2011年3月25日金曜日

『認知症と長寿社会』 〜ちょっと疲れた


おばあちゃんのホーム通いが始まってもう直ぐ1ヶ月。


ホームへ行く度に重い気持ちで帰ってくる。こんな気持ちで暮らしているから負のエネルギーで震災もなかなか良い方向へ向って行かないのかもしれない。

毎日どうにかしてあげられないものかと気になって頭から離れない。 「今ならまだ救える」そんな焦りが自分を苦しめている。


Kzさんが、アメリカ出張から昨日の朝帰国。今日は東御市にある工場で会議なので、朝早く車で軽井沢へやってきた。毎日母の所へ通うのが日課になっていたので、随分悩んだ。

だって、一日行かない日があると、彼女は凄く不安定になり、その分を取り戻すのに大変な労力を要するのだ。疑い深くなり、又一人にさせられる、見捨てられた、自分は不要な人間だから死にたい・・・・そのサイクルに入って行くからだ。今回は2日行けない。

こんなことは初めてなので、とても悩んだ。

ホーム長さんに相談したら、大丈夫とおっしゃった。私には大丈夫でないのが分かるのだが、、、長野のショートステイで、一日一日で悪化が進み、一週間単位で異変が起こって行ったのを経験した後だから。


しかし、ここへ来ることを選んだ。

自分がへたばったからだった。昨日、母は「自分が駄目になってしまう、まだ今なら戻れる。病院へ入ってもいいから、助けて欲しい」と私に訴えた。日曜日に精神科の先生と相談する。私はそれまでの心の負担につぶされそうだ。いらいらし、心配し、焦っている。

そして、ここ一年治まっていた、血管が痙攣を起こすタイプの狭心症の発作の前兆を毎朝四時ごろになると感じ、いつあの痛みが来るか、気が気ではない。

リラックスしたかった。

いつもこちこちになった心臓の血管を感じていて、とても辛い。


だからこんな文章を書きたくなかったのだが、冷たい雪の舞うこの景色を見ていたら、又やっていけるような気がしてきて、書きとめておこうと思った。


今、信濃毎日新聞取材班による、『認知症と長寿社会』笑顔のままで

という講談社現代新書を読み終えた。

今年の初め、母の症状が気になり始めたときに、丁度新聞で目にして買ったものだった。中には今の母の姿がたくさん詰まっていた。そうか、今、そういう気持ちなのね、と涙ながらに読み続けた。舞台が信州で、聞きなれた地名がたくさん登場することもあって、身につまされた。記憶を失っていくことに焦っている母の苦しみを和らげてあげたい、そう思った。読み始めた一月末では、まだ少し人事で、そうかも~と疑いだったが、今では確信に変わった。この2ヶ月は本当にきつかった。


逃げてはいけない、見守ってあげないと。残りの日々を幸せに過ごしてもらわないと。

心の余裕がないと、優しくなれない。東京へ戻って悪化している母を見るのは辛いが、ここで私が疲れていらいらした気持ちで接するよりは、多分自分にとっても、母にとっても良いはずだ。

リフレッシュして頑張ろう。


この家があることが、今の自分には酸素室シェルターみたいなもので、感謝している。

雪がやんだ。さっき土の上を餌を求めて飛び回っていた、野鳥たちは薄暗くなってきたためか、雪の舞のせいか、姿を消した。

山国育ちは、山の中で命を吹き返す。

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