オババの横暴さに愚痴をこぼした私を慰めてくださったJさんに、
「この人は認知症なんだから何を言ってもしようがない、って思って投げられたボールは横においておきなさい」と言われました。
昨日はどうにかそれで乗り切りました。
今日は、行ったなり、絣のズボン病が再発。
私にメモを持って来て、「紺色のズボンがありました、取りにきてください」との文字を見せました。
これお母さんの字に似ているけれど、誰かがメモして、私が来たらこう言ってくださいと言われたの?
「そうじゃなくて、そう言われたから忘れないように書いておいたの」だから一緒に行ってくれときかない。
「お母さん、このズボンは存在していないズボンなの。だからホームの人に迷惑だよ。一緒に騒ぎたくないよ」
オババはムッとしてどうしても納得しないので、一緒にH長さんの所へ行って事情を説明してきた。どうも朝からあの紙切れを持ってうろうろ騒いでいたらしい。H長さんは洗濯室へ行ってもう一度チェックしてくれ、
「やはりありませんよ」とお部屋に伝えに来てくれた。
昨日の段階でもう解決と思ったら、とんでもない、何万回でも復活する。
「あれは、すごく大事な思い出の品で・・・どうしても見つけてもらいたい」と懇願するので胃が痛くなる。
しかも、自分で『ありました』というメモまで作成するのは、もう異常といか言い様がない。
その後、健常者の足で歩いて10分位の所にある西友に買い物に行った。尿漏れパッドが欲しいというので付き合ったのだが、行く間中、自分は外に出られない、牢獄だと言いっ放し。今はどうだと言うのだ?出ているではないか!!先日兄が、その前が私、週二回は出ているというのに・・・何と言う贅沢かつ我儘。
その道のりがオババの足では遠いのは分かる。けれどあえて足のトレーニングの為にカートを引いて出かけた。兄とのお出かけの時には車椅子を使うらしい、どうして座れないのだと何度も繰り返して質問する。私は
「歩くの嫌だったら、行くのやめたら?私はかまわないよ。すぐ近くの散歩なんだから、私は車椅子は使わない」
「じゃあ、帰る」
「そうしなさい」(認知症だからしようがない)
そう言いながらも行きたいので我慢して、「帰りは車椅子を取りに行け」と言う。
知らん顔して、歩いたが、大した距離ではない。本人にとっても、実際ゆっくり行けばどうってことない。健常者で10分よりも、私だと普通に歩いても5~6分だ。
それでも20分ぐらいかけて、ゆっくり休みながら歩く。
大げさに息が切れる振りをする。もう歩けない、お兄ちゃんだったら車椅子に乗せてくれるのに、と言いっぱなし。
「これじゃあ、とても長野へは行けないね」
「・・・」
到着すれば別人!店内では目の色が変わって、歩くことに何の文句もない。歩くのが嫌だということすら忘れている。
「何だ、糞ババア!」(認知症だからしようがない)
エスカレーターを生まれて初めて見た、と言った。
ついこの間まで長野の東急をすいすい乗っていたのに恐くて乗れない。のぼりは身体が覚えていて一歩踏み出したら難なくこなしたが、下りがひどかった。多分一歩踏み出せば身体が自然に運んでくれるのだろうが、恐怖が先に出てしり込みした。
多分誰かに助けてもらって親切にしてもらいたかったのだろう。手を差し出す私を無視したので、私は荷物を置いたまま一人で下に下りていくはめになった。すぐに後ろの人の言うことは聞いて降りてきた。
嫌な、人間!糞ババア!!(認知症だからしようがない)
私は又二階へ戻り、買った物と手押し車を持って降りてきた・・・やれやれ、いつものことか。
他人がいると、こういう行動をいつもする。
電車から降りるときもいつも私の差し出す手を無視して、私の手を振り払っておいて 「この人は親を助けてもくれないのよ」と人に向かって言うのだ。そして誰かが必ず手を貸す、その快感を求めているのだろう。
当時の私は悔しくて涙が出た。 こんな母親っているのだろうか?
認知症の前からだ。
認知症って本性が出るのかな?
帰りは、もう目的を果たしたのだから、当然のことながら文句の連続。お兄ちゃんだったら、お兄ちゃんだったら・・・・
「うるせえ、糞ババ~~!!」こう怒鳴りたかった。
しかし、あまりのしつこさに頭痛がしてきたので、ついに言ってしまった。
「一緒についてもらってお買い物に出られるだけでもいいんじゃないの?ほかにこんな人いないよ。週二回も出ていて、閉じ込められっぱなしはないでしょ?ばちがあたるよ。 長野に居た時と比べてみて。毎日来ている人の身になってよ。文句ばかり言わないで少しは感謝したら?」と言ってしまったのが、運のつき!
「あんた親に恩を売るつもりか、子供なんだからこんなこと当たり前じゃないか、そういう恩着せがましいことを言うんなら、もう二度と来るな。あんたの世話になんか死んでもなりたくない。こんな事を言われるなんて、二度と許さない、呪い殺してやる!!!」と憎しみをこめて逆上した。
正直恐かった。憎しみは良くない。
私は言葉を失いつつ、無感情。
「そうだね、そこまでひねくれちゃね、、、私はもう言うことないよ。これだけやっていても、文句言われるばかりで全然報われないんだものね。 これからは何もかも、優しい大好きなおにいちゃんにやってもらえばいいよ。わかった私はもう二度と来ないよ」
この時はもう『認知症なんだからしようがない』おまじないは利かなかった。
ホームに戻って、「お母さん、私には来て欲しくないみたいなので、これで最後だから、ちょっと眉をそろえてあげようと思って道具を持ってきたから、それだけやってから帰るよ」そう言って、眉を切りそろえてあげた。そろそろこの人に切り刻まれることに慣れても良さそうなものだが、母親の刃にはなかなか馴れない。いつも新しい傷だ。
私は出来た人間じゃないから、最後に優しくなったりしない、
「じゃあ、暫くこないから、さようなら」
と部屋を出た。
認知症の人はこんなやり取りもすぐに忘れるのだろうか?
多分少しは印象に残っているのだろう・・・いや、やはり無理か。
私はしっかり傷ついている。いつも・・・
2011年6月9日木曜日
2011年6月8日水曜日
弱音を吐こう介護日誌⑭ 〜オババランチ その2
今日は水曜日、恒例のオババランチの日だ。
最近テーブルが直ぐに一杯になってしまって、なかなか二人で陣取ることができないし、下手をすると同席も難しい。
一人で寂しそうにお食事していたおばあさんに同席した。
認知症がかなり進んでいるみたいだけれど、時々反応がある。みんな可愛い。
私とお話ししていると、段々声を出すようになり、顔に表情が出てくるので、その変化を見ているのも楽しい。 色々な人の様子が見て取れてオババと二人よりは余程楽しい。やはりよその人だと心の余裕が持てる。
もう一人車椅子の、言葉が少し不自由な人も加わった。とても礼儀正しい。
オババと話していて、これから寒くなるのに~と言うので、
「お母さん、今何月かな?」と聞くと、言葉に詰まった。
そこでタダで転ばないのがオババ。
「ねえ、みんな今何月か知っている?」と横に振った。あれよあれよ・・・・
後のお二人も答えられない。
「ほら、わからないの私だけじゃないでしょ?」 こればオババの答え。
やはりなかなかシタタカだ。
ところで部屋に戻って、これまた恒例の
「ソラちゃんが持って行っちゃった絣のズボン返して」と、始まった。ここ数週間行くとこの質問攻めだ。
今日、又この質問をしたら、紙に書いて壁に貼ってこようと思ってレポート用紙を持参した。
『私の家に絣のズボンは預かってはいません。私はそれを見たこともありません』
顔の洗い方の上に貼り紙してきた。
この質問に悩まされていた私が寝ながら考えた打開策だ。
延々と続くので、一度記録しておこう:
「あれは、長谷のおばあちゃん(私の曾ばあちゃん)がお嫁入りの時にくれた反物でとても思い出深いものなの、洗ってくるって持って行ったでしょ?」
「持っていかないよ。見たこともない。お嫁に来た時なら、もんぺか何かにしたんじゃない?」
「上着と、ズボンをおそろいの反物で作ったの。」
そう言われれば、まだ和服を着ていた頃に、紺絣のそんなもんぺがあったような気がする。上がお仕着せみたいなもので・・・私の小学校あるいはもっと前の頃だ。
「お嫁入りじゃあ、もう70年近くも昔の話だから、あってもぼろぼろだよね?」
「そうじゃないの、お嫁に来たときに反物で持って来て、ずっと後になって作ったの。よし子さん(兄嫁)にクリーニングに出してもらったこともある。」
あれは仕事着だから、とてもクリーニングに出すようなものじゃないから、やっぱ違うか???
「じゃあ、長野に居た時で、ここでじゃないでしょ?」
「ここに持って来たの」
「ここの荷物は全部私が準備したんだよ。その中にはなかったよ」
「だって、ソラちゃんこれから寒くなるから冬物は洗って預かっておく、って持って行ったじゃない」
「あれは私のズボン、お母さんに貸してあげたの。コールテンでこれから暑くなるから、冬まで必要ないし嵩張るから預かったのでしょ?」
「いや、確かに持って行った」
「だって、ここに来たの冬のど真ん中。2月だよ。それからは温かくなる一方で冬はまだ一度も来ていない。夏物はこれから必要なものだから、家に持って行くはずないでしょ?」
認知症にこの論理性は通用しないだろう・・・と分かっていながらも言わずにはいられない私。分かってよ、オババ。どう考えても変でしょ?夏が来るのはこれから、今は6月よ。
でないと、私泥棒になっちゃうもの。
そこで兄の所へ電話をしてみることにした。
私はかいつまんで今の状況を義姉に説明した。そして、
「お姉さん、そういうズボンの記憶にある?」
「ソラちゃん、全然ない。だってババチャン、スカートしかはいてないでしょ?長野に居た時は」
そう、オババは長野ではいつもスカートで、ズボンなんか滅多にはいたことがなかった。
「そうでしょ?いくら言っても分かってもらえないんだよ、困ってしまう。とにかく見たことないのね?分かった、ありがとう。後はどうにかするから」
と電話を切った。
毎回この騒動で30分はかかる、いくら話を逸らしても、すぐに戻るから誤魔化せない。
どうか、明日は貼り紙の効果が出ますように!!
¡Ojalá que tenga・・・!
最近テーブルが直ぐに一杯になってしまって、なかなか二人で陣取ることができないし、下手をすると同席も難しい。
一人で寂しそうにお食事していたおばあさんに同席した。
認知症がかなり進んでいるみたいだけれど、時々反応がある。みんな可愛い。
私とお話ししていると、段々声を出すようになり、顔に表情が出てくるので、その変化を見ているのも楽しい。 色々な人の様子が見て取れてオババと二人よりは余程楽しい。やはりよその人だと心の余裕が持てる。
もう一人車椅子の、言葉が少し不自由な人も加わった。とても礼儀正しい。
オババと話していて、これから寒くなるのに~と言うので、
「お母さん、今何月かな?」と聞くと、言葉に詰まった。
そこでタダで転ばないのがオババ。
「ねえ、みんな今何月か知っている?」と横に振った。あれよあれよ・・・・
後のお二人も答えられない。
「ほら、わからないの私だけじゃないでしょ?」 こればオババの答え。
やはりなかなかシタタカだ。
ところで部屋に戻って、これまた恒例の
「ソラちゃんが持って行っちゃった絣のズボン返して」と、始まった。ここ数週間行くとこの質問攻めだ。
今日、又この質問をしたら、紙に書いて壁に貼ってこようと思ってレポート用紙を持参した。
『私の家に絣のズボンは預かってはいません。私はそれを見たこともありません』
顔の洗い方の上に貼り紙してきた。
この質問に悩まされていた私が寝ながら考えた打開策だ。
延々と続くので、一度記録しておこう:
「あれは、長谷のおばあちゃん(私の曾ばあちゃん)がお嫁入りの時にくれた反物でとても思い出深いものなの、洗ってくるって持って行ったでしょ?」
「持っていかないよ。見たこともない。お嫁に来た時なら、もんぺか何かにしたんじゃない?」
「上着と、ズボンをおそろいの反物で作ったの。」
そう言われれば、まだ和服を着ていた頃に、紺絣のそんなもんぺがあったような気がする。上がお仕着せみたいなもので・・・私の小学校あるいはもっと前の頃だ。
「お嫁入りじゃあ、もう70年近くも昔の話だから、あってもぼろぼろだよね?」
「そうじゃないの、お嫁に来たときに反物で持って来て、ずっと後になって作ったの。よし子さん(兄嫁)にクリーニングに出してもらったこともある。」
あれは仕事着だから、とてもクリーニングに出すようなものじゃないから、やっぱ違うか???
「じゃあ、長野に居た時で、ここでじゃないでしょ?」
「ここに持って来たの」
「ここの荷物は全部私が準備したんだよ。その中にはなかったよ」
「だって、ソラちゃんこれから寒くなるから冬物は洗って預かっておく、って持って行ったじゃない」
「あれは私のズボン、お母さんに貸してあげたの。コールテンでこれから暑くなるから、冬まで必要ないし嵩張るから預かったのでしょ?」
「いや、確かに持って行った」
「だって、ここに来たの冬のど真ん中。2月だよ。それからは温かくなる一方で冬はまだ一度も来ていない。夏物はこれから必要なものだから、家に持って行くはずないでしょ?」
認知症にこの論理性は通用しないだろう・・・と分かっていながらも言わずにはいられない私。分かってよ、オババ。どう考えても変でしょ?夏が来るのはこれから、今は6月よ。
でないと、私泥棒になっちゃうもの。
そこで兄の所へ電話をしてみることにした。
私はかいつまんで今の状況を義姉に説明した。そして、
「お姉さん、そういうズボンの記憶にある?」
「ソラちゃん、全然ない。だってババチャン、スカートしかはいてないでしょ?長野に居た時は」
そう、オババは長野ではいつもスカートで、ズボンなんか滅多にはいたことがなかった。
「そうでしょ?いくら言っても分かってもらえないんだよ、困ってしまう。とにかく見たことないのね?分かった、ありがとう。後はどうにかするから」
と電話を切った。
毎回この騒動で30分はかかる、いくら話を逸らしても、すぐに戻るから誤魔化せない。
どうか、明日は貼り紙の効果が出ますように!!
¡Ojalá que tenga・・・!
2011年6月2日木曜日
弱音を吐こう介護日誌⑬ 〜元の木阿弥
心を鎮めて、静かな温かい気持ちになって、一生懸命オババの所へ行って来た。
何のことはない、元の木阿弥!
又けんかして戻って来た。
どうして、ああなのだろう!!私はあの人嫌いだ!
廊下に出れば、もういい顔している。私以外の人にはいい子ぶりっ子して・・・ずるいずるい、みえみえ。いくら経理をやっていたからって、打算が強すぎる。
部屋からもう帰るからと廊下に出た時、一番奥のお部屋の奥様がおやつタイムから戻ってこられた。
とても品のある、優しそうな感じの女性だ。誰かに似ているなあ~と思っていたが、一度もお話ししたことがなかった。こんにちわ、と挨拶をする前に、あちらから、
「偉いですネエ、よくいらしてあげて。本当に偉いですよ」と声をかけてくださった。
「折角来ても、今けんかして出てきたところなのですよ。ひどい事ばかり言うのです」
ニコニコして、
「それでも、いらしてあげてね」
そんな会話で救われた私でした。
出口でスタッフの女性と立ち話をしていたら、オババがホーム長さんに付き添われてのこのこやってきた。
H長さん、「けんかしちゃったからって・・・」とニコニコしている。
「そうなんですよ。もう嫌になってしまいます。でも後味悪いのもいけないから、・・・」とH長さんの前で、オババと握手をして帰ってきた。
いつまで続くのだろう、この不調 ¡¡¡estoy enojadaaaaa!!!
何のことはない、元の木阿弥!
又けんかして戻って来た。
どうして、ああなのだろう!!私はあの人嫌いだ!
廊下に出れば、もういい顔している。私以外の人にはいい子ぶりっ子して・・・ずるいずるい、みえみえ。いくら経理をやっていたからって、打算が強すぎる。
部屋からもう帰るからと廊下に出た時、一番奥のお部屋の奥様がおやつタイムから戻ってこられた。
とても品のある、優しそうな感じの女性だ。誰かに似ているなあ~と思っていたが、一度もお話ししたことがなかった。こんにちわ、と挨拶をする前に、あちらから、
「偉いですネエ、よくいらしてあげて。本当に偉いですよ」と声をかけてくださった。
「折角来ても、今けんかして出てきたところなのですよ。ひどい事ばかり言うのです」
ニコニコして、
「それでも、いらしてあげてね」
そんな会話で救われた私でした。
出口でスタッフの女性と立ち話をしていたら、オババがホーム長さんに付き添われてのこのこやってきた。
H長さん、「けんかしちゃったからって・・・」とニコニコしている。
「そうなんですよ。もう嫌になってしまいます。でも後味悪いのもいけないから、・・・」とH長さんの前で、オババと握手をして帰ってきた。
いつまで続くのだろう、この不調 ¡¡¡estoy enojadaaaaa!!!
弱音を吐こう介護日誌⑫ 〜もう、ヤダ! 〜認知症戦争
ここ2週間大変忙しかった。
オババの所へは週2回もしくは3回しか行けなかったが、普通の人々に比べたら兄達も2回来ているのだから十分過ぎる待遇だと思う。
行ったなり、受付で捕まった。
大概私が行くと、まずスタッフの人の相談事から始まる。
又お風呂で渋ったかな?と思ったら、今回はお風呂は素直に入ったのに、着替えが終わった途端、タオルがないと大騒ぎしたらしい。
すでに洗濯室に回ってしまったらしいが、納得しないので、看護婦さんが一緒に捜しまわってくださり今洗濯中だからと取りあえず納得してもらったということだ。
「私は、あれがないと顔もふけない」と訴え(引き出しには何枚もタオルが入っている)
「一番気に入っているタオルなのに」とすごい剣幕らしかった。(本人どのタオルかも分かっていない)
すると、そこにおばばがやってきた。
スタッフはもう忘れているだろうから蒸し返さないように・・・と思っていたら、「さっきはおねえさんありがとう」と看護婦さん(婦長さんみたいな役割の年配の方)に言ったので、顔を見合わせてしまった。
お姉さん・・・という認識も、少々・・??彼女は誰の顔も見ていないのかもしれない。
部屋に行くと、私への苦情の連発。
お兄ちゃんたちは毎日来てくれているのに、あんたは全然来ない。来ても直ぐに帰ってしまう。
「先週は忙しくてゆっくりできないと説明したじゃない」(認知症にこれを言っても無駄だと言うが、私はちゃんと説明する、だってこの人分かっているような気がしてならないから。しらばっくれの天才だもの)
「昨日も、一日中待っていたのに・・・」
「火曜日は毎週来れないって言ってあるでしょ?私の一番大事な日で、この日だけは来れないの。ここに書いてあるでしょ?」カレンダーの大きな文字を見せる。
「そんなもの、みないわよ」
「みんなに迷惑かけるからちゃんと見てよ。今日が何日か見て、今日の予定はどうなっているか、誰も来れない日だったら、それなりの過ごし方があるでしょ? 何でもここに書いてあるから。まだ文字が分かるんだから、お願いだから読んでよ。来れない日に待っていたってストレス溜まってバカみたいよ。こっちも駄目な日まで待たれたって本当に困る。責められているみたいで迷惑だよ、だってどうやって無理しても来れない日は来れないのだから。」
「私はそんなもの、見たくないの」
そこで、むかっとするが、バラの花を飾ってあげて、ミネラルウォーターを小さなボトルに分けてあげて、持って来たKzさんのお土産のお菓子を冷蔵庫に入れて・・・
11時に来たのに、苦情を聞いているうちにもうお昼だ。
毎週水曜日は一緒にお昼を食べる日なので食堂へ行く。
前回ここに書いた一緒にお食事するグループにはもう加わらないらしい。大きな声で話す口の悪いMさんとけんかをしたらしい。
「あんたうるさいから黙っててくれない!?」と本人に向かって言ってしまったそうだ。
言った直後にその話を聞いたが、それから彼女はオババに口をきかなくなってしまい、先週行った時にも同じテーブルでお食事したが、口を一文字に閉じたまま一言も口をきかなかった。恐いお顔がひきつっていた。相当オババの言葉に腹を立てたらしい。本元の張本人のオババは、その原因が自分にあることはすっかり忘れてしまっている。「あの人私に口をきかないんだよ。あんな人と一緒に食べても美味しくないから、今は別のところで食べているの」とケロケロしている。
今は一人のおじいさんと、奥さんが車椅子でご夫婦で入居されている方々と4人のテーブルらしい。
食事中に、Mさんの話をする。私も2度ほど一緒にお食事しているから分かっているのだが、彼女の声がうるさいとか、失礼なことばかり言うとか色々言うので、
「分かっているからそのことについては、もう黙って!何度もお話ししているから・・・それにあまり大きな声で言うと聞こえるから、もうその事はここでは言わないで。お部屋に戻ってからにして」
私は人を傷つけるような言動は大嫌いだ。そういうことを無神経にする人はもっと嫌だ。
嫁として散々痛めつけられてきているから、そういうのはたくさん!大嫌いだ。いくら嫌な奴でも言いたくない。オババはそういうのが大好きなので、どんどん強くなる。だったら人を巻き込まずに一人でやるか、私以外の別の人を相手にして欲しい。
私と母は、至ることに関して本当に価値観が違う。私は絶対にそういう無神経な人間は嫌だ。
いじめとか許せない!オババはいじめる側、私はそれに加わるのが嫌で、断っていじめられる方かもしれない。
でかい態度での食事が終わり、お部屋に戻って、今度は又愚痴の連続。
もう飽きた!よくここまで言うわ!そんなに死にたかったら勝手に死んだら!どうして私にばかりそういうマイナスのネガティヴなことばかり言うの???折角体調が戻ってきたのに、又ストレスで帯状疱疹になってしまう。怒鳴りたい気分をじっとこらえて。
何よりも嫌なのは、女々しくて「ソラちゃんしか頼る人がいないのだもの、毎日毎日朝から待っているのに・・・・」
「お兄ちゃんだっているでしょ?お兄ちゃんに頼めばいいでしょ?」
そのうちに、お兄ちゃんは優しいのに私は優しくない、そういう話され方をすると頭が痛くなって死にたくなる・・・etc 次から次へと文句ばかり、人を何だと思っているんだ、糞ババア!!
認知症だからって何だって許されると思ったら大間違いだよ。私は怒りで、「ごめん、もう帰る。私そういうの嫌いなの。ずるくて見てられない。何でも人のせいにして、自分では何も努力しない。顔も洗わないのに、暇で死にそうだとか、カレンダーも見ないで、何日か分からないとこぼされたって困る。もう20回も今日何日?って聞かれているよ。聞く前に自分でカレンダーを見てよ。それだけ文句言えるなら、まだ間に合うよ」
これで、オババが怒り出し、泣き出し、大喧嘩になった。
仕方ないので、「そんなに出たいなら、今から散歩に行こう。そんなに買い物したいなら、コンビニまで歩いて行って、何か買って来よう。気分転換になるよ。」
オババは、「あんたとなんか行きたくない。優しさのかけらもない。」と拒絶。
「私は変われないから、ごめん。申し訳ない。じゃあ、帰るね。明日は雨だから行きたくても、外に出られないから、行くなら今しかないよ」
と言って部屋を出ようとすると、行きたい気持ちと明日は雨とのかけ引きで『欲望』と『プライド』がぶつかってどうしてよいか分からず泣き出した。子供より始末に悪い。
それでも内心はどうしても行きたいらしいのが見え見えなので、少し折れて優しくなって「じゃあ、行こうよ!」そういって着替えさせて連れ出し、一回りしてきた。もう3時を過ぎていた。
お菓子にキャラメルに・・・etc 冷蔵庫に一杯あるのに、どうしてこんなに買い物したいのだろう?
散歩が終わって4時半、やっと私は家に帰れる。 でも、午前中にできなかった、掃除と食事の準備とネットでの振込みと、郵便物の整理と、アイロンがけと英語の予習と・・・・まだまだやらねばならないことは山積みだ。
11時から5時・・・??又愚痴聞きで一日暮れてしまった。負のエネルギーでくたくた。
楽しいひとときの後だったら、こんなこと全く苦にならないのにな。
多分、こうしたら?と方法はたくさんあるだろう。
一番よいのは他人だと思うこと。ただの病人だと思うこと。そうすれば会っている時だけでも優しくなれる。何を言われても受け入れて(今もやってはいるのだが)自分を完全否定して飲み込み、ご機嫌よく過ごせれば早く帰ってこれるし、あちらも後味が良くて楽しいに違いない。私に課された仕事だと思えば・・・その方がはるかに生産的で、合理的で、文句なしだ。
しかし、私は実際親しい人との関係に、そういうことはできない。 不器用で融通のきかない不出来な人間だ。
心で接することしかできないのが私のアイデンティティーなのだ。そうやって自分は人と接し、生きてきたのだから。心の通じた良い関係をそうやって築いてきたのだ。
母に本当に心から優しくなれる日がいつかは来るだろうと思う。そして、その時母が何も分からなくなっていて後悔しても仕方ない、そう思う。
その時が来る前に優しい自分になれたら、とても素晴らしい。いくら努力しても今の自分に出来ないことだから。できれば早く自然にそうなって欲しいけれど・・・・。私はできた人間でないから、無理はしない、、、、多分、来る時が来たら、来るだろう。
オババの所へは週2回もしくは3回しか行けなかったが、普通の人々に比べたら兄達も2回来ているのだから十分過ぎる待遇だと思う。
行ったなり、受付で捕まった。
大概私が行くと、まずスタッフの人の相談事から始まる。
又お風呂で渋ったかな?と思ったら、今回はお風呂は素直に入ったのに、着替えが終わった途端、タオルがないと大騒ぎしたらしい。
すでに洗濯室に回ってしまったらしいが、納得しないので、看護婦さんが一緒に捜しまわってくださり今洗濯中だからと取りあえず納得してもらったということだ。
「私は、あれがないと顔もふけない」と訴え(引き出しには何枚もタオルが入っている)
「一番気に入っているタオルなのに」とすごい剣幕らしかった。(本人どのタオルかも分かっていない)
すると、そこにおばばがやってきた。
スタッフはもう忘れているだろうから蒸し返さないように・・・と思っていたら、「さっきはおねえさんありがとう」と看護婦さん(婦長さんみたいな役割の年配の方)に言ったので、顔を見合わせてしまった。
お姉さん・・・という認識も、少々・・??彼女は誰の顔も見ていないのかもしれない。
部屋に行くと、私への苦情の連発。
お兄ちゃんたちは毎日来てくれているのに、あんたは全然来ない。来ても直ぐに帰ってしまう。
「先週は忙しくてゆっくりできないと説明したじゃない」(認知症にこれを言っても無駄だと言うが、私はちゃんと説明する、だってこの人分かっているような気がしてならないから。しらばっくれの天才だもの)
「昨日も、一日中待っていたのに・・・」
「火曜日は毎週来れないって言ってあるでしょ?私の一番大事な日で、この日だけは来れないの。ここに書いてあるでしょ?」カレンダーの大きな文字を見せる。
「そんなもの、みないわよ」
「みんなに迷惑かけるからちゃんと見てよ。今日が何日か見て、今日の予定はどうなっているか、誰も来れない日だったら、それなりの過ごし方があるでしょ? 何でもここに書いてあるから。まだ文字が分かるんだから、お願いだから読んでよ。来れない日に待っていたってストレス溜まってバカみたいよ。こっちも駄目な日まで待たれたって本当に困る。責められているみたいで迷惑だよ、だってどうやって無理しても来れない日は来れないのだから。」
「私はそんなもの、見たくないの」
そこで、むかっとするが、バラの花を飾ってあげて、ミネラルウォーターを小さなボトルに分けてあげて、持って来たKzさんのお土産のお菓子を冷蔵庫に入れて・・・
11時に来たのに、苦情を聞いているうちにもうお昼だ。
毎週水曜日は一緒にお昼を食べる日なので食堂へ行く。
前回ここに書いた一緒にお食事するグループにはもう加わらないらしい。大きな声で話す口の悪いMさんとけんかをしたらしい。
「あんたうるさいから黙っててくれない!?」と本人に向かって言ってしまったそうだ。
言った直後にその話を聞いたが、それから彼女はオババに口をきかなくなってしまい、先週行った時にも同じテーブルでお食事したが、口を一文字に閉じたまま一言も口をきかなかった。恐いお顔がひきつっていた。相当オババの言葉に腹を立てたらしい。本元の張本人のオババは、その原因が自分にあることはすっかり忘れてしまっている。「あの人私に口をきかないんだよ。あんな人と一緒に食べても美味しくないから、今は別のところで食べているの」とケロケロしている。
今は一人のおじいさんと、奥さんが車椅子でご夫婦で入居されている方々と4人のテーブルらしい。
食事中に、Mさんの話をする。私も2度ほど一緒にお食事しているから分かっているのだが、彼女の声がうるさいとか、失礼なことばかり言うとか色々言うので、
「分かっているからそのことについては、もう黙って!何度もお話ししているから・・・それにあまり大きな声で言うと聞こえるから、もうその事はここでは言わないで。お部屋に戻ってからにして」
私は人を傷つけるような言動は大嫌いだ。そういうことを無神経にする人はもっと嫌だ。
嫁として散々痛めつけられてきているから、そういうのはたくさん!大嫌いだ。いくら嫌な奴でも言いたくない。オババはそういうのが大好きなので、どんどん強くなる。だったら人を巻き込まずに一人でやるか、私以外の別の人を相手にして欲しい。
私と母は、至ることに関して本当に価値観が違う。私は絶対にそういう無神経な人間は嫌だ。
いじめとか許せない!オババはいじめる側、私はそれに加わるのが嫌で、断っていじめられる方かもしれない。
でかい態度での食事が終わり、お部屋に戻って、今度は又愚痴の連続。
もう飽きた!よくここまで言うわ!そんなに死にたかったら勝手に死んだら!どうして私にばかりそういうマイナスのネガティヴなことばかり言うの???折角体調が戻ってきたのに、又ストレスで帯状疱疹になってしまう。怒鳴りたい気分をじっとこらえて。
何よりも嫌なのは、女々しくて「ソラちゃんしか頼る人がいないのだもの、毎日毎日朝から待っているのに・・・・」
「お兄ちゃんだっているでしょ?お兄ちゃんに頼めばいいでしょ?」
そのうちに、お兄ちゃんは優しいのに私は優しくない、そういう話され方をすると頭が痛くなって死にたくなる・・・etc 次から次へと文句ばかり、人を何だと思っているんだ、糞ババア!!
認知症だからって何だって許されると思ったら大間違いだよ。私は怒りで、「ごめん、もう帰る。私そういうの嫌いなの。ずるくて見てられない。何でも人のせいにして、自分では何も努力しない。顔も洗わないのに、暇で死にそうだとか、カレンダーも見ないで、何日か分からないとこぼされたって困る。もう20回も今日何日?って聞かれているよ。聞く前に自分でカレンダーを見てよ。それだけ文句言えるなら、まだ間に合うよ」
これで、オババが怒り出し、泣き出し、大喧嘩になった。
仕方ないので、「そんなに出たいなら、今から散歩に行こう。そんなに買い物したいなら、コンビニまで歩いて行って、何か買って来よう。気分転換になるよ。」
オババは、「あんたとなんか行きたくない。優しさのかけらもない。」と拒絶。
「私は変われないから、ごめん。申し訳ない。じゃあ、帰るね。明日は雨だから行きたくても、外に出られないから、行くなら今しかないよ」
と言って部屋を出ようとすると、行きたい気持ちと明日は雨とのかけ引きで『欲望』と『プライド』がぶつかってどうしてよいか分からず泣き出した。子供より始末に悪い。
それでも内心はどうしても行きたいらしいのが見え見えなので、少し折れて優しくなって「じゃあ、行こうよ!」そういって着替えさせて連れ出し、一回りしてきた。もう3時を過ぎていた。
お菓子にキャラメルに・・・etc 冷蔵庫に一杯あるのに、どうしてこんなに買い物したいのだろう?
散歩が終わって4時半、やっと私は家に帰れる。 でも、午前中にできなかった、掃除と食事の準備とネットでの振込みと、郵便物の整理と、アイロンがけと英語の予習と・・・・まだまだやらねばならないことは山積みだ。
11時から5時・・・??又愚痴聞きで一日暮れてしまった。負のエネルギーでくたくた。
楽しいひとときの後だったら、こんなこと全く苦にならないのにな。
多分、こうしたら?と方法はたくさんあるだろう。
一番よいのは他人だと思うこと。ただの病人だと思うこと。そうすれば会っている時だけでも優しくなれる。何を言われても受け入れて(今もやってはいるのだが)自分を完全否定して飲み込み、ご機嫌よく過ごせれば早く帰ってこれるし、あちらも後味が良くて楽しいに違いない。私に課された仕事だと思えば・・・その方がはるかに生産的で、合理的で、文句なしだ。
しかし、私は実際親しい人との関係に、そういうことはできない。 不器用で融通のきかない不出来な人間だ。
心で接することしかできないのが私のアイデンティティーなのだ。そうやって自分は人と接し、生きてきたのだから。心の通じた良い関係をそうやって築いてきたのだ。
母に本当に心から優しくなれる日がいつかは来るだろうと思う。そして、その時母が何も分からなくなっていて後悔しても仕方ない、そう思う。
その時が来る前に優しい自分になれたら、とても素晴らしい。いくら努力しても今の自分に出来ないことだから。できれば早く自然にそうなって欲しいけれど・・・・。私はできた人間でないから、無理はしない、、、、多分、来る時が来たら、来るだろう。
2011年5月30日月曜日
ついに、還暦!
2011年5月28日とうとう還暦を迎えた!

仲良しの友人たちはもう何人もそちらの世界に突入しているのでどうってことはないのだが・・・・・
母の頃の60歳というと結構しわなんかできているおばあさん顔をしていて、赤いチャンチャンコがとても似合っていたが、今の女性はみんな若いので、60歳がどうのこうのって特にないような気がしていた。
自分がなるとどうだろう?
「う~~ん!」やはり昨日と変わらない!!
Kzさんが珍しくお祝いをしてくれた。
私が欲しかったジャケットを内緒で買ってきてくれた。ここのところプレゼントとか、お祝いとか縁がなかったので、とても嬉しかった。
そして当日、もう一つのビッグサプライズを下さった!それが、写真のswashのスカーフ。
とてもしなやかできれいな、しかも今年の2011年の年号の入ったスペシャルバージョンだ。
70歳になってもこれが似合うような女性でいてください。と言われた。
『う~~ん、難しい課題だ!!』
「白洲正子だったら似合いそうだね」と答えた私は、そんな風に自由奔放に自分の眼で物が見えしかも行動できるおしゃれな素敵な女性になりたいものだと、心底思った。
ありがとう、Kzさん!!
ところが、それとは別に二個目のプレゼントの瞬間に私は嬉しそうな顔をしなかったのだ。
Kzさんの顔が一瞬曇った。ガッカリしてしまったみたいだ。
それは、スカーフが気に入らなかったのではなく、2日前にいただいた一つ目の黒のジャケットでわたしはすっかり満足し切っていたからで・・・ そこで満たされていたから、それ以上は贅沢に感じられて物欲のない私には十分だったのだ。
ちょうど、美味しいレストランでお食事した後、エスプレッソの後に、とても素敵なショコラが出てきても私のお腹には入らない。それが宝石のように満足の上の満足で嬉しい人もいるのかもしれないが、私には十分で・・・別の機会にとっておきたいような気持ちになるのだった。
その夜は久しぶりにスコルピオーネに行った。
普段着しかなかったので、プレゼントのスカーフで誤魔化した。なかなか素敵だ。
『スコルピオーネ2』のカジュアルな店にはよく行ったものだが、店じまいしてしまったので、もう行けない。オリジナルの方へは随分長いこと行ってなかった。
素敵なお食事だった。
去年からの魔の一年をこれで追い払い、素敵な60代に突入!!!だ~~と思っていた。
ところがその夜、美味しい食事のせいか、、、、胃が疲れていたせいか、体調がまだ戻っていないのに美食をしたせいか・・・そう言えば今週は少しハードだったけれど、、、夜中中吐き気と下痢に悩まされ、朝の5時に7回目の水ばかりのひどい下痢で終止符を迎えた。
60歳前の嫌な事を全部押し出し、流しだし、すっかりピューリファイされたと思おう。 空っぽの自分からスタート! しかし一晩中苦しんで辛かったこと・・・・(涙)。
私には、ほんの小さな幸せが似合っている。
自分の許容量を知り、それに合ったさじ加減で生きていかないと壊れる。
静かに、物にとらわれずに、大切に思うものを大切に生きて行きたい。
今年は、良いこともあるけれど、自分次第で乗り切るのが大変ですよ~~と神様が予告してくださったのかもしれない。
印象的に嬉しかったのは、「おめでとう!」をたくさんの人に言ってもらえたこと。
みんなが私の誕生日を覚えていてくれて、わざわざおめでとうを言ってくれた、息子のKまで言ってくれたから、多分色々なひとに支えられて、この嵐を乗り切ることができるのだろう。
Kzさん、ありがとう!
もっと、もっと幸せを運んできて、みんなを幸せにしてください。
そして自分も幸せになってください。
私も頑張ります。何しろ先に60代突入だもんね。
仲良しの友人たちはもう何人もそちらの世界に突入しているのでどうってことはないのだが・・・・・
母の頃の60歳というと結構しわなんかできているおばあさん顔をしていて、赤いチャンチャンコがとても似合っていたが、今の女性はみんな若いので、60歳がどうのこうのって特にないような気がしていた。
自分がなるとどうだろう?
「う~~ん!」やはり昨日と変わらない!!
Kzさんが珍しくお祝いをしてくれた。
私が欲しかったジャケットを内緒で買ってきてくれた。ここのところプレゼントとか、お祝いとか縁がなかったので、とても嬉しかった。
とてもしなやかできれいな、しかも今年の2011年の年号の入ったスペシャルバージョンだ。
70歳になってもこれが似合うような女性でいてください。と言われた。
『う~~ん、難しい課題だ!!』
「白洲正子だったら似合いそうだね」と答えた私は、そんな風に自由奔放に自分の眼で物が見えしかも行動できるおしゃれな素敵な女性になりたいものだと、心底思った。
ありがとう、Kzさん!!
ところが、それとは別に二個目のプレゼントの瞬間に私は嬉しそうな顔をしなかったのだ。
Kzさんの顔が一瞬曇った。ガッカリしてしまったみたいだ。
それは、スカーフが気に入らなかったのではなく、2日前にいただいた一つ目の黒のジャケットでわたしはすっかり満足し切っていたからで・・・ そこで満たされていたから、それ以上は贅沢に感じられて物欲のない私には十分だったのだ。
ちょうど、美味しいレストランでお食事した後、エスプレッソの後に、とても素敵なショコラが出てきても私のお腹には入らない。それが宝石のように満足の上の満足で嬉しい人もいるのかもしれないが、私には十分で・・・別の機会にとっておきたいような気持ちになるのだった。
その夜は久しぶりにスコルピオーネに行った。
普段着しかなかったので、プレゼントのスカーフで誤魔化した。なかなか素敵だ。
『スコルピオーネ2』のカジュアルな店にはよく行ったものだが、店じまいしてしまったので、もう行けない。オリジナルの方へは随分長いこと行ってなかった。
素敵なお食事だった。
去年からの魔の一年をこれで追い払い、素敵な60代に突入!!!だ~~と思っていた。
ところがその夜、美味しい食事のせいか、、、、胃が疲れていたせいか、体調がまだ戻っていないのに美食をしたせいか・・・そう言えば今週は少しハードだったけれど、、、夜中中吐き気と下痢に悩まされ、朝の5時に7回目の水ばかりのひどい下痢で終止符を迎えた。
60歳前の嫌な事を全部押し出し、流しだし、すっかりピューリファイされたと思おう。 空っぽの自分からスタート! しかし一晩中苦しんで辛かったこと・・・・(涙)。
私には、ほんの小さな幸せが似合っている。
自分の許容量を知り、それに合ったさじ加減で生きていかないと壊れる。
静かに、物にとらわれずに、大切に思うものを大切に生きて行きたい。
今年は、良いこともあるけれど、自分次第で乗り切るのが大変ですよ~~と神様が予告してくださったのかもしれない。
印象的に嬉しかったのは、「おめでとう!」をたくさんの人に言ってもらえたこと。
みんなが私の誕生日を覚えていてくれて、わざわざおめでとうを言ってくれた、息子のKまで言ってくれたから、多分色々なひとに支えられて、この嵐を乗り切ることができるのだろう。
Kzさん、ありがとう!
もっと、もっと幸せを運んできて、みんなを幸せにしてください。
そして自分も幸せになってください。
私も頑張ります。何しろ先に60代突入だもんね。
2011年5月23日月曜日
ケンケンとコン吉
GW中にツルヤで配布されたラベンダーが
我が家の庭に仲間入り!
記念すべき第一号だ。
2週間の留守の間に枯れてしまったのでは?と気が気でなかったが、無事に元気で待っていてくれた。
ラベンダーの一鉢を見て、一人では可哀想!と仲間を仕入れてきた。庭に色が付くと別世界になる。
この子たちは、もっと元気になって私たちを迎えてくれた。入り口のネモフィラたちも大丈夫だった。
雑草天国だったが、それも仕方ない!
Kzさんと風のガーデンになるのはいつだろう?と夢見る。
我が家に毎日訪れるものが約2名いる。
野鳥をいれるともっとすごい数になるが、決まってやってくるこの二名のことはちょっと記録しておこう。
東京の家に行けば写真があるのだが・・・
まず、『ケンケン』
ケンケンは雉だ。毎朝「けーん、けーん♫」と騒いでダンスを踊って隣の庭に行く。 どこでもあの声が聞こえるので、多分仲間がいるか、あちこち移動しているに違いない。それがとても綺麗で~、カラフルで堂々としている。
ところがうっかりドアを開けたりすると、びっくりしてかけっこをして逃げていく、二本足で小さくなった駝鳥のような格好でトットット・・・と走るのだ。それが速い、速い。その格好がいかにも愉快で笑ってしまう。飛んだ姿は一度も見たことがない。堂々としていた雉が慌てる様は実に愉快。
もう一名は、『コン吉』
コン吉は名前の通りキツネだ。
私には何キツネかわからないが、もしかするとタヌキ?って顔でもある。
昨日目が合った。
というのも、生ごみを庭の肥料にしようと、穴を掘っていつも埋めて行くのだが、滞在中はまだごみが出るので、軽く土を覆っておくだけにしていた。野生の動物を餌付けをすると大変なので、帰る時にはしっかり土をかけて穴の位置がわからないようにして行くのだが・・・・
どうも夜中にほじくっている奴がいるらしい・・・朝起きるとバナナの皮とかが表面に出ている。
初めはケンケンの仕業と思っていたのだが、どうももっと力のある奴がやっているようなので、コン吉かもしれない、と目安を付けていた。
そして、昨日夕方コン吉がやってきた。土をたくさん被せておいたので、おしっこをして通り過ぎて行ったが、あれは私が遠くから見ている気配を感じて騙したのだと思う。
こちらは、全く慌てず、じっとにらみ返したから、すごい!
埋まっていることに気がつかなかったのではなく、私を誤魔化したのだ。
つまりはしらばっくれ! 見事に騙された。
だって今朝起きたら、又ほじくり返してあった。大根の皮が一つ出ていた。
東京へ帰るときはとことん気をつけよう。熊が来たら大変だ!
猿もいやだ!
ところでここはスウェーデンハウスなので、ドアを閉めてしまうと外の音が全く聞こえない。
ドアを開けると、あまりにも豊富な鳥の声が聞こえてびっくりする。もちろんたくさんの訪問者が来るので窓越しにみているだけでも面白いのだが・・・
少しでも音をたてると直ぐに飛び立ってしまうので、窓越しにしか観察できない。そうでなければずっとベランダでじっとしているしかない。
見えただけでも、カッコウ、うぐいす、雉、きつつき、コゲラ、ひばり、ひよどり、しじゅうから、めじろ、モズ・・・・もちろんすずめもやってくる。
この声を聞き分けられるようになったら、どんなにか素敵だろう。
窓を開けている季節になったら、PCで聞き比べながらやってみよう。
2011年5月17日火曜日
弱音を吐こう介護日誌⑪ 〜恐怖の火曜日と土曜日の夕方
オババの入浴日が水曜日と日曜日だ。
前日の夕方になるとスタッフの人が、着替えを取りにやって来る。
するとオババから必ず家に電話が来る。
「明日お風呂だからって着替えを持って行くというので断った」
「物がなくなるから、お風呂には入らない」
「具合が悪くてお風呂どころではない」
それを私に訴えるのだ。
私は困ってしまう。
どうもスタッフの人とひと悶着あるようだ。泥棒呼ばわりしているに違いない。
多分上手に対応してくれているのだろうが、あまりにも頻繁なので実に厄介で根深い。
オババかどうして電話をよこすのかいまひとつよく分からない。
スタッフの人とけんかした罪悪感からか、本当に物を取られると信じ込んでいるからか、それとも本当はお風呂にはいりたくないからか?
最初の理由であって欲しいけれど、可能性は薄いかも。
否定してはいけないと物の本には書いてあるので、
「お風呂は週2回しかないのだから、入っておかないと駄目だよ、気持ちいいよ」
と答える。色々反論するので
「何がなくなるの?」と聞くとパンツとかが戻って来ないと言う。
本当は『こんなオババのパンツ取ったってしようがないやろ、誰が持って行くって言うの?』と言いたいところだが我慢して、
「困ったね」と言う。
こうして、私はまたまた憂鬱になるのだ。本当の認知症になっちゃったんだねえ~まるでお手本みたいじゃない。オババしっかりしておくれ!
前日の夕方になるとスタッフの人が、着替えを取りにやって来る。
するとオババから必ず家に電話が来る。
「明日お風呂だからって着替えを持って行くというので断った」
「物がなくなるから、お風呂には入らない」
「具合が悪くてお風呂どころではない」
それを私に訴えるのだ。
私は困ってしまう。
どうもスタッフの人とひと悶着あるようだ。泥棒呼ばわりしているに違いない。
多分上手に対応してくれているのだろうが、あまりにも頻繁なので実に厄介で根深い。
オババかどうして電話をよこすのかいまひとつよく分からない。
スタッフの人とけんかした罪悪感からか、本当に物を取られると信じ込んでいるからか、それとも本当はお風呂にはいりたくないからか?
最初の理由であって欲しいけれど、可能性は薄いかも。
否定してはいけないと物の本には書いてあるので、
「お風呂は週2回しかないのだから、入っておかないと駄目だよ、気持ちいいよ」
と答える。色々反論するので
「何がなくなるの?」と聞くとパンツとかが戻って来ないと言う。
本当は『こんなオババのパンツ取ったってしようがないやろ、誰が持って行くって言うの?』と言いたいところだが我慢して、
「困ったね」と言う。
こうして、私はまたまた憂鬱になるのだ。本当の認知症になっちゃったんだねえ~まるでお手本みたいじゃない。オババしっかりしておくれ!
認知症メモ-自分の時のための準備 ①
アルツハイマー型認知症は遺伝するとも言われているので、気になったことを自分の為に記録しておこうと思います。
早期発見とか、何かの役に立つかもしれません。
母の10歳ほど下の弟も認知症症状が出ているそうです。私は母とは似ている所がないけれど、血液型は同じだし、やはり母親だし・・・そういうわけで色々書きとめておこうと思います。
経過:
母は昔からものぐさでいい加減で、面倒なことが大嫌いで、ずぼらで・・・・兄とよく、「初めから呆けているから、この人は呆けてもあまり変わらないだろうね。多分呆けないよ」と言っていました。
私のような几帳面で完璧主義の人間は呆けると言われていたので、私は性格を変えようと心の大きなおおらかな友人達を見習って大変努力をしていました。
その努力の甲斐があって、最近は小さなことにくよくよしなくなったし、神経質さも薄れてきたし・・・と認知症対策が進行しつつあります。
しかし、何が起きるか分かりません。
『そんな母が何故認知症になったか?』
1.アルミの鍋と味の素と安定剤
全く根拠がないが、昔から風評というか、よく耳にしていた上記の3点は確かに母はあてはまります。
台所にはアルミの鍋ばかり。
長年の習慣で何にも味の素を少しだけかけて食べる。特に信州人の好きな漬け物には必ずかけていました。
いくら「呆けるから飲まない方がいいよ」と言っても安定剤をやめてくれませんでした。
2.依存度の強さ
父が優しい器用な人でしたので、母は困ったことがあると(もちろんなくても)何でも父にやってもらっていました。
母は父の会社の経理をしていたので、今で言うキャリアウーマンの走り・・・会社の副会長とかもやっていた(まあ名目だけですが・・・)珍しい大正生まれなので、全く何もしないわけではないのですが、言われたことをやることはできますが、自分で工夫しない、面倒なことは大嫌い、要するに電球一つすら換えることができませんでした。
父はそんな母の為に得意分野の仕事を与え、厚生年金を得ることができ、自活できるに十分な準備をして亡くなりました。
『困った時は人に頼めばいい』と、何でも人にやってもらっていた母は、父が亡くなった後から、本当の試練の時がきました。けれど、その頃は回りに助けてくれる人がたくさんいたので、どうにかなっていました。
『同居は嫌、一人で暮らす』と宣言して頑張りました。
しかし、自分で筋道をたてて考え、自分で解決する、この過程に慣れていなかった母には、色々な認知症へのマイナス点がありました。
3.度重なる不運
(1)兄の会社が倒産
父が築きあげてき、兄が継いだ会社が多額な負債を抱えて倒産しました。母はその過程で、全てをものすごい速さで失って行く様を見ました。
この心の傷はとても大きく、認知症への第一歩の事件になったと思います。
(2)兄の家族が東京へ ・・・一人ぼっちに
近くに住んでいた兄の一家が大きな家も失い、もちろん会社も失い、東京へ来ました。
母の近くで声をかけてくれる人がいなくなりました。
このとき母も一緒に東京へ出ればまだ若かったのでいくらでも方法がありましたが、彼女の拒絶は強く、「今なら東京の生活に慣れて、楽しくやっていけるよ。歳をとってしまったら難しいから・・・」
と伝えましたが、どうしても動きませんでした。
東京へはしばしば遊びに来ていましたが、次第に意欲がなくなり来なくなってきました。
お正月に来なくなった辺から、彼女のお篭りが始まったような気がします。
話していても、変なことばかり言うので、よく私がイライラして、それを母が感じて癇癪を起こしてけんかになったように記憶しています。
この頃から少しずつ始まっていたのでしょうか。
ここからは、2年ほど前の出来事です。
(3)プールの出入りを断られたこと
父が亡くなってから、20年以上も続けていた水泳教室、後半の10年位はクラスに入らずに、自由会員になって泳いでいましたが、止める2年位前から泳ぎは止めて温泉のお風呂にだけ入りに行って、生活のリズムを作っていました。
「お母さん、何があってもプールへ行くのを日課にするんだよ」そのリズムが大切なことが分かっている私は、そう母に言い聞かせ、母もそれだけは聞いてよくやっていました。カートを押して歩いてプールまで行って、お風呂に入って、帰りにお買い物をして帰ってくる・・・
ある日、プールの経営者から電話が来て、「他の会員の方から苦情が出ているので、退会していただけないだろうか?」というものだった。母が尿漏れパッドをしていたことが原因だったらしい。
この事件のショックは、見事に母を襲いました。
母が目に見えておかしくなって行ったのはこの辺りからです。
それでも、普通に生活していたし、人に迷惑をかけたりすることはなかったと思います。
認知症という名前をつけられるところまでは行っていなかったでしょう。
(4)親しい人が亡くなったこと
近所の女性で、私より4歳ほど年上の方が、とても母を気にかけてくださり、毎日声をかけて時々食べ物を運んでくださったりしていました。介護保険の手続きも彼女がしてくれたお陰でできました。
彼女がいるので、ペットボトルの蓋を開けられない等の、困った時には、やってもらっていたので、安心していました。母も彼女には心を開き、感謝もしていました。
娘より好きだと言っていましたから・・・
けれど、その人が10ヶ月ほど家に篭ってしまいました。プツリと訪問が途絶え、姿を見せなくなってしまったのです。もともと躁鬱の激しい波があり、数年単位で入退院を繰り返していたのですが、ここ数年は元気でした。
母はとても心配して、おろおろしましたが、どうにもならず・・・しかし、ある朝数ヶ月ぶりに、突然母に挨拶に来て、その数日後に亡くなってしまいました。
この事件の後から、月1万円は出ていた母の電話代が基本料金以上になることがなくなりました。
気丈な母でしたが、この事件の傷は、病気としての認知症の一歩になったと思います。
この続きは次回に
早期発見とか、何かの役に立つかもしれません。
母の10歳ほど下の弟も認知症症状が出ているそうです。私は母とは似ている所がないけれど、血液型は同じだし、やはり母親だし・・・そういうわけで色々書きとめておこうと思います。
経過:
母は昔からものぐさでいい加減で、面倒なことが大嫌いで、ずぼらで・・・・兄とよく、「初めから呆けているから、この人は呆けてもあまり変わらないだろうね。多分呆けないよ」と言っていました。
私のような几帳面で完璧主義の人間は呆けると言われていたので、私は性格を変えようと心の大きなおおらかな友人達を見習って大変努力をしていました。
その努力の甲斐があって、最近は小さなことにくよくよしなくなったし、神経質さも薄れてきたし・・・と認知症対策が進行しつつあります。
しかし、何が起きるか分かりません。
『そんな母が何故認知症になったか?』
1.アルミの鍋と味の素と安定剤
全く根拠がないが、昔から風評というか、よく耳にしていた上記の3点は確かに母はあてはまります。
台所にはアルミの鍋ばかり。
長年の習慣で何にも味の素を少しだけかけて食べる。特に信州人の好きな漬け物には必ずかけていました。
いくら「呆けるから飲まない方がいいよ」と言っても安定剤をやめてくれませんでした。
2.依存度の強さ
父が優しい器用な人でしたので、母は困ったことがあると(もちろんなくても)何でも父にやってもらっていました。
母は父の会社の経理をしていたので、今で言うキャリアウーマンの走り・・・会社の副会長とかもやっていた(まあ名目だけですが・・・)珍しい大正生まれなので、全く何もしないわけではないのですが、言われたことをやることはできますが、自分で工夫しない、面倒なことは大嫌い、要するに電球一つすら換えることができませんでした。
父はそんな母の為に得意分野の仕事を与え、厚生年金を得ることができ、自活できるに十分な準備をして亡くなりました。
『困った時は人に頼めばいい』と、何でも人にやってもらっていた母は、父が亡くなった後から、本当の試練の時がきました。けれど、その頃は回りに助けてくれる人がたくさんいたので、どうにかなっていました。
『同居は嫌、一人で暮らす』と宣言して頑張りました。
しかし、自分で筋道をたてて考え、自分で解決する、この過程に慣れていなかった母には、色々な認知症へのマイナス点がありました。
3.度重なる不運
(1)兄の会社が倒産
父が築きあげてき、兄が継いだ会社が多額な負債を抱えて倒産しました。母はその過程で、全てをものすごい速さで失って行く様を見ました。
この心の傷はとても大きく、認知症への第一歩の事件になったと思います。
(2)兄の家族が東京へ ・・・一人ぼっちに
近くに住んでいた兄の一家が大きな家も失い、もちろん会社も失い、東京へ来ました。
母の近くで声をかけてくれる人がいなくなりました。
このとき母も一緒に東京へ出ればまだ若かったのでいくらでも方法がありましたが、彼女の拒絶は強く、「今なら東京の生活に慣れて、楽しくやっていけるよ。歳をとってしまったら難しいから・・・」
と伝えましたが、どうしても動きませんでした。
東京へはしばしば遊びに来ていましたが、次第に意欲がなくなり来なくなってきました。
お正月に来なくなった辺から、彼女のお篭りが始まったような気がします。
話していても、変なことばかり言うので、よく私がイライラして、それを母が感じて癇癪を起こしてけんかになったように記憶しています。
この頃から少しずつ始まっていたのでしょうか。
ここからは、2年ほど前の出来事です。
(3)プールの出入りを断られたこと
父が亡くなってから、20年以上も続けていた水泳教室、後半の10年位はクラスに入らずに、自由会員になって泳いでいましたが、止める2年位前から泳ぎは止めて温泉のお風呂にだけ入りに行って、生活のリズムを作っていました。
「お母さん、何があってもプールへ行くのを日課にするんだよ」そのリズムが大切なことが分かっている私は、そう母に言い聞かせ、母もそれだけは聞いてよくやっていました。カートを押して歩いてプールまで行って、お風呂に入って、帰りにお買い物をして帰ってくる・・・
ある日、プールの経営者から電話が来て、「他の会員の方から苦情が出ているので、退会していただけないだろうか?」というものだった。母が尿漏れパッドをしていたことが原因だったらしい。
この事件のショックは、見事に母を襲いました。
母が目に見えておかしくなって行ったのはこの辺りからです。
それでも、普通に生活していたし、人に迷惑をかけたりすることはなかったと思います。
認知症という名前をつけられるところまでは行っていなかったでしょう。
(4)親しい人が亡くなったこと
近所の女性で、私より4歳ほど年上の方が、とても母を気にかけてくださり、毎日声をかけて時々食べ物を運んでくださったりしていました。介護保険の手続きも彼女がしてくれたお陰でできました。
彼女がいるので、ペットボトルの蓋を開けられない等の、困った時には、やってもらっていたので、安心していました。母も彼女には心を開き、感謝もしていました。
娘より好きだと言っていましたから・・・
けれど、その人が10ヶ月ほど家に篭ってしまいました。プツリと訪問が途絶え、姿を見せなくなってしまったのです。もともと躁鬱の激しい波があり、数年単位で入退院を繰り返していたのですが、ここ数年は元気でした。
母はとても心配して、おろおろしましたが、どうにもならず・・・しかし、ある朝数ヶ月ぶりに、突然母に挨拶に来て、その数日後に亡くなってしまいました。
この事件の後から、月1万円は出ていた母の電話代が基本料金以上になることがなくなりました。
気丈な母でしたが、この事件の傷は、病気としての認知症の一歩になったと思います。
この続きは次回に
2011年5月14日土曜日
オババ家に来る!
調度金曜日の授業が休講になったので、オババを家に連れてくる計画をたてた。
ホームに入ってから初めての訪問だ。
GW中、3日連続で私が行かなかった後の不安定な後遺症がやっと癒えてきたので、そろそろ新しい刺激を与えてみようと思った。
珍しく、「1時過ぎに迎えに行くから~」をいう台詞を覚えていて、と言ってもカレンダー二箇所に書いて、メモも大きな文字で残し、更に事務所にまで連絡しておいたから・・・、「これから迎えに行くよ」と電話した時にも驚いたような様子はなかった。
ホーム長さんが「朝から楽しみにしていらっしゃいましたよ」とおっしゃったので、
「へぇ~、覚えていましたか!」と私は感心して確認してしまいました。
良かった!
部屋に行くと、着る物が決まらずパニック状態。あれこれ引っ張り出して色々試して、先日東急で買ったカーディガンに決定!まるで泥棒が荒らしていった部屋みたいだ!
「こんな部屋人に見せられない」と言うので、片付けさせられた。相変わらず人使いが荒いオババ。私はいつも下女だ・・・しくしく
呆けていてもオババのセンスはなかなかだ!!下に着るブラウスと帽子を選んであげて、まあ小奇麗なオババになった。 (たまには朝顔を洗って、おしゃれもしてよ!どう、気持ちいいでしょ?)
車で10分くらいかな? 家に到着。
初めて見る家らしい。「何も覚えていない」と言っていた。
玄関も、いつも泊まっていたお部屋も、トイレも、居間も・・・・何も記憶にないらしい。
「ソラちゃん綺麗なお家に住んでいたんだね」と安心したらしい。(今まで何度来たのか分からんのに)
お茶して、庭に咲いたバラを切ってあげて、ホームに送り届けた。
「私はこれから何処へ帰るのだったかしら?」とさかんに言っていた。
ダイニングからちらほら見えるお隣の家のお庭をぼんやり見ながら、
「あそこにお年寄りがいたよね?もう死んじゃったかしら?」とボソッと呟いた。
「えっ?覚えているの?」ビックリして聞き返した。
「そんな気がしただけ・・・」
それだけがオババがここに来たことがあった証拠になった。記憶の断片がうっすらとまだ存在していたのか、偶然だったのか・・・?
「今何時?」
「もうすぐ5時になるかな」と答えると、
「あらもう、夕飯の時間だわ。急がなくちゃ」とお土産の靴下とお菓子とバラの花と花柄のトイレットペーパーを持って満足そうに帰って行った姿は悪くなかった。
食い気だけは救いだ!
少しでも幸せな記憶が戻ってくるといいね、おばあさん。
ホームに入ってから初めての訪問だ。
GW中、3日連続で私が行かなかった後の不安定な後遺症がやっと癒えてきたので、そろそろ新しい刺激を与えてみようと思った。
珍しく、「1時過ぎに迎えに行くから~」をいう台詞を覚えていて、と言ってもカレンダー二箇所に書いて、メモも大きな文字で残し、更に事務所にまで連絡しておいたから・・・、「これから迎えに行くよ」と電話した時にも驚いたような様子はなかった。
ホーム長さんが「朝から楽しみにしていらっしゃいましたよ」とおっしゃったので、
「へぇ~、覚えていましたか!」と私は感心して確認してしまいました。
良かった!
部屋に行くと、着る物が決まらずパニック状態。あれこれ引っ張り出して色々試して、先日東急で買ったカーディガンに決定!まるで泥棒が荒らしていった部屋みたいだ!
「こんな部屋人に見せられない」と言うので、片付けさせられた。相変わらず人使いが荒いオババ。私はいつも下女だ・・・しくしく
呆けていてもオババのセンスはなかなかだ!!下に着るブラウスと帽子を選んであげて、まあ小奇麗なオババになった。 (たまには朝顔を洗って、おしゃれもしてよ!どう、気持ちいいでしょ?)
車で10分くらいかな? 家に到着。
初めて見る家らしい。「何も覚えていない」と言っていた。
玄関も、いつも泊まっていたお部屋も、トイレも、居間も・・・・何も記憶にないらしい。
「ソラちゃん綺麗なお家に住んでいたんだね」と安心したらしい。(今まで何度来たのか分からんのに)
お茶して、庭に咲いたバラを切ってあげて、ホームに送り届けた。
「私はこれから何処へ帰るのだったかしら?」とさかんに言っていた。
ダイニングからちらほら見えるお隣の家のお庭をぼんやり見ながら、
「あそこにお年寄りがいたよね?もう死んじゃったかしら?」とボソッと呟いた。
「えっ?覚えているの?」ビックリして聞き返した。
「そんな気がしただけ・・・」
それだけがオババがここに来たことがあった証拠になった。記憶の断片がうっすらとまだ存在していたのか、偶然だったのか・・・?
「今何時?」
「もうすぐ5時になるかな」と答えると、
「あらもう、夕飯の時間だわ。急がなくちゃ」とお土産の靴下とお菓子とバラの花と花柄のトイレットペーパーを持って満足そうに帰って行った姿は悪くなかった。
食い気だけは救いだ!
少しでも幸せな記憶が戻ってくるといいね、おばあさん。
2011年5月11日水曜日
弱音を吐こう介護日誌⑩ 〜オババランチ
毎週水曜日はオババランチの日だ。
ホームへ行って、一緒にお昼をいただく。
いつの間にかオババはお食事を一緒にする人ができたようだ。
四人のグループで、オープンした初日から入っている古株の人々のグループだ。居住者の中でも極めて正常でしっかりしている3人の女性達だ。
そのうちの一人の方が、「今日は娘さんの来る日でしょ?場所を用意しておいたから一緒にいらっしゃい!」と迎えに来てくださった。何だか私もホームの顔になってきたのだろうか?
まあ、歓迎されないよりはいいかもしれないが・・・
一人の感じよい92歳のササオカさんは、以前ぬり絵でご一緒している。
母のことを面白いと快く思ってくださっているみたいで、母も彼女のところは好きなようだ。
何故なら「ともだち」と呼んでいるから。
もう一人のどこに居ても大きな話し声が聞こえるミウラさんは、頭もしっかりしているけれど、口も達者で、少し若い。大正15年生まれと言っていたから、85歳位だろうか?
オババはいい加減に聞いているので苦にならないが、いつも聞いている人は結構大変そうだ。けれど記憶もしっかりしているし、周りのことを全て把握している情報通で、話を聞いていると面白い。
もっともオババはそういうことに興味ないのであまり役にたたないのかもしれないが・・・
いずれにせよ、良いグループにいれていただいている。
3人目のヒグチさんはまだまだ若い大人しそうな控えめな感じの方で、今日はご自分の家に行かれていて留守だったので、私が代わりに座席に付くことができた。
オババはさばさばしたミウラさんに結構きついことを言われているのだが、何を言われてもあまり理解できなくて、気にしていないようなので、まあいいか!って感じだ。こういう時は悪意がなくて呆けているのもなかなか良いものだ。昔のオババなら癇癪を起こしているところだもの。
ササオカさんはオババより高齢なのにしっかりしていて言っていることが理解できるから、あまり何度もきついことを聞いていると頭が痛くなってしまうらしい。
情報通のミウラさんの入居者に関する情報は私の観察とほぼ一致していて・・・、けれどそんなにしっかりしたミウラさんでも足が少し悪いので、杖が必要なため一人の外出は許されていないらしい。入居者のなかでは3人しか一人で外出ができないと言っていた。そして内訳も私にはピッタリと分かった。
そんなだからオババには一人で外出などとても無理なのだが、瞬間しか分からない彼女はそれが不満で私に文句ばかりなのだ。私もいちいち気にせずに賢くならねば・・・
オババの認知症は少し進んでしまっている。来週から新しい薬の量が増える。
少しでも効果がでてくれると良いけれど、今思うと随分前から認知症は少しずつ少しずつ進行していっていたのだと思う。今回は2カ月で急激に悪化したのではあるけれど、実は何年もかかって今に至っているのだと思う。
それがよく分かった。 長い目で見ていかねばならない。
ホームへ行って、一緒にお昼をいただく。
いつの間にかオババはお食事を一緒にする人ができたようだ。
四人のグループで、オープンした初日から入っている古株の人々のグループだ。居住者の中でも極めて正常でしっかりしている3人の女性達だ。
そのうちの一人の方が、「今日は娘さんの来る日でしょ?場所を用意しておいたから一緒にいらっしゃい!」と迎えに来てくださった。何だか私もホームの顔になってきたのだろうか?
まあ、歓迎されないよりはいいかもしれないが・・・
一人の感じよい92歳のササオカさんは、以前ぬり絵でご一緒している。
母のことを面白いと快く思ってくださっているみたいで、母も彼女のところは好きなようだ。
何故なら「ともだち」と呼んでいるから。
もう一人のどこに居ても大きな話し声が聞こえるミウラさんは、頭もしっかりしているけれど、口も達者で、少し若い。大正15年生まれと言っていたから、85歳位だろうか?
オババはいい加減に聞いているので苦にならないが、いつも聞いている人は結構大変そうだ。けれど記憶もしっかりしているし、周りのことを全て把握している情報通で、話を聞いていると面白い。
もっともオババはそういうことに興味ないのであまり役にたたないのかもしれないが・・・
いずれにせよ、良いグループにいれていただいている。
3人目のヒグチさんはまだまだ若い大人しそうな控えめな感じの方で、今日はご自分の家に行かれていて留守だったので、私が代わりに座席に付くことができた。
オババはさばさばしたミウラさんに結構きついことを言われているのだが、何を言われてもあまり理解できなくて、気にしていないようなので、まあいいか!って感じだ。こういう時は悪意がなくて呆けているのもなかなか良いものだ。昔のオババなら癇癪を起こしているところだもの。
ササオカさんはオババより高齢なのにしっかりしていて言っていることが理解できるから、あまり何度もきついことを聞いていると頭が痛くなってしまうらしい。
情報通のミウラさんの入居者に関する情報は私の観察とほぼ一致していて・・・、けれどそんなにしっかりしたミウラさんでも足が少し悪いので、杖が必要なため一人の外出は許されていないらしい。入居者のなかでは3人しか一人で外出ができないと言っていた。そして内訳も私にはピッタリと分かった。
そんなだからオババには一人で外出などとても無理なのだが、瞬間しか分からない彼女はそれが不満で私に文句ばかりなのだ。私もいちいち気にせずに賢くならねば・・・
オババの認知症は少し進んでしまっている。来週から新しい薬の量が増える。
少しでも効果がでてくれると良いけれど、今思うと随分前から認知症は少しずつ少しずつ進行していっていたのだと思う。今回は2カ月で急激に悪化したのではあるけれど、実は何年もかかって今に至っているのだと思う。
それがよく分かった。 長い目で見ていかねばならない。
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