監督は『カラスの飼育』のカルロス・サウラ、主演が『ボルベール』であの幽霊おかあさんをやった、カルメン・マウラ。
前回は『蝶の舌』で1936年、内戦が始まる直前が舞台だったが、今回は1938年、内戦の真っ最中、時代的には、前作の続きになる。そしてその後フランコの独裁政治の時代に突入する。
クラスではそこに当時の芸術家たちがどんなだったかを織り交ぜてまたまた素晴らしい授業になった。
3人のパブロ(パブロ・ピカソ、パブロ・ネルーダ、そしてパブロ・カザルス)や、ロルカ、アントニオ・マチャード・・・写真家のロバート・キャパや、他の国々との関係も浮き彫りにされていく。
『蝶の舌』でも書いたが、この時代からスペインは自分の心を語ってはいけない時代に突入し、人々は口をつぐむ。そしてそれは今もなお傷として残り、人々は口を閉ざし続け多くを語らない。
けれど、最近若い世代が話して欲しい、もっと伝えて欲しいと訴える動きが出ているそうで、少しずつ語られるようになっているらしい。
この作品の時代は、共和派と国民戦線派(ファシスト派)が交互に主導権を握ったりして、ほぼファシスト派優勢、しかしまだ共和派は自分たちの勝利を信じている時だ。
誰が主権者であるかにより価値観が著しく変わってしまうので、うっかり自分の主義を口にすると大変だ。最悪、処刑が待っている。だから黙っているしか生きる道がないのだ。
共和派の旅芸人の一座(パウリーノ、カルメラ、グスタベーテ)の3人が慰問中ひょんなことからバレンシアへ行く途中でファシストの領地に迷いこんでしまう。その間抜けなところが、深刻ながらもなんとなく可笑しく、全体を軽い気持ちにさせてくれるのだが・・。
敵の領地で生き延びるためにパウリーノは日和ながら身をかわし、うまく立ち回るのだが、カルメラは女性、女性には母の心があるので曲がったことは許せない。ポーランドの捕虜の青年たちを虫けらのように扱うファシストを許せず、舞台の上でとうとう本音をぶちまけてしまうのだ。
母としては「気持ちいい!」すかっとする瞬間なのだが・・・
カルメン・マウラの逞しく優しく泥臭い演技が素晴らしい。
『もっと泣いてよフラッパー』の所でも書いたが、私は娼婦とか酒場のダンサーとか社会の底辺で逞しく生きている女性たちの作品が大好きなのだ。底力があって、苦しみをなめ尽くしているから持てる厳しさと溢れんばかりの優しさがあって、、、心から尊敬してしまう。
「なめるんじゃねえよ! 人の心を持ち合わせていない冷血漢め!」
だからカルメーラが舞台の上で歌いながら踊りながらファシスト相手に本性を現した時、その強さと真っ直ぐさに身震いした。
「かっこいいー!!」本当に素敵だった。
けれど、言葉を無くしたグスタベーテが倒れたカルメラの所に駆け寄って「カ・ル・メー・ラ・・」と絞り出すようにしゃべった時、初めて聞いたその声に涙が止まらず・・画面が涙で見えなくなってしまった。
luchamos contra los curas ♪ 歌詞の底辺に流れる、ラルンバラルンバラ・・・というリズムが身体を通して入って来るのでメロディーが頭の中で回り続ける。
私はカルメーラの心の中にある『母の思い』に注目した。実際に彼女には子供は居ないが、女性の心の中にある母性は平和を望み、自分の息子を虐げる戦争を許さない。
直ぐに処刑されるポーランド人の青年たちの母を思うと黙っていられなかったカルメーラ。
劇中パウリーノが語る数々の詩の中にも常に登場するのが『戦争に巻き込まれた息子を思う母の思い』だった。
世界が平和になりますように。
以下、今回のまとめのコメントです。
¡Ay, Carmela!
A diferencia de "La lengua de las
mariposas", en esta película Carmela no escondío sus ideas y sus emociónes
y por eso fue asesinada.
En esta película, creo que "la palabra clave" es
"madre".
El tema es muy serio y grave porque se
trata de la guerra civil, pero la película realmente es alegre gracias a los
tres personajes principales, Paulino, Carmela y Gustavete, tres cómicos que
quieren interpretar sus números teatrales para que todos lo pasen bien. Ellos solo quieren divertir a todos.
Creo que Carmela es símbolo de "madre".
Carmela puede imaginar que las madres de
soldados jóvenes rezan y lloran por sus hijos todos los dias. Por eso en el último número que representa Carmela
sentió pena por los polacos, ¡pobrecitos!, ¡qué tristeza! y tomando el lugar de sus madres, los defendío y
finalmente murió por ellos.
Carmela no puede aguantar las mentiras y a las
personas que no tienen sentimientos, porque ella representa a las madres o a todas
las mujeres que tienen una existencia instintiva, de corazón y de amor.
Las madres rezan por la paz y lloran de
tristeza. No necesita de ideologías
complicadas, ni de lucha por el poder, ni de militares y guerras. Carmela se encarga de mostrarnos todos
sentimientos de las madres y da testimonio de las tristeza de madres.
Representa el valor de amor.
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