「みっともない!大嫌い」と、とても品の良い夏服に対して文句を言って着ようともしない。私は何を聞き入れてあげたらよいのか、皆目検討がつかなくなり、八方塞がり!!

少し疲れた。
しかし集団の中で何だか母がとてもみすぼらしく見えるのは堪え難く悲しくなり、自己嫌悪に陥る。どうにかしてあげたいと思うので、余計ストレスを感じてうなされて目が覚める。ヒラヒラで露出気味で、しかも温かくて寒くないしなやかで、みっとなくないと彼女が思う洋服があったら、10枚くらい買いたいものだ。
そして買ってあげて、着てもらえない悪夢がいつまで続くのか?

機嫌の良い時は私の薦める洋服を着て、とても素敵なのに・・・まだ、捨てたものではない!!

さて、ここまで愚痴っての結論:『背中で道徳的な人』になって

好きにさせておこう!
腕が痛くても、みっともなくても、いくらなじられて愚痴られても、自分のその時に着たい洋服を着て好きにしていてもらおう。

今日は介護の認定の日だ。
介護度の変化はあるのだろうか?



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