2011年5月23日月曜日

ケンケンとコン吉



GW中にツルヤで配布されたラベンダーが
我が家の庭に仲間入り!
記念すべき第一号だ。

2週間の留守の間に枯れてしまったのでは?と気が気でなかったが、無事に元気で待っていてくれた。






ラベンダーの一鉢を見て、一人では可哀想!と仲間を仕入れてきた。庭に色が付くと別世界になる。
                                                                                                              

この子たちは、もっと元気になって私たちを迎えてくれた。入り口のネモフィラたちも大丈夫だった。

雑草天国だったが、それも仕方ない!
Kzさんと風のガーデンになるのはいつだろう?と夢見る。



我が家に毎日訪れるものが約2名いる。
野鳥をいれるともっとすごい数になるが、決まってやってくるこの二名のことはちょっと記録しておこう。
東京の家に行けば写真があるのだが・・・

まず、『ケンケン』
ケンケンは雉だ。毎朝「けーん、けーん♫」と騒いでダンスを踊って隣の庭に行く。 どこでもあの声が聞こえるので、多分仲間がいるか、あちこち移動しているに違いない。それがとても綺麗で~、カラフルで堂々としている。
ところがうっかりドアを開けたりすると、びっくりしてかけっこをして逃げていく、二本足で小さくなった駝鳥のような格好でトットット・・・と走るのだ。それが速い、速い。その格好がいかにも愉快で笑ってしまう。飛んだ姿は一度も見たことがない。堂々としていた雉が慌てる様は実に愉快。

もう一名は、『コン吉』
コン吉は名前の通りキツネだ。
私には何キツネかわからないが、もしかするとタヌキ?って顔でもある。

昨日目が合った。
というのも、生ごみを庭の肥料にしようと、穴を掘っていつも埋めて行くのだが、滞在中はまだごみが出るので、軽く土を覆っておくだけにしていた。野生の動物を餌付けをすると大変なので、帰る時にはしっかり土をかけて穴の位置がわからないようにして行くのだが・・・・

どうも夜中にほじくっている奴がいるらしい・・・朝起きるとバナナの皮とかが表面に出ている。
初めはケンケンの仕業と思っていたのだが、どうももっと力のある奴がやっているようなので、コン吉かもしれない、と目安を付けていた。
そして、昨日夕方コン吉がやってきた。土をたくさん被せておいたので、おしっこをして通り過ぎて行ったが、あれは私が遠くから見ている気配を感じて騙したのだと思う。
こちらは、全く慌てず、じっとにらみ返したから、すごい!

埋まっていることに気がつかなかったのではなく、私を誤魔化したのだ。
つまりはしらばっくれ! 見事に騙された。
だって今朝起きたら、又ほじくり返してあった。大根の皮が一つ出ていた。

東京へ帰るときはとことん気をつけよう。熊が来たら大変だ!
猿もいやだ!

ところでここはスウェーデンハウスなので、ドアを閉めてしまうと外の音が全く聞こえない。
ドアを開けると、あまりにも豊富な鳥の声が聞こえてびっくりする。もちろんたくさんの訪問者が来るので窓越しにみているだけでも面白いのだが・・・

少しでも音をたてると直ぐに飛び立ってしまうので、窓越しにしか観察できない。そうでなければずっとベランダでじっとしているしかない。
見えただけでも、カッコウ、うぐいす、雉、きつつき、コゲラ、ひばり、ひよどり、しじゅうから、めじろ、モズ・・・・もちろんすずめもやってくる。

この声を聞き分けられるようになったら、どんなにか素敵だろう。
窓を開けている季節になったら、PCで聞き比べながらやってみよう。

2011年5月17日火曜日

弱音を吐こう介護日誌⑪ 〜恐怖の火曜日と土曜日の夕方

オババの入浴日が水曜日と日曜日だ。
前日の夕方になるとスタッフの人が、着替えを取りにやって来る。

するとオババから必ず家に電話が来る。
「明日お風呂だからって着替えを持って行くというので断った」
「物がなくなるから、お風呂には入らない」
「具合が悪くてお風呂どころではない」
それを私に訴えるのだ。

私は困ってしまう。
どうもスタッフの人とひと悶着あるようだ。泥棒呼ばわりしているに違いない。
多分上手に対応してくれているのだろうが、あまりにも頻繁なので実に厄介で根深い。

オババかどうして電話をよこすのかいまひとつよく分からない。
スタッフの人とけんかした罪悪感からか、本当に物を取られると信じ込んでいるからか、それとも本当はお風呂にはいりたくないからか?
最初の理由であって欲しいけれど、可能性は薄いかも。

否定してはいけないと物の本には書いてあるので、
「お風呂は週2回しかないのだから、入っておかないと駄目だよ、気持ちいいよ」
と答える。色々反論するので
「何がなくなるの?」と聞くとパンツとかが戻って来ないと言う。
本当は『こんなオババのパンツ取ったってしようがないやろ、誰が持って行くって言うの?』と言いたいところだが我慢して、
「困ったね」と言う。

こうして、私はまたまた憂鬱になるのだ。本当の認知症になっちゃったんだねえ~まるでお手本みたいじゃない。オババしっかりしておくれ!

認知症メモ-自分の時のための準備 ①

アルツハイマー型認知症は遺伝するとも言われているので、気になったことを自分の為に記録しておこうと思います。
早期発見とか、何かの役に立つかもしれません。

母の10歳ほど下の弟も認知症症状が出ているそうです。私は母とは似ている所がないけれど、血液型は同じだし、やはり母親だし・・・そういうわけで色々書きとめておこうと思います。

経過:

母は昔からものぐさでいい加減で、面倒なことが大嫌いで、ずぼらで・・・・兄とよく、「初めから呆けているから、この人は呆けてもあまり変わらないだろうね。多分呆けないよ」と言っていました。
私のような几帳面で完璧主義の人間は呆けると言われていたので、私は性格を変えようと心の大きなおおらかな友人達を見習って大変努力をしていました。
その努力の甲斐があって、最近は小さなことにくよくよしなくなったし、神経質さも薄れてきたし・・・と認知症対策が進行しつつあります。
しかし、何が起きるか分かりません。

『そんな母が何故認知症になったか?』
1.アルミの鍋と味の素と安定剤
全く根拠がないが、昔から風評というか、よく耳にしていた上記の3点は確かに母はあてはまります。
台所にはアルミの鍋ばかり。
長年の習慣で何にも味の素を少しだけかけて食べる。特に信州人の好きな漬け物には必ずかけていました。
いくら「呆けるから飲まない方がいいよ」と言っても安定剤をやめてくれませんでした。

2.依存度の強さ
父が優しい器用な人でしたので、母は困ったことがあると(もちろんなくても)何でも父にやってもらっていました。
母は父の会社の経理をしていたので、今で言うキャリアウーマンの走り・・・会社の副会長とかもやっていた(まあ名目だけですが・・・)珍しい大正生まれなので、全く何もしないわけではないのですが、言われたことをやることはできますが、自分で工夫しない、面倒なことは大嫌い、要するに電球一つすら換えることができませんでした。
父はそんな母の為に得意分野の仕事を与え、厚生年金を得ることができ、自活できるに十分な準備をして亡くなりました。

『困った時は人に頼めばいい』と、何でも人にやってもらっていた母は、父が亡くなった後から、本当の試練の時がきました。けれど、その頃は回りに助けてくれる人がたくさんいたので、どうにかなっていました。
『同居は嫌、一人で暮らす』と宣言して頑張りました。
しかし、自分で筋道をたてて考え、自分で解決する、この過程に慣れていなかった母には、色々な認知症へのマイナス点がありました。

3.度重なる不運

(1)兄の会社が倒産
父が築きあげてき、兄が継いだ会社が多額な負債を抱えて倒産しました。母はその過程で、全てをものすごい速さで失って行く様を見ました。
この心の傷はとても大きく、認知症への第一歩の事件になったと思います。

(2)兄の家族が東京へ ・・・一人ぼっちに
近くに住んでいた兄の一家が大きな家も失い、もちろん会社も失い、東京へ来ました。
母の近くで声をかけてくれる人がいなくなりました。
このとき母も一緒に東京へ出ればまだ若かったのでいくらでも方法がありましたが、彼女の拒絶は強く、「今なら東京の生活に慣れて、楽しくやっていけるよ。歳をとってしまったら難しいから・・・」
と伝えましたが、どうしても動きませんでした。
東京へはしばしば遊びに来ていましたが、次第に意欲がなくなり来なくなってきました。
お正月に来なくなった辺から、彼女のお篭りが始まったような気がします。
話していても、変なことばかり言うので、よく私がイライラして、それを母が感じて癇癪を起こしてけんかになったように記憶しています。
この頃から少しずつ始まっていたのでしょうか。

ここからは、2年ほど前の出来事です。

(3)プールの出入りを断られたこと
父が亡くなってから、20年以上も続けていた水泳教室、後半の10年位はクラスに入らずに、自由会員になって泳いでいましたが、止める2年位前から泳ぎは止めて温泉のお風呂にだけ入りに行って、生活のリズムを作っていました。
「お母さん、何があってもプールへ行くのを日課にするんだよ」そのリズムが大切なことが分かっている私は、そう母に言い聞かせ、母もそれだけは聞いてよくやっていました。カートを押して歩いてプールまで行って、お風呂に入って、帰りにお買い物をして帰ってくる・・・

ある日、プールの経営者から電話が来て、「他の会員の方から苦情が出ているので、退会していただけないだろうか?」というものだった。母が尿漏れパッドをしていたことが原因だったらしい。

この事件のショックは、見事に母を襲いました。
母が目に見えておかしくなって行ったのはこの辺りからです。
それでも、普通に生活していたし、人に迷惑をかけたりすることはなかったと思います。
認知症という名前をつけられるところまでは行っていなかったでしょう。

(4)親しい人が亡くなったこと
近所の女性で、私より4歳ほど年上の方が、とても母を気にかけてくださり、毎日声をかけて時々食べ物を運んでくださったりしていました。介護保険の手続きも彼女がしてくれたお陰でできました。
彼女がいるので、ペットボトルの蓋を開けられない等の、困った時には、やってもらっていたので、安心していました。母も彼女には心を開き、感謝もしていました。
娘より好きだと言っていましたから・・・

けれど、その人が10ヶ月ほど家に篭ってしまいました。プツリと訪問が途絶え、姿を見せなくなってしまったのです。もともと躁鬱の激しい波があり、数年単位で入退院を繰り返していたのですが、ここ数年は元気でした。
母はとても心配して、おろおろしましたが、どうにもならず・・・しかし、ある朝数ヶ月ぶりに、突然母に挨拶に来て、その数日後に亡くなってしまいました。

この事件の後から、月1万円は出ていた母の電話代が基本料金以上になることがなくなりました。
気丈な母でしたが、この事件の傷は、病気としての認知症の一歩になったと思います。

この続きは次回に

2011年5月14日土曜日

オババ家に来る!

調度金曜日の授業が休講になったので、オババを家に連れてくる計画をたてた。
ホームに入ってから初めての訪問だ。

GW中、3日連続で私が行かなかった後の不安定な後遺症がやっと癒えてきたので、そろそろ新しい刺激を与えてみようと思った。

珍しく、「1時過ぎに迎えに行くから~」をいう台詞を覚えていて、と言ってもカレンダー二箇所に書いて、メモも大きな文字で残し、更に事務所にまで連絡しておいたから・・・、「これから迎えに行くよ」と電話した時にも驚いたような様子はなかった。
ホーム長さんが「朝から楽しみにしていらっしゃいましたよ」とおっしゃったので、
「へぇ~、覚えていましたか!」と私は感心して確認してしまいました。
良かった!

部屋に行くと、着る物が決まらずパニック状態。あれこれ引っ張り出して色々試して、先日東急で買ったカーディガンに決定!まるで泥棒が荒らしていった部屋みたいだ!
「こんな部屋人に見せられない」と言うので、片付けさせられた。相変わらず人使いが荒いオババ。私はいつも下女だ・・・しくしく
呆けていてもオババのセンスはなかなかだ!!下に着るブラウスと帽子を選んであげて、まあ小奇麗なオババになった。 (たまには朝顔を洗って、おしゃれもしてよ!どう、気持ちいいでしょ?)

車で10分くらいかな? 家に到着。
初めて見る家らしい。「何も覚えていない」と言っていた。
玄関も、いつも泊まっていたお部屋も、トイレも、居間も・・・・何も記憶にないらしい。
「ソラちゃん綺麗なお家に住んでいたんだね」と安心したらしい。(今まで何度来たのか分からんのに)

お茶して、庭に咲いたバラを切ってあげて、ホームに送り届けた。
「私はこれから何処へ帰るのだったかしら?」とさかんに言っていた。

ダイニングからちらほら見えるお隣の家のお庭をぼんやり見ながら、
「あそこにお年寄りがいたよね?もう死んじゃったかしら?」とボソッと呟いた。
「えっ?覚えているの?」ビックリして聞き返した。
「そんな気がしただけ・・・」
それだけがオババがここに来たことがあった証拠になった。記憶の断片がうっすらとまだ存在していたのか、偶然だったのか・・・?

「今何時?」
「もうすぐ5時になるかな」と答えると、
「あらもう、夕飯の時間だわ。急がなくちゃ」とお土産の靴下とお菓子とバラの花と花柄のトイレットペーパーを持って満足そうに帰って行った姿は悪くなかった。
食い気だけは救いだ!

少しでも幸せな記憶が戻ってくるといいね、おばあさん。

2011年5月11日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑩ 〜オババランチ

毎週水曜日はオババランチの日だ。
ホームへ行って、一緒にお昼をいただく。

いつの間にかオババはお食事を一緒にする人ができたようだ。
四人のグループで、オープンした初日から入っている古株の人々のグループだ。居住者の中でも極めて正常でしっかりしている3人の女性達だ。

そのうちの一人の方が、「今日は娘さんの来る日でしょ?場所を用意しておいたから一緒にいらっしゃい!」と迎えに来てくださった。何だか私もホームの顔になってきたのだろうか?
まあ、歓迎されないよりはいいかもしれないが・・・

一人の感じよい92歳のササオカさんは、以前ぬり絵でご一緒している。
母のことを面白いと快く思ってくださっているみたいで、母も彼女のところは好きなようだ。
何故なら「ともだち」と呼んでいるから。

もう一人のどこに居ても大きな話し声が聞こえるミウラさんは、頭もしっかりしているけれど、口も達者で、少し若い。大正15年生まれと言っていたから、85歳位だろうか?
オババはいい加減に聞いているので苦にならないが、いつも聞いている人は結構大変そうだ。けれど記憶もしっかりしているし、周りのことを全て把握している情報通で、話を聞いていると面白い。
もっともオババはそういうことに興味ないのであまり役にたたないのかもしれないが・・・
いずれにせよ、良いグループにいれていただいている。

3人目のヒグチさんはまだまだ若い大人しそうな控えめな感じの方で、今日はご自分の家に行かれていて留守だったので、私が代わりに座席に付くことができた。

オババはさばさばしたミウラさんに結構きついことを言われているのだが、何を言われてもあまり理解できなくて、気にしていないようなので、まあいいか!って感じだ。こういう時は悪意がなくて呆けているのもなかなか良いものだ。昔のオババなら癇癪を起こしているところだもの。
ササオカさんはオババより高齢なのにしっかりしていて言っていることが理解できるから、あまり何度もきついことを聞いていると頭が痛くなってしまうらしい。

情報通のミウラさんの入居者に関する情報は私の観察とほぼ一致していて・・・、けれどそんなにしっかりしたミウラさんでも足が少し悪いので、杖が必要なため一人の外出は許されていないらしい。入居者のなかでは3人しか一人で外出ができないと言っていた。そして内訳も私にはピッタリと分かった。
そんなだからオババには一人で外出などとても無理なのだが、瞬間しか分からない彼女はそれが不満で私に文句ばかりなのだ。私もいちいち気にせずに賢くならねば・・・

オババの認知症は少し進んでしまっている。来週から新しい薬の量が増える。
少しでも効果がでてくれると良いけれど、今思うと随分前から認知症は少しずつ少しずつ進行していっていたのだと思う。今回は2カ月で急激に悪化したのではあるけれど、実は何年もかかって今に至っているのだと思う。

それがよく分かった。 長い目で見ていかねばならない。

2011年4月29日金曜日

軽井沢も春


軽井沢にもやっと春がきました。





今までGWは東京でじっとしていましたが、今年は渋滞を心配する必要もないので、昨夜、夜遅くこちらにやってきました。

今日食料を仕入れにツルヤへ行ってきましたが、開店と同時にものすごい混雑で・・・どうしてこんなに人口が多いのか、あの大きな駐車場が空いてない! 真冬の静けさの後だったので驚きました。
我が家の庭にも春がきています。白と若芽の色がさわやか!



おばあさんには、軽井沢へ行ってくるからね、と言い聞かせてきましたが、いやに聞き分けが良かったので、意味が分かっていないかな? と少々不安です。
今回は少々長くおばあさんの所へ行かれないからです。
また、どうしてソラちゃんは来ないのかな?とパニクるかもしれないので、お兄さんに頼んできました。

おばあさんも、少しずつホームに慣れてきて、心の傷が癒えてきたので、今度は自立の方向へ、今の生活を依存せずに楽しめるように持って行かねばなりません。
今までは、私や兄が頻繁に行ってあげていたので、人々と接する必要がなかったことが彼女のソーシャライズを妨げていたような気がします。

私が帯状疱疹で苦しみ、頭、歯、耳の神経まで傷め本当に大変な思いをしたので、自分のことも考えないと長期戦は負ける、と実感できたのはとても良かったことだと思います。
これは戦い!
勝つためには戦略を練り、計画的にやっていかないとかないと必ず自滅します。

そのためにおばあさんを残して軽井沢へきました。
まず自分の健康を取り戻すこと。
そして、元気になったら、これからのことを考えましょう!
取りあえず、今日は好き勝手に過ごしましょう、何と久しぶりの感覚、フウ~

2011年4月21日木曜日

『木洩れ日の家で』と『somewhere』



久しぶりに映画を観た。

母の介護からくるストレスでとても疲れていたのと、Kzさんがオーストラリアへの出張で留守だったためだ。
気分転換をしたかった。

帯状疱疹の後、なかなか本調子になれない。
体がとてもしんどいのだが、更に母の心の状態が芳しくないので、その重さにつぶされたくなかった。

以前から気になっていた、『木洩れ日の家で』は、ポーランドの映画だが、とても素晴らしかった。91歳のおばあちゃんのお話で、一人で生き、死ぬ準備もしっかりしていく女性の生き様が描かれている。

私が今かかえている老人問題あるいは生きるということに直接関わってくるので、心の奥まで響いてきた。しかしとても爽やかだった。
映像も素晴らしい、ワンちゃんのフィラも最高!何よりも主演のダヌタ・シャフラルスカ(当時91歳、今も現役の95歳の女優さん)が輝いている。どうしてこんなにチャーミングなの?

『somewhere』は前評判の高いソフィア・コッポラの作品だが、これは今の私には「映画関係の人には絶賛されるだろう」あるいは「この主人公と共通の生ぬるい生き方をしている人には気持ちよく入っていく作品だろう」と思った。
感情移入ができるから。
スティヴン・ドーフもエル・ファニングも好演している。

でも、今の私の現実は、少々シビア過ぎた。
あんなことで悩んでいる人を受け入れる余裕がないのだ。
だからと言って、映画を観ている間だけでもその世界に浸っていたい~というほどの世界でもない。

11歳であんなに、父親に優しい娘がいるだろうか?
ああいう、現実をあんなに素直に受け入れている少女がいるだろうか?
日本人だから、父親と一緒のベッドに眠っている娘に違和感を持つのだろうか?
父親の肩に寄り添う娘が日本にどれくらいいるのだろう?

彼女の父親の偉大さが、そこに現れている特殊な世界なのか?
いや、また評価がそのうちに変わるだろう。

いずれにせよ映画は大好きだ。

2011年4月20日水曜日

弱音を吐こう介護日誌⑨ 〜なんだ!このかったるさは?

認知症とは何と都合のよいものか!

オババを見ているとつくずくそう思う。
もともとしたたかでずるい人だが、あまりにも都合良すぎる。

どうして、食べることと洋服のことと、買い物の時だけあんなに元気になるのか?
鏡の前で洋服を合わせていると、背筋まで伸びている。(本当は伸びるのだ、面倒なだけなのだ)

人の顔を見ていない → よって、人の顔を覚えない。
もっとも、もともと覚える気など毛頭ない。
「私は、声で分かるからいいの」(よく言うよ)

面倒な事は全部スキップ!
これも、昔からの性格。これをしていれば、今はもっと頭の状態が良かったのにね。

自分の欲しいものは何をおいても手に入れる。
そのせっつき方の凄さ! ほとんど脅迫!

自分から何かしようという気はゼロ!それなのに、ひまだ~、ひまだ~~と。
あれでは、ぱあ~になるはずだ。

物事の道理を考える力、皆無。
見ていると真実アホに見える、しかし騙されてはならぬ。

けれど、何故か人に声をかけていただき、いつの間にか良い人々の中にいる。

今日は、お昼を一緒にする日だった。
いつもは二人でいただくのだが、珍しく、いつもご一緒の人々と同じテーブルでいただいた。
何と、常々見ていて、一番正常な人々・・・あんな人たちと仲良しになればいいのに・・・と思っていたグループだった。
何と運が良いことか!

「こちらにいらっしゃい!」とお声をかけていただいたそうだ。
みんな面白いと言ってくれた。

しかし・・・・言っていることは嘘ばかり。思いついたことをしゃべっているだけで、脳みそが働いていない。
何かと関連性があり、本人は嘘を言っているつもりはないのは分かるのだが、出鱈目もいいところで・・・皆さまもつじつまの合わないのは分かっているみたいで、でもいずれ自分達も遅かれ早かれそんなものだから、と温かく受け入れてくださっている。
それにしても全く持って同じことばかり言っているのだけれど。

92歳のおばあちゃまのほうが頭はずっとしっかりしている。85歳の元気おばさんは、いつも大きな声で話しているが、とても頭がしっかりしている。このホームの古顔っぽい雰囲気だ。もう一人の方は今日は外出だったが、少しお若くて、なかなか感じ良い人で、、折角正常の人々のグループに入ったのだから、もう少しその気になれば、頭も働いてきて上手くやって行けるのに。
もったいないな。
本人次第!

それにしてもあそこまで、出鱈目だと、色々と分かっている私としては話していても疲れてくる・・・初対面の人だと思うことにする。
よその人だったら、興味津々かも・・・家の子たちと一緒だ。みんなに「お子さんたち素晴らしいですね」と言われ、思わず、「よその子だったら、私もそう思うけれど・・・」
ばあさんまで飛んでいる!

2011年4月12日火曜日

帯状疱疹 〜首から上

いつかやると思っていたけれど・・・

顔に来た!
小鼻の下辺りに疱疹ができた。5日後くらいから、口元、頬骨、頭皮と一直線に帯状に疱疹が出た。

ヘルペスのウィルスが脳の神経に入り込んで、脳にメスを入れられているような痛みが1週間続いた。
それだけではなくて並行して、歯の神経(?あるいは右上顎の歯茎のライン?)にも入り込んだようだ。
痛くて物が噛めない、その上、歯医者に行って、ぐいんぐいんと歯を削られる時に、ツキン!っと来るあの痛みに間欠的に襲われて1週間が過ぎた。

頭痛があまりにひどかったので、帯状疱疹だとは思わず、医者へ行くのが遅れた。
どうしてかと言うと、私は脳動脈瘤を持っているので、何度か脳神経外科の先生の所で受診したことがあるのだが、いつかひどいめまいでぶっ倒れた時、あの先生は「ちゃんと検査しているのだからなんの不満があるのですか、頭痛くらいで・・!」ととても嫌な感じの対応をされた後なので絶対行きたくなかったのだ。私の主治医は何故か心配して、脳神経外科に私をまわすのだ。

しかし、今回は皮膚科だった。(内心、ホッとした)
先生に「もっと早く来ないと、、、後がひどくなりますよ。神経痛が残る可能性が高いです。短くても一年くらいは苦しむかもしれませんね・・・」と言われた。
頭痛との格闘の最中だったので、思考力ゼロ!「はあ、覚悟します」とぼんやり答えたけれど、少し時間が過ぎて薬が効き始め、痛みが引く時間も出てくると、冷静さを取り戻し・・・

もし、顔面神経痛になったらどうしよう?
(中学の大嫌いなにやけた担任は、顔面神経痛だった、あんな顔になっちゃうの?ヒクヒク・・・)
この頭痛が神経痛になって残ったら、私は死んでしまうかもしれない。絶対に耐えられない!
(メスが脳に、間欠的にグサッ、グサッ!と突き刺さる・・・)

かなり深刻さを増した。

痛みが始まって10日余り・・強い薬に変えてもらいやっと薬が効いて体が楽になってきた。
「あなた、余程疲れていましたね?」と先生に言われたが、私は本当に疲れていたのです。
人生から逃げ出したいくらい疲れていました。死んじゃいたい、って涙していた。
けれど、そんな時に地震が起きたので、頑張らなければ・・・被災地の人々に申し訳ない・・・そう思って叱咤激励していたのだけれど、限界を越えてしまった。

丈夫じゃないんだから、背伸びはせずに、弱虫は弱虫なりに頑張ればいいんだ、って思うことにした。

2011年4月3日日曜日

弱音を吐こう介護日誌⑧ 〜また、やられたー!!


オババはお花が大好きだ。

残念ながら両親が住んでいた長野の家は日当たりが悪かったし、庭も小さかったので、あまり植物には適さなかった。
父も野草が大好きで、仕事の合間や休日にはもう一つの大きな家のほうへ行って、庭弄りばかりしていた。
器用で池まで作ってしまう人だったから。
父の仏壇にも茶花程度の素朴な花が必ず添えてあったし、年老いてからは本物そっくりの造花でもそれらしく飾ってあった。

先日母が、珍しく物に興味を持って立ち止まり、ホームのエントランスのお花をじっと見て観察していた。
スタッフの方が、「残念ながら、これは造花ですよ~、こちらは本物ですが」と言うと、「やっぱりね。でもきれい」と本物そっくりのカーラに本当に珍しく関心を持った。

これは良い!と思ってオババのお部屋に花を置いてあげようと決めた。
「お部屋が暖かいので、すぐに枯れちゃうから、とりあえず造花でもいい?」と聞いたら嬉しそうに「造花がいい」と答えた。

翌日、私は家にあるお友だちのTさんが紙粘土で作ってくれた菜の花とチューリップと細い緑の葉がカスミソウのような役割をしている花束を持って来た。
透明の長方形のガラスのコップの中にかわいいガラスのボールをいくつもいれてあるので、ちょうど納まって上手に花を活けることができる。私が病気をした時に、元気がでるように、とお見舞いに作ってくださったものだった。

黄色の菜の花、淡いピンクとうす緑のチューリップ・・・「わあ、きれい! 春らしくて素敵ね」とオババはとても喜んでくれた。本当に嬉しそうだった。
帰る時にも「お部屋が明るくなったね」と言うと満足そうに「うん」と頷いた。

翌日、Kzさんとオババを訪問した。
棚にある花瓶を見て、Kzさん曰く「ソラさん、その水の色変じゃない?」
「み、水ぅーーーーー!!何で水が入っているの??」

花瓶のグラスの中はどろどろ。水は濁って、溶けかけたアイスクリーム、ミントとバニラとイチゴのゆる~くなったアイスクリームだ。
水に浸かっている部分の紙粘土がみんなとけてしまっている。
ピラニアに食べられてしまった残骸みたいだ!

Kzさんは、「ババちゃん、お水あげてくれたんだね」と・・・ソラさん、怒ったら駄目だよ、と合図をする。私は言葉を飲み込みつつも、水を捨てながらぶつぶつ・・・
オババは私が何を慌てているのかさっぱり分からないで「折角水を入れてあげたのに、浮いてきちゃうのよ。全く変な花で、、、そこを切っちゃえばいいよ」と過激なことをいう。
花が生花ではないのではという疑いは皆無。全く本物と思い込んでいる。

ヤレヤレ、またやられた!
数日前に、知人の全ての住所と電話番号の書いてある紙の束を、びりびりに破られて捨てられたばかりだった。確かに美しい物ではなかったが、母が自分で書いた住所録の束だったから、まさか捨ててしまうとは思わなかったので、不覚であった。
コピーを取っておかなかった自分を恨む。

ホームから帰るとき、玄関でお花の残骸を見せながら、赫々云々と経緯を話したら、スタッフの人々は感激して、
一人は目を潤ませて「まあ、優しい~!」もう一人は微笑ましくて仕方ないという顔をして「なんて可愛いんでしょう!」とマジ感心していました。

うそでしょ!
Kzさんといい、スタッフの人といい・・・老人扱いのプロはそのように見れるの??
みんな自分の親じゃないからでしょ!大事なお友達の思い出の品じゃないからでしょ??
私は認知症がここまで進んでいるのか!!というショックと友だちに申し訳ない気持ち以外の何者でもなかったのに・・・みんなは神様だ!

でもこの3人の反応で救われたのかもしれません。

人間、一人で一つの価値観で生きてはいけませんね。
しれにしても、オババは私の予想外のことばかりしてくださる~~まだまだ戦いは始まったばかりなのだ。これから何が待っているのだろう? ぞぉーーー・・・